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北方井手ちゃんぽん 諸富店

ファイル 3260-1.jpg佐賀市諸富町山領の208号沿いにあるちゃんぽん専門店。

武雄市北方町にある「井手ちゃんぽん」の支店(ではないらしい)。県内そして他県にも何店かあるらしい(いくつかの系統のフランチャイズがあるようだ)
っていうか、今日は佐賀の34号の方でも一店見かけてて、武雄手前では本店を通過してて、食べられなくて残念に思ってたトコで、まさか暗くなってから見かけて寄れるとは思わなかった。有明沿岸道の途切れたトコから444号に下りずに少し回り道の208号側に進んでよかった!

ラッキーとばかりに寄って暗い未舗装の駐車場に停めて店に入った。

ファイル 3260-2.jpgいつ以来だろ。(点景的には2013年以来の9年ブり)そういえばドライブ中での普通のちゃんぽんは、長崎で食べるかこの佐賀の井出ちゃんぽんかくらいしか食べてないかも。。(リンガーハット行っても皿うどん食べちゃうしw)
とか思いながらシンプルなメニューを見た。迷わず普通のちゃんぽんをたのんだ。

厨房の前の席がカウンターで、調理を眺めながら待った。ら、なんかカツ丼をたのんでるお客さんも沢山いるようで、ちゃんぽんと共にひっきりなしにカツ丼を調理していた。うううう気になるぅ。次来たらカツ丼食べたいなぁ、、とか思いつつ、次に佐賀に来る時に憶えていられる自信はなかった。

そしてちゃんぽん登場。

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やまもりのモヤシ野菜。正直言えばラーメンとかで山盛りになってるモヤシは邪魔くさくて好きじゃない。けど、このちゃんぽんは野菜が主役って感じで、モヤシにしてもちゃんと調味されてしっかり味付いてウマい。だってメニューに「麺抜き」というのがあるくらいだからね。
あと最近増えてるタンメンの店の野菜はおいしいんだけど熱すぎてツラい。そういうストレスを感じずにおいしくもりもり食べられて合間に麺を啜っておいしく食べた。
スープもおいしく啜って完食(スープは本店からの取り寄せだそうだ)。おいしかった。

そういえば武雄の本店でしか食べた事なかったけど、しばらくぶりだから差は分からず、とにかくおいしく満足。
次来たらカツ丼。。覚えとかなきゃねw

タグ:餐:麺 餐:菜

肥前鹿島干潟

ファイル 3259-1.jpg鹿島市常広の有明海に面した干潟の海岸。

有明海の干潟は寄ったらじっくり見て長居しちゃう大好物。でも今回はもう日が暮れるからパスかなぁ、、と諦めてたんだけど、鹿島に来たのが6時15分前、ぎりぎり日が暮れる寸前にちょこっと寄れそうだと思って見掛けた案内に従って来てみた。

ら、見晴らし台らしきものがなかなか現れず、それらしい所に到着したのが6時ちょい前。なんとか日のある内にこれてよかった。

現地の案内は「鹿島新籠」となってて、あれ??っと思ったけど、これは「渡り鳥水鳥重要生息地ネットワーク」の登録地としての海岸名ってことだった。
見晴らし台のスロープにある横断幕や見晴らし台の左側にある案内板には「ラムサール条約」の登録湿地として「肥前鹿島干潟」が出てた。

さてその見晴らし台に上がった。
見晴らし台といっても堤防の上にあがれるだけのものだったけど、堤防じたい高かったので眺めはよかった。まぁ見晴らしという言葉に嘘はない。そして、ここ以外にはこういう眺望できる場所はなさそうだった。

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案内板を見るとここから見える有明海は左側が佐賀県、正面左が福岡県、正面右が熊本県、右の端が長崎県と四つの県が見れる海。四つは珍しいかも。

ファイル 3259-3.jpgさてそして干潟。広ーい干潟。ラムサール的に喜ぶくらいの野鳥はいなかったけど、鹿島川河口の方には干潟を歩く鳥が見えた。ズームして写真撮ると、黒白の分かりやすいのが案内板にあった「ツクシガモ」だな。築紫鴨と書くだけあってこの有明海がメインの飛来地の渡り鳥なので見れて嬉しい。茶色いカモがメスかと思いきや、ツクシガモは雌雄同色だそうでこれは別種。
細長いのは全国どこにでもいるアオサギ、みんな近寄ってて仲良く見えるけど、ズームで重なってるだけで実際はバラバラな筈。

