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江口蓬莱館

ファイル 3278-1.jpg日置市東市来町伊作田ある物産店。

前の車や対向車がこぞって入って行くのを見て、普段なら「前が捌けたラッキー!」と通過するところだけど、腹ペコだったので何かすぐ食べるもの買おうと寄ってみた。

平日なのに広い駐車場はかなり埋まってて、奥の方で合間の空きを見つけて止めて店に入るくらいだった。

入るまでは「蓬莱館」の「莱」の字を「菜」の字と思ってて、なんとなく野菜メインの直売所かな、、とか思ってたけど、アニハカランヤ。漁協直送という鮮魚コーナーが一番充実してて人気だった。

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「観賞用で販売用ではございません」という水槽などの魚を眺めつつ店内をまわった。
食堂は残念ながら11時からだったけど、弁当なんかも飛ぶように売れてて、さりげなく残ったものを見つけてすかさず買えたのはラッキーだったかもしれない。

すぐ脇が浜だったので座って食べようと歩くと、浜の前に東屋もあったのでバッチリテーブルで座れた。ナイス。
まず食べる前にその目の前の江口浜を眺めた。

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シラス台地の長い崖が続く海岸線がいい眺め。崖の先に見える山は金峰山かな。野間半島もかすみつつ海にのびているのが見えた。
振り返ると駐車場の先の国道の崖も高く、雲に隠れた緩い日差しがそそいでた。

さてさて、食事食事。
買ったのは「江口蓬莱館特製 鮮丼」(多分「海」の字が脱字)
もう何が入ってるのか分からないけど、気にしないで一気にかっ込めそうなぶつ切りのパレード。いただきます。

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んーんーんーんまい。
これで550円は安すぎだよね。特にこの赤いのなんか絶品だった。
甘い醤油で九州らしさも充実。大満足。

なんか食べてるうちに日が差してきて、青空の晴れ間になって海も青く輝いいたけど、うまいものでもう満足で写真撮り直すの忘れてたな。。
いやぁ寄ってよかった。

タグ:食:弁 餐:魚 動:魚 景:海 景:浜 景:崖

大汝牟遅神社

ファイル 3277-1.jpg日置市吹上町中原東宮内にある神社。

「南薩一の大楠」という看板が気になって来てみた。
駐車場は国道沿いにあって少し歩くんだけど、その神社の前の道は毎年11月に流鏑馬が行われる道だそうだ。公道でやるんだ。。

神社はそんなに大きくはなく町の神社という感じ。
鳥居をくぐった境内にはまず流鏑馬の解説と島津家とのご縁の案内板があった。

手水の水は止まってて蓋をして白い花が飾られていた。

そして拝殿の前には狛犬のように左右二本のイチョウの木が並んでて、左のイチョウは男性が手を当てて願いを念じ「御神徳を戴いて下さい」とあった。へぇぇ。
手を当てて願ってみた。そういえば正月に行く地元の神社の二本並んだイチョウも手を当ててたのでそれを思い出した。

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右のイチョウは女性用だそうで「胸にあてると母乳の出が良くなる」そうだ。イチョウも女株なのかな、乳が垂れているのが見えた。(ち〇ち〇にしか見えないけどね)
ってことは地元の神社も左右が男女で別だったのかなぁ、、両方さわってたなぁ。。まぁいいか。

そしてその先の社殿の右にあったのが御神木の大楠。
樹齢千年以上、幹廻り約14mで、な、なんと「やさしく三回撫でながら願い事を唱えて下さい」だそうだ。え、ええぇ樹齢千年級の古樹を触れるでなく撫でていいのー。(つい先日見た他での大楠は近づけもしなかったのに。。)と驚きつつ、撫でさせていただきました。
そして、木は堂々としてて、根元に洞はあるものの枯れた感じなどないキレイな姿。(これも、先日見たものは半分枯れた根元の上に幹が伸び続けてるような姿だったりした)ホントに千年?と疑いたくなるくらい生き生きとした大樹だった。

