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狭野神社

ファイル 3272-1.jpg高原町蒲牟田にある神社。

たしか、都於郡でくにさんと、少し登るけど眺めのいい神社と、全然登らず雰囲気のいい神社のどっちに行くかで話してて、登らない方がいいと言ったけど、、登る方「霞神社」に寄ったのでこっちは来ないもんだと思ってた。
「えーもう歩きたくないよ」といいつつ「全然登らないから」というので渋々歩いてみた。

ら、
なんとも雰囲気のいいまっすぐな杉並木の参道。
薄曇りの夕方前だったけど、暗さは感じずほどよいしっとり感だった。なので足の疲れも忘れて気分良く歩けた。
この参道は一の鳥居があるのが国道沿いで1㎞弱の長い直線の参道。その中間というか後半に駐車場があるので四半の230mほど歩くだけのおいしいトコ取り。
小さな橋で渡る小川も水清らかで素敵な森だった。

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途中に「みやざきの巨樹百選」というのが出てた。樹木名スギ、樹齢400年、幹900㎝、樹高40mということだけど、どの木がという表記はなく同じくらいの高そうな立派な木は何本もあった。。

そして門をくぐって境内に入ると、しめ縄巻いた立派な杉が見えた。これが御神木かな。立て札に「狭野杉の由来」とあり、慶長4年(1599)島津義弘が新納忠元を遣わして植栽した樹齢400年国天然記念物指定だそうだ。どうやらこの木だけでなく参道の400年物全部が「狭野杉」として国天然記念物ということらしい。(数が減った400年物だけじゃなくて、参道からの杉全部が指定されてるらしい)
くにさん曰くこの新納忠元が植えたという樹はよく見かけるそうだ。「新納(にいろ)って変わった名前だよね読めないよね」(たしかに。文字変換で出ないや)

この御神木前で参道から折れた横に社殿があった。

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そしてお参り。拝殿は外拝殿という形で手前にあった。その賽銭箱の上に由来のボードがあった。。これ、すいてる時はいいけど人が多い時は読んでられないね。。
御祭神は神武天皇(神日本磐余彦天皇)。その生誕の地に創建されてたけど霧島山の噴火により慶長15年(1610)に現在地に遷座されたそうだ。あれ?杉の植栽の方が十年早いのね。
そして一時は宮崎神宮の別宮ともされてたそうだ。
そういえば奈良の橿原神宮も宮崎の宮崎神宮も行ったことあったなぁ。。何気に神武天皇好きかも?(マンガで読んでたし)

塀で仕切られて本殿は少し見えるだけ。でも社殿よりも周りの木々の方が雰囲気あって貫禄あって力を感じた。

その手前の外拝殿の横にあった榊の木は上の方が刈られてて中間が旺盛で変だなぁと思ったけどそうではなく、弱まってしまった中心の榊を囲むように若い榊が周りに植えられてる形だった。

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そして社殿脇の奥の杉も「狭野杉後継木植樹」とあって立派に伸びてて頼もしかった。
満足してまた並木の参道を戻った。

ぶっちゃけ、神話(知識)とか信仰(思い込み)とかパワースポット(評判)とか傾倒はしてないけど、実際に来てみて力や雰囲気を感じる神社はいくつかあって、なるほど多くの人が大事にしている神聖な場所だと実感できる。ここもそういう神社で、さすが神の国宮崎というべき場所に宮崎めぐりのラストで歩けてよかった。くにさんありがとう。

タグ:観:宮 観:道 観:然 観:選 景:森 植:樹

霞神社

ファイル 3271-1.jpg高原町後川内の山の上にある神社。

「霞ヶ丘」という348.9mの山で、坂をグングン上った先に駐車場があったので、登らなくて済むかと思いきや、駐車場からもう少し登るトコだった。
えーちょっと足きついなぁ、、と思ったけど折角だし景色よさそうなので気合い入れて登った。
くにさん曰く「ここからならそんなじゃないよ」と、以前に下の県道沿いにある大きな鳥居からスタスタ登ってきたら、上の方にこんな駐車場があって愕然としたそうだ。、、、あるあるだよね。自分も何カ所かそういうトコあったなぁ。

ともあれ、ここは駐車場から峰の先の神社が見えていたので、距離と高さがわかっていたので頑張れた。

少し登った途中の土産屋が並んだとこで少し景色見渡せた。
土産屋は閉まってたりで少々廃れ気味。開いてるとこも昭和っぽい印象だった。

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石段は登りやすくそんなに苦でもなかったけど長くは感じた。
いつもどんどん先に行っちゃうくにさんもここではペース落として合わせてくれてて、話したりしながらだったので、へこたれずに登れたってトコかな。

