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霞城公園

山形市霞城町にある山形城(霞城)跡の公園。

実は高校生の頃に来たことがあった。国鉄時代のローカル線の旅で仙山線から奥羽本線の接続の時間を見て山形駅付近をぶらりと歩いて来てたんだけど、その当時は城=天守閣だったので、変な建物があるだけで城は何もない変な所という印象だった。

それから32年ぶりの来訪。
先月行った仙台城よりは手前の記憶だけど、仙台は連れてってもらってた場所、ここは自分ひとりで来てた場所なのでその分よく覚えてて懐かしいかなと思って来てみた。

さて、城内二の丸跡の広い駐車場から歩くとすぐ先の広場に門櫓が復元されていた。わぁ、やっぱ30年もたつと城跡公園は変わるねぇ。

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先に広場を見てまわると「山形歩兵第三十二連隊跡」の碑が立っていた。この城跡は明治から昭和の終戦までに連隊基地になってたので二の丸までキレイに公園として残せたんだね。城の建物を復元するのは嬉しいけど、たまには連隊基地を復元するような城跡があってもいいと思う、、無理だろうけど。。

それと騎乗した最上義光の像。これがやり過ぎなくらいカッコいい馬で、ナポレオンかよって感じの西洋馬風。
この山形藩初代藩主になった最上義光だけど、亡くなるとすぐにお家騒動で最上家改易。最上の後に鳥居氏が入ってからは年々衰退して幕末期にはジリ貧のボロ城だったようで、名実ともにこの城は義光の城って感じ。もっと山形のヒーローとして盛り上げたらいいのにと思った。

そして復元されてた「二の丸東大手門」の門櫓をくぐると枡形の先に高麗門があり、その先には水堀を渡る木の橋が架かってて堀を上から覗けた。
石垣は鳥居の時期に造られた現存物だそうで、他の三方の門のもそれぞれ現存物らしい。

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門全体の写真撮りたいからJR奥羽本線の線路も越えて外に出ると、霞城公園や城の案内が立っていた。その先には「最上義光歴史館」とかあるそうなので、観光で来るならこっちからが正面なんだろうな。
堀には大きな魚が見えた、野鯉だと思うけどアマゾンとかの大型外来種のようにも見えた。

橋を戻って門をくぐって再び公園。中央に進むと本丸の堀と土塁が再現されていた。これも昔はなかったと思う。(あっても当時はピンと来ないと思うけど)
土塁は先を見ると南の一角だけは石垣になっているようだった。

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その手前に「石垣石の加工」という説明と共に石が並んでいた。
雨ふって来て傘さしながら見て歩いた。
刻印の解説などもあってちょっとした資料館。陸軍連隊基地になった時に本丸の堀は埋められ平にされたそうだけど、崩された石はそのまま埋められてこうして沢山出てきたのだろう。

そして南に進むと角の石垣は橋の付いた「本丸一文字門」として復元されていた。これはカッコイイ。
9時半からなら橋を渡って本丸内も歩いて見れるそうだけど、まだ8時半。残念でした。(さっきの二の丸東大手門もその時間から中に入れたらしい、、)

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門の前には見学台というのがあったので上ってみた。
けど、これはそんなに高いものでもなく中まで見渡せるというほどのものではなく、写真を撮るにはいいアングルってくらいの高さだった。

入れない本丸はともかく、ここの後ろの南の端に見覚える「変な建物」が見えたので背後の林を進んでみた。
で、登場したのが「旧済生館本館」という建物。
昔来た高校生の頃には園内には博物館や体育館以外では、史跡らしい建物はこれしかなかった。まさかこれが城とは思ってなかったけど、変な城跡だなぁ、、と思ってた。

この「旧済生館本館」は明治初期に建てられた病院だそうで国重文。現在も「済生館」という病院はそのまま市街にあり、この建物は移築されたもの。街中にあったら観光名所になっただろうに、、と思う。
現在は「山形市郷土館」になってて9時開館だそうだ。。おしい

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取り敢えず周り回って見てみた。塔のような正面だけではなく後ろには回廊のように円を描く変な建物で、中庭があるそうだ。窓から覗くと洒落ていた。

