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わら路

ファイル 4017-1.jpg高山市上岡本にある食事処。

地図で見ると158号沿いの店に思えたけど、国道から直には入れず細い道を下ってまわった坂の脇下にある店。
っていうか来てみたら赤ちょうちんの出た居酒屋だった。あー夜にやってる店はその確率高いよね。たぶん国道沿いですぐに入れる場所だったらヤメて通過したかもだけど、細い道まわって来たし、脇に駐車場もあったのでママヨと停めて店に入ってみた。

したらやっぱり店内も普通に居酒屋だった。酒飲み客が酒飲んでた。まぁそうでしょうよ。
「ラーメンだけの食事ですけどいいですか」と聞いてカウンター席に着いた。「少し時間かかるけど」といいわれ気長に待った。

ってわけで、まちがいなく観光客向けではなく高山の市民が普段普通に酒の後のシメとかで食べる一般的な高山ラーメン(中華そば)。いただきます。

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んーやっぱり高山だわ。麺の頼りないシナシナ感とちょっと独特なしょう油の味。正直もっと普通な感じのラーメンかなと思ったけど一安心。リアルな高山を味わえた気がした。

この日の日誌

タグ:餐:ら

七日市藩邸跡

ファイル 4016-1.jpg富岡市七日市の国道沿いの群馬県立富岡高等学校内にある史跡。

あまり通る事の無いバイパスじゃない方の町中の254号沿いで「七日市藩邸跡」と看板大きく出てたので咄嗟に寄ってみた。ら、もろ高校で、これ、入っちゃってよかったのかな?と一瞬怯んだけど特に何とも掲示されてなかったからいいかと停めて歩いた。

っていうか「七日市藩」というのは初めて聞く藩名、何か案内板くらいあるかなと思ったけど何もなくて不明のままその藩邸の屋敷のような建物を見て歩いた。

やっぱり案内も説明もなくこの屋敷が現存物なのか再築なのか何の建物かすらわからなかったけど、文化庁の有形文化財のプレートがあったので昔からの建物なんだろうと思った。

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やっぱり中には入れず庭園から眺めるだけだった。
その庭園は手前に池があり、植木が多かった。
端の方に門があったので刈り込まれて迷路のようになった植木の道を通ってそっちにまわってみた。

途中で振り返って屋敷を見つつ、立派な屋根だなぁと思いつつ、その門からいったん外に出てみた。
この門もなかなか立派な瓦屋根だった。門の前とかに案内板でもないかなぁと期待したけど何もなかった。。

中に戻って北側を歩いた。国道側のこっちは土を盛ったのか元々の地形なのかこんもりとしてて、その中に立て札があったので見てみたけど、ガビガビに割れた読みづらい表面には七日市藩の案内ではなく「とよおか名木十選」というのがかろうじて読めた。どの木か分からなかったけど、この樫の木かな。

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あとは「陸軍中野学校終焉之地」の碑と「聖駕駐蹕記念碑」というのが立ってた。(中野学校は諜報部育成の学校で戦時中疎開してきてて終戦とともに廃校になったそうだ。「聖駕駐蹕」というのは天皇陛下がいらした所という意味で、明治皇后や昭和天皇が富岡を訪れた時にここの御殿に泊まられたそうだ)

あとはまた生垣の道を歩いたり池を見たりしてまわって車に戻った。

ファイル 4016-4.jpgなんかどうも学校の敷地内というのが落ち着かなく、そし案内がなかったのもあって、割とあっさり歩いただけの寄り道になった。

ちなみに、帰ってから調べたところ、
この七日市藩というのは加賀の前田家の分家の藩で利家の五男の利孝が初代藩主で、陣屋はこの高校の敷地全体まんまだったそうだ。
明治の廃藩で建物は取り壊されたけど藩邸の御殿と門は残って現存しているってわけだ。江戸時代は火災もありこの御殿と中門は天保14年(1843)に建てられたものだそうで、他に大手門や裏門などがよそに移築されて残っているとか。
御殿は元々は東向きで玄関も右寄りにあったそうで、学校の校舎の建築や改築時に向きを変えたり改築したりしたそうだ。全部そのまんま残ってたら重要文化財だったろうね。
中門は一時よそに移築されたけどまたこの地の戻したそうで少し位置は違うらしい。大手門も戻せばいいのにーってわけにはいかないのかな。
ほかには庭園がわりと江戸時代の雰囲気をまま残しているそうで、庭園の端のこんもりした部分はやっぱり土塁で、御殿山と呼ばれる櫓台だったようだ。もっとも櫓はなかったけどね。(櫓があったら陣屋じゃなくて城になっちゃうからね)ここは表の国道側からまわって見とくべきだったと些後悔。