7分ほどで300段登って境内に到着。
白蛇の神社というわりには鳥居も社殿も赤くて鮮やかで、香炉や燭台があって寺院っぽくも感じた。江戸時代には霞権現と呼ばれ山岳信仰の修験者の詣でる所だったそうだ。

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御祭神は大巳貴命、少彦名命、保食命だそうだけど、まぁこれは明治の後付け設定でしょうね。 拝殿は屋根付室内だった。

社殿は山の斜面に横向きに並んでて、拝殿の横を進み門をくぐって本殿の横を抜けると展望が開けてきた。
その先の奥の院とされる神蛇祠の前が展望台となってて北方向の眺めが一望できた。

っていうかこの神蛇祠こそがこの神社の本殿だよね。その周りの四角い岩の合間から顔を出す白蛇様が神の使いなんだそうだ。ヘビは白子の青大将とかではなく別種の一尺ほどの蛇で保護色によって白い岩肌の所で白くなるんだそうだ。見たいなぁ。

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展望は風も涼しく気持ちよかった。車を停めた駐車場も見えた。山の斜面に造られた立体駐車場、それがこの眺望一の構造物だった。
くにさんが登ったという県道からの参道はこっちかな。かすかに赤い鳥居が覗いてるようにも見える。そっちの石段は延々と長い直線の上り坂でけっこう心折れる道だそうだ。。(全然方向違ってた。。鳥居はもっと北の方でこっちからは見えないようだ)

さてまだこの先もあるらしい。なんかまだ上る石段もあったけどそれは登らずに、「展望→休憩所」という案内が差してた傾斜のない道を進んだ。休憩所は尾根に突き出た少し下で、途中で東側の視界が開けて霧島山(夷守岳)が見えた。下から見るのとはまた違っていいね。

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休憩所は300度くらい見まわせそうな尾根の先なのに木々が邪魔して展望はないようなもんだった。残念だけどまぁ途中で霧島山が見えたからヨシ。

これで折り返し。すこしまた展望台で風浴びて、神社の境内は通らずに横の道からゆっくり下った。斜面にはツツジも咲いてて境内以外もわりと赤かった。
そしてクロアゲハが飛び回ってた。くにさん曰く「九州は黒いアゲハが多い」そうだ。

駐車場まで下りてトイレを探したら、駐車場の下の奧の方にあった。。
もう疲れて歩きたくなくてこの距離とわざわざ立体駐車場を下りるのが苦だったけど、漏れそうなので頑張った。。

タグ:観:宮 観:伝 楽:登 楽:眺 景:岩 景:山 植:花 動:虫

西澤養蜂場 蜂兵衛館

ファイル 3270-1.jpg宮崎市高岡町浦之名の10号沿いにある蜂蜜専門店。

ソフトクリームに詳しいくにさんのオススメソフトということで期待して付いてきた。
駐車場は広くすんなり停められたけど、これもくにさんの予想ではGWは混んでるかと思ってたそうだ。

そのくにさんは店には入らずソフトは食べなかった。こっちの方が意外だった。っていうかそういえば今日はくにさんがソフト食べるのの見てないなぁ珍しい。

店は創業明治四十二年とあって、広めの店内にはいろんな蜂蜜製品がたくさん並んでいた。
ってわけで一人でソフト。
オススメの「はちみつバナナソフトクリーム」を買って外で食べた。

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うん、おいしい。
意外なことにバナナの風味はあっさり目でスマートな感じにさらっとしてた。蜂蜜も主張しすぎずいい甘味。おいしかった。

店先に積まれた「天然蜜ろう」のかたまりを眺めながらペロリと食べて、くにさんを待たせないように早く戻ろう、、かと思ったけど、スマホをじっくり見てる様子(ゲームかな)が遠めに見えたので、もうちょっといいかなと店に引き返した。
なんかお土産になりそうな面白い物ないかな、、、と思って見てまわってちょっと気になった「はちみつポーロ」を買ってみた。

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土産用の袋とは別に個装のを一つ買って走りながら食べてみた。
ああ、ボーロってこういう感じのね。ちょっとどっしりした感じ。味はあまりピンとこなかったけど、後味がものすごく蜂蜜で良かった。

