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加曽利貝塚 縄文遺跡公園

ファイル 3039-1.jpg千葉市若葉区桜木町にある遺跡公園。

加曽利貝塚は国の特別史跡。縄文時代の環状集落遺跡で日本最大級の貝塚だそうな。
だけど関東の他の国特別史跡と比べて知名度低い気がするのはアピール度の差なのかな。

個人的には、亡き伯父が考古学が趣味で千葉市に住んでいた頃にこの貝塚についての対談が雑誌に載ったことがあり、嬉しそうに見せてくれたので知って記憶に残っていた。(今の自分で元気だった頃の伯父と話せたならとても面白かっただろうなと思うけど、当時はガキで考古学に対する興味など薄くあまり話を聞けなかったのがなんとも残念だ)なので、ドライブで千葉を通るときに「加曽利貝塚」の案内を見かけるたびに「いつか行きたいな」とは思いつつも、毎度通過してて今回やーっと寄れた。

さて、その貝塚遺跡は広い自然公園みたいなていで、そんなに広くはない駐車場もすいてて悠々停められた。
他で遺跡とか言うと、まず記念館とか資料館がドンとあってそれを見てから歩くという形だけど、ここは大きな公園の中に博物館があるという形、なのでまずは予備知識なく公園を歩く。

で、園内に進むとまずすぐ横に「貝層断面観覧施設」というのがあって、早速貝塚を見れた。

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これは直径130mのドーナツ状になった北貝塚の一部の断面を横切って覗ける施設。貝の層が見やすく、そして多種ある貝殻や層の案内もついてた。この北貝塚は4000年から5000年前くらいの縄文中期のものだそうだ。
毎度貝塚を見ると思うけど、縄文人って貝ばかり食べてたのかね。まあ一番獲りやすく食べやすい生物ではあると思うけど。。なーんて思ってたけど、大きな村単位で千年も暮らしてれば層になってあたり前だよね。自分自身一生で食べる貝の貝殻ってどのくらいの容積なんだろうか。

なんて考えながら抜けたけど、その先の「竪穴居住群観察施設」というのは現在閉鎖中とあったし雑草も伸びてたので、もう一回断面施設を抜けて公園の道に戻った。
そして円状になったその公園の道をぐるっとまわって「加曽利貝塚博物館」に来てみた。

少々昭和チックな建物だけど、入り口前の顔ハメや入ってすぐのゆるキャラのプレートは平成っぽく感じた。
受け付けは無く入場無料。撮影禁止とも何とも書かれてなかった。

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館内も昭和チックな造りながら、解説のパネル等は新しく見やすかった。
まず周りの回廊は主に千葉県内の貝塚の案内。
実は貝塚は関東地方が一番多く全国2443の内の1376と半数以上。その中でも千葉県は断トツで多く648、更に千葉市が一番で124もの貝塚があるという貝天国だったようだ。
ってことは縄文時代って千葉が一番人口多かったって事?(そうらしい)文明が無ければ一番住みやすいのは千葉って事?(そうらしい)すげーな千葉。知らなかったわ。

ジオラマ模型とかはひとつもなかったんだけど、中心のフロアには掘り起こされた状態の人骨の複製とかあった。
発掘品は皿や壺だけでなく土偶や装飾品なども並んでおり、縄文!って感じ。

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食べ物の展示も興味深く、ハマグリと同じくらい大量に出てきたのがイボキサゴという聞きなれない巻貝。千葉で一般的に巻貝というとナガラミかと思ったけど、それより全然小さい別の貝だそうだ。そして幼貝の小さいものほど好まれて食べられてたとか。。謎だ。

興味深かったのは犬の骨で、縄文時代には犬を飼い狩猟に連れ立っていたそうで、人の骨と一緒出てきてたりするくらい大切にされてたようだ。
この犬のルーツは日本オオカミではなく大陸から渡ってきたものらしい。そして犬も進化してて縄文の犬より弥生の犬の方が大型なんだそうだ。食べ物の差なのか?
展示で最後に興味もったのが縄文時代のトイレ事情。パネルだけの解説だったけど面白かった。

