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中華そば 恵華

ファイル 2986-1.jpg龍ケ崎市米町の県道沿いにあるラーメン食堂。

龍ケ崎の市街をまわって、あーやっぱりどこの店にも寄れずに通過しちゃったなぁーと思ってたトコにあった街かど中華。
the普通、the懐かし、、といった風貌の店ながら、店前に駐車スペースもある(店の隣りの駐車場もこの店のなのかな?)というありがたいお店。
普通にひと回りして地味になごもうというこの日曜のコンセプトに丁度いい店で、一旦通過しながらも廻って戻って店に入った。

店の中は厨房前のカウンター席とテーブル席4つの普通の街角中華だけどやや広めでキレイで明るかった。
カウンター席にと思ったけど他には二人の客がいて一人テーブル、一人カウンターだったので、わざわざカウンターでなくてもいいかなと奥のテレビ前のテーブル席に座った。

ファイル 2986-2.jpgメニューもthe普通。
っていうかラーメン500円って安くていいなと思うけど、それ以外のメニューがメンマラーメンとかコーンラーメンとかもやしとか味噌とか一斉に700円という値段設定が大雑把で、普通にラーメンをと思ったけど、よく見たらワンタンメンまで700円だったのでそっちにした。
(麺類メニューで一番高い「しいたけそば」850円というのも気になった。次回があれば食べてみたい)

テレビでやってた「笑点」の大喜利を久々に視つつ待って「ワンタンメン」登場。
おお!普通な感じの茶色いラーメンで嬉しかった。

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んーんーこれこれ。これが普通のラーメン。the普通。(「the」を連発するとカボチャワインみたいで恥ずかしい。。)
昭和の育ちの自分としてはたまに食べたくなる望郷の味。惜しむらくは蒲鉾じゃなくてナルト、ワカメじゃなくて法蓮草であってほしいところ。チャーシューがハムだったのはコスト的努力と思えるから納得。そういえばチャーシューメンというメニューはなかったね。
ワンタンも普通。ぺらっとしたワンタン。
こういうのが普通だったから、最近のおいしいヒラヒラなワンタン食べると雲を呑むように感じられたんだよね。でもこういう基本もアリ。
そして昭和のスタイルとしてはレンゲがない事の方が多かったけど、これだけは当たり前に出される現代の方がありがたい。とくにワンタンはレンゲで食べたい。

うん普通においしかった。龍ケ崎はよく通るのでまた普通に寄ろうと思う。

タグ:餐:ら

角新食堂

ファイル 2985-1.jpg柏市藤ケ谷にある食堂。

海上自衛隊下総基地の前の宅地にある店で、ここも以前Googleマップ見てて行ってみようと思ってた店の一つ。定番コースからはちょこっと横道に入るけど、表の県道からも屋根の看板が見えててすぐ場所がわかった。
駐車場は店の前と横だけじゃなくて手前にも一軒分の駐車場があったりするので集会向きなのかもしれない。
店の前の交差点には「防衛省用地につき居住者及び関係者以外の立ち入りを禁止する」とか看板があるくらいの宅地なので、基地関係者の御用達の店なのだろう。

ファイル 2985-2.jpg店の雰囲気もメニューも普通の定食屋さん。
そうそうこういう感じで気軽な店を探してたんだよね。中華でも蕎麦でもなくて洒落た感じでも凝った感じでもない普通の定食が食べたいときあるよね。
で、焼き魚の定食にしようと思ってたけど、「めひかりフライ定食」なんてあったからそっちにしてみた。めひかりは深海魚。海沿いとかでしか食べたことなかったから少し珍しく思えた。

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フライは頭ごとで苦みもあったけど食べやすく、五つあったのでご飯とのバランス丁度いいくらい。最初ソースで食べてたけど、醬油をかけてみたらそっちのほうがしっくり来て後半は醤油でおいしく食べた。

食べ終わる前くらいにもう入口のカーテン閉じていた。昼は2時までなのかな。出掛けるの遅めだと寄れないかぁ。
ちょくちょく来ることはないだろうけど、たまにはという選択肢でアリな店だなと思えた。

