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大神神社

ファイル 3346-1.jpg栃木市惣社町にある神社。

下野国の総社だそうだけど、県道から少し入ったトコにあるからか、今までは何度もその県道を通ってたし近くの下野国府跡も何度か来てたけどここは知らなかった。
今日は、妹が「ここらへんの大きな神社」を調べてここ行ってみようとのリクエストで来てみた。

横の駐車場は広く悠々停められたけど、そこから入ると鳥居をくぐらないからイマイチどういう向きでどういう造りの神社か把握しにくかったので、まず案内図を見て進んだ。(後から気付いたけど、水路で境域を囲まれた神社だったんだね)

案内によると千八百年前に大和の大三輪神社の分霊を奉祀して建立、祭神は大物主命だそうだ。
具体的な事はあまり書かれていなかったけど、元禄2年(1689)に松尾芭蕉が来て句を残したそうだ。
境内の図では「室の八嶋」という池に一番惹かれたけど、それはお参りしてからということで、回り込んで正面から社殿に進んだ。

参拝前にその社殿の前の御神木の二股になった杉の木を見上げた。
案内には徳川三代将軍家光が復興してくれて杉苗一万を寄進したという事が書かれてるだけで、この樹の大きさや樹齢などは書かれてなかった。。

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その向かいにある四つ股の樹が「日本最大の広葉杉」というもの。
こちらも案内には「広葉杉」の樹種の説明があるだけで大きさや樹齢などは書かれてなかった。。

そして社殿に、、、進むと鳥居の下あたりの足元で小さなカエルちゃんがぴょこぴょこ跳ねていた。
おお、これはダルマガエルかツチガエルか。オタマからカエルになりたてくらいのサイズでそこいらじゅうにいた。
妹は「うわぁ」とさけてたけど、僕はゆっくり眺めてから進んだ。

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で、おまいり。
拝殿には幕と提灯が並んでて祭礼が近いのかなと思えた。
裏の本殿は塀があって覗けないタイプ。っていうか、奈良の三輪様って山が御本尊なんじゃなかったっけ?ここは山はないけどいいのかな。

ファイル 3346-4.jpgさて、御朱印を集めている妹は社務所へ直行。それが目的。
でも今は祈祷中のため書けないから終わるまで30分くらいお待ちくださいとのこと。
妹はとりあえずおみくじだけしてた。

30分くらい境内を見てまわってればすぐなんじゃすぐなんじゃなかろうかとフラフラ。
「室の八嶋」に行ってみた。

この「室の八嶋」は「平安時代以来東国の歌枕として都まで聞こえた名所」だそうで「幾多の歌人によって多くの歌が残されている」そうだ。
とはいえ、そんな古代からの池がそのままの形で残っているわけはなく、林の中のその池はしっかり整備されて、池の中にある八つの島も普通に歩いて渡って廻れた。
池は錦鯉だらけで、水はさほどきれいではなく特にどうということもなかった。

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その八つの島にはそれぞれ末社のような祠があり、筑波神社、太宰府天満宮、鹿島神宮、雷電神社、富士浅間神社、熊野神社、二荒山神社と香取神社というラインナップ。まさに総社。うまいことならべたものだ。
池は島の間の隙間と少しの周りであまり広い水面はなく庭園としてもパッとしなかった。とりあえず、蚊がいなかったのはよかった。

あんまり時間はかせげなかった。。
妹に御朱印待つのか聞くと「別にいい」とのことで後はトイレ行って出発した。トイレの周りも沢山の子ガエルがいた。
妹的にはイマイチだったようだけど、自分的にはカエルが沢山いたのでいいスポットだと思えたw
 
 
で、帰ってから調べると、平安時代の「室の八嶋」はそれこそ枕詞になった「けぶり(煙)」のように霧の立つ湧水の池、もしくは広い湿原だったようで、神社は大きく平将門が攻めて来ても残り、関東一の観光名所だったようだ。
それがいつしか湧水が涸れて池は消え、戦国時代には一帯が荒らされて神社も焼失、江戸時代になってそれを嘆いた徳川家光が復興して今の形の神社となり、その庭園としてかつてこの地にあった「室の八嶋」を模した池を造ったということらしい。
そういう解説を素直に案内として書いててくれてたら、国府跡と同じように夢想できてもっと興味持てたかもしれないなぁ。

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旧井上家住宅

ファイル 3330-1.jpg我孫子市相島新田の356号バイパス沿いにある古民家。

バイパスから「旧井上家住宅」の看板が見えてるので前からずっと気になってたんだけど、寄道するような余裕ある時間い通ることが少なくて何度も通ってるのに寄ったことがなかった。
ので、今日は丁度いいから来てみた。