30分程でひとまわり見て外に出た。
そして引き続き園内散歩。円形の北貝塚の周りの道は博物館からすでに下り坂で、白い花を見ながら坂を下った。(昔から咲いてたのかな、、なんて思ってたけど多分外来種のハルジオン)
そして坂の下で外側の森への道に折れた。舗装はなくちょっとぬかるんでるとこあったりする細道だけど、黒いカワトンボが沢山飛んでて涼しげだった。

その森の先に「旧大須賀家住宅」があった。裏からだけど戸は開かれてて中にも入れた。

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江戸中期の寛保-寛永年間(1741~1750)の建築だそうで、元は幕張町にあり代官所として使われてたものを民俗資料として昭和中期に移築したそうだ。
中は若干変なトコに縄文ぽい土偶っぽいものが置かれてヤレヤレな感もあるけど、縄文時代の遺跡に江戸時代の屋敷を移築したことの方がヤレヤレなのかもしれない。。
座敷は広くしっとり落ち着いて威厳ある古民家だった。屋根は茅葺をトタンで覆っってたけど、(田舎の昔の家がそうだったので)逆にそれがリアルで懐かしく思えた。

さて、古民家の前を少し進むと川に出る。谷間の川で園内地図には船着場跡とあったけど、現在では船など通れそうにない細い川で雑草で水面は見えなかった。
けど足元にカエルちゃん。アマガエルかと思ったけどアカガエルっぽく見えた。
川の先にはモノレールの高架が見えた。モノレール通らないかなーと見てたけど通らなかった。

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川からは真っ直ぐ森の中を丘に登る道があったのでその道を進んだ。
この道は園内地図には点線でしかなかった道みたいだけど、ウッドチップで整備された歩きやすい道でちゃんとしてた。

で、丘を上ると「復元集落」の野原に出た。ここには三基の縄文式竪穴住居が復元されているんだけど、一基つぶれてしまっていた。なんか潰れ方が自然でリアルに感じた。
なので割りと管理不足のほったらかし住居かと思いきや、他の二基は扉も開いてて中に入れた。まず手前の小型の100号竪穴住居跡の住居に入ってみた。
ちゃんと遺跡の場所に復元してるんだね。って、そりゃそうか。火を熾す薪とかあってそういう体験プログラムもできるようだった。

もうひとつは少し大きい111号竪穴住居跡。入口に猫がいて中の様子を窺ってた。
どちらとも縄文時代中期の住居跡で、6~7mの半径の円の同じ敷地らしく、大きく見えたのは藁葺がしっかりしててカッコよかったからだけなのかもしれない。。
100号も111号も発掘された時は敷地内に貝層があり、人が住まなくなってから貝塚にしてたそうだ。

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復元集落の野原からは駐車場方向にまっすぐ進むと、林を抜けた先に南貝塚の野原に出た。
こっちは発掘作業中のようで、所々ブルーシートかぶされてたり雑草に埋もれかけてたりして整ってない感じだったけど、こっちにもある「貝層断面観覧施設」は先に入った北貝塚の物よりも新しいデザインでカッコ良く、入り口のガラス戸も中も整っていた。

ちょっと中もガラス張りだったのと、層の深さが浅めだったけど、見やすさは変わらずゆっくり歩いて見れた。やっぱ博物館の後だけに「ああ、これがイボキサゴね」などと軽く復習するような感じで見れた。
この南貝塚は170mの馬蹄形の貝塚で北よりも新しく、3000年前くらいまでの縄文後期の1000年間積まれてたものだそうだ。
反対側から出ると出た先で塀の上に乗ってた猫と目があったw 猫が多いのは公園としては悲しいことだけど、ここのネコは毛並みキレイで草叢を元気に走りまわっていたので近所の飼い猫なのかもしれないとか思えた。(ちなみに鳥はカラスだらけだった)

とまぁ、歩いてまわるだけでもいろいろあって楽しめる遺跡公園。博物館メインで後はちょろっとのつもりだったけど結局ひとまわり歩きまわってしまった。雨降らなくてよかった。

