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大石大滝

ファイル 4023-1.jpg大津市大石東町滝の422号沿いの信楽川にある滝。

現地には案内も何もなかったけど、ナビ地図に出てた所にあったカーブの路側帯から歩いてみた。

一応ちゃんと人が川に降りる道はできてて、まず下ってみたんだけど、まっすぐ降りた所には滝らしいものはなかった。あれー?

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取り敢えず渓谷の流れと蒼翠の淵を眺めたりして一休み。

見た感じでは少し下流の方に滝がありそうに思えた。けど、ここから岸を歩いては行かれそうにないので降りて来た道を戻ってみた。
途中で横に進めそうな道っぽい感じの所があったけど、いや、これは滑って落ちるだろ、、と不安な感じだったのでヤメて上まで戻った。

で、路側帯を少し戻ってみると他に降り口みたいな道っぽい感じのがあったので、そっちから降りてみた。

こっちからは岩伝いに下流側に歩けそうになってたけど、一部途切れてて水際をジャンプして跨ぐとこもあった。
飛び越えた先に人口の石の堤があって、その先からやや滝っぽくなっててどうやらその先が滝になってるようだった。そして渓谷の上には工事中の道路の高い高架が見えた。

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一旦止まって少し眺めつつ、もうちょいかー いけるかなーと足元に注意しつつ慎重に岩を伝って進んでみた。
岩を伝うのは思ったよりも大変で見た目よりも意外と落差もあって、少しまわってもなるべく安全そうなルートを考えて進んでたのでなかなか思ったようには進めなかった。時おり足を止めて渓谷を見ると川は深そうな淵に流れ込んでた。
どうやらその淵の先が滝のようだった。よしもう一息!となかなか進めず、岩も割と滑りやすくて足元おぼつかず、滑りそうになってヒヤッとした。これ、滑ったら落ちて死ぬな、、と怖くなり、緊張も加味して体力も怪しくなった。

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ちょっと落ち着いて一呼吸。もうちょっとで滝が見えそうだったけど、これは無理しない方が良さそうだと諦めてここで引き返した。無念。振り返った滝っぽい沢の感じでよしとしよう。

上の道から落りてきたトコまで戻って一安心。ちょっと川の水に指浸したりしつつ車に戻った。
「大石大滝」という表題ながら滝は見れてなかったという不甲斐ない項目だけど、無理しないで死なずに済んだので応来応来。


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近江神宮

ファイル 4022-1.jpg大津市神宮町にある神社。

ということは知らずに、なんか自然公園みたいな森があるなぁとか思ってちょっと歩いてみた。

取り敢えずは園内マップみたいなのないかなーとか思いつつ進むとすぐ先で車道に出た。ん?公園じゃなくてただの森だったかな?とか思いつつ、渡って更に進むと広い道に出て、東の森の口の方には大鳥居があった。あー神社の森だったか。
広く長めの参道の大きな神社だった。じゃぁお参りして行こうかと奥に進むと、階段の上にも鳥居が見えた。

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階段を上るとしっとりとした木の鳥居だった。
ここには茶屋やベンチや御手水舎などがあり、読みづらい由緒書きの前に分かりやすい案内があって、ここでやっと「近江神宮」だと知った。御祭神は天智天皇。時の祖神で、歌かるたの祖神、古都大津宮隣接地に昭和15年に御鎮座と要点纏めてて有難かった。あぁカルタの「ちはやふる」の舞台ね。カルタくじとかちはやふる御朱印帳とかあるそうだ。

そして階段はまだ続いて、次はその上に赤い楼門があった。
一気に登って門をくぐると、もう一段上に拝殿が見えた。ここは屋根だけの外拝殿で向かいには内拝殿がある二重拝殿型、一般はこ外拝殿の中から参拝。内拝殿の裏にあるであろう本殿は見えなかった。

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この外拝殿には「轟太鼓」があり毎日朝夕に鳴らして時を告げるそうだ。寺っぽいなとか思った。(それは鐘)
そして回廊っぽい感じも良く、「参拝順路」とある方に進むと林の中の栖松遙拝殿に出た。