で、そのバイパスに面した方が駐車場のような空き地になってるんだけど、こっち側から歩くと思いきり屋敷の裏で屋敷の囲いもなく、井戸の間を通っておじゃましますみたいな感じだった。
井戸の感じとかなんか少し荒れた雰囲気だったけど、庭の前には塀があって、多様な風鈴が吊られてて雰囲気あってて良かった。
そしてアブラゼミが小学生でも網で捕れそうな近くで啼いてた。

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真っ直ぐ進んでその庭塀の先の母屋を見た。
母屋は江戸時代後期の安政5年(1858)の建築。屋根は茅葺だけど戦後に鉄板で覆ってしまったそうだ。文化財なら戻して修復してほしいけど厳しいんだろうなぁ。いろいろ整備されてないようだし。
でも解説の案内板はちゃんとあって読みやすくありがたかった。

お寺みたいな正面玄関(式台)が開かれてて中が覗けたけど、改修中で上がるのは禁止されてた。まぁ別にそれはいい。広く良く見れたから充分。天井は新しくなってたし外見の印象よりもよりちゃんとして見えた。

その玄関の前には葵の紋の宝箱(長持という木箱)。ちょっと邪魔だった。

主屋を出て奥の建物を見ると、これは大正8年(1919)に建てた「旧漉場」という作業場。
中は管理事務と案内所かな寄付金入れの募金箱が渋かった。隣りの部屋にはクラシカルな鳥かごが並べられてた。一番奥の部屋は普通に過ごせそうな部屋だった。

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表に出て横から見つつ裏に進んでみた。
母屋の脇に無粋な感じに建て増したのは窯屋という炊事場。昭和初期では最新の鉄筋コンクリートだったそうだけど、今見るとちょっと無粋。中も荒れた物置になってて些残念。

その窯屋の前が裏門。大正11年(1922)建造。説明に「降棟の鬼に『丸にかたばみ』の井上家の家紋」とあった。説明多くて楽しめる。あれ?葵の家紋ではないのね。

裏門を通って表に出てみたら、おお、お屋敷だ。塀に囲まれて瓦屋根の建物が並ぶ堂々とした御屋敷。
そして塀に沿って進んで表門の方にまわった。

うーん、やっぱお屋敷はこうして堂々度した正面から入ると印象違うよなぁ。駐車場からとはいえ、裏の井戸から入らずに回るべきだなぁ。。とか思えた。

そして表門は嘉永4年(1851)の建築。これが一番古いのかな。漆喰と瓦で青海波を模したという屋根がカッコイイ医薬門。平成27年の保存整備工事で明らかになった大正期の改変部を復元して修理補修したそうだ。他でも其々にある案内パネルもその保存整備工事の時に付けたのかな。

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表門から入ってもう一度母屋に進んだ。こんどは横の玄関からガラガラガラと入ってみた。こっちは土間の一般の玄関。ここに見取り図が置かれてた。

そのままその奥の開拓人食堂という土間に続いてた。ここはさっきの窯屋の隣。窯屋と同じようになんかいろいろ置かれてて物置になってて散らかってた。
その中にこの屋敷の模型があった。茅葺屋根の姿でカッコイイ。

母屋を出るとその正面の水塚の段の上に蔵があった。これは二番土蔵で嘉永4年(1851)築、あ、表門と一緒か。案内板にあった古写真には三っつの蔵が水塚の上に並んでいるのが見えた。他の二つはいつごろなくなったんだろうね。

そしてその先の水塚の下に昭和5年の新土蔵があって、こっちは解放されていたので入ってみた。
中は広く高い一室で、壁にパネルが展示されてて井上家の資料館になってた。(写真はピンボケ。。)文字も大きく古写真も出てて読みやすかった。手賀沼開拓の歴史とか興味あるから楽しめた。
井上家は元々は江戸で家主を務めた商家だったそうで、江戸時代中期の享保の改革による手賀沼干拓事業に参入してこの地に移り、名主として代々務めたそうだ。

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最後に庭門をくぐって庭園に入ってみた。
庭は正直広さの割に植木が多くて狭く感じた。どう写真撮ればいいか迷いつつ進んで、母屋の縁側に進んだ。中も覗けた。上がらずとも十分だな。
そして昭和中期に建て増ししたという奥の部分も覗けた。こっちは普通の家な感じなのでじろじろ見ずに引き返した。
庭の木に花が咲いてるものはなかったけど、縁側の角にあった大釜に溜まった水のうえの菱が小さな花を咲かせてて可愛らしかった。

ってかんじで、思った以上にゆっくり見てまわれるいい所だった。
案内も多いし見所多いし。惜しむらくは物置みたいな少々雑な部分が多く、若干あれた感じがするというトコ。だけど、カッチリ整備し過ぎて補修し過ぎて現存物に見えないような新築っぽい文化財よりよっぽど雰囲気あって味があるともいえる。むずかしいところだね。