裏庭には時季早くコスモスが咲いていたり、最上義光が謀殺した武将の首を乗せたという「首洗い石鉢」なんていうのもあった。雨やんで晴れてきたので陰惨な雰囲気はなかった。
表の脇にあった「イチイの巨木」と案内立った樹も義光の時代からこの場所に生えていたものだそうで樹齢400年以上。江戸時代にはこの場所は稲荷神社がありそれでずっと残ってたそうだ。
何気に城の往時の遺構も見れて満足。やっぱり30年もたつと見方変わってて色々楽しめるもんだ。
っていうか、ちゃんと案内読んでまわれば「変」だけじゃなくて興味深く見れるんだよな。

でまた林の表に出て「本丸一文字門」に戻り、そこから並ぶ案内版を見ながら堀に沿って東にまわった。
門の裏には「石垣崩落跡」というのがあり江戸時代に櫓ごと崩落したことがあったそうだ。

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そして体育館前から本丸跡をぶった切った形の中央の道で西側を北上、野球場がまた本丸をぶった切った北側の道を曲がって駐車場に向かった。
両側の本丸跡は工事してて囲われていて、途中に「霞城公園南側エリア完成イメージ図」というのが何ヶ所かにあった。これ見るとさっきの中央の道も体育館も武道館も博物館も取り壊すのかね?(済生館は残ってた)
北側は野球場の移転決定後に計画を策定する予定だそうだ。。気になるのは北の野球場じゃなくて西のソフトボール場にあったらしい御三階櫓だけど、それにふれてる案内図はほとんどなかった。
まぁ西側は堀の外ビッシリ住宅街だから御三階櫓を再現してもよく見える場所が少なくてパッとしないだろうね。

もう少しで駐車場という所でまた雨が降ってきた。傘持って歩いててよかった。
思ったより楽しく歩ける城跡になってて、懐かしさより楽しさの方が強かった。やっぱり昔の印象だけで済ませないで来てみるもんだなぁと思った。

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北山形駅前小便小僧像

山形市宮町にあるJR北山形駅の駅前ロータリーにある像。
何かで記事を見たのかな?ネタ帳に載せてたので来てみた。

雨上がりの小さなローカル駅前は通学の学生(部活?)がチラホラいるくらいだった。日曜だしね。
そしてその中央に噴水池のように小便小僧像があった。(水を噴出してるから噴水で間違いないんだけど)

この小便小僧は古くから近隣にあった服飾学校の女学生が着せ替えを施していたという「着せ替え小僧」のハシリとなった像だそうで、小便小僧は日本全国あちこちにあって此処のより古いものも多く、服を着せる小僧もあっただろうけど、定期的に着替えをするというのは珍しかったそうだ。

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その小便小僧。
今はロサンゼルス・エンゼルスで活躍の大谷翔平選手コスだそうだ。
大谷選手と山形は関係ないらしいけど、やっぱ東北出身のヒーローなので納得だろう。

よく見ると腰の手をあてた左手、ちん○を支えた右手、着せる服も難しそうだよね。左手はうまくポケットに入れてる形にしててうまいなと思った。

台座の裏の手彫りっぽい説明には「昭和31年10月19日に竣工、盛大に式典を挙行」とあった。
当時の小便小僧は洋風のエレガントさを醸して洒落た駅前を演出してたんだろうと思うけど、現在では地味だよね。それでも長い時間、地域の人々に親しまれてこうして残ってるのは立派だし微笑ましい。

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いろいろ想像しながら見てるうちに日差しが出てきて明るくなり、弧を描いた小便も輝いた。
見慣れたせいか卑猥とも感じないけど、これ、小僧じゃなくて大人だったらまずいよね、、(なんて思ったけど海外には小便紳士もあるそうだ、、近隣の国には大便家族なんてのも、、)

