記事一覧

多鯰ヶ池弁天宮

ファイル 2051-1.jpg鳥取市浜坂の県道沿いにある池に突き出た塚の神社。古墳でもあるそうだ。

幾つもの案内板があって、多鯰ヶ池(たまがいけ)の概要と伝説が書かれていた。
池は周囲4.3kmで水深17.3m、中国地方で一番深い池だそうだ。(そういえば中国地方で湖沼というと海が途切れた「潟」くらいしかなくて、宍道湖でも6.4m、中海は17.1 mだそうだ)

そして弁天宮のある部分は昔は大島という島で、砂丘からの飛砂が間を埋めて江戸時代後期には陸続きになったんだそうだ。

さっそくその弁天宮の陸繋島に歩いてみた。うんうん見た目も島っぽい。

ファイル 2051-2.jpg

石段を下って進むとしっかり森の中で涼しく、ヒグラシが沢山啼いていた。
すごく雰囲気と感じのいいとこで、広く池が見渡せるようなところはないけど、木々の間から覗いた池の水面は鏡のように静かで、対岸の森を映してて、小島をズームで覗くとそこにある祠も素敵だった。

矢印で順路があって、石段を登ってまず中央の弁天宮にお参り。
小さいながらもちゃんと拝殿の裏に本殿がある神社だった。

ファイル 2051-3.jpg

横には旧社殿があった、以前は小さかったようだ。
矢印に沿って下ると下には物置のような地蔵尊堂、池を覗きながら少し歩くとお種の社というのがあった。ん?お種と弁天は別なのか。
ここにも案内板があって「お種の伝説」が細かく書かれていた。

お種と言うのは、とある長者屋敷で使用人として奉公していた美人の女性の名で、使用人仲間との休憩時間に甘い柿を持ってきてたそうだ。
いつも持ってくるので不思議に思った若者が後をつけると、この池のほとりで蛇の姿になり、泳いで柿の木のある小島に渡って実をとってたのを目撃。正体がばれたお種はそのまま戻らずに池の主になった。
 という伝説だそうだ。

どうもこういう伝説ってついつい疑っちゃうんだよな。
ホントは小島に隠し財産を埋めてた使用人を池に沈めて横取したんじゃないか、、、とか、
池で裸で泳ぐのが好きな女性を覗いててたまらなくなった若者達が、、、とか
どちらにしても酷い目にあって死ぬことになった女性の呪いを鎮めるために祠をたてたんじゃないかと、差しさわりない伝説にすり替えたんじゃないかと、、考えちゃうんだよな。

ファイル 2051-4.jpg

ファイル 2051-5.jpg池を覗くと島が見えた。あの島が柿の木のあった島かな。真ん中に小さな赤い鳥居が見えた。(今生えてるのは柿の木じゃなくて松だよね)

池の対岸にはスイレンの花が咲いているのも見えた。

そしてそこいらじゅうで啼いてるヒグラシは、樹の裏の池側に隠れるようにとまってた。

また木々の合間から池を覗きながら段を上って車に戻った。
池のまわりは一周一時間程度で歩いて廻れるそうだけど、、それはもういいかな。雰囲気いいとこでイイ休憩になった。

タグ:景:湖 景:森 景:島 観:宮 観:伝 植:花 動:虫

砂丘海岸

ファイル 2050-1.jpg鳥取市福部町湯山の県道沿いにある日本海に面した砂浜。

むかーし妹を連れて来たことがあり(91/9/16)ちょっとなつかしくなって立ち寄ってみた。

鳥取砂丘へ続く海岸で、砂は砂丘と同じようなサラサラな砂で、砂丘のように歩かずにすぐに海に出れる浜辺。
若かったからか、その時は砂丘見るより浜辺の方が楽しかった気がする。

で、久々にその海岸。

お、かわってないなー
とか思いつつ砂の先の浜に歩いたら護岸工事済みでコンクリ階段ブロックの海岸だった、、

ファイル 2050-2.jpg

んーウン十年も経てばやっぱこうなるか、、
昔は自然な感じの砂浜だったんだけどなぁ。
っていうか満潮?それとも砂が減った?浜が狭くなった気がした。

海に浮かぶ海土島も浜の先に見える駟馳山の眺めも変わらず、水もきれいそうで、歩きやすいし、ちょっと寄るくらいの休憩にはまぁいいかな。

と、階段ブロックを歩いて見てたら、歩く方向にサーッと沢山のフナムシならぬベンケイガニが逃げていた。
うわぁスゲーいるなぁ。
素早いので遠くの子をズームでないと写真撮れなかった。

ファイル 2050-3.jpg

なんか、片手のないカニが多く半数くらいがそんな風に見えたけど、生え替わる?なんて事ないよね。ケンカするのかな?
でも立派に大きくなってる子も片手だったりするので、平気なのかな?