タグ:観:屋 観:建 観:門 観:庭 観:具 観:模 動:虫 植:花

桶川飛行学校平和祈念館

ファイル 3329-1.jpg桶川市川田谷にある軍事施設跡の資料館。

旧陸軍飛行学校跡として建物が現存している全国唯一の場所で、無料の資料館として開放しているというのをネットで見て興味持ってた場所。
ホントは友達に声かけて行こうかと思ってたんだけど、最近あんまり集まらないし、もう行ってるかもしれないし、集まって行くほどの内容でもなさそうだし、6月にあった時には忘れてたし。。

で、今日は熊谷で空自の熊谷基地(旧陸軍熊谷飛行学校跡地)を通った時に思い出して来てみた次第。
何度も通ってる県道の橋の先を鋭角に曲がった脇にあって、こんなトコにあったのかと驚いた。
なんか変な隠れた場所のわりに駐車場はちゃんとあって停めやすく、大きな案内板を読んでから中に歩いた。

守衛所、車庫、本部宿舎、便所、弾薬庫が現存。昭和12年開校で20年の閉校まで20期1500名以上の飛行兵を教育、昭和20年から特攻隊の訓練基地になり、戦後は住宅困窮者の住居として使用(え?)昭和31年には64世帯300人が生活(えええ?)平成19年に最後の住人が転出して保存事業を進めたそうだ。
なんか、基地建築物というか住宅困窮者住居の現存物って、、ヤバくね?と怯んだ。

けどアニハカランヤ。門も柵も建物もみんなキレイに修復されていた。(まぁそりゃそうか)
まず門をくぐって左手に「守衛所」(実はその手前に弾薬庫跡があったんだけど、小さくてただの物置かと思った)
その守衛棟は中にも入れて畳敷きの小部屋が見れた。雰囲気はあるけど壁から何からキレイで整い過ぎてて現存物とは思えなかった。

そして右手には車庫棟。トラックなどの軍事車両を格納整備してた建物。ここもキレイで、「復元整備工事記」というのが銅板で掛かってた。復元、、、だよね。
車庫にはそれぞれの建物の1/20の構造模型が置かれていた。

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そしてメインの兵舎棟。を。見る前に、トイレトイレ。
一旦裏に抜けて便所棟に進んだ。けど、これは展示用の便所。昔サイズの個室も壁の小用もキレイになってて使用は禁止。手前にあった工事用の簡易トイレが実際のトイレか―と思ったけど、手前に多目的トイレが一室だけあった。のでたすかった。手洗いの蛇口はそのまま使えた。
ちなみにこの便所棟の手前の渡り廊下の途中(簡易トイレが置かれてたトコ)に往時は教室棟があったそうだ。教室はなんで残さなかったんだろう。住居としては使い勝手が悪かったのかな。

さて、兵舎棟に戻ると「もうすぐ熊谷空襲の放映が始まります」と言われ、まずはキレイな廊下を奥に進んだ。
で、一番奥の展示室でモニター前の椅子に座ってる人がいたから、ここかと入って待ってた。けど、3時過ぎても始まらないからおかしいな?と思ったら上映は隣の展示室だったようで、廊下で「こっちじゃないやこっちだ」という他の客の声が聞こえて気付けた。。マヌケ。
で、その熊谷空襲の映像はちょっと古臭いアニメだった。。んー、なんだかなぁ

終戦間際だけど子供たちは川遊びしててのどかで、熊谷の辺りってこんな感じだったのかなぁ。。とか思った。(埼玉は関東の他の県と比べて空襲被害少なかったらしい)東京から来た戦災孤児の親類の女の子にも普通の夏休みのような接し方でモヤモヤしたし、結局熊谷空襲でその女の子だけ死んじゃって熊谷の家族は全員無事という結末にイライラした。なんだこれ。
でもこれ、最後のクレジットまで見てたら声優さんは豪華だった。主役の女の子はハイジ(杉山佳寿子)だし、他にもベテランの有名な声優さんばかりで驚いた。

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アニメを見終わって、また奥の展示室に戻って資料展示をゆっくり見た。
さっき間違えてたモニターの下は熊谷空襲のコーナーになっててサモアリナンなんだけど、B29の大きな模型がむき出しで置かれてたので、それもじっくり眺めた。
うちの父親は学童疎開先で酷いイジメにあって栄養失調で帰されたので東京で空襲を味わってるんだけど「空飛ぶB29はキラキラ光って綺麗な飛行機だなーと思った」って言ってたっけ。

続く展示室を見てまわった。
埼玉県内の軍事施設地図があったけど全部陸軍だった。まぁそりゃそうか。

間に一室だけ往時の寄宿室を復元した部屋があった。ギッシリ左右に詰め込まれたベッドが並び、ホントに寝る為だけの部屋だった。隣りと近いから頭の方向を互い違いにしてたそうだけど、そんなことしたらみんな頭蹴られまくりじゃないのかな。。