ちょっと小ネタ過ぎるけど、雨上がりの朝の感じがいい駅前風景だった。

タグ:観:像 観:水 観:池

道の駅 国見あつかしの郷

ファイル 2297-1.jpg国見町藤田日渡二の4号沿いにある道の駅。

去年できたばかりの道の駅で、確か前に通った時は造ってるとこだったと思う。
昼過ぎで混んでそうだったけど、すんなり停められた。もし今年出来たばかりだったら難しかったかもね。

ファイル 2297-2.jpg朝はちゃんと食べたからそんなに腹減ってないので、なんか軽いものないかなーと店内に入ってみると、さっそくスナックコーナーに国見バーガーというのを見つけた。
ちょうどよさげ。それにした。
メインは「サバ味噌」で他に「ソースチキンカツ」や「チリソースカツ」とかあるけど迷わずサバ味噌にした。(国見町は海ないけどね)

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うん、おいしいサバ味噌。レタスやトマトと意外と合うね。
ペロリと食べちゃった。

で、そのあと桃ソフトが気になってたんだけど、少し混んできて並んでる人したりして、また同じとこで注文するのが気乗りしなかったのでパス。

ファイル 2297-4.jpg店内を見てまわってたら「もも大福」というのが国見限定ブランドとか書かれてて気になったのでそれを買って食べた。

凍りかけの餡とクリームと小さな桃の果肉が入ってて、一口パクリで終わりだったけど、おいしく味わえた。
桃の方が国見(福島県)っぽいよね。
バーガーも桃の方が御当地っぽいのにね。
バーガーに桃は合わなかったかな、、(サバ味噌好きだからそれはそれで文句ないんだけど)

タグ:餐:ば 餐:魚 餐:菓 道の駅

瑞鳳殿

仙台市青葉区霊屋下にある伊達政宗を祀る霊廟。
ここは来た覚えがなく初めてなんだけど、叔父さん曰く、「ここに来ないと仙台に来たとは言わない」くらいのスポットだそうだ。むしろ青葉城よりもこっちだそうだ。
その青葉城では車で上まであがれたんだけど、ここは坂の上り始めくらいに駐車場があるので歩いて登る。。

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えっちらおっちら、すぐそこが上だと思ってたらまだそこは序の口で、その倍あった。。
暑い猛暑日で汗かきまくったけど、森の中で日陰が多いせいか意外と涼しく、そんなにキツくはなかった。(昨夜飲んだ酒の分の汗くらいはかかなくちゃね)

そして入り口に到着。料金払って(もらって)入るとその先に「涅槃門」
開いてないので脇から入ると、キレイな唐獅子と牡丹の彫刻が見えた。(近くのガイドさんが「任侠のイメージの唐獅子牡丹の元は縁起物だったんですよー」というのを聞いてから進んだ。)
その先の「拝殿」を門のようにくぐって抜けて「橋廊下」というのがあったという高めの石段をゆっくり登った。

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その上の「唐門」の先が「瑞鳳殿」
仙台藩初代藩主伊達政宗公のお墓。
戦時中に焼失して50年前に再建されたものだけど、色は何度も塗り直してるのかな、すごくキレイでキラキラしてた。

んーなんだろう。別の神社のキレイすぎる社殿はいやらしい感じがしたもんだけど、ここの派手さは感じ良く、これが「伊達」ってことなのねと妙に納得した。

資料館をさーっと見つつ門を出て小休止。自販機がある東屋でお茶を飲んだ。木陰爽やかでも暑いは暑いからね。ゆっくり行きましょう。

有料区間の外に出ると「戊辰戦争 弔魂碑」というのもあった。ん?仙台藩士って戊辰でそんなに沢山討たれてるんだっけ?
会津が踏ん張る前にバンザイしちゃって戦乱を逃れた印象だけど、、

そして一旦横の坂道を下って、次は伊達家歴代墓所、二代藩主忠宗の「感仙殿」と三代藩主綱宗の「善応殿」。

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こっちはやや小さめのお堂が並んでるだけだったけど、周りの緑が眩しかっただけに逆に派手さが際立って見えた。

霊廟があるのはこの三代目の「善応殿」までで四代目からは質素な石の墓になったそうです。
この先には九代目の墓や姫の墓があったけど他は別の場所のようだ。いろいろあったんでしょう。

