記事一覧

白十字食堂

ファイル 3930-1.jpg白河市愛宕町にあるラーメン食堂。

門前通りという石畳の商店街にある店。今日の白河ではここまで二軒のラーメン屋が共に閉まってて空振りだった(おかしいなぁ、ネットの情報ではまだ開いてる筈なんだけどなぁ)ので、ここもどうせ閉まってるだろうと思ってたけど、来てみたら開いてたので良かった。通りの向かいの駐車場も一目でわかって無事駐車。ナイス。

ファイル 3930-2.jpg昭和の雰囲気の店内のテーブル席に着いて、メニューを見ると、カレーやオムライスやハンバーグに丼物も揃った食堂で、ラーメンに特化したわけではない店だったけど、食べたいのはラーメン。ワンタンメンがあったからそれにした。
店内見たら前に実物見たことある芸能人のサインがあった。

ファイル 3930-3.jpg

ってわけでワンタンメン。
いい感じの醤油ラーメン。白河ラーメンは醤油のエッジの立った真っすぐ印象のなラーメンだけど、ここのはあっさりやさしい感じでとくに「寅屋」とかそういうご当地ラーメンに寄せるわけでもなく昔ながらのラーメンを大事にしてきた感じで好感もてた。なんといってもグリーンピース乗ってるトコが「食堂」を主張してるようで微笑ましく思えた。
ワンタンは具がわからずヒラヒラしてた。

こういうラーメンブーム以前からありそうな街中の食堂のラーメンがおいしいんだから白河はいい町だなぁと思えた。


この日の日誌

タグ:餐:ら

道の駅 国見あつかしの郷

ファイル 3929-1.jpg国見町藤田日渡二の4号沿いにある道の駅。

夜来て寝たり休憩で仮眠したりという寝る印象の場所、点景にしてないかと思ったら七年前にしてて二度目。忘れてた。

っていうか今回も眠気纏ってて仮眠しようかと思って寄った。

で、先にトイレ行って店も覗いた。ら、天気悪いわりに賑わってて外の鯉のぼりはともかく(ああ、丁度子供に日だったんだっけ)、バルーンパフォーマンスとか人集まってた。

ファイル 3929-2.jpg

そしてスナックコーナーではご当地バーガーの国見バーガーというのを見て気になった。よっぽど売りにしてるのか模型まであった。(食玩見本といえば珍しいものでもないかな)
その国見バーガーはなんとサバのフライのバーガー。ん?国見町って海ないよなぁ、、なんでサバ?桃かなんか挟んだバーガーにすればよかったのに。とか思いながらおやつに購入。

ファイル 3929-3.jpg

したら意外とうまかった。無難にチキンの方にしようかとも思ったけどサバにしてよかった。うまいね。これはいいわ。サバはもちろんパンからうまかった。
(なんてよろこんでたけど帰って点景見たら七年前も食べて賞賛してた、、すっかり忘れてた。せっかくだからチキンの方にしとけばよかったw)

そして外に出たら車両販売で「凍天」が売ってた。あー前に南相馬で食べたやつだ。その後見なくなっちゃったけどこっちにもあったんだ。なんかチーズ凍天とかぷち天だんごとかぷち天ソフトとか色々あったけど、普通のを一つ買って食べた。

ファイル 3929-4.jpg

凍天(しみてん)はよもぎの凍み餅をドーナツのような衣で包んで揚げた菓子。地味だけど甘すぎず丁度よくておいしい。中に餅って食感も面白いよね。久々に食べれてよかった。(震災後に一時期絶滅してなくなっちゃってたのが令和になってここで復活したらしい)

