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三輪山勝製麺

ファイル 4026-1.jpg桜井市黒崎の165号沿いにある素麺工場直営の素麺食堂。

三輪と言えば素麺。一度は食べてみたいとかねがね思ってはいて、今日も三輪まで行こうかなとも思ってた。でも三輪付近の店ってちゃんとしててちょっと入りづらそうなんだよねとも思ってた。
ので、こんな寄りやすそうな店は願ったりかなったりで大喜び。
っていうか、手前で食事できなくてよかったねー。

それはそうと、店の写真が撮れてなくて後でビックリ。駐車場の車と柱だけ写して満足して撮り忘れてた。こんなことってあるかね。

さて、店に入るとまず客席内の券売機。迷ってる前の客で少し待って券購入。
店内はあまり広くはなく混み合ってたけどすんなり券売機の前の席に着けた。

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けど、タイミングよかっただけみたいで、後から後から続けて客きてて、人数多い客とかもいて券売機前は騒がしかった。「すみません、宜しければ奥の席が空きましたので移ってもらってもいいでしょうか」と店の人にお願いされて奥に移動した。いやむしろ悠々座れてよかった。

で、少し待って登場。寒い季節なので冷たい素麺ではなく温かいのにした。「一筋縄にゅうめん」とサイドメニューの「柿の葉寿司 鯖」。

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温かいにゅうめんは滅多に食べることなかったし、なんといってもこの麺がツルツルしこしこいい食感で気持ちよく啜れておいしかった。っていうかおだしもうまくてイイ味だった。
そして酢の利いた柿の葉寿司が合間に口をキリッとさせていいアクセント。まわりでは炊き込みご飯のセットにする人が多かったみたいだけど、こっちにしてよかった。

食べ終わって会計の後で、店の入り口前にある販売コーナーを見てまわって、みやげに「一筋縄そうめん」購入。
そして店出るトコで展示されてた干された素麺を見つつ、「やさし~くさわってくださいね」なんて書かれてたから触ってみてたら、店の人が出てきて色々説明してくれた。
「朝早うから大変な作業なんですわ」と嬉しそうに誇らしげに語ってくれた。

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車に戻って出発前に土産に買った素麺を写真撮ってたら、袋に「創作麵職人 山下勝山」とその顔の絵があった。あ、たったいま入口で説明してくれた店の人だ!なんとこの「一筋縄そうめん」を作った六代目手延師にして取締役会長の山下勝山氏その人だった!うわぁご本人から説明聞いちゃってたんだ。これは嬉しいね。

いやぁ満足の昼食。これは寄れてよかった。まぁ他に店が並んでるような場所じゃないので気が付かなかったてことはなかっただろうけど、宇陀で370号に折れてた可能性はあったのでこっち来ててよかった。

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タグ:餐:麺 餐:鮨 楽:買 楽:触 楽:話

道の駅 宇陀路室生

ファイル 4025-1.jpg宇陀市室生三本松の165号沿いにある道の駅。

ここは二回目かな三回目かな、点景は二度目だけど、トイレでも寄ってたような気がする。

で、今日はもうここで食事する気満々で寄ってみた。
店の前には「黒豆入り玄米茶椀」「春日餺飥うどん」「宇治抹茶 茶そば」の名物料理の幕が張られて並んでていいねいいねと気分あがった。

建物の前のせんとくんを見つつ、そういえばここでくらいしか見かけないよなぁとか思いつつ、店に入ってみた。

ら、
食堂の待ちが多く記帳も名前が並んでてかなり待ちそう、店内は待ってるらしい人がウロウロしてて混んでた。こりゃダメだと諦めた。
っていうかそういえば連休中日の日曜の昼だもんな、そりゃ混んでてサモアリナンだよな。

で、なんか食べるの買って言おうと店を見たけどこれといったものはなく、そんななかで飲む吉野のくずもちという「葛じゅる」というのがなんか気になって、それの柿味を買ってみた。なんか奈良っぽいでしょ。奈良県産富有柿使用だそうだ。

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うわ、これわ、、甘すぎ。
糖尿の人が口にしてはいけないものという背徳感ばっちりな一品。
だけどその甘さに慣れてきたら、意外としっかり柿の味のジュレでおいしかった。葛っぽさは分からなかったけどね。

これは点景にするほどでもないし、むしろ糖尿の薬飲んでる者としては黙ってて無かったことにしようとも思ったけど、名張のメンチを上げたならこっちも上げとくべきかなと思えてあげてみた。

