桜川市真壁町桜井にある城跡。
地図を見ると一応「真壁城跡公園」とか出てたりするけど、どこがどう公園なのか、どこに車を停めてどう歩けばいいのかさっぱり分からずに今まで何度も通過してた。
で、今日は、取り敢えず「市立真壁体育館」に車を停めてみた。ら、ここでいいらしく案内板と石碑があった。
体育館の方に資料コーナーとかないかな?とか思って一応近寄ってみたけどそんなもんは無さそうなのでチラッと覗いて戻った。
案内を見ると永禄年間(1570頃)の築城とあるけど移転したのかな?真壁城はそれ以前の承安年間(1170頃)からの真壁氏の居城だったようだ。1602年には佐竹の秋田移封に随い角館に転移して廃城。(実際は真壁氏転移後に浅野長政が入城して隠居してこの地で亡くなって、子の長重が加増で笠間城に移って1622年にやっと廃城、、じゃなかったっけ?浅野の事は全然書かれてなかった)
。。。平将門の小説で出てきた真壁の親類の屋敷っていうのがここかと思ってたけど、それは更に昔で時代が違うか。歴史無知だわぁ、、オハズカシ。(将門に討たれた叔父の平国香の子孫が真壁氏だそうだ。その国香の焼かれた屋敷はもっと南で筑波山の横あたりらしい)
そんでもって、この駐車場と体育館が本丸だったらしい。
以上終わり! でもよかったんだけど、その案内板からの未舗装路を歩いてみたら、堀があり、「一の堀」と案内板が立っていた。
おお!見た目広大な廃農地かなにかに思えた一帯が、一応は「真壁城跡公園」として整備されてるのかな。ちょっとそのまま歩いてみた。
少し歩くと木陰の辻があって「二の丸東虎口」との案内板。そっか本丸から出て二の丸を歩いてたわけか。いつもは本丸目指して歩くことが多い城歩きだけど、本丸からスタートして外を歩くのは初めてかも。
木陰で少し涼んでここで引き返そうかと思ってたけど、もう少し歩いてみた。
筑波山から連なる山と濃い青空を見ながら取り敢えず歩いた先は、来る途中の八郷からの県道から見えていた「真 壁 城 跡」と標示されている高めの土塁。これが本丸のものだとばかり思ってたけど、そうではなくて中城(三の丸)と外曲輪という外郭の土塁だった。
土塁上は狭く植木で歩けなくなっていて登れず、土塁の外の道に出てみたら、水堀の池が再現されていた。
大手門かと思った割れた中央がその郭の間で、道じゃなくて水堀跡だった。暑いからここでもう戻ろう、、と思ってたのに曲がれる道がないから仕方なくずっと歩くと、先の角は「外曲輪南虎口」との案内板があり、ちょこっと公園の入口っぽくなっていた。(こんなトコに公園の入口があっても来る人はいなさそう、、、)
土塁の間のキレイな道を進んで、虎口をくねーっと曲がって外曲輪の真ん中に進んだ。このまま西に進んで本丸の駐車場に戻るつもりだったけど、東を見ると鳥居の有る森の前に他より大きな案内板があった。
なんだろ、この城の歴史で最も重要な神社か何かかな?とか思ってそっちに歩いてみた。
けど、この案内板は本丸にあった案内板と同じ大きさで、立派に外曲輪の説明をしてた。。
神社は鹿島神社。外曲輪の図に出てたので城の時代からあったらしい。森の中にひっそりと静かにあって、この日陰が涼しくて気持ちよかった。避暑避暑。
そして茂みの陰の合間に咲いたオレンジの花(ヤブカンゾウ?)がキレイだった。
神社の森から出ると、ここが城の西南の端。広く城域を見渡せた。
広い城だったんだなーと思ったけど、ほぼ荒地とはいえ平城で本丸から二の丸の先の先の外郭までそのまま残されてて見渡せる城なんて他に行ったことなく、普通は本丸だけとか二の丸までが公園になってると考えると普通サイズなのかな。
そして神社の脇には櫓台みたいな土塁もあり、外曲輪の東側から北の方へは歩けそうな土塁がずっと続いてたので、まわって戻るかとその外郭を歩いてみた。