ファイル 3929-5.jpgさて、おやつやらで楽しんだけど、やっぱ眠気スッキリ飛んだわけでもないので車に戻って仮眠。丁度雨降ってきちゃってた。
 
 
45分ほど仮眠。パッチリ目が醒めていい休憩できた。ナイス。とりあえずサーっと降ってきてた雨はパラパラくらいになってた。

ちなみに前回の点景 この日の日誌

タグ:餐:ば 餐:魚 餐:菓 餐:餅 観:模 楽:催 道の駅

松島さかな市場

ファイル 3928-1.jpg松島町松島普賢堂にある海鮮物産市場。

よくテレビで見かけるキャッチ―な場所。来たのは二度目で点景も二度目(2012年だから13年ぶり)。寄ろうと思ってたわけではなくて朝9時で食事できそうな店を検索したらここが出てたので来てみた次第。(松島で食べれるトコなかったらまた塩釜の魚市場でもいいやと思ってた)わりと朝早めからやってるのはちょっと意外だった。

GWとはいえ曇った最終日の朝だからか、駐車場はすいてて悠々停められて食事休憩。やっと朝飯にありつけるとニコニコで店に入ってみた。

一階は鮮魚や土産売り場がメインで空いててゆっくり見れた。水槽に泳ぐ穴子や石鯛やメバルもゆっくり見れた。いやいや食事食事。
スナックコーナーの「松島かきバーガー」が気になったけど確か前回食べたっけ。「牛たんパイ」も気になったけどちゃんと食事してからにしようと思った。

一階には寿司店があって、マグロがメインだった。んーマグロでもいいけど、やっぱ素直に牡蠣食べようかなと外の駐車場前にあった「焼がきハウス」に行ってみた。

ファイル 3928-2.jpg

「焼がき食べ放題」っていうほど食べたくはなく、ちょうどいいくらいの「松島焼き牡蠣セット」というのがあったのでそれにした。

席は店の奥にビニールハウスの客室があって、小雨降りそうでも平気だったし妙な野外感と雑多な港感があって面白かった。

そして「松島焼き牡蠣セット」
焼ガキ5(6)個に牡蠣ご飯と味噌汁にも牡蠣が入ってた。

ファイル 3928-3.jpg

うん、うまいねぇ。牡蠣だねぇ。
牡蠣っていうとついついお気に入りの千葉の磯牡蠣と比べてしまって「普通の牡蠣だな」なんて言ってしまいがちだけど、松島の牡蠣はさすがにおいしかった。わりとミルクもミルミルで風味良くてイイ感じ、小さめのを含んで六個の牡蠣は丁度いい量でたっぷり食べられた。いやぁ食べ放題は無理だわぁw(それにしても牡蠣って凄い形してるよね、、朝から)

ご飯の牡蠣もみそ汁の牡蠣も小さいながらしっかり丸々入ってて牡蠣づくしのセットメニュー。いやぁ早朝から食べられずここまで我慢したけど、その甲斐あったっていうくらいのいい朝食になった。

あ、ちなみに、食後に店内戻って「牛たんパイ」も買おうかと思ったら品切れだったw

ちなみに前回の点景 この日の日誌

タグ:餐:貝 食:定 観:市 動:魚

涌谷城跡

ファイル 3927-1.jpg涌谷町涌谷下町にある城跡公園。

ここは模擬天守のある城跡ということで憶えてて寄ってみた。
坂の上の広い駐車場で悠々停めると、すぐ脇に「涌谷館跡」という案内があった。こういう案内が有ると無いとでは大違いなのでありがたい。
「館跡」とあったのは中世に湧谷氏の居館があった所だそうで、城としては天正19年(1591)に亘理氏が入城して後、涌谷伊達家の居屋敷(湧谷要害)として栄えたそうだ。出た「要害」、そして亘理から亘理氏が移って来たのが此処だったっけ。今回の宮城は亘理まわりだな。(この涌谷の亘理氏は婿養子から伊達家になり、家名を継いだ亘理氏が最後に居城としたのがさっき行った佐沼城だったそうだ)