ファイル 2296-4.jpg最後は急な下りの石段を脇のアジサイを見ながらゆっくり下った。
やっぱり仙台は森の都市のイメージ。気温上がってるけど木陰が涼しいのはありがたい。

行きに「序の口」と書いた所に「天龍閣」という温泉旅館への横道があって、叔父が古稀の祝いの宴会をそこでやって泊まったそうで、意外と安価で景色抜群の部屋で、実は芸能人とかが仙台に来るとお忍びで利用するらしいトコだそうだ。
「まだ時間あるなら行ってみようか」と言われたけど、時間を見たらもう昼前なのに気付いて遠慮した。

タグ:観:建 観:門 観:飾 植:花

仙台城跡

仙台市青葉区天主台の青葉山の上にある城跡。通称「青葉城」
鎌倉時代から城があった場所を江戸初期に伊達政宗が開いて大きく築城し、明治まで仙台藩の藩庁だった城。

ファイル 2295-1.jpg確か小学生の頃に一度連れてきてもらった憶えがあるんだけど、やっぱ城とかは大人になってからじゃないとピンと来ないよね。ってわけで仙台の叔父さんの誘導で来てみたんだけど、入り口の櫓から森を廻って坂を登って高い石垣の道、そして城の裏から入る本丸の駐車場まで意外とどの景色もしっかり憶えていた。

そして車を降りると観光地ムード。
まぁ仙台と言えば!ってスポットなんだろうね。
七夕飾りが見えた大きな土産店は本丸内のどの建物よりも大きかった。

さてさて、城としては石垣くらいしか遺構のない本丸なので、メインは仙台市街の眺望だろうね。
まず、すぐ東の脇に流れる広瀬川は、都市部を流れる川とは思えないような渓谷の眺めで岩壁の崖などが覗けていい眺め。
そのクネクネの広瀬川の先が高いビルが集まった仙台駅方面の市街になっている。

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そして、馬に乗った伊達政宗卿の銅像の前の広場に出ると、東のビル街からずーっと北方向の仙台市街が広く見下ろせた。けどやっぱ上から見ても森に包まれた街って印象だね。
叔父さんは市街北に見える白い観音像が気に入らないらしく「カッコ悪い」としきりに言っていたw

広場を先に歩くと、大広間跡の礎石が並んでいた。そしてその先に「仙台城見聞館」というのがあって無料なので入ってみた。

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中のメインは再現された大広間の上段の間と、大広間の模型かな。
叔父さんは「このくらいのもの木造でしっかり再現して建てればいいのに」と言っていた。同感です。

城跡としては以上。
急峻な山の上の堅固な城として天守も不要としてた名城だけど、明治の廃藩廃城と東北鎮台設営、戦争の空襲と戦後の米軍進駐で建物は何も残らず、護国神社になってしまったそうだ。

ってわけで、一応その護国神社にも行ってみた。
ら、「英霊顕彰館」という建物で「大日本帝国海軍 軍艦超精密模型展」というのをやっていた。有料(¥300)だったけど、叔父さんも乗り気で出してもらって入ってみた。

奥の一室のその模型は全部100/1で統一してるそうで、中心の大和の大きさが際立っていた。
呉の10/1はデカすぎるからこのくらいが見やすくていいね。

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それぞれのクラスの艦が一種ずつ並んでいるようで、空母は飛龍、軽巡は北上、駆逐艦が雪風、潜水艦が伊19、重巡が利根、そして秋津洲や108号輸送艦なんてあって、なかなか憎い選出。作りも細かく面白かった。
特に利根の煙突脇に解体した水上偵察機が積まれてたりしてて、予備機はそういう積み方だったのかーと楽しめた。

