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食い処 克貴

ファイル 3779-1.jpg結城市北南茂呂の県道沿いにあるラーメン店。

頻繁に通る定番ルートにある店なのでもっとちょくちょく寄るかと思いきや、いつもたくさん車停まってて混んでそうなのでついつい通過しちゃっててしばらく来てなかった。何度目だろ?点景は三度目で、日誌見ると一昨年(22/11/12)に来てたので四度目かな。
クソ暑い猛暑でラーメンっていう気分じゃないけど、最近は「冷やし麺」の幟を見かけてて、それで寄ろうと思ってた。

ってわけで迷わず「冷やしラーメン」冷やし中華じゃなくて冷たい汁のラーメンというのが嬉しい。

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おお、うまい。
冷やしになっても汁のうまさは落ちずに透明度高いのにいい味わいで、青竹というより手打ちな感じの麺もモチモチ感そのままによく汁と絡んでおいしく啜れた。氷も浮いてて汁も最後まで冷たく飲み干せた。いいね。夏にイイネ。

実は、、職場の裏のラーメン店の冷やしラーメンがうまくてたまに食べて帰ったりしてて、そこと比べちゃいそうだなぁ、、と思って食べたんだけど、こっちの方がうまかった。満足満足。

ちなみに前回の点景 この日の日誌

タグ:餐:ら

古河歴史博物館

ファイル 3770-1.jpg古河市中央町にある博物館。

河川改修事業で完全に姿を消した古河城の外郭だった場所にある博物館で、城跡がない中で唯一城関係っぽい施設という認識だったので一度来てみたかった場所。歴史的には色々あった所だからね。一度は入口まで来たことあるんだけどね。なんかケチって入らずじまいだった。
今回は古河市街で渋滞してて思い出して逃げるように来てみた次第。

駐車場に停めて館に歩くと、その前の池は水抜いて修繕作業してた。暑いのに池に水がないのはなんかなぁ、、と思ったけど、当然ながら中に入ると涼しくて忘れた。

そして入り口から早速この博物館の模型があって、ジオラマとか期待できそうだと券買って入館すると、期待通りというかそれ以上に細かいつくりのジオラマ模型があってナイスだった。

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利根川に架かる長い船橋と河岸の宿場町の模型は大きく細かく見ごたえあった。
その隣の大正期の蒸気船と帆船の河岸のジオラマもいい感じ。

もちろん博物館は模型だけじゃなくて古河の歴史を地質から解説してて、意外と城の事は少ないなと思ったけど、やっぱり最後の古河城の大きなジオラマは圧巻だった。
これだけ大きくても作りは細かくて水辺の蓮の葉まであった。

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これは大きな城だわ。三国橋と新三国橋の間が全部城だったわけでしょ。御三階もあるし。そして川の堀の向かいの土橋の御成道で繋がった出城諏訪曲輪がこの博物館なのね。
じっくり存分に見て展示室を出た。

ファイル 3770-4.jpg展示室の外の無料区間の奥に「歴史の中のヘンな生き物」という企画展があって、トイレがてら見てみたら、これが意外と面白くてゆっくり読んで回った。鵺とか河童とか、実際はあまり都合よくない聞こえのよくない成敗をしちゃったときに妖怪ってことにして美談にしたって事だろうけどね。

面白かった。寄ってよかった。

この日の日誌

タグ:観:館 観:城 観:模 観:伝

稲敷チューリップまつり

ファイル 3652-1.jpg稲敷市浮島にある和田公園で催された花祭。

前に来たことあって点景も二度目。公園もその時にしか寄ったことなかったかも。なんとなく今時期かなと思って来てみたらバッチリイベントの日だったようで混んでた。
けど、もう午後で催し物も終盤だったからか駐車場はすぐ裏の駐車場にスンナリ停められた。でも、前に来た時はもっと小規模で人も車も少なく裏じゃなくて表の駐車場に停められた気がする。。

で、駐車場からなので公園に進むといきなりチューリップ畑。なかなか人が多くどこぞの海浜公園かと思った。あれ?写真は意識してないけどあまり人が写り込んでないね。ゆっくり見てまわった。

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花畑に入って写真撮ってる人もぼちぼちいた。いいのかね。
っていうか、もう暑くて春っていうより初夏って感じで、派手な彩りの並んだ花はきれいだけど春の到来を喜ぶような祭りな感じは薄かった。
っていうか、流れて聞こえた広場のステージの歌謡ショーの歌がちょっとチューリップとは合わない気がして妙な気分でもあった。

