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栄寿亭

高崎市街のカツ丼屋さん。
二度目の来店。

今回は来た時チラリと見たら準備中だったし、もともと別の店(一二三食堂)に行ってみようと思ってたので通過してた。

ファイル 282-1.jpgけどその別の店はやってなかった(暖簾出てたのに)
で、適当なラーメン屋で食事すませてたんだけど、帰りにまた前を通ったら開店してた。五時からだったようだ。
ラーメンから三十分以内の「おかわり」に丁度よく。まるで図ったようなタイミング(計画的なら城には寄らなかっただろうけど)

人気店だけどまだ半端な夕方だから混んでなかった。
と、思ってたら電話予約注文でお持ち帰りのお客さんが続々と来てて厨房は大忙し。

ちょっとお時間かかりますと言われたけど、そんなでもなく出てきた。

ファイル 282-2.jpg

食べたのはカツ丼のC。
タレのしみたカツ丼。やっぱりうまかった。
なんといってもカツがうまい。
ちょっとご飯がかたかったけど、カツを食べる為にご飯がついてるっていう感じのカツメインなのでそんなに気にならなかった。

目的の店は閉まってて、ラーメンは微妙で、城跡もパッとしなくて満たされない高崎市街だったけど、最後においしいカツ食べられて満足。

タグ:食:丼 餐:揚

高崎城址

ファイル 281-1.jpg箕輪城を廃城にして山を下って移った江戸時代の城。
高崎市の中心の官庁街が丸々城跡だけど、城っぽく残ってるのは公園の縁の一画。
往時の三の丸の東端。
城址公園じゃなくて公園内の城趾コーナーって感じになってた。

土累の水堀、水面近くは石で整備されてた。
ゴミが沢山浮かんでた。

ファイル 281-2.jpgで、櫓と門。これは現存の移築再現物。
櫓も門も農家に払い下げられていたものを最近移築したんだそうで、こぢんまりと一角に並べてさりげなく配置。

この乾櫓は本丸の北西にあったもの。
門は本丸の東側にあったそうだ。
高崎城は石垣のない城だったらしく、この櫓の石垣はそれっぽく造っちゃった創作。
鉄砲狭間もそれっぽく造っちゃった創作。
戸口は納屋にしてた時の形になってるそうで、ちぐはぐながら、そういう仕様もちゃんと説明されているは関心した。

ファイル 281-3.jpg

ファイル 281-4.jpg明治維新後は陸軍鎮台となって城跡はなくなったそうで、陸軍連隊の碑石も城と同じくらいの貫禄で立ってた。

その前の石垣は城址公園ぽく造った創作で、門櫓台っぽく陸軍駐屯地時代の松が植えられている。
表は道路工事の資材置き場と詰め所にされちゃってた。。
あまり大事にされてない印象。

この石垣もそれっぽく造っちゃった創作。
ここに昔は立派な城があったんだって事を(そして陸軍さんもいましたと)イメージできればいいって感じのモニュメント的な城址だった。

帰ってきて調べた高崎城の歴史はパっとしないけど、水戸に振り回された幕末の天狗党とかそこら辺に興味を持てて楽しめた。

タグ:観:城 観:櫓

箕輪城跡

榛名山の裾、渋川、前橋、高崎、安中のちょうど中心辺りにある城跡。
戦国時代には北関東随一の要所の城だったらしい。
江戸時代初期に高崎城に引っ越して廃城になったそうだ。

ファイル 280-5.jpg二の丸でちょっと梅を見てから歩く。
二の丸は出撃の拠点だったそうだ。

観光施設的なものは東屋と昭和っぽい案内図くらいしかなかったけど、プレハブ小屋の前にいた普段着のおじさんが案内のプリントをくれた。
ボランティアで案内してる地域の人って感じかな?
結構来てる人多いんだから高崎市でちゃんとすればいいのに。

ファイル 280-1.jpg二の丸から堀の虎口を歩くとすぐに広い本丸に出る。
野球が出来そうな広い原っぱ。
一回り縁を歩き回ってみた。
東側は土塁で盛り上がっていて、上から見下ろすと急峻な崖。
いやいや城郭なんだろうけど、土塁の城郭にしては立派過ぎて人造の地形とは思えなかった。杉林になってるしね。

原っぱには青くて小さな花(オオイヌノフグリ)が沢山咲いてた。
道のない西側に横断したけど、花を踏まないように踊るように歩いたww

本丸の奥は土堀で分けられた御前曲輪になってた。
ここに櫓や持仏堂があったらしい。
っていうか、これが本丸じゃん。。
井戸跡もあり奥の三辺はやっぱり急峻な谷の堀になってた。