タグ:観:遺 観:園 観:館 観:地 観:キ 観:具 観:屋 観:蛙 植:花 動:虫 動:獣 楽:歩

としまや弁当 おゆみ店

ファイル 3038-1.jpg千葉市中央区生実町の県道沿いにある弁当屋チェーン店。

前回の記事で竹岡式ラーメンの醤油と脂の濃い旨みを「としまやのチャー弁にも通ずる」とか表現してしまって、自分で「そうか??」と思って気になってたりして、、そんなわけで「としまや」に行こうと木更津(本社は袖ヶ浦だそうだ)方面に行こうかと思ってたんだけど、雨がヤバそうなのでヤメてずっと手前のこの「おゆみ店」に来てみた。
道的にはおゆみ野のニュータウンを過ぎちゃって、あれ?違ったか?とか思ったけど生実町は「生実」でおゆみと読むので違ってなかった。ああ生実城のトコね。

ファイル 3038-2.jpgさて、店前で車を停めて、やや廃れた古いコンビニみたいな印象の店に入った。
そういえばガラスに貼紙で「感染防止の為、当面の間店内での飲食は御遠慮いただきます」とあった。まぁさもありなん。っていうか実は病院の後いつも通り薬局隣りのパン屋で買ったサンドイッチ食べながらドライブしてきててそんなに腹減ってなかったし、チャー弁は時間たってからの方が味が滲みててウマイという話も聞いた事あって、むしろ今回は持ち帰って食べてみたかったので丁度よかった。

ってわけで入店。
もうレジ前に弁当が積んであって、チャーシュー弁当いがいにもゴージャス弁当とかバーベキュー弁当とかあったけど、まあここは迷わず素直にチャーシュー弁当を買った。
レジのおばちゃんが明るくて感じよかったので店の印象は古くてもいい雰囲気だった。

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食べたのは帰宅してからの宵の6時。なるほどたれの甘味がしっかり滲みてていいねぇ。
そしてチャーシューも大きく食べ応えあるし、それ一色で思いきり食べられるのも嬉しい。
けど、竹岡に通じる醤油感では無く、思い付きで勝手に納得して書いてしまった事に深く反省した。(そういう流れでこれを食べようと思ったので、間違いに気づいたところで前回の記事をこっそり書き直すわけにもいかなくなってしまった。。あしからず)っていうか実はチャー弁食べるのまだこれで2回目なんだよね。

さて、話は午後2時半前の店に戻って、出発する前にナビ地図で「生実城跡」とか探してみたんだけど見つからず、、スマホで検索したら、自転車か徒歩で行った方がイイ細道の奥の奥だそうで行くのヤメタ。
なんでも「おゆみ」は元々、里見方についてた小弓公方の「おゆみ」で、ここらはその本拠地。後北条や千葉に敗れてこの地を去った後に生実という字があてがわれたようだ。(っていうか千葉氏の目と鼻の先じゃん。と、思ったけどその頃は千葉の本家は滅亡して本佐倉城が本拠地になってた頃だったのかな)
城跡とか行かずともちょこっと勉強になった気がした。

タグ:食:弁 楽:買

金四郎

ファイル 3037-1.jpg市原市潤井戸の県道沿いにある食堂。

この県道茂原街道は南房総からの帰り道の定番ルートのうぐいすロードに続く箇所で、混雑する事も多い区間なので迂回する道を探したいとこでもあるけど、毎回少し我慢してトロトロ通過してる。
その区間にある食堂がここで、まぁ普通の食堂だろうなとは思いつつどんな店かWebで調べてみたら、竹岡式ラーメンの店!だということで一度寄ってみようと思ってた。
のに、コロナ禍の影響か通る時間が悪いのか、ここんとこ毎回通るたびに見ると閉まってて空振り続きだった。まぁ本家の竹岡式も食べたし東金のバージョンも食べた後なのでしばらくしてから寄った方がイイよな。。 なんて思ってたけど、今日は開いてた。
なので、若干複雑な気も有りつつ喜んで寄った。

ファイル 3037-2.jpg店内は所謂食堂。昭和っぽいというほどのレトロ感でもない普通な店内だけど、上の方に額で飾ってあった「潤井戸ドライブイン 開店」という貼紙はかなり古そうで、昭和中期くらいからドライブインというていで長らく続いてた店なんだなぁと思わせた。(創業は昭和50年(1975)だそうで、その貼紙の印象程古くはなかった)