ぐるっと脇から楼門の階に下ると菊が並んでた。毎年11月上旬からやってる「湖国菊花展」だそうだ。「巴の錦」という花の内側が赤い菊も並んでた。もう少し花が開くとキレイっぽかく、少し早い感じだった。

そして楼門から続いた赤い柱の回廊のような休憩所には塀に百人一首の札が並んでた。この一首目が天智天皇の歌なのでここがカルタの聖地ということになるらしい。僕はねぇ、坊主めくりくらいしかやったことないけど、それも何十年前かねぇ。ルールも憶えて無いや。
授与所も赤かった。

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楼門を横切って進むと時計館宝物館というのがあり、その前には日時計のオブジェ、池にある漏刻というのが天智天皇が導入した水時計の復元というのが興味深かった。
そして中国の古代日時計とかは形しっかりし過ぎててピンとこなかった。

そして端にあった背の高い屋根の東屋っぽいのは自動車清祓所だそうで、明治23年建築の大津地方裁判所の玄関を移築したものだそうだ。

このすぐ下に駐車場があって、車で移動して来ればよかったなーと思いつつ、七五三の家族連れを眺めつつ、ゆっくり歩いて森を抜けた。

軽く公園を歩くくらいの気分だったのが、たっぷり見どころ多い大きな神社を歩けて楽しめて良かった。
帰ったら「ちはやふる」見てみようかなーと思った。

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大津京シンボル緑地

ファイル 4021-1.jpg大津市錦織にある史跡「近江大津宮」があった地域の観光駐車場。

そういえば大津は一時は大津京という京が遷都してた場所なんだよなと思い、その大津京ってどこらへんだったんだろうという興味はありつつ、調べたことは無かった。ので、検索して来てみた。

ちなみに「宮」は政庁部で「京」は宮を含む都市区域ということで、来てみたのはその近江大津があったとされる地域。平らなトコかと思ってたら思い切り坂の斜面の宅地だった。(まぁそれを言ったら紫香楽宮なんか山だったし)この駐車場はその宮の北端ギリ外のあたりのようだ。

案内板には丁寧に近江大津宮錦織遺跡について説明されてた。
天智天皇6年(667)、白村江の戦いで大敗して唐軍の侵攻を恐れた天智天皇が飛鳥より守りやすく逃げやすいこの地に慌てて遷都して、この宮で法令や戸籍や時刻を制定したものの、4年後に崩御して壬申の乱がおこり大海人皇子が勝利して都を飛鳥に戻したため僅か5年ほどで消滅した都。昭和49年の発掘調査まではどこにあったか不明だったそうだ。

さて、駐車場からは、まず裏に案内板のある空き地っぽいのが見えたのでそこに歩いてみた。

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この案内板にも「大津京と大津宮」の説明が出てて、この場所が宮の北端だったとあった。ここからは掘立柱建物跡と軒跡が見つかってるとあるけど、柵は施錠されてて中には入れなかった。

まぁいいかと表の県道に戻って坂を下って、来る時見かけてた「史跡近江大津宮錦織遺跡」に進んでみた。

まず第2地点は通過して、その先の第1地点に入ってみた。公園のような広場で、ここには内裏南門と回廊が発掘されて国の史跡になったそうだ。

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広場の奥の方に並んだ柱跡は回廊から北に並んだ塀の跡だそうだ。宅地の間だからこんな部分部分でしか史跡指定できなかったんだね。

この第1地点は県道側の北が一段高くなってて石柱には「志賀皇宮跡」とあった。ここは石碑が並ぶだけだったけど、やっぱり高低差ある宮というのは意外だった。昔はもっと平らだったのかな?