っていうか、城までではない陣屋だけの藩にも当然歴史あって、こういうふうに何気なく立ち寄って興味持てるというのも面白いね。

この日の日誌

タグ:観:史 観:屋 観:庭 観:門 観:池 観:石 植:樹

手打ちうどん 小麦堂

ファイル 4015-1.jpg上里町七本木の県道沿いにある饂飩店。

ラーメン屋だった場所にできてて気になってた店。なんか最近はこっち方向の遠出の初日で、ついつい手前で食事済ませてて通る時に「あーここ気になってたんだっけー」と思い出して少し悔しかった。
なので今日はちゃんとここに寄ろうと思って来てみた。(うっかり行田でフライの店に寄るトコだった)

ファイル 4015-2.jpgさてまだ昼過ぎで混んでそうな時間だったけど、車はすんなり停められて券売機の前で悩む前の客に先を譲られたりして少し焦って、秋メニューの「近江牛のあぶらかす汁うどん」にしてみた。

カウンター席に着くと頭上にサインが並んでて(誰のかわからなかったけど)麦の説明や「武蔵野うどん」の書とかもあった。ポスターとかPOPとかちゃんとしててチェーン店なのかな?とも思ったけど、そうではなさそうに思えた。

そして「近江牛のあぶらかす汁うどん」おお、おいしそう。

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おーうまい。あぶらかす汁いいね!牛骨とかテールスープのような円やかなコクで旨く、それでいて武蔵野うどんの小麦感もしっかり味わえた。正直初めての店では限定メニューではなく基本のメニューをたのむべきかなぁとか思ってたけど、これにしてて全然よかった。
うどんは白くどっしりした武蔵野うどんで結構おなか一杯になる。そういえば食事を気にしてからはずっと饂飩を食べてなくて久々だったのもあって一層うまく感じた。
そしてやっぱり汁がうまいので、割り湯をもらって飲み干した。おなかいっぱい。

これはいい店を知ったわ。また寄ろう。

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タグ:餐:麺 餐:汁

長谷川 与田浦店

ファイル 4014-1.jpg香取市佐原の県道沿いにある鰻屋。

パッと見普通の平屋の店だけど、暖簾かかってるのが見えてたのでぐるっと回って戻ってきたときに寄ってみた。

佐原では市街に「長谷川」という鰻店があって一度店の前までは行った事あったけど駐車場開いててラッキーとか思ったものの午後で閉まってて食事できなかったということがあり、おなじ長谷川だから分店かなんかかなと興味もって寄ってみた。
けど、同じ長谷川だったらこっちだけ午後遅くに営業してるわけないか、、とも思え、おそるおそる暖簾をくぐると、やっぱり店内は真っ暗でやってなさそうだった。あー残念。まぁ3時半過ぎじゃ仕方ないよなと諦めて車に戻った。

ファイル 4014-2.jpgら、
出発寸前で店の人が出てきて、やってるというので「じゃあ」と再度店に戻った。

そこから火入れてだから料理でるまでは少し待ったけど、まぁこんな時間に食事できるんだから不満に感じる事などなくゆっくり待った。

ってわけでうな重。いただきます。

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うんうんやっぱ鰻はいいねぇ。御褒美だねぇ。
肝吸いの肝もプリっとうまかった。
他にはコンビニくらいしかないこんな場所でこんな半端な時間においしいもの食べれて嬉しかった。

あ、市街の「長谷川」との関係を聞こうかと思ってたけど食べ終わって満足して忘れてた。

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タグ:食:丼 餐:魚

涸沼水鳥・湿地センター

ファイル 4013-1.jpg茨城町下石崎の涸沼北岸にある湿地保全啓発施設。

すぐ近くに自然公園があって、そことは別にいつの間にかこういうのができてて意外だった。(去年2024年にできたそうだ)
閉まってはいないけどもう4時なので終わるトコかも、、と思いつつ入口に進むと4時半までと書かれてた。ナイス。

中に入るとコウノトリの等身大ポスターとパネルがあり、その向かいにはオオワシのタペストリーとパネル。
見てたら館の人に「数年前までずっと毎年涸沼に通って来てたオオワシです」と案内された。残念ながら高齢で数年前から訪れなくなってしまったそうだ。