まあ鳥はいいとして、それより手前のこまいやつ。こっちはよく見えなかったので、やっぱり近くまで行こうと階段降りて浜へ出張った。ホントはもう足疲れてて上り下りしたくなかったんだけどね。誘惑に負けた。

ってわけで干潟の寸前から眺めると、こまいボコボコは全部カニだった。シオマネキ?こいつらはこいつらでかわいいんだけど、やっぱムツゴロウが見たいよなぁ、、有明海だしなぁ、、と思いながらカメラのズームをスライドさせてたら、いた!のそーっと歩くムツゴロウ! 夕方はもうお疲れかな?動きが緩慢だった。

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最初は見つけただけで嬉しかったけど、だんだん欲が出て、背びれ広げないかな?とか、飛び跳ねないかな?とか、ケンカしないかな?とか、、とか期待してみてたけどペコペコ歩くくらいだった。
ゆっくり見てたら雲間から夕陽の日が差してきてムツゴロウのラメっぽい体も照らされた。

けど、その日差しを最後に日が暮れて陰った。もう帰ろもう帰ろと思いつつ、ついついしばらく離れられなかった。
最後はもっかい鳥を見て、船も見て、広く俯瞰して戻った。

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見晴らし台に戻って名残惜しく眺望しつつ、設置されてた双眼鏡はどんなもんかと覗いてみた。
ら、
うわーこれはよく見える。そして覗きやすい双眼鏡だった。
まだまだ動くムツゴロウや背びれ立てたムツゴロウとかもいて、位置覚えてカメラを向けてみたけど、カメラのズームじゃ全然追いつけずボケボケ。サモアリナン。

と、なんだかんだ30分ほど楽しんで車に戻った。ちょこっと見るだけのつもりだったけどやっぱダメね。
でも満足。やっぱ佐賀に来たら干潟見なきゃね。

タグ:楽:眺 景:海 景:浜 観:具 動:鳥 動:虫 動:魚

武雄神社

ファイル 3258-1.jpg武雄市武雄町武雄の県道沿いにある神社。

夕方だけど駐車場にはわりと車停まってて、参拝客の多い人気の神社のようだった。
僕はここにある「武雄の大クス」が目的だったけど、せっかくだから神社行ってから行こうかと思った。(参拝客用の駐車場だし)

ゆっくり歩く家族を追い越しつつ進むと、まず先に「夫婦桧」という二本並んだ檜があった。夫婦円満の願掛けで吊るされた紐に幾つもの鈴がくくられてた。安産祈願石というのもあった。じっくり見て拝む人達を横目にサラッと見て通り過ぎた。

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そこからの坂はまるで城のような神社の石垣が続いてて、さっきの「塚崎の大楠」よりもむしろこっちの方が城跡なんじゃないかと思えた。
進んで石段を境内に上がって、現れた社殿は白地のどっしりしたもので見た目に威厳を感じた。まず参拝。

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振り返ると武雄の市街はちょっと先だけど少し見晴らしよかった。
本殿にまわるとその前に矢場があった。
他にもいろいろあったけど、それより大楠が先だと境内案内を見て御由緒を読んだ。

この武雄神社は武内宿禰を祭神とし、神功皇后の異国征伐の帰途に兵站を止めた場所に創祀されたそうだ。わぁ、朝行った忌宮神社と繋がった。。(武内宿禰が父の武雄心命を祀ったのが「武雄」の由来という説もあるそうだ)
元は山の北側にあったんだけど、平安時代末期に領主が塚崎城を築くためこの東側に遷されたそうだ。(ここは城じゃなかったか)

さて、大クスへは鳥居をくぐって石段を下って参道を進む。まるで別の神社みたいだ。っていうか、この下った石段はまた帰りに登るんだよなぁ、、とヘタレた事考えながらゆっくり進んだ。

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けど、その先の楓が緑の廊下のようでキレイで、抜けた先の竹林も高く深くいい雰囲気だった。

そして竹林の先に「武雄の大クス」があった。
ロープで仕切られて立入禁止で正面から離れて観るだけだったけど、立派でカッコよかった。

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この樹は樹高30m幹周20mで、全国巨木第6位、クスで5位、樹齢推定3000年という武内宿禰より1000年以上年上の御神木。でもこれも市の天然記念物。市なのか。
まぁ肩書はともかく独立しててしっかり木の形としても整ってて葉も青く豊かで元気な堂々とした大樹。惚れ惚れしてしばらく眺めた。あとから来た人も帰るくらいしばらく眺めた。