そして奥の方の花畑ものんびりまわった。
チュ-リップ畑はこの充分な広さの二区画。軽く見て回るのにちょうどいいくらいで楽しめた。

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そういえば八重桜も咲いてたけど、これはさすがに霞んでた。っていうか、あっさりしてかわいらしく見えた。

さて、道を挟んだ向かいのグランドの広場ではステージと屋台があって賑わっていた。ちょっと見ていこうと端の口から入ってみたら、ちょうどイベントが終わる所だった。
一気に人が散った後のステージでメニューを見たら仮面ライダーガッチャードのショーもあったようだ。

屋台はまだやってたので見てまわった。なんか三つの列が離れてて、一つの列は焼きそばが三つも並んでた。。

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その端の稲敷市商工会のテントでは「300円!」と安売りしてたので購入。ステージ前の椅子に座って食べた。

かつて江戸崎にあった焼きそばの名店の味を復刻した「幻のやきそば」だそうだ。んー、、刻んだナルトに揚げ玉が混ざっていい感じだけど、そんなに個性は感じなかった。やっぱり地元の人にしか刺さらないのかな。でもそんな稲敷の味を食べれたのは良かった。

っていうか、こっちのイベント広場にはチュ-リップ感はなくなんか隣でやってた別の催しのように思えた。


ちなみに前回の点景  この日の日誌

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水戸城跡

水戸市三の丸にある城跡。

徳川御三家の水戸徳川の居城にして水戸藩の政庁だった城。のわりに他の御三家の名古屋城と和歌山城に比べて城跡としてはパッとしない所。
三城ともに太平洋戦争の空襲で現存天守を失っているけど水戸だけは復元されておらず、その後も城址公園にはせずに学校の敷地となって観光地にはならず、唯一城内三の丸に現存してた藩校の弘道館だけが国史跡としてのスポットになっていた。

で、
最近になって大手門と角櫓が木造復元されて城跡のように整備されたようなので、来てみたいと思ってた。のに、城跡用の観光駐車場というのはなく、弘道館への観光客用の駐車場という事になってて、有料の弘道館から順に見てってねという感じ。
その弘道館は昔家族旅行で来たことあったけど、如何せん子供だったので、まぁ今見たら全然楽しめるだろうと、素直にそっちから行ってみた。(駐車場は無料だけどすいてて、だまって門と櫓だけ見てきても大丈夫そうだったけど)

国重文の正門を横目に通用門から入って券売所、券を買う前に一応「ここ見た後に車停めたままで門とか櫓とか見てきてもいいですか」と聞いてみたら、「ここは5時までだけど角櫓は4時でしまっちゃうから急いでいかないとギリギリですよ」と親切に言われ地図のあるパンフもいただけたので「じゃあ先にそっち行ってきます」と引き返した。

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前置き長くなっちゃったけど、そんなわけでまずは「大手門」。うーん立派。(これができる前に何回か来たことあったんだけど、以前は普通の道路で車でこの先に進めたんだよね)ゆっくり見たいけど、それよりなにより角櫓と先を急いだ。

大手門の先は二の丸跡。現在はほぼ全部学校。広い城内風の白壁塀が並んだ道を進む。(この城内中央の道は往時からの位置でこの広さであったようだ)
立派な門の中学校と小学校(幼稚園)の間を抜けて、高校の手前にある小さな格子戸口が隅櫓への通路。家の玄関みたいで地味で気づかずに通り過ぎそうだった。。お邪魔しまーすって感じで入ると窮屈な塀の間の狭く長い道。うへぇ。

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塀の右が茨城大附属小学校で左が水戸第三高校(現共学の元女子高)、途中で桜が咲いてたのが見えたくらいで景色のない道を急いで進んだ。この桜の内側あたりに天守代わりの御三階櫓があったらしい。(ちなみにこの高校の創立は昭和元年、て事は、空襲で焼失するまでは女子高の校庭に現存してたのか)
その校庭の端を横断して抜けた先の二ノ丸の縁には城跡らしい白壁塀が張られて右の端に復元された「二の丸角櫓」が見えた。

おお、なんかカッコイイ角櫓。直角に多門が続く二重櫓で、心なしか屋根も反っててシャチホコもいるし、天守を復元できない分ちょっと盛って見栄えよくしちゃったかなー?なんて感じたけど、管理してた人の話ではちゃんと図面通り改変なく再現したものだそうだ。まぁ最近はうるさいそうだからねぇ。