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そして社殿にあった「オットゲ石」というのは、持ち上げて軽く感じたら願いが叶うという石。(たまにあるよね)持ち上げてみたら軽かった! けどこれはお参りした後に持ち上げるものだった。。重く感じたら祈念やり直しという無限賽銭ループ。。軽く感じてよかった。
ちなみに、拝殿むかって右側が男用、左が女用。イチョウとは逆なので注意。

その前には砂が盛られた貝殻が並んでいた。これは「潮浜参り」という奉納の風習だそうだ。

いろいろあって後になってしまったけど、ちゃんとお参り。
由来によるとこの地はニニギノミコトが宮居された場所だという伝説があるとのことだけど、御祭神はニニギではなくてナムジ(大汝牟遅命=大国主)と玉依姫命。後に初代の島津氏が八幡大神の仁徳、応神、仲哀の天皇と神功皇后も遷し合わせ祀ったそうだ。

開かれてて覗けた社殿の中は格子の天井に地元の人が描いたような水彩の花の絵が貼りこまれていた。なんか彫刻とかで飾られてそうな所に市井の雰囲気が収まっていて見え、ああ、地域の人々に親しまれ触れられて身近に感じさせてくれる素敵な神社なんだなぁと思えほのぼのした。

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他にも境内には「連理の賢木」という縁結びの榊や、「石の子望神様(イシノコンボサア)」という子授安産の神石というのがあった。石神に願をかけて小石を持ち帰り、妊娠出産後にもう一つ石を添えて二個の小石を納める風習だそうで、これは吹上町入来にあったものを平成20年にここへ移したんだそうだ。
知り合いの妊婦さんに一つ持って行ってあげたかったけど、二つの石を納めに戻って来れそうにはないので控えた。

という、町中サイズの神社ながらいろいろありすぎて濃すぎるスポット、伝説や歴史がありつつ御神木や石に触れて親近感持てる素晴らしい神社だった。寄ってよかった。

境内を出た後は、前の参道の道をCM・ドラマ撮影地とあった「千本楠」という所に歩いてみた。

ら、
宅地の参道の並びに意外なくらい濃い楠木林があって驚いた。
手書きの案内には「二十数株の大楠があたかも竜が寝ているように連なり~」とあり、まさにそんな感じで奔放に伸びた楠木が犇めき合っていて、前の道から見るだけでも濃い雰囲気を醸し出しているのが感じられた。

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階段の入口から林に踏み入ると赤い祠があった。ここも神社の神域と謹んで歩かせてもらった。
林の中はクスノキ以外は綺麗に整備された公園のように歩きやすい林で、普通なら一本だけ残ってて天然記念物になりそうな楠が何本も集まっている光景は圧巻。
正直、CMでもドラマでも見た覚えはないんだけど、なるほどこれは撮影地にしたくなるような凄い所だと思えた。
けど、如何せん下手くそでアングルの悪い僕のこの写真では雰囲気が伝わらなさそうなのが悲しい。。

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で、この斜めに波のように生える楠ってさ、大楠の垂れた幹の先が地面に着いたとこから根を張って分離した株なんだよね。ってことはこの並んだ波の楠の手前に更に大きな楠が以前はあったんだっろうなと思え、そう思うと樹齢ってわかんないよね。どれもこれも神代からのものに思える。入り口の案内には「大汝牟命の下命の時に楠の杖を地にさされたところ、これが根付いて神木となり増えたと伝えられる」とあった。なるほどね。(っていうかやっぱりニニギではないのね)

とにもかくにもその楠の姿よ。「あたかも竜が寝ているように」とはよく言ったもので、その通りだと思えたけど、いやいやいやいや寝てるどころではなく、飛び立とうと翼を広げている飛竜そのもののような形のカッコイイ楠もあって見惚れた。

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いやまじでこれは龍だわと一旦感じると他のどの木も龍に見えて圧巻。あちこちいろんなアングルで眺め見上げ見てまわった。