タグ:餐:冷 餐:菓

都於郡城跡

ファイル 3269-1.jpg西都市荒武にある城跡。

戦国時代に廃城になった城で、伊豆の伊東氏が後の足利の時代に日向に移って一大勢力となり「伊東四十八城」を築いた時期の本拠地の城。
後に島津に責められ、その島津も豊臣に責められて廃城。豊臣についてた伊東氏が戻ったのが飫肥城で、戻ったというか四十八城のひとつではあるけど全然南の別の場所。そっちは明治の廃藩まで藩庁だったので観光地になってますな。

とはいえ、城跡としてはお飾りより戦いの城の方が興味深く、そんな時代の城跡がしっかり残っているのは面白い。くにさん曰く「他の城は荒れてるけどここはかなり整備されてて凄い」そうだ。

駐車場からは少し歩いて廻って、後から造ったような真っすぐな階段を登った。階段の入口にあった石柱には「傳説 高屋山上陵」とあった。ここは火遠理命(ほおりのみこと)の御陵でもあるということだそうだ。

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ゆっくり一気に登ると「国指定史跡 都於郡城跡」の標柱があり、タイル画で城跡の鳥観図と解説があった。ちゃんと整備された城跡だ、とは思うけど、こういうのはまず駐車場に欲しいよね。そして階段登る前にもほしいよね。

そして登った此処がいきなり本丸だった。
木々や土塁で区分けされつつも広く平らな本丸で、「伊東マンショ像」も立っていた。マンショはここの出身で戦国時代に使節として渡欧してローマ法王と謁見した人。ふううん。

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本丸跡を横断して端の土塁から覗くと、向かいの二ノ丸との間の深い空堀が見えた。いやいや整備された城跡とはいえかなり立派な構えで感嘆。でもその先の眺めは森で隠れていた。

小さな花をよけながら歩き回って南に進むと、本丸から続いて一段低い曲輪があった。案内板には「曲輪」とあった。まぁ曲輪ですわな。この本丸と曲輪は独立した丘のような形で一旦深い堀に下った。

下からみてもやっぱり深くて立派な堀と急峻な城郭。いいねいいね。

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そして向かいの二ノ丸に上った。
ここも独立した丘のような形の曲輪で、横断すると端から先の三ノ丸との間の深い堀が見えた。
往時には橋とかなかったのかなぁ。。下りずに進みたいなぁ、、とへたれつつまた下って、城塁と森の間の日陰をアザミの花を見つつ歩いた。

そして三つ目の丘を登る。ここは上る途中で曲輪が分かれてて先に奥の西ノ城へと進む。「城」と付いてるけど別の城ではなく、九州では曲輪の名を〇〇城とする事が多いそうだ。ん?「丸」は丸なんだ。(本当は本城、二ノ城、三ノ城って呼んでたんだったりして)
登った西ノ城はわりと木が多く日陰が多く暑かったからよかった。

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その木陰の西の端に進むと木々の合間から西の展望が少し覗けた。城郭は立派でスゴイ城跡だけど、意外と眺めは微妙でパッとしない。っていうか西都の郊外で町というほどの町もないからこのくらいでいいのかな。(案内板には「眺望絶佳」などと書かれてるけど)

少し戻って三ノ丸に上がった。三ノ丸はやや細長い感じ。狼煙台があったところだそうだ。
北西の先に進むとタイルの展望図があった。けど、展望はやっぱち木に隠れがちで手前の三財川もよく分からなかった。
三角点もあったので意外と此処が標高一番高いのかも。。104mだそうだ。

そして西ノ城三ノ丸の丘を下った。ずっと来た道を戻るのは面白くないので、二ノ丸と三ノ丸の間の堀割を進んで二ノ丸の裏にまわった。
高い城塁と竹林の間の細道を伸び出したタケノコを見ながら進むと、本丸も裏から回れた。けど少々登り。。
その上が本丸と奥ノ城の堀切、途中から奥ノ城への登りの分岐があって、少々ヘトヘトだったけどラストと思って登り切った。

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奥ノ城は一族の大奥としての住居があったそうで(あ、それで「北ノ」じゃなくて「奥」なのね)、伊東マンショもここで生まれたわけだ。上は意外と広く開けてた。
けどやっぱ眺望は手前の森が深かった。落城時にはここらから一族家臣共に落ちのびて行ったそうだ。この急な斜面を下ったのかなぁ。。

