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眼鏡橋

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1634年架設の日本最古の石造アーチ橋。
国指定重要文化財。
中国から来たお坊さんが架けたんだとか。
二度の洪水で半壊したけど修復。
修復だから形は寛永の昔の侭なんだろうね。

ファイル 56-2.jpg連休の長崎のキャッチーな観光名所ながら早朝は空いててガラガラだった。

この中島川に架かる橋は、昔も一度来た事があったけど、昼間で混んでた上にどんより曇ってて印象薄く、すっかり忘れてた。
でも今回は朝日が眩しく影がくっきりした朝で、気持ちよく見れた。

ファイル 56-3.jpg橋の袂から川原(?)に降りてみた
うん立派で格好いい。

この川に映って丸く見えてはじめて眼鏡橋だよね。
水面が若干揺れてたんであまりキレイな眼鏡には見えなかったけど、まあいいでしょ。

ファイル 56-4.jpg川は少し先で渡れるようになってた。

橋が出来た江戸初期の寛永の昔はどんな感じだっただろうね。
かなり異様な石橋に見えただろうね。
っていうかその頃ってもう眼鏡とかあったんだっけ?
(丁度その時代に長崎で眼鏡が作られ始めたんだそうです)

最後に対岸からもう一枚。この位が正面位置かな。
ファイル 56-5.jpg

タグ:楽:歩 観:橋 観:重 観:街 景:川

井手ちゃんぽん

国道34号を西に向かってたら武雄市内に入った所にあったチャンポン屋さん。
ファイル 55-1.jpg対向車線側だったけど繁盛してるみたいだったし、腹減ってたので迷わず入ってみた。
(店の写真は夜景モードになっちゃって思い切りブレブレ。。orz)

ホントはね、ちゃんぽんはやっぱり長崎で食べたかったんだけどね。

でも店は老若男女あらゆる客層で賑わってて、厨房も活気あって期待できた。

で、注文したのはキクラゲ+玉子入りの「特性ちゃんぽん」¥850。

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おお!キクラゲ奮発。すげー。
これは美味しかった。
いままで何回か長崎でもちゃんぽん食べたけどこれが一番うまかった。
味はくどくなく汁も完食。おなかいっぱい。
おもいきり食べられて大満足。

タグ:餐:麺 餐:菜

佐賀城

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佐賀城は天守こそないものの、現存の門櫓が残る。
鯱の門と続櫓。国指定重要文化財。
うん。立派である。寄った価値はある。

ファイル 54-2.jpgその門の扉には佐賀の乱による弾痕が幾つも残っている。
なるほど〜この門は戦火にさらされたんだね。
江戸時代の城の中では一応珍しく戦場になった城のひとつともいえる。戦いの内容はともかく、戦ってこその城だよね。

鯱の門を内側からも見てて初めて城内の本丸御殿に気が付いた。

この本丸御殿、 平成16年に木造で忠実に再建!
佐賀城本丸歴史館として内部入城可能。しかも無料!
おお太っ腹。有難い。
内部も資料展示物以外は撮影可だそうだ。
でも、もう五時四十分。閉館は六時。うわ〜閉まる。。慌てて見て回った。

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中は簡素で整然とした造り。装飾があまりないのは史実通りなのか資料不足からかわからないけど、政務を行う場としては好印象。
1000人の家臣が集まったという320畳の「外御書院」は見事。
そして一番奥の雰囲気がしっとりした部分は現存の建物。「御座の間」という藩主の居室だそうな。

ところどころに資料が展示されてて、チラチラ見ながら興味をそそられたけど時間がない〜。
館内放送で「あと十分」「あと五分」と急かされて、ぎりぎりまで見てた。くやし〜

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門は九時まで開いてるそうなので、その後はゆっくり本丸を歩いた。
復元されてない部分の区画とか、櫓台から堀を見たり、石垣の上から本丸を見たり広々しててのんびり見れた。

そしてひと回りして本丸を出て、天守台跡に登った。
この城は本丸側からは天守に登れなかったようだ。

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天守台は何もなかった。以前はココに協和館という明治時代の建物が再建されてたそうだけど、今はない。城的には適切な処置でしょう。
天守は五層の立派な物があったそうだけど江戸中期に消失。そのまま再建されなかった。昭和に再建されないで良かった。

天守台からの眺めは、たいして良くなかったけど、正面の鯱の門はよく見え、その横の駐車場と自分の車も見えた。
ドコへ行っても展望に駐車場の自分の車が見えると安心するね。

