東峰村宝珠山竹にある棚田風景。
日本の棚田100選。
案内によれば田植えは6月だそうで、まだ水も張ってなかったのは残念だけど、石積みでカッチリした田圃が連なる風景はカッコよく、眺望が気持ちよかった。
この棚田は中世室町時代に造られたものらしく、風景そのものがもう史跡みたいなもんだね。
振り返ると釈迦ヶ岳の山、正面右手前の小山はさっき行った岩屋神社で奇岩が覗いていた。
みたり たべたり あるいたり
東峰村宝珠山竹にある棚田風景。
日本の棚田100選。
案内によれば田植えは6月だそうで、まだ水も張ってなかったのは残念だけど、石積みでカッチリした田圃が連なる風景はカッコよく、眺望が気持ちよかった。
この棚田は中世室町時代に造られたものらしく、風景そのものがもう史跡みたいなもんだね。
振り返ると釈迦ヶ岳の山、正面右手前の小山はさっき行った岩屋神社で奇岩が覗いていた。
東峰村宝珠山岩屋にある神社。
下の越前岩屋駅で見た近隣案内にあった「岩屋の奇岩群」というのがこの神社内にあるようなので(というか奇岩群内に神社があるって感じかな)、ちょっと登って見れるくらいなら行ってみよう!ってくらいの気合いで寄ってみた。
案内図を見ると、奥までは大変そうだけど手前の岩屋神社本殿までならそんなでもないかな、、、って感じに思えた。
国指定の重要文化財だからね。そこまでは行きたいよね。
で、やっぱ最初からそれなりの勾配。
天然記念物の「玄海ツツジ」を見ながら少し登ると、その上には天然記念物で御神木の「大イチョウ」があった。樹齢推定600~700年、戦国時代の宝珠山焼討ちにも耐え残った高さ36mの巨木だそうだ。
そして更に登る。
その上に社殿があったけどこれは琴平神社とあった。
その横は地蔵のエリアになってて、あれ?神社なのに地蔵?とか思いつつ案内を見ると「岩屋の首無し地蔵【千体地蔵・五百羅漢】」とあり、よくみると首のない地蔵だらけだった。
これは神仏習合で共に祀ってた当地で、明治政府の廃仏毀釈で破壊された物だそうだ。
首のある物もあって「合掌童子」というのが可愛らしいかったけど、口に苔が生えててちょっとつらそうに見えた。
「馬の首根岩」の洞門をくぐって先に進む。
したら、その先に岩屋神社本殿が見えた。。 上の方に。
長い石段の上の方に。 急勾配の石段の上の方に。
んー、、、やっぱりここは登るよね。国重文だしね。
石段は岩を削ったような段で滑りそうな感じなので慎重にゆっくり登った。(友達のくにさんはスタスタ登ってっちゃった)
勾配はキツかったけど段差が低く細かいので思ったよりは登りやすかった。
で、「岩屋神社本殿」国重文。
大きな岩の前に張り付くように鎮座してて近くてうまく写せなかった。
元禄11年(1698)の建立で、中には御神体の「宝珠石」があるそうだ。
社殿の先に出ると朝日が眩しかった。
目の前の岩の上に立てば眺め良さそうだったけど、そこまでは鎖で岩肌を上り下りする道、、、これは諦めた。(太る前に来れば良かったw)
けど、その岩(馬の首根岩)の上から振り返ったのが「岩屋の奇岩群」で惹かれた写真の場所だったそうで、社殿の裏の大岩「権現岩」がよく見えたらしい。
岩屋神社本殿から少し後方に「梵字岩」という岩があって「針の耳」という割れ目があった。
説明には、これは女性性器を表した物で親不孝物が通ると石が落ちる。とあった。
どれどれ、、、と、くぐろうとしたけど、太くて通れず、入口を擦って諦めた。。(いやいや変な意味じゃなくて)
これも諦めて梵字岩を回って先に進むと、また見上げた岩の途中の洞に熊野神社があった。
貞亨3年(1686)建立の国重文。
説明によると、岩壁に柱穴が残っているので中世にはもっと大規模な社殿があったらしい、、とあった。
ここは登らなくていいよね。見上げてるくらいがいい感じだよね。
そして奥の方へ少し下ると不動像の分かれ道があった。
右正面へ進むと奥の院、左脇に進むと大日社。
入口だけじゃなくてこういう中間の分かれ道にも案内図があったらいいのに。
んーどうだろう、遠いいのかな、進んだら他にもいろいろあるのかな、、と思いつつ、ここまででももう充分いろいろあって満足だったのでこれ以上は進まずに後ろの下る道に歩いた。
