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鉄兵衛 古川店

ファイル 3909-1.jpg大崎市古川小野中蝦沢にある和食店。

「牛タン定食」が目を引いて寄ってみたものの、ちょっと一人で気軽に入る感じではなくて怯んだ。
けどこの時間やってる店はもうなさそうだし駐車場空いてるから思い切って入店。
っていうかもうほかに客は無く片付けモードな感じだったけど、まだ時間あって食事できるというので安心した。

ファイル 3909-2.jpg他に客いなかったから悠々だったけど、席は個室で洒落ていた。こんな時間でよかった。

メニューを見ると「鬼そば」とかトンカツとかがメインの店だったようだけど、牛タンで来たのでもう決まってて「牛タン定食」、枚数で値段違ってて2枚4切だとリーズナブルだったけど、ここはケチらずに思いっきり食べたいと4枚8切をたのんだ。

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うん、さすが宮城。仙台は少し離れちゃったけどやっぱ牛タンは仙台だね。うまかったし歯応えもいいし思い切り食べられて至福。存分にほおばって味わえた。一切れ大きいよね。
麦飯もとろろもおいしいし、テールスープ風な吸い物にも牛タン入っててニッコリ。思い切って寄ってよかった。

ここまで宮城はフラフラとまわってきたのに利府とか多賀城あたりでいい店見かけず通過だけして来ちゃって、日帰り湯でも食事できずに残念に思ってたけど、最後の最後に牛タン食べれて良かった。

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タグ:食:定 餐:肉

亘理要害跡

ファイル 3908-1.jpg亘理町旧舘にある城跡公園。

前の県道で看板見かけて気になって、一旦通過しつつ戻って道間違えてまた廻ったりしつつ城下町っぽさを味わってから城跡の坂を上って神社の駐車場(駐車場とも駐車禁止とも標記無かったけど)に停めて歩いてみた。

まず案内板には「亘理要害跡(臥牛城)」とありこの城の丘が牛が臥せた形なのでそう呼ばれたそうだ。亘理氏は涌谷に移って片倉氏が白石に移った後の慶長7年(1602)に伊達成実(政宗のいとこ?)が改修して城にして城下町も整備したそうだ。「要害」というのは一国一城令に対して「城じゃないよ」とすっとぼける伊達氏の方便らしい。実際は伊達だけじゃなくてよそも「館」と呼んだり「陣屋」とごまかしたりしてたようだけど、史跡としてそのままの呼び方で表記してるのは珍しい気がする。よそはみんな城跡っていってるよね。

さて、案内図を見るとこの丘丸々が本丸で曲輪は切られてなかったようだ。

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目の前の道は廃城後に割ったようで、往時は道の先の牛の頭の部分が分かれてなく繋がってて、角の脇の部分に裏門と詰問があったそうだ。変な形。

亘理神社の参道の横を奥に進むと「御本丸」という標柱があり、案内板もあった。
明治元年(1868)九月、戊辰戦争に敗れた仙台藩と新政府軍との降伏式がこの地で行われたそうだ。
立ってた銅像は山形勝治先生という人。

「亘理神社の碑(伊達成実伝)」という案内もあった。その伊達成実は、伊達政宗の祖父の弟の長男だけど年は正宗の一つ下で母親は正宗の叔母だそうだ。複雑。政宗を兄と慕い伊達家に尽くし、武勇の誉れ高く戦で大活躍した人だそうで、(大河では三浦友和が演じたそうな)明治になって建てられた亘理神社に祀られその生涯を刻んだ碑が立てられたそうだ。

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ってわけで亘理神社。お参りして奥に進んだ。本殿は飾りなどは無くシンプルだった。

奥には忠霊塔があり、日陰の足元には小さな紫の花がキレイだった。

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その先に進むと、林の先は学校だった。。案内図では馬場とある部分。ちょっと堀ぽく割られてた。
そして「戊辰の碑」というのがあって、案内板も立ってた。「戊辰戦争と亘理」として仙台藩の戦いが書かれてた。敗戦後に領地を失った亘理伊達家が北海道に渡って開拓したのが伊達市だそうだ。あー道の駅の伊達氏の屋敷に行ったなぁ(→)あそこね。

っていうか、鳥がケンケン鳴いてて、キジでもいるのかと思ったけど声が上だったので見上げたらシラサギで、木の上がコロニーだらけだった。

城の南側の丘の下には公園が見えた。内堀跡が「旧舘公園」という公園になってるようだ。一応池があって内堀っぽくしてた。
土塁っぽくも思える段の髙めの南側から神社に戻った。

