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岩見海浜公園 赤鼻地区

ファイル 1810-1.jpg江津市敬川町から浜田市国分町までの日本海沿岸5.5kmに及ぶ県立公園、の西端エリア。

晴れて暑くなって一気に夏日和。海を眺めて展望休憩、、というのは口実で、停車して短パンに履き替えたいののついでの休憩って感じ。(靴と靴下は信号待ちで脱げたけど短パン履き替えは無理だから)
だって海は別に休憩しなくても車で走ってても見えるもんね。

なーんて思いつつ、取り敢えずせっかく停車したのだからと、駐車場のすぐ先の「嶽ヶ下展望台」に出て海を眺めてみた。

ら、思いのほか気持ちよく見下ろせて、海は青く、空も青くいい眺め。
左端の海に見える平らな岩は、前に行った石見畳ヶ浦(→)の先っぽかな。

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なんか、夏のような空と海の解放感が思った以上に気持ちよく、気分も乗ってきてもう少し散歩。
北に突き出た岬の「赤鼻」へ歩いてみた。

駐車場からの道は未舗装の歩きやすい砂利道で、少し進むと東に続く鯨ヶ浜、姉ヶ浜の長い海岸線が見えた。
これまたいい眺め。
海の右の内陸にはさっき閉まってて通過した円柱の展望塔も見えた。多分あそこ登ったよりもこっちの方が眺めいいので閉まっててかえってよかった。

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そして柵の上には割とお馴染みのハクセキレイが停まってて、尾を振り振りして一緒に海を眺めてた。
足元にはシジミチョウがチラチラと沢山舞ってて、あれ、変な形のがいるなぁと思ったら交尾中のラブラブカップルだった。夏だねぇ。

そんな感じでゆっくり歩いて10分ほどで先っぽの赤鼻展望台。
赤鼻というと世代柄アッガイみたいなずんぐりむっくりした形を想像しちゃうけど、ここは先のとがった展望台。
先端から見るとなるほど赤い岩肌の崖の岬(鼻)で納得。青い海も広く見え色の対比もよかった。

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ゆーっくり展望して戻った。岬の先への釣り場へ下る細道とかもあったけど、サンダルなのでそんな道は進まずに素直に戻った。

来るときは岬の東側を歩いてきたので、戻るのは西側の道を下ってみた。
ら、すぐ隣にもう一つ突き出した鼻がありその上も展望台っぽかった。そっちに進む道に折れて上ると、そっちからは今来た赤鼻の岬が目前によく見えた。

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そして折り返すと南西に続く岩の海岸線もよく見えた。
少し戻ると浸食であいたような洞門も見え、なかなか変化多く景色イイ岬だった。

ファイル 1810-6.jpg何より天気よく気分いい。
正直朝の感じからここまで晴れると思ってなかったのでニコニコ。
戻る道も足取り軽く、ツバメシジミを追いながら駐車場まで戻った。
(けど素早くて羽の青い背面は写真に撮れなかった、、)

タグ:楽:眺 楽:歩 景:海 景:岬 景:浜 景:崖 景:洞 動:鳥 動:虫

道の駅 湯の川

ファイル 1809-1.jpg出雲市斐川町学頭の9号沿いにある道の駅。
ここは二回ほど寝るために寄ったことがあり、他に案内板に温泉マークがあるので日帰り湯のある道の駅かと勘違いして立ち寄ったことも二回くらいあったんだけど、、店が開いてる時間に来たの初めてのトコ。
もう10時半だからこの時間なら食事できるだろうと思って寄ってみた。

車から降りると、奥に足湯が見えた。
日帰り湯はここから少し車で進んだ先だけど、足湯があるから温泉マーク付いてたって事か、、まぎらわしい。足湯で温泉マークはやめてほしい。

その足湯の奥には八上姫の湯浴みの像があった。
この八上姫が大国主を慕って因幡から出雲へ旅をする途中で湯浴みをしてきれいになった場所がこの湯の川温泉ということで古代よりの由緒ある美人の湯だそうだ。