いやはや、これだけの楠を見ると境内の御神木の整ったおとなしい大楠の印象が薄れてしまって困るw
凄い所に来れて大満足。立寄ってよかった。存分に雰囲気を味わって祠に拝んで林を出た。

タグ:観:宮 観:伝 観:石 楽:験 楽:触 景:森 植:樹

道の駅 きんぽう木花館

ファイル 3276-1.jpg南さつま市金峰町池辺の270号沿いにある道の駅。

あーも―何か食べたい―と思って立ち寄り。(朝は興味引く食べ物とかそういうの諦めてコンビニで何か買えばいいのにね)

ここも駐車場前の産直店入口前に砂像が置かれてた!
さっき見た市役所の物に比べたら小さ目だけど、近くで見れる分ディティールがしっかりしてて、三人の山伏?の力強い姿でカッコよかった。
裏は田圃と地蔵(田の神)と山(金峰山)でのどかな感じだった。

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さて、店に入ると食堂は手打ちの蕎麦が名物らしかったけど、まだ開いてなかった。まぁしかたない。九州で蕎麦が名物って非常に興味あったけどねぇ。
店の方をまわって気になったお惣菜は「つけあげ」というもの。これってつまりさつま揚げだよね。薩摩では「つけあげ」と呼ぶらしい。そっか。(サツマイモは何て呼ぶんだろ=唐芋だそうだ)
なんかビニールのセットで殆ど棒状なんだけど、たまに丸いのが混ざってて「この丸いのって違うんですか?」と聞いてみたら、ニラ野菜入りのもので数が少なくすぐ売れちゃう種類だそうだ。ので、それを買ってみた。

そして外に出て女神像のある前のベンチで座って食べた。

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うん、甘めだけどおいしい。粗挽きな感じがハンバーグっぽくも感じて食感も良かった。これは二袋買ってもよかったなぁ。(昨日のウズラの失敗があるから仕方ない。。)ぺろりと食べちゃった。

さて、女神像だと思ったのは「木花咲耶姫(このはなさくやびめ)」、高千穂に降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が鹿児島で出会った美女で、大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘。ん?オオヤマツミはイザナギとイザナミが産んだ山の神、ニニギはアマテラスの孫でアマテラスもイザナギとイザナミの子だから、、、まぁいいか。こ の阿多と呼ばれたこの地出身の絶世の美女だそうで、ニニギが求婚すると父親のオオヤマツミは喜んで姉までオマケにつけて差し上げたそうだ。ところがこの姉「石長比売(いわながひめ)」が超ドブスで醜いので送り返されてしまったとか。あーあ。

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っていうか、美女の妹がこの地の女神なら、醜女の姉もこの地出身だよね。。そっちの像もたてるべきでは?(ちなみに他にも沢山の姉妹がいて、木花知流比売(このはなちるひめ)という親近感わきそうな名前の女神もいる。でも咲くに対しての散るなのでややダーク)

なんか今回は色んな神だの天皇だのにあちこちで触れて混乱気味。ちなみにこの木花咲耶姫は、神武天皇のおばあちゃん。ああ、つながったw

タグ:餐:揚 観:藝 観:像 観:伝 道の駅

南さつま市役所

ファイル 3275-1.jpg南さつま市加世田川畑にある役所。

平成の合併前は加世田市で、何回か通ってはいる程度の遠方の地域ながらそっちの方が特殊な地名でピンとくるのが不思議。

さて、市役所に用事はないけど砂の祭典っぽいサンドアートが並んでるのが見えたので寄ってみた。
ら、
今年の「吹上浜砂の祭典」は(去年の中止から再開)規模縮小してここが会場なんだそうだ。

っていうか、「2022吹上浜砂の祭典」は明日3日からの開催で、そもそも朝だしってことで、会場内はバリケードで入れない形になっていた。(スタッフなのか関係者なのか案内されてる人はいたけど)
けど、砂像は見れるので問題なし。むしろこのくらいの方がドライブがてら立ち寄った者としては丁度よく、周りをウロウロして見てまわった。

