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鹿島神宮

ファイル 3314-1.jpg鹿嶋市宮中にある神社。

『日本三大神宮』の一つで、常陸国の一宮。
何度か来たことあったけど、そういえば神社にお参りしたのはあまりなく久々かも。点景にしてたつもりでしてなかった。。(香取は三回もしてるのに)あ、いや、裏の奥の御手洗池だけは来てて点景にしてたか。

そうそう、この鹿島神宮は駐車場が有料なんだよね。だから無料の香取は何度も寄ってるけど、よく考えたらお参りには一回しか、いやもう一回は来てるかな、、ってくらいしか来た事なかった。
で、前の暑い夏に裏の御手洗池に行ってみたら、そっちの駐車場は無料だったので鹿島神宮に来るならこっちだなと思ったんだっけ。

今回は妹のリクエスト。御朱印とか集めてるんだってさ。
もちろん正面は過ぎて駅の横から裏にまわって御手洗池の駐車場に来てみた。駐車場はそんなに混んでなくて森の日影側に停められた。ラッキー。
前来た時は夏でも涼しかったけど、今日はどうだろう?と思ったけど、やっぱりこの森からひんやりした風が漂って出てて駐車場からして少しだけ涼しかった。ナイス。

そして池まで歩くとやっぱり涼しい木陰で正に夏向き。妹もイイネと喜んでた。「わかってる兄貴でよかったでしょー感謝して」

惜しむらくは透明度バッチリの清らかな池だけど、写真だと映り込みが激しいのと、浮いた落葉であまりキレイに見えないとこかな。角度考えて撮ればよかった。。

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池の奥の湧水が流れ出るトコは少し並んでたけど、柄杓で手を洗って涼んだ。やっぱここはイイねぇ。

で、ここから鹿島神宮の境内へと樹叢を歩いた。
樹叢は丘になってるのでまずは少しだけ登る。少し人が多かったけど、自分も妹もわりと抜かし気味に登れた。そうだよね、九州では「運動不足」と言われたけど、こういうトコ来ると自分よりも更に運動不足っぽい人が多いんだよね。でも部活帰りっぽいJK達にはガンガン抜かれた。でも部活できるくらいの感染状況になって良かったよねと妹と話しながら進んだ。

坂を上り切るとすぐ先が奥宮だった。まずはこちらにお参り。
国の重文の奥宮の社殿は改修されてそんなに経ってない感じかな、キレイな木造でピンとこないけど慶長10年(1605)築の古いもの。今の本宮本殿を建てる前はこれがその位置にあった本宮だったそうだ。
茅葺で来た道の西の池の方向に向いていた。こっちからは池で身を清めてから参る正しいルートなのかもね。実はこの奥宮に来たのは初めて。前に来た時は樹叢の森は歩かなかったからね。

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その後は、南に歩けば神宮本殿だけど、まずはそのまま深い森の道を真っ直ぐ東に進んでみた。
南に進む森の道は二本あって、奥宮の前の西側の道も少し先の東側の道も同じくらいの太い道だった。その東側の道の交差点にはナマズに乗った武甕槌神の像があってカッコよかった。
とりあえずまだ曲がらずにもう少し進むと鳥居があって「要石」があった。

見るとその要石は中央にポツンと小さく埋まってたけど、これは実は地上に出た頭は小さいけど地下では計り知れないほど大きく、地震のナマズを抑えている石とのこと。ほおほお。
地中を想像して眺めてたら、警備の人が来て賽銭を拾い始めた。儀式的にではなく作業的に拾ってたのでなんか怪しく見えちゃった。

西への道はここまででこの先は立入禁止になってたので少し引き返して西側の道を南に折れた。
こっちの道はほとんど人通りなく、長ーく深い森の道をひた歩いた。でも道は広く木洩れ日きらめいてたけど涼しげで歩きやすかった。でも妹と話しながらのんびり歩いてたからいいけど、ひとりだったらやっぱいいやと引き返したかも。
深い森を堪能して10分ほど歩き、表の駐車場に抜ける手前で折れて境内正面口の赤い楼門に出た。