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一通り見てまわって外に出た。っていうかメインのこの宿舎棟もキレイに整い過ぎてて現存物という感じはしなかった。
(ネットで見ると改修復元前の写真が沢山上がってるけど、それはもうボロボロの廃墟チックな現存物。いやこれはキレイになってから行って良かったわwwと思えた)

外に出たら、頭上にセスナ機が飛んできた。
これは荒川の端の向こうの対岸側にあるホンダエアポートの飛行機で、そのホンダエアポートこそ、この桶川飛行学校の飛行場だったそうだ。結構離れてるよなぁ。そういうもんなのかな。
駐車場に戻る間にはヘリも飛んできた。にぎやかだなぁ。

タグ:観:軍 観:建 観:模 観:具 観:機 楽:映

元祖田舎っぺ 熊谷 北店

ファイル 3328-1.jpg熊谷市代の407号沿いにある武蔵野うどんの店。

群馬県在住の知り合いのオタさんのオススメで、うろ覚えだったので不安に思いながらも間違えようのない国道沿いで、店は看板ですぐ分かった。
駐車場は混雑してて停められなかったらあきらめようと思ってたけど、意外とすんなり空きがあって停められた。ラッキー。

で、その駐車場の車で隠れてたけど、やっぱり店の前には列ができてた。。んー停めちゃったしなぁ、、どうしようかなぁ、、とか躊躇しつつ並んでたら、後ろに並んだ若者の「どうする」「このくらいなら15分待ちくらいかな。他の店行くよりは早いよ」という会話が聞こえたので、そうだよなと納得して待った。さんきう。

で、10分くらいで店内に進み、5分くらいで席についた。若者の読みは正確だった。
メニューはいろいろあったけどメインは「きのこ汁うどん」と「肉ネギ汁うどん」それの「塩」もあった。あーあーあそういえば熊谷近辺でうどん屋の「塩肉ネギ汁うどん」の看板見て気になってたのってこの「田舎っぺ」の別店舗かも。(そうらしい)ってことでその気になってた「塩」にしようと思ってたけど、やっぱ最初は普通ので行くべきかな、、との迷いが二順して、オーダー聞かれた時には「きのこ汁うどん」をたのんでた。まぁいいか。

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ってわけで「きのこ汁うどん」
これはこれは肉厚椎茸たっぷりの汁の白い武蔵野うどん。うどんはどっしりしつつ思いのほかもちもちで溌剌とした感じ。これはなるほど人気で混むのもわかる。ゆっくり味わって食べられた。

混んでなければ何度でも来たいけど、並ぶの考えたら腰ひけるかな。
特に今回、会計で前の客がなんか文句言ってて遅くなって更に待たされたので、すっかり待つイメージが料理のイメージを越えちゃった。。
ここはどうやら本店で埼玉県内に何店かあるらしいけど、他で比較的すいてる店とか無いかなー。いやいやみんなそんなの調べてるだろうね。

タグ:餐:麺 餐:菜 楽<待

境逸品 鶏そば 山田屋

ファイル 3327-1.jpg境町住吉町にあるラーメン店。

先々週、妹連れて境の道の駅で沖縄そばを食べた後に、妹が店で土産用のここのラーメンを見かけて「この店も気になるね」といい「え?そんなラーメン店、この境町にあったかなぁ?」と疑問に思って場所を調べてた店。(っていうか妹は、おいしい沖縄そば食べた後によくもまぁ土産のラーメンとか見てたもんだ、、)
で、場所は表の県道からちょこっと横道を鋭角に折れた先で、ああ、ここじゃ見かけるわけもなく、知らずに当然だと思った。

で、それを憶えてたので来てみた。
横道に折れた先は、こんなトコに店あるのか?って感じの宅地だったけど、ちゃんとあった。駐車場もあって店の前に悠々停められた。なんか洒落た感じだったけど迷わずに入ってみた。

ファイル 3327-2.jpgら、店内手前の部屋は待ちルーム、数人待ってる人がいた。
そして券売機は休止中。メニューは鶏そば「黒」と「白」の二種類。あーこれは迷うなぁ。
ともにトッピングを一種選ぶセットで1000円丁度。ちょっとオーダーのシステムがわかりづらく、書き込む紙に記入してワンオペの店の人が聞きに来た時に渡すようだ。
「黒」も「白」も共に鶏ベースのアサリ出汁スープで、「黒」はサバ節を出汁に加えた再仕込み醤油で黒トリュフ乗せ。「白」は干し椎茸を加えた出汁に白醤油で玉葱柚子乗せ。クッキリvsスッキリって感じかな。。迷いに迷って「黒」にしてみた。トッピングはチャーシュー増しで。
で、紙を渡してから気づいた。券売機の前に集金ボックスがあって、穴から1000円入れる方式だった。。気が付いてすぐに「いけねイケネ」と野口さんを投入した。あぶねあぶね無銭飲食になるトコだった。。(っていうかコレ無銭飲食されちゃうんじゃないか)