タグ:食:定 餐:揚 餐:魚

かわち桜づつみ

ファイル 2984-1.jpg宇都宮市(旧河内町)白沢町の西鬼怒川沿いの土手上の公園。

北方向ドライブ定番コースの「彼岸花ロード」の近くにある土手で、頻繁に通る割に滅多に寄らない駐車場の前の、更に滅多に歩かない土手。
ではあるけど、桜の季節に一回、なんでもない季節に一回くらいは歩いた記憶がある。(点景記事にしようとか思って寄った筈だけど記事にしてなかったようだ、、)

今日も別に歩こうと思ったわけではなく、日が陰ってきちゃってたし道が団子でつまらないから、トイレ休憩で寄ってそのついでにちょっと歩いてみようかと思っただけ。

土手に寄ってみると桜は調度満開でいい感じ。桜は土手の上だけじゃなくて傾斜面にもいい間隔で何本も植えられてて意外と濃い桜のスポット。
「桜づつみお花見会場」なんて看板立ってたけど、もう夕方だからかコロナだからかシート敷いてるような一行はおらず、けど人はわりといてみんな花見て散歩していた。
うんうんこれが花見ってもんだよね。ドライブがてらのチョイ寄り花見としては理想的。チョコっと見て車に戻るつもりだったけど、土手の上を少し歩き進んでみた。

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少し北に進むと桜が途切れて提灯が並んだ区間から、丸く刈られた低いツゲの木が並んでクネクネの道になってて面白かった。
そのまま進むと水仙の花壇もあってその先にまた桜林が続いていた。

さっきのトイレのあった駐車場の側の方に比べてだんだんと散り気味の桜になってきてたので、その先の北側の駐車場までは歩かずに少し手前で折り返した。そっちまで行っても別に何もなさそうだしね。

戻りは桜林から出た川側の舗装路を歩いた。伸びた桜の枝は丁度顔の位置くらいにあって写真も撮りやすかった。

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手前の川は細い水路のような川で、鬼怒川から別れてこの先で合流して戻る支流のような西鬼怒川。その手前の茂みから鳥の鳴き声が聞こえてた。どこにいるんだーと立ち止まって見たけどなかなか姿が見えず、バードウォッチャーへの道はまだ遠いいなと思えた。やっと見えた鳥をズームで撮影。これはモズかな?
声の数の割に見つからず悔しい。けど、暫らくのんびり探してたりしてる内に日差しが帰って来て晴れた。ナイス。やっぱ日が差すと全然いいね。
晴れたら桜の樹にも鳥が飛んできた。これはうまくうつせなかうまく写せなかったけどヒヨドリとかだよね。

そして足元のシジミチョウやぺんぺん草も春らしくていい感じ。天気いいと桜だけでなくて緑もイイ。
鳥はツグミも見かけた。晴れた方が鳥も動いてくれて見つけやすい気がする。

駐車場辺りまで戻るとやっぱりここら辺が桜満開。なので通り過ぎてもう少し南に歩いてみた。

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桜が途切れた先が西鬼怒川が鬼怒川に流れ込む地点。広く川を眺めるにはもう少し歩かないと無理そうだったのでそこで折り返し。また土手の上にのぼって桜を見て戻った。

なんか思った以上に気分良く歩けた。(実は足が痛かったのだけれど)やっぱドライブ中一カ所くraiは少し歩くくらいの休憩入れてのんびり季節を感じたいね。

前の「将軍桜」の項目では若くて満開の桜より「貫禄ある桜の樹の方がいい」なんて書いてたけど、ゆっくり歩くなら若くても満開の桜が並んでた方がイイな。

タグ:観:園 観:堰 楽:歩 景:季 動:虫 動:鳥 植:草 植:花

将軍桜

ファイル 2983-1.jpgさくら市狹間田にある桜の木。

3Km手前の国道から案内を見かけて来てみた。
桜は細い坂道の登った先にあってすぐわかったけど、花はもう散ってるようで寄らずにUターンでもいいかなとも思いつつ、T字路交差点の中央で案内板も立ってたのでせっかくだからと駐車場で停めて見てみた。

まぁ逆に、散ってるからこそ見てる人も少なくちらほらでゆっくり見れるし、咲く前の桜とか散った後の桜の樹を見るのはこの点景では割りとデフォなので御愛嬌。
っていうか満開でこんな狭いトコに人が沢山来てたら道的にも場所的にも厳しいよなぁ。。例年はどのくらい人が来るんだろ。。