さて、坂を上らずに済む城跡でありがたく傘さして歩いた。
公園では雨はすぐやんでスズメが飛びまくってた。公園中央の二本の松と間の燈籠が気になったけど特別な木というわけでもないのかな、チラ見で進んだ。

そして模擬天守の町立史料館。もちろんまだ閉まってた。
前の案内は「史跡 涌谷城跡」で少し細かく書かれてた。明治初期には登米県庁が置かれてたそうだ。へええ。

ファイル 3927-2.jpg

ふと気づくと横前に二階櫓があった。
案内を見ると「太鼓堂(隅櫓)」という天保4年(1833)再建の現存物だそうだ。あ、そうだっけ!現存櫓のある城跡だったんだっけ!なんだよ模擬天守なんかいらないじゃん。これで充分じゃん。地味だけど。
屋根には仙台藩一門の象徴のシャチホコがあげられてた。実質的に櫓だけど太鼓堂と呼んでたのは櫓だと城になってしまうからで、一国一城の江戸時代には涌谷要害としてたからだそうだ。伊達だねぇ。賢しいねぇ。

その櫓の横から江合川と涌谷市街が見下せた。史料館の展望台に登るまでもなくいい眺め。いや、あと三階かぁ、登れるなら上りたかったかも。

ファイル 3927-3.jpg

そして太鼓堂の案内にその下の詰之門石垣も現存物とあったので、少し下ってみるべきか、、せっかく登らないで済む城跡なのにわざわざ下るのはどうか、、と迷いつつ半分下った。

手前の反り返った石垣がその詰之門石垣。上の方がキレイなのは修復して積み直したのかな。いやぁ現存物があるのはいいねぇ。城跡だねぇ。

満足して公園を戻った。ら、公園の奥に石段があってその上が神社だった。念のため案内板の古図を見るとどうやらその神社が本丸跡らしかった。あー登るべきか。べきでしょう。ごめんなさい登らないで済む城跡というのは嘘でした。

ゆっくり登りきって鳥居をくぐると、参道には車が停まってて狭くなってた。えー。車の脇にはポリの角型槽があってまた狭くなってて、その槽にはカメがいた。イシガメとミドリガメ?なんで?
横には伊達安芸宗重の胸像があった。「樅の木は残った」という山本周五郎の小説にもなったこの湧谷城の英雄藩主。

社務前には湧谷町公認キャラの「天平まろん」のパネルがあった。そしてさらに一台車が停まってた。なんだこの神社。

ファイル 3927-4.jpg

そして木の鳥居の周りには「湧谷の春を祝う」という神社の幟が立ってて、色華やかだった。多分、春の桜まつりの時の物だと思うけど、緑の季節にも華やかさを残してくれててるみたいに見えた。

鳥居をくぐると今度は巳年のヘビ。こっちは正月の名残っすかね。
拝殿の柱には日の丸が揚がってた。そっか今日は祝日だったっけ。

お参りして裏にもまわった。正面から見ると気付かなかったけど横から見ると直線的な屋根がカッコイイ堂々とした拝殿だった。裏の本殿は小さくさりげなかった。
っていうかやっぱりどこにも本丸跡とかそういう城跡としての表記はなかった。

ファイル 3927-5.jpg

そして神社の先はやっぱり学校だった。こっちも雨でも小鳥が飛びまわってて、ぱっと見アオジかと思ったけどピンボケ乍ら写真で見るとカワラヒラっぽいね。

鳥居まで戻ると、社務所の手前に駐車場に下る坂があった。ああ、こっちが神社としてはメインの道なのね。だから公園からの参道は車停めちゃっててもいいのね。  いいのか。
まぁ朝なので深くは考えず、色々あって見どころ多い公園だったと満足で車に戻った。