ハサミで何かを摘んでモシャモシャと口に運んでる姿はカワイらしく少しのんびり眺めた。

タグ:楽:眺 景:海 景:浜 景:島 景:山 動:虫

境台場公園

境港市花町の境水道前にある公園。
ちょっと気まぐれで寄ってみたんだけど、昔の海岸線に面した部分の土塁だけでなく内側の敷地一帯が広場となって公園になっていた。

まず、チラホラ咲き始めてたツツジを見ながら土塁を登ってみた。

ファイル 1965-1.jpg

台場は幕末に鳥取藩が黒船来襲に備えて築いたもので、国の史跡になっている。
往時は土塁上に十八斤砲二門、六斤砲一門、五寸径砲五門を配備してたそうだ。っていうか、ここが海岸線だったのか。。

その土塁上を歩くと林の先に旧式灯台が見えた。おお。
なんか山形で見たような灯台だぁ!とか思ったらその通りで、酒田のその木道洋式六角灯台を模して復元したものだそうだ。なので、これは展望台にもなってて休日は10時から無料開放してたそうだ、、
明治28年(1985)に作られて昭和9年(1934)に消灯、40年に解体だそうだ。

ファイル 1965-2.jpg

グルッと見て裏(海からは表)にまわると、境水道大橋が見えた。
実はこの橋がよく見えるかなーって思って寄ってみた公園だったりして。
元有料道路ながら何度も通ってる橋で、けっこう勾配あったと思うので、何かと話題の壁のような坂の橋ってこれのことかと思ってたんだけど、それは別の橋で通ったことない道だと最近気付いた。

さて、更に林のような土塁上を歩くと、木々の合間にまたなにやら塔のような物があった。
これは「慰霊塔」で、昭和2年(1927)目の前の美保湾沖で海軍連合艦隊が夜間大演習を行ってた最中、艦艇の多重衝突事故をおこし大破や沈没した艦の殉職者慰霊のための塔だそうだ。

ファイル 1965-3.jpg

巡洋艦「神通」が衝突した駆逐艦「蕨」が沈没、巡洋艦「那珂」が 衝突した駆逐艦「葦」は大破、殉職者と自決した艦長で120名が亡くなったそうだ。(神通さん、、、那珂ちゃん、、、)

慰霊塔は森に隠れるようにあるし、海も見えないし、少し木は減らしてもいいんじゃないかな?と思った。

ファイル 1965-4.jpgそして南の端まで歩いて広場に出た。
(南端には「境航路標識地」という基準点みたいな石柱があった)

南と西側の土塁は低くこんもりしたくらいで、南の土塁には大きな黒松の樹があった。
この樹は「連理の松」と呼ばれてるそうで文久3年(1863)の台場構築当時に植えられたものだそうだ。
他にも「皇太子行啓記念植樹の松」が並んでいた。

ファイル 1965-5.jpg

ふりかえって正面の橋の手前の林の中の、高い樹の裏に少し見える松は灯台が出来たときに植えられたものだそうだ。

なんかいろいろあって、朝から歴史にも触れられて、ちょこっとの散歩も楽しめた。

タグ:観:園 観:史 観:灯 観:塔 観:軍 観:橋 観:石 植:花 植:樹

夢みなと公園

ファイル 1964-1.jpg境港市竹内団地の美保湾に面した埋立地にある公園。
弓ヶ浜を見返す形に出っ張った埋立地なので眺め良さそうと思って来てみた。

駐車場から土手を登るとその上が公園。
変なパラボナみたいなモニュメントがあった。覗くと穴が開いてた噴水?

そして海が広く見えた。
けっこう思ったよりも浜からは突きだしてて弓ヶ浜はやや遠かったけど、ずっと続いてるのが見えたし、海が広く見えたし、その弓ヶ浜の先の対岸には大山が見えてたし、朝日も眩しかった。

ファイル 1964-2.jpg

んー
潮風ゆるく燦々と注ぐ朝日が気持ちイイ。

公園の先にはさかなセンターという市場、夢みなとタワー、日帰り温泉と続いていて、朝はもちろんどれも開いてないけど、昼間から夜までは更に賑やかそうだなぁ。っていうか朝も歩いてる人とかはわりといて賑やかだった。

そして岸には大勢の釣り人。
少し眺めてみてたら、意外とルアー釣りをしてる人が多かった。

ファイル 1964-3.jpg

引き上げる帰り際の人が、堤防から釣れた魚を下ろすのが見えた。けっこういい型。何の魚か分からなかったので、近くを通ったときに「何の魚が釣れるんですか?」と聞いてみたら鰆(サワラ)だそうだ。
へーーおいしそう!ルアーで鰆かぁ。
また昔みたいに釣りしたいなぁ、、道具一式積んでドライブしようかな、、