さてさて案内板を読むと、ここは奈良・平安時代の東山道だったそうで、奥州遠征の将軍が通ったりしたので「将軍道」と呼ばれ、桜の大木があったそうだ。
なんだ、喜連川の付近で将軍というから足利氏後裔の喜連川氏のゆかりの桜かと勘ぐってたけど、そうではなくて坂上田村麻呂とかの本物の征夷大将軍ね。そうだね田村麻呂と言えば桜だね。山形の桜回廊には田村麻呂ゆかりの桜の古木がいくつもあるもんね。
でも残念ながらここの桜は何回も代替わりしてるそうで、その時代からの千年桜というわけではないそうだけど、それで立派な山桜なのでこの樹の樹齢などを知りたかったけど、そういう情報は記されてなかった。。

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散ってる散ってる書いたけど見てみると残ってる花も多く、というか葉が花よりも出てきてたから散った後と思っただけで花自体は結構残ってたし、奥の方で日も差したりしてて悪くもなかった。

そして隣りには見るからに若めの桜の木がこちらは満開で花を咲かせていた。
なのでT字路を進んで横から見てみると、その若い桜がかぶさっていい具合に咲いた大きな桜に見えた。いいじゃんいいじゃん。

っていうか代替わりしててここらに咲く桜を「将軍桜」と呼ぶならこの隣りの若い桜も「将軍桜」とも言えなくもないよね。。
とか考えつつも、元の中央の樹に戻って見上げたら、枝ぶりも大きく広がってて貫禄違うね。やっぱり将軍はこっちかな。。

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T字路まがった駐車場手前にも小さな桜が植わっててこれも満開できれいだった。けどやっぱ散りかけで葉が多く出てても貫禄ある桜の樹の方がいいな。
ってわけで、今後も時季逃がしたくらいでも立派な桜はドライブがてら積極的に寄りたいなと思った。

タグ:植:花 植:樹

香娘めん

ファイル 2982-1.jpg那須烏山市南大和久の県道沿いにあるラーメン食堂。

丘を越える森の中の坂道の途中にあった店で、チラ見でスタミナ油めんというのが気になって咄嗟に寄ってみたんだけど、車を停めてよく見たら「激辛 スタミナラー油めん」と書かれてた、、、
うへぇ激辛メニューだったか、、
ヤメようかと思ったけど「ラーメン500円」ともあったので普通のラーメン食べようかとやっぱりここで食事。

ホントは白河まで行って白河ラーメン!とか思ってたんだけどね。よく考えたらまだ白河までは全然距離あるから向かったら夕方になっちゃいそうだよね。

ファイル 2982-2.jpg店に入ると、コロナ対策で各席はしっかり仕切りが立ってた。
壁にあるメニューを見るといろいろあって目うつりした。セット物が安く、半ラーメンが150円というのが魅力的。特別珍しいメニューはないけど「豚唐揚げ」とか「チキンソテー」とか「肉ニラ」「肉野菜炒め」などの定食が600円。これで、半ラーメンセットにしてもリーズナブル!定食にしよう!とか思ったけど、最近食が細くなってきたので食べきれるかな?と少々不安にも思い、半ラーメンセットにしないでとも考えたけどそれも悔しいし、、と悩んで、、
結局は初志貫徹で普通にラーメンを食べることにした。
しょうゆ、しお、みそどれも500円なので「しお香娘めん」にしてみた。

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普通の塩ラーかと思いきや、意外と透明感のない汁でパッと見しょうゆかと思うような色。豚骨かと思いきや鶏ガラメインなのかな、少々酸味をおぼえるいい味で麺は細麺ながらやや硬めで、チャーシューはトロトロで二枚。刻み葱がサッパリしていい調和。500円でもちゃんと手をかけたラーメンという感じで、想像してた塩とは全然違うけどおいしかった。(そして後味しっかり鶏ガラだった)
っていうか何故かコロッケがオマケでついてきてた。サービスいい。

で、ラーメン一杯で程よい腹心地。この店の前の県道は滅多に通らなさそうだけど、また来たら次は定食+ミニラーメン行ってみたいなぁと思った。

ファイル 2982-4.jpgところで店の外の駐車場前に自販機が二台並んでて、そのうちの一台に店の紹介広告紙があった。けどこんな店の前の自販機で紹介しても意味なくね?とか思いつつ、この広告のおかげで、店名の読み方が「しゃんこめん」という事が知れて良かった。