っていうか、頭上のサギ密度が濃くてフンでも落ちてこないかと不安だった。巣の手前では静止したように飛ぶサギにも驚いた。

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巣のコロニーの木は一つ二つではなく森全体が巣でサギの城だった。
眺めつつ北側の神社脇にも歩いてみた。

県道側のこっちに大所門というのがあったようだけど、急な崖になってるのでこっちが正面ということはなさそうだった。
県道から6号までは大きな沼があったらしいし。

サギを見上げつつ参道を進んで駐車場に戻った。
その駐車場の前からも県道側を見下ろしてみた。
県道から見えて気になった「亘理要害跡(臥牛城)」の標柱が見下ろせた。

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ちょこっと八重桜が咲き残ってた。時季があってたらきれいだったかもね。

思ったよりゆっくり歩けてゆっくり楽しめた。戊辰戦争の話もあって興味深い城跡に寄れてよかった。


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タグ:観:城 観:園 観:宮 観:石 動:鳥

道の駅 ならは

ファイル 3907-1.jpg楢葉町山田岡大堤入の6号沿いにある道の駅。

以前か何度か寄ってたけど、震災後の臨時警察署からリニューアルオープンしてからは三度目の立寄りで点景は二度目。
此処は意外といい日帰り温泉なので夜に寄りたいトコだけど、今日は昼間でトイレが主目的。なんか面白いメニューあったら食事してもいいかなってくらいの軽い寄り道。

直売店の惣菜とか見てまわった後にフードコートのある風呂の方の建物に入った。
まず入口に「ストロマトライト」というのが展示してあった。層状に発達した藍藻に堆積物の粒子が積もったものだそうで、大昔には大繁栄して光合成で地球の酸素濃度を増大させたものだそうだ。へええ。

さてさて、フードコートのメニューを見ると「マミーすいとん定食」が楢葉の名物のオススメとあったので迷わずにそれにした。元々すいとん好きだしね。っていうかマミーって何?

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空いてたので、席は窓側に座り外を眺めた。
目の前の6号が見えるだけだけど、隣りの人は丘の上の煙突を気にしてた。いやいやそれは火力発電所のでしょ。

「マミーすいとん定食」はコロッケも付いてきた。

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すいとんは思ったよりしっかりした団子だった。形が整いすぎてて安っぽく思えるけど、もちろん硬くはなく食べやすく小麦っぽくいい感じ。まぁ悪くなかった。
オマケかと思ってたコロッケが、柚子が入ってて面白かった。楢葉は柚子が名物だそうだ。

直売所の方は混んでたけど、こっちの建物は空いてたので落ち着いて食事できた。


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タグ:食:定 餐:汁 餐:揚 観:飾 観:地 道の駅

道の駅 たじま

ファイル 3826-1.jpg南会津町糸沢男鹿沼原の121号沿いにある道の駅。

前から何度も寄ってる道の駅。点景は三回目。
もう夕方だし、閉まってるかなーと思ったら店もやってたし、車両販売の会津地鶏の焼き鳥もやってた。(蕎麦のスタンドは閉まってた)
ので、迷わず焼き鳥。

でもさすがに夕方では品切れメニューも多く、残念ながら「会津地鶏の焼き鳥」は終わってた。。普通の国産鶏の焼き鳥は何種もあったけどそれじゃつまらないので「会津地鶏の皮串」にした。妹もそれでいいというので二本。

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注文書に記入して注文した後は意外と待った。前の前の注文を焼いてるくらいだった。八分待って焼きあがった。

うん、さすがの会津地鶏。皮串も充分うまくペロリと秒で串から消えた。あー、比較で普通の皮も買っとけばよかったかな。

ファイル 3826-3.jpgもう周りは日が暮れてすっかり青暗くなり始めていたけど、山の上の方だけはまだ日が当たってて、紅葉の赤さを照らしていた。おお綺麗じゃんと少し見とれていたけど、そんな山を見てるのはうちら兄妹くらいで他に周りを見まわす人はいなかった。そんなもんかねぇ。

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タグ:食:串 餐:肉 景:季 道の駅

下郷町物産館

ファイル 3825-1.jpg下郷町弥五島道上の121号沿いにある産直店。

観光地の「塔のへつり」の入口付近の観光向けな大きな店が並んだ区間にあるドライブインというか道の駅風な店。

すごく腹減ってるって程ではないけど、手前でラーメン食べそこねた口が何かちょこっと面白いもの食べたい口になってて、とくに妹が「なーんか食べたい」と寄ろう寄ろうと積極的だった。