この日の日誌

タグ:観:城 観:閣 観:櫓 観:飾 観:石 観:庁 観:宮 観:像 観:キ 景:川 景:町 動:虫 動:鳥

あ・ら・伊達な道の駅

ファイル 3926-1.jpg大崎市岩出山池月下宮苗代目の47号沿いにある道の駅。

なんか「道の駅~」と道の駅から始まらない名前が小憎らしいw
たしか東北で一番の人気の道の駅で、いつも混んでる印象で通過してて数回しか寄った憶えはないけど、ここで買って食べた納豆餅がうまかった記憶があったので点景にしてたかもと思ったけど、してなかった。点景はじめるもっと前のCR-Xの頃だったかも。

ってわけで、早朝のトイレ休憩ながら久々の立寄り。
石積みの囲いで鬼の砦のような感じの所だった。

ファイル 3926-2.jpg

「2024年全国道の駅グランプリ第1位!」とあった。全国だった!小憎らしいw
当然まだ営業時間前で建物の上に見えていた展望台っぽいのだけでも上がれたらと思ったけど無理だった。

空振りかぁ。まぁ思った通りだけど。
とか思っててふと見ると、「仙台弁Tシャツガチャ」なんてもんがあった。Tシャツのガチャ!しかも方言Tシャツ!デザインは16種!脱力系のイラスト!当然ガチャだからどれが出るか分からない!おもしろい!!
さっそく2千円入れてボタンを、、、、押そうと思ったら、XLは売り切れやんけー。 
んー残念。着れないサイズの物を買っても仕方ないので諦めた。くやしー。悔しいので点景にした。

さて、帰って日誌を振り返ったら2007/8/25と2005/4/11に寄ってた。(点景は2010年から開始)納豆餅を食べたのが2005年。道の駅の写真は一枚もとってなかった。


この日の日誌

タグ:観:装 楽<残 道の駅

佐沼城跡

ファイル 3925-1.jpg登米市迫町佐沼内町にある城跡公園。

町中にある歴史博物館の向かいにある林の史跡でなんとなく寄ってみた。
小雨が降ってるか降ってないかくらいで傘を持って駐車場から歩くと「佐沼城復元絵図」という案内板があった。宝暦9年(1759)頃の復元絵図だそうだ。沼だらけの川沿いの城で本丸部分がそのまま城跡公園のようだ。

その絵図の大手門の位置に橋が架かってて堀を跨いで城跡公園に入った。堀は河川整備されててしっかりしすぎちゃってた。

ファイル 3925-2.jpg

橋の先の階段を上ると広場の公園。広い本丸跡、だと思う。案内は無かった。
数基の古めの遊具がある昭和の頃のままのような公園で、少し歩いたら濡れた草の水が靴にしみちゃった。

真っすぐ突き抜けたら端に神社があって、「遺跡 佐沼城中の板碑」というのがあった。
え?これ?なんかむき出して地面に突き立てられてて大事にされてる感がなかった。けど、弘安年間(1278-87)に建てられた供養碑で町内最古のものだそうだ。解説があるのがありがたかった。

ファイル 3925-3.jpg

その神社前から目の前の迫川と県道の橋、川の先の市街が見下せた。

端の側には土塁っぽい土盛りも見えたけど遺跡なのか公園の造成なのはわからなかった。
後は柵で囲われた井戸とかあって、覗いてみたらちゃんと深い穴だった。

他に案内を求めて標柱っぽいのに歩いてみたけど、植樹の標で空振り。城の概要はまるで分らずとぼとぼ車に戻った。まぁ歴史博物館に寄れって事だよね。まだ開いてないけど。

という、、点景にするには微妙なくらいの寄り道だった。
けど、靴と靴下びしょ濡れになっちゃって、そういえば車に積みっぱなしだった去年利尻島で買った靴があったっけと思い出して引っ張り出して一年振りに履いた。おもいの外履き心地良くたよりになった。っていうか、先に履き替えとけばよかった。。