森の中の木漏れ日も爽やかだった。
降りてきて入口の案内図みたら不動像の先はどっちも急で、長い石段か鎖場のガクブルの岩の道だったようだ。。行かなくて良かった。
佐賀県佐賀市諸富町と福岡県大川市の間を流れる筑後川下流部に架かる国重文の昇降式可動鉄橋。
その大川側の袂に日帰り温泉「大川昇開橋温泉」があり、来てみたら橋の部分が公園になってたので、もう暗いけど風呂の前に歩いてみた。
公園の階段を登るとそこは「筑後若津駅跡地」だった。
ああ、鉄道用の橋だったのね。
ここは旧国鉄佐賀線として昭和10年に竣工し、昭和62年の国鉄民営化直前の廃線前まで現役の鉄道橋だったそうだ。
でも廃線後も解体されずに平成8年に公園の遊歩道橋に補修。公園内にタイルが線路跡になってるのが寂しいねぇ。
鉄道ファンだったら列車でこの橋を渡ってみたかっただろうね。
そしてライトアップされて彩られた橋を渡ってみた。
ちょっとカップル向けのスポットか?って感じだったけど、そういう人影はなく気楽にゆっくり歩けた。
橋の鉄塔は30mで東洋一、更に現存する可動橋としては最古の物だそうだ。
うん、なかなか立派でカッコイイ。ライトアップされた鉄橋っていいねぇ。鉄骨感がイカス。
夜は中間の昇降部は上がりっ放しだけど、昼間は一時間毎に下がるそうだ。
対面の佐賀県側にも二人組の人影があったのでカップルかとおもった、、ら、向こうも男の二人組だった。(いや、そういうカップルだったのかも? なーんて向こうにも思われてたりしてねw)
そして橋を戻って「大川昇開橋温泉」へ行った。
温泉は入口で見たら『温泉券付き選べる定食セット』で1000円というのがあって(入浴は600円)
「これめちゃくちゃ安くない?」と二人で言い合ってそれにした。
そして入浴。
湯は薄く濁った源泉掛流しで、大きい内湯からも露天からも正面に昇開橋が見えた。
いつもの如く露天風呂で話ながらゆーっくり入ってたけど、そういえば風呂に入り始めたのはもう8時前。「食堂って何時までやってるんだ?」と不安になり、少しあわててあがったのが9時頃。
でも食堂は普通に賑わってて10時半までやってるそうだった。
「なーんだ慌てることもなかった」と思ったけど、選べる定食セットは売り切れメニューが増えてあまり選べない状態だった。。トホホ。
ってわけで「鯖竜田揚定食」にした。
うん、ふつーに柔らかい鯖の竜田揚。ふつーにおいしかった。
近所の日帰り湯に欲しい値段のメニューだわ。
友達のくにさんは+500円の「ステーキ定食(だったかな?)」にしてた。見た目豪勢だけど「そんなにたいしたことないから1000円のセットの方がよかったかも」と言ってた。。
せっかく九州まで行ったんだから、リーズナブルな食事で喜んでないで何か特別な料理を食べなよ、、と思われるかもしれないけど(帰ってきてからの自分もそう思う、、)このくらいの気負いなさがいいんだよね。
いいもの、、面白い物、、とか思ってると食事自体逃しちゃうからね。
あーそういば、、近くの席の人が食べてた「エツの南蛮漬け」(エツというのは有明海にしかいない魚だとか)というのも興味引いて追加しようかと思ったけど、、鯖の竜田揚と並べて食べるのもどうかなと思ってヤメた(;^_^A
(そこは喰っとくべきだろうww)
鹿島市音成甲の207号沿いにある道の駅。
この道の駅は佐賀の行きたい場所といって真っ先に頭に浮かぶくらいのお気に入りの場所ではあるけど、02年05年以来の三回目の来訪。
やっぱり何と言っても目的は有明海の干潟!
で、車を下りてさっそく眺めよう!と思って歩いてみると、海に出る前の建物に「ミニ水族館」とあった。
え!そんなのあるんだ、、いつの間に(十年も来てなきゃ変わるわな)
時間は5時までで、あと三十分もないので先にちょっと見てみようって事になった。
これがこれが、水槽は小さめだけど意外と種類も多く、有明海メインの濃い水族館だった。
アリアケ海のエイリアン「ワラスボ」から始まって、カニ、エビ、イソギンチャクにクラゲまでいた。
魚はハゼ系のものが多かったけど、有明海のみの生息とか絶滅危惧種とかも多く、「ヤマノカミ」なんて初めて見たけど、赤いエラといかめつい背中でかっこよかった!