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楼門は江戸時代初期の寛永11年(1634)に造られたもので、国重文で日本三大楼門のひとつ。ここは三大なんとかだらけだなぁ。個人的には香取神宮ので見慣れてて全然違和感なかった。そっくりだよなぁ。同型かなぁ?
なので、逆にその楼門くぐって入った境内が思ってた景色じゃなくて不思議な感じだった。あれ?鹿島神宮ってこんな感じだったんだっけ?、、って頭の中では香取が浮かんでた。

で、またここでも夏越の大祓いの茅の輪をくぐって進むと、その先の右が拝殿。ここも西に向いてるのね。っていうか、社殿は「令和の大改修」で工事中の幕に覆われてた。んー残念。(奥宮は改修が終わったトコだったらしい)まぁ仕方ないね。この姿もレアかなとおもいつつお参り。

その背の境内左側の大きな社務所は大きく新しい建物で、授与所は冷房効いてた。
妹の御朱印の用が終わるまでここで座って休んでいたかったけど、御朱印は奥の社務所の方が受付で別だった。まぁイスは少なく休憩所なわけじゃないからずっといるわけにもいかず名残惜しみながら冷房から出た。(御朱印待つ時間はやっぱり冷房が恋しくて祈祷殿を覗いて涼んだりした)

授与所の前には仮殿というのもあって、これも国重文。元和4年(1618)建立。今の本殿の前の年に建てたもの。本殿を立て直す時に神様を遷してた宮。だったら改修してる今もこっちメインにしてもいいんじゃない?そういうもんじゃないのかな。

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さて、妹の御朱印も得て、戻りは東側の森の道を歩いた。こっちは人が多くメイン通り。奥宮まで歩く人は多いようだ。

その東の森の道の中間には鹿園があって沢山のシカが飼われていた。へええ、これは知らなかった。
案内によると鹿は鹿島神宮の御祭神の武甕槌大神の使いだそうで、奈良公園のシカの起源はこの鹿島のシカが使いで行ったものだとか。へええ、まじか。そして昔は奈良公園並みに沢山のシカが森にいたそうだけど一時期絶えてしまって、昭和32年に奈良の春日神社と東京の神田明神からシカを逆輸入してこの鹿園を造ったそうだ。知らなかった。
売店でエサを買えば人気者になれたようだけど、他の人があげてるのを見てるだけでいいな。

そして奥宮から来た坂道を下って御手洗池に戻った。やっぱここが一番涼し気だわ。

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駐車場までは池から流れる水路を辿って公園の池の方に廻ってみた。こっちの方が木陰だからね。水路の水はさすがにキレイに撮れた。
公園の池にはザリガニが沢山いたけど、写真は水面の映り込みで何が何だか。こっちの池は濁ってて残念なイメージだったけど、今日は意外とキレイに見えた。映り込みのせいかな。。

一時間半弱の散策とお参り。暑い夏の日にはぴったりの爽やかスポットで、本宮境内では汗ばんで冷房が恋しかったけど、駐車場では車に乗ってもすぐにエアコンがんがんということもなく、穏やかに出発できた。
 
 
ちなみに前回の御手洗池

タグ:観:宮 観:門 観:池 観:水 観:重 観:石 観:道 景:森 楽:歩 動:獣

水郷潮来あやめ園

ファイル 3313-1.jpg潮来市あやめにある公園。

潮来駅からすぐの裏の川沿いにある菖蒲の花の公園で期間中は「あやめまつり」が開催される場所。
妹のリクエストで取り敢えず来てはみたけど、もうとっくに時期は過ぎてるでしょって感じで閑散としててそんなに広くない駐車場も悠々停められた。(まぁ、逆に期間中の混雑した時には来たくないけどね)

車を下りたら夏の暑さ。でも梅雨が明けたらこんなもんじゃないんだろうなぁ、、(とか思ったけど翌日史上最速で梅雨明け宣言された。。)

閉まってた「あやめまつり大会本部」の窓に貼られたポスターを見ると開催期間は5/20~6/19。先週までだそうだけど、今年は熱いからどの花も咲く時季早かっただろうから遅くとも五月中には来ないとダメだろうねーと思った。