席数少なく意外と待って15分でカウンター席についた。
セルフの水を汲もうと思ったら「境町のお茶です」とあった。おお!猿島茶だね。これはおいしかった。嬉しいサービス。
更に25分待ってやっとラーメン登場。ワンオペなので時間かかるのは仕方ない、のんびりした気分で来ないときびしいね。

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さて「鶏そば黒」うーんこれはうまかった。
しっかりした味で雑な感じはなく素直においしい。境町にこんな店があったとは。先々週の妹GJ!
麺もゆるい縮れの優しい細麺。チャーシューもレアハムのような優しさ。そして肉の上のトリュフを後から混ぜて味変も楽しめた。わぁ、トリュフってまたベクトル違う味わいで面白い。(っていうか見た目キャビアっぽくて思った感じとあさってで一瞬混乱した)

他の客はトッピングを「和え玉」にしてる人が多いようだった。和え玉とは味のついた替え玉だそうだ。あ、これたのめば「白」も味わえたのか。。これは現金で追加注文もできるそうだけど、まぁ「白」は次回の楽しみにとっておこうかなと思った。

タグ:餐:ら 餐:飲 楽<待

鵜の岬

ファイル 3326-1.jpg日立市十王町伊師にある太平洋に面した岬。

まだ陽も暮れてないし、一ヵ所くらい海辺に出て休憩してもいいかなと思って進んでて「ウミウ捕獲場公開中」という看板を見かけたので寄ってみた次第。
そういえば鵜の岬って日帰り湯があるんじゃなかったっけ?というのもあって丁度いいかなとも思った。

実は鵜の岬は前にも寄ろうと思って6号から折れてみたことがあったんだけど、国民宿舎の立派なホテル前の駐車場は、宿泊者ではないと停めちゃいけないような雰囲気だったので、引き返してた。。
で、今日は落ち着いて進んでみたら、幾つかある駐車場の内、宿泊者専用のものもあるけど、公園来園者も停められると表記ある駐車場もあったので、安心して停めて歩いた。

鵜のモニュメントがありつつ、まず池があって、公園と言えば公園っぽいけどやっぱりホテルの敷地という感じがして落ち着かなかった。まぁ実際ホテルの敷地なんだけどね。実は「鵜の岬」という岬はなく、この一帯は「伊師浜国民休養地」という区域になるのかな。「鵜の岬」は地名ではなく公募で決まったこの国民宿舎のホテルの名前なのだ。ちなみにこの「国民宿舎 鵜の岬」は宿泊利用率が33年連続1位の国民宿舎だそうな。
やっぱりこんな月曜の夕方に歩いてる人はみんな宿泊客なのかなぁ。。とか思い、まるで拝む気がこれっぽっちもない寺院を歩く以上の落ち着かない気分。
池の先に円形のゲージがあって、そこにウミウがいるようだ。まずはそこまで行こう。と周りを見ずにそそくさと歩いた。

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ウミウの丁寧な解説と全国で此処にしかない「ウミウ捕獲地」の説明を読みつつ、ウミウを眺めた。
ウってなんかいつも遠目に見てて少し怖そうな鳥のイメージあったけど、近くで見るとちょっとかわいく見えた。細くなったペンギンみたいな?この子らが飛ばなくなってぷっくらしたのがペンギンかも。
ちょっと網が重なってて写真は撮りずらかったけど、中には何羽ものウミウがくつろいでた。

しばらく見てたかったけど宿泊客っぽい親子が来たので退散。一旦池を戻ってホテルの方に歩いた。
そのホテルの裏が海。こそこそと裏にまわって林の散策路を歩いた。
散策路はもう夕方でだーれもおらず、なんか忍び込んだような感覚でサササッと進むと、不意に宿泊客っぽい老夫婦が現れたりして焦った。(悪いことしてるわけじゃないのに。。)
そして「ウミウ捕獲地」の海辺に抜けるトンネルの入り口に来てみたら。。。閉まってた。「公開終了」とあった。。何それ?ひょっとして宿泊客にのみ開かれる道なのか?

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どうにも腑に落ちず、トンネル以外に行ける道でもあるのかとトンネルの上の丘を上ってみた。
けど、上も林でぜんぜん海も見えず、岬の先に行けそうな道はやっぱり「関係者以外立入禁止」と閉鎖されていた。
えー、なんなのここ、、と、凹みながら丘を下った。下る時には下の入り江の浜が見下ろせた。
下りきるとその浜はちょうどホテルの前で、展望台のようなテラスデッキが貼り出していた。そのテラスに「ウミウ捕獲場公開中」の看板があったので「こんなん嘘じゃん」とかブツブツ言いながら見てみたら、時間が午前9時半から午後2時までとあった。あー時間か。もう5時半だもんな。。そりゃ無理だわ。
浜の端からウミウ捕獲場の方は見えないかな?と、進んでふりかえってみたけど、多分、見えてる崎の裏側だろうと思う。まぁ覗けたところでウミウがいるわけでもないだろうけどねー。っていうかウミウはさっき見たしねー。