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テーマは九州の旅なのかな。
まぁそりゃ一昨年行った鳥取砂丘の「砂の美術館」と比べちゃいけないとは思ってたけど、そういうレベルの差ではなく身近な感じとして、面白さというか楽しさは充分伝わってなかなか良かった。
そして砂像は前後左右見る面で感じも違ってて、会場側の面も横目でや遠目でみても楽しめた。

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南九州各県の砂像が並んだ側と、外国っぽい砂像が並んだ側があった。これは姉妹都市とかそういうゆかりある所って事かな?(そうではないらしい)
何といっても開催前、案内解説のプレートもまだ配置されておらず、配置されてても入れないから読めないので仕方ない。単純に造形を楽しんで見てまわって満足。

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呪術廻戦やのJALの物などはバリケードの外なのでゆっくり見れた。
ぐるっと見て回って駐車場に戻ると、その端のテントで作製中のパーツがあったりした。物によってはまだ完成じゃないのね。

ファイル 3275-5.jpgそういえばこの駐車場も「旅するイベント広場」なんてゲートが立ってたくらいだから、開催当日は車なんか停められないのかもね。
ちゃんとイベントを見て楽しみたい気もするけど、人ごみの無い前日の平日の朝に立ち寄れてよかった。

ちなみに
「砂の祭典」の会場はこの市役所だけではなく、市街も会場エリアとなるようで、そういえばその後車で通過した町中にも砂像が立ってるのが見えた。

タグ:観:藝 観:像 観:庁 観:キ

道の駅 川辺やすらぎの郷

ファイル 3274-1.jpg南九州市川辺町清水の225号沿いにある道の駅。

朝8時から直売所とかやってて朝食代わりになりそうな総菜が帰るような都合のいい道の駅がそうそうあるわけもなく、トイレだけの休憩。

道の駅は何かに隣接しているわけでも近くに景勝地があるわけでもなく、まぁ点景にすることも何もないんだけど、館内入ったトコにフラワーアレンジメントと水槽があり、水槽には大きくなり過ぎた金魚すくい風な緋鯉が泳いでいた。緋鯉かぁ、、とのぞくと地味だけど元気なスッポンが底で元気に動き回っていた。
なんかこういう観賞水槽でスッポンを見るのも珍しく思った。

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、、、魚の写真とスッポンの写真があったので点景にしてみたけど、これって普通なら不採用だよなぁ、、
と思いつつ、むしろ普段からこのくらいの軽い内容でアップすればサクサク作業進められるんだよなぁ、、
とか思って、今後の軽量化の第一歩に!としたかったんだけど

やっぱ少々物足りないのでオマケの写真。

この道の駅を出た後に行ってみた「塘之池公園」
ナビ地図で見た池の名前の字が読めずちょっと気になって来てみた溜池の公園。

ファイル 3274-3.jpg江戸時代中期の元禄4年(1691)に島津藩が灌漑用に造った貯水池で、池の畔に神社があったので宮の池とも呼ばれてたそうだ。
点景のネタとしては、、この池にスッポンが沢山いるとかヒゴイの伝説があるとかだったらねぇ。。
とか思ったけど、ただ単純に眺めて休憩したってだけでも点景と言えば点景だよね。ネタとか考えるのは邪だよね。

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タグ:植:花 動:魚 動:虫 観:池 観:園 道の駅

マリンパレスかごしま

ファイル 3273-1.jpg鹿児島市与次郎の錦江湾に面したホテル。

自分のGW連休の中間のこの日は(休日出勤した前の週末の分の)代休という形での平日休みなので宿がとりやすいだろうという目論見と、ちょっと足疲れてクタクタだったので、後半に向けてちゃんと寝てリフレッシュしたと考えて夕方に宿予約。
駐車場無料で大浴場があるトコで当日割りの安い部屋で検索して見つかった宿がここ。なんと鹿児島市街で海沿いでオーシャンビュー。
どんなトコかと来てみたら結婚式場ホテルだった。