でも、他にもチラホラ歩いてる人はいたし、どんな感じの公園かと歩いてみた。
園内はもう花のない藤棚の道が本部前から川沿いにすっと続いていたので歩きやすかった。

で、先月なら一面に花が咲いていたであろうあやめ園の花畑にはよく見れば少しは咲き残った花も見れた。
でも花よりも先に目についたのは橋の前に橋幸夫の「潮来の伊太郎象」。歌碑がありボタンを押したら歌が流れた。そうだよね、潮来と言ったらこれだよね。(とかいいつつ、自分は「飛べ孫悟空」とかザぼんちの漫才ネタでしか聞いた事なかった世代だけどね、、)

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川の所は船着場で期間中はここから櫓船に乗れるらしい。高そうだけど。覗くと船はあったけどもう終了してて閑散としてた。川はジェットスキーが走りまわってた。

そしてそのまま川沿いの藤棚の道を下流に向かって歩いてみた。右手に川で左手に緑の花畑(花田?菖蒲田?)。チラホラ咲き残った花があってよかった。白いのもあった。その花畑の中央にも道があるけど、チラホラとしか咲いてないからそっちは歩く気にならなかった。日向で暑いし。

川は少し進むと「櫓船 折り返し」と出てた。船、、意外と短距離かも。

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県道の橋の下はガッツリ日陰で少し涼しかった。その先は対岸に船屋があって客少ないからか大声で「乗っていきませんか」と声かけられた。妹も乗り気じゃなくて無視しちゃってたけど、後から歩いてきてた客はなんか交渉してたから乗ったのかも。

そして公園の端の水門まで歩いて、水門に上がってその外の広い常陸利根川を眺めた。おもしろい眺めでもないけどね。屋形船が係留されていた。

これで折り返し、町中にまわるのも面白くないから川沿いの来た道を戻った。
櫓船っぽいのも通るのが見えたけど、櫓じゃなくてモーターだった。遊覧船か。

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自分は途中から花畑の中央の方の道に出てみて日向を歩いた。
「全国市町村あやめサミット記念花壇」というのがあって、見てみたら会津のアヤメだけ咲き残ってた。 っていうか、全国という割には東日本の県しかなく、あやめ園って東だけだったんだっけ?とか一瞬思っちゃった(んなわけない)

っていうか、こんな炎天下でも咲き残っててくれた花には感謝だね。
車に戻ったら速攻で冷房ガンガン焚いてあー生き返ったーって感じだった。

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大宝八幡宮

ファイル 3312-1.jpg下妻市大宝にある神社。

旧国道を走ってて「あじさい祭」の幟を見かけて気になって来てみた初めての場所。こんな大きな神社があるなんて全然知らなかった。
大きな鳥居の横の広い無料駐車場に車を停めて歩いた。

その鳥居の下のちょっと焼けて見ずらい神社の案内を見ると、御祭神は誉田別命、足仲彦命、気長足姫命、つまり、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の八幡宮トリオ。社伝によれば大宝元年(701)に藤原時忠が宇佐八幡を勧請した神社で、関東最古の八幡宮ということだそうだ。

参道も太く真っすぐで中間には門があって阿吽の仁王像が立ってた。あれ?神社だよな?とか思いつつくぐると、その先はアジサイだらけ、、かと思いきや、チラホラ程度だった。あれ?あじさい祭だよな?

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横の手水舎の前には「重軽石」があり、持って軽く感じたら願いが叶うという石があった。けど見てみたら小さかった。。これ、重く感じることあるの?

そして手水はアジサイが飾られててちょっとあじさい祭りっぽい感じだった。なんかお洒落な感じ。
手水はカメ、横には七福神の宝船やカエルもあった。
近くには石の甕があり、洒落た毬の浮く水面には赤い金魚が泳いでて、猫のフィギュアが釣り糸を垂らしてた。

そして拝殿は更にお洒落に飾られた和傘の裏からの灯りがキレイで、曇ってトーンの低い時間にピッタリで見惚れた。看板の狛犬の絵に添えられた「雨だって嬉しくなるね」という文もイイ。
ごってりこてこてに飾るのではなく部分部分を引き立たせてて凄く素敵だった。不思議な気分でお参りした。