もう日も当たらず少し肌寒く感じたので来た道を戻った。
けど神社に戻るとまだ日は高くやや蒸し暑かった。

タグ:植:樹 観:宮 観:石

塚崎の大楠

ファイル 3257-1.jpg武雄市武雄町武雄にある巨木。

前の道で案内見かけてこれが「武雄の大楠」かなと思って来てみた。
中の方に案内はなく取り敢えず武雄市中央公民館の裏の駐車場に停めて周りを歩いてみたけどそれらしいものが見あたらず、案内も出てなくて困った。。
じゃあ中央公民館で聞いてみようかと入口の方に進んでみたら、建物の向かいの丘に「塚崎の大楠」の案内板が立ってたのをやっと見つけられた。

けど、、この丘を上った上にあるそうで登るのが億劫だったし、目的の大クスとは別の樹らしいし、、と躊躇しつつ、案内板にこの丘は「武雄城(塚崎城)の一部です」とかあって興味ももちつつ、少し迷ってままよと登ってみた。

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グングン一気に登ると上まではすぐだった。堅掘とあった竹林を進み、城跡と云えばそう思えなくもないくらいの埋もれそうな道を進み、木の根の張った坂を上るとその頂に朽ちたような太い木が見えた。
え、枯れ木なの?とか一瞬思ったけど脇からのびた幹の先に緑の葉を蓄えてしっかり生きていた。なんかすごいな。

下の案内では幹周:13.6m、樹高18mで佐賀県内三位の巨木、推定樹齢は2000年の市の天然記念物。2000年なのに市なのか。吉野ケ里遺跡と同じくらいなのに市か。。
昭和38年に落雷にあったそうで、近年では幹の空洞化が進行してるとか。でも逆にこの空洞がカッコよく、触れないように寄って包まれてみた。

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ゆっくり眺めて下りは別の道、文化会館へ下った。
廃墟後っぽい小さな曲輪っぽいのがあったりして荒れた感じではあったけど、こっちの道の方がコンクリ舗装された坂でちゃんとしてた。

車に戻ると、車体に映った周りの木の葉の感じが良かった。
この駐車場の裏の森の感じがよく、来た時はてっきりこっちに巨木が埋もれてるのかと思って迷わせてくれた。地図には「迎田緑地」とあった。脇に蔵があったりして雰囲気良かった。

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タグ:植:樹 観:城 景:森 楽:登

吉野ヶ里歴史公園

ファイル 3256-1.jpg吉野ヶ里町田手の385号沿いにある国営歴史公園。

発掘された弥生時代の大集落跡で国特別史跡であり、多分日本一有名な古代集落遺跡だと思う。なので佐賀県の名所観光スポットといえばまず真っ先に挙げられるキャッチーな公園。

個人的にはやっぱ縄文時代の方が好感あって、農耕と見分階級のイメージの弥生時代はあまり好きではなく、いままで九州のドライブ中に寄りたいとは思わなかったし、今日も近くに来るまで何とも思ってなかったんだけど、まぁたまには寄ってみてもいいかな、、とか気まぐれみたいな感じで寄ってみた。

広い駐車場は有料で310円、入園料は460円。ケチな自分でもまぁこのくらいは仕方ないかというくらいかな。

えらく広いという話は聞いていたけど、さっそく入口ゲートから遺跡までは長い橋で川を越える。天気いいからいいけど暑くてすぐに汗ばんだ。
遺跡の入口で銅鐸を鳴らせた。

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集落の入り口まではクッション性の高いゴム舗装の道で歩きやすかったけどそこまでだった。
柱の塀の内側には土掘りのような溝が掘られ槍のように斜めに立てた棒で防備してた。なるほど、城郭といえば城郭っぽくこの吉野ヶ里遺跡が城100選に選ばれてるのも少しは理解できそうだった。

中でまた地図を見てまずは南内郭にむかった。道沿いには木枝で作られたイノシシが並んでた。パッと見リアルでよかった。

南内郭の前には展示室があったので先に入ってみた。けどやや昭和チックな展示でパッとせずサーっと見て出た。

そして展望台みたいなの(櫓門?)もあったので登って上から南内郭を眺めてみた。
この南内郭は支配者層が住んでいた場所だそうだ。再現された建物より広場が広く曲輪といわれてもピンとこない感じ。城100選は再びハテナ。

中に入ると、物見櫓は登れるものもあるようで、人が途切れたら登ってみようかなと思ってタイミングを見てたけど、途切れることなかったので諦めた。

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竪穴式住居はそれぞれ中に入れた。っていうか、竪穴式住居は縄文時代とそう変わらないのね。
王の家も王の妻の家も娘夫婦の家も造りは一緒っぽく大きさに差異は感じなかった。中に人形がいたり食器が並べられてたりしたけど、それでもどれも縄文時代とそう変わらない印象。全部は入らずにささっとまわって、他の建物も見つつ郭から出た。