で、メニュー見つつ普通に「金ちゃんラーメン」をたのんだ。

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おお、これはなるほど、しっかり醤油の味がガッツリきいたおいしい醤油ラーメン。玉葱ものって竹岡式テイスト。
竹岡の店に比べれば強引な感じはなく食べやすく体にも悪くなさそうなおいしい味。特別な店だけの極端な味の御当地名物ラーメンが、しっかり市井に下って馴染んだという印象で嬉しくなった。
竹岡式好きだから、こういう形で一般的な味になって根付いて気軽に食べれたらなぁーとも思ってたし、そうなってこその千葉の御当地ラーメンと言えると思えた。

醤油と脂の濃い旨みがいいんだよね。「としまや」のチャー弁にも通ずるよね。
昭和50年頃に竹岡のラーメンが有名になってる筈はなく、たまたま最初から味の方向性が近かっただけなのか、最近になってそれに寄せた味にしたのかどうかはわからないけど、この醤油感はいいね~。
また寄れたら寄ろうと思った。

タグ:餐:ら

魚水

ファイル 3036-1.jpg鴨川市天津の128号沿いの干物土産店にある食堂。
そういえば128号を通るたびに毎回見かけてて「とろさば定食」とか「まぐろづけ丼」とか看板が気になってた店。毎回通過してたのは店前の駐車スペースが空いてなかったからかな?今日は空車だったので咄嗟に寄れた。(店前だけじゃなくて店の裏の海側にも駐車場はあるようだった)

店の中に入ると、その干物海産物の土産屋と一緒でその一角のスペースが食堂コーナーになってる感じ。テーブル席とカウンター席とあったのでお一人様も入りやすくてよかった。

ファイル 3036-2.jpgメニューは壁の貼紙のみという事で、脇のお客さん越しに見てみたけど少し迷った。
房州産という「煮とこぶし丼」とか「浜ゆであわび丼」とか気になったけど少々値がはるので。やっぱりリーズナブルな看板メニューの「とろさば定食」や「とろあじ定食」の干物焼魚が専門店だけにいいかなー、とも思いつつ、チョー激安!とあった「本マグロ中おち丼」や更に安い「まぐろづけ丼」や「かつをづけ丼」「ぶりのづけ丼」でもよかった。
で、迷いながらも「本マグロ中おち丼」(\880)にしてみた。
味噌汁は別で\110ではまぐりの味噌汁が付くというので追加した。

で、待ってたら、まぁそりゃ中おち丼は出てくるの早いよね。他のお客さんより先に出て恐縮した。(他のお客さんは「とろさば定食」とか焼魚だったようだ)
ってわけで「本マグロ中おち丼」

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んーまぁここらへんは間違いないよね。
とろけるわぁ。
本マグロと普通のマグロとでどのくらい違うのか分からないけど、\220高いメニューながら、量はしっかりちゃんとご飯を覆っててたっぷり味わえた。
そしてハマグリの味噌汁も小ぶりな蛤ながらいい味で満足。何気にワカメもうまかった。

入りやすい店で安くおいしく食事できて満足。
「とろさば」とかリッチに「浜ゆであわび」とか食べにまた寄りたいな。

タグ:食:丼 餐:魚 餐:汁

道の駅 オライはすぬま

ファイル 3035-1.jpg山武市(旧蓮沼村)蓮沼の県道沿いにある道の駅。

たまーに寄るけどトイレだけという事が多く、今年も二度くらい寄ってたかな。(点景は四度目だけど七年ぶり)
今日は3時前だから食事できるかなと思って寄ってみたけど、食堂はラストオーダー2時半でもう当たり前のように閉まってて真っ暗だった。。
まぁ別に食べたかったメニューがあるわけでもなく(そもそももう十年くらい食事してないから現在のメニューを知らない)まぁ仕方ないと諦めて、今回もトイレだけだなぁー。と思った。

で、一応産直売店のほうも覗いてみたんだけど、総菜コーナーでイワシ天丼みたいな弁当が目についた。
そういえばこの道の駅は入口の看板に「いわしの郷」と大きくある割には食堂のイワシ料理が充実してるわけでもなく「イワシ丼」というメニューは確かイワシの天丼で、刺身ではないので(かなり前に食べた事ある)元々期待してなかったんだけど、そのイワシ天丼が弁当であるならそれで充分と、おもわず購入。