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ところでこの像、片乳はだけてて妙にエッチ。(全裸なら気にならなかったと思う)
像の前にはハート形の砂場があって、脇にはハート形の絵馬を掛ける台があったりして恋愛成就の願掛けスポットなのかな?
でも神話では、出雲に行ってみたら後から出てきた正妻(スサノウの娘)がいて嫉妬で追い出されるんだよね。大国主は大国主で正妻を面倒くさく思い、別の場所に出掛けても妻を娶ったりしてて、現代的な恋愛で言えばあまりあやかりたくない話だと思うけど、、

片乳はさておき食事食事。
店の中に入ると食堂もばっちり開いてて、「季節商品『生姜ごはん』はじめました」とあった。数量限定で幻の出西生姜を贅沢に使ったというその「生姜ごはんセット」にしてみた。

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これは風味よい生姜そのままの炊き込みご飯。生姜も乗ってピリッとキリッとしてておいしく、味噌汁はもちろんシジミ汁だった。
けど、正直シンプルすぎて物足りず何かおかずは欲しいトコだった。
でもまぁおいしい朝食。山城登って湖岸歩いて石切り場も歩いてやっとこさの食事でペロリと平らげた。

ファイル 1809-4.jpgで、食後は店内の見てまわりつつ、御当地名物の出西生姜御コーナーでは醤油漬けの試食を食べて辛くて参ったりしつつも、なんかやっぱり気になってた「出西みどり生姜ソフトクリーム」を購入。

ちょっと涼しげだから冷えちゃうかな、、とか思ってたけど、食べ歩きながら外に出るとすっかり晴れて日差し出てポカポカになってて丁度良かった。
味も生姜の甘みがいい感じでおいしかった。

ファイル 1809-5.jpg出発前にはやっぱちょっと物足りないから店前屋台で売ってたたい焼きのハムマヨを購入。
なーんか四角いくらいに耳(ハネ)が付いてて、まるでカーボナイト冷凍のハン・ソロみたいなたい焼きだった。

出発して走りながら食べたけど食べごたえ十分だった。

タグ:餐:飯 餐:菜 餐:汁 餐:冷 餐:菓 観:像 観:伝 道の駅

来待ストーン

松江市宍道町東来待にある来待石の採石場跡地公園。
案内見てよくわからずパワースポット的な石のある公園かなんかかと思って来てみたんだけど少し違った。
広い駐車場で案内板を見ると、ここからは少し離れたトコにミュージアム(資料館?)と採石場跡があるみたいで、また時間くっちゃいそうだから引き返そうとも思ったんだけど、、やっぱりせっかくだから歩いてみた。

で、門柱からの細道を進み、宅地を抜けると岩の壁の入口に出た。石のタヌキがあちこちにいた。

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ファイル 1808-2.jpg暗くて不気味だったトンネルを抜けて来待石広場に出ると、飾りのない四角い来待ストーンミュージアムがあった。
けど、有料なのでパス。。

振り返ると採石場跡。
直角に切り削られた岩肌がいい感じ。

正直に言えば、今年栃木の大谷石地下採掘場とか行ってきたばかりなので左程の感動はなかったけど、そこかしこに置かれた石のタヌキの石を切り運ぶ様子などは面白く和んだ。

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そして広場を歩いてまわってみてたら「小三才谷遺跡群ミュージアム南側採石場跡」というのを見かけたので行ってみた。

ら、それは森の中にあって少し鬱蒼としてて、マムシやハチの注意書きが幾つも並んでいた。
ので、その先に森に埋もれるように現れた石切場跡はまるで密林の古代遺跡のような雰囲気で面白かった。

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来た道をハチやマムシに気を付けながら戻った。
いやいやハチは嫌だけど、マムシは見たことないから不意に襲われない範囲でなら見てみたいな、、とか、ヘビがいたら一層密林の遺跡っぽくていいよな、、とか、思ってよく周りを見て歩いた。
ら、マムシはいなかったけど、よく見まわしてた分石垣のコケの緑がきれいに見えてよかった。

そしてヘビじゃなくてカエルは足元に出てきて可愛かった。同じマムシを恐れる仲間同志シンパシーを感じたw

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これは立派なトノサマガエル。凛々しくていいね。
なんてゆっくり眺めてたらポタポタポタと雨が降ってきちゃった。
傘持ってなかったから走って戻ろうか、とも思ったけど、だったら雨宿りがてらと有料のミュージアムに入ってみた。