この日の日誌

タグ:観:城 観:園 観:宮 観:石 景:川 景:町

若鮨牛神社

ファイル 3924-1.jpg登米市迫町佐沼西佐沼の398号沿いにある小さな神社。

斜め向かいにはちゃんとした羽黒神社があったけど、気になったのは此方で、小雨の早朝のトーンが低い中でも目立つ赤い鳥居と大きな牛の像が気になってちょこっと寄ってみた。
したら名前が何と「牛神社」そのまま牛の神社だった。

由緒案内には「~仙台牛の50%の生産量を誇り東北第二位の実績の生産者の皆様に対して報恩の心で私的に建立」した神社だそうだ。
いや、神社って本来こういうものだよね。八百万の神に加えて感謝と信仰の念をそそぐ対象を大事に奉る社、こういう神社が増えて欲しいなと思った。コンビニと一緒で統廃合された大手チェーンだけじゃ面白くないもん。

さて鳥居をくぐってまずはお参り。おいしい牛肉料理と出会えますように。

ファイル 3924-2.jpg

社の前には狛犬ならぬ狛牛が阿吽の対で並んでて柱に「背中をなでて」とあったので撫でてみた。吽のほうは親子だったので仔の頭もなでた。

そして社の横前にあった多宝塔。
小さいながらしっかり作られててカッコよかった。って言うかよく考えたら神社に多宝塔ってちょっとチグハグな気もするけど、鳥居の赤と揃って鮮やかでよかった。
そして中にはアマビエ、、洒落っ気かと思えばそうでは無くちゃんとご神体と表記してた。

ファイル 3924-3.jpg

そして鳥居の前の黒牛の像。眼光鋭くカッコよかった。つやつやなのもいい感じ。
小さなエリアに濃い見どころのいいスポットで、ちょこっとだけど朝からいい寄り道できたと気分良く車に戻った。

この日の日誌

タグ:観:宮 観:像 観:石 観:塔 楽:触

道の駅 さんさん南三陸

ファイル 3923-1.jpg南三陸町志津川五日町の398号沿いにある道の駅。

「南三陸さんさん商店街」としては何度か寄ってて、点景も三度目になる所。
御覧の通り、夜の灯りが優しく幻想的でついつい誘われて寄ってみるものの、毎度どの店も閉まってて、コンビニくらいしかやってる店のない商店街。昼に来ないとダメなんだよね。(前回の点景なんか夕方6時半でどこも閉まってた。。)

店が閉まってるのは承知で今回は商店街の先に灯りのいい感じの橋も見えたので歩くつもりで寄ってみた。ら、いつの間にかこの商店街、道の駅になってたようだ。へーそうなんだ。
なるほど、道の駅の営業時間を考えて寄れればいいわけね。

案内マップを見つつ(ブレちゃった)、「南三陸の記憶」という写真展示館前のパネルを見つつ、モアイ像とタコを見つつ歩いた。

ファイル 3923-2.jpg

これだけ明るいのに人もいないし店も開いてないのはやっぱり不思議な気分。
そして大阪のビリケンさんのようにあちこちで見かけるモアイもなんか不思議に感じつつ、歩き回ってみた。

そして川の方に出て、国道から見えて気になった橋に進んでみた。
川沿いにも「南三陸の記憶」の震災時のパネルがあった。

橋に近づくと、橋の横にある建物の方が気になった。「南三陸311メモリアル」というポータルセンターだそうだ。もちろん閉まってたけど、ここも灯りで夜に浮かんでた。

なんというか、直線の縞々のデザインは波や地脈の力を感じさせつつ、未来に向かう意志と時間をも感じさせつつ、正直言うと「悪そう」なダークヒーローみたいなカッコよさを感じた。(横にいたウサギまで悪そうに見えたw)隈研吾のデザイン建築だそうだ。

ファイル 3923-3.jpg

その建物の先にトイレがあった。道の駅の情報館かなと思ったら、これはJR気仙沼線の志津川駅でもあってBRTの停車場になってた。
そしてここにもモアイが幾つも置かれてて「モアイ駅長」ともあった。モアイ好きだねぇ。(モアイと南三陸には震災以前からも深い関わりがあったそうだ)

