大山町所子にある古い町並みの集落。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている町並みだけど、驚いたことに表の県道から一切の案内はなく、駅前の大雑把な観光マップにも出てなく、唯一のってた国重文の「門脇家住宅」の点の位置を見ておおよその位置をつかんで来てみた。
学校の裏あたりなのでここらへんかなぁ、、と細い道に進入して不安に思いながら進むと、集落の入口に広い駐車場(小学校跡だったらしい)と案内板が立っていた。隠してるなぁ。。
来るまでは、町並みは車で通り抜けて「門脇家住宅」だけ降りて見てみようかと思ってたんだけど、案内地図を見たら此処以外に駐車場も停められそうなトコも無さそうだったので、まあいいか、と、集落を一回り歩くことにした。
歩いてみると意外と広いみたいで、駐車場のある近代の区域と「門脇家住宅」のある『シモ』と呼ばれる江戸時代に造られた区域の間には田畑が広がってて、やっぱ車で回ればよかったかな?とか思った。
けど、
花畑の入口から入った『シモ』の道はいきなり屋敷の塀が続く雰囲気ある町並みで、青い空と眩しい日差しの下でしっとりと上品に輝いて見えた。
「駒繋ぎ石」なども見ながら、ほとんど観光地化されていない自然に佇む町並みを進むと、その国重文の「門脇家住宅」があった。(それ以外にも県重文の「門脇家住宅」が二棟あるんだけど)
ここだけはさすがに重要文化財の標柱と解説板が立っていて、明和6年(1768)建造の大庄屋屋敷で、改造が少なく保存も材質も極めてよいものだそうだ。
けど、 なんと現役の一般個人邸宅なので見学は不可。。
だまって門を入ると不法侵入にされかねないので、門から覗くだけだったけど、見たらなにやら修復工事のように足組みが組まれていた。(屋根の葺き替えだそうだ)
その先の道も歩いた。
道は細めで曲がりくねり、わざわざ車で入り込むには不安すぎる形、やっぱり町歩きで正解だったな。
さっきの弥生遺跡で歩いた後なので少々の疲れはあるけど、風もあってそんなに暑くなく、でも静かな田舎の夏休みみたいな心地いい散歩だった。
そして『シモ』を抜けてまた田畑が広がったトコで東に曲がり、ぐるっと回る形で今度は鎌倉時代からの村落部区間『カミ』に進んだ。
その『カミ』の入口(出口)には江戸時代の力士墓の石碑、六地蔵に集められた石塔石碑群、そして「サイノカミ」というしめ縄をした双神像の石があった。
『カミ』はわりと新しい家が多く雰囲気は薄かった(意外と庭先にはスポーツカーがある家が多く余裕ある暮らしぶりに見えた)けど、脇をサラサラ流れる「ツカイガワ」という水路の水がキレイで涼やかな上に、覗くと沢山の小魚が泳いでいた。水草もトンボもいい感じでそっちばかり気にして歩いてた。魚はなんだろ?フナの稚魚?川の合流するところでは少し大きいのもビュンビュン泳ぎ回ってた。
そういえば以前にこの付近の名水100選「天の真名井」に来た時に歩いた周辺集落も水路がキレイだったなぁ。さすが大山の麓だね。(2009/3/21→)
そんな『カミ』の区間は街角に「力石」とかいろいろあった。
そんな街角にあったタブの木が、大きくはないけど町にしっくり馴染んでていい雰囲気。(樹齢100年の境界木だそうだ)足元には立派なサルノコシカケが生っていた。
そして少し広場みたいになった中央に屋根付きのお地蔵さん。寛政元年(1989)に置かれた薬師如来だそうだ。
その先でブロック塀が生垣に変ると駐車場が現れた。あれ?ここにもあったんだ。これは国有形文化財の「美甘家住宅」用の駐車場。庭園もあって一般公開してるようだった。
凄くカッコいい生垣の入り口から門をくぐって中に入ってみた。
そして柵の周りからその庭園を見て回ってたら、美甘家十五代目当主という家のお爺さんが出てきて柵の中にも入れてくれて、いろいろ話を聞かせてもらえた。
この庭園の石は富士山の宝永大噴火の時の溶岩石を船で運んだものだそうで、変遷あって巡ったので経緯は複雑らしいけど非常に珍しく、静岡山梨の方はもとより全国から見に来る人がいるそうで、沖縄の人も来たそうだ。へー。
そして富士の形をイメージした松ノ木もとても好評だったそうだ。
そんな自慢の庭はみんなに見てもらいたいけど、ここも家屋の方は現役邸宅なので開放してないんだそうだ。残念。
でも、話しも一方的ではなく感じのいい主人で、いろいろ聞けて楽しめた。ありがとうございました。
そこからは少しぐるっと回って生垣の道を進み、『カミ』の区間を抜けて賀茂神社に来た。
実はこの賀茂神社が所子集落の中心で、鎌倉時代に京都の賀茂神社の所領だったこの地にこの神社が建てられて『カミ』が形成された歴史ある集落ということだ。そして江戸時代に鳥取藩領になって『シモ』ができて、明治以降に駐車場近くに村役場と学校ができて広がった。ということらしい。
ってわけで最後に神社にお参り。
神社は鳥居のすぐ中に小さい瓦屋根の随神門が並んでいた。
そして近代区域に戻ってきた。
駐車場より少し手前の辻に出たんだけど、角に日清日露の戦没者をまつる慰霊碑があって、大砲の砲身が置かれてた。これは装甲巡洋艦「春日」の砲身だそうだ。(塔のように立ってる筈なんだけど、横になって置かれていた。倒れたのかな)
という感じで、弥生遺跡に続いては鎌倉から江戸、明治、大正くらいまでの歴史をランダムに歩いた。
なんといってもここはほとんど観光地化されていない普通に暮らす集落で自然な形で見て回る集落の姿がとても良く、フラりと歩く夏休み感満点で気分良かった。
随分歩いてのんびりしちゃったつもりだったけど一時間ほどの散策だった。
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