「外曲輪東虎口」との案内板から土塁に登ると外は深い堀になっていた。、土塁は歩きやすい広さで、時々木が植わってて日陰もあり、まぁ公園と言ってもいいかなって感じになっていた。
ずーっと城の広さを感じつつ土塁上を歩いて、一旦途切れる「外曲輪北虎口」の階段で塁を下った。その先に少し残った北側の土塁には登る階段がなかったので脇を歩いた。
その北側の土塁の終わったところが「中城東虎口」。詰所みたいなプレハブが立っててその先の二の丸に続く道の手前が工事中で閉鎖されてた。。ガーン。ここを通れれば本丸駐車場もすぐなのに。。
囲いの外から行けそうな気もしたけど荒れてて危なそうなのでヤメタ。他に道がある事を祈って中城を北に進んでみた。
けど、「中城北虎口」で道は終わってた。。
二の丸側に進む道はなく、城外に進む畦道は一応続いていた。なんとか廃田圃みたいな堀跡を越えられないかな、、と枯草の積もった上を歩いてみたけど、ズブズブと草の下は湿地で緩く危なく、渡ってもその先の土塁こえられるか分からなかったのでヤメ。無理せず城外への畦道を歩いた。
畦道は場所によってはぬかるんでたり、水路を渡る橋が工事用の足場で不安だったりしつつも、水路で魚(たぶんカダヤシ)やトンボ(アカネ)やチョウ(ベニシジミ)を見ながらのんびり横断。
北側の前の道に出てホッとしつつ振り返るとこっちも「国史跡 真 壁 城 跡」と看板が立っていた。
あとは仕方ないので城外の車道脇をトボトボ歩いた。
西側の県道は車でよく通る道。歩くと遠く感じるわ。
ここは北曲輪から二の丸へ突っ切って城跡を遮断してる形らしい。一応道の反対側にも城跡が少し続く筈だけど、何もなさそうだね。
それよか暑くて汗だくで涼みたいーと思ってたトコで、道沿いの菓子屋の「メロンパンじゅう」という幟が気になった。
個売りしてるかな?ダメでも店入って涼もう、、なんて図々しく考えて入ってみた。
ら、
なんと、個売りしてるばかりではなく、1個しか買わないのに「どうぞゆっくりしていってください」と、お茶と半分の大福を出してもらえた。ありがた過ぎる。神かよ。
さてその「メロンパンじゅう」。メロンでメロンパンでまんじゅう。お茶にも合っておいしかった。
ここが遠いい所ならお土産で買ってってもいいなぁと思えた。(ありがたかったけど買わないという、、)
そして七夕の短冊「よければ何か書いてください」と渡された。うわー七夕の短冊書くのって何十年ぶりだろうか。
っていうか願い事って考えてみたら別になかった。。取り敢えず無難に書いて吊るした。
そして本丸跡の体育館駐車場に戻った。
車に戻る前にふと見ると、「真壁城跡」の石碑のある後ろの森も鳥居が見えて神社のようだった。ので、ちょっと歩いて森に入ってみた。
そしたら、ここの木陰も涼しくて気持ちよかった。梅雨開けたばかりで充分暑い夏だけど、湿気はまだまだなのかな。木陰が涼しいのは嬉しい。真夏になったらこんなもんじゃないのかな?
そしてここには「本丸虎口(搦手)」の案内板。脱腸のような折れた半島の虎口だそうで堀に囲まれた先に神社。昔は門があったらしい。
その隣には「神道霞流剣術発祥の地」の標柱があり、堀に下る道をはさんで「真壁城址」の石碑があった。森の前のと同じ大きさの石碑だけど、これは昭和十年。むこうは平成六年のもの。国史跡になった時に作り直したようだ。
少し涼んでから車に戻った。こんな暑い日にこんなにがっつり城歩きするとは思わなかった。
ひと回りまわった感じでは、取り敢えず城跡公園として人が歩きやすくしようと外曲輪から整備し始めたけど、中城までは手が回らずに停滞しちゃってるって感じかな。また数年後に来たら少しは歩きやすくなってるかな?
案内板だけはマメに立ってるのが嬉しかった。っていうか立ってなかったらこんなに歩いてなかったと思う。
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