やっぱ野鳥がメインなのかなと思ったけど、そうでもなく沼周辺の生き物全部のようで、紹介パネルには魚や虫や蛇なんかも出てた。

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そして、小さな水槽があって「コトヒキ」という海水魚が泳いでた。汽水の涸沼でも泳いでるそうで、この魚はこのセンターの前で小学生が釣り上げたものだそうだ。へええ。
そして隣りの水槽には大きめの「ベンケイガニ」が入ってて、こっちは当センターの駐車場にいたものだそうだ。いいねぇ。
じっくり見てたらまだ別の館の人が声をかけてきてくれて案内話、やっぱり野鳥が好きなんだと思われてて、鳥の話をされたけど、「そういえば涸沼と言えばヒヌマイトトンボとかは飛んでるんですか」と思いついたことを聞いてみたらそっちの方が喜ばれて話が聞けた。

「奥にはコーナーがありますよ」と奥に進むと大きな模型と小さな標本があった。実物はこんなに小さいんか。。「これじゃ素人は見つけるの難しそうだ」というと「初夏の朝にタイミング良ければすぐみれますよ」だそうだ。でも「自然公園の方で聞いた時は“いる場所は教えない”と言われた」というと「え?なんでだろう全然教えますよ」と、外に出て具体的に場所を教えてくれると言われた。
「じゃあお願いします」といいつつ、「あ、その前に館内のパネルや水槽の魚を見てからで」と外出る前に見てなかった展示も眺めた。

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っていうか、一番の興味は魚なんだけどね。奥の方は少しだけど水槽が並んでてプチ水族館。いいね。

まずはウナギの水槽。たくさん泳いでたちっこいエビはウナギのエサかな?

次はシジミの水槽だけど、ここは汽水の槽でボラの子も泳いでて、シジミよりたくさん泳いでたハゼの方がきれいなイイ型で目立ってた。

隣りのメダカの水槽には少し大きめのヌマエビと小型のテナガエビ。水草とかキレイな水槽だとエビもキレイ。

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奥の少し大きめの水槽には小型の淡水魚が沢山泳いでた。メインはギンブナ。ギンブナもキレイだよね。タナゴがでかくて小鮒と同じくらいだった。いいね淡水魚。

もっとパネル展示もじっくり見たかったけど時間もあんましないので、さっきの館の人に声をかけて外に出て案内してもらった。

館の前がすぐ涸沼の岸で、歩けるようになってて、水面に垂れる夕日をみて広い沼を眺めつつ、ヒヌマイトトンボの見れる場所と生態の話と発見者の博士の話を聞いた。

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夕方まで釣りをしてる人は結構いて、「4時半で駐車場閉まりますのでご注意ください」と館の人が声かけてまわってるのを眺めて館に戻り、駐車場に出た。

で、最後にその駐車場の脇に見かけてたコスモス畑に歩いて、盛り土の展望台に上って眺めた。

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いやぁ、ずっと雨だった連休で、最後に夕日と湖と花畑と水槽のスポットに寄れるとは思わなかった。
そしてヒヌマイトトンボはこの涸沼で発見されてその名がついた絶滅危惧種の希少なトンボ。その情報が聞けてよかった。来年その季節にぜひとも見に来たいと思った。

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タグ:観:館 楽:話 楽:眺 景:湖 景:陽 動:魚 動:虫 植:花

浜の宮ロードパーク

ファイル 4012-1.jpg日立市東町の6号日立バイパス沿いにある休憩用駐車場。

海岸の広い駐車場で海と橋が良く見えそうだからたまには寄って休憩したいなと思いつつ、毎度ついつい流れて通過してて今回初めての立ち寄り。
っていうか、手前の6号の渋滞でトロトロ進んでて眠気を感じてたので軽く仮眠休憩しようかと考えてたので寄れたって感じ。

海が良く見えると言っても曇っちゃっててあまりいい眺めではないので、ホントに休憩のつもり。
でもまぁ、止まったなら車から降りて一応眺めるよね。

6号のバイパスの海上を走る橋や、やたらと評判の日立駅の海に突き出たカフェとかズームで見えた。

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少し海見て風あたって、車に戻っても眠気残るようなのでやっぱり仮眠しようと、運転席で席は倒さずに休んだ。