もちろん中は写真禁止。石には詳しくなく関心も低かったけど、石の切り出しから石灯籠を削り出すまでのムービーなど意外と面白かった。
この来待石は古代遺跡時代の石棺からの歴史ある石材だそうだ。

受付のお姉さんに「タヌキが沢山あったけど、この地域はタヌキが有名なんですか?」とか聞いてみたら、そういえばなんでタヌキかはわからないそうだ、、「宍道町としては町名の由来の『イノシシの像』の方が適切で所縁あるけれど、イノシシじゃユーモラスに擬人化するのが難しかったからじゃないでしょうか?」とのこと。

ミュージアムを出ると小雨パラパラになってた。程よい雨宿り。
トンネルくぐって駐車場に戻った。

タグ:観:石 観:工 観:館 観:像 観:蛙 植:苔 動:虫

湊山公園

ファイル 1807-1.jpg米子市市西町の中海米子港にある公園。
米子城を歩いて満足だったので駐車場でターンするだけのつもりだったんだけど、トイレだけ寄ろうか、、と車を停めて、んじゃあ折角だからちょっと中海を眺めて行こうか、、と歩いてみた。

駐車場の前には県立の「米子艇庫」というボート競技施設があった。
あーなるほど、城の上から見えてたボートはここから出てたんだね。米子はボートが盛んなんだ。

そして駐車場前の低い堤防をのぼると、目の前に広く中海が見えた。
おーいいね。
湖は城の上から見るよりこうして間近で広く見えた方が眺めイイね。
この中海は日本で五番めの大きさの湖(え、宍道湖より大きんだっけ?)、湾が砂州で塞がれた潟タイプの汽水湖。
この米子に面した中海は奥に入りこんだ湾のように細く、口に島と岬があって別れて見える部分で、昔は「錦海」と呼ばれていたそうだ。

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朝の湖岸は歩く人や走る人や犬連れた人などいて、誰も見かけなかった城跡とは違ってた。ゆっくり湖を眺めて、湖上のボートを眺めて、水面を飛ぶ鵜を眺めた。
振り返ると、登ってきたばかりの米子城址。あーあそこに天守が残ってたらさぞかしカッコいいだろうになぁ。

水際まで下りて覗くと水はきれいだった。けど、魚影は見えず底の貝だけしか覗けなかった。

それと、湖岸の道には「錦公園」の案内板が並んでた。あれ?錦公園?湖岸は違う名前の公園なのかな?(旧名だそうだ)
その案内に公園の端にある「清洞寺岩」というのが出てたので、そこまで行ってみようかと歩いてみた。

歩いてたら少し朝日も差してきて嬉しくなった。
その朝日と「夕日の像」(反対側から夕陽を覗くモニュメント)を写した写真は、後から見たら目の前を飛ぶスズメバチが写ってた。気が付かなかった、、

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飛ぶ鳥や潜る鳥、遠くに浮かぶ島を見ながら堤防の端まで歩いたけど、岩はなかった。。あれ?おっけじーのー。
隅の休憩所のカエルの水飲み場(他でもたまに見るやつ)だけ見て引き返そうかと思ったけど、なんか納得いかず、そこから内陸側に折れた先も公園になってそうだったから案内でもあるかと進んでみた。

ファイル 1807-4.jpgら、ここは庭園のような池のある公園で、その池の端に岩がゴツゴツと並んでいた。
あ、あの岩の事かな?と回ってみると、どうやらそのようで、此処は昔、清洞寺という寺のあった場所、巨石は以前は中海に浮かぶ岩島で亀島と呼ばれていたそうだ。
この岩々こそ往時の湖岸の姿の名残、今まで歩いてきた堤防どころかその内側の公園部分全体は埋め立てられて造成されたものだそうだ。

その岩の間からネコが出てきて石段の松ぼっくりでジャレて遊んでた。捨て猫だろうけど可愛かった。
岩を見るとあちこちに札が貼られていた。案内板には地蔵信仰の「札うち供養打止め」の聖地とあったので岩には触れないようにして眺めてまわった。