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そっか大量のあじさいよりも、目立ち引き立つくらいのあじさいがさりげなく咲いてるあじさい祭りというのもいいもんだ。
とか思いながら、裏の本殿にまわって奥にも歩いてみた。

境内は末社も多かったけど、その合間に御神木も多く「菩提樹」とあったり「夫婦檜」というのもあった。
根の部分が契りを交わしてるヒノキだそうだけど、写真では手前の夫婦石で隠してしまった。。申し訳ない。

そして何気にあったカエルの像、苔でミドリっぽくなっててまさにカエルだった。小さなカエルが沢山引っ付いてた。

大宝城跡の石碑がある辺りが一番奥かなーとか思ってたけど、その先に続く道を覗いてみたら、、
ななんとなんと、その先の坂の下があじさい園だった。
おおお、これは驚いた。さっきはさりげなく咲いてるくらいのあじさいで妙に納得してたけど、まさか奥の裏にこんなに咲いてるとは思わなかった。なーんだしっかりあじさい祭りじゃん。アジサイは奥に沢山あるよってもっとアピールしなさいよ。自分みたいに端の端まで見て行こうっていう人じゃなかったらお参りだけして帰っちゃうかもよ。

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林から先に覗けた緑の田圃の中を関東鉄道の車輛が通るのが見えた。すぐ先が線路だった。

この一面は水色のアジサイ一色だったけど、先に進むと赤いのもチラホラ見えた。
そしてここにも大宝城跡の案内板があった。(同じものが大鳥居の下や神社手前の森にもあった)
「大宝城」は平安から南北朝までの時代にあった城。南朝の拠点となった城で、三方を沼に囲まれた要害だったそうだけど、興国4,
康永2年(1343)に落城。城主の下妻氏は討死したそうだ。

じゃあ往時はここらは沼岸かなーとか思いながら進むと、まだまだ先にもアジサイが咲いてて、これはこれは図らずも望んでたようなあじさいスポット。近所だったら有料になりそうなくらいの数と密度で、花の種類も多くいろいろ咲いていた。

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斜面にも咲いてて、カナブンも花の中で戯れていた。
この斜面は城の土塁なのかな(そうらしい)ぐるっと回って折り返すと斜面(土塁)の上にも道があってアジサイに包まれながら歩けた。なんかもう国史跡の城跡のあじさい園なんて至れり尽くせりである。

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ひとまわりして満足してまた神社の裏に戻った。したら、本殿の北側にはちゃんと案内が立ってた。今あるこの本殿は天正5年(1577)に下妻城主の多賀谷氏が再建したものだそうだ。え?え?そんな昔の建物なの?って驚くくらい普通な感じに見えてて写真も撮ってなかった。。

他には大正天皇即位記念樹「大王松」とかあり、拝殿に戻るとあじさい園を案内したジオラマがあった。。右回りで進めばよかったのね。。
「平成狛犬」という御利益を得たい箇所を撫でる狛犬があった。目を撫でた(すぐ疲れるので)

他にも境内にはありすぎるくらいいろいろあって濃い神社だった。
まず「蝉鐘楼」。え?神社なのに鐘なの?と思ったけど、その前に瓦や彫刻で幾つものセミがいて珍しかった。蝉は火災難徐の守りだそうだ。で、鐘は嘉慶元年(1456)に鋳造されたもので、天正元年(1574)に多賀谷氏が猿島に出陣した際に戦利品としてぶんどって奉納したんだそうだ。っていうか県指定有形文化財だけど「自由に搗いてください」だそうで、まじか!とひと突き、ゴーーンといい音した。

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更に多様多種の御神木、まず「お乳銀杏」木の乳に触れると母乳の出が良くなるそうで、触れませんでした。
「奥州紅」は奥州征伐へ向かう源氏の必勝祈願の故事に因んだ木だとか。
「なんじゃもんじゃの木」は10mのヒトツバタゴ。ここらへんは趣味的な感じがする。
最後に歌手の相川七瀬がデビュー25周年記念に植樹した榊とかあった。ん?相川七瀬ってここら辺の出身?