タグ:餐:ら

東の原公園

ファイル 2981-1.jpg印西市東の原の県道沿いにある公園。
先日寄った「旧陸軍印旛飛行場跡 掩体壕(→)」のオマケのようなネタなので、そっちの項目に追加してアップしようかとも思ったけど三週間もあいてるので普通に上げてみた。

そっちの項目で「掩体壕の土塁と飛行機の形を模した遊び場がある公園」と書いたのが此処。
で、その後に前の県道を通ったらなにやらここにも「印旛陸軍飛行場」の案内板が立ってるのが見えたので、「ひょっとしたらこっちの遊び場の掩体壕っぽいのも本物じゃね?」なーんて思えて気になってた。

で、ちょこっと寄ってみた。駐車場は五台分位で、こんな天気で人も少ないのに満車だった。
まずは公園の入口の方へ歩いて案内板を見た。公園の図と並んで「印旛飛行場と掩体壕」という案内があって、現存する掩体壕は一基だけと前に行った場所を紹介してたので、やっぱりここの遊び場の土塁は模して盛っただけのもののようだ。

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その掩体壕型の中心には飛行機を模した形の狭い砂場があった。双発っぽい形だから二式戦の屠龍かな?とか一瞬思えたけど、主翼の形が後退翼なのでジェット機のイメージのようだった。遊び場とはいえせっかく作るならこだわってほしかったw
最初、これじゃ機首が逆向きじゃないかな?とか思ったけど、バックで格納するからこの向きで正解。砲台の向きと勘違いしてた。

そして天気悪いお蔭で遊んでる子供はいなかったので土塁にのってみた。上も平らで左程高くなく、子供が転がり下りても問題なさそうな感じ。いい遊び場だけど「子供が戦争に興味もったら困る」とか言い出す親とかいそうだなと思った。

天気悪いからチャンスと思って来てみたわけだけど、子供が遊んでないからとはいえ怪しいおっさんが遊具広場でウロウロしてるのはやっぱりヨロしくないと思え、土塁から下りたら足早に車に戻った。

タグ:観:園 観:軍

臼井城址公園

佐倉市臼井城之内にある城跡の公園。

臼井城は歴史からも興味ある城だったし、なによりちょくちょくドライブでも通る道から見える丘の城跡なので、前々から行こうとは思ってたし、いつでも行けると思ってるトコはなかなか行かないもんなんだよね。。
公園になってて駐車場もあるというのは調べてたんだけど、入りこむ道が狭くて細そうで毎度躊躇して通過し続けてた。。っていうか軽自動車(Z)に乗ってた時に行けばよかったーと、乗りかえた時から思ってた。

ファイル 2980-1.jpgなので、車を車検に出して借りた代車の軽で今日こそはとやって来た。
坂の中腹の駐車場の裏から登れる道もあったけど、取り敢えず公園の正面から歩こうと、くねーっと坂を上って入口に進んだ。

こっちからまわったのは正解かな。ちゃんと臼井城跡の案内と園内図もあった。(っていうか、ここにしかなかった)

臼井城は千葉一族の臼井氏が築いた城で、何度も戦乱に見舞われ落城奮闘返討の歴史を持つ城。
臼井氏を追い出して原氏の城になった戦国時代には、上杉謙信も攻めてきて落城寸前で巻き返して大勝して追い払ったというのが有名な戦場の城。
うちの地元の小金城の高城氏は原氏側だったので、謙信は臼井城に来る前に小金城にも攻め入ってて、こちらも攻め落とせぬままに臼井城攻略に失敗して引いたという話からも興味持ってた。

まず公園の入り口は二の丸跡の広場。広い原っぱで草も刈ってあったので天気よければ寝転がりたいトコだけど、雨降った後なので横断する気さえなく、周りの道を進んだ。

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その広場の北側は堀になってて、縁の日陰に進んでみたら深く割れた崖の谷のような溝でなかなか凄かった。けど、聊か茂み荒れ深くスッキリは見渡せないのは残念。

それはそうと足元にはかわいらしい紫の花があちこちに咲いてて、日陰ながらきれいだった。ムラサキケマン(紫華鬘)という春の花らしい。(かわいいいけど毒があるそうで食べたヤバいそうだ)

ぐるっと公園の道を進むと東側は浅い溝で一段低い小さな曲輪のように見えた。(けど、往時は深かった堀を埋めたものらしい)
溝に沿って進むと、駐車場からの道と合流して土橋の道に出る。その先が主郭の本丸跡だそうだ。