これで浮船城ともよばれる五城郭コンプリート。シジミチョウを見ながらゆっくり車に戻った。

立派な城跡で大満足。城塁のカッコよさのおかげで疲れた足ながらへたれる事はなく歩き回れた。そして案内して先を歩いてくれたくにさんに感謝。正直、ひとりだったらどうまわっていいのかわかんなかったと思う。(っていうかそもそもこの城を知らなかった。。)
建造物の何も残っていない戦国時の廃城後にしては可也きれいに残って可也きれいに整備されたところだと思う。けどできればもう少し何カ所かに地図があってくれたらと思った。

ところで
西ノ城っていうのがあるのに東ノ城っていうのはないのかな?とか思ってたら、それは町の東側にあったらしい。そして南には南ノ城もあって、町を囲むように他にも向江ノ城、泉城、中尾城、前ノ城とあり、北の出城のように日隠城があり、南の先には黒貫城というのがある。これ全体が町を含めて強固な城塞都市としての都於郡城だったようで、そう考えて俯瞰で見ると本丸が町側の手前にあるのもなんとなく理解できた。
ちなみに
南の黒貫城にある黒貫寺というのは、景行天皇と日本武尊が熊襲征伐の際六年間滞在した「高屋宮」の跡だと伝えられてるそうだ。ひょっとしたら元々古代の城だった、、なんて思ったけど、城なんて時代が全然後。あーなんかいろんな時代の歴史が混ざってこんがらがるぅ。

タグ:観:城 観:像 楽:歩 植:花 動:虫

かわみなみPLATZ

ファイル 3268-1.jpg川南町川南の東九州自動車道にある川南PA施設。
裏からも入れて駐車場がちゃんとあるのでここで昼食。

っていうか、ホントは他にくにさんのおすすめの宮崎牛の店があったそうだけど、GWの混雑を予想して無難にこちらにしたそうだ。
たしかにGWというとおいしい店どころか道の駅なんかすぐに満車で難儀するイメージだよね。
でも来てみたらここの駐車場も思った以上に空いてて拍子抜け。やっぱり宮崎あたりだとまだコロナ禍の外出自粛なのかな。。くにさんもまだ宮崎から出れないくらいだもんね。

ファイル 3268-2.jpgさてさて、一般道側の駐車場はすいてても高速側もあるので店内はそれなりに混雑。まっすぐ進んだ食堂はそこそこの感じながら慌てずにすんなり席につけるくらいで楽楽だった。

メニューを見るとどれも地元川南町産の食材をふんだんにとあって好感。一番気になったのは「特性特大チキンカツわらじ丼」。でもボリュームありすぎで躊躇、「チキン南蛮定食」とかもあったのでそっちでいいかと思いつつ、もっとリーズナブルな「川南産豚 豚スキ好き丼」にしてみた。

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うん、うまい、ゴボウがw
メニューに「お肉増量しました」とあったけど、なんか根菜の主張が強く特にゴボウの味が目立って感じた。
っていうか、九州ってゴボウがうまいよね。他でだったら「うわ面倒くせー」お感じるくらいのゴボウもおいしく食べられていい味だった。

でもしょーーーーじき言えばチキン南蛮にしとけばよかった。。
(ウズラに飽きてたトコで鳥をさけてしまった)
食後に店とかみたけど、高速側の表にある店のハンバーガーとかもおいしそうでそっちでもよかったかなーとも思っちゃった。。

車に戻るとドンヨリ雨雲が出張ってきてて今にも降り出しそうな雰囲気。
日が差してた時は綺麗に見えてた黄色い丸ポストも「およびでない」ってハズかしがってそうに見えた。
実はこの黄色いポスト、九州では何カ所か設置してあるそうだ。初めて見た。

タグ:食:丼 餐:菜 観:装 観:P

道の駅 とうごう

ファイル 3267-1.jpg日向市東郷町山陰の327号と446号の交差点にある道の駅。

平成の合併前には東郷町、西郷村、南郷村、北郷村、と東西南北揃ってて、道の駅があるのがこの東郷。まぁ他の地域にもある地名でまぎらわしいけど勿体ないなぁ、、とか思う。

ここも点景を始める前(09/9/22)に寄ってた所。その後一度寄ってて(12/10/6)三度目の立寄り。
その先に来た時に買って食べた「焼うずら」が印象的だったけど、今日は別の道の駅でもうすでに買って食べてて、宮崎県内ではあちこちで売ってるもんなのかな?とか思ったけど、逆に今はここでは売ってなかった。。名物は移動するものなのか?(くにさんは「ここでは見たことないよ」と言ってた)