タグ:景:海 景:浜 景:山 景:陽 楽:眺 楽:話

湊山公園

ファイル 1807-1.jpg米子市市西町の中海米子港にある公園。
米子城を歩いて満足だったので駐車場でターンするだけのつもりだったんだけど、トイレだけ寄ろうか、、と車を停めて、んじゃあ折角だからちょっと中海を眺めて行こうか、、と歩いてみた。

駐車場の前には県立の「米子艇庫」というボート競技施設があった。
あーなるほど、城の上から見えてたボートはここから出てたんだね。米子はボートが盛んなんだ。

そして駐車場前の低い堤防をのぼると、目の前に広く中海が見えた。
おーいいね。
湖は城の上から見るよりこうして間近で広く見えた方が眺めイイね。
この中海は日本で五番めの大きさの湖(え、宍道湖より大きんだっけ?)、湾が砂州で塞がれた潟タイプの汽水湖。
この米子に面した中海は奥に入りこんだ湾のように細く、口に島と岬があって別れて見える部分で、昔は「錦海」と呼ばれていたそうだ。

ファイル 1807-2.jpg

朝の湖岸は歩く人や走る人や犬連れた人などいて、誰も見かけなかった城跡とは違ってた。ゆっくり湖を眺めて、湖上のボートを眺めて、水面を飛ぶ鵜を眺めた。
振り返ると、登ってきたばかりの米子城址。あーあそこに天守が残ってたらさぞかしカッコいいだろうになぁ。

水際まで下りて覗くと水はきれいだった。けど、魚影は見えず底の貝だけしか覗けなかった。

それと、湖岸の道には「錦公園」の案内板が並んでた。あれ?錦公園?湖岸は違う名前の公園なのかな?(旧名だそうだ)
その案内に公園の端にある「清洞寺岩」というのが出てたので、そこまで行ってみようかと歩いてみた。

歩いてたら少し朝日も差してきて嬉しくなった。
その朝日と「夕日の像」(反対側から夕陽を覗くモニュメント)を写した写真は、後から見たら目の前を飛ぶスズメバチが写ってた。気が付かなかった、、

ファイル 1807-3.jpg

飛ぶ鳥や潜る鳥、遠くに浮かぶ島を見ながら堤防の端まで歩いたけど、岩はなかった。。あれ?おっけじーのー。
隅の休憩所のカエルの水飲み場(他でもたまに見るやつ)だけ見て引き返そうかと思ったけど、なんか納得いかず、そこから内陸側に折れた先も公園になってそうだったから案内でもあるかと進んでみた。

ファイル 1807-4.jpgら、ここは庭園のような池のある公園で、その池の端に岩がゴツゴツと並んでいた。
あ、あの岩の事かな?と回ってみると、どうやらそのようで、此処は昔、清洞寺という寺のあった場所、巨石は以前は中海に浮かぶ岩島で亀島と呼ばれていたそうだ。
この岩々こそ往時の湖岸の姿の名残、今まで歩いてきた堤防どころかその内側の公園部分全体は埋め立てられて造成されたものだそうだ。

その岩の間からネコが出てきて石段の松ぼっくりでジャレて遊んでた。捨て猫だろうけど可愛かった。
岩を見るとあちこちに札が貼られていた。案内板には地蔵信仰の「札うち供養打止め」の聖地とあったので岩には触れないようにして眺めてまわった。

ファイル 1807-5.jpg

ファイル 1807-6.jpgそして来た道を戻る。
わぁ、けっこう歩いちゃったなぁ、、と長い堤防の道を見て思った。
昔はこの道も左側の公園までもが湖上で、長い砂浜が3㎞も続いていたのかと思うと勿体なくも思え、でも散歩するには楽でありがたいとも思えた。砂浜だけだったら歩かずに眺めるだけだっただろうね。
(埋め立ては戦後の干拓淡水化事業による水質悪化と経済成長期のゴミで荒れ果てた湖岸の整備ということだそうだ。淡水化って、、外来魚どころの騒ぎじゃないじゃん)

黙々と歩いてたけど、行きは湖ばかり見てたからか、内陸の公園は全然見てなくて、帰りにはじめて公園内にあったSLに気が付いた。
ちょっとおまけ気分で公園側に下りて眺めてみた。

おお、かっこいい。
これは昭和49年まで米子を走っていた「D51蒸気機関車」の静態保存されたもの。51年からだそうだから廃止してすぐに持って来たんだね。

ファイル 1807-7.jpg

当時からのそのままのような朽ち果て方だけど、錆びて流れた塗装の油の青い筋もそれはそれでいい感じ。鎮座して四十数年の歳月というものを感じさせる。
っていうかSLってすごいよね。原動機むき出しの突っ走る窯だもんね。力の象徴、在りし日の漢の姿!って感じだよね。