海辺で車停めて浜と波でも見ながら食べようか、、とか思ったけど、ここで食べればゴミすてられるなぁ、、と思って、おもてのベンチで食べることにした。

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ラベルにあった「いわし浜大漁」というのが品名なのか店名なのか企画名なのかよく分からないけど、いい味のタレのかかったイワシ天丼弁当で、イワシも身がしっかりとしておいしかった。
ちょっとご飯の量少なめの小さな弁当でペロリと食べた。むしろ食堂で食べるより安くて気軽でよかったかも。

さて、出発の前に、そういえば休日はいつも子供が遊んでて写真撮れなかった小舟の「こがね丸」を眺めた。
大人でもこういうのって少しはわくわくして上ってみたいもんだけど、さすがに「ケガをしないようにあそびましょう」という字を見てヤメといた。。

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ちなみに前回の点景

タグ:食:弁 餐:魚 観:船

寿屋本家

ファイル 3034-1.jpg一宮町一宮の128号沿いにある軽食喫茶店。

大きな神社の周りで町の中心地でもあれば飲食店くらい幾つもあるだろう、、とか思ってたけど歩いてみると和菓子屋くらいで飲食店はなく、時間が遅めだから開いてないというわけでもなさそうで少々寂しく感じた。
けど、国道に出てみたら、対向車側の蔵のような商店に「お食事」という幟と「商い中」の木板が見えたので渡って行ってみた。

ら、洒落た軽食喫茶。生姜焼き定食なんかもあるようだし空いてそうだったから入ってみた。

ファイル 3034-2.jpg店内は土間にカウンター席、板の間にテーブルが並んでて、カウンター席ではおっちゃんが一人で酒飲んでたので、他に客はいない板の間に上がってテーブル席に着いた。

洒落たメニューだけど、しっかり食べれる定食があってありがたく、日替わりランチでチキンソテーのセットなんてのもありひかれつつ、なんか一番気になった「海老とキャベツの塩焼きソバ」をたのんだ。(生姜焼きもチキンソテーも焼きそばも同額だったのになぜか迷わずに決めた)

スマホいじって少し待って「海老とキャベツの塩焼きソバ」登場。
なんか焼きそばなのに妙に洒落てて綺麗な料理だった。

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焼きそばは味もよく単なる塩味ではなく、、何だっけこの旨味。。思いだせないけど、脂の香りよく、キャベツも甘く、エピはプリプリでおいしかった。

食後の飲み物はアイスコーヒーにした。
店内をみまわして雰囲気を味わいつつ、ちょっと奥を覗いてみたら、座敷もあって、縁側までの客室で庭まで覗けた。あーできればそっちで食べたかったなぁ。。とも思ったけど、まぁいいや。
空いてる時間で、おいしいもの食べれてよかった。

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外に出て店先も見ると、入り口にあったベンチは去年まで上総一宮駅で使われてて駅舎のリニューアルでここに移された物だそうだ。そういえばチグハグだけど馴染んで合ってた。

「壽屋本店」の看板の裏に国有形文化財の案内板があったのに気づいて読んだ。
この建物は明治30年(1877)築の「旧斎藤家住宅」で、店蔵は鰹節メインの海鮮問屋だったそうだ。
店が店蔵、奥に続いてた座敷が主屋、それ以外に土蔵と稲荷社があるそうで、裏から入って見てみたかったけど、勝手に入っていいものではないだろうと思ってヤメた。

少し国道沿いに歩きつつ、小学校への横道に入って駐車場へ折り返した。
この小学校の校庭が前に正月に来た時の臨時駐車場だったなぁ、、とか思いだしつつ歩き、手前の家の前の雨どいの下の防火水槽にホテイアオイが浮いてるのが見えたからちょっと覗いてみたら、メダカが泳いでてカワイかった。

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しかもこれ青白いメダカと黒濃いメダカに緋メダカも色濃く赤く見えて、ちょっと高めのメダカじゃん。これって雨で流れ出ちゃったりしないのかな。。とか思いつつ、深い水槽で広々と気持ちよさそうに泳ぎまわる姿を眺めて癒された。(これってメダカを泳がせるのはボウフラ対策として正しい使い方なんだそうだ)