そして管理の人の案内が濃く深く面白く、いろいろ聞けて楽しかった。有明海のムツゴロウはここ数年でかなり数が増えてきているんだそうだ。へー。なんとか旨い料理にして売り出せないかと創意工夫中とかww
水族館の奥は双眼鏡が並んだ「干潟展望室」になっていた。これなら雨でもバッチリだ。
ん?あ、ここは!初めて来た十三年前には食堂だったトコだ。「ムツゴロウ定食」を食べながら(うまくなかった)雨の干潟を眺めたっけw
さて、晴れた日に展望室で見る必要はなく、そろそろ海に出ようと歩くと「千葉市」っていう文字を見かけた。?なんで千葉?鹿島つながりで茨城の水戸市とかなら洒落が効いてると思うが、、なんて思って良くみると、「千葉市」じゃなくて「千菜市」という農産物売場の名前だった。。
ちょっと覗くと、ここにも「みかんソフト」があった。んーどうしようかなと迷ったけど連続じゃ腹に来そうだからヤメといた。(ソフト好きな友達のくにさんは買って食べてた。太良と変わらず美味しかったようだけど、こっちの方が缶詰みかん風に甘めだったそうだ)
そして、いよいよ有明海。
「干潟体験」の泥遊びをしてた正面を避けて(その干潟体験も終了の時間のようだった)少し脇に歩いて、段々を降りて目前に広がる干潟の海を眺めた。
干潟ではあちこちでチョコチョコ動くカニが見えた。
ん?あれもカニ、これもカニ、カニしかいないなぁ、、、
おかしいなぁ、ムツゴロウは増えてきたって話じゃなかったっけ?
と、目を懲らして探したけど、目視で見える範囲には見つからなかった。。
そして、くにさんが「ちょっと見てまわってくるね」と引き返してしまった後にもう少し先に移動して見てみた。
ら、
川の筋っぽくなったトコのまわりでムツゴロウ発見。
っていうか、この辺にはあちこちにムツゴロウが沢山いて、黙視で観察できた。ナイス。
これがねぇ、かわいいんだわ。
ひょこひょこと前鰭で這うように歩きまわって。
たまに喧嘩したり、威嚇したり、追いかけたり、飛び跳ねてみたり、背鰭を広げてみたり、二三匹列になって歩いてみたり。
仲いいのか悪いのか、わざわざちょっかい出してじゃれあってるようにも見えて微笑ましい。
しばーらく飽きずに眺めて、思い出して写真撮って動画撮って、飛び跳ねるトコを狙ったりしてたけど、その瞬間は撮れなかった。
そして、海見ながら食べようと思って「千菜市」で買った「焼きだご」という郷土菓子を食べてみた。(手に持ってて忘れてた)
粉モノの薄くぺろんとした柔らかい皮に包まれた黒糖の菓子だった。
いつまでも見飽きずに四十五分ほど眺めてたけど、トイレ行きたくなって戻った。
あーそういえばくにさんどうしたかな、、(車で寝てたみたい)
戻ってみると、まだ全然明るいけど6時を過ぎて完全に店も閉まって、あれだけ混んでた駐車場も嘘のようにすっかりガラガラ。
夕方のギリの時間ながら、来たかったトコでゆっくり楽しめて大満足。
後はもう戻る方向だねと相談しつつ、少し話しつつゆっくり出発した。
太良町伊福甲の207号沿いにある道の駅。
ここは初めて立ち寄った。
さすがに連休で混んではいたけど、もう時間も遅めだし結構広めの駐車場の道の駅なので奥の方は余裕で停められた。
まず最初に目についたのは店前に小舟がある「かき焼き館」。
太良のこの207号は「かき焼き街道」と幟が出てたし、牡蠣焼き小屋で有名な地域だというのはウェブでも見て知っていた。
けど、時期じゃないよね。。 スルー。
そして物産館を覗いた。
そういえばここら辺は「竹崎かに」が名物らしく幟とかも見かけてたので土産にどうかな、、とか思って見てみたら、もう売り切れだった。連休の夕方じゃ駄目だね。
(奥に煮上げたパックの竹崎かには売ってた。渡りガニだった)
で、それよりもまずはソフトクリーム。そういう季節でしょ。
ここの道の駅のソフトは「太良みかんソフト」
JAFカードで50円引きだった。
これは若干シャーベット系で、すっぱさはない甘めの程良いミカン味。ヒンヤリとおいしかった。
で、ソフト食べながら裏に歩いて海を見た。
途中に「棚じぶ」見学できます!ってポスターがあった。
興味持ったけど、 え、あの小屋がそれ、、という感じのものだった。見なかったことにしよう。