と、まぁ、「?」も多かったけど、とにかく情報量の多い神社で、曇り空の午後遅くながら思いがけず楽しく歩き回れた。

タグ:観:宮 観:城 観:石 観:像 観:蛙 観:具 観:飾 観:鉄 楽:触 楽:音 動:魚 動:虫 植:樹 植:花

土浦城跡

ファイル 3306-1.jpg土浦市中央の125号沿いにある城跡公園。

ここはこの点景のコーナーを作ったばかりの12年前にきたことがあって、駐車場込みの「土浦市立博物館」の入館料がえらく安くて(105円)休憩がてら何度来てもいいなぁ、、とか思いつつ、その後来てなくて久々の立ち寄り。
なので博物館なんかはあまり覚えてなくて新鮮な感じ。こんな城みたいな建物だったっけ。

中は土浦市の事がメインで城の事はそんなに濃くは解説してなかったけど、やっぱ城のジオラマ模型は良くて、じっくり眺めた。
こんなに堀は丸かったかなぁ、、ほんと亀城というだけあって亀のような感じ。

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他にも江戸時代の水戸街道に面した薬種業店舗住宅の「色川家屋敷模型」や江戸後期の農村名主の「富岡家住宅模型」、明治期の「土浦小学校模型」とかもあって満足。
歴史の所では周りに基地が多い軍都のわりには基地や戦時中の事がスルーな感じしたけど、そこらへんは別の資料館があるからここではあえて、、ってトコかな。

さて
そして博物館を出て土浦城跡の亀城公園を歩く。
博物館からは橋で水堀を渡るとすぐに本丸。往時はこちらに入口などはなかったようだ。
そして往時の本丸には書院造で400畳ある本丸館があり、明治維新の廃藩置県後も新治県の県庁舎として使われてたものの、明治17年に火災で焼失。何気に明治初期に御殿を焼失してる城って多いよね。

本丸入ってすぐ脇が西櫓。
戦後まで残ってたのに昭和24年の台風被害で破損。復元予定で解体したものの、再現されたのは平成に入ってからだそうだ(平成4年)。ここは公開されてなかった。

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公開されてるのは反対側の東櫓。
こちらは明治17年の本丸館の火災で破壊されて解体。平成10年に復元されたもの。
博物館との共通券で半券見せて入れた。いいね。

中に土浦城の資料展示があり、土浦市立博物館の別館としての城の解説を補完してた。
まず気になったのが「櫓門の大太鼓」江戸時代に櫓門上の太鼓櫓で城下に時刻を知らせ続けた太鼓。皮は平成22年(2010)に張替えたものの胴本体は明和7年(1770)に作られた現物。里謡にも歌われた城の象徴的な名物だったらしい。

そういえば江戸時代より前の城の事はふれてなかった。まぁそれ以前は小田城の支城としての小さな城でちゃんとしてはいなかったんだろうけど、攻防があったなら興味あるなぁ。
攻防といえば幕末も水戸に近い割に戦乱はなかったようだ。

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二階にも上がれて、東西南北各方向見下ろせた。まぁあ平城の二階だからプチ展望って程でもないけど、見えないよりはいい。

櫓を出て土塁の上を歩いて復元された土塀を見ながら櫓門に進んだ。
この櫓門が現存物。関東では本丸の櫓門が残っているのは唯一此処だけだという事だけど、内側からの見た目は太鼓櫓の下は細めの柱だけでちょっとハリボテっぽい感じがするのと、しっかりキレイに改修されてて復元された他の櫓との差を感じられなかったのが残念。

この櫓門の太鼓櫓でさっきの太鼓を打ってたそうだけど、ここってどこから入るんだろう?裏にも横にも入口がないんだよね。門の裏の下から梯子で登ってたのかな。

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門を出て堀を渡り、振り返って櫓門を眺めつつ二の丸の広場へ歩いた。
二ノ丸の端には川口門という屋根付きの高麗門があって、くぐって眺めた。
これは武家屋敷と町屋の間を仕切っていた門だそうで本来はもっと先の城の端にあったものだけど、江戸時代末期の現存物。本来はもっと大きいニ之門があった場所だそうな。出世したのね。