あーそうだよね、前にも同じような条件で予約して来てみたら結婚式場ホテルだったことあったわ。
場違いな感じはまぁ気にしないとして、前に泊まったトコはロビーから部屋までやたら遠くて大浴場も遠くていやんなったトコや、大宴会場ホールを区分けして造ったハリボテっぽい部屋で寒すぎたトコとか、あまり印象は良くなくてあーハズしちゃったか―と思った。。

けど、ここはロビーから部屋まで近くエレベーターで上がるくらい。なので大浴場も近く、夜も朝も入った。
そして大浴場からも部屋からも錦江湾と桜島がばっちり見えるいい眺め。これは珍しく大当たりだった。

ってわけで、普段は宿なんかめったに点景にしないんだけど、やっぱり眺めよく写真撮ってたので上げておく。

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桜島は時折煙を吐いててさすがの活火山。海には小型の漁船が行き来してて、フェリーも見えた。
手前では釣りをしてる人も多く、天気は薄曇りだったけど、朝日眩しいよりも落ち着いて眺められたと思う。

タグ:楽:宿 楽:眺 景:海 景:山 景:噴 観:船

狭野神社

ファイル 3272-1.jpg高原町蒲牟田にある神社。

たしか、都於郡でくにさんと、少し登るけど眺めのいい神社と、全然登らず雰囲気のいい神社のどっちに行くかで話してて、登らない方がいいと言ったけど、、登る方「霞神社」に寄ったのでこっちは来ないもんだと思ってた。
「えーもう歩きたくないよ」といいつつ「全然登らないから」というので渋々歩いてみた。

ら、
なんとも雰囲気のいいまっすぐな杉並木の参道。
薄曇りの夕方前だったけど、暗さは感じずほどよいしっとり感だった。なので足の疲れも忘れて気分良く歩けた。
この参道は一の鳥居があるのが国道沿いで1㎞弱の長い直線の参道。その中間というか後半に駐車場があるので四半の230mほど歩くだけのおいしいトコ取り。
小さな橋で渡る小川も水清らかで素敵な森だった。

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途中に「みやざきの巨樹百選」というのが出てた。樹木名スギ、樹齢400年、幹900㎝、樹高40mということだけど、どの木がという表記はなく同じくらいの高そうな立派な木は何本もあった。。

そして門をくぐって境内に入ると、しめ縄巻いた立派な杉が見えた。これが御神木かな。立て札に「狭野杉の由来」とあり、慶長4年(1599)島津義弘が新納忠元を遣わして植栽した樹齢400年国天然記念物指定だそうだ。どうやらこの木だけでなく参道の400年物全部が「狭野杉」として国天然記念物ということらしい。(数が減った400年物だけじゃなくて、参道からの杉全部が指定されてるらしい)
くにさん曰くこの新納忠元が植えたという樹はよく見かけるそうだ。「新納(にいろ)って変わった名前だよね読めないよね」(たしかに。文字変換で出ないや)

この御神木前で参道から折れた横に社殿があった。

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そしてお参り。拝殿は外拝殿という形で手前にあった。その賽銭箱の上に由来のボードがあった。。これ、すいてる時はいいけど人が多い時は読んでられないね。。
御祭神は神武天皇(神日本磐余彦天皇)。その生誕の地に創建されてたけど霧島山の噴火により慶長15年(1610)に現在地に遷座されたそうだ。あれ?杉の植栽の方が十年早いのね。
そして一時は宮崎神宮の別宮ともされてたそうだ。
そういえば奈良の橿原神宮も宮崎の宮崎神宮も行ったことあったなぁ。。何気に神武天皇好きかも?(マンガで読んでたし)

塀で仕切られて本殿は少し見えるだけ。でも社殿よりも周りの木々の方が雰囲気あって貫禄あって力を感じた。

その手前の外拝殿の横にあった榊の木は上の方が刈られてて中間が旺盛で変だなぁと思ったけどそうではなく、弱まってしまった中心の榊を囲むように若い榊が周りに植えられてる形だった。

