湯沢市小野橋本の13号沿いにある道の駅。
この道の駅はけっこう前から何度か寄っていて夜寝たこともあるけど、昼間はめちゃくちゃ混んでる印象でトイレだけの休憩とかばかりで点景には一度もしたことが無かった。
とはいえ、初めて寄った時(2000/6/4)はずんだ団子(実は初めて食べた「ずんだ」は宮城ではなくて此処)食べたり、ドジョウの味噌焼き串とかも食べておいしくて好印象だった。
けど、逆にそれで好印象だったせいで、次に来た時にはもうそれが売ってなかったりしてガッカリしてもう諦めてしまってて、ちゃんと寄道(ちゃんとって何だw)しなくなってしまった。。
思い返せば、点景を始める10年も前の事でドライブ中に殆ど寄道をしなかった頃に、道の駅で食べた地方の料理に目覚めたような場所なので、残念である。。
とか思いつつ、今日も早朝のトイレ休憩。
店も開いてないし写真撮ることもないだろうとカメラもたずに車を降りたけど、建物前に大きなカミキリムシが居たのでやっぱり戻ってカメラもってきた。
悪そうでカッコいいのに好かれなくて不憫だよねカミキリムシ。これがカブトムシだったら誰かが掴まえるだろうけど見向きもされない。。てわけで写真だけ。
まぁカミキリムシだけじゃ点景にはしないよな、、
と、トイレ行って出発しようと思ったけど、情報コーナーの休憩室が開いてたからちょっと覗いてみた。
ら、
近隣のスポットが模型になって飾られ紹介されてたのでジオラマ好きの目を引いた!知らんかった。
ここ湯沢市(旧雄勝町)小野は小野小町の出生地であり終焉の地(という説)だそうで、模型ではそれにまつわるスポットが色々と紹介されていた。
小町が使った泉とか、晩年籠った洞とか、父が建てた神社とかはなるほどと思うけど、恋人候補で晩年も追ってこの地まで来た深草少将が恋文の返事を待った場所「御返事」というのがただの道の模型だったりしてユニークに思えた。
菅江道真のガイドマップもあったけど、この道の駅のすぐ隣に小野小町と深草少将の墳墓といわれる「二つ森」というのがあるそうなのでちょっと行ってみようかなという気になった。
正直、小野小町と聞いても平安時代あたりの歴史には疎く、古今和歌集とか言われてもチンプンカンプン。世界三大美人の一人と言われても眉唾で興味薄い。
でも、そういえば「あきたこまち」の小町は間違いなく小野小町だし新幹線の名前にもなってたよね。秋田を象徴するキャラクターだから秋田に来たなら寄るべきなのかも、、とも思えた。
道の駅の横の道を渡ると「小町の郷公園」というのがあって、そこの(まだ開店してない)売店の建物のウラに「二つ森」というのがあった。
模型ではおっぱいのように並んでたけど実際は少し長かった。ディフォルメだったか。
二つの小山の間に道があったので上ってみた。
そして峠のところから左右の山の頂点までの道もあったけど、こっちは雑草がのびていて雨に濡れていたので進む気にはならず、遠目にその頂点の祠のようなものを眺めただけで峠を通過して下った。
下りた先には案内板があった。こっち側は広場になっており、正面の先に平安ぽい小屋とかがあった。公園的にはこっちがメインかな。(お祭りとかイベントの会場になるそうだ)
で、案内板を読むとここらは川が氾濫しやすく岩の小山が幾つも島になってたそうで、その唯一残った名残がこの「二つ森」だそうだ。なんだ塚じゃなくて天然の丘だったのか。。
大きい方が男森で深草少将の墓、小さい方が女森で小野小町の墓と伝えられているそうで、地域の人がそう呼び伝わったという事ね。でも大きさ違うかな?どっちがどっちか分からなかった。
あとはトンボにたかられながら山にそって戻った。
その山の南端にはまたジオパークの案内板もあり、読むと「二つ森」は古い火山の噴火の名残で柱状節理の島だとあった。
え、そうなの?とその南端のかけあがりを見ると、確かにかっこよく節理の岩が並んでて、なんか立派な城の石垣のように見えた。へー。
それはそうと「奪衣婆像」といういかめつい顔で胸をはだけた婆の像があった。。
江戸時代に疫病よけや咳止めにと信仰された像(を再現したもの)だそうで、治ると衣をかぶせたそうだ。。
んー疫病流行りの今時期にタイムリーな像ではあるけど婆の胸は遠慮したい。っていうか、脱がせるなら三大美女の胸にしてくれよ。
ちょっと最後に美女のファンタジーから冷まされちゃったけど、軽くながら朝から散歩できて良かった。雨も止んでてよかった。