二の丸みたいな広場を想像してたけどちょっと違って三角?Y字?三方向に飛び出した形だった。
まず手前にあった土塁の階段を登って進んでみた先が北側の隅。ここはこれで別の曲輪に見えた。公園の入口の図では花のマークがあった場所だけど花はなく木蔭で地味だった。

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次に南の開けた広場の側には桜が並んで咲き乱れていた。
これはこれはいい具合に満開。そして枝先もいいくらいの高さまで伸びていて花見に最適。もちろんこんな天気だから花見客などおらずゆっくり歩いて花を見れた。むしろこんな天気で良かった。(昨日はいたのかな?)

そして桜に包まれながら隅まで進むと、南東側の臼井から桜への町並みがよく見えた。
昔はこの市街全部まで印旛沼が広がってたそうで、そのままだったらさぞかしいい眺めだろうと思えた。
正面少し先には佐倉城址の歴博の四角い変な建物が丘の上に見えた。佐倉城は江戸時代に建てられた戦乱知らずの城。大きくて立派でも歴史的な面白味はないね。

その右手前にこんもり見える森の丘が宿内砦。この臼井城はこの城以外に幾つもの砦と支城を付近に巡らせてた城なので、そういう領域で考えるとえらく広大な城という事になる。まぁ戦乱時の城はみんなそんな感じかな。

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東側に進んでそっちの隅からは印旛沼が少し遠いいけどよく見えた。もちろんこっち側も往時は眼下まで沼の水面だったのだろう。あ、いや、干拓しやすいくらいの蘆原だったのかもしれないな。と想像してみた。
沼の左岸に印旛公園の師戸城跡がある。城跡を歩いた感じではそっちの方が広くて立派な城に思えるけど、支城だったそうだ。
こっちの沼側から攻め込まれることはないだろうからここが城の奥の奥だね。館を造るならここだね。

あとはゆっくり北側の縁に沿って歩いた。下を覗くとこっちも曲輪のようだった。けど案内図には曲輪とはなく、北側の出口のように書かれてて祠の方から下る道があった。

ここら辺の足元にもまたさっきと別の青紫の花が咲いていた。タチツボスミレ(立坪菫)というらしい。スミレってどんな花かパッと思い浮かばないけど、こういう感じなのね。植えられた桜もいいけど、自生した天然の野草の花もいいもんだ。春だねぇ。

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そして土橋に戻ると、覗き見下ろせる坂の途中の駐車場まで小さな曲輪に見えてしまう。往時の土橋はもっと細く、両脇は急峻な深い堀になってたんだろうね。
で、その土橋の先の後から盛って造ったような下る道で駐車場に戻った。

あとは車で移動だけど一応駐車場からは来た道を戻らずに坂を上って、公園の口を通過すると土橋で深い堀を渡った先が三の丸曲輪だそうだ。
密林の谷のような堀に沿って進むと「太田図書の墓」というのがあった。太田図書というのは太田道灌の弟だそうで、この臼井城攻略の際に討死したそうだ。

つまり攻める側というか往時の城はこっち側が入口だったわけで、沼から登ってきて城の奥を歩いてまわって入り口方向に抜けて帰った形。でもっこっちの道は狭くて入り組んでた。くねくねと北に抜けて帰ったけど、この三の丸は南北に長い外郭で太田図書の墓から左に曲がって南に折り返すのが下城としては正解だったようだ。(そんなことまで考えて城をまわったこともないけどね)

タグ:観:城 観:園 楽:眺 景:町 景:湖 植:花

八谷和彦「秋水とM-02J」展

ファイル 2979-1.jpg墨田区江東橋にある「無人島プロダクション」で催された個展。

こういうのは点景にするべきか迷いつつも、(だったら見た映画やライブの感想とかも点景にするべきだと思えて、、)元々「こんぶくろ池」の項目(→)から興味持った旧柏陸軍飛行場からの流れのネタだしって事であげてみた。

八谷和彦さんというメディアアーティストが創った、風の谷のナウシカのメーヴェみたいな飛行機「M-02J」と、その保管する格納庫近隣がたまたま旧柏陸軍飛行場だったところから、そこで研究されていたロケット推進戦闘機「秋水」の写真とのコラボという形の展覧会。
実は去年の暮れには柏で開催してたらしいから、もう少し早くから興味持てて知ってればよかったのに、、と少々悔しくもあるけど、逃がしてもそう遠くはない東京の東部でやっててくれてたすかった。(西の方だったら来なかったと思う)