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うつらうつら  してたトコで、ビュービューと強い風で車体が揺れるのでどうも落ち着かずすぐに目がさめた。まぁその程度の眠気だったようで数分のうつらうつらで終了。
あとは少し車内から海上に舞うカモメの群れを眺めたり、風で飛沫が飛び返される波を眺めつつ、もういいかなと出発した。

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タグ:観:P 楽:眺 景:海 観:橋

磐城平城跡

ファイル 4011-1.jpgいわき市平旧城跡にある城跡。って住所そのものだね。

城跡はJRいわき駅の立体になった北口の度真ん前の丘で、駅前ロータリーには、丁寧な「磐城平城」の案内パネルと「磐城平城下の図」という地図パネルがあり、やや城チックな感じになっていた。
いやはや、いわき市って城のイメージが無くて最近まで全然気づかなかったけど、この平城は家康の家臣の鳥居忠政が築いた城で、幕末には幕府家老を務めて襲撃された安藤信正が城主だったりして、その悔しさから戊辰戦争ではかなり粘って激戦が続いた城だそうで(案内には簡単に落城したような書かれ方してるけど)白河や棚倉が陥落してもしばらく奮戦したそうだ。

さて、案内地図見て早速城跡に歩こうかと思ったけど、それより先にトイレに行きたかったので平駅に歩いてみた。
広い渡り廊下からは停車してる常磐線普通車の車両と、その後ろに端のホームに入ってくる一両だけの磐越東線が見えた。
そしてトイレは改札の中にしかなかった、、ので、スイカで入場(これって初乗り分取られるのかな)して済ませた。吊りトマトの写真が印象的な駅だった。

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そしてまた駅前に出て、目の前の丘の城跡に歩いた。
工事してたのは堀の溝から続く法面で、その堀の先の上が本丸で八連櫓(戊辰戦争で焼失)というのがあったようだ。
横から登る坂道があったのでそっちに進んだ。結構な急坂だった。

坂の途中には工事用車両の入口ゲートがあった。「城下の図」によればここらが中仕切門跡。(いずれはここが城跡公園の駐車場になるようだ)
そのゲートの先の駐車場は旅館のもので、急坂を登り切る手前に石垣が見えた。この石垣がこの城跡唯一の現存物だそうで、これから整備して積み直すのか番号が降られてた。ここには埋門と塗師櫓という櫓があったそうだ。

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坂を登りきると上も旅館の駐車場。本丸跡は旅館と宅地に埋もれていた。まわる形で細道から本丸の奧方向に進むと工事中の長い塀が立ってて「磐城平城しろあと公園を整備中です」と案内があった。えーこれから整備するトコなのー。整備期間は令和八年の2月末までになってた。。
入口は開いてたけど当然入っちゃダメだよな。っていうか、入ってもしょうがないし。まぁ仕方ない、戊辰戦争の経緯が細かく書かれるような資料館ができますようにと祈りつつ通過した。

少し進むと少しこんもりした森に石垣が見えた。閉鎖された石段があって土塁の跡かな?と思えたけど案内もなくよくわかんなかった。けど、「城下の図」だと鈎字の中門櫓の端になるので、中門から隅図櫓までの土塀の土塁跡と考えてよさそうだ。内側に石垣はなかったんだろうけどね。

その脇に丹後沢公園の裏口があったので折れてみたら、深い堀跡の池に下る木道の階段が組まれてた。

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中段の公園広場は通過して、下りきってみたら堀の池の脇の道はロープで閉鎖されてた。。えー。注意書きには「倒木などの危険性」とあった。そんなん無視して通っても平気そうだったけどヤメといた。仕方ない。戻るか。と、降りてきたばかりの段をまた登った。

そして中段の公園広場。曲輪っぽい感じだけどここも「城下の図」だと水堀になってる。高さの違う水堀が並んでた?
新設のトイレと瓦屋根の東屋があって井戸跡っぽいのもあったけど何の説明もなかった。まぁ堀に井戸はないよな。

公園対岸の坂道を上ってみた。ここも結構急坂で、途中に案内が立ってるかと思ってはりきったけど、公園のペットやゴミの注意書きだった。。

公民館の脇から宅地に抜けて駅方向に折り返した。全然普通の宅地だけど、ここらが大手外曲輪。先の下り坂口の桜の木の下に「旧平城 大手門界隈」とあった。やーっと城跡の標柱があった。ここに大手門があったというわけではないけど、旧平城という標示で少しほっとした。ここは坂の口の向かいに鐘楼があったらしい。