さてさて、護国神社自体は拝殿前で「仙台すずめ踊り」というのが幾つものチームで踊られていたのでお参りせずに、ちょこっと眺めて過ぎた。

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あとは土産屋を見て、叔父さんに菓子を買っていただいた「ごちそうさま」
ここはまるで駅か空港かっていう感じで仙台銘菓や名物が揃っててオールインワン。奥には「ずんだシェイク」の店まであって驚いた。(ずんだシェイクは何で飲まなかったんだろう?前に羽田で飲んで好きだったし暑かったし、叔父がタバコ休憩してる間に飲めたのに、、あまりに観光客みたいで気が引けたっていうのもあるけど、振り返ると飲めばよかった、、)

土産屋の奥にある「青葉城資料展示館」は料金高めで遠慮したわけではなく、観光地っぽくて白けそうな気がしたので入らずにスルー。叔父さんは入ったことあったのかな?別に勧められなかった。

以上。とくに昔と印象が変わらなかった仙台城だった。
 
 
ファイル 2295-6.jpgそして帰りの車で走りながらここで買ってもらった菓子を食べた。
やっぱ仙台と言えばこれ「萩の月」
ひっさびさに食べたけど、やっぱりうまいね。ふわふわぷりりん。
昔、偽物が一気に増えて飽き飽きしてたけど、本物はやっぱいいわ。
店で「チョコ味の『萩の調』は無いんですか?」と聞いたら震災以降販売中止してたそうだ。。えー、おいしかったのに。。

それと「伊達絵巻」という小バウム巻きも食べた。こっちは普通。やっぱ月だね。

タグ:観:城 観:像 観:館 観:模 観:宮 景:川 景:崖 景:町 餐:菓 楽:眺

道の駅 遠野風の丘

ファイル 2294-1.jpg遠野市綾織町新里8地割の283号沿いにある道の駅。

たぶん初めての立ち寄り。
遠野の市街の行きたかった店は午後でも混んでて列になってて諦めたので、超空腹。
もう名物じゃなくてもいいから食事したいーと思って寄ってみた。

道の駅の入り口には木彫りのカッパの像があって「カッパ捕獲許可証 販売してます」とあった。ちょっと腹立たしかったw

入ったトコの食堂の入口でメニューを見ると「ジンギスカン丼」とかあったのでそれにしようと入った。

ファイル 2294-2.jpg2時半の食堂はガラガラで悠々。窓側の席に座って注文したら、食事のみんなサラダバーがサービスだそうだ!へー、いいねここ。
水やお茶もセルフだったんだけど、コップが棚に並んでて面白かった。

カッパの郷だけにサラダバーはキュウリだけだったりして、、んて思ってみてみたけど、逆にキュウリは無かったw

そして「ジンギスカン丼」登場。

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うんおいしい!
ラム肉は思った以上に厚く量もあって食べ応えあって、たっぷり味わえた。
ジンギスカンは山型の鍋で焼いてこそなのかもしれないけど、単純にラム肉が好きな者としては、むしろこっちの方がのんびり食べられてよかった。

そして汁はひっつみ汁だった。ひっつみは岩手のやや薄いビラビラなすいとん。大好き。
メインじゃないから水団はそんなに沢山は沈んでないけどおいしかった。

ファイル 2294-4.jpgおいしい食事で、なんとか遠野のイメージダウンが最低の手前で食い止められたw

食後に店の方も見てみた。
遠野のバケツのジンギスカンのセットが売られていた。
ちゃんと店で食べられてたら買ってたかもねー

店前のテントでは「かっぱ焼き餅」というのが気になったけど、甘そうなのでやめといた。

タグ:食:丼 餐:肉 餐:菜 観:キ 道の駅

カッパ淵

ファイル 2293-1.jpg遠野市土淵町土淵にあるカッパが棲むという伝承の観光地。

車は伝承館の隣の広い無料駐車場に停めて、そこから少し歩いた。
歩く間の道沿いにはキリンのポップ畑があった。ポップってこんな感じの蔓でなるんだ、、知らなかった。
まだ実は大きくないけど、先っぽにそれらしくなりそうな小さい実が生り始めていた。

そして「常堅寺」という寺に着いた。この寺の裏にカッパ淵があるらしい。ので、寺を抜けるのがコースらしい。
観光地だけに何人もの観光客が歩いてたので、戸惑うことなく寺に進んだ。

