館山市佐野にあった旧海軍学校跡
410号を曲がると中学校の前に解説板があった。
昭和16年の太平洋戦争直前に横須賀海軍砲術学校から分離して出来た学校だそうだ。
向かいには当時の行進風景の写真が掘られた金属の立派な案内板が立っていた。これは立派で崩れなくていいね。
ああ、なるほど、ここに門があったわけだ。
写真や案内図にあるグランドや兵舎はすっかり田圃になってた。
けど中央の道はそのまま真っ直ぐのびてて、この山に囲まれた地域一帯の広い学校だったのが想像できた。
その田圃の先の右側の住宅脇に、砲身を模した形の「平和記念の塔」が立っていた。
なんでこんなトコに?有志で建てたかったけど空いてる土地がなかったとかってことかな?(駐車場もない)
そこには何やら錆び付いた野砲や噴進弾、自衛艦の碇などが置かれてた。
これも有志で持ち寄られたのかな。
野砲は小さくサビサビで崩れてたけど、一番存在感がああった。砲術学校で使われてたものかな。きっと大事にに磨かれて使われてたんだろうな。
噴進弾は巡洋艦の砲弾を改造して作ったものだそうで、木の板などの簡易な装置で飛ばせた為、硫黄島などではかなりの効果があったそうだ。
こんなんで飛ばせたのか。。凄いな。
それと、元敷地内に唯一の現存物、レンガ造りの建造物跡があるそうだけど、パッと見どこにあるのか分からず、、
くにさんがスマホで検索してくれて入口に戻って施設略図を見たりして判明。
左手奥の畑の合間にあった。
施設略図には「釜場」とあった場所。
説明やら案内やらは一切なく
パッと見、キレイなレンガで整ってて角も揃ってて年代物に見えなかった。
ちゃんと管理してるでもなさそうなのになんでこれだけが残ってるのか謎。
不気味な雰囲気は感じなかったけど、雑草が茂ってたので中には立ち入らずに通りから眺めた。