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その浜の端の先には「海のさんぽ道」という遊歩道が延びていたのでそっちも進んでみた。
これは海沿いの細道でさっきの林よりも険しい一本道。そしてグングン登る坂もあって汗だく。
でも上の方は見晴らしのいいトコに出て海が広く眺められた。んーこれは朝日の方向だから、早起きの宿泊客にはいいだろうねぇ。
で、ここら辺も土むき出しで、ウミウが休みに来そうな雰囲気の岸壁になってた。いいねいいね。波も強く、ハマユリも咲いてていい感じ。すこし足を止めて岸壁と海とを眺めた。(風はなくて汗はひかなかった)

そのまま遊歩道を進むと、海沿いの岸壁の丘の細い峰の一本道。内側なので海は時折覗けるだけだった。

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道は少し海から離れたりもしたけど、最後は北側の伊師浜海岸の砂浜が見下ろせて西日も差してていい感じだった。

夕方で気温下がってきてたけどちょっと湿気がすごく蒸し暑くて汗だくの散歩だった。
ひとっ風呂浴びたいトコだったけど、そういえば日帰り湯なんてあったか?別のとこか?それともあの立派なホテルの中かな?こそこそと散歩してきただけにホテルはちょっと入りづらい気分だったので風呂は諦めて車のエアコンの風をガンガン浴びて出発した。(日帰り湯はホテルの横の奥への道の坂を上がった上にあったらしい、、案内あったかな?全然気が付かなかった)

まぁこんなだったけど、景色は楽しめた夕方の散歩でなかなか良かった。一応ウミウは見れたしね。

タグ:動:鳥 観:園 景:海 景:岬 景:崖 楽:眺 楽<残 植:花

栃木阿波家

ファイル 3322-1.jpg栃木市尻内町の293号沿いにあるラーメン店。

「夕食は佐野まで走って佐野ラーメンかねぇ」「ちょっと芸がない気もするけど」とかなんとか話してたトコで見かけたラーメン店。「地鶏ラーメン」の看板がちょっと気になってたら妹も気になってたらしく「良さげじゃない」というので、通過しちゃってたけど「ひきかえすか」というと賛成された。

いざ戻って車を停めて見ると、看板とか手書きっぽくてちょっと不安にも感じた。
建物もパッと見の外観は駅舎風というか雰囲気ある形なのに赤提灯がチグハグで、扉や窓の感じがちょっと古い造りで妙だった。

ファイル 3322-2.jpg店内に入るとやっぱりちょっと古くさい感じの内装で、壁にあるバターのアピールの絵や手書きの文字が妙に昭和っぽい感じしたけど、その内容やメニューに書かれたアピールポイントは興味深くラーメンには期待持てた。
スープは北海道「新得地鶏」名古屋「名古屋コーチン」鹿児島「さつま若しゃも」の三種の地鶏を使用
麺は古河の「地鶏ラーメン研究会本店」直送の厳選小麦の自家製玉子麵
玉子は香川の「讃岐コ-チン地鶏」の玉子
そしてバターは北海道の地元でも手に入らないプレミアム品の「倉島バター」だそうだ。

ってわけで、メニュー少々迷いつつその倉島バター入りの「北の塩バターラーメン」にした。
妹は産地直送の甘エビ入りッというのが気になって「甘エビ塩ラーメン」にしてた。
あれそういえば自慢のひとつの玉子のメニューはトッピングの煮卵しかないのかな?と思って見たら。「玉子かけご飯セット」というのがあった。んんん、、少し考えたけどそんなに空腹でもないので今回はやめといた。

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ってわけで「北の塩バターラーメン」
嬉しい事にバターは大きなチャーシュウの上に乗ってたので、溶かす前にプレーンな鶏塩を味わえた。うん、そのままでもおいしい汁。麺は縮れのない細ストレート、だけど意外と汁と絡んでおいしく味わえたし気持ちよく啜れた。
そしてバター。うわ、これ、プレミアムは誇張ではなくマジでおいしいバターだわ。濃厚でいい味でまろやか。ここで食事にしてよかった。

ファイル 3322-4.jpg妹の「甘エビ塩ラーメン」は大きめの甘エビが三尾のってた。一口汁交換して味わってみたら、なかなかエビの味しみてておいしく、こっちとはまた違った感じでおいしかった。正直バターの方が正解だろうと思ってたけどそうでもなかった。こっちもいいわ。もっと腹減ってる時に来たならこの甘エビ塩にTKGでもいいかも。玉子とバターの組み合わせは勿体ないからね。

これはいい店を知れて良かった。妹も大好評だった(そして「私のおかげ」と自慢してた)
293号のこっち区間はそんなに頻繁には通らないけど、定番コースの余裕あるときのバリエーションで来れそうだなと思った。