さて、ウズラはともかく(まだ食べ残ってたし)他になんかチョこっと食べてるものないかなーと直売所を覗いてみた。

気になったのは、「完売しました」のカードが用意されてた「とまめのおはぎ」くにさん曰く「いつも昼頃には売り切れになっちゃう」そうだ。おはぎ好きだし名物とあってひじょうに気になったけど、それより隣の「ちらしずしおにぎり」の「とうごうの米のおいしさ自慢できます⤴」というのも気になって、そっちを一個買ってみた。ホントはもっと食べたかったけどね。昼は昼で食べるだろうからね。

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飲み物も買おうと自販機を見ると、オレンジの「サンA」という宮崎の御当地ブランド。初めて見たけど県内ではあちこちで見かけるそうだ。
日向夏系も揃ってて「スパークリング日向」とか「日向夏ウォーター」とか「日向夏紅茶」あったけど、期間限定100円につられて「白い日向夏」を買ってしまった。乳酸菌物で甘かった。。

それはそれとして「ちらしずしおにぎり」はおいしかった。さすが自慢の東郷の米で食感もよかった。ふたつ買っとけばよかった。。

それ食べてる間にくにさんが「とまめのおはぎ」を買ってたようで、車に戻ると「これ食べて」とひとパックくれた。「そんなわるいよ」と遠慮したけど、「朝おくれたから」といい自分のもあるようなので、じゃあとありがたく頂いた。

ってわけで出発前に「とまめのおはぎ」
とまめとは空豆の一種で唐豆ともいい、東郷では昔から餡にしてたものだそうだ。

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あれそういえば昨日も北九州でおはぎ(ぼた餅)食べてたよなぁ、、とか思いつつ食べてみた。
ら、お、これはうまい。
こしあんだけどペタっとした固定感のある餡で豆の香ばしさもあって味わいもよく、とてもうまいおはぎだった。
これは人気なのもわかる。完売カードを用意しておいて間違いのない一品。

もう自分の中では「ウズラ」の道の駅ではなく「おはぎ」の道の駅という認識に一新された。くにさんありがとう。

タグ:餐:飯 餐:飲 餐:餅 観:装 道の駅

大斗の滝

ファイル 3266-1.jpg美郷町西郷小原にある滝。

くにさんには「駐車場からほとんど登らずに見れる滝」と聞いて「それ行こう」と意気揚々と来てみたけど、327号を進んでて前に来たトコだと気付いた。。

「もうしわけない。ここ前に来たトコだわ」とは言いつついい印象のトコだったし、天気よく谷にも日が差していい感じだったから、滝もいい雰囲気だろうと意気揚々と進んだ。

滝への遊歩道はなんとキレイに舗装されてて歩きやすい贅沢な道。
駐車場からは200m、中間で100mと丁寧に案内も立ってた。前からそうだったっけ?(そうだったらしい)
けど、思ってたよりは傾斜あって、苦ではないけどスタスタと素早く進むくにさんについていくのは諦めて、時おり脇の渓谷を覗きながらゆっくり歩いた。

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「ちょっと運動不足過ぎない?もう少し歩いた方がいいよ」と言われてた。てへへ。いやくにさんが早いだけだしw
っていうか言い訳だけど、昨日の吉野ケ里で足疲れちゃってて(つまりそれじたい運動不足なんだけど)、何だかんだその後も歩いたり登ったりとわりと元気だったけど、その疲れは車で寝るんじゃ取れることなく蓄積。そもそもドライブも四日目になるとそれだけでも血が下がって足パンパン。昔はよく平気だったもんだよなぁ。。とかおもうけど、昔はそれをよく分かっててドライブのスタミナの為に体力温存につとめてて今ほど寄り道したり歩いたり登ったりしなかったんだよね。
愚痴はともかく、、中日の今夜は宿に泊まろう!と此処で思った。

で、滝到着。あれ?こんな小さかったっけ、、と思ったけど奥にもう一段連なってるのが見えた。ああそうだったっけ。二回目とか言ってもすっかり忘れてて新鮮だった。

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その先に急な段が続いてたけどここで充分。
「上の展望台に登ればさらにもう一段の滝が見れるよ」と言われて思い出した、あーあーたしか前に来た時は上まで登ったわ!
今回はヘタレでここで充分。っていうか、歩いたり登ったりしてたじゃん。。嘘ついてごめんなさい。