そして橋。「中橋」というシンプルな名前らしい。
真っすぐ並んだ木の柱と交差したトラスの鉄柱と曲線の橋だけど、近くで見たら上に反り上がった円弧と下に沈み下がった円弧が交差した構造になっていて、両脇の上弓と中間の下弓の3つの道になった歩道橋だった。昼間見たらどんな印象か分からないけど、夜見たライトアップの姿は何とも素敵な魅力ある姿で、遠目に見て惹かれて近くに来てみてよかったと思えた。

ファイル 3923-4.jpg

とりあえずゆっくりと上弓の弧の方から渡ってみた。見下ろす川の下流は真っ暗で、先の道の45号沿いのさっき寄ったガソリンスタンドだけ明るく光ってた。まぁこれなら確かに向こうから見た時にはこの橋が良く見えそうだよね。気になるよね。

渡った先は「南三陸町復興記念公園」になってて、真っ暗な中の広場は電灯が幾つもあって歩けそうではあったけど堤から見下ろすだけにしといた。

そして振り返ると対岸に商店街の灯り、反対側にはポータルセンターの灯りと橋の灯りが暗い中で煌々と輝いていた。

ファイル 3923-5.jpg

戻りは中間の下弓の道を下ってみた。こっちは坑道のようなトンネルみたいな感覚だったけど、意外と下の川も良く見えて、灯りが揺れる水面もいい感じだった。

そして通り抜けて渡って、静かで明るい商店街を抜けて車に戻った。
夜の灯りがいい感じのスポットだった。けど、たまにはちゃんと店に寄れる時間に立ち寄りたいなとも思った。

ちなみに前回の商店街の点景 この日の日誌

タグ:観:街 観:像 観:建 観:鉄 観:橋 観:光 景:川 道の駅

鉄兵衛 古川店

ファイル 3909-1.jpg大崎市古川小野中蝦沢にある和食店。

「牛タン定食」が目を引いて寄ってみたものの、ちょっと一人で気軽に入る感じではなくて怯んだ。
けどこの時間やってる店はもうなさそうだし駐車場空いてるから思い切って入店。
っていうかもうほかに客は無く片付けモードな感じだったけど、まだ時間あって食事できるというので安心した。

ファイル 3909-2.jpg他に客いなかったから悠々だったけど、席は個室で洒落ていた。こんな時間でよかった。

メニューを見ると「鬼そば」とかトンカツとかがメインの店だったようだけど、牛タンで来たのでもう決まってて「牛タン定食」、枚数で値段違ってて2枚4切だとリーズナブルだったけど、ここはケチらずに思いっきり食べたいと4枚8切をたのんだ。

ファイル 3909-3.jpg

うん、さすが宮城。仙台は少し離れちゃったけどやっぱ牛タンは仙台だね。うまかったし歯応えもいいし思い切り食べられて至福。存分にほおばって味わえた。一切れ大きいよね。
麦飯もとろろもおいしいし、テールスープ風な吸い物にも牛タン入っててニッコリ。思い切って寄ってよかった。

ここまで宮城はフラフラとまわってきたのに利府とか多賀城あたりでいい店見かけず通過だけして来ちゃって、日帰り湯でも食事できずに残念に思ってたけど、最後の最後に牛タン食べれて良かった。

この日の日誌

タグ:食:定 餐:肉

亘理要害跡

ファイル 3908-1.jpg亘理町旧舘にある城跡公園。

前の県道で看板見かけて気になって、一旦通過しつつ戻って道間違えてまた廻ったりしつつ城下町っぽさを味わってから城跡の坂を上って神社の駐車場(駐車場とも駐車禁止とも標記無かったけど)に停めて歩いてみた。

