大和朝廷が太宰府防衛の為に築いたと言われる、1.2kmにも及ぶ土塁の跡。
大野城の跡地を探しててたまたま見つけて立ち寄った。
これも大野城とセットでの一大防衛ライン設備らしい。
ここから西隣の丘までの間1.2kmを塞ぐように造られた長い土塁、それが「水城」だそうな。
その水城の東門跡に駐車場があって、水城から大野城に繋がる山の駆上がりの丘が展望所になっていた。
上から水城跡もよく見え、町も遠く見下ろせた。
↑真中のやや右の森っぽいのが水城跡。こんな感じで高速などの道路や線路に削られながら1.2km続いて残ってる、1300年前の土塁。click:1700×400
実際は700年前の蒙古襲来の時に改修されたとあるから、実質その時代のバージョンなんだろうね。
丘から降りて、県道を挟んだ反対側の広場からも水城を見てみた。
ん〜高速道路より全然立派だな。
っていうかコレってやっぱりかなりの人が使役されたんだろうな。
その水城跡の前には一面に濃ピンクのレンゲ草が咲いていてキレイだった。