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ファイル 1807-6.jpgそして来た道を戻る。
わぁ、けっこう歩いちゃったなぁ、、と長い堤防の道を見て思った。
昔はこの道も左側の公園までもが湖上で、長い砂浜が3㎞も続いていたのかと思うと勿体なくも思え、でも散歩するには楽でありがたいとも思えた。砂浜だけだったら歩かずに眺めるだけだっただろうね。
(埋め立ては戦後の干拓淡水化事業による水質悪化と経済成長期のゴミで荒れ果てた湖岸の整備ということだそうだ。淡水化って、、外来魚どころの騒ぎじゃないじゃん)

黙々と歩いてたけど、行きは湖ばかり見てたからか、内陸の公園は全然見てなくて、帰りにはじめて公園内にあったSLに気が付いた。
ちょっとおまけ気分で公園側に下りて眺めてみた。

おお、かっこいい。
これは昭和49年まで米子を走っていた「D51蒸気機関車」の静態保存されたもの。51年からだそうだから廃止してすぐに持って来たんだね。

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当時からのそのままのような朽ち果て方だけど、錆びて流れた塗装の油の青い筋もそれはそれでいい感じ。鎮座して四十数年の歳月というものを感じさせる。
っていうかSLってすごいよね。原動機むき出しの突っ走る窯だもんね。力の象徴、在りし日の漢の姿!って感じだよね。

といろいろ楽しめた公園だった。
「米子艇庫」まで戻って朝練終了後の片づけ風景と、飛び石のように水面をはねるボラを眺めて駐車場に戻るともう8時。
わお、城跡登り始めたのって何時だっけ?(6時半)早朝のつもりでのんびりしてたけど、平日の通勤時間という嫌な時間になってしまった。。慌てて出発した。

タグ:楽:歩 楽:眺 景:湖 景:島 景:岩 観:園 観:船 観:鉄 動:鳥 動:獣

米子城跡

米子市久米町にある城跡の山。
一度行きたいと思ってたような気のせいなような、、というくらいの感覚だったけど気まぐれに寄ってみた。

歩き出しの登山口には案内板も地図もなく、「城山登り口」とあるだけでどのくらい登るのか分からなかったけど、昨日一日雨で全然歩いてなかった分、歩く気満々で意気揚々と進んでみた。

道は城跡というのを忘れるような結構な登りで、運動不足の身には少々堪えつつも休憩挟まず一気に登った。

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ら、
森を抜けることで石垣が見えて湧いた。おお、意外と城らしい城だぞ。
ここまで結構かかったような気がしてたけど画像の時間で見ると登り始めからわずか七分。。もっと登ってたような気がしてたけどそんなもんか。(思い返してみれば、「鳥取城」なんかに比べたら全然比較にならいくらい楽だった)

で、そこまで登り切ると一気に視界が開けて、目の前に立派な石垣の城跡が現れた。おーおーおーカッコイイ!
案内板もないような城跡だからひょっとすると展望すらできないくらいの埋もれた城山かもしれないぞ、、とか危惧してはいたんだけど、これは登った甲斐ある立派な城郭。驚いた。
往時はこの右に大天守、左に小天守を構えた堂々たる城だったらしい。
そんな城郭とその前に広がる米子市街を眺めながら呼吸整うまで些休憩。

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天守跡前に突き出た櫓台みたいな「番所跡」越しに景色眺めていたら、すぐ近くでコツコツコツと木を叩く音が聞こえた。何かなと思って見まわしてみると、すぐ脇の桜の木の枝を小鳥が叩いていた。
キツツキかな?と思ってよく見てみたら文鳥のような模様のヤマガラだった。
っていうかそんな近くでわざわざ自己主張するように叩かないでよ。一瞬何事かと驚いたよ。