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中も入れて新品櫓の木の天井はきれいだった。二階への階段もあったけどそれは立ち入り禁止だった。
水戸城と復元工事の解説のパネルが並ぶ間に「水戸城門扉」という門の戸板が置かれてた。水戸城大手門の門扉だと伝えられてたそうだけど、大手門にしては小さすぎるので別の門だという見解。数少ない現存物ではあるけど、なんか怪しいね。
格子の窓を開くとビルの合間に水戸駅が見えた。往時は駅のあたりはもう仙波湖でいい眺めだったらしい。そんなトコで「はいお時間です。閉めさせていただきますのでご退場願います」と出された。ホントにギリギリだった。通常なら早めに閉めて戻って入口を閉めるのが4時だそうで、自分以外にも数人いたので少しおまけしてもらえてたようだ。

塀の道は戻る時の方が校庭を覗けた。往時は二ノ丸御殿(二の丸屋形)があった場所。御殿は明治にすぐ解体されたようだ。ん?なんで御殿も御三階も本丸じゃなくて二の丸なんだ?(本丸には倉庫としての櫓しかなかったそうだ)

広い道に出て少し戻ると中学校の脇に「二ノ丸展示館」。ここもしまっちゃったかなと覗いたら4時半までとあって開いてたので入って見れた。

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水戸城についてのパネル展示とジオラマ模型があって、ジオラマ模型がいい感じでじっくり眺めた。

さて、そろそろ弘道館に戻らないと、、と思いつつ、まだ城内には他にも見どころあるようで、やっぱ気になって奥に進んでみた。

二ノ丸で先ずあったのが樹齢400年の大シイ。戦国時代から自生してたそうで佐竹がこの二ノ丸を造った頃からずっとここにあった大樹。二つのスダジイが並んでキレイに伸びてて、まだまだ葉も青く旺盛で立派だった。

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その横の格子戸門(こっちは門になってた)をくぐって生垣の細道でまた学校の裏を進んだ先が「二中見晴台」。城跡ではないけど、北の那賀川の側が広く見渡せていい眺めだった。
この二ノ丸の北側には櫓はなかったらしい。北側であったのは本丸の月見櫓。復元はともかくできればそっちが展望台だったらよかったのに、、と思った。

生垣を戻って中央の道に出ると杉山坂を下る脇道の対向に「杉山門」があった。ここは往時は土塁で桝形になってたらしい。門はパンフには(モニュメント)とあった。大手門には(復元)とあったのでこれはちゃんとした復元物じゃないのかな。まぁこのくらいの門はどれもそんなに変わらないだろうけどね。

そして更に進んで二ノ丸の奥の端には本丸への橋が架かってて間は深い堀になっている。

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橋を渡ってたら堀の底の線路を列車が通過。常磐線?じゃなくて水郡線。三両編成だった。この堀は佐竹が割ったのかな?こんな立派な堀を割ったのに秋田に転封されてガッカリだね。

橋の先は本丸跡で現在は水戸第一高校。ここに現存の薬医門があるということで何度か来たことはあるんだけど、駐車場ないし、高校とか入っていいのかわからず怯んで退散してた。今日は弘道館でもらったパンフに門の周りまでは見学可とあったので安心して進入した。っていうか、さっき言った月見櫓跡や南端の隅櫓跡くらいは行かせてほしいものだ。

ちなみにこの高校は卒業生の小説家の恩田睦の作品の「六番目の小夜子」や「夜のピクニック」のモデルとした舞台でもある。どちらも読んでたしドラマや映画も見てたので感慨深い。

門は、
安土桃山時代の佐竹の頃に建立された現存物、長らく別の場所に移されてた物を昭和後期に移築。移築の際に茅葺を銅板葺にしたそうだ。恐らくこの本丸入口の橋詰門だったであろうという事だけど、だったら元の場所はもう少し橋の前の方じゃないのかな。そういう位置や改修や不明な点があるから国じゃなくて県の文化財なのかな。残念。でもかっこよかった。

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門を見て学校を眺めて橋に戻るとまた列車が通った。水郡線ってそんなに本数多いのか。
ゆっくり広い道を戻って、また「二ノ丸展示館」に戻ってジオラマ模型を見た。館の人に薬医門の話を聞くと、戦前には今の場所にあって空襲を避けるためにお寺に移築したので元々の場所な筈と言ってた。ん?そうなの?っていうかだったら御三階櫓も避難させとけばねぇ。。

「二ノ丸展示館」もそろそろ閉館ということで大手門に戻った。
大手門は裏からだけどさっきよりゆっくり眺めた。頭上の横に張った柱が立派だった。

門をくぐって橋を渡った先にあった小さな像を見たら斉昭だった。。なんでこんな小さいの?大手門越しに写真撮った。徳川斉昭や藤田東湖がもう少し長生きしてればねぇ。。

そして弘道館に戻ったのが4時半過ぎ強。「んー今から入るのはもったいないですよねぇ」ってことで、やっぱりこっちはこっちでまた今度来ようかなと思って車に戻った。なんかズルした感じだけど、いやな顔されず「是非是非」と見送られた。


