行方市麻生にある県指定文化財の武家屋敷。
この夏にちょっと麻生藩に興味を持ち来てみたんだけど、手前で逆に曲がっちゃって(そっち方向にも別の(三好家)家老屋敷があって駐車場がなかったのであきらめてた)ここには気がつかず、後から(日誌書いてて調べて)知って悔しく思ってたスポット。
麻生藩家老の畑家の上級武家屋敷。
小学校前にあって前の道の角が駐車スペースになっていた。
入口の門にある案内を読むと、安政3年(1856)に藩士屋敷から出た火災の類焼で失い、その翌年に再建された主屋と門だそうだ。
で、門をくぐって広い邸内を進むと立派な茅葺屋根の屋敷が見えた。
おおこれはカッコいい!此の外見は藩主の屋敷とよく似ていたんだそうだ。
そして玄関わきにメダカの鉢があった。覗くと白いメダカで今風だったけど、動きが機敏でカメラを向けると葵の下に隠れたりして一匹しか写せなかった。
屋敷は玄関から広く開かれていたけど「あがっての見学はご遠慮ください」とあった。まぁこれだけよく見えてれば充分だよね。
そして次の間には麻生藩の年表や解説、家老の畑と明治からこの屋敷を買い受けて病院を開業し現代まで残した福田家などのパネルが並べてあってさーっと読めた。
麻生藩は関ケ原で西軍に属して改易されてた近江の大名新庄氏が、家康から赦免され3万石でこの地に来て立てた藩。
一時嫡嗣がなく断絶しつつも一族の者が一万石で取り立てられ、その後明治の廃藩まで続いた外様の小藩。幕末の天狗党の騒乱の事も少し書かれてた。そうそう、夏はその天狗党の話で麻生藩に興味持ったんだっけ。
次の間に続く取次の間や内玄関の間には吊るし飾りや地蔵のぬいぐるみなどが飾られてて華やかだった。
そしてぐるっと回ると釜戸のある土間からは高い天井が覗けた。ううん立派。
茅の吹き替えの様子もパネルになって展示していたし、ここにも布団生地で作ったというセミが飾られてて暗めの土間を華やかにしていた。
裏にもまわれて奥の間から納戸も覗けて、横にまわって上座敷の屏風が覗けた。
上がれないにしてもしっかり全室見れたし無料だし、整ってて雰囲気いいので満足だった。
表に戻ってその奥にある管理棟も見てみたら、休憩室とちょことの資料室になってた。
ので、入って麻生藩についての資料ファイルなど拝見。
なんでも麻生藩は殆どの藩士が江戸屋敷に詰めてて、この麻生には陣屋だけで城もなく町もつくらずのどかな里だったらしい。天狗党の討伐で兵を出してたから勇ましい武士の荒ぶる藩かという印章で来たけど、そんな感じではなく、むしろ一揆の農民の要求を聞いたり目安箱で意見を聞いたりする温厚な藩だったようだ。
陣屋の見取り図なんかを眺めつつ、その陣屋ってどこにあったんだ?と調べると、個々の目の前の小学校がほぼそのまま陣屋跡の敷地だったようだ。
まぁ小学校をフラフラ歩く気はないし遺構もないそうだからいいけど、表に出てみると小学校には壁も高い柵もなく校庭丸見え。なるほど城なら二の丸くらいはありそうな広い敷地だったんだなと見通せて有り難かった。
小学校を写真撮るのも気が引けるので停めた自分の車の写真撮って出発した。
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