そして県道を挟んで向かいにも史跡っぽいのが見えたけどそこは史跡指定されてない空き地なのかな。その先の裏は案内板が見えたので史跡っぽいけど(第3地点だったようだ)やっぱり一階分くらいの段差があって不思議に思えた。宅地の裏には山(森可成の築城で坂本に移る前の明智光秀がいた宇佐山城跡)が見えた。

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少し戻って次はさっき通過した隣の第2地点。
ここは内裏正殿があったところだそうだ。10基の柱跡はその正殿の南東部分だそうだ。

ここはその奥に柵があって、覗いてみたらその先も空き地になってた。けどそれも史跡指定されてない更地のようだ。
南側にも宅地跡の空き地が隣り合ってた。いずれは広い史跡公園になるのだろうか。地域の住民は苦い思いをしてるかもとも思えた。

県道を挟んで西の向かいが第7地点。ここは閉鎖されてて中には入れなかった。隅にタヌキが覗いててかわいかった。
その北向いが第9地点。ここはちょこっと公園のようになっててベンチがあった。隅で倒れかけてる看板は犬のフン、ボール遊び、花火の禁止警告だった。
ここ第9と第7が、第2から県道を跨った内裏正殿の西側の廂部分だそうで、ここの案内板には近隣の他の史跡指定地の地図が見やすく出てた。

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ので、第9と第7の間の道を裏に進んで宅地の中の他の史跡指定地に歩いてみた。
ら、
すぐ裏の第5地点は未舗装の駐車場で案内板も立ってなかった。。さっきの地図では間違えて無いと思うけど、史跡指定地だったら駐車場ってことないよなぁ、、
それと第5の斜め奥の第6地点も何もないただの更地だった。措定されてる筈の更地とそうじゃない更地の差もよくわからなかった。
他にも第3とか第1より南の第8や東の第4とかは見てなかったけど、もういいかなとこれで県道に戻った。(県道に出る前にもう一度第9の地図を見て確認した。間違えてなかった、、)

駐車場に戻る途中で横道の先にさっきの第5地点の駐車場の裏が見えた。ここは道が一段低くなってて第5地点のあたりは方向からすると低い筈なのに盛り上がってた。なんかボコボコの地形の史跡地域だった。へーんなの。

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坂本城址公園

ファイル 4020-1.jpg大津市下阪本の旧国道の県道沿いにある城跡公園。

今年の夏は膳所城跡とこっちにも寄ろうと思ってたけど、少し大回りだからこっちはやめて次回にと思ってた。ので、今日はこっちに寄ってみた。
この坂本城は言わずと知れた戦国時代の信長の家臣だった明智光秀が築いた城。こんな(焼き討ち後の)比叡山の袂に城造らされてプレッシャー半端なかったことでしょう。

さて、公園は入口が駐車場になってて楽に停められた。さっそく公園内に歩くと、幾つもの案内板と像が立っていた。
その「坂本城跡」の歴史の案内を読むと、大天守と小天守があったそうだ。どこら辺が天守だったんだろうと地図を見たら、、この現在地の城跡公園は何と城外だった。。!えー。

本丸は少し北で、旧国道を挟んだ一町分と岸側にあったようで現在は個人所有地なのかな?

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なので、公園としては膳所城跡公園より全然小さく、まぁこれが本丸跡全体ではないだろうとは公園入ってすぐ感じたけど、まさか曲輪でもなく跡地ですらない公園広場だとは思わなんだ。(この公園辺りは旧国道の先まで琵琶湖の湖面だったようだ)
もっとも城跡だったら外来魚回収BOXなんか置かないだろうね。

そして像は明智光秀でその詩と説明が石碑になっていた。
元亀2年(1571)に坂本城を築き10年間本拠地として活躍したとある。
光秀亡き後は丹羽が再建して浅野が入ったけど、天正14年(1586)に棄城して大津城へ移転したそうだ。実質15年の城かぁ。勿体ない。

さて、まぁ何も残ってはいない城跡だとは知ってたので(石垣の一部が残ってるらしいけど)しかたない。ドライブの寄り道としてはそういう歴史の舞台の場所というロマンを言い訳に、その風景を味わうのが目的なので納得して琵琶湖の湖岸の浜に出てみた。
その手前の案内板には「ヨシ群落保全区域」とあった。

