箕輪城を廃城にして山を下って移った江戸時代の城。
高崎市の中心の官庁街が丸々城跡だけど、城っぽく残ってるのは公園の縁の一画。
往時の三の丸の東端。
城址公園じゃなくて公園内の城趾コーナーって感じになってた。
土累の水堀、水面近くは石で整備されてた。
ゴミが沢山浮かんでた。
で、櫓と門。これは現存の移築再現物。
櫓も門も農家に払い下げられていたものを最近移築したんだそうで、こぢんまりと一角に並べてさりげなく配置。
この乾櫓は本丸の北西にあったもの。
門は本丸の東側にあったそうだ。
高崎城は石垣のない城だったらしく、この櫓の石垣はそれっぽく造っちゃった創作。
鉄砲狭間もそれっぽく造っちゃった創作。
戸口は納屋にしてた時の形になってるそうで、ちぐはぐながら、そういう仕様もちゃんと説明されているは関心した。
明治維新後は陸軍鎮台となって城跡はなくなったそうで、陸軍連隊の碑石も城と同じくらいの貫禄で立ってた。
その前の石垣は城址公園ぽく造った創作で、門櫓台っぽく陸軍駐屯地時代の松が植えられている。
表は道路工事の資材置き場と詰め所にされちゃってた。。
あまり大事にされてない印象。
この石垣もそれっぽく造っちゃった創作。
ここに昔は立派な城があったんだって事を(そして陸軍さんもいましたと)イメージできればいいって感じのモニュメント的な城址だった。
帰ってきて調べた高崎城の歴史はパっとしないけど、水戸に振り回された幕末の天狗党とかそこら辺に興味を持てて楽しめた。