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そして社殿脇の奥の杉も「狭野杉後継木植樹」とあって立派に伸びてて頼もしかった。
満足してまた並木の参道を戻った。

ぶっちゃけ、神話(知識)とか信仰(思い込み)とかパワースポット(評判)とか傾倒はしてないけど、実際に来てみて力や雰囲気を感じる神社はいくつかあって、なるほど多くの人が大事にしている神聖な場所だと実感できる。ここもそういう神社で、さすが神の国宮崎というべき場所に宮崎めぐりのラストで歩けてよかった。くにさんありがとう。

タグ:観:宮 観:道 観:然 観:選 景:森 植:樹

霞神社

ファイル 3271-1.jpg高原町後川内の山の上にある神社。

「霞ヶ丘」という348.9mの山で、坂をグングン上った先に駐車場があったので、登らなくて済むかと思いきや、駐車場からもう少し登るトコだった。
えーちょっと足きついなぁ、、と思ったけど折角だし景色よさそうなので気合い入れて登った。
くにさん曰く「ここからならそんなじゃないよ」と、以前に下の県道沿いにある大きな鳥居からスタスタ登ってきたら、上の方にこんな駐車場があって愕然としたそうだ。、、、あるあるだよね。自分も何カ所かそういうトコあったなぁ。

ともあれ、ここは駐車場から峰の先の神社が見えていたので、距離と高さがわかっていたので頑張れた。

少し登った途中の土産屋が並んだとこで少し景色見渡せた。
土産屋は閉まってたりで少々廃れ気味。開いてるとこも昭和っぽい印象だった。

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石段は登りやすくそんなに苦でもなかったけど長くは感じた。
いつもどんどん先に行っちゃうくにさんもここではペース落として合わせてくれてて、話したりしながらだったので、へこたれずに登れたってトコかな。

7分ほどで300段登って境内に到着。
白蛇の神社というわりには鳥居も社殿も赤くて鮮やかで、香炉や燭台があって寺院っぽくも感じた。江戸時代には霞権現と呼ばれ山岳信仰の修験者の詣でる所だったそうだ。

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御祭神は大巳貴命、少彦名命、保食命だそうだけど、まぁこれは明治の後付け設定でしょうね。 拝殿は屋根付室内だった。

社殿は山の斜面に横向きに並んでて、拝殿の横を進み門をくぐって本殿の横を抜けると展望が開けてきた。
その先の奥の院とされる神蛇祠の前が展望台となってて北方向の眺めが一望できた。

っていうかこの神蛇祠こそがこの神社の本殿だよね。その周りの四角い岩の合間から顔を出す白蛇様が神の使いなんだそうだ。ヘビは白子の青大将とかではなく別種の一尺ほどの蛇で保護色によって白い岩肌の所で白くなるんだそうだ。見たいなぁ。

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展望は風も涼しく気持ちよかった。車を停めた駐車場も見えた。山の斜面に造られた立体駐車場、それがこの眺望一の構造物だった。
くにさんが登ったという県道からの参道はこっちかな。かすかに赤い鳥居が覗いてるようにも見える。そっちの石段は延々と長い直線の上り坂でけっこう心折れる道だそうだ。。(全然方向違ってた。。鳥居はもっと北の方でこっちからは見えないようだ)

さてまだこの先もあるらしい。なんかまだ上る石段もあったけどそれは登らずに、「展望→休憩所」という案内が差してた傾斜のない道を進んだ。休憩所は尾根に突き出た少し下で、途中で東側の視界が開けて霧島山(夷守岳)が見えた。下から見るのとはまた違っていいね。

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休憩所は300度くらい見まわせそうな尾根の先なのに木々が邪魔して展望はないようなもんだった。残念だけどまぁ途中で霧島山が見えたからヨシ。

これで折り返し。すこしまた展望台で風浴びて、神社の境内は通らずに横の道からゆっくり下った。斜面にはツツジも咲いてて境内以外もわりと赤かった。
そしてクロアゲハが飛び回ってた。くにさん曰く「九州は黒いアゲハが多い」そうだ。

