榛名山の裾、渋川、前橋、高崎、安中のちょうど中心辺りにある城跡。
戦国時代には北関東随一の要所の城だったらしい。
江戸時代初期に高崎城に引っ越して廃城になったそうだ。
二の丸でちょっと梅を見てから歩く。
二の丸は出撃の拠点だったそうだ。
観光施設的なものは東屋と昭和っぽい案内図くらいしかなかったけど、プレハブ小屋の前にいた普段着のおじさんが案内のプリントをくれた。
ボランティアで案内してる地域の人って感じかな?
結構来てる人多いんだから高崎市でちゃんとすればいいのに。
二の丸から堀の虎口を歩くとすぐに広い本丸に出る。
野球が出来そうな広い原っぱ。
一回り縁を歩き回ってみた。
東側は土塁で盛り上がっていて、上から見下ろすと急峻な崖。
いやいや城郭なんだろうけど、土塁の城郭にしては立派過ぎて人造の地形とは思えなかった。杉林になってるしね。
原っぱには青くて小さな花(オオイヌノフグリ)が沢山咲いてた。
道のない西側に横断したけど、花を踏まないように踊るように歩いたww
本丸の奥は土堀で分けられた御前曲輪になってた。
ここに櫓や持仏堂があったらしい。
っていうか、これが本丸じゃん。。
井戸跡もあり奥の三辺はやっぱり急峻な谷の堀になってた。
此処で引き返す人が多かったけど、案内プリントをみながら奥の谷を下った。
谷の先の山の脇を抜けると丸馬出に新曲輪、稲荷曲輪と続いてた。
泥道でぬかるんでたので足元注意しながら歩いた。
きっとこれ朝に霜柱で浮いてるんだろうなって感じの泥道。
かえって道じゃないトコの方が歩きやすく、此処でも曲輪の原っぱを歩き回った。
稲荷曲輪の手間の塚は櫓台跡だそうで、頂上に稲荷神社があった。
曲輪の正面は水堀の跡。
堀の外は梅林になってた。
二の丸の梅はあまり咲いてなかったけど、此方は満開!
蜜蜂と一緒に甘い梅花の香りを楽しめた。
少し来た道を戻って本丸下の堀を歩いた。
川があればそのまま渓谷って感じ。これ全部掘って割ったのか、、
御前曲輪櫓の裏の石垣を見ながらしばらく進んで三の丸に出た。
その北の奥は段々になってて奥屋敷の曲輪になってた。往時はここから本丸に深い堀を渡る橋が架ってたんだそうだ。
三の丸の西側の虎口にも石垣が残ってた。平積みの簡単な石垣だけど、やっぱり城跡なんだと思い出させてくれた。
三の丸の南側はこれまた深い堀割。巨大な土堀。これ谷だよ。スゲー。
そして二の丸に戻った。
二の丸からは土橋で大堀切を渡り南の外曲輪へも歩いた。
郭馬出の細い口を通って城門跡を抜けて木股に歩く。
オオイヌノフグリの野原が続き、東側は木もない草むらで、赤城山がよく見えた。
二の丸からも見えるけど木が邪魔なので、ここが一番眺めイイ。
その先は道が細く荒れ気味。
西や南側の眺めは見れないかなとか思いつつ、崩れ気味の竹藪を抜けて坂を下ってたら大手尾根口に出ちゃった。。
ちょっと歩き過ぎたな。大手尾根を引き返した。
大手尾根はしっかり山道。登りはまっすぐの急勾配でいい汗かいた。
そして二の丸の駐車場に戻った。
これだけたっぷり歩くんだったら麓の駐車場でもよかったなぁ。
いやしかしピンとこないくらいの大きな城郭だった。っていうか山だよ。
城を造るのに都合よすぎる深い谷を持つ山って感じだった。まぁつまり、あまり整備はされてなく雑木林や草叢が生茂って埋もれちゃってる感じだった。キレイに整えたらスゴい城郭だろうな。
場所的にも前橋と高崎の間で、越後方面と信濃方面両側に睨み聞かせられるし。
こんな立派な城捨てて高崎に引越しって勿体ないね。