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寺の境内の本堂ではない横の小さな堂の前に「カッパ狛犬」というのがあって、それを見ていくのが順路のような感じだった。
カッパ狛犬は頭が河童の皿のように凹んだ狛犬。そんなに古いものには見えなかったけど、火事を消した河童が化身したという言い伝えがあるとか、、え?なんで?(だんだん怪しくなってきた)

そして寺の裏に出ると木陰の中に橋が見え、小川が流れていた。その川の先がカッパ淵らしい。

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橋から見ると川は一瞬黄土色に濁って見えたけど、そうではなくて、砂地の浅い川底が透けているようだった。
川はきっちり同じ幅で延びていたので用水路だとは思うけど、妙に浅くて変な川。。昔の規格の灌漑用水路なのかな?

そしてその先の祠のある辺りに歩いた。

え?ここが「カッパ淵」?
淵って深くなってる所だよね?全然深くないよね?河童に川に引き込まれても溺れるどころか沈まないよね。。
昔は深かったとか?危ないから砂砂利で埋めて浅くしたとか?それとも入ると抜けなくなるような泥のような深い砂とかなのかな?

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そして竹竿の先にキュウリが吊るしてあった。。
えっと、、ふざけてますよねw
観光向けの演出なのか、絶滅した河童への供養なのか、「カッパ淵」ってこんなトコだったのか、、と呆然。

ファイル 2293-5.jpg裏にはキュウリの付いた釣り竿が何本も立て掛けてあって、「カッパ釣りをしたい人はカッパ捕獲許可証が必要です」とあった。
観光向けですね。。

これでは、ここに昔はカッパが沢山住んでいたというのもただのファンタジーとしか思えないし、伝承も犯人が割れると困るからカッパにこじつけただけの「事実はエグイお伽話」の類いだなと確信せざるを得ないし、みんなそんな事は当然わかり切ってて承知で来る場所ということのようだ。

もう少し不思議な感じとかする所かと思ったけど、、ちょっと何じゃこりゃ過ぎて呆然。ラーメン横丁のラーメン神社みたいな感じがした。(、、、歩いてそんした)

駐車場に戻り隣の伝承館に行く気もなく、それより食事!と急いで出発した。

タグ:景:川 観:伝 観:寺 観:具 観:像 観:農 植:実

一本松

ファイル 2292-1.jpg葛巻町江刈の340号沿いにある松の木。

その340号には「←三本松」「一本松→」と並んで出てて、一本松は道から見えてたこれかとすぐにわかったので、先に三本松の方に曲がってそっちを探してみた。けど、結局わからずに大きくひと回りしてきちゃった。(ネットで調べたら絶対に分からないような場所だった)
で、「五葉松」というのも見つからずに戻って来て、悔しいから一本松だけはじっくり見ようと寄り道。

「一本松→」としっかり矢印があったので曲がれば駐車場でもあるのかと思いきや、樹の裏は「葛巻町が管理してます」とある廃材置き場みたいな空地があるだけだった。

取り敢えず車を停めてその裏側から松の木を眺めた。

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中々立派な赤松の木。周りをぐるっと回って枝先の緑の小さな紫の花や、松ぼっくり予備軍も見て廻った。
でも、樹の元にある案内板は道の方を向いてて読めなかった。
ぐるっと回って見るには斜面が急で危ないよなぁ。どこに向けた案内板なんだか。。

なので下の道に出て脇から見上げてみた。
けど、こっちからじゃ遠いいわ。カメラのズームでなんとか文字読めるけど、もう少し何とかしてほしい。

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その平成6年の案内によれば、葛巻町天然記念物で、推定樹齢300余年、寝回り3.3m、樹高12mで、裏の空地は移転した小学校の跡地だったらしい。

まぁ他の松が見つからなかったおかげでちょこっと寄道して回れたし、案内板が道に向いてたからぐるっと回って見たりして休憩できたので、何とかしてほしいとは感じつつもこれはこれでアリかなと思えた。

