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国民宿舎かじか荘

ファイル 116-1.jpg足尾の銀山平にある温泉宿舎。
日帰り入浴いかがですか?みたいなのを見かけたので寄ってみた。
入浴料は¥600。貴重品ロッカーは¥100。
湯は無色で肌がぬめるタイプ。
露天は眺めよく目の前の庚申川の谷間を一望。(樹木で川は見えなかったけど)
すいてたしなかなかいい湯だった。

ファイル 116-2.jpgさて、そのままここの食堂で昼食にした。
メニューがなかなかこってて少し迷った。
鉱夫御前(トンカツ定食)
当時貴重だった豚肉は鉱夫にとって最高のご馳走。鉱夫の気分に浸ってご賞味下さい。
直利御前(しょうが焼き定食)
大鉱脈が発見されると「大直利」だと喜び、会社から鉱夫に酒と豚肉がが振舞われたそうです。
女房丼(山芋とろろ定食)
鉱夫の女房が夫を見送った後食べたささやかな朝食を再現したヘルシーメニュー。
銅山のソースカツ丼
北陸出身の鉱夫が多かったので、卵でとじないカツ丼が持ち込まれたのが足尾のソースカツ丼の始まりといわれてます。

だそうだ。。
とりあえずソースカツ丼にした。

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かなりサクサクカリカリに揚がったソースカツ丼でうまかった。

それはそうと、、
足尾のソースカツ丼のルーツが北陸出身の鉱夫って、ホントかな?
ってことは桐生とか足利とか群馬栃木にソースカツ丼が多いのもその流れなのかな?

タグ:食:丼 餐:揚 楽:湯

舟石峠駐車場

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舟石峠駐車場からの眺め。1800×550:click↑
思った程、禿げ山が見えなかった。こっち方面はそんなに禿げてなかったのかな?

ファイル 115-2.jpg舟石峠は足尾の表から銀山平に抜ける林道にある峠。
広い駐車場は、すぐ南の備前楯山への登山客用ってことかな?

解説に寄ると昔この峠付近には住む人があり、船の形の石があるから舟石と呼ぶようになったそうな。
大正時代には47戸もの家が点在してたというから驚きである。
今では勿論家はない。


ファイル 115-3.jpgそれはそうとこの駐車場、トンボだらけだった。
普通のトンボの中にオニヤンマみたいなのもいて飛びまくってた。
(オニヤンマは機敏なので写真撮れなかった。。)
で、なによりこの普通のトンボが、人なつこくて面白かった。
停めた車にも止まりまくってた。

ファイル 115-4.jpg僕が好かれてるのか、デブが珍しいのか、やたらと寄ってきて、肩に止まったり足に止まったりと可愛らしかった。

なんか楽しく少しの間、トンボと遊んだ。

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タグ:動:虫 楽:触 楽:眺 景:山 観:石 観:P

筑西あけの ひまわりフェスティバル

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筑西市、旧明野町の「明野ひまわりの里」のひまわり祭。
今日21日から29日まで開催ってことだけど、何か催し物あるのかな?

実は先月、この前の道を通りかかったら、ぜんぜんただの畑の風景だったので、あれ?今年はひまわりやらないのかな?とか思ってた。。
けど、その畑に生えてたの(ジャガ芋っぽい草)がひまわりだったようだ、ひと月でちゃんと伸びるもんだ。

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まあ、伸びたのはいいけど、、、
まだちょっと花は早く、三部咲きってとこかな。。
去年見た凄さはまだまだ無かった。来週くらいに来た方がいいかも。

その代わり、、と行っては何だけど、キバナコスモスはガンガン威勢よく咲き誇ってた。(なんかあついくらい)

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さて、去年は車から眺めるだけだったけど、歩いてみるとひまわりにも色々あるんだなとわかった。

ファイル 114-4.jpgここのメインは八重ひまわりというモコモコのイウォークみたいなひまわり。ちょっと変わってるよね。

でもその中に所謂ひまわりっぽいのが混じってたりした。
でもそれも真中のトコが茶色っぽくなかったり。。
(茶色くないのは時期の問題?)