さて、石垣を回るように進んで「鉄御門跡」から本丸に登った。
ら、こっちも近くの木でコンコンコンと木を叩く音。
こちらは見てみたらシマシマ模様のキツツキ(コゲラ)だった。
なんかまるで僕が歩いてきたのを周りに知らせるようなタイミングで焦ったw(ちる様のおなーリーって感じ?)
そして本丸は広々とガラーンとしてて眺め抜群!
その先の天守台の先に手に取るように見下ろせる米子市街の眺めが広がってて絶好の展望所。
こーれは気持ちよかった。登ってよかったーと心底思える城跡だった。

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自分以外他には誰もおらず、思う存分ゆっくり展望して回った。
米子市街から中海も少し見えて、カメラでズームしてみたらからボートが何隻も見えた。朝練風景かな。

雲は濃いけど雨降りそうな様子もなく、雲の裏の朝日の光りが月みたいに小さくうっすらと見えていた。

そして小天守跡の先っぽの角に大きな石が乗ってたのが気になった。何だろアレ。

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ゆーっくり本丸を三周くらい廻って展望終了。
(写真撮りながら一周、自分の目で見て一周、こーんなところを悠々と歩いてると実感しながらもう一周てとこかな)
裏側の水手御門跡から本丸を下った。そしてその本丸の石垣の脇を廻って下った。

「遠見櫓跡」を過ぎて、三段になった石垣に沿って下ると、思った通り道はちゃんと元の「番所跡」に出れた。よかった、別の方向に下りることになったら面倒だなと思い始めてたトコだった。
登山道は暗い森で入りたくない気分だったけど仕方ない。登って来た道を下った。

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そういえばその登山口の中間で「内膳丸跡」への分かれ道があり気になってたのでちょっと行ってみた。

ここは出丸のように長く突き出た曲輪で往時は二層櫓の武器庫があったそうだ。
でもちょっと雑草が茂ってて、その先に東屋の休憩所があるものの、木々に覆われ展望ゼロ。中海がよく見えそうな場所だけに勿体ない。
そして振り返ると正面に本丸の山頂が見えた。天守が残ってればベスポジだったろうにね。

ファイル 1806-6.jpgそして元の登り口のテニスコートまで下った。
此処は実は二の丸跡で、御殿はここにあったそうだ。
「御殿御用井戸跡」なんてのもあったけど、ちょっと荒れていて覗けなかった。

なーんか、アレだけの凄い城郭の立派な城跡なのに、案内板もない怪しい登り口って勿体ないよなぁ、、(テニスコートの先にある赤い屋根の建物は市内の武家屋敷から移築された「旧小原家長屋門」だったそうだ、、そのくらいの案内は出してて欲しかった。。。)とか考えてて、ひょっとしたらこっちって裏のルートだったのかも?とか思ったので、その後、車で山沿いに少し進んでみた。

ファイル 1806-7.jpgらば、
その奥にある「湊山公園」の前の方は城跡の入口っぽくなってて案内板も立っていた。。

あーこっちが一般的には正面だったのか。
「内膳丸跡」の手前で交差した道ね。
けど、さっき登った道が近道コースだったようだし、城としては二の丸からの正しい順路なのでまぁいいかな。そのギャップがあったから堂々たる城郭と展望をより一層感激できたのかもしれないしネ。
朝から思いがけず満足の城歩きができてよかった。

タグ:観:城 観:石 景:山 景:湖 景:町 楽:登 楽:眺 動:鳥

四国フェリー 玉高丸

ファイル 1634-1.jpg宇野港から高松港まで渡るフェリー。
「第八十七玉高丸」という853トンのフェリー。
あ、前に乗ったのと同じ船だ。 っていうか、何度も渡ってる航路なのでそりゃ同じ船にも乗るよね。

乗船の前に、待ち時間30分弱あったので軽く食事、、、と思ってたんだけど、この港は珍しく飲食店も売店もなく、港の近辺を散歩してみても何もなかった。。
港の人に聞いてみたら「船でうどんでも食べて」と言われた。

で、乗船。
客室に上がると、客室前のオープンスペースはガラーンとしていた。
あれ?前からこうだったっけ?ベンチとか並べればいいのに。。
そのガラーンとした手前にポツンと浴室「土佐の湯」があった。入る人いるのかな?