「秋水」は太平洋戦争末期の対B29用迎撃機としてドイツの「Me163」の設計図から造られたもの。
戦争という暗い背景と高高度爆撃機に対する苦肉の策で練られた破天荒な運営と機体ではあるものの、特攻ではなく操縦士の生還を考えた機体であり、如何にして高高度までぶっ飛んで帰るかという研究はちょっとしたロマンといえなくもない。(いや、ロマンとは言えないかな、、w)

そんな戦闘機と風に乗るジェット滑空機とのコラボというのはあまりピンときてなかったけど、どちらも興味持てる小型の飛行機なので見てみたいと思った。

まーた前おき長くなっちゃったけど、その分、後はシンプルに行きたい。
ギャラリーは古い倉庫の見た目で、ホントに中でやってるのか不安に思いつつ扉を開けるとドーンと「M-02J」が見えて中は別空間のようだった。

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っていうかこの「M-02J」の実機の展示がメインで、あとは国産飛行機の系統図ポスターや紹介VTRのモニターと背景に大きなスクリーン。
そして片隅一角に「秋水」の写真、そして旧柏陸軍飛行場の模型をスクリーンにして写したVTRの演出はなかなか良かった。

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ゆっくり見て眺めて、
八谷和彦ご本人が他のお客さんに解説するのを盗み聴きしたりして、ゆっくりたのしんだ。
(ちなみにこの八谷和彦さんはネットで調べたら懐かしの愛玩メールソフト「PostPet」を創った人でもあるそうで、僕はβ版から愛用してたので驚いた。先に調べてから行くべきだったかも)

ところでこの倉庫ギャラリー、受付の脇に東京大空襲の地図らしきものがあったので、ひょっとしたら空襲にも残った建物なのかな?とか思ったけど、建物に関しての情報はネットでもわからなかった。(まあ戦後の建物でしょうね)
結局、秋水は完成も運用もされず空襲されつくされて終戦になり、国産の航空機製造がお伽話なってしまったような現代だけど、そういう時だからこそこういうM-02Jみたいなロマンある機体が造られるのは嬉しいし、(作者の意図とは違うのかもしれないけど)その二機の対比を感じられた個展だった。

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車に戻ってパンフを見たら、秋水とM-02Jの二機ともそんなに変わらない大きさなんだなと思えた。秋水の原寸大模型とか造ってほしいなぁ。そして飛行場跡の柏で飾って欲しいなぁ。(。。とか思ってて思い出した。そういえばドイツに行ったときにミュンヘンのドイツ博物館で「Me163」の現存機体を見てたっけ!)

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タグ:観:機 観:軍 楽:催 楽:映

珍来

ファイル 2978-1.jpg館山市佐野の410号沿いにあるラーメン店。

「厄除タンメン」の幟が目について気になって暖簾が掛かってたから半端な時間でもやってるようなので寄ってみた。

けど、入口はカギが閉まってた。。

あれ?と中を覗くとテレビつけたまま店のおばちゃんが座席でうたた寝してた。。
コンコンとノックすると気付いて起きて開けてくれた。(いや、不安に思ってやめようかとも思ったけどねw)
日差し良く西日差し込んで暖かければうたた寝もする気持ちはわかるけど、ちゃんと鍵を閉めてたって事は寝る気満々だったんだよね。

ファイル 2978-2.jpgさて小さくて雑な店ながら入口のアルコールもテーブルの仕切りもコロナ対策はちゃんとしてた。
そして店のおばちゃんはまるで僕が近所の常連かの如く「もう毎日おんなじでつまんねーな」とか話しかけてきて(最初は乱暴な言葉で焦ったけどw)感じよかった。

メニューを見つつ最初から決めてた「厄除タンメン」をたのんだ。メニューにも「当店自慢」とあった。そういえばメニューの「ニラレバラーメン(気が向いた時)」というのも違う意味で非常に気になった。。

そして「厄除タンメン」
「おいしいキャベツを貰ったから沢山入れといたよ。この季節のキャベツは甘くておいしいよねぇ」といわれてキャベツ話が始まったので相槌うちながら食べた。