滝を眺めて、滝から流れる渓流も眺めて、下流方向も降り返って眺めてゆっくりしてたら、もうくにさんは来た道を下り始めてた。「早い早いよw」とゆっくり追った。

駐車場に戻っても車についたらすぐに出発しそうだったのでウロウロ。
駐車場の前には「拝水の滝」という子供の小便のような細くまっすぐな滝があった。眺めるほどでもないけど休憩の時間稼ぎでじっと眺めた。

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ちなみに前に来たのは2009/9/22。
まだCR-X乗ってた頃なので点景ではなくコワクにしてた

振り返るともうそのCR-Xのラストの年には、あちこち寄って色々食べて今と変わらないくらいの感じだった。だから翌年の車の乗り換えでHPをリニューアルして点景を設けたわけだけど。
どうせならこの年、いやその二年前の沖縄やドイツに行く前から点景くらいは設けて纏めればよかったのになぁー、、と今更ながら思った。
この時のCR-Xラスト九州だけでも点景だったら、、
1日目
ちちや(岐阜)てりかつ丼の元祖

錦帯橋(山口)言わずもがなの有名景勝地 パノラマコワクあり 
道の駅 吉野ヶ里(佐賀)昨日のトコ
田原坂(熊本)西南の役戦場跡 資料館は閉まってた
麦の宿(熊本)熊本ラーメン 04年にも来てて二度目

新湯温泉ガレ場(鹿児島)硫黄の河原 転んで死ぬトコだった
関之尾の甌穴(宮崎)国天記の奇景地 コワクにしてた 
道の駅 おおすみ弥五郎伝説の里(鹿児島)炭火焼鳥たべた
広津田の田の神(鹿児島)日本最大の田の神像
鹿屋航空基地資料館(鹿児島)零戦 コワクにしてた 
岸良海岸(鹿児島)ちょこちょこ車を止めて写真撮ってた
都井岬(宮崎)馬だらけの景勝地 こここそ点景にしたい コワクも3つ   
道の駅 なんごう(宮崎)マンゴーソフトたべた
栄養軒(宮崎)宮崎のラーメン 19年に再訪で点景あり

延岡城(宮崎)未明で真っ暗だけど。。
高千穂峡(宮崎)個人的な日本三大ガッカリ コワクあり 
道の駅 とうごう(宮崎)次寄るトコ 十割蕎麦たべた
おせりの滝(宮崎) 〇 此処 〇
鶴富屋敷(宮崎)日誌に「気分よく見れた」と書いたけど実はウソ
かりこぼうず大橋(宮崎)日本一の木造トラス橋
宮崎神宮(宮崎)あれ?ここ点景にしてなかったんだっけ。。
肉だわら(宮崎)県庁前の物産館にあった移動販売車

蓬莱山(愛媛)臥龍と呼ばれる肱川の名勝
大洲城(愛媛)すごくよかった 今からでも点景にしたい コワクあり 
大洲城三ノ丸南隅櫓公園(愛媛)寅さんスポット
道の駅 ひろた峡の館(愛媛)じゃこ天たべた
香川屋 本店(香川)讃岐うどんたべた
屋島(香川)古代山城跡 コワクにしてた 

道の駅 九頭竜(福井)そば食べたのはこの時だったか 15年に点景あり
(道の駅 ななもり清見(岐阜)飛騨牛串たべたけど他に写真なく点景は無理 10年に点景あり)
平湯温泉 神の湯(岐阜)独占で悠々の露天風呂
宮口軒(群馬)藤岡ラーメン 辛かった。。
 
という1,4,11,8,6,3 計33点!大作だわ。
逆に言えば以前は点景が無かったから日誌で軽く書くだけで済ませてて、日誌もその分省略してたので、今よりも更新ペース早かったんだろうと思う。
細かく存分に項目に挙げて見れる今の方がイイとは思うけど、なんか年とったせいかしつこいのよね。文章も愚痴も。
 
コロナで出社制限で自宅待機になった時にでも、それ以前の寄り道を点景オールデイズ版てことで作り直そうかな、、とも思ったんだけどねぇ。要望もなかったし。未練がましいし。だらけて何もしなかったね。。
定年退職して免許返納してやることがなくなった時に気力があったら纏めたりしようかな。。
いやぁそんな頃までホームページ続けられるかな。。