ファイル 114-5.jpg世界のひまわりのコーナーもあって、更にいろんなひまわりが見れた。
このコーナーで「あ、これなんかひまわりっぽいよね。」とか思うのがいくつかあったけど、どれもこれも理想のひまわりとチョコっと違うような気がした。(っていうか理想のひまわりって。。)

まあ、形だの理想だの気になるのは、まだ咲きまくってないからで、満開になって密度濃く広いひまわり畑になれば、細かいことはよくなるんだろうな。

つまり、まだ今日はあんまり咲いてなくて残念だった。

タグ:楽:催 植:花 景:山

香文

八千代町のお気に入りのラーメン屋「香文」
ここも点景で二度目の掲載。

今日は妹と来た。
いつもはたのまない餃子も食べた。
したら、意外とこの餃子もおいしかった。
具の味もよく、少し厚めの皮のプックラもちもち感がまた良かった。

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で、
チャーシューメンを食べた。やっぱうまい。
妹はどうかな?と思ったけど、うまかったらしい。
特に手打ちの麺が気に入ったようだ。
良かった良かった。

タグ:餐:ら 餐:餃

道の駅 くりもと

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栗源の道の駅の食堂「味処いっぷく」。
地元の栗源産ポークを使った豚肉メニューが美味しい食堂。
お気に入りなので良く来る。この点景のログでも2度目だ。

ファイル 112-2.jpgえっと前回はなにを食べたんだっけ?
なるべく色々なメニューを食べたいなー。。
とか思っているんだけど、帰って来てから前のログ見たら、、
前回もトンカツ定食じゃん。。
まあ美味しいからいいんだけどね。

今日はイモ天がサービスだった。
今年取れたばかりのサツマイモの天ぷら。
小さかったけどうまかった。

タグ:食:定 餐:揚 道の駅

来迎院多宝塔

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竜ヶ崎市の来迎院にある多宝塔。
室町後期の建築物で、平成十八年に国指定の重要文化財に指定されたらしい。
、、という予備知識はなにも無く、ただ興味で行ってみたんだけど、お寺の中だった。

僕は神社はよく行くけど、寺院はどうも行きづらいというか行く気がしない。
勝手なイメージかもしれないけど、神社ってパブリックな誰でも行っていい公の場所ってイメージで、寺院はプライベートな建物で檀家や信仰ある人じゃないと入っちゃいけないようなイメージ。

それでも重要文化財みたいなものは自由に見せて戴きたい。

とは思うけど、この塔、寺院内の墓場の前にあるんだよね。
で、今日あたりはお盆でお参りしてる人も多く、そんな中で塔だけ見に来て帰るって、、やっぱちょっとねぇ。

ゆっくり見てみたかったんだけど落着かずに写真撮って退散。
説明文も読まずに写真だけ。
その隣には決まり事の十ヵ条みたいなのがあって、
「まず最初にご本尊に拝礼しましょう」とか書かれてた。

あーやっぱ来なきゃよかった。
他人の家の庭に勝手に入っちゃったようなバツの悪さを感じながら逃げるように立ち去った。

せっかく興味を覚えた歴史的建造物の塔だけど、もう寺院系は行かないだろうと思うので、これにて終了。

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タグ:観:寺 観:重 観:塔

佐倉城址

ファイル 110-1.jpg千葉県は群雄割拠の戦国時代までは、あちこちに城があったらしいけど、天下統一され江戸時代に至までに廃城になる物が多く、明治まで残った城は上総の久留里城と大多喜城、下総は関宿城とこの佐倉城。
藩の石高から見ても実質江戸時代の千葉では一番の城といって過言はないでしょう。江戸の東を守る役割だったようだ。

そんな佐倉城だけど、建物は明治に陸軍に撤去されて何も残ってない。
残るのは地形と土堀と土塁だけ。
っていうか石垣のない土堀の城って戦国時代の城みたい。。
でもこの城は江戸時代になってから建てられた城で、戦国時代の「本佐倉城跡」というのが別にある。
まあね、千葉は山が無いから石がなかったんでしょうよ。

そんな概要で関心はあるものの、あまり足が向かず今まで来てなかった。

ファイル 110-2.jpgで、来てみたら、見事に山の自然公園だった。
が!
その林に埋もれた谷のような土堀の深さに感激。
これ、きれいに整備したらさぞかし立派な城郭だろうな。

案内板も丁寧で、明治初期の古写真と地図で説明されてた。

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で、本丸は広い芝生の広場になってて周りの土塁の上を一周出来た。1500×400:click↑
一ノ門、台所門、銅櫓、隅櫓の跡はちゃんとしてたけど、天守代わりの御三階櫓の跡だけ説明もなく、囲いはあるけど段になってるし、半端な気がした。(台まで陸軍に破壊された?)