ステキな町角風景にほっこりしながら歩くと、途中の三差路の角には蓋をされてたけど円柱上の手漕ぎ井戸があったりしてレトロだった。ちょこっとだけど歩いて回って気分良かった。

タグ:餐:焼 餐:飲 観:建 観:具 観:街 動:魚

玉前神社

ファイル 3033-1.jpg一宮町一宮にある神社。
上総国の一宮。先週行った飯岡の玉崎神社が玉之浦(九十九里浜)の終わりの守護で、この玉前神社が始まりの守護という事でちょっと気にかかってて、茂原まで来て思い出して来てみた。読みは玉前も玉崎もタマサキでまぎらわしいw

ここに来たのは実は二度目で、前は正月の房総周りの帰りに寄ったんだけど、正月だけに参拝は列になってて、少し並んでみたけど時間かかりそうだったからヤメて抜けて帰った。なので参拝は初めて。境内をちゃんと見るのも初めて。これは二度目とは言わないかw

裏の駐車場からは境内の裏にすぐ入れるんだけど、まぁ一応ちゃんと正面にまわって歩いた。
赤い鳥居をくぐると境内にはいろいろあって、まず参道の茅の輪。六月の夏越しと十二月の年越しの神事とあって(そういうものだったんだ、、知らなかった)8の字にくぐるのは知ってたのでくぐって回った。

その先には新しく造ったような「朱琴泉」(水琴窟のコーナー)や蓋した井戸の前に蛇口がある「御神水」(のコーナー)があった。
へええ、どんな水かと手の平に少々垂らして口にしてみた。ら、思い切り鉄クサイ水で、蛇口管のサビかと思ったけどそうではなく、ちゃんと案内に「鉄分を多く含み酸化して間もなく赤く濁る湧水」と書いてあった。。

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石の鳥居をくぐって手水舎の段に上がり、また赤い鳥居をくぐって社殿の段に上がった。前来た時はこの石の鳥居さえ抜けてなかったっけ。

まず参拝。拝殿は黒漆塗りで柱の縁に赤い線が入っててカッコよかった。近く塗りなおしたようで中央の彫刻もキレイに彩色されていた。この爺さん婆さんはなんだろ。(夫婦愛と長寿の「高砂」だそうだ)

そして社殿の裏にまわってみると、岩の塚のようなのの周りを石の道で囲った「はだしの道」というのがあって、老若男女みんな裸足になって歩いて回ってた。「一周廻りて無垢となり二周廻りて気を入れて三周廻りて気を満たす」と立て札にあって三周廻るものらしい。いやいやデブには無理でしょ。。とか思いつつ、靴下脱いで歩いてみた。

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最初の一周は思ったよりも普通に歩けたけど二周目からキツくなった。。脇の石に手をかけて休もうかと思ったらダンゴムシがいたので遠慮した。。
三周目はもう立ったばかりの小鹿のようなおぼつかない足でなるべく平たい石を選んで休み休み歩いた。。気を満たすというよりパワーをごっそり失ったような気がした。。
けど、靴をはくと楽に歩けてその有難味で満たされた。靴をもっと大事にしようと思った。

境内西側の天然記念物という槇の群生とその合間の句碑を見て歩いたけど、靴の歩きやすさばかり気を取られててピンとこなかった。。

そして「はだしの道」より先に見るつもりだった本殿を拝見。
シンプルな黒い社殿だったけど、ここにも彩色きれいな彫刻が小さく並んでて素敵だった。

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境内裏を東側にまわると戦没者を祀った「招魂殿」と砲弾があり、その前に御神木の「イスの樹」と
、宝永7年(1711)造の神楽殿があった。
そのイスの木の前には、明治末期に九十九里浜で引き揚げられた漁網に被害を及ぼしてた錨と東郷平八郎の篆書の記念碑が地味に立っていた。
イスの木の説明に樹齢とか大きさとかは無く「古来当社の御神木として崇められてきた」とあるだけだった。聞きなれない名の木で「なんじゃもんじゃ」とも呼ばれるマンサク科の木だそうだ。(「なんじゃもんじゃ」という木は神崎でも見た覚えがあるけど別種だった)うねうね~と伸びた感じの木だった。