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屋上の甲板に上がってみると、ここもガラーンと広く、椅子もベンチもなかった。
GWなので鯉のぼりが吊られてて風に揺れていた。

客室に入ってうどん食べようかなと思ったら、意外と食べる人多く数人の列になってた。
で、よく考えたらこれから香川に行くのにこんなトコでうどん食べなくてもいいじゃないか、、特別うまそうなものでもないし。って事でヤメた。

さて、出航しばらくは瀬戸内の海と島と港を眺めた。
港にはキレイな魚のオブジェがあった。あれが港で幟を見かけた「かがわ山なみ芸術祭」の作品の一つかな?(そうらしい)

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海の先には瀬戸大橋も霞みながらかろうじて見えていた。

しばらく眺めてたけど、それよか四国でどう廻るか作戦練ろう!と思い客室に下りた。


で、結局客室では、考えている内にうつらうつらとして軽く仮眠。
起きたらもう高松も近いみたいで、、
まあいいや、いつもの如く適当にフラフラ廻るか。と、相成った。

で、また到着まで甲板で海を見た。

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ファイル 1634-5.jpgこの船を昼間に乗るのは珍しいかも。
そういえば何時も海から眺める高松市街は夜景だった気がする。
平らな山の屋島もよく見えた。

結局のんびり、目的地も決まらず、あまり気分も揚がらずに四国に渡ってしまった。

タグ:観:船 観:橋 観:藝 景:海 景:町 楽<待 楽:眺 楽:乗

道の駅 みやま公園

ファイル 1633-1.jpg玉野市田井の30号沿いにある道の駅。
この朝は何も食べてなくて空腹なのに、なぜかどこにも寄れずに走り抜けてた。
で、トイレ休憩がてら、やっと此処で道の駅によれた。

まずは宇野港の船の時間とか調べたり、宇野(玉野)のB級グルメ「たまの温玉めし」の店を調べたりした。
ら、次の船の時間まではそんなに無く店を探して食事というには微妙な感じ。
この道の駅に有れば丁度いいのにとか思って、車を下りた。

ら、この道の駅の食堂はなんかお洒落なカフェレストラン。
ささっと食べる雰囲気ではないのでパス。。

ファイル 1633-2.jpgそれよか目についたのが鮮魚店コーナーの「焼きあなご」
あなご食いてーと覗いてみたら、惣菜ではなくてしっかり一匹焼かれて売られた。
これはそのままパクっていくやつじゃないよね。。
他にも簡単な惣菜的な天ぷらも並んでたので、取り敢えず串になったタコ天ぷらを購入。
ベンチで座って食べた。

ファイル 1633-3.jpgこれが美味しかった。

タコの天ぷらってあまり見ないよね。固かったり柔らかかったり難しいのかな。
これは丁度いい歯ごたえで美味しくペロリ。
もう一本食べようかな?別なのも食べようかな?
なんて思ったけど、この道の駅、募金の小学生がやたら多くて、声張り上げてて落ち着かなくて、やっぱもういいやと車に戻った。

結局この午前中に食べたのはこの串一本だけ。
なんか不思議と全然寄り道できない時ってあるよね。

タグ:食:串 餐:揚 道の駅

かにっこ館

ファイル 1588-1.jpg鳥取市賀露町西の鳥取港前にある県立の水族館。

っていうか、てっきりそのネーミングからカニの販売専門館みたいなもんかと思って来てみたら意外や意外、なんと入館料無料のミニ水族館だった!
あれー?全国の無料の水族館は調べてたんだけど、ここは完全に知らずにノーチェックだった。
でも、どうせ中は販売目的の市場の生簀水槽とかじゃないの?なんて思って入館したらアニハカランヤ。。ちゃんとした水族館。

子供にもうれしい触れる磯の生物コーナーから始まり、鳥取の海の大型水槽!サメやエイやタイやヒラメが悠々と泳いでいた。

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好感持てたのが脇に並んだ小さい水槽で、ウツボやオコゼなどの近海のぶちゃいくな魚がキレイなレイアウトの水槽に入ってることで素敵に見えてじっくり観察したくなるところ。
ウツボって綺麗だったんだねぇ。
黄金のオニオコゼなんていう珍しく可愛らしいのもいた。