タグ:景:滝 景:川 楽:懐

舟方轟

ファイル 3265-1.jpg美郷町北郷黒木の388号沿いにある渓流岩場。

国道から岩ゴツゴツのユルい滝のようなのが見えた先に駐車帯があり、案内板が立った分かりやすい景勝地。停めてすぐに渓谷が眺められる楽々な場所。

手書きの案内板を見ると、この「舟方轟(ふなかたとどろ)」は滝のような流れよりもその岩々が注目点で、「この奇岩の群れは約一億年前の地層が急流によって浸食されてできたもの~」だそうで、地質的な名所だそうだ。
「又対岸には大正時代に行われていた石炭採掘現場後が残っており~」ともあったけど、これはぱっと見わかるもんでもないからオマケの付加情報。でもそんな人の出入りが多かった場所だけど一億年の景色が崩されることなく残っててありがたい。
また「こいのぼり揚げや河川美化運動などを行っています~」ともあった。んー鯉のぼりは見て見たいような邪魔なだけのような。。

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岩は海岸の洗濯岩とか横向いた板状節理のような感じで、細かい滝で急流を作っていた。そして、カーブしてきた流れと岩々を少し下流の流れが静まる辺りまで真っすぐ見れるいい眺め。
天気も晴れてきて緩いくらいの日で水も白くキレイに見えた。
対岸は石炭採掘現場らしき跡はみれず、こんもりした亀のような急な丘になってた。

っていうかこれ、この国道の道路を造るときはかなり崩して広くしたんだろうね。。カーブの折れ目がこんな広く平坦なわけないもんね。まぁ一億年前の岩はちゃんとよけてよく見えるようにしててアリガタイ。

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ここで眺めるだけで満足で、次寄るトコを決めて出発。

タグ:観:地 景:川 景:岩

綱ノ瀬橋梁展望

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延岡市北方町早上の道路脇の展望場所。
駐車場も何もないトコで車停めて眺めた。

これはこれは渓底の川に沿って真っすぐ延びた線路跡がずっと見れて、流れ込む川に架かった綱ノ瀬橋梁とその上に架かる218号の槇峰大橋が並んで見えて、なんていうかジオラマ模型で作ってほしいようないろいろ揃った眺めでいい感じ。

綱ノ瀬橋梁は昭和12年完成の鉄筋コンクリートのアーチ橋。これも国重文。っていうか、それにアーチ高架が連なっててなんか優雅に見えた。
奥の県道の橋が工事でシ-トかぶっちゃっててモザイクのような変な感じだけど、なければアーチが二重でいい感じだそうだ。

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ファイル 3264-3.jpg川の水は流れ込む綱ノ瀬川の水は綺麗だけど本流の五ヶ瀬川の方が濁ってて、合流で溶けずにくっきり分かれてた。普段は本流もキレイなんだそうだけど昨日の雨でかね。くにさんは残念がってたけど支流のおかげでそのキレイさは分かった。

なんかジャノメチョウ(ヒメウラナミジャノメ)が写真とれとれ言って目の前で止まりては飛び止まっては飛びしてたので一応撮っといた。満足かな。

タグ:観:鉄 観:橋 観:重 景:川 景:谷 楽:眺 動:虫

第三五ヶ瀬川橋梁

ファイル 3263-1.jpg日之影町分城の五ヶ瀬川に架かる旧鉄道橋。

廃線になった高千穂鉄道の線路跡が「TR鉄道跡地散策コース」という遊歩道になってて、その入り口にある駐車場に車を停めて歩いた。

歩いてすぐ先に旧吾味駅があり、ホームと可愛らしい待合室が残ってた。
高千穂鉄道は平成17年(2005)の台風被害で運休してそのまま三年後に廃止になった鉄道。その待合室には時刻表も残ってて一日上下各13本(観光トロッコ列車は通過してたらしい)停まってたらしい。結構走ってたんだ。っていうか周り森で目の前渓谷で何もないトコにあった駅だよなぁ。。

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そのホームから見える橋が「第三五ヶ瀬川橋梁」
そのまま歩くとすぐ先に案内板が立ってた。
完成は昭和14年の日中戦争時で鋼材使用が制限されてたのでコンクリ部と鉄鋼部が組み合わさった独特なデザイン、鋼製上路ワーレントラス+連続方杖ラーメン六連及びT型桁八連という構成だそうで、国重要文化財だそうだ。

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歩き進むと橋の全体が良く見えた。
天気は悪いけど、水面が鏡のように静かでカーブして橋が映ってカッコよく見えた。
台風の時はこれより下流の第一、第二五ヶ瀬川橋梁が流されたそうだ。これは残ってよかったね。第一、第二はどんな橋だったんだろうね。(上流の第四はトラスの鉄橋で残ったけど現在は解体されて無いらしい)