タグ:餐:ら

岩下の新生姜ミュージアム

ファイル 3321-1.jpg栃木市本町の県道沿いにある博物館。

僕は去年来てて二度目の立ち寄り。今回は妹を連れてきた。ひとつ前に寄ったスポットが少々あっさりしてたので次はこってりスポットへという次第。
点景は前回しっかり書いたので(→)今回は書かなくていいかなーと思って気軽に来てみた。けど、なんだかんだ意外と写真撮ってたのはもうクセかな。

妹には「とにかくピンクだよ」とずっと言ってはいたものの、やっぱり実際に中に入ると驚くよね。思った以上に沸いてウケてて良かった。
でもまだ入り口は序の口なんだよね。ずらっと並ぶサインの口から奥に進んだ生姜資料館もまた嬉しいくらいウケてて良かった。

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更に渡り廊下の先の奥では「世界一大きな岩下の新生姜ヘッド」で、あの穴から「顔出すんだよ」というとウケながら「どれどれ」と顔を出すくらいのテンション。
新生姜ベッドルームでは撮影小道具持って写真撮ったり、壁一面のゲームもノリノリでやって楽しんでた。珍しいけど、まぁテンション上がるよね。空いてたのもあったしね。子供とかもいなかったし。(前来た時はゲームは子供連れがずっとやってた)

と、順番に進んでたけど、さっきの「巨大新生姜ヘッド」の所が暗くなってなんか始まりそうだったので戻ってみたら「2分前」とか出てた。1分前にもなると人も集まってきて、カウントダウンの後にプロジェクトマッピングが始まった!

ファイル 3321-5.jpgラテンぽい曲で始まり、なかなかカオスな映像で面白く動画でずっと撮りながら見てた。
ら、なんか一番前で踊ってる(小学年くらいの)女の子がいて、それがおもしろくて妹大ウケ爆笑。ピンクの服に新生姜グッズをつけて飾ってキメてて、即興っぽく映像と音楽に合わせてノリノリで約4分半ずっと飛び回って踊っていた。
妹は「最初このイベント用の子かと思った」そうだけど、一般のファンの子でしょ。その後も祖母らしき人と館内をまわってた。理解あるご家族に連れて来てもらえて良かったね。(ってわけで、twitterに上げようかと思って撮ってた動画は自分らの声も入りすぎたので上げるのヤメた)

女の子のインパクトが強くてその後見てた展示が普通に思えてきちゃってけど、一番奥の「ジンジャー神社」はまた妹にウケてて、おみくじも引いてた。
その神籤についてるQRコードを祠にかざすと扉が開いてお告げ映像が見れるという面白うギミックのもの。生姜の根っこのコーナーを待ち受けにすると良いとか言われてた。

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そして奥から出てきたゆるキャラを見送りつつ、途中の根っこのコーナーも写真撮るの忘れずにゆっくりと折り返した。
展示内容はそういえば前来た時と若干変わってて、ドキドキ棒とかは無くなってたっけ。

ファイル 3321-4.jpgで、ロビーまで戻ると、さっきのゆるキャラのイベントが始まってた。踊ってた女の子もはしゃいで最善で見てるのを眺めつつ、売店を見つつ、食事コーナーへ行って「岩下の新生姜ソフトクリーム」を購入。
辛くないことを祈りながら食べてみたら、、うん、辛くない。っていうか思ったよりもキリッとした感じはなく甘いソフトだった。一口食べた妹は「でも生姜の味もそんなにしないね」と。いやいや、それは飲食のお客様用のご自由にの新生姜を食べてるからでしょ。。
「これ、試食だけで幾らでも食べれちゃうね」とか言ってるけど、「食べ物をたのんだお客さんだけだよ、ソフト買った俺に感謝しな」てことよ。

一時間弱で車に戻った。
しばらくは躍ってた子の話で持ちきりだった。そして妹が買ってきた小分けパックの「おつまみ新生姜」をパクパク食べながら出発した。「これ止まらないでしょw」と妹。「しばらくは岩下の~しんしょうが!のテーマソングも耳から離れないと思うよw」「たしかに!」

タグ:観:館 観:飾 観:具 観:装 観:キ 観:模 楽:催 楽:音 楽:映 楽:買 餐:冷 餐:菜

下野厄除大師

ファイル 3320-1.jpg下野市下古山にある寺院。

今回のドライブの妹のリクエストはココ「下野厄除大師」。「風鈴まつり」をやっているというネット記事を見て惹かれたらしい。
下野市と聞いて「なーんか普段のドライブコースに近くて面白味うすいなぁ、、」と乗り気じゃなかったけど、その分気軽でいいかと承諾。なんとなくで小金井あたりに来てみたけど、場所は石橋でもっと北で、あまり来ない地域だった。