まず案内板には「亘理要害跡(臥牛城)」とありこの城の丘が牛が臥せた形なのでそう呼ばれたそうだ。亘理氏は涌谷に移って片倉氏が白石に移った後の慶長7年(1602)に伊達成実(政宗のいとこ?)が改修して城にして城下町も整備したそうだ。「要害」というのは一国一城令に対して「城じゃないよ」とすっとぼける伊達氏の方便らしい。実際は伊達だけじゃなくてよそも「館」と呼んだり「陣屋」とごまかしたりしてたようだけど、史跡としてそのままの呼び方で表記してるのは珍しい気がする。よそはみんな城跡っていってるよね。

さて、案内図を見るとこの丘丸々が本丸で曲輪は切られてなかったようだ。

ファイル 3908-2.jpg

目の前の道は廃城後に割ったようで、往時は道の先の牛の頭の部分が分かれてなく繋がってて、角の脇の部分に裏門と詰問があったそうだ。変な形。

亘理神社の参道の横を奥に進むと「御本丸」という標柱があり、案内板もあった。
明治元年(1868)九月、戊辰戦争に敗れた仙台藩と新政府軍との降伏式がこの地で行われたそうだ。
立ってた銅像は山形勝治先生という人。

「亘理神社の碑(伊達成実伝)」という案内もあった。その伊達成実は、伊達政宗の祖父の弟の長男だけど年は正宗の一つ下で母親は正宗の叔母だそうだ。複雑。政宗を兄と慕い伊達家に尽くし、武勇の誉れ高く戦で大活躍した人だそうで、(大河では三浦友和が演じたそうな)明治になって建てられた亘理神社に祀られその生涯を刻んだ碑が立てられたそうだ。

ファイル 3908-3.jpg

ってわけで亘理神社。お参りして奥に進んだ。本殿は飾りなどは無くシンプルだった。

奥には忠霊塔があり、日陰の足元には小さな紫の花がキレイだった。

ファイル 3908-4.jpg

その先に進むと、林の先は学校だった。。案内図では馬場とある部分。ちょっと堀ぽく割られてた。
そして「戊辰の碑」というのがあって、案内板も立ってた。「戊辰戦争と亘理」として仙台藩の戦いが書かれてた。敗戦後に領地を失った亘理伊達家が北海道に渡って開拓したのが伊達市だそうだ。あー道の駅の伊達氏の屋敷に行ったなぁ(→)あそこね。

っていうか、鳥がケンケン鳴いてて、キジでもいるのかと思ったけど声が上だったので見上げたらシラサギで、木の上がコロニーだらけだった。

城の南側の丘の下には公園が見えた。内堀跡が「旧舘公園」という公園になってるようだ。一応池があって内堀っぽくしてた。
土塁っぽくも思える段の髙めの南側から神社に戻った。

っていうか、頭上のサギ密度が濃くてフンでも落ちてこないかと不安だった。巣の手前では静止したように飛ぶサギにも驚いた。

ファイル 3908-5.jpg

巣のコロニーの木は一つ二つではなく森全体が巣でサギの城だった。
眺めつつ北側の神社脇にも歩いてみた。

県道側のこっちに大所門というのがあったようだけど、急な崖になってるのでこっちが正面ということはなさそうだった。
県道から6号までは大きな沼があったらしいし。

サギを見上げつつ参道を進んで駐車場に戻った。
その駐車場の前からも県道側を見下ろしてみた。
県道から見えて気になった「亘理要害跡(臥牛城)」の標柱が見下ろせた。

ファイル 3908-6.jpg

ちょこっと八重桜が咲き残ってた。時季があってたらきれいだったかもね。

思ったよりゆっくり歩けてゆっくり楽しめた。戊辰戦争の話もあって興味深い城跡に寄れてよかった。


この日の日誌

タグ:観:城 観:園 観:宮 観:石 動:鳥

ページ移動