この日の日誌

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道の駅 グランテラス筑西

ファイル 3646-1.jpg筑西市川澄の50号沿いにある道の駅。

点景は三度目。いつも混んでる印象の道の駅。まぁ新しめの道の駅はどこも大概混んでるよね。ましてやこのいい天気でちょっと出た人が挙って寄りがちなのも理解にやさしい。
普通なら通過だけどトイレ行きたいので寄ってみたら広場の先の方で停められた。なんか広場はさんで見ると子供が走り回ってるから幼稚園みたいな感じ。気にせず横断してトイレに行ってスッキリ。

ファイル 3646-2.jpgどうせなら食事もと店に入ってフードコート。やっぱ下館ラーメンかね。「筑西タンメン」にしようかと思ったけど「鶏皮ラーメン」が気になったのでそっちにした。確か前回も気になってたと思った。
席はいっぱいかと思いきや、窓側のおひとり様テーブルは空いていた。ナイス。前面ガラスの窓の先には広場の対岸の自分の尻が見えていた。ナイス。

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下館らしい素直な醤油ラーメンに細かい甘めの鳥皮が乗ってて、甘いのは最初だけですぐに汁と混ざって面をツルツル皮をプニプニと妙な組み合わせで面白かった。おいしく食べられた。他で無いよね、鳥皮が乗ったラーメン。
鳥皮は子供の頃親とお買い物に行った商店街でたまーーに串焼きを買って貰えた喜びの食材で大好きなので、なんかホッコリ。っていうか今日は気温暑かったので温まりすぎた。。

ファイル 3646-4.jpgさて、それとこの道の駅といえばスタバのドライブスルーがあるのが印象的。ただでさえ込み合う道の駅でドライブスルーなんてねぇ。。
で、誕生日にラインギフトでいただいたチケットがあったので期限を忘れないうちに消化しなくちゃと思ってたトコなので、丁度いいと普通に店内に入った。ら、注文列になってた。少し待った。
アイスカフェラテにするつもりだったけど「ブロンド ラテ with オーツ ミルク」とかいうのがあって、待ってる間に店員にどんなものか聞いて「今日みたいな暑い日におすすめの優しい味」とかいうのでそれのアイスにしてみた。

走りながら飲んだ。 なんだこれ。 酸っぱくて変な味。普通にフェラテにすればよかった。。失敗した。
(この道の駅に来たときは何かしら文句言ってるような気がする。。)

 
 
ちなみに前回の点景 この日の日誌

タグ:餐:ら 餐:肉 餐:飲 楽<待 楽<残 道の駅

鹿島海軍航空隊跡

美浦村大山の霞ケ浦湖岸にあった旧軍の航空隊基地跡。

何年か前にスロープやカタパルトの桟橋跡とかを見に来て、霞ケ浦を広く見れて浦岸ギリギリまで車で出れて夕日がきれいな場所として気に入って何度も寄って通過してる場所。その基地跡が一般公開されてると知ったのはつい最近、去年の夏からだそうで、知らずに夏来てた。。

ってわけであらためて来訪。前来た時に「美浦村週末カフェ」になってた廃倉庫の裏が広く駐車場になってて整ってた。
そして倉庫に入ると、ここで撮影されていた「映像研には手を出すな」のコーナーがあった。

そして広い倉庫の奥のプレハブが受付売店。入館料は通常800円だけど、企画展中で1000円だった。丁度10分後の2時からガイドツアーがあるらしくラッキーだった。(午前と1日2回だそうで)

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そして、前にきた時は此処にいくつもの移動販売車が来てたりしてたのでここで食事するつもりで来たので腹ペコ。だけど、店は受付売店の隣りのカフェだけだし、ガイドツアーまで時間ないし、、軽いものないかと店見て「茨城名産レンコン天ぷら」をたのんでみた。
すぐできてすぐ食べれたナイス。

このレンコンがマジうまかった。
茨城のレンコンってすごいな。甘いんだ。
そして瑞々しくてシャキシャキ。ゆっくり味わって食べてたらガイドツアーの集合がかかってしまってちょと慌てた。

さてこの回のツアーはガイドさん二人と参加者は八人くらいだった。
まず最初にこの倉庫の説明。自動車車庫だったそうで裏の駐車場にももう一棟並んでたそうだ。車輪を持たない水上機を格納庫からスロープの岸まで移動させる為に自動車はかなり活躍してたそうだ。

そして南の裏の燃料庫に歩いた。前に来た時に石碑を見たトコだ。その時は廃棄車両やゴミ等放置されてて少々荒れてたけど、さすがにキレイになってた。
入口側から概要を説明されて裏側から中に入れた。往時は上空からわからないように土で覆ってた為に上には通気口があり、裏側には細狭い通路があるという事だけど、この裏のトタン屋根はいつのものだろう?戦後に掘り起こして倉庫を広げた?

