太田市世良田町にある史跡公園。
「新田荘歴史資料館」「世良田東照宮」「世良田山 長楽寺」が並んだ場所で、公園という感じではないけど、そういう案内図が立っててまわりやすくなっている。
「徳川発祥の地」ともあったけど、それよりはこの地域の新田荘に興味があったので来てみたいと思ってた。(むしろ徳川はあまり興味なかった)
で、まずは中央の東照宮の前で車を停めて、その東照宮から歩いた。
入口の御黒門には「新田荘遺跡東照宮境内」とあった。ここが新田の本拠地だったようだ。そんなしっかりした史跡の跡地がなんで家康を祀る東照宮になってるのかというのがピンと来てなかった。。
江戸時代にはこの門の横に白壁が続いてて一般の民は正月などの特別な時だけ中に入れたけどそれ以外は外でお参りしたそうだ。
さて、中に入ると脇に番所小屋があった。(こんなトコにあったわけじゃないだろうけど)利根川はさんで群馬側と埼玉側の地域領民で交替で番をしてたそうだ。(それで渋沢栄一とかも幕府側なのね)
一応東照宮にお参り。ぶっちゃけ家康とかあまり好きな方ではないけど、日本神話の神に比べたらまだ全然分かりやすくて凄い人で崇めて悪くない対象だと思える。(ナニサマ、、)まぁいつも神様信じて拝んでるというより、信仰の歴史と訪問地に敬意と感謝を表して参拝って感じなので。
拝殿の前には雪が残ってて赤い社殿をしっとりさせていた。
本殿は有料で拝見するらしく覗けなかった。けど、この拝殿も国重文で日光東照宮より移築された江戸時代初期のもの。見るには充分。
拝殿の横の鉄燈籠は元和4年(1618)のものでこれも国重文だった。
横に進むと家康公神廟の「本地塔跡」という標柱。どんな塔だったんだろうね。
その先はしっかりと雪が残ってた。やっぱこっちは降ったんだね。横で咲いてた白梅といいコラボ。
横には真言院井戸、奥は善光庵跡というのもあった。
威厳ある聖地としてたのは分かったけど、東照宮としてのもので、新田荘遺跡としては何もなかった。新田と徳川の関係の説明は由来の案内に「先祖の地」とあり、三代将軍の家光が東照宮を建てたそうだ。
境内を出て杉林を抜けると歴史博物館。立派で大きかった。
でも入館料は200円と良心的。写真はロビーだけだった。中央のジオラマさえ写せれば満足。
っていうか、ジオラマは東照宮あるから江戸時代なんだね。。(多宝塔もあった)新田荘の頃はどうなってたのか分からないのかな?
展示室は3フロアくらいで古墳時代の発掘遺物から始まりつつ、思ったほど多くはなくあっさり終わってしまったけど、イマイチよくわかってなかった新田氏の事がメインだったので良かった。
新田氏は平安時代から室町初期までこの地を治めた氏族で、鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞が有名だけど、損くじを引くというかどうも波に乗れずに滅んでしまった感じ。うまい波に乗ってたのが足利氏で、新田義貞と足利尊氏の関係がよくわかってなかったけど、両氏とも源氏の流れをくむ同祖を持つ親戚。
で、この新田の一族の内の世良田氏が得川氏になって岐阜に流れたものが松平氏になったという事で家康は徳川を名乗ったと。なので江戸幕府はこの地を加護したと。まぁつまり江戸も室町も鎌倉も源氏だし、源氏も平家もたどれば天皇の血筋。まぁ日本の歴史はぶっちゃけいつでもどこでも親戚同士のいざこざなんだよね。
ロビーのコーナーにあった鎧兜は大河ドラマ「太平記」で新田義貞役の根津甚八が着たものだそうだ。1991年放送かぁ。。全く興味なかった頃で大河どころかテレビもほとんど見てなかった頃だ。。残念。っていうかこの鎧兜、五月の節句みたいだよね。子供の頃に飾ってもらったのはここら辺がモデルかな。
おもてに出て新田義貞の像(なんか弱そう、、)を見つつゆっくり歩いて戻った。
で、東照宮を抜けて今度は長楽寺にも行ってみた。
裏からなのでまず最初に太鼓門を眺めた。江戸時代初期のもので県重文。
林に進むと新田氏一族鎮魂の石塔が立っていた。そっか、新田氏は無念ながら滅んでしまったけど、その血に連なるものが将軍となって太平の世を築きましたよっていう(最終的に新田が足利に勝ちましたよっていう)先祖へ手向けとしての東照宮ってことなのね。
そして奥から長楽寺本堂に歩いた。なんか普通のお寺。隅の「ぼけ封じ観世音菩薩」が気になるお年頃だけど、まだ早いとチラ見で通過。
おもてに進んで三仏堂。
これは寺とは別??慶安4年(1651)に家光が再建したもので県重文。釈迦如来像、阿弥陀如来像、弥勒菩薩像の三体が安置されているそうだ。どうせ普段は見れないんでしょうねと周りを見て通過。
その先に蓮池と渡月橋。
池は創建当時のままの大きさだそうで「心」の字をイメージした形だそうだ。端から見下ろすと池には蓮はなかったけど、カモが沢山いた。
なんでも池の底に竜宮城があって、必要な物を紙に書いて池に浮かべると渦が飲み込んで品が浮上するという伝説があったそうで、寺僧が蚊帳を借りたけど、返さなかったらもうなにも品物を与えてくれなくなったそうだ。なんか酷い伝説。池から出てきた蚊帳ってどうよ。。
そして最後に赤い「勅使門」。
これは勅使または幕府の上使が来た時にしか開けないので開かずの門から「赤門」と呼ばれたそうだ。表から見るにはぐるっと回らなきゃいけなくて煩わしかった。
で、おもてからぐるっと回って横から池を覗き込みつつ、東照宮に停めた車に戻った。
そういえば駐車場は歴史資料館の方にも大きなのがあったのを見かけたけど、こっちまで歩く事を考えたらやっぱり東照宮に停めてて正解だった。
気まぐれな寄道だったけどいい散歩になった。
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