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坂に下らずに横道を折れれば追手門跡から大手曲輪を経てさっきの中門跡、まぁ普通に宅地なのでそっちには戻らずに坂を下った。
この坂道も急でなかなか城跡チック。天気よくて気分良く坂を下った。「急傾斜地崩壊危険区域」という案内が立ってて「がけ崩れ防災の心得」を喚起してた。

坂を下ると駅の裏側。目の前の病院から駅まで水堀だったようだ。左手に本丸の丘が見えて、この端に天守代わりの三階櫓が建ってたようだ。丁度常磐線が到着したトコで、三階櫓が残ってれば車窓からもよく見えただろうなと思えた。もっとも、三階といっても屋根は二重であまりカッコいい櫓ではなったみたいだけど。(でも調べたら、三階櫓のあった部分は駅開設時に開削されたそうで、実際は線路くらいまで伸びてた丘の上だったらしい)

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そして車で来た道を歩いて本丸三階櫓下の坂を上った。工事で信号のある片側相互通行で狭くなってたけど車も少なく怖くなかったけど、やたらあちこちに「土砂災害警戒地域」というのが立ってて、不安な道だった。っていうか、よく地震で崩れなかったもんだ。

そして北口ロータリーに戻った。ゆっくりたっぷり歩いたつもりだったけど、45分程度の散歩だった。途中から晴れて良かった。今回の連休はずっと天気悪かったから、こんなのんびり城歩きできるとは思ってなかったので嬉しかった。
駅前に飾りで再現された土塀とか、確認でもう一度「城下の図」とか見直しつつ、エレベーターで高架下の駐車場に下りた。(坂のぼらずに駐車場に行ける道があったらいいのになぁ)
整備が完了したらまたいつか再訪したいなと思った。


この日の日誌

タグ:観:城 観:石 観:池 観:園 観:鉄 楽:歩

道の駅 猪苗代

ファイル 4010-1.jpg猪苗代町字堅田五百苅の115号沿いにある道の駅。

二回目の点景だけど、もう一二回は寄ってたと思う。
わりと新しく磐越道のインターからもすぐで観光ムードで混んでる印象の道の駅。と、いうのは今回寄ってから思い出したことで、トイレはともかく売店の方は歩きづらいくらい混んでてウンザリだった。
(入口にあった赤べこの工事用単管バリケードが可愛いなと思ったら、これ、販売してた。買ってくやついるのかなw)

けど、意外な事にその手前のフードコートはすいてて席も空いてて、最初はまだやってないのかと思うくらいだったけど、ラーメン食べてる客がチラホラいたので朝からやってるフードコートだった。

ファイル 4010-2.jpgんー、朝はパンをちょこっと食べただけで半端な腹心地。でもここ最近普段は食事少量に抑えてるから全然平気だったんだけど、朝からラーメン食べれる道の駅っていいなと思ったのと、メニューの文言を読むと「福島県ラーメン総選挙」で二年連続一位で殿堂入りした喜多方の「喜一」という店のオーナーがプロデュースしたラーメンだそうなので、これは食べてこうかなーって気になった。

食券購入してカウンター席についた。そっか喜多方って割と朝ラー文化だしね。と期待して待った。
目の前の窓はドットの半目隠しガラスだったけど、その先に停めてた自分の車が見えてたのに気づいて喜んだ。

たのんだのは塩ラーメン。そういえば喜多方で塩ラーメンが人気の店で調べて行ったのって「喜一」じゃなかったっけ?(2016/05/03、閉まってて寄れなかったけど)

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んー、まぁおいしい塩ラーメンだけど、なんか正直、思ったほどでもなかった。麺がイマイチで喜多方っぽくないし。正直わざわざ食べる程でもなかったかなと思えた。
っていうか、ここで食べずにこのまま真っ直ぐ郡山に向かえば毎回空振りの郡山ブラックが今回こそ食べれたのかもと後から気づいてちょっと惜しく思えた。んーむずかしいね。
でもけしてまずいわけではなくて、食事制限中ながらしっかり汁も飲み干した。