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たしかに甘いキャベツはボイルして炒めてておいしかったし、他の野菜もおいしかったけど、タンメンじたいそのまま塩バタくらいのコクで既においしくて、細麺で柔らかめの麺は野菜に夢中になってるとのびそうになるけど、むしろのびてもいいくらいの総合汁料理って感じでゆっくり食べられた。

おばちゃんの話は実に具体的な内輪話に移りつつも、ついつい聞き入って楽しめた。
先日行った同窓会の話からハーレー乗りのお客さんの話、木更津のコストコに行きたいと云う話とか宝くじの話、館山の話や一昨年の台風の話、話は流れながら自然に続きつつ、こちらの反応は流されずにちゃんと聞いてくれて会話になってたのでなごめた。
差し込んでた夕陽が落ちそうになったとこでさすがにそろそろ「ごちそうさま」と会計して店を出た。

客観的にみれば世間話に付き合わされただけに思えるけど、雑な感じながら人懐こく飾り気なく自然に話せて気分よく、千葉県ローカルのいい雰囲気が味わえて楽しかった。

帰り際に「うちはカツも厚くて自慢なんだよ、また館山に来たらカツ丼食べに来てみて」と言われ是非来ようと思った。
(そういえば「厄除タンメンの厄除けってどういう意味ですか?」と聞くのを忘れてた。。)

タグ:餐:ら 餐:菜 楽:話

館山市立博物館

ファイル 2977-1.jpg館山市館山の館山城跡の城山公園にある博物館。
山の上の天守型の建物が分館で中腹にあるのが本館だそうだ。

天守型の建物は昭和後期に建てられた所謂ナンチャッテ天守で、元々は天守などない江戸初期までの城跡ということで、今まであまり興味持てず一度も寄ったことはなかった。
けど、先月千葉氏の本拠地でもあった千葉城(猪鼻城跡)に行って千葉氏の歴史に触れてきたので、だったら里見の本拠地も行っとくべきだよな、、と思えたし、最近はナンチャッテ天守にも寛容になったので(現存だろうが復元だろうか模擬だろうか元々戦乱のない江戸時代の天守自体ほとんどお飾りみたいなもんだからね)やっと来る気になったし、緊急事態で千葉県から出ないこの時期に来ておきたかった。

さて、天守型の博物館分館は山上なので駐車場からは少し坂を上る。(それもあって今まで気がすすまなかったというのある)
その坂道は舗装された道で折り返さずに山を廻るように登る坂なので、(こんなデブでも)ゆっくり登ればキツくなかったし、周りでは桜も咲き始めていたので花見がてらで登れた。
桜の種類はいろいろあるようで、普通の吉野っぽいのをメインに八重っぽいのも咲いていたし白く大きめの花の桜(大島桜?)も咲いていた。

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更に坂の上の方では水仙も咲き残ってたしアヤメ(ダッチアイリス)までもう咲いていた。

取り敢えず立ち止まることなく進んで登り切ると博物館前の展望台に出た。
思ったよりも楽に登れたので、これなら毎度躊躇してる久留里城だって登れたかも、、、とか思った。(調べるとむこうの方が高くて急らしい。。)
常夜灯みたいなのとか恋人の聖地とかあっていい眺めのフォトスポットだけど、博物館に入るつもりなので展望はそっちでとサッと見て進んだ。

ってわけで模擬天守の博物館分館。その前は山頂の本丸にしては広すぎる広場になっていて引きの写真も撮りやすいイイ公園。戦国時代往時はどういう形だったんだろうか、、そういう案内はなかった。(戦時中に高射砲陣地としてかなり整備され、その後に公園化で均されたそうだ)

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入館料を払って入った。あれ?無料じゃなかったんだっけ。。
館内は撮影禁止。俯瞰でもアウト。「撮ってもイイよ」と言われたのは入口のアニメキャラのボード(去年暮れ放送の「戦翼のシグルドリーヴァ」の宮古。見てたし割りと好きなキャラだった)と、「八犬伝の登場人物」の一覧パネルと、犬と狸の像。
中は里見八犬伝の資料展示だけで、あまり興味なく馴染みもなく(ホントは一度しっかり物語を知ってみたいトコでもあるけど、、)サーっと見て階段を上った。

上の階の展示室は改装中で閉まってたので見るトコは他に無く一気に四階の展望室に上がった。(なんだこの博物館、、、)