後は二ノ丸の公園内をフラリと歩いた。サッカーボールで遊ぶ青年とかいて市街の中心にしては広くてのんびりした公園のムード。
端の石のベンチの上にゴミのように乗ってたのがよく見るとカワイイ亀だった。ああ、亀城公園だからね。亀城ってなんか弱そうなかわいい名前だよね。

他に二ノ丸で気になったのは「亀城のシイ」という県指定天然記念物のスダジイ。
幹周7m、樹高16m、樹齢約500年の江戸時代の往時の城中を見てきた椎の木。スダジイって他では結構崩れた形の樹が多い印象だけど、これはキレイな形のいい樹で、葉も青々と元気だった。
ん?陸軍兵士の落書きが掘られてるんじゃなったっけ?他の城と記憶混ざったかな(それは佐倉城。。)

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あと、歩いてたらでっかな松ぼっくりが落ちてたので、見上げたらモノスゴイ松ぼっくりを蓄えた松があって、落ちて来そうだったw
菖蒲はいい色で咲いてて、前来た時より整備されてた印象。猿もまだいた。この猿小屋は前のままで、柵が細かくてよく見えないのが残念。猿はダラダラしてた。

という感じで博物館を含めて一時間弱の城散歩。軽くまわれて程良く楽しいドライブがてらに丁度いいくらいの城跡公園。やっぱいいわ。
そしてやや忘れてるくらい久しぶりで来たので新鮮に感じられてよかった。(後で振り返ってみたら同じ場所で同じアングルで撮った写真が多くて笑った。12年前でも自分は自分だなぁ、、そりゃそうか)


ちなみに前回の点景

タグ:観:城 観:櫓 観:門 観:園 観:具 観:庁 観:模 観:館 観:然 植:樹 植:花 動:獣

さん歩の駅サンSUNさぬま

ファイル 3239-1.jpg下妻市砂沼新田の県道沿いにある観光交流センター。

前に通った時に駐車場があったのを憶えていて、トイレ行きたかったから来てみた。
砂沼の南端の堤防前で下妻市街なので混んではいたけど、夕方だけに出る車も多く入れ替わりですんなり停められた。

建物前には屋台も出て並んでて、桜祭りとかそういうのかな?と思ったけどそういうわけではなかった。コロナで桜祭りとかやらないか。(翌週に桜祭りがあったらしい)

で、建物はよくわかってる感じの物産販売店になってて、最近の道の駅並みの豊富な品揃えっぽく洒落たレイアウトで興味深かったけど、いかんせんお腹空いてなかったので、パーッと見るだけだった。
っていうかトイレトイレ。

トイレは二階で、階段を上がると上はカフェになってた。っていうか、観光案内所とあった手前の部分までテーブルが並んで食い込んでて、フラフラしてたら「いらっしゃいませ」とか言われちゃって、気まずく感じて外に出ちゃった。。トイレはどこだったんだ。。

砂沼と桜を眺めつつ堤防を歩いてみて、「砂沼ランニングコース」という案内図を見て、堤防の東端にもトイレがあるのを確認して進んだ。

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桜はちょうどいいくらい満開で咲いていて、いい間隔で植えられていたので、沼を眺めつつ桜を見つつそして筑波山を見つつで気分良く歩けた。

「茨城百景」の案内板によると、砂沼は周囲6㎞の農業用溜池、江戸時代中期に干拓で水田になったけど水不足が続いたので再び溜池としてよみがえったそうだ。ってことは、元々は天然の沼だったって事かな?鬼怒川が氾濫して出来た沼地って感じだったのかなと想像。
最近のこうした沼や池はやたらとキラキラっぽいダジャレの効いた「〇〇〇っ湖」とか名称が付きがちだけど、ここは砂沼のままなのが好印象。それでいいんだよ。(一応「砂沼湖」とかいう中途半端な呼称もあるらしいけどw)

そしてその先でやっと目的のトイレに入れた。
そのトイレ前が一番桜が濃かったかな。いい感じで包まれて春爛漫。

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トイレから出れば丁度傾いた西日が沼の水面に映って眩しく輝いていた。桜の花越しに眺めていい感じ。