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そして倉庫内にも入って見れた。ガランとして暗い倉庫が大小三庫。これはガイドツアーでなきゃ入れないからいい時間に来れて良かった。

一旦自動車倉庫に戻って通過。
その先の正門跡を案内。衛兵の詰め所があったとか。手前におかれた整地用のローラー(巨人の星的には「コンダラ」)は基地当時のものだそうだ。

そして前の道を跨いでメインの本庁舎跡へ進んだ。
ここは戦後には病院になり結核患者の隔離病棟としてなんと1997年まで使われてたそうだ。他の廃倉庫より50年ちかく現役で使われてたとは思えない廃墟感。。

海軍の錨マークが入った水栓口を見つつ正面口から入館。
造りは友部の筑波航空隊基地跡と同じ印象で、二階への階段も同じに見えたけど、上が見えないように低く遮断する壁板が下がっているのがちょっと異様で、基地の時からあったものという説明だったけど、隔離病棟になってから受けたもののような気がしてならない。

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ガイド内容はわかりやすく、基地当時からのものをちゃんと案内してくれてたけど、病院の時はどうだったのか気になってちょっと不気味だったし、殆ど廃墟っぽい姿のママなので雰囲気バッチリだった。取り敢えず、基地当時から使われてたテーブルや丸いシャンデリアが面白かった。
この本庁舎でガイドは終了。でもガイドさんは入口に残って案内したり質問に答えてくれたりしてた。

企画展というのは「廃墟景観シンポジウム」というもので、二階の暗い部屋にモニター吊るしたり、ブラウン管がポツンとついてたり、アートっぽいオブジェっぽい飾りに包まれたりしてて不気味さを増していた。ガイドが終わった後で一人でまわってみたら余計に深い雰囲気でぞくぞくした。

一階の展示は明るめで、世界の廃墟の写真が並んだ部屋も安心して観れた。ここで撮影された映画やドラマの紹介の部屋だけは撮影禁止でうっかり撮りそうになっちゃった。
食器が並べられた部屋は何だか判らなかったけど、基地に関する資料の部屋も一室だけあり、九三中練水上機の模型があった。

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そして映画「ゴジラ-1.0」の撮影で使われた局地戦闘機「震電」のレプリカコックピットが置かれた部屋があった。おお、これが見たかった。
本当にコックピットだけなので震電なのか何なのかって感じだったけど、覗き込んだ操縦席はリアルでしっかりしてて良かった。
そっか、「ゴジラ-1.0」見た時は基地関係は全部友部の筑波基地だと思ったけど、震電の隠し倉庫のシーンはこっちだったんだ。

そして外に出て、本庁舎の裏にまわり基地跡内を散策。
あちこちに案内板が立ってて番号降られてて順路もわかりやすかった。

本庁舎の裏の先は士官宿舎跡。コンクリの土台が残ってて跡地感ばっちり。部屋は細かく並んでてトイレも分った。(ここらの施設は昭和後期までは残ってたそうだ)
少し先に学生寮跡。学生寮は一棟だけだったのか。赤い消火栓も案内付きで立ってた。

一区画歩いて汽缶場跡(ボイラー室)に向かう。これはドラマの「映像研には手を出すな」でガッツリ出てたトコで、ドラマ見てて「あ、あそこだ」と分かった。(映画は見てない)

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乃木坂ファンには聖地なのかな、個人的には思い入れはないけど、それまでフェンス越しにしか見れなかったトコの内部に入れるのは感慨深い。間近に見る廃ボイラーの廃基地感や剝がれた壁の雰囲気(ハトが停まってた)はなかなか。ゆっくり見てまわった。

外に出ると近くに小鳥が停まった。おとなしい色のジョウビタキのメス。写真でゲット。

すぐ裏に丘のような土塁があって登って上から広く眺められた。
もらったパンフの施設配置図を見ると、ここは第一兵舎の裏の酒保とか烹炊所があった場所。なんだろ、何で一段高いんだろ。第一兵舎は一段高かったのかな。便所跡だけ一段下に残ってたのも謎。取り壊すより埋めちゃった方が楽で盛ったのかな?
っていうか、軽油庫と車庫とボイラー室と発電室だけ残したのも不思議。他にも講堂やら演習場など色々あったようだけど、、んー、装置を解体するのが手間だからかな?