朝見た湖北より少し広く見える琵琶湖の眺めは、少し太陽高くなりつつも、まだ東に立ち込めた雲の上から頭だしたばかりという感じで、湖面に光をたらしてた。

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湖面にはやっぱり水鳥が浮き、足元の湖水は底まで透けて綺麗だった。市街部でもやっぱり水がキレイなのが凄いよね琵琶湖は。

南側を見ると何やら赤い鳥居が見えて、そのあたりで釣りをしてる人がいた。

っていうか、自然な砂洲の侭っぽい感じの浜が何とも素敵で、北東に進むと、その先は小さな川の河口になってた。
この公園もこの川が運んだ砂でできた浜なのかなと思えていい風景。

そして河口の先から振り返った川も自然な感じでいいし、川の方も水がキレイだった。(といいつつ手を浸したのは湖の方だった。やっぱそれでも少しは生活用水流れ込んでそうな気がしたもので)

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そして河口部の対岸は砂州がくねってて面白かった。
ジャンプすれば渡れそうな気もしたけど、きっと今の自分に想像するような跳躍力はないだろうと諦めた。
ここで引き返したんだけど、後から思えば風景はともかく、その先の本丸跡部分の浜の景色が見たかったんだっけ、、
少々城跡のこと忘れて湖上のカモや樹上のモズや足元のフナ(死骸)そして草花に止まるベニシジミなんかを見ながら自然多くてイイななんて思いながら浜を戻ってた。

琵琶湖の南の方にはモヤッと霞んだ大津のビル街が見え、手前には湖中に入って釣りをする人もいたりしてのんびりした朝だった。

で、公園に戻ったら一応公園内をひとまわり。紫のキキョウの花壇を見つつ、南の奥の橋を渡って細い川沿いの石垣を見ていやいやこれは公園造成の石だよなwと思った。

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公園の森を出る手前に「三津浜(みつのはま)」の石柱があった。古くから港として栄えた所だったそうだ。

森を出たら「七本柳」の標柱。毎年日吉大社のお祭で、神輿を乗せた船にがここから出るそうだ。「七本の柳は神の降臨する木とされてきた」とあるけど、現在その柳は一本も見あたらなかった。
その先にさっき湖岸から見えてた赤い鳥居があってその袂が桟橋になってた。ああ、あそこからその船が出るのね。こっちの方が城よりも古くから続くこの地域の歴史なんだね。
とか納得して?車に戻った。

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今津百瀬川園地

ファイル 4019-1.jpg高島市マキノ町中庄の琵琶湖湖北の岸にある中庄浜の北側で、「中庄浜」バス停前にトイレと車数台停められそうなスペースがあったので、湖を眺めようと停めて降りてみた。

駐車場という標記はなかったけど駐車禁止ともなかったし、車の通りも人通りもなかったのでちょこっと休憩するだけだからいいよね。

案内標示もあってトイレの前を抜けるとすぐに琵琶湖の砂浜。
雲間からこぼれた朝日を浮かべて広く静かに細かく小さな波を揺らしていた。

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浜の先に出るときれいな水の湖面は底が見えていた。
浜から北を見ると海津大崎がつききだして、奥の方には竹生島が浮いてるのが見えた。

水面には水鳥がゆらゆら浮いていた。カメラでズームして見たらオオバンかな。手前のは少し形違って見えててカンムリカイツブリかな。

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しばらく眺めてたら一旦雲に隠れた朝日がしっかり雲に挟まれつつ合間から細く顔出して湖面に一筋の光の帯を照らした。
その帯上の水鳥をズームで見ると黄金に包まれた感じで神々しく見えた。

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道の駅 マキノ追坂峠

高島市マキノ町海津の161号沿いにある道の駅。

ここは初めてではないと思うけど、はっきり寄った記憶がない。琵琶湖に下っていく追坂峠の下り坂へとスイスイ通過しがちな場所にあるし、琵琶湖の方から登ってくることはあまりないからだ。
それでもここに道の駅があるという事はしっかり記憶してて、今日はここで寝て、朝6時前に目が醒めた。
夜寝ただけなので折角だけど点景にするとは思ってなかった。