次はその先、中のムラ。すぐ先だけどすぐというには思いのほか離れてた。大昔は土地あまり放題だったんだねぇ。もう少し密集してた方が機能的じゃないのかなぁ。。
中のムラは、祭祀儀礼の道具などが作られていた工房区画。住居も少し大型に感じた。

その奥に北内郭が強固な柱塀に囲まれていた。
虎口のような入口から入ると迫力のある高床の建物「主祭殿」が現れた。わぁこれは城だわ。本丸だなココ。

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ここも中に入れるので登って入ってみた。ら、二階は祀りごとを行う場で人形が集まって会議をしていた。
三階は祈りごと人形が集まって祈祷をしていた。

北内郭は他にも高床の斎堂、祭殿、住居、倉などあり、住居に上がってみたらここは司祭者の住まいだったそうだ。普段は一切外に出れなかったそうなので住居というより座敷牢のような感じに思えた。

そしてここの物見櫓はいくらか空いてそうだったので登ってみた。
まず登ってすぐは北側の展望。遺跡の先と北の山そして北西横には堀と塀の外に屋根倉という倉庫が並んでいた。

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ぐるっと回って南は郭の中心方向。こっちの塀の外には東祭殿というのが独立して建っていた。
暫し風で涼んで汗乾いてからゆっくり降りて塀を出た。東祭殿は夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上にあり、季節ごとの儀式をお子あった場所だそうだ。

北内郭を出てさらに北に進むと、すぐ先に「甕棺墓列」というエリアがありあちこちボコボコほられた穴の中にはカメのようなツボのような物が入ってた。ツボは詰まり棺桶のようなもんでいわゆる墓地というわけだ。

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そして墓地の先に「北墳丘墓」という王族の墳墓があって、中はとても見やすい展示資料館になってた。墓は上からも覗けるようになってて実物を近くで見れるし、案内説明もジオラマ模型もあって見やすい展示。新しく整ってた。

墳丘から出るとその先に園内を廻るバスの停車場があった。なんかもう歩き疲れたからあとはバスでいいやと並んで乘った。バスはすぐに来た。

バスはここから環壕集落ゾーンの横を南にゆっくり走った。戻るときに見ようと思ってた「倉と市」や「南のムラ」のエリアはバスの窓から眺めるだけでもういいやと通過。
バスは西口の駐車場前で折り返して戻って、東口の集落入口近くで降りた。

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これでもう車に戻ろうかと思ったけど、バス乗り場の裏にあった「弥生くらし館」というのだけ見て行こうかなと思った。けどここすぐ行けるかと思いきやぐるっと回らなきゃ入口に行けなかった。
歩き疲れてたからヤメときゃよかった、、とか思ったけど、ここは新しい展示でジオラマ模型も充実しててなかなかよかった。(体験工房の方は家族連れで賑わってたので遠目で遠慮した)

こんなとこかな。いやーひろかった。思った以上に足疲れちゃった。。
帰りの長い橋が億劫だった。売店も覗いたけどなんか疲れちゃってて何も買わなかった。

全体の三分の一くらいの「環壕集落ゾーン」だけのひとまわりだったけど、充分いろいろ見れて満腹満腹。
弥生時代に対する印象は変わらなかったけど、北内郭の強固な感じや「主祭殿」がカッコよく、客観的に魅力的に思えた。まぁ、ほかの時代の史跡や遺跡も客観的な魅力を楽しんで見るだけなんだけどね。

タグ:観:遺 観:園 観:城 観:選 観:建 観:楼 観:像 観:館 観:具 観:模 楽:歩 楽:眺 楽:乗

道の駅 吉野ヶ里

ファイル 3255-1.jpg吉野ヶ里町松隈の385号沿いにある道の駅。

有料の東脊振トンネルの区間を通らないと来れない道の駅。二度目の立ち寄り。ってことは前回も有料トンネル通過したのか。。ここの峠(坂本峠)は一度も通ったことないわけか。。
っていうか、こんな近くに道の駅があったならダムでトイレ寄らなくてもよかったわけで、見かけるまで忘れててよかったw

点景にはしてなかったんだっけ(09/9/20のCR-Xの頃だから点景始める前でコワクにもしてなかった。。)。たしか前回は輪切りのヤマメの刺身を食べたのを憶えてた。