有明海は広く青くいい眺めだったけど、水面は堤防の下で少し距離もあり、潮も引き切ってはいないくらいだったので、ここでは干潟の生物は見れなかった。
残念。でもまぁ次もあるさ。
車に戻る時に、物産店入口の御当地コロッケ売り場の「カニだしコロッケ」っていうのも気になってたんだけど、もうモノが並んでおらず、一応聞いてみたけどやっぱ「今日は売り切れ」。。
そのかわり「もうラストだからおまけするよ」と、隣に並んでた「特大カニカマ天ぷら」を半額で購入。
おーとりあえず名物のカニ商品ゲット!とか思ったけど、、良く考えたらカニカマってカニ入ってないよな。。。
(でもうまかった)
諫早湾を閉鎖して作られた堤防上にある諫早湾干拓堤防道路「雲仙多良シーライン」の中間地点の調整池側にある駐車場。
売店は無く、トイレのほかには展望用の歩道橋が架かってるだけのシンプルなパーキング。
なのですることは眺望休憩。簡単でいい。
まずは南の雲仙岳方向の来た道を振り返る。
うーんまっすぐだねぇ。
その道の先に薄っすらと雲仙普賢岳も見えていた。
道からは覗けなかった諫早湾の海が青く見えて、調整池側とはやっぱりもう違う雰囲気。
でもやっぱ地形的には海を分断した姿であって、海の中の一本道に見えるよね。
そして北方向。
こっちは正面に多良岳の山々がはっきり見えていた。
歩道橋を渡ると正面の東方向は有明海の海。「海辺におりるな」「釣りするな」としつこく書かれてた。
脇の放水口から放水されていて、脇にいた女性が構えるカメラの先はその放水口かと思いきや、水辺のアオサギだった。
?アオサギが珍しいのか?シラサギはその先の水際に沢山いた。
歩道はその先ちょこっと土手の上進んで終了。
自転車専用道路くらいつくればいいのに、、(つくったらそこから海に降りる人がいるだろうね)
そして歩道橋を戻って西方向は調整池。
こっちは対岸の諫早市の低い山と小さい島が見えた。
トイレの脇前に諫早湾干拓事業のパネルの説明があった。
熊本市西区松尾町上松尾の501号沿いにあるラーメン店。
僕は一番好きな御当地ラーメンは熊本ラーメンなので、やっぱり熊本に来たらはずしたくないって事で、進んでる道の沿線に見つけたこのみ瀬に立ち寄ってみた。
(くにさん>事前に打ち合わせしてなくて咄嗟でゴメンでした)
店名の「まるきよ」が丸の中に「きよ」と書かれてて、一瞬和歌山ラーメンっぽい店名だなぁ、、とか思ったけど、まさかねーと入店。(そういえば以前に熊本の市街で醤油ラーメン食べてガッカリした事あったっけ、、)
さて、店内でメニューを見ると丼セットや定食などのメニューも充実しててガッツリ食べられそうな感じの店。
だけど、僕はラーメンで大盛にした。
友達のくにさんは肉丼セットだった。
ふと「くにさんは熊本ラーメン好き?」と聞いてみたら「前に『桂花』で食べて合わなくて苦手」だそうな。。あーなんか悪い事しちゃったかな。。
でも僕も桂花はあまり好きじゃないからどうだろうか。。
ってわけで、ラーメン大盛。もちろん熊本。
麺は細めストレートで熊本っていうより博多風だったけど、汁はちゃんと熊本味。やっぱいいね。
濃い熊本が好きな僕的には少々薄めであっさりした感じだけど、苦手意識のあるくにさんには丁度いいくらいかと思った。
毎回熊本では市街の人気店とか調べて行くだけに、薄めだとイマイチとか思うけど、今日はそういう店じゃなくて市民の味的な普通な店に来てみたかったのでバッチリ思惑通り。おいしかった。
そして、くにさんがたのんだセットの肉丼は、肉の量がボリュームあってしっかりした丼で驚いていた。
おおーうまそう。そっちでもよかったなぁ。
これはリーズナブルで庶民的で良心的ないい店だ。
昼は連休より平日の方が混んでるんじゃないかな。
メニューも多いし、もっと熊本が近ければなぁ、また来たいトコだけどなぁ。
タグ:餐:ら
美里町佐俣の218号沿いにある道の駅。
日帰り温泉がメインの道の駅。っていうか日帰り温泉が道の駅になったものだそうだ。
そんなわけだから、入浴せずとも食事だけでも構わないだろうということで来てみた。(道の駅じゃなくとも普通は入浴せずに食事だけで利用できると思うけどね)