6時はまだ夜明け前で、少し明るくなり始めたというところ。
トイレに行って、温かい物でも飲もうかなと自販機に歩いた。

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大概の道の駅はトイレ近くに自販機があるように思うけど、ここは売店側の別の建物の方にあった。トイレ(と情報コーナー)の方は木の柱で最近っぽい感じなので、こっちは後から新設したのかもと思えた。

そして、売店前の看板の「絶景レストラン」のモーニングメニューを見て「9時からかぁー起きるの3時間早かったなぁ」なんて思いつつ、自販機の方を見た。
ら、
おもわず「おっ」と声が出た。大きめのスナック菓子とか用の自販機に何やらご当地っぽいグッズが売られていた。
「メタセコイア並木チョコマシュマロ」とか「カキーマカレー(柿のカレーのレトルト?)」とかあってこの道の駅オリジナルらしかった。
面白かったのが「とび太くんグミ」と「琵琶湖の水止めたろかグミ」。買おうかと思ったけどグミかぁ。。グミはあまり食べないからなぁ、、と迷った。
食べれそうなものとしては「さつまいもチップス」とかあったけど、「マキノ助のポン菓子」というのを買ってみた。

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マキノ助と名前付いてるけど、あんまし地域っぽいものでもなかったなぁ、、とか思いつつ、原材料を見たら「米(滋賀県産)」になってた。いいねいいね。
いやぁ、店閉まってる時間に来てもご当地ものを楽しめて素晴らしい道の駅だねぇ。

交通標語のユーモア賞の絵を見つつ(轢く気満々に見えてしまった)、建物の裏にまわったらデッキの展望台になってた。

見おろしてみたけどちょっと思ったより琵琶湖は離れててチョコッと覗ける程度だった。それでも明るくなりかけててどんな感じか見下せてよかったし、早く目の前の161号を下って琵琶湖を見に行きたくなる眺めと解釈すればいい展望かもしれない。

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そしてすぐ出発。と行きたいトコだったけど、窓の曇りがなかなか飛ばず、しばらくデフ強でまわして待機。
その間にさっそく「マキノ助のポン菓子」を開けてみた。
すこしは固まって入ってるものかと思ってたけど、米粒全部ばらけてた。。うわ食べづらい、と一瞬思ったけど、そっか、カップに入ってるんだから口つけて飲むようにサラサラと食べればいいのかと気付き、これはドライブ向きだ!と嬉しくなった。

それにポン菓子なんてい思えば超久しぶり。子供のころ近所の寺の縁日で買ってもらって食べつつ境内のハトにもあげたりして楽しんだなぁーとか思い出して懐かしくなった。


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草津PA

ファイル 3983-1.jpg大津市月輪の名神高速にあるパーキングエリア。

ここは初めての立寄り。だと思う。名神じたいそう滅多に乗らないし、寄ってるのはいつも大津SAだし。
なのでたまにはとその大津SAを通過してすぐ先のこっちに来てみた。そういえば行きにはこの草津で宿とっておきながら草津は町を抜けただけだったから、何気に帰りにこうしてその地のスポット寄れてよかった。(と思ったけど、上り線側は住所ギリ大津市なんだね。。)

とはいえ、PAだからトイレ休憩だけかもねーとも思いつつ、来てみたら洒落た売店とフードコートまである充実のPAだった。いやほんとSAとPAの差が所によってまちまちで知らないと難しいもんだよね。

ファイル 3983-2.jpgやった食事できるぞ!と食堂のメニューを見ると「近江牛焼肉重」とか気になるのが多かったけど、ご飯メニューはまだ朝定(と、唐揚げ)のみなのか券売機は×だった。。あら残念。
取り敢えず一旦引いて弁当とかでもいいかなと店内を見てみた。
ら、
「近江牛の肉巻き寿司」とかあったのでこれでいいやと購入。おまけで「鰻屋さんのまかないおむすび」というのも買ってみた。