タグ:植:樹 植:花 観:然

道の駅 おりつめ

ファイル 2291-1.jpg九戸村山屋第2地割の県道沿いにある道の駅。
初めて来るトコかと思って来てみたら見覚えあって思い出した。。去年来たばかりのところだった。。

入り口前のスナックコーナーで去年と同じように串もちを食べた。やっぱりおいしかった。

で、ちゃんと食事したくて寄ったんだけど、まだ食堂は開いてなかった。残念。
店内をのぞくと「山ぶどうソフトクリーム」が気になった。外は暑かったからねー。

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ってわけで朝からソフト。
すっぱさは程よいくらいでおいしかった。

ここまでは前回とまったく同じだろうと思い、ここは点景にしなくていいな、、というつもりで建物全体の写真撮ってなかったけど、振り返ってみてみたらこの「山ぶどうソフト」は食べてなかった。

さて、売ってた惣菜系はあまり惹かれるものがなく、また前回みたいに南部せんべいを買って食べながら走ろうと思ってたけど、今回はちょっと冒険して「煎餅の天ぷら」を買ってみた。

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走りながら食べたんだけど、思った以上に油がしみてて手で食べるのには不向きだと思い、失敗したーとか思ったけど、、食べたらうまかった!!
これはいいわ。
南部せんべいのゴマと塩気が程良く、丁度いい味と食感。
パクパク食べてすぐ食べおわちゃったので、引き返してもっと買おうかな、、とか考えるくらいだった。
けどまぁ、またこっちに来た時の楽しみとして満足して進んだ。
 
 
前回の点景 

タグ:餐:餅 餐:冷 餐:揚 餐:菓 道の駅

五城目城

ファイル 2290-1.jpg城目町兎品沢の山の城跡にある森林資料館。
入場無料の資料館だそうで、すぐ先の道の駅で知って前から気になってはいたけど、開館は九時から。。ここらを通る時って今回も含めたいてい早朝なので通過してた。
けどまぁ、眺めよさそうだから天守風建物で展望だけでもできないかなと思って来てみた。

来る途中の道は「熊出没注意」の警告だらけだったけど、その天守風建物のすぐ下の駐車場まで車で来れるので一安心。
車を降りると、階段の前にも「クマ出没警報発令中」とあって、去年は5月6月だけで四件の死亡事故が起こってると怖いことが書かれてた。。

え、じゃあ階段のぼらない方がいいのかな、、とか思ったけど、まぁ、林の中の山道ならともかく、こんな開けた場所で間近に遭遇することはないだろう、、とタカくくって上った。

上るまでは天守は公園風の展望台か何かかと想像してたんだけど、そうではなくてそれ自体がちゃんと造られた建物の資料館だった。
もちろん閉まってて、展望階だけ上がれないかな?と期待してたけどそういう都合のいい構造にもなってなかった。

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ここの城跡は階段前(クマより手前)に案内があって、戦国時代の天正13年(1585)に造られた「砂沢城」という藤原内記秀盛の城だったそうだ。江戸時代には廃城になってたようで、もちろん天守などなかったわけだけれど、一応この場所が本丸的な郭ではあったようだ。

建物の裏にまわってみたら、かなり急な斜面でストンと落ちた杉林だった。

まぁ城はともかく、取り敢えず建物の前からでも眺めはよく五城目の町が一望できた。

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そして朝の山らしく鳥の声賑やかに飛び回ってて、杉の木の頂点とかに停まった鳥は見つけやすかった。
よく見かけるホオジロだけかなと思ってたけど、写真見たらカワラヒワもいた。

風も穏やかで心地の良い朝。気分よく眺めて駐車場に降りた。
(森林資料館には入ってないので表題は「五城目城」だけにしました)

ファイル 2290-4.jpg結局、熊は出てこなかったけど、あとは車で下るだけと思うと一目くらいは見てみたいななんてアホな事思いつつ出発。スイスイ下った。

最後に下からの森林資料館の写真。
ちょっとありあえない立派さだけど、カッコよく感じる。
往時の城は周りの樹を刈っていただろうから、物見くらいのものでもカッコよく見えただろうね。

タグ:楽:眺 景:町 観:城 観:閣 動:鳥