まぁ休日くらい少しは甘いもの食べてもバチあたらないでしょ。
(という甘えが常習しないように書き留めておこうと思う)

ちなみに前回の点景 この日の日誌

タグ:餐:菓 餐:果 観:キ 楽<残 道の駅

とれたて名張交流館

ファイル 4024-1.jpg名張市希央台の日帰り温泉「癒しの里 名張の湯」館前にある産直店。

「まちの駅」の案内を表の国道で見かけて来てみたんだけど、そういえば前にも来てみてどこだか分らずにウロウロして諦めてたことあったっけ。日帰り温泉にある産直店なのはいいけど、国道で案内出してるならその後もちゃんと道案内してほしいもんだよね。

と、少々不平を感じつつ、店に入った。やっぱり思った通り飲食店やスナックコーナーなどはなく、食事なら温泉の方でってことなんだろうけど、「まちの駅」として自立してなくて半端なだなぁとも思った。

取り敢えず朝からポン菓子しか食べてないので、何か食べる物をと総菜コーナーを見てみた。
めはり寿司とかあったので丁度いいやと思ったけど、よく考えたらそれって奈良のものだよね、、と躊躇。(柿の葉寿司と勘違いしてた、、めはりは熊野だけど三重だから悪くはなかったかも)

けっきょく「伊賀牛入りミンチカツ」にした。3個入りのしかなくて躊躇してたんだけどね。

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もうここで風呂入ってっちゃおうかなーとも思ったけど、まだ昼前だしメンチ食べたかったので出発した。

で、走りながら食べた。さめてたけど全然うまかった。パクパク食べて3個なんてあっという間だった。

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タグ:餐:揚 餐:肉 観:P

大石大滝

ファイル 4023-1.jpg大津市大石東町滝の422号沿いの信楽川にある滝。

現地には案内も何もなかったけど、ナビ地図に出てた所にあったカーブの路側帯から歩いてみた。

一応ちゃんと人が川に降りる道はできてて、まず下ってみたんだけど、まっすぐ降りた所には滝らしいものはなかった。あれー?

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取り敢えず渓谷の流れと蒼翠の淵を眺めたりして一休み。

見た感じでは少し下流の方に滝がありそうに思えた。けど、ここから岸を歩いては行かれそうにないので降りて来た道を戻ってみた。
途中で横に進めそうな道っぽい感じの所があったけど、いや、これは滑って落ちるだろ、、と不安な感じだったのでヤメて上まで戻った。

で、路側帯を少し戻ってみると他に降り口みたいな道っぽい感じのがあったので、そっちから降りてみた。

こっちからは岩伝いに下流側に歩けそうになってたけど、一部途切れてて水際をジャンプして跨ぐとこもあった。
飛び越えた先に人口の石の堤があって、その先からやや滝っぽくなっててどうやらその先が滝になってるようだった。そして渓谷の上には工事中の道路の高い高架が見えた。

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一旦止まって少し眺めつつ、もうちょいかー いけるかなーと足元に注意しつつ慎重に岩を伝って進んでみた。
岩を伝うのは思ったよりも大変で見た目よりも意外と落差もあって、少しまわってもなるべく安全そうなルートを考えて進んでたのでなかなか思ったようには進めなかった。時おり足を止めて渓谷を見ると川は深そうな淵に流れ込んでた。
どうやらその淵の先が滝のようだった。よしもう一息!となかなか進めず、岩も割と滑りやすくて足元おぼつかず、滑りそうになってヒヤッとした。これ、滑ったら落ちて死ぬな、、と怖くなり、緊張も加味して体力も怪しくなった。

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ちょっと落ち着いて一呼吸。もうちょっとで滝が見えそうだったけど、これは無理しない方が良さそうだと諦めてここで引き返した。無念。振り返った滝っぽい沢の感じでよしとしよう。

上の道から落りてきたトコまで戻って一安心。ちょっと川の水に指浸したりしつつ車に戻った。
「大石大滝」という表題ながら滝は見れてなかったという不甲斐ない項目だけど、無理しないで死なずに済んだので応来応来。