そのまま出れば裏の駐車場もすぐだったけど、付近で食事もしたかったので正面に戻った。
手水舎の段にくだってその脇の「子宝・子授けイチョウ」というのも見た。これは雄株と雌株の間に実生の子銀杏が立ってて、雄雌子の順に両手で触れて子宝を願うとよいらしい。
ぱっと見「杉か?」と思うような真っすぐ伸びた三本の木だった。

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あとは割とあちこちの神社で見かける「さざれ石」をながめつつ、こんなコース外の脇にあった由緒書きを読んで下の段におりた。
最後に斉館の前の五葉松を見て境内を出た。

なんか思った以上に見どころが多く面白い神社で、深くはないけど高い森の木々の雰囲気も良かったけど、その分なんか上総国の一宮という威厳は薄く思えた。まぁそれでいいんだけどね。

そして駐車場には戻らずに、飲食店を探して街を少し歩いた。

タグ:観:宮 観:水 観:飾 観:道 観:石 観:具 楽:験 動:虫 植:樹

焼肉厨房 牛心

ファイル 3032-1.jpg富里市七栄の296号沿いにある焼肉店。
というか
来たのはこの店ではなくて、国道通ってて「丼490円~」という看板が前から気になってた店に寄ってみたんだけど、そっちの店は点内灯りが点いてたけど「休業中」と入口に貼り紙があった。
これはコロナのせいの一時休業なのか改装中とかなのかどうか分からないけど、店舗の半分が食パン販売店になってて、そっちはやってるようで、自分以外に来た車は皆その食パンの客だった。

 
 
ファイル 3032-2.jpg食パンには興味ないので空振りかと出ようと思ったけど、その駐車場を共有する敷地内隣りに焼肉屋もあって、ちょっとどんなもんかと店先のメニューを見てみたら、ランチセットが16時までだったりしたので、たまには焼肉とか食べるか!とそっちの店に入ってみた次第。
ファミレスくらいの大きさでチェーンぽい感じの店(チェーンではないらしい)。でも半端な時間だけに他に客もなく悠々とボックス席に着けた。

ファイル 3032-3.jpgあらためてメニューを見るとカルビセットというのが580円というリーズナブルなランチで、ビビンバやクッパとかとのセットで1000円とかハラミとかとのセットとか色々ありつつ、割高の「上州牛」のセットもそんなに高くはなかったので「上州牛カルビセット」にしてみた。

焼肉は去年の暮れに忘年会で行って以来だし、その暮れでの焼肉自体久々で、そういえばドライブ中あちこちで焼肉屋の匂いは嗅ぐものの最近は滅多に食べないよなぁ。点景でも珍しいかもしれない。
そういえば昔の職場では近所の焼肉屋のランチセットを昼食ローテーションに入れて毎週食べてたよなぁ、、(たしか月曜が焼肉屋だった)なんて思いだして懐かしく思った。

さて、セットは思ったよりちゃんと肉が並んでてゆっくり焼いて楽しめそうな程良い内容だった。

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いやいや久々の焼肉はひとりでも楽しいね。
肉は悪くないけど正直そんなにイイ肉!ってほどでもなく、580円の方だったらどんな感じか比べてみたいと思った。
単純に肉食べてご飯をはさんで次を焼いてる間小皿をつまみつつのリズムがよく、焼肉というアトラクションのような食事を楽しむのが主旨なので、こりゃヒドイというほどの肉でもなければ580でもいいし、最近よく通る296号沿いだからこういうランチもまたたまに来てもいいなと思えた。
ただしガラガラの今くらいの時間に限るだけどねー。

という感じで普通の店だけど、久々の焼肉ということで点景にしてみた。

タグ:食:焼 餐:肉 楽:懐

成田空港 空と大地の歴史館

ファイル 3031-1.jpg芝山町岩山の航空科学博物館の奥にある資料館。

先月「三里塚記念公園」に行った後に成田空港反対闘争の資料館とかないのかなと調べて知ったトコ。入館無料。
空港超肯定の航空科学博物館の奥にあるきれいな建物が、血みどろの負の歴史っていうのがなんか不思議な感じ。

入って記名すると使い捨てのスリッパを渡された。土足禁止なんだ。
写真はOK。館内は丸四角なワンフロアを円形にコーナーを区切られて展示。中心の木は何を示してるのか説明はなかった。