ファイル 3255-2.jpgってわけで丁度いいのでここで食事休憩、入口にあった「うなぎのせいろ蒸し」「アナゴのせいろ蒸し」「瓦そば」というのが気になった。瓦そばは食べてみたかったけど、それって山口の名物だよね。。ウナギは九州産極上とあって気を引いたけどちょっと贅沢かなぁ。。アナゴが丁度いいかな。
とかほぼ決まって中に入ると、フードコートに店は三店(別棟にも一店)あってそれぞれ多彩なメニューで迷いに迷った。ギリギリまでアナゴと思ってたけど、やっぱケチって安いメニューに逃げた。。佐賀のB級グルメの「シシリアンライス」というのは食べた事なかったのでそれにしてみた。「三田川ホルモンのモツちゃんぽん」というのも気になったけど、三田川というのが何処か知らなかった。。(地名ではなく吉野ヶ里町内にある人気店の名前だったらしい)

そういえばヤマメとかやってる店はもうなかったなぁ。。(13年もたってるからねぇ)

席で待つと、出てくるまでにちょっと時間かかった。大人数の注文の後だったらしい。。

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ってわけで「シシリアンライス」なんか野菜たっぷりすぎ。。埋もれてたけど肉ものってた。
おいしいはおいしいけど、うもれた肉とライスはスプーンで食べて野菜は掬えずに箸で食べるのが煩わしく、だったらサラダはサラダで食べた方がいいのでは?と思えた。シシリアンライスってこういうものなの?(もっと肉がメインぽい)量はそんなに多くないけどめんどうくさいからゆっくり食べられた。

外に出ると水汲み場があった。そうだったっけ。
「東背振トンネル入口から四百六十メートル付近に横井戸百メートル掘り取水した天然水です。」だそうだ。一旦車に戻って空いたPETボトルに汲んだ。ナイス。

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そして建物の裏にまわって南方向の眺望。前の道を挟んで広がる筑紫平野を眺めた。
ずっと平らで田畑が多くのーんびりした平野。いいながめ。
有明海はもやーっとしてよく見えかったけど、右にうーっすら見える山は雲仙かな。方向的にはその手前辺りが佐賀市街だけど、都市っぽくは見えないね。ドライブ的には気楽に廻れそうでありがたい。

タグ:餐:飯 餐:菜 観:水 楽:汲 楽:眺 楽<待 景:町 景:山 道の駅

竹崎城址展望台

ファイル 2539-1.jpg太良町竹崎の竹崎島の丘の上にある展望台。

竹崎島は陸繋島で一応県道の短い橋で渡る島。島の途中の道はやや細めだったけど、上にはちゃんと広い駐車場があって安心したし、展望台は天守型だったので、模擬天守に寛容になってきた今になってから来れてよかったと思った。

もう独占状態だったのでその模擬天守をバックに写真撮れるように正面に駐車して、さっそく展望台に歩いた。

展望台は二層三階の櫓大であっさり目の建物。展望台としてはいいくらいの大きさだね。(それでも洲本城より立派)
ちょっと眺めてから上って展望した。

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したら東の有明海正面のぼやーっとした雲間から朝日が顔を出したところって感じだった。ゆるーい感じで光強くなかったのでゆっくり眺められた。少しぼやけた柔らかい朝って感じ。

そして北には島の向かいの道越の港と町が見えた。
すぐ手前の展望台の塀の中ではシジュウカラがあっち留ったりこっち留ったり飛び移りながら元気に鳴きまくってて少しうるさかった。

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海には小さな漁船が走ってて、港からも何隻も出発してたトコだった。明るくなってから漁に出発って遅めな気がするけど潮が満ちてからの出船って感じだったのかな。
そして日はしっかり姿を出したものの、まだ光弱くゆるい感じで海を照らしていた。

しばーらく眺めて満足して戻るかと思ったトコで、まだ上に登る階段があったのに気がついた。先にきづけよ~w
いまさらだけど三階に登ってまた展望。そんなには変わらないけど、少し高い分手前の森を越えて広く眺められた。

駐車場の自分の車は、脇の「月の引力が見える町」と書かれた柱に挟まれてるように見えて、引力というより万力って感じだなぁとか思った。

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道越の町も良く見えてたし、裏側の北西の方向の山も見えた。とはいってもモヤッてて手前だけだったけどね。
太陽も少し高くなって海面に光の筋を落としてた。ん?これが引力が見えるってことか?いやいや月じゃないしw太陽っぽくないけどw
ゆっくり眺めて展望台を下った。

ファイル 2539-5.jpg展望台の周りはサニーレタスの畑や花畑になってて、良く見るともう咲いてるコスモスとかがあった。まだ5月なのにコスモスって、、気が早過ぎ。
そして柱の「月の引力が見える町」というのを見たけどここには説明がなかった。まさか海面が盛り上がるのが見えるって事はないよねぇ、、