で、まず気になったのが店先の幟の「ますバーガー」、ますバーガールズという女の子キャラのゆるい幟だけど、鱒ということで失敗はなさそうなバーガー。まずそれを探して店内をまわった。
けど見あたらず、もうとっくに売切れかな?と思ったけど、もうとっくに閉まった食堂のメニューを見たらそっちに上ってた。。
食道は3時まで。30分遅かった。あーまたか、残念。くやしー。

妹は「ベーコンポテトドッグ」というのを見つけて買ってそれ食べてた。

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どう?ときくと「うん、そのまんま」だそうで、まぁおいしいけど驚きはない普通のスナック。

えーじゃあ、こっちは、、ソフトかな。
と、山ぶどうソフト。

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昨日よりは暖かいけどもう日も傾いてちょっとソフトを食べるには肌寒いくらいだったし、シャーベットな感じのソフトだったのでより涼し気だったけど、程よい酸味と甘味でおいしかった。

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タグ:餐:冷 餐:揚 楽<残

会津さざえ堂

ファイル 3824-1.jpg会津若松市一箕町八幡弁天下にある観音堂。

さざえ堂は通称で「円通三匝堂」という形状の旧正宗寺のお堂だそうだ。旧滝沢本陣から歩くと飯盛山の階段の七割くらいを脇から登る形になる。
自分はネットやら駅のポスターやらで見て、妹はテレビなどで見て、お互いに興味あって来たいと思ってたスポット。
なんだけど、若松市内で働いてた地元ともいえる従姉の話では、飯盛山の観光ついでに寄るくらいのスポットで、わざわざそこだけに行くっていうほどのものでは無いらしく「そんな期待するほどでもないよ」と言われてしまった。いやいやいやいや地元の人は得てしてそう言うもんなんだよねーとか思って妹共々まんまと期待して坂を上って来てみた次第。

石の鳥居からの坂を上り、赤い鳥居をくぐって嚴島神社。ん?神社?お寺じゃないの?と思ったけど、さざえ堂はもう一段上だった。
順路的にまずは神社を見てまわった。勢いのいい水路が流れる水の神社だった。

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水路の元には「戸ノ口堰洞穴」という洞穴のある溜池があった。なんかすごくいい雰囲気。
この穴は猪苗代湖の水を若松に引くために掘られた地下水路で、その戸ノ口原の戦いに敗れた白虎隊がこの長い洞穴をくぐってここに撤退してきたんだそうな。。ヤだなぁ。敗退の途で長い暗闇を進んだら気を病むよなぁ。そしてやっと抜けた先で城が燃えてたらそりゃ絶望も深いよなぁ。あーいや今日は白虎隊じゃないんだ、、とさざえ堂に進んだ。

ってわけでもう一段上のさざえ堂。
来てみたら、思ってた以上に小さかったし、サザエの様に丸く上の方が小さくなってるのかと思いきや、太さは変わらない塔のような重なって背が伸びた不安定な六角堂という感じだった。

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拝観料は400円、ここはすぐ脇に券売所があり黙って入っちゃう人はいなさそうだった。

入るとまず「郁堂禅師」の坐像、この僧が寛政8年(1796)に建立したんだそうだ。写真ブレちゃった。

そして中は螺旋のスロープ坂で文字通りサザエの貝殻の渦の様にゆっくり回って登る特異な建物。床も段にはなっておらず、歩きやすいように凹凸をつけて傘の様な感じになっていた。
正直、形状は面白く螺旋を登るのは楽しかったけれど、思ったよりも全然小さく、そして上り切るのもすぐに感じた。なにより形状や景色を楽しんでしまって中心の柱側にあった物などは全然見てなかった。っていうか、観音像とかは無いんだね。。(江戸時代には三十三体の観音像が並んで、登って下りるだけで観音巡礼が完了するというものだったらしい)

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一番上はポッコリと橋のような円弧で越えてすぐに下り。下りの方がゆっくり外の景色を見れた。
見下ろす社は「宇賀神堂」自決した白虎隊士を祀る神社。サザエ以外はみんな神社だね。まぁ昔は神仏混淆が普通かぁ。