そして外に出て木陰のベンチでいただきまーす。
何気にすぐ裏の奧にはひっそり隠れるように「草津宿」の標柱が立ってた。東海道五十二番宿場町だそうだ。五十三次中の五十二か。へえ。

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近江牛は小さくても安定の味わいでレタスとも合ってておいしかった。けど味的には鰻の方がインパクト強くて少し霞んじゃったかな。
軽いけどいい味の朝食になって満足。

っていうか、今年は六月から真夏のように暑かったけど、七月のここらで少し落ち着いて、朝乍らこうして外の木陰で食べてて気分いいというのがありがたい。
そして停めた車の目の前で食べれるのもやっぱり嬉しい。いい朝になった。

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タグ:餐:鮨 餐:肉 餐:飯 観:P

膳所城跡公園

ファイル 3977-1.jpg大津市本丸町の県道沿いにある城跡公園。

膳所は(ぜぜ)と読む。
日本三大湖城の一つだそうで気になってたし、県庁所在地の大津あたりには城跡はないかなーと地図見てて気になってた城跡。

さて、公園の入口にはそれらしい門があり水堀もあって城跡っぽくなっていた。案内もちゃんとあって現存の門は近隣の神社などに移築されてて文化財になってるようなので、公園の門は復元ものなんだろうね。新しくてしっかりしてた。

この膳所城は関ヶ原の合戦の後(つまり、関ヶ原の時にめちゃめちゃ攻められてズタボロになった大津城の代わり)に築城されて四階の天守があった城。天守は復元しなかったんだね。

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丁度朝日が通る門をくぐると本丸跡はひろーい爽やかな林の木陰の公園。城っぽさはゼロで歩く人走る人多く近隣住民の憩いの場になっていた。
築城当時は二つに分かれてて奥が本丸で手前が二の丸だったそうだけど寛文2年(1662)の地震の後に間を埋めて一つの本丸としたそうだ。

「膳所城址」という石碑と野外ステージがある中央の少し高くなった所が天守跡かなと一瞬思ったけど、そういえば北側にあったと案内にあったから全然違った。他には「平和の礎」とある観音像とか小さな祠の神社とかが点在してた。

そして北の湖岸側に進み、「天守閣跡」の石柱や鳥瞰的な絵図の案内を見つつ、「粟津の晴嵐」と評された湖上の城を想像しつつ、石垣の間から琵琶湖の畔に出てみた。(実はこの石垣だけは現存の遺構だとか、、ホント?)

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いやぁー正に対岸に登ったばかりの朝日が湖面を輝かせてて、目の前に見える近江大橋も立派に見えていい眺め。城跡はともかく湖岸の公園としていい所だった。目の前の琵琶湖は南の先の狭まった部分だけどそれでも広く気持ちいい景色だった。

そして公園内を南に進むとその先に橋が架かってるのが見えた。
ウオーキングコースとして架けられた橋のようだけど、その先には台所櫓のような風貌の建物(浄水施設らしい)があった。ここからは公園外だけど、向かいは二の丸跡なので渡ってみた。

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橋の上から覗く袂の水面は菱の葉でいっぱいだった。
そんな中を何羽ものカモが泳ぎ遊び潜ったりして戯れていた。そしてよく見ると小さな花の咲いてる菱もあった。昨日の池では見れなかった花をここでゲット。満足。

渡った二の丸跡側はウオーキングコースしかなく、石垣風に整備された湖岸では釣りをしてる人がいたけど、「外来魚リリース禁止」の幟が立ってて「外来魚回収ボックス」もゴミ捨て場くらいの大きなの物があった。

水面を覗くと小魚にも満たないくらいの稚魚が覗けた。種類は分からないので(写真ではバスっぽく見える、、)喜んでいいのか微妙な気分だったけど魚には罪は無いからねぇ。

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二の丸跡の案内はなくまぁ仕方ないと橋を戻った。少し橋の上で景色を見るふりして釣り人を眺めてたけど、釣れる気配もなかった。残念。