ちょっとおまけになるけど、
ゆっくり出発して来た道を戻ると少し手前に石垣跡があって「竹崎城址」とあった。
こっちが城跡。展望台のある場所は竹崎観世音寺の「拝み堂」というのがあった場所だそうだ。城より寺の建物の方が眺めいい場所にあったのか。。
とはいっても観世音寺は和銅2年(709)の開基、竹崎城は南北朝時代(1378年頃)の築城、だそうだから寺の方が上なのかね。
戦国時代にも有馬と竜造寺の勢力境で攻防が繰り返され、江戸時代は島原の乱の跡に取り壊されたそうだ。
意外と規模の大きい城だったそうだけど、出城であり支城なので攻防以上の歴史はなさそうだ。むしろ展望台が立ってる現代が一番立派だったりして。

タグ:楽:眺 景:海 景:島 景:陽 観:閣 観:船 観:城 動:鳥 植:花

道の駅 鹿島

鹿島市音成甲の207号沿いにある道の駅。
何度か寄ってる道の駅で、初めて有明海の干潟をゆっくり眺めてムツゴロウを見たり、ムツゴロウの甘露煮を食べたりした事のあるお気に入りの道の駅。

今回は夜間の睡眠休憩の為の立ち寄りだったんだけど、やっぱり干潟は眺めたいから明るくなるまでゆっくり寝よう!と思ってた。ものの、まだ真っ暗の4時半前に目が醒めちゃった。。
寝たのが10時前なので六時間は充分な睡眠。二度寝もできずに起きちゃった。

で、
地図見たりして道を考えたり窓拭きして準備してて、5時になったら少し夜白んできたので道の駅の裏の海岸を歩いてみた。

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黎明のモヤーっとした干潟の海というのもこれはこれでいい感じ。細い切った爪のような月も正面に見えていた。
海辺への段を下ってたら、足元は暗かったので一回思いきり前方にコケてしまった。。ヒザ打って痛かった。

で、下まで降りて干潟を見たけど、そりゃまみんな寝てる時間だよね。動いてる生き物は見当たらなかった。

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っていうか、気がつくとゆっくりと潮が満ちてきて干潟が狭まってた。

モヤーっとした薄桃色の水面が波を立てずにゆーっくり押し迫って、とうとうこの道の駅の前の干潟は海水に没してしまった。あーあ。

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すっかり海になってしまった。いやまぁ元々海は海なんだけどね。
けどこんな景色もこれはこれでいい感じ。
対岸の岸(福岡県柳井市あたり?)も薄くボヤーっと見えてて幻想的な薄桃色の世界が広がっていた。

しばらく眺めて体冷えたので車に戻った。
(戻るときも軽く躓いて転んだ。前方受け身とって肘が痛かった。。)

ちなみに前回の昼間の点景

タグ:景:海 楽<困 道の駅

名護屋城跡

唐津市鎮西町名護屋の204号沿いにある城跡。国特別史跡。

今までも何度か通過してたけど、ここはたっぷり時間あってゆっくり歩けるようなときじゃないと寄れないよなぁ、、来るのは難しいかなぁ、、と思ってたので今回みたいな長い連休でこそ来たい場所だった。

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この名護屋城は秀吉の大陸進出の大本営として築城され使われた城。
そして秀吉の死後に廃城になり徳川に破壊棄却されつつ利用されないように閉ざされてたそうだ。なので当然現存の建築物は無い戦国時代最末期の城跡。
更にやっぱり朝鮮出兵という大失敗と思われる歴史の為かあまり目を向けられにくい国特別史跡。歴史好き城好きでなきゃ面白くはない所だよね。

で、取り敢えず適当に歩き回るつもりだったけど、20分後の1時から参加費200円でガイドツアーがあるというので参加することにした。
取り敢えず受付して観光案内所前の大手門口広場で案内板読んだりして待った。

で、1時から開始。参加者は8人ほど(数えたわけではない雰囲気的な人数だけど、、)
ガイドのおじさんの話を聞きながら歩いてまわった。

大まかなとことしてこの城の見所は石垣であり、徳川時代に破壊されたままの跡だそうだ。なるほど角という角はことごとく崩されていた。

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そして石垣の石は普請した大名に寄って積み方も石も違って個性があり石垣ファンにはたまらない遺跡だそうだけど、僕は石垣についてはシロートなのでそそられはしなかった。

