宇都宮市今里町にある山の上の神社。
この山は、北方向のひとまわり定番コースの「彼岸花ロード」とその先のふるさと農道からよく見える小山で、広い田圃の海の先の小島みたいに見え、山の上の方に何かあるのは見えてたし、地図みれば上まで車で行けそうなのでいつかは行こうと思いつつ、何度も何度も見送って一度も来た事が無かった山。
今日は西東どっちに周って帰ろうかと迷ってたトコで、逆にたまにはと北のこっちに進んで来てみた。
山の上の方に続く駐車場の先の展望台の先の杉林に鳥居と石段の参道があり、すぐ手前にも停められた。
神社は少し登るのかぁ。。展望台の眺望だけでいいかなー。。(風邪気味だし)
とか思ったけど、やっぱりせっかくなので石段を登ってみた。なるべく億劫がらずにアクティブな年にしたいからね。
やっぱりまだ正月五日でけっこう人も多く、みんなゆっくり上り下りしてた。
石段は赤い幟がずらっと並んでいて、どこぞの神社の赤い鳥居のように参道の雰囲気を醸していた。(これは正月だから?幟は汚れてないので時季限定っぽかった)
その幟の合間に狛犬があったり、推定樹齢450年の「夫婦杉」というのがあったりして、ちょいちょい写真撮るていで休憩しながらゆっくり登れた。
この「夫婦杉」は案内板によると、江戸時代前期の慶安年間に神社本殿の修復と共に植栽された杉だそうだ。
深い杉林に続く石段は本場の山形の羽黒山を彷彿させるけど、もちろんそこまでのキツく長い登りではなく五分ほどで上まで登れた。登ってこそ羽黒山、、というなら程よいくらいの登りで雰囲気味わえてよかった。
さて羽黒山神社にお参り。
山の上ながら思ったよりもちゃんとした広さを持った境内と立派な社殿だった。
おととい別の山の上の小さな神社で拝んでたのでこれが初詣じゃないのは申し訳ない気もするけれど、初詣のような気持ちで拝んだ。(ある意味ドライブ先では一年中どこの神社も常に初詣なんだよね、、節操ないよねw)
この羽黒山神社は平安時代の康平年間(1060年前後)の宇都宮城の築城の際に出羽の羽黒山を勧請し建立したそうで、それ以前は河内山という名の山だったそうだ。(河内の地名は古いんだね)
建物内に保存された形の本殿は文政13年(1830)に造られたそうで、ガラス窓から本殿に施された立派な彫刻が覗けるんだけど、映り込み激しいのとピントが合わず、正面のしかうまく撮れなかった、、
そして境内でまず目につくのが社務所のテントの裏の変な飾りのついた竿柱。これは「梵天祭」で奉納される梵天だそうで、秋のお祭りの日に麓から担ぎ登りあげるんだそうだ。へええ。
そのテントで甘酒が配られていた。「アルコール入ってないですよね」と確認して(「正月だから特別にたっぷり入れたよ」と冗談で返されたけどw)一杯いただいた。
甘くて温かくて米も沢山沈んでておいしく、焚火の前でゆっくり飲んで心地よかった。
境内には「子宝杉」とか「三代杉」と名の付いた杉の木が伸びていた。
そして「しっかり支える力持ちの神像」という顔ハメがあった。ああ本殿下部の彫刻にあった力持ちの像ね。そこが見所だったんだね。(残念ながら、そこを写した写真は酷いピンボケの為割愛、、)
そして元禄14年(1702)に建立したという鐘撞堂は、「神様のご加護に感謝して お賽銭を入れて鐘をついてください」とあった。のでそのようにして搗いた。ごーん
まさか年明け早々続けて鐘を突くとは思ってなかった。年末までにあと106回搗けるといいな。(多分この二回で終わりだと思うけど、、)
思ったよりも充実の参拝で気分よく石段を下った。
まだまだ登ってくる人が何人もいて、僕より若そうな人も僕以上に休憩しながら登ってたのでちょっといい気になった。
さて、石段を下り切って停めた車を通り過ぎて、杉林の先の展望台へ行って眺望した。
んー
関東平野の北部を南東向きにひろく見渡せていい眺め。
もっと一面田圃みたいな景色を想像してたんだけど、思ったより高い所からの眺めで田圃なんて小さく、正面にメインに見えるかと思ってた自分のドライブコースはパッと見どこだか判らなかった、、
遠くはもやーっとして東京の方は見えなかったけど(天気よければスカイツリーもみえるらしい)筑波山は見えた。
目の前の高架線路を東北新幹線が通ったので、新幹線をくぐるいつものドライブコースはここらへんかな?とズームで写してみた。 けど、道だと思ってたのは川だった。。
(ドライブコースは←この写真の右端あたりのようだ)
眺めは見る場所によって違うもんだね。来てみなきゃ分からないもんだね。来てみて良かった。
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