そしてここの温泉の食堂も赤牛の料理をリーズナブルに食べれるそうで、期待して温泉へ進んだ。
さて、温泉は結構入口から混んでいた。(夕方は更に混むそうだけど)
入ったトコにあったこの施設の立派な模型を眺めつつ館内に上がった。
で、もちろん食事だけの利用も可ということだけれど、食事は11時半からということで、、あと20分。。
えー普通遅くても11時からじゃないの?とか思ったけど、そこが温泉メインの施設って事なんだろうかね。タイミング悪かったと簡単に諦めた。(後から思えば、友達と一緒なのに何でたかだか20分程度待たなかったんだろう、、赤牛は惜しかった)
戻ってきて駐車場前の物産館を覗いた。何か食べれるものないかなーと思ってパンを買った。
入口で試食に貰った揚げたゴボウが美味しかった。(けど買わなかった)
そして出発。買ったパンは走りながら食べた。
「道の駅七城メロンスペシャル」というメロンパン。
中にメロンジャムと生クリームが入ってて美味しかった。
へーここら辺はメロンが特産なんだ、、
とか思ったけど、帰ってから調べてみたら実は全然違くて、これは菊池市の道の駅「七城メロンドーム」という所の商品だったらしい。
菊池市は同じ熊本県内だけど全然別の地域。
行ってない地域の名物食べて喜んじゃってたのね。。。
(赤牛は惜しいけどメロンパンはおいしかった、、という記事にしたかったんだけど残念を重ねた内容になってしまった)
美里町大窪にある石橋。
今度はさっきの「霊台橋」から一転して小さく可愛らしい里の風景に馴染んだ石橋に来訪。
友達曰く「こんな小さな川なら石橋じゃなくて木橋で充分だったんじゃないか?」
うん、たしかに。
もう石橋がはやっちゃってて猫も杓子もの状況だったのかな?
ウチんとこも石橋じゃないとカッコつかんたい!みたいな。。
架橋は嘉永2年(1849)の江戸末期。(霊台橋の少し後)
ここは日向往還の街道ではなく、昔から街道から集落をつなぐ道だったそうな。
渡ってみると欄干が大きく見えるけど、多分橋が小さいからで、霊台橋と変わらないくらいだと思う。
ウェブで見ると脇の桜がきれいそうで桜シーズンの雰囲気あるスポットって感じだけど、緑の季節でも雨でもそれはそれでいい感じ。
三基の石橋(昨日の山口のを入れたら四基)を見てきたけど、それぞれ違う雰囲気で楽しめて良かった。
タグ:観:橋
美里町清水から豊富船津の間に流れる緑川に架かる国重文の石橋。
これも現国道の218号のすぐ脇だけど、少し間開いてるから全体をよく観賞できる形になっていて有り難い。
弘化4年(1847)の江戸時代の架橋で、明治以前の現存の石橋では国内最大の橋らしい。(あれ?通潤橋よりも大きいの?)
さてさて、橋の前の小さな駐車場はまだ空いてて無事停められ(みんなまだ通潤橋かな)早速橋に歩いた。
おおー
でっけー! かっけー!
霊台というのは展望台の事らしいので正にその名の通りという感じの大きな石橋。
橋の上は歩道になってて渡ることが出来た。
渡ってみるとドッシリとした大きさで、低いながらも欄干があって安心感バッチリ。石橋って揺れないから地面みたいだよね。
少し脹らんだ中央を越えて気分良く渡れた。
この道も先ほど行った「聖橋」同様、日向往還の街道として架けられたんだけど、明治後期に車道として使うために橋上に更に石垣を積んで脇道との段差を無くして使ってたそうだ。
渡った先の石の案内板に図解されていた。
そして昭和に入っても現役だったそうで、隣に鉄骨製の新霊台橋が架かる昭和41年まで現役の国道218号として使われていたらしい。すげー。
その後に国の重要文化財に選ばれて、積みたした石垣を外して元の姿に戻して現在の遊歩道橋として保存されているわけだ。
ごくろうさま。
戻ってきた所に石の塔みたいな祠みたいなのがあった。これはなんだろう。。
まわりに石碑のように文字が書かれてて、工事で亡くなった人の名とかで慰霊塔かな?と思ったけど、「祝」とかあって、橋を架けた偉業を讃えるような文章だったりした。
(これは帰ってからウェブで見てもどこにも載ってなくて判らなかった)
今回は通潤橋は行かなかったけど、この橋で充分満足。
やっぱり昔の建造物はカッコイイねぇ。
直に見ると迫力あるねぇ。