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その御三階櫓跡と銅櫓の間に「夫婦モッコク」という県指定天然記念物の樹がある。

ファイル 110-5.jpg樹齢400年だとかで城と共に生きた樹と思える。
パッとしない樹だけど、モッコクは江戸時代に流行った造園木だそうで、種々の庭木が植わった風流な本丸だったらしい。
この樹は裏に陸軍兵士の(とされている)落書きが掘られてる。
「十八年十月砲隊」と読めた。 、、戦中の日本兵にしては軽卒な行動と思え、嘘っぽく感じた。


思いのほか楽しめた城跡だった。
佐倉市では以前、城の再建計画とかもあったそうだけど、財政難で消えたそうだ。
(城どころか四街道市に吸収合併されて佐倉市自体がなくなりそうだったらしい)
凄く惜しいような気もするけど、折角の林の樹々を刈って整備するくらいなら、このまま樹々に埋もれた形で、勝手に想像しながら歩ける自然公園っていうくらいで充分な気もする。

今回は本丸中心に軽く歩いただけ。
次回はぜひ、陸軍時代の遺構が残る部分とかも歩きに来たいと思う。

タグ:楽:歩 楽:読 観:城 植:樹 観:然 観:史

道の駅 東山道伊王野

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那須町伊王野にある道の駅の名物「ソバ ソフトクリーム」
もう何度も食べてるお馴染みソフト。
あれ??今年って食べてなかったっけ?
まだ点景に書いてなかったっけ?
っていうくらい、こっちを通る時はいつも食べてる気がしてる。

なんだろう、そばにしては香ばしさが円やかで珈琲か紅茶かって雰囲気もあるソフト。
やっぱりおいしかった。

タグ:餐:冷 道の駅

坂内食堂

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喜多方市内の喜多方ラーメンの店。
一番人気の店ではなかろうか?
全国に展開してる喜多方ラーメンのチェーンの「坂内」の本店ってことだけど、ホントにあの坂内?と疑うくらい別物の絶品ラーメン。
僕も喜多方では何件かラーメン屋を回ってみたけど、ここが1番好きだな。

ファイル 108-2.jpg喜多方はさすがに美味しい店が多く、色々他の店にも行ってみたいと思っていながら、この店だけは4回目の来店。
朝は七時くらいからやってるので、なるべく朝一の混まない時間に来るんだけど、今日は八時過ぎ。
行列になってた。。少し並んで入店。

食べたのは「肉そば」大盛り。

チャーシューで麺が見えません。。
透明感ある汁は旨味たっぷり。
麺は変化ある手打ちの喜多方。
肉もぷりぷりで最後まで飽きずに一気に食べた。
やっぱ美味い。
日本人に生まれてよかった。ラーメンが食べれてよかった。

タグ:餐:ら 餐:肉 観:本

上杉神社

米沢の米沢城址にある神社。
春日山で没した上杉謙信を祀る。

ファイル 107-1.jpg一之丸跡にある広い無料駐車場に車を停めて、歩いたので、
入城は北側から入った。
こちらの北西の堀では蓮の花がきれいに咲いていた。

さて、神社ファンでも謙信ファンというわけでもないので実は神社にはあまり興味が無く、米沢城址として来てみたんだけど、城としての遺構は堀だけで、石垣も何もないのでやっぱり公園とか神社の雰囲気だった。(もともと石垣のない城だったらしい)

この入城した北側の両端に天守代わりの三階櫓が有ったらしい。
などという説明は一切無くすっかり神社の公園になってた。

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上杉神社は木の塀でしっとりとした社の神社だった。
一応お参り。

本丸跡にはこの神社の他に宝物殿(稽照殿)や土産屋や松岬神社、春日神社などが所狭しと集まってる印象。春日神社から流れる小川にはアメンボが群がってて凄かった。
春日神社の先の南側の入口には菱門橋という赤い橋が架かってた。完全に神社な雰囲気。

北東の櫓跡は少し小高くなってて石碑が集まってた。
マット広げて弁当食べてる人達がいたので近寄らなかった。。

南東も小高くなってて一瞬天守台?と思わせるが、上杉謙信の遺骸を納めた御堂跡だそうな。(現在は別の寺に移動してる)

そして神社正面の入口近くに上杉謙信や上杉鷹山の像があった。
鷹山は童門冬冬二の小説を読んだなぁ。
伊達政宗生誕の地の標柱もあった。

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東側の参道の入口には舞鶴橋が架かり立派な入口になってた。
鳩が凄かった。ハト嫌いの人は渡れないと思う。
奇妙な石が印象的な石橋だった。

という感じで一回りしたけど、城の感じは残ってなかった。
明治維新後全国的に城の取壊しが行われた時期に、いち早く神社として公園として整備したのは先見の明だろうか?急ぎすぎたのだろうか?解らないけど、お城めぐりが好きな人には寂しい気がすると思った。

タグ:楽:歩 観:宮 観:城 観:橋 動:鳥 植:花