といろいろ楽しめた公園だった。
「米子艇庫」まで戻って朝練終了後の片づけ風景と、飛び石のように水面をはねるボラを眺めて駐車場に戻るともう8時。
わお、城跡登り始めたのって何時だっけ?(6時半)早朝のつもりでのんびりしてたけど、平日の通勤時間という嫌な時間になってしまった。。慌てて出発した。

タグ:楽:歩 楽:眺 景:湖 景:島 景:岩 観:園 観:船 観:鉄 動:鳥 動:獣

米子城跡

米子市久米町にある城跡の山。
一度行きたいと思ってたような気のせいなような、、というくらいの感覚だったけど気まぐれに寄ってみた。

歩き出しの登山口には案内板も地図もなく、「城山登り口」とあるだけでどのくらい登るのか分からなかったけど、昨日一日雨で全然歩いてなかった分、歩く気満々で意気揚々と進んでみた。

道は城跡というのを忘れるような結構な登りで、運動不足の身には少々堪えつつも休憩挟まず一気に登った。

ファイル 1806-1.jpg

ら、
森を抜けることで石垣が見えて湧いた。おお、意外と城らしい城だぞ。
ここまで結構かかったような気がしてたけど画像の時間で見ると登り始めからわずか七分。。もっと登ってたような気がしてたけどそんなもんか。(思い返してみれば、「鳥取城」なんかに比べたら全然比較にならいくらい楽だった)

で、そこまで登り切ると一気に視界が開けて、目の前に立派な石垣の城跡が現れた。おーおーおーカッコイイ!
案内板もないような城跡だからひょっとすると展望すらできないくらいの埋もれた城山かもしれないぞ、、とか危惧してはいたんだけど、これは登った甲斐ある立派な城郭。驚いた。
往時はこの右に大天守、左に小天守を構えた堂々たる城だったらしい。
そんな城郭とその前に広がる米子市街を眺めながら呼吸整うまで些休憩。

ファイル 1806-2.jpg

天守跡前に突き出た櫓台みたいな「番所跡」越しに景色眺めていたら、すぐ近くでコツコツコツと木を叩く音が聞こえた。何かなと思って見まわしてみると、すぐ脇の桜の木の枝を小鳥が叩いていた。
キツツキかな?と思ってよく見てみたら文鳥のような模様のヤマガラだった。
っていうかそんな近くでわざわざ自己主張するように叩かないでよ。一瞬何事かと驚いたよ。

さて、石垣を回るように進んで「鉄御門跡」から本丸に登った。
ら、こっちも近くの木でコンコンコンと木を叩く音。
こちらは見てみたらシマシマ模様のキツツキ(コゲラ)だった。
なんかまるで僕が歩いてきたのを周りに知らせるようなタイミングで焦ったw(ちる様のおなーリーって感じ?)
そして本丸は広々とガラーンとしてて眺め抜群!
その先の天守台の先に手に取るように見下ろせる米子市街の眺めが広がってて絶好の展望所。
こーれは気持ちよかった。登ってよかったーと心底思える城跡だった。

ファイル 1806-3.jpg

自分以外他には誰もおらず、思う存分ゆっくり展望して回った。
米子市街から中海も少し見えて、カメラでズームしてみたらからボートが何隻も見えた。朝練風景かな。

雲は濃いけど雨降りそうな様子もなく、雲の裏の朝日の光りが月みたいに小さくうっすらと見えていた。

そして小天守跡の先っぽの角に大きな石が乗ってたのが気になった。何だろアレ。

ファイル 1806-4.jpg

ゆーっくり本丸を三周くらい廻って展望終了。
(写真撮りながら一周、自分の目で見て一周、こーんなところを悠々と歩いてると実感しながらもう一周てとこかな)
裏側の水手御門跡から本丸を下った。そしてその本丸の石垣の脇を廻って下った。

「遠見櫓跡」を過ぎて、三段になった石垣に沿って下ると、思った通り道はちゃんと元の「番所跡」に出れた。よかった、別の方向に下りることになったら面倒だなと思い始めてたトコだった。
登山道は暗い森で入りたくない気分だったけど仕方ない。登って来た道を下った。

ファイル 1806-5.jpg

そういえばその登山口の中間で「内膳丸跡」への分かれ道があり気になってたのでちょっと行ってみた。

ここは出丸のように長く突き出た曲輪で往時は二層櫓の武器庫があったそうだ。
でもちょっと雑草が茂ってて、その先に東屋の休憩所があるものの、木々に覆われ展望ゼロ。中海がよく見えそうな場所だけに勿体ない。
そして振り返ると正面に本丸の山頂が見えた。天守が残ってればベスポジだったろうにね。

ファイル 1806-6.jpgそして元の登り口のテニスコートまで下った。
此処は実は二の丸跡で、御殿はここにあったそうだ。
「御殿御用井戸跡」なんてのもあったけど、ちょっと荒れていて覗けなかった。