土塁の裏には発電所跡。先五微かに霞ケ浦の水面が見えた。
そっちに降りたかったけど道はなく枯れススキに覆われてたので、戻って廻って行ってみた。

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あれ?こっちの建物には入れないのかな?と思ったけど、ぐるっと回って裏側が入口でちゃんと入れた。入り口前の小屋跡は配電室だったようだ。

この発電室は、さっきのボイラー室より全然小さいけど、屋根まで剥がれ落ちて空が見えて明るくイイ感じだった。
撮影によく使われるのも此処だと案内にあったけど、なるほどって思えた。
奥にあった高圧受電盤を見てみた。製造年を見たら全然戦後だった。。なーんだ、病院時代にも使われてたって事か。(ボイラーも?)

この発電室跡の奥にも盛った土塁があって撮影スポットとあったけど、整備中だとかで登りづらそうだったのでパスした。

最後に一番奥の物乾場跡を眺めて折り返した。
この一番奥にキーワードの紙が貼られてて、あ、そういえば所々にあるワードを書き入れて導き出された言葉が正解するとクリアファイルがもらえるって説明聞いてたっけ!(「ウォークスルーアトラクション」だそうだ)と、ここで思い出し、キーワードの紙を探しながら戻った。(意外と難しくて、本庁舎の入口でガイドさんに少し助けてもらっちゃった)

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そして自動車車庫跡の受付売店まで戻った。キーワードは正解でクリアファイルを戴いた、色々と楽しませてくれていい所だ。
他にもリアル謎解きゲームができるコースなどもあって色々と盛り上げてたし、グッズもたくさん売ってた。ついついいい気になって基地のとゴジラのTシャツを買っちゃった。

最後に駐車場の端の基地当時から残るコンクリート塀を見て車に戻った。この塀、普通に昭和っぽいくらいでそんなに古さを感じないけど、見れば軽油庫前から正門前まできれいに一面のこってて凄いなと思えた。(ひょろく見えるけど地震でも平気だったんだね)

二時間弱、思った以上にじっくり楽しんで歩けた。来てよかった。
 
 
ちなみに前回の点景 この日の日誌

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髙橋肉店

ファイル 3636-1.jpg龍ケ崎市砂町の県道沿いにある精肉店。

龍ヶ崎駅前から真っすぐ長く続く本町商店街の奥の方にある店で、暗くなって他に開いてる店も少なく分かりやすいし車どおりも少なく隣りは建物取り壊して空きになってたので気にせず路駐して店に寄れた。

目的は龍ヶ崎コロッケ。随分前に町おこし的にアピールしてネットでもよく見かけててドライブがてら何度か来て何軒か買ってまわったもんだけど、あまりヒットはしなかった印象ながら、なくなる事はなくずっと幟も立ってたので、最近でもたまーに買いに寄ったりする。点景にも何度かしてるけど、、、振り返ってみたらこの店はしてなかった。。別の肉屋だった(→)(→)
いや、来てない事はないぞと日誌を振り返ったら、2009年の4月に来てた。15年ぶりだったのか。

ファイル 3636-2.jpgさて、店入るとショーケースにコロッケ類が並んでて色々あって取り敢えず幾つかひとつずつ買ってみた。
、、けど注文受けてから揚げ始めて、オヤっ?と思ってよく見たら、このショーケースのはダミーのサンプルだった。あら。気付かなかった。

まぁいいかと、店内に貼られたサインやテレビ放送のプリントとかを見てゆっくり待った。

そしたらもう一人いたおばあちゃんのお客さんが「これついこの前テレビでやってたのよ」と話しかけて来て、「最近でもコロッケが話題なんですねぇ」と、話しを聞いてるうちにだんだんと昔ばなしになって〔あ、つかまっちゃったかな〕とは思いつつ待ちのヒマだからいいかと聞かせてもらった。なんでもこの近所の人らしく、店の子が姉の同級生とかで遊んだりしてたそうだ。もう店は代変わりしてその人は夫婦でよそに移ってしまったそうだけど、自分はたまにここに買いに来て懐かしんでたりするそうだ。おすすめは唐揚げで今日も唐揚げを買いに来てたそうだ。

ほっこりしながら聞いてたらコロッケ上がっておばあちゃんと別れた。あれ?おばあちゃんの注文の方が先だったんじゃないの?とは思ったけど詮索せずに店を出た。
 
 
帰ってから早速食べた。いつもは走りながら食べることが多いけど、今日はもう真っ暗だったからね。
買ったのは「ばあちゃんコロッケ」「豚トロコロッケ」「メンチカツ」そして「玉ねぎフライ」
帰りの車内はこの玉ねぎフライのにおいでいっぱいで、何度も食べちゃおうかと思ったけど、帰って来て食べて正解。甘いタマネギがソースと凄くよく合った。