駐車場まで下りてトイレを探したら、駐車場の下の奧の方にあった。。
もう疲れて歩きたくなくてこの距離とわざわざ立体駐車場を下りるのが苦だったけど、漏れそうなので頑張った。。

タグ:観:宮 観:伝 楽:登 楽:眺 景:岩 景:山 植:花 動:虫

西澤養蜂場 蜂兵衛館

ファイル 3270-1.jpg宮崎市高岡町浦之名の10号沿いにある蜂蜜専門店。

ソフトクリームに詳しいくにさんのオススメソフトということで期待して付いてきた。
駐車場は広くすんなり停められたけど、これもくにさんの予想ではGWは混んでるかと思ってたそうだ。

そのくにさんは店には入らずソフトは食べなかった。こっちの方が意外だった。っていうかそういえば今日はくにさんがソフト食べるのの見てないなぁ珍しい。

店は創業明治四十二年とあって、広めの店内にはいろんな蜂蜜製品がたくさん並んでいた。
ってわけで一人でソフト。
オススメの「はちみつバナナソフトクリーム」を買って外で食べた。

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うん、おいしい。
意外なことにバナナの風味はあっさり目でスマートな感じにさらっとしてた。蜂蜜も主張しすぎずいい甘味。おいしかった。

店先に積まれた「天然蜜ろう」のかたまりを眺めながらペロリと食べて、くにさんを待たせないように早く戻ろう、、かと思ったけど、スマホをじっくり見てる様子(ゲームかな)が遠めに見えたので、もうちょっといいかなと店に引き返した。
なんかお土産になりそうな面白い物ないかな、、、と思って見てまわってちょっと気になった「はちみつポーロ」を買ってみた。

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土産用の袋とは別に個装のを一つ買って走りながら食べてみた。
ああ、ボーロってこういう感じのね。ちょっとどっしりした感じ。味はあまりピンとこなかったけど、後味がものすごく蜂蜜で良かった。

タグ:餐:冷 餐:菓

都於郡城跡

ファイル 3269-1.jpg西都市荒武にある城跡。

戦国時代に廃城になった城で、伊豆の伊東氏が後の足利の時代に日向に移って一大勢力となり「伊東四十八城」を築いた時期の本拠地の城。
後に島津に責められ、その島津も豊臣に責められて廃城。豊臣についてた伊東氏が戻ったのが飫肥城で、戻ったというか四十八城のひとつではあるけど全然南の別の場所。そっちは明治の廃藩まで藩庁だったので観光地になってますな。

とはいえ、城跡としてはお飾りより戦いの城の方が興味深く、そんな時代の城跡がしっかり残っているのは面白い。くにさん曰く「他の城は荒れてるけどここはかなり整備されてて凄い」そうだ。

駐車場からは少し歩いて廻って、後から造ったような真っすぐな階段を登った。階段の入口にあった石柱には「傳説 高屋山上陵」とあった。ここは火遠理命(ほおりのみこと)の御陵でもあるということだそうだ。

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ゆっくり一気に登ると「国指定史跡 都於郡城跡」の標柱があり、タイル画で城跡の鳥観図と解説があった。ちゃんと整備された城跡だ、とは思うけど、こういうのはまず駐車場に欲しいよね。そして階段登る前にもほしいよね。

そして登った此処がいきなり本丸だった。
木々や土塁で区分けされつつも広く平らな本丸で、「伊東マンショ像」も立っていた。マンショはここの出身で戦国時代に使節として渡欧してローマ法王と謁見した人。ふううん。

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本丸跡を横断して端の土塁から覗くと、向かいの二ノ丸との間の深い空堀が見えた。いやいや整備された城跡とはいえかなり立派な構えで感嘆。でもその先の眺めは森で隠れていた。

小さな花をよけながら歩き回って南に進むと、本丸から続いて一段低い曲輪があった。案内板には「曲輪」とあった。まぁ曲輪ですわな。この本丸と曲輪は独立した丘のような形で一旦深い堀に下った。