ちなみに前回の点景 この日の日誌

タグ:餐:ら 観:具 道の駅

道の駅 あいづ湯川・会津坂下

ファイル 4009-1.jpg湯川村佐野目の49号沿いにある道の駅。

何度か寄ってる新しめの道の駅。
もうここの目当ては前回飲んで気に入ってた紙パックの「飲みにくい」ヨーグルト。
まだ朝早くて店も開いてないからもうそれだけのつもりで、前回の点景の内容と同じだから今回はあげないつもりだった。

で、車降りてさっそく自販機コーナーに進むと一瞬あれ?なくなったか?と思ったけどちゃんと「会津のべこの乳」の自販機はあった。前回来た時はマツコの番組で取り上げられたというPOPが張ってあったので目立ってたのが、取り外されてて埋もれてた感じ。

ファイル 4009-2.jpgしかも覗くと番号で選ぶ型の自販機の棚は空きが多く一瞬焦ったけど、目的のヨーグルトはかろうじて一列だけで販売してて、ホッとした。
なんだろう、もうテレビの影響が薄れて売れなくなっちゃったのかな、と不安に思いつつ購入、、、、しようとしたら小銭がなーい
しからば千円さつ! と思いきや、万と5千しかなーい
あちゃーやっちまった。あほかー。と落胆。49号走ってこっちに向かった意味がなくなってしまった。。

お店の方で両替してくれないかなーと覗くと未だ開店前の作業で忙しそうな状況。あーこりゃ無理だな、、と思いつつ、ダメ元で声かけて聞いてみた。ら、「んーちょっとまってください」と奥に行って、戻って来て「いいですよ」と快く両替してくれた。 けど、もって来てくれてたのは100円玉で千円分「あ、すいません千円じゃなくて五千円を千円に、、」と二度手間をかけさせてしまった。(先に五千円を見せて頼んでたんだけど、しっかり伝えるべきだった)

ってわけで忙しいところお手間かけて申し訳なくありがたくなんとか千円札ゲットで自販機に戻った。これで釣銭切れだったり千円札反応しなかったりしたら泣くな、、と思いつつ試すと無事買えた。やったー。お店の人ありがとう。会津サイコー。

ファイル 4009-3.jpg

ありがたい気持ちでいっぱいで「飲みにくい」ヨーグルトを飲んだ。
うん飲みづらいw でもやっぱりおいしい!

という展開だったので、これはさすがに日誌の本編でサラッとは書けないなと点景にした次第。
天気は悪いけど気持ちいい朝になった。

ちなみに前回の点景 この日の日誌

タグ:餐:飲 観:装 楽<困 道の駅

道の駅 加治川

ファイル 4008-1.jpg新発田市横岡の7号沿いにある道の駅。

何度か寄ったことある道の駅だけど、とくにコレという事ともなく点景にしてなかった道の駅。だけど、そういえばリニューアルしてからは初めて寄った。(2022年のリニューアルだそうだ)

建物は和風で平入りの町家風。いや、でもこれはリニューアル前からそうだったような気がする。

トイレ済ませて店の中に入ると、スゲーお洒落で雰囲気あって小さいながらもお土産も充実してて色々あったけど、お土産は胎内で買ってきてたので充分だった。

まあまた今回も折角寄ったけどお茶かなんかだけ買って出ようかなと思った。。ら、
「菊水ゼロ」なんていうのを見かけて思わず買ってみた。
スパークリングで大吟醸テイストでアルコール0%、まぁつまりサイダーだけど、菊水というのはこの新発田市の酒造で、昭和の頃から東京でも普通に売ってた一般的な有名日本酒銘柄。とくに一杯飲みの一合くらいの金色のアルミ缶で販売してたのはあちこちで目にしてて、ワンカップ大関より手ごろなヤバいやつとしてなじみ深かった。(味は辛めでキリっとし過ぎててあまり得意では無かったけど)そんな日本酒ブームの前から繁盛してたブランドが大吟醸テイストのサイダーですかーと面白くなって買わずにはいられなかった。

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観光案内所のテーブルで座って飲んでみた。
けど、思いのほか爽やかで飲みやすい炭酸飲料だった。。
菊水だから辛口ドライでキリリとしてるのを想像してたけど、そんな強気じゃ今時分は商売にならないかな。
ノンアルコールのスパークリング日本酒という感じでもなく飲みやすいサイダー。些と拍子抜けだけど、悪くはないのでスルスルと一気に飲んで味わった。
まぁネタとして。かろうじてこの道の駅を点景記事にさせてくれたってトコですかね。


この日の日誌

タグ:餐:飲 楽:懐 道の駅

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