時間的に少し勿体なかったけど、たっぷり楽しめた。

いやいや正直、佐賀って高いビル少ないし、気軽に食べれる名物料理もないし、印象の薄い県庁所在地の町だなぁと思ってたけど、その印象を崩す事なく、その分立ち寄りやすいいい町だなぁ。
こんな中心地の城で駐車場も歴史的建造物再建の資料館まで無料って他に無いよ。また今度時間ある時にゆっくり来たいなぁ。

タグ:観:城 観:屋 観:櫓 観:門 観:重 観:石

大野城跡

ファイル 53-1.jpg大野城は白村江の戦いで負けた大和朝廷が、太宰府の防衛目的で築いたとされる城。
飛鳥時代の西暦665年に建造。
四天寺山というカルデラ状の山の峰に8kmにも及ぶ土塁を築き、谷には石垣を擁し四つの城門を構えた太古の巨大な城。

山そのものというか山並みまるまる城跡という広大なもので、どこにいったら城跡が見れるのかちょっと分かりずらかったけど、先に行った水城跡にあった地図をみてやっと分かった。
一カ所行ってココが城跡!じゃなくて、山を回って何カ所かに点在する遺跡を見て回る感じね。ちょっと途方も無いよ。

で、ここ尾花地区土塁前に駐車場も有り、眺めもよく案内板もあった。取りあえずここらを歩いてみて大野城跡観光としよう。

ファイル 53-2.jpg峰の縁の土塁はしっかりきれいに再現されてた。
この調子で8km全部整ってるのかな?(いや行かないけどね)
そして太宰府口城門跡はここから下ると行けるらしい。。
どのくらい下るんだろう?、、取りあえず後回し。


ファイル 53-3.jpg取りあえず土塁を少し登った。
おお、なんか城壁っぽい。

でもこれ1300年も昔に造るの大変だっただろうな。。
っていうか周囲8kmの城ってイザとなったら守りきれるのか?
太宰府の守りって事だけど、太宰府側もしっかり土塁巡らせて城門造ってたって事は、太宰府を守るというより太宰府の物も人も丸々立てこもるつもりの城なのかな?なんて勝手な想像を思い巡らせて歩いた。

さて、土塁をずっと歩いてたら山登りになっちゃうので適当な所でストップ。焼米ヶ原の上のピークに登って野原を下った。

ファイル 53-4.jpg少し戻って尾花地区礎石群を見た。
土塁からは少し森に入った所にあり、案内は不親切で最初ドコにあるのか分からなかった。

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十棟分の高床式倉庫跡。
全部同じ大きさの建物だったらしい。って、倉庫だけ?どういう風に運営してたんだろうかねぇ?

とりあえず、その時代の城なんてよく知らないし(判明してない事もおおいだろうしね)こんな規模のでかい城なんてのも初めてだったので、色々と不思議で勝手に想像したりして楽しく歩けた。

あ、城門跡、、は、いいや (^ ^;Δ

タグ:楽:歩 観:城 観:史 景:山 景:町

水城跡

ファイル 52-1.jpg大和朝廷が太宰府防衛の為に築いたと言われる、1.2kmにも及ぶ土塁の跡。
大野城の跡地を探しててたまたま見つけて立ち寄った。
これも大野城とセットでの一大防衛ライン設備らしい。
ここから西隣の丘までの間1.2kmを塞ぐように造られた長い土塁、それが「水城」だそうな。

その水城の東門跡に駐車場があって、水城から大野城に繋がる山の駆上がりの丘が展望所になっていた。
上から水城跡もよく見え、町も遠く見下ろせた。

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↑真中のやや右の森っぽいのが水城跡。こんな感じで高速などの道路や線路に削られながら1.2km続いて残ってる、1300年前の土塁。click:1700×400

実際は700年前の蒙古襲来の時に改修されたとあるから、実質その時代のバージョンなんだろうね。

丘から降りて、県道を挟んだ反対側の広場からも水城を見てみた。

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ん〜高速道路より全然立派だな。
っていうかコレってやっぱりかなりの人が使役されたんだろうな。

その水城跡の前には一面に濃ピンクのレンゲ草が咲いていてキレイだった。
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タグ:観:城 植:花 楽:眺 景:町

宇美八幡宮

ファイル 51-1.jpg宇美八幡宮は福岡市の少し南東にある神社。
安産や子供の成長を祈ってお参りする神社だそうな。。(知らなかった)
なんでも神功皇后が応神天皇を産んだ所なので「ウミ」という地名になったそうな。
僕は子供もいないし妊娠してもいないので神社には用はなく、、目的は巨木。大楠。

たいていの神社は御神木として老木の巨樹をでん!と一本守ってるもんだけど、この神社境内は国指定天然記念物の楠木二本を含む何本もの大楠が集まっている巨木林になっているとの事で興味を持っていた。

