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水戸城跡

水戸市三の丸にある城跡。

徳川御三家の水戸徳川の居城にして水戸藩の政庁だった城。のわりに他の御三家の名古屋城と和歌山城に比べて城跡としてはパッとしない所。
三城ともに太平洋戦争の空襲で現存天守を失っているけど水戸だけは復元されておらず、その後も城址公園にはせずに学校の敷地となって観光地にはならず、唯一城内三の丸に現存してた藩校の弘道館だけが国史跡としてのスポットになっていた。

で、
最近になって大手門と角櫓が木造復元されて城跡のように整備されたようなので、来てみたいと思ってた。のに、城跡用の観光駐車場というのはなく、弘道館への観光客用の駐車場という事になってて、有料の弘道館から順に見てってねという感じ。
その弘道館は昔家族旅行で来たことあったけど、如何せん子供だったので、まぁ今見たら全然楽しめるだろうと、素直にそっちから行ってみた。(駐車場は無料だけどすいてて、だまって門と櫓だけ見てきても大丈夫そうだったけど)

国重文の正門を横目に通用門から入って券売所、券を買う前に一応「ここ見た後に車停めたままで門とか櫓とか見てきてもいいですか」と聞いてみたら、「ここは5時までだけど角櫓は4時でしまっちゃうから急いでいかないとギリギリですよ」と親切に言われ地図のあるパンフもいただけたので「じゃあ先にそっち行ってきます」と引き返した。

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前置き長くなっちゃったけど、そんなわけでまずは「大手門」。うーん立派。(これができる前に何回か来たことあったんだけど、以前は普通の道路で車でこの先に進めたんだよね)ゆっくり見たいけど、それよりなにより角櫓と先を急いだ。

大手門の先は二の丸跡。現在はほぼ全部学校。広い城内風の白壁塀が並んだ道を進む。(この城内中央の道は往時からの位置でこの広さであったようだ)
立派な門の中学校と小学校(幼稚園)の間を抜けて、高校の手前にある小さな格子戸口が隅櫓への通路。家の玄関みたいで地味で気づかずに通り過ぎそうだった。。お邪魔しまーすって感じで入ると窮屈な塀の間の狭く長い道。うへぇ。

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塀の右が茨城大附属小学校で左が水戸第三高校(現共学の元女子高)、途中で桜が咲いてたのが見えたくらいで景色のない道を急いで進んだ。この桜の内側あたりに天守代わりの御三階櫓があったらしい。(ちなみにこの高校の創立は昭和元年、て事は、空襲で焼失するまでは女子高の校庭に現存してたのか)
その校庭の端を横断して抜けた先の二ノ丸の縁には城跡らしい白壁塀が張られて右の端に復元された「二の丸角櫓」が見えた。

おお、なんかカッコイイ角櫓。直角に多門が続く二重櫓で、心なしか屋根も反っててシャチホコもいるし、天守を復元できない分ちょっと盛って見栄えよくしちゃったかなー?なんて感じたけど、管理してた人の話ではちゃんと図面通り改変なく再現したものだそうだ。まぁ最近はうるさいそうだからねぇ。

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中も入れて新品櫓の木の天井はきれいだった。二階への階段もあったけどそれは立ち入り禁止だった。
水戸城と復元工事の解説のパネルが並ぶ間に「水戸城門扉」という門の戸板が置かれてた。水戸城大手門の門扉だと伝えられてたそうだけど、大手門にしては小さすぎるので別の門だという見解。数少ない現存物ではあるけど、なんか怪しいね。
格子の窓を開くとビルの合間に水戸駅が見えた。往時は駅のあたりはもう仙波湖でいい眺めだったらしい。そんなトコで「はいお時間です。閉めさせていただきますのでご退場願います」と出された。ホントにギリギリだった。通常なら早めに閉めて戻って入口を閉めるのが4時だそうで、自分以外にも数人いたので少しおまけしてもらえてたようだ。

塀の道は戻る時の方が校庭を覗けた。往時は二ノ丸御殿(二の丸屋形)があった場所。御殿は明治にすぐ解体されたようだ。ん?なんで御殿も御三階も本丸じゃなくて二の丸なんだ?(本丸には倉庫としての櫓しかなかったそうだ)