なーんか、アレだけの凄い城郭の立派な城跡なのに、案内板もない怪しい登り口って勿体ないよなぁ、、(テニスコートの先にある赤い屋根の建物は市内の武家屋敷から移築された「旧小原家長屋門」だったそうだ、、そのくらいの案内は出してて欲しかった。。。)とか考えてて、ひょっとしたらこっちって裏のルートだったのかも?とか思ったので、その後、車で山沿いに少し進んでみた。

ファイル 1806-7.jpgらば、
その奥にある「湊山公園」の前の方は城跡の入口っぽくなってて案内板も立っていた。。

あーこっちが一般的には正面だったのか。
「内膳丸跡」の手前で交差した道ね。
けど、さっき登った道が近道コースだったようだし、城としては二の丸からの正しい順路なのでまぁいいかな。そのギャップがあったから堂々たる城郭と展望をより一層感激できたのかもしれないしネ。
朝から思いがけず満足の城歩きができてよかった。

タグ:観:城 観:石 景:山 景:湖 景:町 楽:登 楽:眺 動:鳥

かにっこ館

ファイル 1588-1.jpg鳥取市賀露町西の鳥取港前にある県立の水族館。

っていうか、てっきりそのネーミングからカニの販売専門館みたいなもんかと思って来てみたら意外や意外、なんと入館料無料のミニ水族館だった!
あれー?全国の無料の水族館は調べてたんだけど、ここは完全に知らずにノーチェックだった。
でも、どうせ中は販売目的の市場の生簀水槽とかじゃないの?なんて思って入館したらアニハカランヤ。。ちゃんとした水族館。

子供にもうれしい触れる磯の生物コーナーから始まり、鳥取の海の大型水槽!サメやエイやタイやヒラメが悠々と泳いでいた。

ファイル 1588-2.jpg

好感持てたのが脇に並んだ小さい水槽で、ウツボやオコゼなどの近海のぶちゃいくな魚がキレイなレイアウトの水槽に入ってることで素敵に見えてじっくり観察したくなるところ。
ウツボって綺麗だったんだねぇ。
黄金のオニオコゼなんていう珍しく可愛らしいのもいた。

チンアナゴみたいな人気者もいるけど、鳥取近海のアジやカワハギまで熱帯魚のように可愛く泳いでいた。

そして奥のフロアはカニがメイン。
いろんな形の変なカニから見覚えある美味しそうなカニまで、やっぱりキレイな水槽で沢山並んでいた。

ファイル 1588-3.jpg

で、どのカニにも産地が標示されてて、変わった形のどこの世界のカニだよっていうのが意外とみんな鳥取産だったりした。

カニっていろんなのいるんだねぇ。。毒があるやつもいるんだ、、
水槽の上の解説も分かりやすく面白く生態に興味持てた。

そして、特別公開のバックヤード的な脇の部屋に入ってみると、サカナ君のサインとかあったりして、水槽にはフウセンウオが泳いでた。
けど、注目は奥の水槽の「白いキジハタ」
これは神々しいくらいきれいな白! 見蕩れた。
目が赤くないからアルビノじゃないらしく原因不明の奇跡の一匹だそうだ。(「採取方法:釣り」というのも笑えた)

ファイル 1588-4.jpg

とゆっくりみて回って存分に楽しめた。これで無料は凄い。
たまたまだけど来れて良かった。


さて、水族館のあとは一応隣に並んだ魚市場も覗いてみた。
やっぱさすがに連休中日の昼間で混みあってて、飲食店は長蛇の列。。
混んでるトコで食べる気はなく、土産も今回はいいかと眺めつつ、焼いたものとか試食できるものが多かったので摘んで回った。

ファイル 1588-5.jpg

そしてほぼ全品試食できる「とうふちくわの里 ちむら」ではもう食べまくりww
どれも美味しくて申し訳ないから、車で食べる用に串に刺さった揚物二品だけ買った。


そして車に戻って出発するかな、、と思ったけど、そういえば目の前海なんだと思い出して、浜辺に歩いてみた。

もうここは砂丘じゃないけど、それでも広い砂浜で、海岸の先に穴の開いた岩の島(伏野大島)見えた。

ファイル 1588-6.jpg

ズームして島を見てたら、レンズにゴミが入ってた。。(島の間の脇の黒いの)
あーこういうの修理してくれないんだよね。。
(帰ってみたらゴミだけじゃなくて画像も崩れてたり部分的に色飛んだりしてるのもあった)二年半しか使ってないけど寿命か?