登城坂を上り東出丸で呼子湾と呼子大橋方向を眺め、三の丸へ進んだ。
この三の丸は林の中の広い曲輪。真ん中に井戸がポツーンとあるけどガイドは時間の関係で本丸に進む。
ここの城は本丸大手口は三の丸にあって、裏側にある二の丸からは本丸には直接行けないという不思議な構造になっている。こっちが三の丸と二の丸が逆なんじゃないかと思うけど間違っていないらしい。

そして本丸。かなり広い。そしていい眺め。
真ん中にある名護屋城址の石碑は東郷平八郎の字だそうだ。
天守台も広く、当然の事ながら往時は立派な天守閣があったそうだ。
この天守台でガイドツアーは終了。45分間の分かりやすい話で楽しいガイドでした。

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眺めは正面に呼子湾と呼子大橋、加部島から加唐島などの島々が見え、手前の町はどこも陣屋跡。
そして北側には足元に四角い遊撃丸跡の曲輪があり、その先が波戸岬で森だけどほとんど陣屋跡。陣屋ってどんな感じだったんだろうか。

あとは自由にフラフラ。多門櫓跡に隅櫓跡、旧石垣などを辿りながら本丸の隅を歩き、裏の二の丸から通路のような馬場を見下ろした。
そして大手口は通過して本丸北門跡に進んで水手口に下ってみた。
細めの下り口の下は二重の石垣が見えて立派だったけど、どうやらここから水手曲輪には行けないようなので一旦三の丸に折り返した。

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そして南側の二段の石垣の中間の廊下のような馬場跡を通って二の丸跡へ進んで遊撃丸跡へ歩いた。
なるほどこの遊撃丸というのは明国の講和使節が滞在した所。天守台の真下で城を立派に見せ威厳を知らしめるための場所って感じがした。ああ、それでその隣が二の丸って事か。
ここはしばらく石垣の上を歩けて胴の短いトンボ(ハラヒロトンボ)や白いキノコ(ハラタケ?)を見ながら一回りした。

その裏にまわると水手曲輪への段があった。けど、この曲輪は袋小路でやっぱりどっちにも進めず仕方なく来た道を戻った。

二の丸跡は合坂という上る石垣(崩されてて登れないけど)をずっと見ながら外側から通過して弾正丸からの南の森の陣屋跡方向を眺めて、搦手口から下った。

この搦手口は意外と広い口で、シジミチョウにまとわられながらゆっくり下ってみたら下の道はマイナーな暗い道だった。

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馬場の下の石垣を見ながら溜池に進んで大手口広場に戻った。
こんな城内だけのひとまわりだったけど(天守台から)一時間ほど歩いて、天気も回復してて暑くて汗だくになった。
元気な人は此処から陣屋跡とかも歩くのかなぁ。。

僕はそこまで興味ないので冷房効いてそうな名護屋城博物館 だけちょこっと見て終わりにしようと思った。(無料だし)

けど、中に入ったら大きなジオラマ模型で名護屋城と城下の湾口まで細かく再現されてて見入ってしまった。
とくに城内は歩いてきただけにその大きさを把握しつつじっくり見れた。

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なるほど水手曲輪は出丸でやっぱり袋小路なんだ。水手口とは段が違うんだ。
二の丸は三の丸より広く城下からすると正面なんだ。
搦手口は本当に裏口なんだ。とかとか。

ジオラマをじっくり見たぶん他の展示はサーっと流して見て歩いた。
その中で足が止まったのはやっぱり模型。
朝鮮出兵の日本軍の船「安宅船」の10分の1模型。
櫓が乗ってる変な軍艦。なんとなく知ってはいたけどこうして立体物を見ると珍妙で面白い。艦橋は城だとは思うけどホントに城ってww
対する朝鮮軍の船は「亀甲船」
これはこれでアンギラス。強かったそうだけど戦闘時以外は鬱屈しそう。

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それと、陣屋のジオラマもあった。お屋敷みたいな感じなのか。もっと砦っぽい感じかと思ったけど、そっか長期滞在するわけだもんね。
いきなり作った城でいきなり作った城下町。10万人以上が集まってたって当時にしてはものすごいことだよね。
そして秀吉の死で一気に廃れたさまは哀愁なんてもんじゃないよね。きっと。