神社に入ると入口あたりからして太い楠が生えていたけど、それは普通の楠らしい。
奥に進んで拝殿の右横に大楠。まずは「湯蓋の森」

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この木の名前が「湯蓋の森」と言う。
いきなりその名前が「森」って凄いね。
幹周15.7mの国指定天然記念物。
宇美八幡の祭神になる応神天皇がここで産湯につかった時に、蓋をするように枝が覆っていたんだそうな。
ふーん。応神天皇っていつ頃の方?
その言い伝えからすると樹齢は何年?はっきり書いて無かったし、帰ってきて調べてもサイトによってまちまちだった。。

そして拝殿の左奥の「衣掛の森」

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この樹も森!っていうか何か凄い形の巨樹だなぁ。
ファイル 51-4.jpg近寄ってもよくわからない形の巨樹。若い幹が横からも出てて「J」の形。
なんか幹を見ると苔むしてたりして岩山の様で森って感じする。
幹周20mの国指定天然記念物。
この樹は環境省の日本の巨樹で六位の樹。
でもこのランキングって幹周りの太さでの順位なんだよね。

「衣掛の森」は応神天皇がここで産湯につかった時に、神功皇后が衣を掛けた樹という話らしい。
って事は伝説通りなら樹齢二千年くらい。
いやいや多分、そういう樹がその時代にあって、この樹達は二代目とか名前を継いだ樹ってことなんだろうね。

ファイル 51-5.jpgそんな伝説や番付や神様はどうでも良くて、それよか巨樹の森に包まれた神社の風景と空気をのんびり味わえればそれで良しなのです。
だって名前も説明もない何本もの大楠もそれはそれは立派なんだもの。

新緑の神社でのんびり森林浴、のつもりが、境内で工事してて重機がうるさく、、余り落ち着いて見れなかった。。
でも雰囲気いい森だった。子供が出来たらまた来よう。

タグ:植:樹 観:然 観:宮 観:伝 景:森

道の駅 シルクウェイにちはら

津和野の少し北の道の駅で『朝定食』の幟が目についた。
朝7時から朝飯が食えるらしい。らっきー!
てわけで、道の駅内のフードコート風に並んだ食堂のうちの一軒「田舎料理せいさく」で朝食。

ファイル 50-1.jpg店の人は無愛想な爺ちゃん。
店の張り紙にも券売機にも沢山のメニューがあってちょっと見てたら、
「朝は朝定食だけだよ」と不機嫌そうに言われた。
だったらそれ以外のメニューを「売切」とかにしとけばいいのに。。

そして朝定食

ファイル 50-2.jpgおいしかった。
「ごちそうさま」と膳を下げたら、残さず食べたのが良かったのか、一転して好機嫌の爺ちゃん。
「魚、どうじゃった?」
「タケノコうまかったろう」
と人なつこく話してきた。
なんかご自慢の食材での朝定食を頂いたみたいで気分がいい。

初っ端は兎も角、最後には気分いい朝食になった。

タグ:食:定 楽:話 道の駅

三朝温泉 河原風呂

三朝(みささ)温泉は鳥取県の丁度真中あたりにある温泉地。
その温泉地の真中あたりの無料で24時間入れる露天風呂「河原風呂」。

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夜で暗かったけど橋の脇の階段を下ると、まずは足湯の湯船があった。
その裏が脱衣所になってて露天風呂があった。
ホントに無料か不安だったけど、ちゃんと案内板があって一安心。
注意書きの入浴を禁止する人に「路上駐車の方」とあった。
観光協会前の駐車場があいててよかった。
ちなみに水着の方も入浴禁止だった。

ファイル 49-2.jpgで、入浴。
いい湯だった~
得ににおいはなく無色のお湯(暗かったからはっきりとは判らないけど)
浴槽は二つに区切られてて、熱いのと普通の温度になってた。
この時の入浴客は五人くらいだったので悠々入れた。
混浴なので女性の方も入ってきた。(御高齢な方でしたけど。。)


ファイル 49-3.jpg湯上がり後は、少し気になった脇の温泉街横町を歩いてみた。
射的とかピンボールとか駄菓子屋とか、、、ヌードとかソープとか。。温泉地らしい通りがあって濃い雰囲気。
ずっと先まで歩こうかと思ったけど、この道は一通ながら車で通れそうなので、引き返して車で通った。