っていうか、、入口の大きな招き猫。(なんか個人的には厄とか方位とか関心なく、申し訳ないけど「厄除大師」って金儲け的な客寄せ寺院って印象をもってて、そんな印象そのまんまの入り口だった。。)

中に進むと厄除大師らしい厄の表があり地蔵も並んでた。
寺の名は「華蔵寺」という真言宗のお寺。弘安5年(1282)の創建で、宇都宮の支城の児山城の祈願所でもあったそうだ。

そして赤い門があってそれをくぐると「風鈴まつり」だった。

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木材の枠で回廊のように囲った参道に小さめの江戸風ガラス風鈴が吊るされ並んでいた。
けど、なんか絵柄が印刷っぽくどれも同じに見えて、規則正しく並んでいたのもあって少々面白味に欠けて見えた。妹は「もう少し派手な色どりが欲しい」と言ってた。そうね、ガラス風鈴って真っ赤なのも混ざるイメージあるよね。

そして本堂前で終わって、え?これで終わり?っていう感じのあっさりした風鈴まつりだった。風がもう少しあったら音も楽しめたのかもだけど。あまりパッとしなかった。

それでも拝見させていただきましたので、ちゃんとお参りはした。

「あんた好きそうなのあるよ」というので見てみると鉢にメダカがいた。まぁ、好きだけどね。緋目高メインで白い少し高そうなのも混じってた。
本堂の脇に進むと小槌を振れる大黒像や、何故か鬼瓦から水が出てる銭洗い弁天があった「こっちにはお前が好きそうなのあるじゃん」と言ったけど、洗う銭は持ち合わせてないようで手だけ洗ってた。

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これで折り返し、また風鈴の回廊をくぐりつつ、藁葺きの薬師堂や八角の聖天堂など雰囲気イイ横のお堂も拝見。
最後に「ぼけ封じ観世音菩薩」の前では兄妹並んでしっかり拝んだ。二人ともボケてきたからねw

駐車場に戻ると他の車もほとんど東京千葉埼玉あたりの南関東ナンバーだった。んーネットで見てらわざわざ来るほどではないかな。
妹も物足りないようだった。

でもいろいろ見る物はあって、人に来てもらおうというオープンな感じは良かった。ドライブがてらで寄る分にはいいくらいかも。

「じゃあ次は派手なトコ行こうか」と言って出発した。

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大森鳥見神社

ファイル 3319-1.jpg印西市大森にある神社。

木下街道と国道の交差点の渋滞を避ける裏道の、対向車が来たら泣きそうになる細い森の坂道の入り口にある神社。僕は滅多に通らないけど友達のとりとりさんはよく通るのかな、前に後ろについて進んでた時に、「ああ、ここも鳥見神社だったか」と気づいて気になってた。

鳥見神社は手賀沼の南西のこの地域だけにある(ご当地)神社。去年、県を跨げずに千葉ばかり廻ってた時に「鮮魚街道」を調べてて知って興味持った。けど、結局行ってみたのは白井の「富塚鳥見神社()」だけだった。。

さて、ちょっと辺鄙なトコにある神社だけど、鳥居をくぐった横には案内板があった。
御祭神は他の鳥見神社と同じく饒速日命、御炊屋姫命、宇摩志眞知命というニギハヤヒ家族の父母息子。産土神とかじゃなくてちゃんと日本神話系なんだよね。
鎮座年は明らかでないそうだけど、本殿は寛永13年(1636)の再建と記録があり、今のものは文久3年(1863)に再建したものとか。
鳥居は元禄12年(1699)の建立で、拝殿の両脇の榧と銀杏の御神木は樹齢500年以上だそうだ。

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その左右の両御神木は、500年の古い樹を思わせないようなスラっと姿勢のいい姿で、左のカヤの木は見上げると実がなってた。そして下の方では若い芽がチョコチョコ生え出してて元気に見えた。
右のイチョウも同じく元気で、こちらも下の方は若い芽が勢い良くドドッと生えてた。
そして取り巻く森と背後から差す西日がいい感じ。うちの近所ではやっと啼きだしたニイニイゼミがここでは合唱のように啼いてたし、夕方らしくヒグラシも啼きだして涼やかだった。

拝殿で拝んだ後は裏にまわって本殿を拝見。
文久3年の本殿はカッコよかった。やっぱりここも絵巻のような彫刻が施され飾られてて、立体感ある深い掘り方でなかなか見事だった。

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何故か煉瓦の低い塀にはトンボが停まってた。セミは見上げても見つからないけどトンボは写真撮れるからいいね。
ヒグラシなんか長く啼いててくれるからいる場所分かりそうなもんだけど、樹上に確認できず悔しかった。しばらく探しつつ声聴きつつ森を見上げて涼んでのんびりした。
こんな感じの休憩で立ち寄る神社というのも悪くないね。(でも少し蚊に刺された。。)

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