公園に戻って、寄ったお手洗いも櫓風な姿だった。ああ、入口の門もこれと同時に造ったんだなと思えた。

最後にその門を裏から眺めつつ、移築された現存の文化財の門も見てみたい気持ちがあるにはあったけど、形はそう変わらないだろうと思ってこれでいいかなと、城跡公園としていい朝の散歩ができたと満足で車に戻った。

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めんや三平

ファイル 3976-1.jpg彦根市高宮町の県道沿いにあるラーメン店。

メインメニューは近江ちゃんぽんだということで調べて来てみた。
近江ちゃんぽんは大好きだけど、まだ「近江ちゃんぽん亭」でしか食べたことなくて、他の店でも食べてみたかったのだ。

店は駐車場が広めで入りやすかった。
丸太じゃないけど木の山小屋風な喫茶店風な店で中は意外と広かった。

ファイル 3976-2.jpgカウンター席は手前は埋まってたのですいてる奥の方で席に着いた。
メニュー見ると一番人気は「あんかけちゃんぽん」だそうでそそられたけど夏なので無理だと思い、普通の近江ちゃんぽんにした。

っていうか、待ってて落ち着いてみて気がついた。なんか奥の方、冷房の効きが弱く暑かった。。いやこれからちゃんぽん食べるのにこれはまずいなぁ、どうしよう、席の移動を言い出すのもなんか今更だし、、とウジウジしてたらちゃんぽんでてきた。

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うん、やっぱ近江ちゃんぽんはこうなのね、透けた汁の黄金だしでいい味のちゃんぽん。麺が細くてまるでラーメンだったけど、もちもちの食感はちゃんぽん。おいしかった。
けどやっぱ暑かった。食べてるうちに汗だくになった。失敗したわ。

食べ終えて会計の時にカウンター入り口側に来たら冷房きいてた。。えー。大失敗。ボックス席でもいいから入り口側に座ればよかった。

もうここは来ないだろうな、、と思って出たけど、寒くなって自分の席のチョイスがマヌケだっただけじゃんと思えるようになった時には「あんかけちゃんぽん」に来てみたいものだ。

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南花沢のハナノキ

ファイル 3975-1.jpg東近江市南花沢町にある国天然記念物の樹木。

案内見かけて寄ってみたんだけど、307号沿線の駐車場みたいになってるトコには木はなく、どこにあるかも書かれてなくてチンプンカンプン。で、諦めて出発したらすぐ先にも案内あったので曲がってみたら神社があったのでその駐車場で車を停めてスマホで調べてから歩いた。

神社は八幡神社。ここにあるらしいけど入ってすぐはどの木か分からず、取り敢えず案内板があったので読んでみた。

っていうか、それよりも境内は黒い羽のハグロトンボだらけでそれが気になった。歩くと波のようにサーっと飛んで散るくらいの濃さだったけど、写真はうまく撮れずみんなブレブレだった。まだ明るいつもりだったけど光量足りなかったね。

ファイル 3975-2.jpg

境内の奥には池の祠もあって、あーここでヤゴ育ってるのねと納得。
あ、いやいやトンボ見に来たんじゃなくて木じゃん。と振り返ったら屋根付きの所に枯れた木の幹があって、横に「御神木」の案内上があった。あーこれかぁ。
案内によると衰えから平成22年に主幹が倒壊したそうだ。それでもまた国天然記念物なの?すごいな。

ファイル 3975-3.jpgというか、よく見たら境内中央に達筆な文字の石柱に「天然記念物花の木」というのがあり、主幹を失っても生え伸びてる若い枝があった。

もう巨木ではなくなってしまったけど、こうして残るのも尊いものだね。

っていうか、そんなことより痒い。。うわー蚊だらけじゃないか。
そりゃまぁトンボが沢山いて藪が多けりゃ蚊もたくさんいるわな。さっきの池の公園ではぜんぜんいなかったから油断してた。
足をパンパン叩くだけで二三匹の蚊を潰せるくらいの猛攻から逃げるように車に戻った。っていうか、虫よけちゃんと車に積んでるんだからかけてから歩けよな自分。

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