タグ:楽:湯 楽:歩 観:街

五代目食堂

ファイル 48-1.jpg岐阜県は坂祝町の国道21号沿いの古そうな食堂。
(坂祝は「さかほぎ」と読む。読みづらい地名多いよね此処等辺)
前々から前の道を通る度に、「名物 とんちゃん」というのが気になってたし、車も停まってて人気あるようだった。
今回はちょうど昼だったので冒険気分で寄ってみた。

店は一世代前の映画に出てきそうな懐かしい昭和の食堂。
(昔からずっと五代目なのかな?)
店の人も雰囲気にマッチして(?)あまり愛想のない感じ。。
う~んやっぱりちょっと冒険だなぁ。

各テーブルにガスバーナーが繋がってた。
おのおの焼いて食べるタイプの焼肉屋風食堂。昼から焼き肉~な感じ。。
他にもいろんな焼き物メニューもありつつ、ラーメンとかカツ丼とかもメニューにあった。
で、「とんちゃん焼き」をライスと豚汁と共に注文
やっぱ自分の後から続々と来る客もみんな「とんちゃん焼き」を頼んでた。

ファイル 48-2.jpg
まずは「とんちゃん焼き」。もやしがドーン。

「とんちゃん焼き」というのは主に中京方面?で一般的な豚モツの味噌焼きらしい。(知らなかった)
ここのとんちゃん焼きは特製味噌だそうだ。

ファイル 48-3.jpg

適当に混ぜながら焼いて食べた。
うん!モヤシとモツが味噌にバッチリあってて旨かった!
一緒に食べる御飯も進む進む。
あっという間にぺろりと食べてノドを流す豚汁もうまかった。
これはいいね。また来よう。
半分以上冒険気分ながら、なかなかいい店に寄れた。

タグ:食:焼 餐:肉 餐:汁

香取神宮

ファイル 47-1.jpg食事のついでと言っては失礼だけど、、
折角来たので一応香取神宮にも参った。本来逆だよね。。

参道の砂利道を歩く。
この参道、道幅広く少しクネクネしててあまり気がつかないけど、意外と勾配がある。
この香取神宮はちょっとした小さい山の上にある神社。
知らず知らずのうちに山を登る参道ってなかなかヤルよね。

それはそうとこの季節、参道のカエデの葉の鮮やかな緑が涼しげで綺麗。
カエデの葉を間近で見てみてたら、小さな花が咲いている事に気が付いた。
へ〜カエデの花って地味でイイな。

ファイル 47-2.jpgそして、二つの赤い門をくぐる。
この写真は二つ目の拝殿前の門「楼門」
300年前の1700年に造られた国指定重要文化財だそうな。
なかなかカッコイイ。
楼門を抜けると拝殿。

黒くて厳めしくてカッコイイ。
総門、楼門の二つの門が赤赤ときて黒い拝殿ってインパクトある。

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ファイル 47-4.jpgこの香取神宮は下総の一宮。
昔、香取の海という巨大な湖の玄関口となった大和朝廷の東国の拠点。
祭神は経津主神という武芸の神。
武芸は今はもうたしなまなけど一応拝んどいた。

そしてひと回り。裏から見た本殿もカッコイイ。
この本殿も300年ものの国指定重要文化財

ファイル 47-5.jpg神社の建物も立派だけど、それ以上に境内から裏の森にかけて立派な杉などの巨木が立ち並んでて、そっちに目をとらわれた。
この香取神宮の森は古来より信仰の場として保護されてて、森ごと天然記念物だそうな。

写真は境内の御神木。
樹齢千余年、目通り七.四米とある。
真っすぐ伸びた剣のような立派な樹だけど、表情としては裏の三本杉の方が素敵。

ファイル 47-6.jpg境内を出てからも少しフラフラ歩いた。
参道から外れて苔と石段の坂道を登って「要石」を見た。
地震を興す大鯰を押さえつけた石だそうで、水戸の光国が掘ったけど根元が見えなかったくらいの長い石らしい。
っていうか、、黄門さま。。掘り出して大地震来たらどうするつもりだったんだ。。

奥宮というのも行ってみた。
こちらは経津主神の荒御魂(神の天災を起こす裏の部分)を祀った社。
こぢんまり封じ込めた感じの社。
その近くに室町時代の剣聖 飯篠家直の墓があった。
神道流の開祖。(知りませんでした。。)


ファイル 47-7.jpg最後に土産屋で焼き団子を一串食べた。
¥100の団子だけどお茶もいただけて嬉しい。

この香取神宮は何回か来ているけど、そういえばいつも天気悪く人も少なく、
なんか地味ぃな印象だった。。
けど今日は天気よく、人も多く、ゆっくり楽しめて歩けた。

タグ:観:宮 観:重 植:樹 観:石 食:串