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「ばあちゃんコロッケ」は秘伝のタレで味付けだそうだ。甘くてソースのいらないしっかりしたいい味のコロッケ。
「豚トロコロッケ」はゴロッと入った豚トロの粒がいい食感の面白いコロッケ。これいいね。
「メンチカツ」はいう事ない間違いない品。たまにうまいけど食べづらい柔らかすぎるメンチとかあるけど、食べやすいしっかりしたメンチで安心。

満足だけど帰ってからあのショーケースの写真見てたら、もっと色々気付いてないのもあって、ゆっくり選んで買えばよかったかもとか思った。(人気商品!!とあるチーズハムカツとか)


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一言主神社

ファイル 3631-1.jpg常総市大塚戸町にある神社。

わりと近隣のあちこちで案内見かける大きな神社で、気にはなってて一度向かってみたけど、県道から折れるとあやしい大きなゲートと妙に長い道の先にいくつもの広い駐車場があって神社は隠れるような奥にあって、特別な宗教の神社かと思って手前で引き返してた。

なので初めての来訪。とりとりさんは全然気にせずグングン進んで神社に到着。
来てみたら普通な感じの雰囲気いい神社。夕方の日没間近にもかかわらず参拝してる人はチラホラいて、宮司が片づけをしていた。
そう都市部にある神社のような感じなのに周りに町も村もなく(餃子屋さんだけあった)県道からも奥まった場所にあるのがなんとも不思議だった。

参道には一の鳥居が短い間隔で三つ並び、周りの砂利の中に「日露戦争終戦記念(1905年終戦)」という楠の木がまっすぐ立ってた。樹齢120年てことか。
逆に思い切り曲がって、深界六層の水もどきの害のような姿の木はマテバシイ。「1550年の兵乱で失った楼門を偲びながら鬱蒼と繁ってる」そうだ。

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そして社殿は立派な銅葺き屋根で大きく立派。やっぱり都市部にあるべき神社という風格だった。

祭神の一言主大神は出雲の大国主の長子だそうで、大同4年(809)に奈良の葛城山より奉斎したそうだ。
本殿長録3年(1459)の再建、拝殿は慶応3年(1867)に建てたものだそうだ。江戸時代にはちゃんと村とかあったんだろうか。

参拝して脇にまわると「三竹の由来」という案内があった。
なんでも千五百年前に雪の中が光って忽然と筍が生えて三岐の竹になったそうだ。そして信託があったのでこの場所を神社としたそうだ。その後も時折三岐の竹が生えるので三竹山と呼ぶようになったとか。
ああ、あの拝殿の前にあった青々した竹がそうかな?と戻ってみたら、しっかり根元で三岐になった竹だった。おお。なるほど。

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そして裏にまわると、本殿は大きな社殿と続きになってて、赤くきれいだったけどよくわからなかった。

そして裏には「御神水」と「御神木」があった。なんとも行儀よく並んで纏まってて本殿の関心を逸らしてるように見えた。

表に戻って今一度本殿を眺めた。尖りつつ丸み柔らかく流れるような屋根がカッコよかった。

他にも何気に見た木のうろの中に仏像のような根が立って見えてたりして面白かった。
伝説の竹や古い木など見どころ多く、いい神社だった。


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平将門公胴塚

坂東市神田山にある神田山延命院の境内にある墳墓。

そういえば前の道は何度も通ってたけど、将門の史跡とは今まで気が付かなかった。。
今日はとりとりさんが気になってて自分もまぁ将門は興味ある方なので是非是非と乗り気で寄った次第。

裏の駐車場からは赤い幟が参道のように続いていたので、そこを通って進むと、大きな木と地蔵と石柱と石碑などがある所に出た。

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ここがそうなのかな?「延命院の将門山」という案内もあって読むと、「胴体はこの延命院の一隅に埋められて将門山と呼ばれた」「神領なので将門山はあばかれることなく今に及んでいる」とあったけど、ここが「胴塚」とはなかったのでいまひとつピンとこず、とりあえずもう少し進んでみた。

ら、さっき車で入って来た白い雪の残る方に出た。
ここには「谷原光不動」というのがあり、雪の先には「毘沙門天」があった。

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手前の隅に夕日を背に建ってた赤いお堂は「奉開帳聖観世音菩薩」、カッコよかった。
けど、これらは将門とは別だよな。やっぱりさっきの所が胴塚なのかなと戻った。