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タグ:景:川 景:谷 楽:歩 楽<残

近江神宮

ファイル 4022-1.jpg大津市神宮町にある神社。

ということは知らずに、なんか自然公園みたいな森があるなぁとか思ってちょっと歩いてみた。

取り敢えずは園内マップみたいなのないかなーとか思いつつ進むとすぐ先で車道に出た。ん?公園じゃなくてただの森だったかな?とか思いつつ、渡って更に進むと広い道に出て、東の森の口の方には大鳥居があった。あー神社の森だったか。
広く長めの参道の大きな神社だった。じゃぁお参りして行こうかと奥に進むと、階段の上にも鳥居が見えた。

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階段を上るとしっとりとした木の鳥居だった。
ここには茶屋やベンチや御手水舎などがあり、読みづらい由緒書きの前に分かりやすい案内があって、ここでやっと「近江神宮」だと知った。御祭神は天智天皇。時の祖神で、歌かるたの祖神、古都大津宮隣接地に昭和15年に御鎮座と要点纏めてて有難かった。あぁカルタの「ちはやふる」の舞台ね。カルタくじとかちはやふる御朱印帳とかあるそうだ。

そして階段はまだ続いて、次はその上に赤い楼門があった。
一気に登って門をくぐると、もう一段上に拝殿が見えた。ここは屋根だけの外拝殿で向かいには内拝殿がある二重拝殿型、一般はこ外拝殿の中から参拝。内拝殿の裏にあるであろう本殿は見えなかった。

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この外拝殿には「轟太鼓」があり毎日朝夕に鳴らして時を告げるそうだ。寺っぽいなとか思った。(それは鐘)
そして回廊っぽい感じも良く、「参拝順路」とある方に進むと林の中の栖松遙拝殿に出た。

ぐるっと脇から楼門の階に下ると菊が並んでた。毎年11月上旬からやってる「湖国菊花展」だそうだ。「巴の錦」という花の内側が赤い菊も並んでた。もう少し花が開くとキレイっぽかく、少し早い感じだった。

そして楼門から続いた赤い柱の回廊のような休憩所には塀に百人一首の札が並んでた。この一首目が天智天皇の歌なのでここがカルタの聖地ということになるらしい。僕はねぇ、坊主めくりくらいしかやったことないけど、それも何十年前かねぇ。ルールも憶えて無いや。
授与所も赤かった。

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楼門を横切って進むと時計館宝物館というのがあり、その前には日時計のオブジェ、池にある漏刻というのが天智天皇が導入した水時計の復元というのが興味深かった。
そして中国の古代日時計とかは形しっかりし過ぎててピンとこなかった。

そして端にあった背の高い屋根の東屋っぽいのは自動車清祓所だそうで、明治23年建築の大津地方裁判所の玄関を移築したものだそうだ。

このすぐ下に駐車場があって、車で移動して来ればよかったなーと思いつつ、七五三の家族連れを眺めつつ、ゆっくり歩いて森を抜けた。

軽く公園を歩くくらいの気分だったのが、たっぷり見どころ多い大きな神社を歩けて楽しめて良かった。
帰ったら「ちはやふる」見てみようかなーと思った。

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タグ:楽:歩 観:宮 観:門 観:建 観:装 観:具 観:発 景:森 植:花

大津京シンボル緑地

ファイル 4021-1.jpg大津市錦織にある史跡「近江大津宮」があった地域の観光駐車場。

そういえば大津は一時は大津京という京が遷都してた場所なんだよなと思い、その大津京ってどこらへんだったんだろうという興味はありつつ、調べたことは無かった。ので、検索して来てみた。

ちなみに「宮」は政庁部で「京」は宮を含む都市区域ということで、来てみたのはその近江大津があったとされる地域。平らなトコかと思ってたら思い切り坂の斜面の宅地だった。(まぁそれを言ったら紫香楽宮なんか山だったし)この駐車場はその宮の北端ギリ外のあたりのようだ。

案内板には丁寧に近江大津宮錦織遺跡について説明されてた。
天智天皇6年(667)、白村江の戦いで大敗して唐軍の侵攻を恐れた天智天皇が飛鳥より守りやすく逃げやすいこの地に慌てて遷都して、この宮で法令や戸籍や時刻を制定したものの、4年後に崩御して壬申の乱がおこり大海人皇子が勝利して都を飛鳥に戻したため僅か5年ほどで消滅した都。昭和49年の発掘調査まではどこにあったか不明だったそうだ。