東岸はこの先ずっと桜が並んでいそうな感じで、少し歩いてみた。
この先は沼の中央くらいに「観桜苑」という砂沼広域公園の中心部があって、名前からして桜ももっと咲いてそうな感じだけど、そこまで行っちゃったら戻るの億劫になりそうなのですぐに折り返した。すぐに日も暮れそうだしね。今日は南端だけで充分。

ちなみにその「観桜苑」の方は以前何度か寄って歩いてたので、一度くらいは点景にしてるもんだと思ってた。けど、してなかった。。あれ?
日誌探してみたら、少し時季はずしてたけど八重桜がキレイな時に歩いてた。。以前は花がキレイなだけでは点景にしてなかったのか。

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2010.04.25

タグ:観:P 観:池 観:選 観:園 植:花 景:陽

手づくりサンドイッチ ムラタ

ファイル 3238-1.jpgかすみがうら市深谷の354号沿いにあるパン屋。

なんか前々から気にはなってて一度は寄ろうと思ってたものの、354号のこの区間は渋滞しがちな道だけに流れてれば止まりたくないし、詰まってても抜かされるの悔しくて列から抜けづらいんよね。いつも寄れずで、今回初めて思い切って寄れた。

っていうか、やっぱり手づくりサンドイッチって朝作るんだろうから午後遅いこんな時間にどれだけ残ってるもんか期待薄ではあるけど、なんかちょっと風変わりな面白いのが残っててくれたらなぁと思いつつ店に入ってみた。

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ら、思ったよりは残ってて少し迷うくらいいろいろあった。逆にとくべつ風変わりなものはなく、カツサンドとかにしようかと思った。
けど、そういえば最近あんまし見掛けなくなったコンビーフとかあってちょっと久々に見た気がして一番気になったのでそれにして、後は無難に玉子とハムの二種ミックスを買ってみた。

ふと気づくと入口横にイートインスペースがあった。椅子は無かったけど、んー食べてっちゃおうかなーと思いつつ、やっぱ車に戻って出発。
進みながら食べた。っていうか、どうせトロトロなのでゆっくり味わって食べれた。

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したっけ、
このコンビーフがめっぽうウマかった!久々でコレコレという喜びも大きかったけど、バターを織り交ぜたようないい味で牛らしさ満天。ちゃんと調理された料理だった。
そしてパンは最近はやりのフカフカな感じかと思いきや逆で、しっとりモチモチでこれまたおいしい。いやはやマジでうまくて「うまっ うまっつ」と(煉獄さんの影響ではないが)声でるくらいだった。
これ、イートインで食べてたら、間違いなくもう一つ買い足してたね。

そしてハムのキュウリも瑞々しく、玉子もやっぱりいい味でどれもうまかった。

もう昼にウナギ食ったの忘れるくらいの感激。
これは次回もなるべく早めの時間にこの354号を通って是非寄ろうと思った。

タグ:餐:麭 楽:買

ふな彦

ファイル 3237-1.jpg稲敷市境島の51号沿いにある食堂。

51号の片側二車線だった道が車線が減る合流地点の前にある店で、まえに合流で渋滞してた時に見かけてて、渋滞で詰まるくらいなら、減る方の車線を進んでこの店で食事しちゃえばよかったなと思った。

今日は別に渋滞はしてなかったんだけど、手前で思い出してたので来てみた次第。
店は窓に「うな玉丼1000円」とか「うなぎまぶし1000円」とか張り出されててリーズナブルな店かと思い、それを気にとめてたわけだけど、いざ寄ってみると「明治創業江戸伝統の鰻」と垂幕にはあり、少々きちんとした感じの店。

ファイル 3237-2.jpg若干怯みつつ中に入ると、メインは佃煮の販売でそこに食い入るように飲食のテーブルが配置されてた。
他に客はいなかったので入口に近い席についてメニューを見た。
ら、けっこういい値段の鰻メニュー。
あれ?1000円とかのメニューは?と思ってよく見ると、それらはテイクアウト限定のメニューだった。。
まぁいいか。全メニュー国産鰻使用ということなので奮発しよう、、と思ったものの、やっぱり少しケチって「得々うな丼」という上鰻重と同じウナギの半身丼というのをたのんでみた。