チンアナゴみたいな人気者もいるけど、鳥取近海のアジやカワハギまで熱帯魚のように可愛く泳いでいた。

そして奥のフロアはカニがメイン。
いろんな形の変なカニから見覚えある美味しそうなカニまで、やっぱりキレイな水槽で沢山並んでいた。

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で、どのカニにも産地が標示されてて、変わった形のどこの世界のカニだよっていうのが意外とみんな鳥取産だったりした。

カニっていろんなのいるんだねぇ。。毒があるやつもいるんだ、、
水槽の上の解説も分かりやすく面白く生態に興味持てた。

そして、特別公開のバックヤード的な脇の部屋に入ってみると、サカナ君のサインとかあったりして、水槽にはフウセンウオが泳いでた。
けど、注目は奥の水槽の「白いキジハタ」
これは神々しいくらいきれいな白! 見蕩れた。
目が赤くないからアルビノじゃないらしく原因不明の奇跡の一匹だそうだ。(「採取方法:釣り」というのも笑えた)

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とゆっくりみて回って存分に楽しめた。これで無料は凄い。
たまたまだけど来れて良かった。


さて、水族館のあとは一応隣に並んだ魚市場も覗いてみた。
やっぱさすがに連休中日の昼間で混みあってて、飲食店は長蛇の列。。
混んでるトコで食べる気はなく、土産も今回はいいかと眺めつつ、焼いたものとか試食できるものが多かったので摘んで回った。

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そしてほぼ全品試食できる「とうふちくわの里 ちむら」ではもう食べまくりww
どれも美味しくて申し訳ないから、車で食べる用に串に刺さった揚物二品だけ買った。


そして車に戻って出発するかな、、と思ったけど、そういえば目の前海なんだと思い出して、浜辺に歩いてみた。

もうここは砂丘じゃないけど、それでも広い砂浜で、海岸の先に穴の開いた岩の島(伏野大島)見えた。

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ズームして島を見てたら、レンズにゴミが入ってた。。(島の間の脇の黒いの)
あーこういうの修理してくれないんだよね。。
(帰ってみたらゴミだけじゃなくて画像も崩れてたり部分的に色飛んだりしてるのもあった)二年半しか使ってないけど寿命か?

そして出発。
走りながらさっき買った「白ネギ天」と「いかっこ3兄弟」を食べた。
味見で確認してるだけに当然うまかった。

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タグ:動:魚 観:館 観:市 景:浜 景:島 食:串 餐:揚

道の駅 あわくらんど

ファイル 1587-1.jpg西粟倉村影石の373号沿いにある道の駅。
エンジンを労わりつつゆっくり走ってたので、沿線で寄れそうなトコは極力寄りたい気分で迷わず寄り道。

朝ちょっと早めながらけっこう混んでたけどタイミングよく停められた。
店も開いていてて、奥の食堂はさすがにまだ開いてなかったけど、手前のうどんそばスタンドみたいな軽食小屋店舗はやってるみたいで、見ると御当地バーガーの看板が出てたので入ってみた。

ファイル 1587-2.jpgそしてその「あわくらDe愛バーガー」というのを注文。
バーガーの調理はじめてから店のおばちゃんに「ラオス産の豆のコーヒーとのモーニングセット」を薦められたので、んじゃあそれでと注文すると、そこから用意してドリップ始めたので時間が掛かった。。

まぁ急いでるわけじゃないからとのんびり待ってたら、、
「コーヒーはまだ時間かかるから、後から来たお持ち帰りのお客さんに先にバーガー出しちゃってもいい?」とか言われた、、、
なんじゃそりゃ?
と思いつつ、ここは譲って妙な感謝されながらゆっくり食べるべきか、、とか返事に詰まってた。
 ら、後からのその客が「いいですいいです」と遠慮して妙な空気の三つ巴。
で、結局「コーヒー後でいいから出来てるならバーガー頂戴」と、当たり前の主張なのにチョイ悪者みたいな妙な雰囲気でバーガーを手にした。

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バーガーは地産のホウレン草を混ぜて緑色の「米粉のバンズ」に鳥取の「アゴカツ」と岡山の「桃太郎トマト」に店特製タルタルソース。
県境近い西粟倉村の地元と二県がミックスされた一品。
これはおいしかった。