さて、駐車場からは、まず裏に案内板のある空き地っぽいのが見えたのでそこに歩いてみた。

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この案内板にも「大津京と大津宮」の説明が出てて、この場所が宮の北端だったとあった。ここからは掘立柱建物跡と軒跡が見つかってるとあるけど、柵は施錠されてて中には入れなかった。

まぁいいかと表の県道に戻って坂を下って、来る時見かけてた「史跡近江大津宮錦織遺跡」に進んでみた。

まず第2地点は通過して、その先の第1地点に入ってみた。公園のような広場で、ここには内裏南門と回廊が発掘されて国の史跡になったそうだ。

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広場の奥の方に並んだ柱跡は回廊から北に並んだ塀の跡だそうだ。宅地の間だからこんな部分部分でしか史跡指定できなかったんだね。

この第1地点は県道側の北が一段高くなってて石柱には「志賀皇宮跡」とあった。ここは石碑が並ぶだけだったけど、やっぱり高低差ある宮というのは意外だった。昔はもっと平らだったのかな?

そして県道を挟んで向かいにも史跡っぽいのが見えたけどそこは史跡指定されてない空き地なのかな。その先の裏は案内板が見えたので史跡っぽいけど(第3地点だったようだ)やっぱり一階分くらいの段差があって不思議に思えた。宅地の裏には山(森可成の築城で坂本に移る前の明智光秀がいた宇佐山城跡)が見えた。

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少し戻って次はさっき通過した隣の第2地点。
ここは内裏正殿があったところだそうだ。10基の柱跡はその正殿の南東部分だそうだ。

ここはその奥に柵があって、覗いてみたらその先も空き地になってた。けどそれも史跡指定されてない更地のようだ。
南側にも宅地跡の空き地が隣り合ってた。いずれは広い史跡公園になるのだろうか。地域の住民は苦い思いをしてるかもとも思えた。

県道を挟んで西の向かいが第7地点。ここは閉鎖されてて中には入れなかった。隅にタヌキが覗いててかわいかった。
その北向いが第9地点。ここはちょこっと公園のようになっててベンチがあった。隅で倒れかけてる看板は犬のフン、ボール遊び、花火の禁止警告だった。
ここ第9と第7が、第2から県道を跨った内裏正殿の西側の廂部分だそうで、ここの案内板には近隣の他の史跡指定地の地図が見やすく出てた。

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ので、第9と第7の間の道を裏に進んで宅地の中の他の史跡指定地に歩いてみた。
ら、
すぐ裏の第5地点は未舗装の駐車場で案内板も立ってなかった。。さっきの地図では間違えて無いと思うけど、史跡指定地だったら駐車場ってことないよなぁ、、
それと第5の斜め奥の第6地点も何もないただの更地だった。措定されてる筈の更地とそうじゃない更地の差もよくわからなかった。
他にも第3とか第1より南の第8や東の第4とかは見てなかったけど、もういいかなとこれで県道に戻った。(県道に出る前にもう一度第9の地図を見て確認した。間違えてなかった、、)

駐車場に戻る途中で横道の先にさっきの第5地点の駐車場の裏が見えた。ここは道が一段低くなってて第5地点のあたりは方向からすると低い筈なのに盛り上がってた。なんかボコボコの地形の史跡地域だった。へーんなの。

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タグ:観:史 観:庁 観:園 楽:歩

坂本城址公園

ファイル 4020-1.jpg大津市下阪本の旧国道の県道沿いにある城跡公園。

今年の夏は膳所城跡とこっちにも寄ろうと思ってたけど、少し大回りだからこっちはやめて次回にと思ってた。ので、今日はこっちに寄ってみた。
この坂本城は言わずと知れた戦国時代の信長の家臣だった明智光秀が築いた城。こんな(焼き討ち後の)比叡山の袂に城造らされてプレッシャー半端なかったことでしょう。

さて、公園は入口が駐車場になってて楽に停められた。さっそく公園内に歩くと、幾つもの案内板と像が立っていた。
その「坂本城跡」の歴史の案内を読むと、大天守と小天守があったそうだ。どこら辺が天守だったんだろうと地図を見たら、、この現在地の城跡公園は何と城外だった。。!えー。

本丸は少し北で、旧国道を挟んだ一町分と岸側にあったようで現在は個人所有地なのかな?