ファイル 3031-2.jpg展示はまず空港問題前のこの地域の開拓の話から。戦後に焼け出された人や沖縄の人達が入植して開墾したそうだ。

で、最初に国際空港の候補地は他にあって、その各地で反対のデモがあったそうだ。霞ケ浦では船でデモとか。
なので、御料牧場と県有地が多いこの地に急遽変更。現地の民間には説明もなしに決定したのはデモをさせずに捩じ伏せようという舐めた考え。その結果長く深い抗争をうむことになったという事ね。

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地域の人にしてみればこれこそ本番の本土決戦という気構えで抵抗は続き、青年婦人子供も一緒の総力戦。糞尿を投げてたりもしたそうだ。
条件呑んで承諾した賛成派の家は村八分ということもあったり、学生運動の左翼学生や共産主義者と組んで共闘して、死者も出て血みどろの戦い。あらためて見ても国家も民間もどっちも嫌な気分しか持てないなぁ。

妨害に遭いながらも空港は造り上げられ、開港目前の管制塔占拠破壊事件で開港が延期すると、国も世論も単なる破壊工作としか見なくなって抗争は下火になったそうだ。

残りのコーナーは「円卓会議」「長く重い時間」と容易には決着のつかない課題という感じながら、青や緑の爽やかな配色でキレイに現在につなげるように纏めてた。

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個人的には旅行や見送りで何度も利用している成田国際空港。
今現在危険や不穏を感じる事は無く国内最大の国際拠点空港としてまた利用することがあればいいなぁと思ってる。(けど、もう海外は行かないかなぁ)
もちろん抗争の歴史もいろんな媒体で触れて認識してたので大まかには知ってたし、こうして資料展示を見てみても見方変わる事は無く、やっぱり暗い気分にさせる客観的事実として認識するだけ。
細かい所でふーんと思うところはあったけど、死者多数出るような抗争は不毛なテロ。でも負の歴史でも埋もれることなくこういう記念館がちゃんとあるというのはいいことだと思った。

タグ:観:館 観:史 観:具

ぐうらーめん

ファイル 3030-1.jpg東金市田間の126号沿いにあるラーメン店。

何度か来てた店で点景も二度目。でも久々の来店。今年はなかなか千葉から出れないけどそのぶん久々の店も来れるのは嬉しい。
この店は振り切ったくらいの濃い口醤油のヤバいラーメンの人気店。午後を大きくまわってたから空いてたけど、昼だったら今でも列になるのかな?
竹岡式とはどこにも書いてないけどやっぱ濃い口醤油だから竹岡式なのかな?ちょうど先月その竹岡式の「梅乃家」に行ったばかりだから差も判るだろうと思った。

で、食べたのはプレーンメニューの「ぐうらーめん」んー醤油の匂い。いいねいいね。

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食べてみたら想像通りのヤバい濃さのモロ醤油味。そしてストレートの麺もイイ感じ。最初から玉ねぎも充分入ってて竹岡よりも竹岡に思えた。というか自分の中ではこれが竹岡式だと記憶してたみたいで、「梅乃家」に行ったときに「あれ?そうだったっけ」と感じた部分が補完されてた感じだった。
そっか、この店に来てからは「梅乃家」には行ってなかったのかもしれない。
違いを言えば、こっちの方がチャーシューは味濃くなくてその分汁濃いめというか堅めの味。んーエッジのきいた醤油の強さがいいよなぁ。この汁は飲み干しちゃだめだよね(ましてや高血圧の自分なんかが、、)とか思いつつも飲み干した。汁あってこそのラーメンよ。
それと、玉ねぎの切り方なども雑さが無くちゃんとした感じ。竹岡よりも町だからってトコかな。

まぁあえて竹岡式を名乗る必要はないけど、醤油の千葉!って感じなのでこういう店がもっと県内に増えて千葉のラーメンの顔になって欲しいよなぁ。(苦手な人も多そうだし、間違いなく体には悪いから増えないだろうけど)
っていうか醤油の町の野田や銚子とか(最近知った千葉醤油の佐原とか)にこそあって欲しいんだけどなぁ。

とにもかくにもうまかった。そして意外と食後にのどもかわかなかった。
 
 
ちなみに前回の点景

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