そして出発。
走りながらさっき買った「白ネギ天」と「いかっこ3兄弟」を食べた。
味見で確認してるだけに当然うまかった。

ファイル 1588-7.jpg

タグ:動:魚 観:館 景:浜 景:島 食:串 餐:揚

道の駅 きなんせ岩美

ファイル 1475-1.jpg岩美町新井の9号沿いにある道の駅。
今年の7月にオープンしたたばっかの道の駅で、先月来たばっかの2回目。その先月は早朝でコンビニしかやってなかったけど、今日はもう昼過ぎで賑やかだった。
で、今日は舞鶴での寄り道がゆっくりし過ぎちゃって思ってた以上にペース悪くて、この先はもう寄り道最小限でと思ってた中で立ち寄った道の駅なので、ここでしっかり食事しちゃおうと思ってた。

食堂の前でメニューを見ると、なんかしっかりした海鮮料理店みたいな雰囲気、、
いやいや道の駅の食事処で怯むことはない!と中に入って、通された席は水槽の前の席。おお!いいねー。
目の前にユラユラ泳ぐイカがかわいかった。

ファイル 1475-2.jpg

さて、メニューはすこし迷ったけど、「朝獲れ海鮮丼」はなんか地魚っぽくなかったのでヤメて「骨まで愛して御膳」という煮カレイ定食にした。このあたりの漁港でカレイをよく見かけた気がしたからね。

で、その「骨まで愛して御膳」、タコ、ブリ、イカの刺身も添えてあった。

ファイル 1475-3.jpg

食べてみるとこれが驚き!その名の通り骨まで柔らかく煮てあって頭からまるまる骨毎食べられる煮付けだった。(一番硬いのは目玉だった)
すげー。こんなのはじめて。
散らかさずにゆっくり御飯と味わって食べられた。

ただ、ちょっと悔しかったのは、定食の松茸ご飯サービスというのがあったようで、それまでの客には「本日は松茸御飯になってますがよろしかったでしょうか」なんて伺って配膳してたのに、自分の直前で松茸ご飯が終了で、何も言われずに通常の白米で出たとこ。
「サービス終了で白米ですがよろしかったでしょうか」と言えとはいわないけど、松茸の方だけ気配りされてて面白くなかった。
けど、そんな些細な不満をすぐ忘れるくらいのおいしい煮付けで、満足の昼食だった。


ファイル 1475-4.jpgさて、食後は少し物産店内を見て歩いて、ちょっと気になった梨のゼリー「なしおゼリー」を買って飲んでみた。
値段見ないで買ってみたんだけど、思った以上の値(思ってた倍以上)でびっくり。
でもストレート梨汁80%の濃い梨味で甘くておいしかった。
鳥取っていったら梨だよね。
でもちょっと二十世紀梨の発祥の地の松戸市民としては地元にこういうのがないのが悔しく、鳥取まで来て味わってるのも滑稽な気もするけどね。(地元じゃ梨は市川とか白井の方が強いし、キャラ物じゃ船橋より目立てないしねぇ、、)

タグ:食:定 餐:魚 餐:煮 餐:飲 動:魚 道の駅

所子伝統的建造物群保存地区

ファイル 1459-1.jpg大山町所子にある古い町並みの集落。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている町並みだけど、驚いたことに表の県道から一切の案内はなく、駅前の大雑把な観光マップにも出てなく、唯一のってた国重文の「門脇家住宅」の点の位置を見ておおよその位置をつかんで来てみた。
学校の裏あたりなのでここらへんかなぁ、、と細い道に進入して不安に思いながら進むと、集落の入口に広い駐車場(小学校跡だったらしい)と案内板が立っていた。隠してるなぁ。。

来るまでは、町並みは車で通り抜けて「門脇家住宅」だけ降りて見てみようかと思ってたんだけど、案内地図を見たら此処以外に駐車場も停められそうなトコも無さそうだったので、まあいいか、と、集落を一回り歩くことにした。

歩いてみると意外と広いみたいで、駐車場のある近代の区域と「門脇家住宅」のある『シモ』と呼ばれる江戸時代に造られた区域の間には田畑が広がってて、やっぱ車で回ればよかったかな?とか思った。
けど、
花畑の入口から入った『シモ』の道はいきなり屋敷の塀が続く雰囲気ある町並みで、青い空と眩しい日差しの下でしっとりと上品に輝いて見えた。

ファイル 1459-2.jpg

「駒繋ぎ石」なども見ながら、ほとんど観光地化されていない自然に佇む町並みを進むと、その国重文の「門脇家住宅」があった。(それ以外にも県重文の「門脇家住宅」が二棟あるんだけど)
ここだけはさすがに重要文化財の標柱と解説板が立っていて、明和6年(1768)建造の大庄屋屋敷で、改造が少なく保存も材質も極めてよいものだそうだ。
けど、 なんと現役の一般個人邸宅なので見学は不可。。
だまって門を入ると不法侵入にされかねないので、門から覗くだけだったけど、見たらなにやら修復工事のように足組みが組まれていた。(屋根の葺き替えだそうだ)