ファイル 3824-5.jpgそしてぐるぐる回ってあっという間におりてしまった。

感想は妹共に「なんかあっけないね」もっと大きくてじっくり見れるかと思った。。
っていうかポスターの写真盛り過ぎだよね。彩度上げて広角で低い目線なので凄く雰囲気濃く広いと思えてた。妹のテレビもやっぱり撮り方で魅力増してたそうで期待しすぎてたと同意見。
まぁ面白いは面白いから悪くはないのだけれど、従姉の言う通りオマケで来るのがいいくらいの所だった。

正直、群馬の太田のさざえ堂の方が大きくゆっくり回れて、螺旋ではないけど観音様だらけで現役のお堂として立派に思えた。
けど、調べると、嚴島神社は元々は正宗寺にあった神社で、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、神社とさざえ堂だけ残ったという事らしい。そっか廃寺かぁ、、明治初期に何があったんだろう、、って戊辰戦争じゃん。そういうことね。

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旧滝沢本陣

ファイル 3823-1.jpg会津若松市一箕町八幡滝沢にある古民家。

延宝6年(1678)に郷頭の住居として建築された物で国重文。江戸時代前期かぁ、江戸幕府は四代家綱。ってことは、幕末の戊辰戦争の頃(慶応4年1868)にはもうかなりの古民家だったわけだ。
その戊辰戦争の時に本陣とした建物、城の近くでも本陣は別なんだね。

いつもなのかわからいけど中は無人で、入館料の400円は自主的に投函する形。妹は「わかりゃしないって」なんて言ってたけど勿論投函。ほかにも見学してるお客さんがチラホラいたけど、きっと皆さん払ってらっしゃることでしょう。(後から来た二人は払ってなかったようにみえたけど)

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中は堅苦しさもなく、資料館的に古道具も並べられた古民家スポット。土間に竈を見てから下足して囲炉裏の広い板の間(御前)に上がった。

奥の畳敷きの座敷に進むと筆書で「弾痕」とかあちこちにあり柱には「刀傷」もあった。完全に乗り込まれて制圧されたのか。

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戊辰戦争以前は歴代藩主の参勤交代の時の休憩所に使われたそうで、北の縁側の庭園は落ち着く感じだった。
っていうか、藩主の休憩所にしては小ぢんまりとしてたんだなぁ。
いや、それよか戦で本陣としてた時はどういう風に使われてたんだろうか、、白虎隊もここで命を受けて出陣していったそうだし、土方歳三だって斎藤一だってここから出陣したわけだろう。
もっと隊員揃って並んで訓示受けるような場所がありそうなもんだけど、そういうもんじゃないのかな。

ファイル 3823-4.jpg妹は全然興味なさそうなので、ほどほどに見てまわって外に出た。

来た時は屋敷の土間側の駐車場からだったのでイマイチピンと来てなかったけど、このままサザエ堂に歩いて来ようと出た側が正門の入り口だった。前の道の先から振り返ったら、おお、お屋敷だとかっこよく見えた。

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タグ:観:屋 観:重 観:史

手打ちそば処 箸ば味

ファイル 3822-1.jpg郡山市逢瀬町多田野上山田原の県道沿いにある蕎麦店。

従姉のおススメで従兄家族等と共に車三台八人で来店。
店は県道のすぐ前の民家そのもので、駐車場は県道の対向車側に未舗装ながら二軒分ほどの広さであった。

玄関から入ると満席で待ってる人がいた。けど一組だけで、左程待たずに入れた。
もうほんとに普通のやや古い民家そのままで、中の間と奥の間にテーブルを配置してを客室にした感じ。

さすがに八人のテーブルは無いし、混んだ昼なのでは2つにわかれたテーブルは少し離れちゃったけど、しかたないよね。
メニューはもりそばと天ぷらそばくらいなもんで、朝食食べてまだそんな時間もたってなかったのでもりそばにしておいた。
そしたら意外と大きな皿でのもりそばで見た目より量あってたっぷり。白い汁は大根のとぎ汁だそうでここにタレのようなそばつゆを混ぜて食べた。おもしろい。

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そばはうまかった。
そういえば昨日も昼は蕎麦食べてたんだっけ、、とか思い出したトコだったけど、この蕎麦はまたこれでおいしかった。店の雰囲気も良くてイイ感じの食事。

そしておばちゃんがたのんだ天ぷらそばは、伯母曰く汁のそばに天ぷらがちょっと乗ったイメージだったらしいけど、蕎麦は普通のもりで同じ量で、天ぷらに煮物におにぎりなどがついたデラックス版。