下からみてもやっぱり深くて立派な堀と急峻な城郭。いいねいいね。

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そして向かいの二ノ丸に上った。
ここも独立した丘のような形の曲輪で、横断すると端から先の三ノ丸との間の深い堀が見えた。
往時には橋とかなかったのかなぁ。。下りずに進みたいなぁ、、とへたれつつまた下って、城塁と森の間の日陰をアザミの花を見つつ歩いた。

そして三つ目の丘を登る。ここは上る途中で曲輪が分かれてて先に奥の西ノ城へと進む。「城」と付いてるけど別の城ではなく、九州では曲輪の名を〇〇城とする事が多いそうだ。ん?「丸」は丸なんだ。(本当は本城、二ノ城、三ノ城って呼んでたんだったりして)
登った西ノ城はわりと木が多く日陰が多く暑かったからよかった。

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その木陰の西の端に進むと木々の合間から西の展望が少し覗けた。城郭は立派でスゴイ城跡だけど、意外と眺めは微妙でパッとしない。っていうか西都の郊外で町というほどの町もないからこのくらいでいいのかな。(案内板には「眺望絶佳」などと書かれてるけど)

少し戻って三ノ丸に上がった。三ノ丸はやや細長い感じ。狼煙台があったところだそうだ。
北西の先に進むとタイルの展望図があった。けど、展望はやっぱち木に隠れがちで手前の三財川もよく分からなかった。
三角点もあったので意外と此処が標高一番高いのかも。。104mだそうだ。

そして西ノ城三ノ丸の丘を下った。ずっと来た道を戻るのは面白くないので、二ノ丸と三ノ丸の間の堀割を進んで二ノ丸の裏にまわった。
高い城塁と竹林の間の細道を伸び出したタケノコを見ながら進むと、本丸も裏から回れた。けど少々登り。。
その上が本丸と奥ノ城の堀切、途中から奥ノ城への登りの分岐があって、少々ヘトヘトだったけどラストと思って登り切った。

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奥ノ城は一族の大奥としての住居があったそうで(あ、それで「北ノ」じゃなくて「奥」なのね)、伊東マンショもここで生まれたわけだ。上は意外と広く開けてた。
けどやっぱ眺望は手前の森が深かった。落城時にはここらから一族家臣共に落ちのびて行ったそうだ。この急な斜面を下ったのかなぁ。。

これで浮船城ともよばれる五城郭コンプリート。シジミチョウを見ながらゆっくり車に戻った。

立派な城跡で大満足。城塁のカッコよさのおかげで疲れた足ながらへたれる事はなく歩き回れた。そして案内して先を歩いてくれたくにさんに感謝。正直、ひとりだったらどうまわっていいのかわかんなかったと思う。(っていうかそもそもこの城を知らなかった。。)
建造物の何も残っていない戦国時の廃城後にしては可也きれいに残って可也きれいに整備されたところだと思う。けどできればもう少し何カ所かに地図があってくれたらと思った。

ところで
西ノ城っていうのがあるのに東ノ城っていうのはないのかな?とか思ってたら、それは町の東側にあったらしい。そして南には南ノ城もあって、町を囲むように他にも向江ノ城、泉城、中尾城、前ノ城とあり、北の出城のように日隠城があり、南の先には黒貫城というのがある。これ全体が町を含めて強固な城塞都市としての都於郡城だったようで、そう考えて俯瞰で見ると本丸が町側の手前にあるのもなんとなく理解できた。
ちなみに
南の黒貫城にある黒貫寺というのは、景行天皇と日本武尊が熊襲征伐の際六年間滞在した「高屋宮」の跡だと伝えられてるそうだ。ひょっとしたら元々古代の城だった、、なんて思ったけど、城なんて時代が全然後。あーなんかいろんな時代の歴史が混ざってこんがらがるぅ。

タグ:観:城 観:像 楽:歩 植:花 動:虫