ファイル 1459-3.jpg

その先の道も歩いた。
道は細めで曲がりくねり、わざわざ車で入り込むには不安すぎる形、やっぱり町歩きで正解だったな。
さっきの弥生遺跡で歩いた後なので少々の疲れはあるけど、風もあってそんなに暑くなく、でも静かな田舎の夏休みみたいな心地いい散歩だった。

そして『シモ』を抜けてまた田畑が広がったトコで東に曲がり、ぐるっと回る形で今度は鎌倉時代からの村落部区間『カミ』に進んだ。

その『カミ』の入口(出口)には江戸時代の力士墓の石碑、六地蔵に集められた石塔石碑群、そして「サイノカミ」というしめ縄をした双神像の石があった。

ファイル 1459-4.jpg

『カミ』はわりと新しい家が多く雰囲気は薄かった(意外と庭先にはスポーツカーがある家が多く余裕ある暮らしぶりに見えた)けど、脇をサラサラ流れる「ツカイガワ」という水路の水がキレイで涼やかな上に、覗くと沢山の小魚が泳いでいた。水草もトンボもいい感じでそっちばかり気にして歩いてた。魚はなんだろ?フナの稚魚?川の合流するところでは少し大きいのもビュンビュン泳ぎ回ってた。
そういえば以前にこの付近の名水100選「天の真名井」に来た時に歩いた周辺集落も水路がキレイだったなぁ。さすが大山の麓だね。(2009/3/21→)

そんな『カミ』の区間は街角に「力石」とかいろいろあった。

ファイル 1459-5.jpg

そんな街角にあったタブの木が、大きくはないけど町にしっくり馴染んでていい雰囲気。(樹齢100年の境界木だそうだ)足元には立派なサルノコシカケが生っていた。

そして少し広場みたいになった中央に屋根付きのお地蔵さん。寛政元年(1989)に置かれた薬師如来だそうだ。

その先でブロック塀が生垣に変ると駐車場が現れた。あれ?ここにもあったんだ。これは国有形文化財の「美甘家住宅」用の駐車場。庭園もあって一般公開してるようだった。

凄くカッコいい生垣の入り口から門をくぐって中に入ってみた。

ファイル 1459-6.jpg

そして柵の周りからその庭園を見て回ってたら、美甘家十五代目当主という家のお爺さんが出てきて柵の中にも入れてくれて、いろいろ話を聞かせてもらえた。
この庭園の石は富士山の宝永大噴火の時の溶岩石を船で運んだものだそうで、変遷あって巡ったので経緯は複雑らしいけど非常に珍しく、静岡山梨の方はもとより全国から見に来る人がいるそうで、沖縄の人も来たそうだ。へー。
そして富士の形をイメージした松ノ木もとても好評だったそうだ。
そんな自慢の庭はみんなに見てもらいたいけど、ここも家屋の方は現役邸宅なので開放してないんだそうだ。残念。
でも、話しも一方的ではなく感じのいい主人で、いろいろ聞けて楽しめた。ありがとうございました。

そこからは少しぐるっと回って生垣の道を進み、『カミ』の区間を抜けて賀茂神社に来た。
実はこの賀茂神社が所子集落の中心で、鎌倉時代に京都の賀茂神社の所領だったこの地にこの神社が建てられて『カミ』が形成された歴史ある集落ということだ。そして江戸時代に鳥取藩領になって『シモ』ができて、明治以降に駐車場近くに村役場と学校ができて広がった。ということらしい。

ファイル 1459-7.jpg

ってわけで最後に神社にお参り。
神社は鳥居のすぐ中に小さい瓦屋根の随神門が並んでいた。

そして近代区域に戻ってきた。
駐車場より少し手前の辻に出たんだけど、角に日清日露の戦没者をまつる慰霊碑があって、大砲の砲身が置かれてた。これは装甲巡洋艦「春日」の砲身だそうだ。(塔のように立ってる筈なんだけど、横になって置かれていた。倒れたのかな)

という感じで、弥生遺跡に続いては鎌倉から江戸、明治、大正くらいまでの歴史をランダムに歩いた。
なんといってもここはほとんど観光地化されていない普通に暮らす集落で自然な形で見て回る集落の姿がとても良く、フラりと歩く夏休み感満点で気分良かった。
随分歩いてのんびりしちゃったつもりだったけど一時間ほどの散策だった。

タグ:楽:歩 楽:話 観:街 観:建 観:石 観:像 観:門 観:庭 観:宮 植:樹 植:茸 動:魚 動:虫

むきばんだ史跡公園

ファイル 1458-1.jpg大山町妻木にある国指定史跡の弥生時代集落遺跡。

以前にここらで案内を見て「麦パンダ??」と勝手に見間違えて行ってみたことあって、その時は今日よりもっと早朝で開いてなかった。「いつか行けたら、、」と思ってたので丁度イイ。(2009/3/21→)