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なので、公園としては膳所城跡公園より全然小さく、まぁこれが本丸跡全体ではないだろうとは公園入ってすぐ感じたけど、まさか曲輪でもなく跡地ですらない公園広場だとは思わなんだ。(この公園辺りは旧国道の先まで琵琶湖の湖面だったようだ)
もっとも城跡だったら外来魚回収BOXなんか置かないだろうね。

そして像は明智光秀でその詩と説明が石碑になっていた。
元亀2年(1571)に坂本城を築き10年間本拠地として活躍したとある。
光秀亡き後は丹羽が再建して浅野が入ったけど、天正14年(1586)に棄城して大津城へ移転したそうだ。実質15年の城かぁ。勿体ない。

さて、まぁ何も残ってはいない城跡だとは知ってたので(石垣の一部が残ってるらしいけど)しかたない。ドライブの寄り道としてはそういう歴史の舞台の場所というロマンを言い訳に、その風景を味わうのが目的なので納得して琵琶湖の湖岸の浜に出てみた。
その手前の案内板には「ヨシ群落保全区域」とあった。

朝見た湖北より少し広く見える琵琶湖の眺めは、少し太陽高くなりつつも、まだ東に立ち込めた雲の上から頭だしたばかりという感じで、湖面に光をたらしてた。

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湖面にはやっぱり水鳥が浮き、足元の湖水は底まで透けて綺麗だった。市街部でもやっぱり水がキレイなのが凄いよね琵琶湖は。

南側を見ると何やら赤い鳥居が見えて、そのあたりで釣りをしてる人がいた。

っていうか、自然な砂洲の侭っぽい感じの浜が何とも素敵で、北東に進むと、その先は小さな川の河口になってた。
この公園もこの川が運んだ砂でできた浜なのかなと思えていい風景。

そして河口の先から振り返った川も自然な感じでいいし、川の方も水がキレイだった。(といいつつ手を浸したのは湖の方だった。やっぱそれでも少しは生活用水流れ込んでそうな気がしたもので)

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そして河口部の対岸は砂州がくねってて面白かった。
ジャンプすれば渡れそうな気もしたけど、きっと今の自分に想像するような跳躍力はないだろうと諦めた。
ここで引き返したんだけど、後から思えば風景はともかく、その先の本丸跡部分の浜の景色が見たかったんだっけ、、
少々城跡のこと忘れて湖上のカモや樹上のモズや足元のフナ(死骸)そして草花に止まるベニシジミなんかを見ながら自然多くてイイななんて思いながら浜を戻ってた。

琵琶湖の南の方にはモヤッと霞んだ大津のビル街が見え、手前には湖中に入って釣りをする人もいたりしてのんびりした朝だった。

で、公園に戻ったら一応公園内をひとまわり。紫のキキョウの花壇を見つつ、南の奥の橋を渡って細い川沿いの石垣を見ていやいやこれは公園造成の石だよなwと思った。

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公園の森を出る手前に「三津浜(みつのはま)」の石柱があった。古くから港として栄えた所だったそうだ。

森を出たら「七本柳」の標柱。毎年日吉大社のお祭で、神輿を乗せた船にがここから出るそうだ。「七本の柳は神の降臨する木とされてきた」とあるけど、現在その柳は一本も見あたらなかった。
その先にさっき湖岸から見えてた赤い鳥居があってその袂が桟橋になってた。ああ、あそこからその船が出るのね。こっちの方が城よりも古くから続くこの地域の歴史なんだね。
とか納得して?車に戻った。

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今津百瀬川園地

ファイル 4019-1.jpg高島市マキノ町中庄の琵琶湖湖北の岸にある中庄浜の北側で、「中庄浜」バス停前にトイレと車数台停められそうなスペースがあったので、湖を眺めようと停めて降りてみた。

駐車場という標記はなかったけど駐車禁止ともなかったし、車の通りも人通りもなかったのでちょこっと休憩するだけだからいいよね。

案内標示もあってトイレの前を抜けるとすぐに琵琶湖の砂浜。
雲間からこぼれた朝日を浮かべて広く静かに細かく小さな波を揺らしていた。

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浜の先に出るときれいな水の湖面は底が見えていた。
浜から北を見ると海津大崎がつききだして、奥の方には竹生島が浮いてるのが見えた。

水面には水鳥がゆらゆら浮いていた。カメラでズームして見たらオオバンかな。手前のは少し形違って見えててカンムリカイツブリかな。

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しばらく眺めてたら一旦雲に隠れた朝日がしっかり雲に挟まれつつ合間から細く顔出して湖面に一筋の光の帯を照らした。
その帯上の水鳥をズームで見ると黄金に包まれた感じで神々しく見えた。