橋の上は普通の道なので、先に渡らずに手前をちょっと歩いたトコで引き返した。

タグ:観:鉄 観:橋 観:重 観:道 景:川

道の駅 青雲橋

ファイル 3262-1.jpg日之影町七折の218号沿いにある道の駅。

割と新しい道の駅で、全回来た時は夜でよくわからなかったけどオープンしたてだったのかな?まだ駐車場が未舗装で真っ暗だった。トイレだけの立ち寄りだった。
今回もまだ店は開いてないんだろうね。

待ち合わせのくにさんはもう来ててすぐわかった。
少し話してのんびりはせず「裏に青雲橋がよく見える所がある」というくにさんに続いて歩いた。

駐車場から下って「ふれあい橋」で谷を渡った先が「青雲橋公園」という展望公園。

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青雲橋を少し下から見上げる形で全体がよく見えた。
高さ137m、長さ410mの東洋一のアーチ橋だそうだ(竣工の昭和59年(1984)当時)

「勾配きつく細い道をぐるーーっとまわってくだると下からも橋を見上げられる」そうだけど、あまりおススメしない道だそうで「これで充分」と遠慮した。

道の駅に戻って出発。。と思いきや、なんか店先の簡易小屋販売の「うずらの炭焼き」の店が開いていた!以前宮崎県内の別の道の駅で買って食べたけど、ここでも買えるとは思わなかった。っていうか「日之影町青雲橋名物」とかあるし。。
一個から買えたけど腹へってたから五個入りひとパック買っちゃった。

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くにさんも食べるかなと思ったっけど「俺はそういうのは、、」と敬遠されちゃった。
ってわけで、ひとつ食べて出発。ぽりぽりパリパリワイルドでおいしかった。味もよく丸ごと食べれてゆっくり噛んで楽しめた。いいねぇこれ。

うまいうまいと続けて食べて、、、三本で止まった。こんなんで腹いっぱいにはならないけど飽きてきた。飽きてくると意外とクセが強く感じてウッとなってのどを通らなくなった。。
なんとか飲み込んで、まぁゆっくり食べようと置いといた。

けど、すっかり飽きちゃって手が伸びず、午後に一本いってみたけど「クセつえ―」ときつく感じた。
五本目を食べたのはなんと翌朝。すげー空腹だったけど、やっぱちょっと強かった。
これは1本でヤメとくのが利口だな。やっぱもうウズラは玉子だけでいいや。

タグ:観:橋 観:一 楽:眺 餐:肉 道の駅

道の駅 高千穂

ファイル 3261-1.jpg高千穂町三田井の218号沿いにある道の駅。

ここは前に高千穂神社に歩くための目的で対向車側の第二駐車場に来た事あるくらいで、店側の第一駐車場は初めて来た。
高千穂神社だけでなく高千穂峡もそう遠くはないのでここから歩く人は多いはず、駐車場もそんなに広くはないし混雑して当然って感じのトコ。朝はまぁまぁだった。

今日はここで友達のくにさんと待ち合わせ。少し早く到着してのんびりしてた。

まず、駐車場の車停めた横にあった大きな顔の石。これは「天鈿女命(あまのうずめみこと)」の顔とあった。天岩戸に天照大神が引き籠っちゃった時に、出てきてもらおうと素っ裸で踊りまくって爆笑されたという芸能の女神様。マンガの火の鳥では醜女に化けて猿田彦と結婚した美女。この顔は不細工な方かな。

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その裏には鬼のような顔があった。これは「天手力男命(あまのたぢからおのみこと)」岩戸をこじ開けて天照を引っ張り出した剛力の荒神。ともに高千穂の夜神楽で登場するそうだ。

他にアメノウズメの全身像(みにくくはない)とかもあった。

高千穂はそんな天照大神の孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」が降臨したとされる地。天岩戸もあるそうだ(全国に何ヶ所もあるけど)。日本神話はねぇ、、なんだかねぇ、、

構内には移動販売の車も来てて、宮崎だけに鶏炭火焼とか食べたかったけど、まだこれから。。店が9時だからそれ以降なんだろうな。。
空腹で買ってみたのは自販機の飲物だけで一応宮崎っぽく「日向夏ソーダ」
(でもこれ、全国どこでも売ってるみたいで帰ってからもしょっちゅう見かけてた。。)

8時過ぎて連絡入って「スマホ忘れて取りに戻って遅れたので、一つ手前の『道の駅 青雲橋』に来て」だそうで、すぐに出発した。

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