館山市宮城にある太平洋戦争時の館山海軍航空隊が使用したと言う地下壕跡。
興味はあったけど有料なので今まで敬遠してた。
「色んな人に色々案内してるから、ちるとどこ廻ったか忘れちゃった。行ったトコだったらゴメンね」というくにさんに
「僕がケチだから有料のトコは行ってない筈だよ。今回は有料のトコでもイイよ」とは、実は此処を考えて言ったので、案内されて丁度バッチリだった。
まずは「豊津ホール」という昭和っぽい市民センターで入場料200円を払って(ケチるような料金じゃないよね、、w)ヘルメットと懐中電灯を借りて入口に歩く。
入口の説明を読むと、この壕は合計で1.6kmという全国的にも大きな壕だそうだ。
地下壕といっても基地機能を移したとかではなく航空隊の防空壕としいてたようで、事務とか病室とかに使ったくらいの記録しか残ってないようだ。
さてさて、足元気を付けながら入壕。
中は少し涼しいくらいの丁度イイ感じ。
やや暗いけど、人が大勢死んだ要塞跡とかじゃないから不気味さはまるでなく、通路も広く大きく直線で分かりやすく、下も平らで歩きやすかった。
そして横道も網の目のように出てて、どの道も崩れて無くキレイだけど立入禁止。
その立入禁止の横道は先が真っ暗で、電気無いとホントに闇に落ちていた。
歩いてて面白いのは岩の層。
壁は岩肌そのまんまでここも斜めにシマシマの地層が岩肌に出てて、掘る角度で丸く模様になってるとことかもあった。
中は構造物も装置も何もなく説明するような物もなかったんだけど、その中で珍しく見かけた文章は「この壕はどのように使われたのだろう」という疑問型のプリントだった。。
なんか残った資料が少なくてよく分かってないらしい。
分かってない方が色々想像できて恐くもあり楽しくもある。
ちょっと不思議に思ったのは、通路ばかりで部屋みたいな造りのものがあまり無い事。壕ってそういうもんなの?
どんどん進むとその先は外に開いた口になってて、これが出口かと思いきや、そうではなく、非常時には出口になるけど普段は閉鎖されてて、少し回って来た道を戻るのが順路らしい。
この口のあたりに珍しく何かあるなと見たら説明に、「この壕は戦後忘れられて昭和30年頃よりキノコ栽培に使われてた」とあり、「風呂やボイラー、コンクリートブロックなどはその時に持ち込まれた物」とあった。
あとはまたゆっくり来た道を懐中電灯を振り回しながら戻った。
壕を出てメットと電灯を返却。
駐車場に戻ってからちょっとオマケで少し散歩。
「赤山」を舐めるように見まわしながら周りを歩いて、裏側の宅地の間にある「掩体壕」も見てきた。
ああ、鹿島で見たのと同じ感じだ。
これは零戦を隠したものだったそうだ。
?こんなトコに隠さなくても地下壕にもっと広い格納庫造れそうじゃない?
(そして山が割れて戦闘機をカタパルト射出とか出来たらかっこいい秘密基地になるのに)
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