どっちの客にも済まなそうなおばちゃんに、こちらを見ないように「まだー」と駆け寄る子供をあやしてた客との妙な空気の中の食事だけど、バーガーはうまく、不満に感じずに食べられた。
で、
コーヒーはバーガー食べ始め(写真とか撮った後)には出て来たけど、どうせ熱いからすぐは飲めず保留。

ゆっくり食べて食べ終わってコーヒー飲む頃には後客のバーガーも出来て帰って静かになって、落ち着いて喫茶。
このコーヒーもおいしかった。

タグ:餐:ば 餐:飲 道の駅

武蔵の里

ファイル 1586-1.jpg美作市宮本の宮本武蔵生家跡を含む武蔵ゆかりの地。

宮本武蔵は以前からドラマになったり漫画で出てきたりとなにかと色んな所で題材にされる馴染み深いヒーロー。だけど、個人的には大人になるまであまり興味なく、漫画「Drスランプ」に出てくるような武骨で不潔でいけてないイメージしかなかった。
で、
興味を持ったのは大人になってから漫画「バガボンド」を読んで以降。
(その頃やった大河ドラマも見てなかった。。映像では映画の「巌流島 GANRYUJIMA 」の本木雅弘の武蔵が好き)
なので、バガボンドで書かれてる以外の設定は殆ど知らず、偏った知識しかないけど一応好感持ってる剣豪ヒーローである。

そんな宮本武蔵の出身地がココ美作市宮本の「武蔵の里」。
まず中心にあるのが武蔵生家跡。
跡地だけど新しめの家が建ってる。
昭和17年に火災で焼失するまでは当時の屋敷が残ってたそうだ。え、そんな大きな屋敷に住む坊ちゃんだったんだっけ?

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そしてその裏手には平尾家住宅という茅葺きの屋敷がある。
平尾家は武蔵の姉が嫁いだ家。え?姉がいたの?
その姉夫婦の次男坊(つまり武蔵の甥)がここに居住して武蔵生家を相続したそうだ。
あーちゃんと血筋の人が住んでるんだね。
一般家庭で立入禁止。市指定天然記念物の樹齢400年の古木などが残る庭も勿論立入禁止。

ファイル 1586-3.jpgそのまま坂道を登って、武蔵神社へ歩いてみた。
この坂は釜坂峠という因幡街道の要所への登りの道だそうで、更に進むと一貫清水とか本位田家の墓などがあるそうだけど、峠は「現在、50ccの単車では頂上まで登りきれない」などとあるキツイ坂らしい。
ホントの宮本武蔵ファンは峠を越えて平福まで歩くらしい。
僕はマンガしか知らない外道のニワカなので、すぐ上の武蔵神社まで。

そして武蔵神社。
ここは武蔵の墓の裏に昭和46年に建立されたものだそうだ。
神社としての歴史は浅いけど、武蔵を祀り尊敬して崇め奉る人々が参る立派な神社。参る人達の気持ちこそ尊いよね。

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立て札に「本殿の石垣にハート印が表れています」とあったけど、どこだかわからなかった。。

そんな本殿の脇には新めの佐々木小次郎の慰霊塔があった。
んーライバルとして共に敬い拝みたいというのは分からないでもないけど、自分を打ち負かした人物を祀る神社で慰霊されるってどうなんだろう、、、

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その一段下の先に武蔵の墓があった。
ここは元々武蔵の父、新免(平田)無二斎の墓のあった場所で、その隣に並んで武蔵の墓がある。
なんでも武蔵の養子の伊織が武蔵没後に訪れて分骨した遺骨を埋めたそうだ。

んーどうなんだろう、相いれなかった父親の隣、飛び出して戻ることのなかった故郷、そういう場所にお墓かぁ。
やっぱりお墓っていうのは亡くなった人のものではなくて残った人の為のメモリアルなんだなぁ。


そして坂を下って駐車場へ戻った。
駐車場の川向には武蔵資料館があり、丁度開館時間の9時になった。けど、有料だしもう充分な気がしたのでパス。
いい散歩になった。

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