此処で引き返す人が多かったけど、案内プリントをみながら奥の谷を下った。

ファイル 280-2.jpg谷の先の山の脇を抜けると丸馬出に新曲輪、稲荷曲輪と続いてた。
泥道でぬかるんでたので足元注意しながら歩いた。
きっとこれ朝に霜柱で浮いてるんだろうなって感じの泥道。
かえって道じゃないトコの方が歩きやすく、此処でも曲輪の原っぱを歩き回った。

稲荷曲輪の手間の塚は櫓台跡だそうで、頂上に稲荷神社があった。
曲輪の正面は水堀の跡。
堀の外は梅林になってた。
二の丸の梅はあまり咲いてなかったけど、此方は満開!
蜜蜂と一緒に甘い梅花の香りを楽しめた。

少し来た道を戻って本丸下の堀を歩いた。
川があればそのまま渓谷って感じ。これ全部掘って割ったのか、、

御前曲輪櫓の裏の石垣を見ながらしばらく進んで三の丸に出た。
その北の奥は段々になってて奥屋敷の曲輪になってた。往時はここから本丸に深い堀を渡る橋が架ってたんだそうだ。
三の丸の西側の虎口にも石垣が残ってた。平積みの簡単な石垣だけど、やっぱり城跡なんだと思い出させてくれた。
三の丸の南側はこれまた深い堀割。巨大な土堀。これ谷だよ。スゲー。

ファイル 280-3.jpg

そして二の丸に戻った。
二の丸からは土橋で大堀切を渡り南の外曲輪へも歩いた。

郭馬出の細い口を通って城門跡を抜けて木股に歩く。
オオイヌノフグリの野原が続き、東側は木もない草むらで、赤城山がよく見えた。
二の丸からも見えるけど木が邪魔なので、ここが一番眺めイイ。

ファイル 280-4.jpg

その先は道が細く荒れ気味。
西や南側の眺めは見れないかなとか思いつつ、崩れ気味の竹藪を抜けて坂を下ってたら大手尾根口に出ちゃった。。
ちょっと歩き過ぎたな。大手尾根を引き返した。

大手尾根はしっかり山道。登りはまっすぐの急勾配でいい汗かいた。

そして二の丸の駐車場に戻った。
これだけたっぷり歩くんだったら麓の駐車場でもよかったなぁ。

いやしかしピンとこないくらいの大きな城郭だった。っていうか山だよ。
城を造るのに都合よすぎる深い谷を持つ山って感じだった。まぁつまり、あまり整備はされてなく雑木林や草叢が生茂って埋もれちゃってる感じだった。キレイに整えたらスゴい城郭だろうな。
場所的にも前橋と高崎の間で、越後方面と信濃方面両側に睨み聞かせられるし。
こんな立派な城捨てて高崎に引越しって勿体ないね。

タグ:楽:歩 観:城 植:花 観:史 景:山 楽:眺

道の駅 きたかわべ

ファイル 279-1.jpg埼玉県の北東の果ての道の駅。
トイレ休憩の後ちょっと見て歩いた。

食堂は昼前だけど凄く混んでた。
とはいえ席が空いてない程でもなく(後から来た人は席待ちになってたけど)そういえばここの蕎麦は美味しそうだったのを思い出した。
前回来た時は時間が早くて蕎麦食べられなかったんだよな。
ん〜そばも悪くないな、ってことでここで食事。

えっと食べたのは、、
なんだっけ?名前忘れちゃった。。(^ ^;Δ
なんとか汁そば。(いな穂汁とかいなか汁とかそんなような名前だったような、、)
ナスとかネギとかキノコが入った温かいつけ汁のざる蕎麦。

ファイル 279-2.jpg

んーこれはさすがの手打ちそば。
まるで蒟蒻のような黒い田舎そばでコシあって風味あってうまかった。
汁も程よくそばつゆで飲んでもうまかった。
メニューにあった十割そばは売切れになってたけど、これだったら二八で充分。っていうかむしろ十割じゃ硬いかも。
関東近郊で入りやすい道の駅の食堂でこれだけのそばが食べられるとはね。混むわけだ。

ペロリと食べちゃってもう一杯くらい食べたいくらいだったけど腹八分目(六分目くらいな感じだけど)
いやいや、すいてたらきっともう一杯食べてたな。。

タグ:餐:麺 道の駅