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道の駅 マキノ追坂峠

高島市マキノ町海津の161号沿いにある道の駅。

ここは初めてではないと思うけど、はっきり寄った記憶がない。琵琶湖に下っていく追坂峠の下り坂へとスイスイ通過しがちな場所にあるし、琵琶湖の方から登ってくることはあまりないからだ。
それでもここに道の駅があるという事はしっかり記憶してて、今日はここで寝て、朝6時前に目が醒めた。
夜寝ただけなので折角だけど点景にするとは思ってなかった。

6時はまだ夜明け前で、少し明るくなり始めたというところ。
トイレに行って、温かい物でも飲もうかなと自販機に歩いた。

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大概の道の駅はトイレ近くに自販機があるように思うけど、ここは売店側の別の建物の方にあった。トイレ(と情報コーナー)の方は木の柱で最近っぽい感じなので、こっちは後から新設したのかもと思えた。

そして、売店前の看板の「絶景レストラン」のモーニングメニューを見て「9時からかぁー起きるの3時間早かったなぁ」なんて思いつつ、自販機の方を見た。
ら、
おもわず「おっ」と声が出た。大きめのスナック菓子とか用の自販機に何やらご当地っぽいグッズが売られていた。
「メタセコイア並木チョコマシュマロ」とか「カキーマカレー(柿のカレーのレトルト?)」とかあってこの道の駅オリジナルらしかった。
面白かったのが「とび太くんグミ」と「琵琶湖の水止めたろかグミ」。買おうかと思ったけどグミかぁ。。グミはあまり食べないからなぁ、、と迷った。
食べれそうなものとしては「さつまいもチップス」とかあったけど、「マキノ助のポン菓子」というのを買ってみた。

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マキノ助と名前付いてるけど、あんまし地域っぽいものでもなかったなぁ、、とか思いつつ、原材料を見たら「米(滋賀県産)」になってた。いいねいいね。
いやぁ、店閉まってる時間に来てもご当地ものを楽しめて素晴らしい道の駅だねぇ。

交通標語のユーモア賞の絵を見つつ(轢く気満々に見えてしまった)、建物の裏にまわったらデッキの展望台になってた。

見おろしてみたけどちょっと思ったより琵琶湖は離れててチョコッと覗ける程度だった。それでも明るくなりかけててどんな感じか見下せてよかったし、早く目の前の161号を下って琵琶湖を見に行きたくなる眺めと解釈すればいい展望かもしれない。

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そしてすぐ出発。と行きたいトコだったけど、窓の曇りがなかなか飛ばず、しばらくデフ強でまわして待機。
その間にさっそく「マキノ助のポン菓子」を開けてみた。
すこしは固まって入ってるものかと思ってたけど、米粒全部ばらけてた。。うわ食べづらい、と一瞬思ったけど、そっか、カップに入ってるんだから口つけて飲むようにサラサラと食べればいいのかと気付き、これはドライブ向きだ!と嬉しくなった。

それにポン菓子なんてい思えば超久しぶり。子供のころ近所の寺の縁日で買ってもらって食べつつ境内のハトにもあげたりして楽しんだなぁーとか思い出して懐かしくなった。


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わら路

ファイル 4017-1.jpg高山市上岡本にある食事処。

地図で見ると158号沿いの店に思えたけど、国道から直には入れず細い道を下ってまわった坂の脇下にある店。
っていうか来てみたら赤ちょうちんの出た居酒屋だった。あー夜にやってる店はその確率高いよね。たぶん国道沿いですぐに入れる場所だったらヤメて通過したかもだけど、細い道まわって来たし、脇に駐車場もあったのでママヨと停めて店に入ってみた。

したらやっぱり店内も普通に居酒屋だった。酒飲み客が酒飲んでた。まぁそうでしょうよ。
「ラーメンだけの食事ですけどいいですか」と聞いてカウンター席に着いた。「少し時間かかるけど」といいわれ気長に待った。

ってわけで、まちがいなく観光客向けではなく高山の市民が普段普通に酒の後のシメとかで食べる一般的な高山ラーメン(中華そば)。いただきます。

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んーやっぱり高山だわ。麺の頼りないシナシナ感とちょっと独特なしょう油の味。正直もっと普通な感じのラーメンかなと思ったけど一安心。リアルな高山を味わえた気がした。

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タグ:餐:ら

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