で、展望室から館山の眺望。いい眺め。
正面の西側に浦賀水道方向の海が見えた。館山基地も見えて、そのまわりの関東大震災で陸続きになった幾つかの島も見えて、そのまま陸繋島にならなければもっといい景色だったかも、、とか思えた。

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南側は山方向。東側から市街が広がってて、こっちに館山藩の陣屋や鹿島掘跡とかあるそうだけどよく分からなかった。っていうか陣屋跡って山の裏側なんだ。。
北方向が市街の中心、案内には崖観音まで書かれてたけどさすがに見えなかった。手前の駐車場と停めた自分の車はよく見えたw この駐車場や公園広場が陣屋跡だと思ってたけど全然違ってたわけだ。
二周まわってゆっくり眺めて下に降りた。

天気よくなって日差しも出てきたので少し広場をまわって、里見桜の解説を読むと、江戸時代に外様大名取り潰しの策で倉吉に移封され流されて滅亡した里見氏を偲んで倉吉で育てた苗木を植えたものだそうだ。

ファイル 2977-5.jpg梅園とか八遺臣の墓とかには下らずに素直に来た道を下った。

そして坂の途中で横の階段に折れて下って北側中腹の博物館本館に行ってみた。
入場券は共通なのでこっちも見なきゃ無駄遣い。
入館は4時半までで4時前に入館。梅園に行かなくてよかった。

で、こっちも館内全面撮影禁止。
展示もいまいちパッとしなかったし里見氏の歴史についてはあまり展示がなく、館山城については皆無だった。
二階でやってた企画展「武士たちの明治」というのも期待せずにまわったけど、これは意外と面白かった。
館山は里見が去って廃城になった後はパッとしない江戸時代を過ごし、幕末にやっと稲葉家が一万石の館山藩をつくったものの陣屋には少人数しか詰めずに殆ど江戸屋敷がメインという(茨城の小藩と同じような)寂しい体制。戊辰の役で恭順派と分かれて函館まで行った藩士も多く、残った藩士は少なかったそうだ。
展示のメインは明治になって駿河の一大名になった徳川家に追い出される形で移ってきた長尾藩の藩士の廃藩置県後の生活。彼らがこの今につながる館山の土台を築いたわけだ。

それにしても、元々は四国の阿波国の人々が移り住んで開拓して上総国から別れてできたのが安房国。で、そののちこの地の大名として奮闘隆盛した里見氏も元は上野国の新田一族で、室町時代中期の結城合戦で敗れて落ちのびて安房に入ったとか。そして駿河から来た長尾藩等、みんな移り住んで来た人達の歴史だなぁ、、とか思ったけど、それは全国どこでも同じだよね。(自分も東京から来た千葉県民だし)
正直、この企画展は料金払っただけの面白みがあり、伝えるべき館山の歴史だし、これは常設にするべきじゃないかなと思えた。(それと「鉈切洞窟遺跡」のジオラマ模型だけはよくできていたので撮影OKにしてほしかった)

さてさて、下までくだって駐車場に戻る前に広場にある店に行ってみた。
ここは「里見茶屋」という茶屋で団子が名物らしく幟が立ってたんだけど、店の貼紙メニュー見てびっくり、団子の種類が半端なかった。わりとスタンダードな八犬士団子だけで八種類。ホイップクリーム系四種に醤油系三種に味噌系も二種、特製というのが三種あって、他に限定っぽいリンゴとか春イチゴとか房州完熟カボチャ団子なんていうのもあった。すげー。
いろいろそそられたけど甘いのは自粛なので「豚バラ肉巻みたらし団子」と「宮醤油と花かつおの焼き団子」を買ってみた。

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店内で食べる場合は飲物とのセットじゃなくてはならないそうなので、持ち帰りで買って公園の東屋で食べた。
なんか団子の見た目じゃないよね。。
けど「豚バラ肉巻みたらし団子」は「みたらし」という事を忘れてて食べたら甘くて意外な上に団子が柔らかくて食べづらくなんとも変な一品だった。
「宮醤油と花かつおの焼き団子」は思った通りの味で安心したけど海苔は切れずに先に食べちゃって削り節はポロポロ落ちちゃって後半は裸の焼き団子だった。。なんともはや。

そういえば昼も食べてなかったので忘れてた空腹を思い出した。花より団子より飯が食いたかった。。

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