広い道に出て少し戻ると中学校の脇に「二ノ丸展示館」。ここもしまっちゃったかなと覗いたら4時半までとあって開いてたので入って見れた。

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水戸城についてのパネル展示とジオラマ模型があって、ジオラマ模型がいい感じでじっくり眺めた。

さて、そろそろ弘道館に戻らないと、、と思いつつ、まだ城内には他にも見どころあるようで、やっぱ気になって奥に進んでみた。

二ノ丸で先ずあったのが樹齢400年の大シイ。戦国時代から自生してたそうで佐竹がこの二ノ丸を造った頃からずっとここにあった大樹。二つのスダジイが並んでキレイに伸びてて、まだまだ葉も青く旺盛で立派だった。

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その横の格子戸門(こっちは門になってた)をくぐって生垣の細道でまた学校の裏を進んだ先が「二中見晴台」。城跡ではないけど、北の那賀川の側が広く見渡せていい眺めだった。
この二ノ丸の北側には櫓はなかったらしい。北側であったのは本丸の月見櫓。復元はともかくできればそっちが展望台だったらよかったのに、、と思った。

生垣を戻って中央の道に出ると杉山坂を下る脇道の対向に「杉山門」があった。ここは往時は土塁で桝形になってたらしい。門はパンフには(モニュメント)とあった。大手門には(復元)とあったのでこれはちゃんとした復元物じゃないのかな。まぁこのくらいの門はどれもそんなに変わらないだろうけどね。

そして更に進んで二ノ丸の奥の端には本丸への橋が架かってて間は深い堀になっている。

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橋を渡ってたら堀の底の線路を列車が通過。常磐線?じゃなくて水郡線。三両編成だった。この堀は佐竹が割ったのかな?こんな立派な堀を割ったのに秋田に転封されてガッカリだね。

橋の先は本丸跡で現在は水戸第一高校。ここに現存の薬医門があるということで何度か来たことはあるんだけど、駐車場ないし、高校とか入っていいのかわからず怯んで退散してた。今日は弘道館でもらったパンフに門の周りまでは見学可とあったので安心して進入した。っていうか、さっき言った月見櫓跡や南端の隅櫓跡くらいは行かせてほしいものだ。

ちなみにこの高校は卒業生の小説家の恩田睦の作品の「六番目の小夜子」や「夜のピクニック」のモデルとした舞台でもある。どちらも読んでたしドラマや映画も見てたので感慨深い。

門は、
安土桃山時代の佐竹の頃に建立された現存物、長らく別の場所に移されてた物を昭和後期に移築。移築の際に茅葺を銅板葺にしたそうだ。恐らくこの本丸入口の橋詰門だったであろうという事だけど、だったら元の場所はもう少し橋の前の方じゃないのかな。そういう位置や改修や不明な点があるから国じゃなくて県の文化財なのかな。残念。でもかっこよかった。

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門を見て学校を眺めて橋に戻るとまた列車が通った。水郡線ってそんなに本数多いのか。
ゆっくり広い道を戻って、また「二ノ丸展示館」に戻ってジオラマ模型を見た。館の人に薬医門の話を聞くと、戦前には今の場所にあって空襲を避けるためにお寺に移築したので元々の場所な筈と言ってた。ん?そうなの?っていうかだったら御三階櫓も避難させとけばねぇ。。

「二ノ丸展示館」もそろそろ閉館ということで大手門に戻った。
大手門は裏からだけどさっきよりゆっくり眺めた。頭上の横に張った柱が立派だった。

門をくぐって橋を渡った先にあった小さな像を見たら斉昭だった。。なんでこんな小さいの?大手門越しに写真撮った。徳川斉昭や藤田東湖がもう少し長生きしてればねぇ。。

そして弘道館に戻ったのが4時半過ぎ強。「んー今から入るのはもったいないですよねぇ」ってことで、やっぱりこっちはこっちでまた今度来ようかなと思って車に戻った。なんかズルした感じだけど、いやな顔されず「是非是非」と見送られた。


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