ここは吉野ヶ里の四倍以上という広さの国内最大級の集落跡。どれだけ歩けるか(どのくらい時間かけちゃうか)分からないけど取り敢えず資料館「弥生の館むきばんだ」に入ってみた。

この「弥生の館」も無料の割にしっかりした展示で、個人的にはジオラマ模型が充実してて凄く良かった。
弥生時代の住居が種類別であり、原寸大もあり、当時の食料となった物の模型も並び、狩りや稲作風景のジオラマもあった。

ファイル 1458-2.jpg

個人で来てたっぽい人も多かったけど、夏休みシーズンだけに子供向けセミナーとかいろいろあるようで、ボランティアガイドさんには相手にされなかったけど(ひまそうなトコだと勧誘のように寄ってくるよね。ありがたいけど)親切な展示を見てるだけで何となく分かって問題なかった。

さてさて、外は結構気温が上がってたけど、せっかくなので少しは歩こうと帽子とタオルと水を持って進んでみた。

「弥生の館」の裏の広場からして広く長く、暑い夏には歩き甲斐がありそうだった。(案内図にはその先の眺め良さそうなトコまで「15分~20分」と書かれていた。。)
周りの森は蝉がけたたましく啼きまくっていて、さすがにウチの自宅の周り以上に啼いてて「森だ!」って感じがした。(ウチは神社の林並だからね)

ファイル 1458-3.jpg

でも、数分ほど歩くともう森の道を抜けて洞ノ原地区に出た。
ここは刈り込んだ丘の上の広場になってて、竪穴住居跡が木組み再現されてたりしていた。
そんな草原の中の住居跡を見ながらゆっくり歩いた。

ファイル 1458-4.jpg

そして先の方の一軒は再現されていて家の中にも入れた。
意外と明るく、風通し良く涼しかった。これは夏でも暮らせそうだわ。
でも昼間は毎日、丘の下の田畑での稲作や森や海などの狩りに一斉に出勤してたそうで、集落は夕方からの寝床メインだったようだ。
弥生の昔から通勤とかあったんだ。。日本人の生活のリズムは古代から変わってないのかもね。。

そして住居跡の先には墳墓群。
石で囲まれた四角の角を引っぱった形をしてて、ああ「むきばんだ」の顔みたいなマークはこの形をモチーフにしてるんだと気付いた。

ファイル 1458-5.jpg

芝生ではバッタが波のように飛び回ってたし、日当たりいいけどキノコなんかも生えてたりして豊かな土地って感じだった。

そして墳墓の先はいい眺めの展望スポット。
これはスゴイ。

開けた山から広く眺め下ろせる淀江平野と米子方面の町、青い日本海の先に島根半島の山が霞んでた。
風も心地よくしばらくのんびりと眺望を楽しんだ。

ファイル 1458-6.jpg

丘の先に高床の建物が見えた。あそこまでが洞ノ原地区で夕陽がきれいなスポットだそうだけど、夕方じゃないから下りて行くつもりは無し。眺めは此処で充分。
そのもっと先にあった櫓のような展望台は「伯耆古代の丘公園」
有料のレジャー的な公園?目の前にこんな眺めのいい史跡があるのに?とか思った。

そしてとても懐かしいシンプルなカラーのキハ(気動車)が二両編成で通ってた。あれは山陰本線?
海には船も見え、のどかな風景も意外と動きが有って眺めてて飽きなかった。

そして来た道を戻った。

「弥生の館」までもどって、そういえば何か食べるとこはないんだっけ?とかもう一度覗いて(なかった)
取り敢えずこんなもんかな、、、と思ったけど、やっぱ少し気になって、反対側の妻木山地区にも歩いてみた。

ら、こっちの方が再現された竪穴住居が沢山並んでいた。
なんでも、150棟以上の住居跡と200棟以上の倉庫跡が発掘された区域で集落の中心街だったようだ。

ファイル 1458-7.jpg

住居もさっき入ったものより大型のが多く、その全棟解放されてて中に入れるので、とりあえずひとつ入ってみた。
子沢山でも住めそうな広さで、中二階のロフトっぽい棚とかあったりしてなんか充実してそうだった。

こっちも東側の展望が少し開けてたけどやっぱ眺望はさっきの洞ノ原地区(そっちが晩田山なのかな)には全然及ばなかった。

これでも全体の三分の一くらいみたいだけどもう満腹。汗かいたし。
「弥生の館」にまた戻って館内の空調で落ち着いてから車に戻った。

タグ:楽:歩 楽:眺 景:森 景:町 景:海 景:原 観:遺 観:館 観:模 観:建 観:鉄 観:船 動:虫 植:茸

ページ移動