という風景まで想像しつつ博物館を出て車に戻った。

タグ:観:城 観:石 観:史 観:橋 観:館 観:模 景:海 景:島 楽:話 楽:眺 楽:歩 植:茸 動:虫

七ツ釜

ファイル 2535-1.jpg唐津市屋形石にある海食洞の景勝地。

予備知識なく案内見て何となく来てみたけど、まぁ名前から7つの洞窟があるようなスポットだろうと想像していた。
けどまぁ駐車場から見下ろした海岸にはそういうものは見えず、案内図を見てみると、この岬の先の方だそうで公園の歩道で少し歩くようだった。
んーどうしようかな、、せっかく来たから歩こうかな。と思ったけど、それよか舟はどうだろう。もし遊覧船が料金安くて空いてて時間が合ったならば、たまには乗ってみてもいいかなー。なんて考えて船着き場への坂を下ってみた。

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いやいや連休だし観光地だし遊覧船が安くて空いてるなんて都合いい事ないよなーとは思いつつ、船着き場に来てみたら丁度船が出たばかりだった。
けど15分ほどで戻るそうだし、料金も1000円と安かった!そして人も少なく(来た時は釣りしてる人くらいしかいなかった)空いてそうなので迷うことなく乗船料払って乗ることにした。

で、船が戻るまでの待つ間は景色眺めたり船着き場周りの海をのぞき込んだりして休憩した。
曇りがちな感じではあったけど空はあかるくゆるい日も差してて照り返しで水中は覗き込みづらく、最初は大きなアメフラシくらいしか見つけられなかったけど、目が慣れてくると魚が泳いでるのも見えた。

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船は15分強で戻ってきて10分休憩入ってたので30分くらい待ってたけど、魚見てたから飽きなかった。

その間に来たお客さんは家族連れ一組だけで、小型の漁船くらいの船ながら貸し切りのような余裕で乗船。(前の回は降りてたお客さんが四,五組あったからタイミングもよかったと思う)
屋根付きの後ろの客席ではなく船の正面の席に座って気分よく出発した。

港から少し膨らみつつ岬の岸に近づくとさっそく節理の岩肌がスゴイ岸壁が見えた。

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なるほどー節理かぁーこれは船から見上げてこその迫力で、その縞々模様の岩を眺めた。
最初の眼鏡岩の案内を聞きながら岬の先へ進む。岬の先は長く緩やかながら節理の玄武岩が続いていた。
そしてその裏側もまた見事な節理の入り江が入り組んでいて、その間に遊歩道の展望台もあって陸路でもけっこう海の間際まで出て見られる様だった。(けどやっぱ船にはかなわないよね)

そして引き返していく遊覧船が見えた。
あれは呼子から出てる遊覧船の「イカ丸」だそうでこっちよりも高くて混んでるんだそうだ。(ああそうだよな。他の車はみんな真っ直ぐ呼子に向かってたもんな)商売敵の船の話も面白く案内してくれた。

そしていよいよ七ツ釜。
思った通り7つの洞窟のスポットだけど、こんなに並んでるとは思わなかったし、やっぱり棒状節理の玄武岩が畝って凄い造形、穴だけでなく横の岩もすごかった。

そしてまず真ん中の大きな穴に突入。入口の節理も見上げる岩の節理も不思議な眺め。そして穴の中に延びる線の流れと塞がった奥を見て思った「なるほど釜とはよくいったものだ」まるで尻のようだったw
呼子からの船「イカ丸」は大きいからここまで奥には入れないそうだw

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バックで戻ってさらに左側の穴にも突入。「イカ丸」はこっちの穴には入れないそうだw
こっちは節理が縦で大きめで尻っぽくなかったけど、穴の先が貫通してた。穴の先の光を見るとプチ青の洞窟。そして洞窟っぽい岩壁も水面は赤く少し上は緑に色が別れてて綺麗だった。ここ、カヤックかなんかで通ってみたいよね。

そして七ツ釜から出て、もうひとつ裏までまわった。
こっちは「吉田おとし」という断崖と上の丘の「乙姫大明神」が見える所。「おとし」というのはもう名前だけで察しつくけどそういう所だった。「乙姫大明神」は拝むと良縁に恵まれるそうで「海からどうぞ」という洒落た寄道。

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これで折り返し。
復路は少し沖に膨らみつつ周りの島の案内を聞きながら戻った。

小さい船ではあるけどその分一番前に座れたり狭目の穴にも入れたりして楽しめたし、案内の話も面白かった。
是非とも七ツ釜に来たならこの地元の漁協青年部がやってる方の遊覧船がおススメです!と、まわりに宣伝して下さいと云われたw「がばいよかたい!」と佐賀弁も添えて、、だそうで。

船着き場に戻るとお客様は何組か多数待ってた。空いてるこの回で良かった~。
坂を上って岬の公園の方も歩こうかな、、とも思ったけどもう充分満足だったので車に戻った。

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