石碑の隣りの石の段の上の「大威徳将門明王」というのが墓石なのだろうか。「南無阿弥陀仏」と並んでた。

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くるりと木の裏にまわってみたら「埋蔵文化財将門山古墳」とあった。やっぱりここが胴塚という事のようだ。(っていうか、入口の案内が「将門公胴塚」とあるのだから「胴塚」がどこなのか、およそここらへんという事なのかちゃんと表記して欲しいと思った)
「天然記念物カヤ」ともあった。カヤの木なのね。

そういえば首塚だって塚になってるわけではないので、こんもりしてなきゃ塚なわけじゃないよね。だいたいここら辺に胴が埋められてて、石柱も木も後に標として立てたんだろうね。

とりとりさんも将門に興味あって、将門の史跡をまわりたいと思ってたトコのようでちょうどよかった。「國王神社」おススメですよ。雰囲気を感じる神社だった。(行ったのは13年も前か
この場所はそこで感じたような特別な雰囲気はなかったけど、木陰の裏ながらちょうど木に沈む夕日があたってていい場所って感じだった。


この日の日誌

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菅生沼 上沼

ファイル 3629-1.jpg坂東市神田山にある沼地で白鳥の飛来地。

沼の自然なロケーションが良く、近場の白鳥スポットでは一番のお気に入りで、毎年冬になると行きたいなぁと思う場所。だけど毎年は来てないかな。(去年は01月07日に来てた)今日はとりとりさんと来た。

点景は意外と少なく七年ぶりで三度目。まぁだいたい毎回同じような写真だし書く事もないので日誌でちょこっと載せてすませてたんだけど、今年は点景にしようかなと思った。
書く事は特にないので写真メインで並べます。(点景簡略化の第一歩としてね)

俯瞰の写真で見るとあまりいなく見えるけど素人勘定で50羽強ってとこかな。もう二月で北へ帰る時期で今年は暖かいから全然いないかと思ってたので、残ってて見れて嬉しい。

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カモはほとんどいなくてたまに数羽いるくらい。嘴の広いハシビロガモという渡鳥。ちょっと顔こわい。

白鳥は全部コハクチョウ。なんかえらそうにとりとりさんにオオハクチョウとコハクチョウの違いとか垂れちゃったけど、繁殖地を逆に説明してたかも。。聞き流してくれてたら助かるw

少ししたら五羽ほど飛び立った。まわりの写真家さんたちがざわざわしだすので分かりやすい。

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沼の周りを小さく内回りでまわってすぐ着水。
そしてまたしばらく静かになった。

やたら近くまで撮って撮ってというように泳いでくるグループがいて、この子らは(一羽を除いて)そのまま奥の滑走路に進み、そのまま横一文字になって飛び立った。サービスいいね。

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じっくり見てーというように低く長い滑水で、シャッター音を浴びながら沼の端で離水。
この子らは廻らずにそのまま飛んでって戻らなかった。下沼の方に行ったのかな。

とりとりさんが薄着なので冷えない内に車に戻ろうとは思いつつ、どうも切り上げ時がつかめず、戻ったらまた飛び立ちそうな気もしてついつい長居。とりとりさん付き合わせて申し訳ない。

そして少しして三羽+三羽の二個小隊で離水。

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これはもう奥の方ですぐに飛び立ってたので凄い小回り。傾いて焼け始めた夕日でまわってすぐ着水。横に見えるくらいの所で着水したので皆さんいい写真が撮れたんじゃないでしょうか。
なんかハクチョウたちも人の喜ばせ方を分かってるような感じがして小憎らしくも有難く思えた。

ファイル 3629-6.jpgそしてこの飛行で満足して車に戻った。
いつもここは日が傾くと一気に冷えて寒い所って印象だったけど、やっぱり今年は暖かく、しっかり夕陽が真横くらいに傾いてもまだ冷え込まず陽光が暖かく思えるくらいで駐車場でも沼を見おろしたりしつつ少しのんびりして、ゆっくり出発した。

そういえば、とりとりさんと来たのは初めてかと思ってたけど、帰って日誌を見返したら、デルソルでのオフ会の時にみんなで来てたね。(→)もう14年も前なのか。(っていうかこの時って全然点景にしてないね。。)

 
 
それはそうと、、
ぜんぜん簡略化できなかった、、やっぱついつい書き込んじゃう。14年前の頃の日誌くらいバサバサ省略してすぐに仕上げる勢いが欲しい。。歳とるとダメだねぇ。

ちなみに前回の点景  この日の日誌

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