ファイル 3822-3.jpg食べきれないから食べてということで大葉のおにぎりは僕が、天ぷらのほとんどは妹がいただいた。ごちごうさま。

そしてコーヒーメーカーのコーヒーが一杯セルフで無料とのことでいただいた。ちゃんとしたコーヒーだった。

そして飾りのように垂らした穂が付いたまま締めた稲のことを店の人に聞いたら、やっぱり収穫後にこうして飾るのがこの地域の風習だそうで同じ郡山でもうちの方ではやらないようなので面白いもんだと話を聞いた。
店の人も話し好きでこの家のことなど色々話してくれて楽しめた。

ってわけで、食事終えて少しゆっくりして店を出て、ここで従兄家族と伯母、そして従姉と別れた。ごちそうさまでした。

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タグ:餐:麺 餐:飯 餐:飲 観:屋 観:装 観:飾 楽:話

道の駅 季の里天栄

ファイル 3821-1.jpg天栄村大里天房の294号沿いにある道の駅。

リニューアルしてからは初めて寄ったけど、以前は何度か寄ってて「きゅうりソフト」が気になってたトコ。
点景に一度もしてないって事はきゅうりソフトを食べずじまいだったんだろうけど、微妙にマズくて記憶にも記録にも残さなかったという可能性もあるかも、、

で、リニューアルしてもそのきゅうりソフトはあるのかなーと覗いてみたら、キュウリはなかったけど「天栄長ネギソフト」というのがあって気になった。
けどさすがにソフトという気温じゃないよなぁ、、と躊躇。一旦店の中を見てまわったら、やっぱりネギが特産らしく販売してた。妹にも「どうせ気になるんでしょ」とか言われて、やっぱり購入。

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ポヨンとしたソフトに葱はパウダーでかけてあった。
このポヨンとしたソフトが良質でおいしいソフトだった。けど、ネギの感じはイマイチで、葱の粒が入ってるとかそのものがさしてあるとかの演出がほしかった。なんか普通においしいソフトだった。

っていうかこの道の駅で特筆すべきは、食べたソフトではなくて食堂のメニュー。
なんと会津の「牛乳屋食堂」のラーメンがメニューに上がってた。マジか! 芦ノ牧温泉駅の人気店で行列必携で僕も大好きで何度か行っててTシャツまで買ってしまったあの牛乳屋食堂がここで食べれるとは驚き。
妹にも話したらすごく気になってたようで「特にこのミルク味噌ラーメンとか気になる」なんて言ってたけど、、そんなメニューあっちにあったっけ??大丈夫か?(あるらしい、前からあったっけ?)

次来たら食べるぞ(普通の醤油を)

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タグ:餐:冷 道の駅

道の駅 鳥海ふらっと

ファイル 3745-1.jpg遊佐町菅里菅野の7号沿いにある道の駅。

ここも昔から何度も立ち寄ってる道の駅で、点景は三度目。
今日は道の駅だけだなぁw

そしてこの道の駅と言えば「いくら丼」
そういえば今回北海道ではチョコチョコと何回かイクラを口にしてたけど、丼で思い切りは食べてなかったっけ。毎回どこかしらでは食べてた気がする。。
やっぱり北海道はうまいけど、こっちがあるからとそこまでこだわらずに他を色々食べれたって思える。

で、さぁ「いくら丼」思い切り食べるぞーと勇んで店に入ると、、
前まで食堂だった所が休憩室になっちゃってた。。
え″ーーーーーーー
 まじ? なくなっちゃった?

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と、がっかりして絶望してたけど、その元食堂から廊下のように続く網焼きなどのスナックコーナーの「そばうどん」のトコで丼メニューもしっかりあってホッとした。そっちで注文してこっちで食べればいいってだけの事ね。なぁーんだ。

ってわけで無事に「いくら丼」にありつけた。

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んーーやっぱうまい。とろけるーー。
北海道帰りに寄るとは思ってなかったけど、やっぱここだなぁ。
思わず目を閉じてゆっくり味わいつつ思い切り食べた。
(前回の点景見るとイクラの量がずいぶん減ってるけど、値段も1000円安くなってるのでむしろ食べやすくありがたい)

ファイル 3745-4.jpgさて、満足気分で一応店見てまわって、気になって買ったのが遊佐町野沢産庄内柿の「んめちゃ柿」という乾燥柿。
出発してイクラの幸福感がほどけてからゆっくり食べた。

ああ柿もいいねぇ。優しい甘味だねぇ。日本人に生まれて良かった。


ちなみに前回の点景 この日の日誌

タグ:食:丼 餐:卵 餐:果 道の駅

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