平安時代の東北の乱「後三年の役」の舞台となった柵城跡。
、、に造った戦国時代の城跡。ってことになるのかな。
さっき行った払田柵跡でこの金沢柵跡の事に触れてて、大きな戦乱のあった城柵とあって興味持って来たんだけど、、
この金沢柵であった戦乱は後三年の役と言って十一世紀の清原氏の戦い。払田柵とは三百年くらい時代が違ってる。。歴史知らないの丸出しだわw
それと金沢柵の位置も実は特定されてなくて、ここの戦国時代の金沢城址がそうじゃないかとされてるだけらしい。。
払田柵が金沢柵なんじゃねー?
ちょっと一気に興味薄れたけど、城址入口の「納豆発祥の地」の石碑も面白かったのでちょっと歩いてみた。

金沢城址は表札のような石柱で案内されてた。
本丸は草むらの広場になってて、また濡れた草むらで足元濡れちゃった。
(でもこんな草むらをサンダル短パンで歩き回るのは無防備で危険な行為なので真似しない方がイイです。。)
北の丸には土俵があって二の丸は金澤八幡神社になってた。
その平安時代の戦乱で死んだ人々の鎮護で建てたらしい。
ここは国内史上初の兵糧攻めで落ちた城柵だそうだ。
あーそれで腐った豆を食べたのね。
今、美味しく納豆を食べられる幸せに感謝して神社をお参りした。
境内には兜杉や兜石などもあり、なかなか見所ある所だった。

美郷町六郷の町中から涌き出してる「六郷湧水群」の中でも一の名水とある湧水。
湧水部は柵で守られてるけど、もちろん水を汲めるトコもあった。
清水の周りには色々あった。
そして奥には「仁手古神社」
そして戻って旧工場の向いは「名水庵」という流しソーメン屋。
大仙市と美郷町に跨がった丘で発掘された平安時代の城柵遺跡。
裏には「ホイドスズ」というアイヌ名の湧水井戸もあった。
国衙の東側の丘は建物や低い柵が再現されてた。
そして東門へ下って柵(城)を出た。
日本海は山形県と秋田県の県境にある三つの崎を持つ岬の公園。


石段を登り切ると大師崎の上は鬱蒼としてた。。

まるで取り越し苦労。
しばーらくそうやって、足チャポにカメラ持つ手も突っ込んでのんびりしてた。
そして背中の国道の奥にはJR羽越本線が通った。
新潟市西蒲区の海水浴場。
でもカニは全然いなかった。時期早々かな?
でも結構一人ではしゃいでポチャポチャ歩いて短パンの裾もビショビショ。
燕市の老舗人気ラーメン店。
来たのは十一時を少し回ったとこだけど、さすがに繁盛。
うん、やっぱうまい!
佐原の創業95年の老舗食堂。

さてさて、
館林のそばうどん屋。
結局、あいもり+掻揚げ丼にした。