注文してから素焼き、蒸し、三度のタレつけ焼き調理で時間かかるというのはメニューにあったのでゆっくり待った。

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さてその「得々うな丼」
なるほどウナギはフワッではなくプリっとしっかりしてておいしい喜びの味。タレはわりとあっさりでウナギの川魚感を楽しめた。

んーでもこれはやっぱりケチるべきではなく普通にうな丼かうな重にするべきだったね。。ご飯との配分を考えて思い切り食べられず、口惜しい食事。ウナギのおいしさも最後までじらしながら食べたので半身での喜びは半分以下に感じた。

ファイル 3237-4.jpgけど、うまいはうまいので満足の食事。
食べ終わった後は、ケチった分本業の佃煮でも買って帰ろうかなと販売部を見た。
「うなぎかぶと煮」というのが目についたのでそれを買ってみた。
これ、そのまま食べれるんだったら、先に買って丼のごはん半分はこれで食べればよかったのかも。。とか後から思った。

タグ:食:丼 餐:魚 楽:買

香月

ファイル 3217-1.jpg筑西市二木成にあるラーメン店。

ここは10年以上前に一度来て、おいしかった記憶があるんだけどその後一度も来てなかった店。
多分、もっと手前の八千代の香文の方が行きやすくてよく行っててそっちで満足してたからだと思う。(共に「香」と入るのは「一品香」という小山の店の系列だとか。小山は行列必至との情報なので行こうと思ったことない。ちなみに「ピンコ系」といいう言葉は知りません、アシカラズ)
なんかフト思い出して来てみた。

駐車場に面した持ち帰り餃子の窓口は混んでたけど、店の方はすいてて他に客いなかった。

ファイル 3217-2.jpgカウンター席についてメニューを見る。
ラーメンは味噌と醤油と塩とあって塩の方が先に載ってた。ここは迷わずに塩に決めつつ、よくみると「たま餃子」というトッピングがあったのでそれを付けてみた。(醤油だと「たま餃子ラーメン」みたいなメニューがあるのに塩は何故か無かった、、)

ってわけで「塩ラーメン+たま餃子3」
たま餃子が少々時間かかるようで、後からの客の醤油ラーメンよりずっと後に出た。

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うん、塩だ。きりっとしつつ優しい味。麺が意外と太めでモチモチだった。これはいい。
叉焼もプリッとしてていい弾力、こういう四角い切り方もいいね。
そしてそしてこの「たま餃子」ってやつがプニプニのモチ団子の餃子餡。これは他で食べた事ないわ。ラーメンに浮かんでるのが面白いし食べやすい。
と、それぞれの食感が面白くおいしくいラーメン。へーこんなだったんだ。と今更ながら高評価。

ドライブで帰りの道で下館を通る事なんか頻繁に有るので、是非また来ようと思った。

タグ:餐:ら 餐:餃

食事処 京平

ファイル 3215-1.jpg結城市武井の県道沿いにある寿司食堂。

500円ランチの看板目印で何度も寄ってるお気に入りの店。
今日はまだそのランチの時間内だったのでこの店で食べる気満々で来てみたら、看板が出てなくて通過。。
あれ?サービスランチやめちゃったのかな?とか思ったけど、いやそうじゃなくて風が強いから看板を出していあないだけかも!と思い戻って来て店に入ったら、思った通りだった。

店に入ってすぐの所にサービスランチのメニューのボードがちゃんとあった。

ファイル 3215-2.jpgで、実は「500円ランチ」ということで来ておきながら今まで一度もその500円のメニューは食べた事が無くて、たまにはそっちを食べようかなと思ってた。 んだけど、、前は何種類もあった500円メニューが今は「カレーライスセット」と「もつ煮定食」の二種だけになってた。。(やっぱりそれ以外のチラシ寿司やヅケ丼などの寿司メニューの方が500円以上ではあるけど破格でうまいからみんなそっちたのむんだろうなと思えた)
まぁこだわるつもりもなくパーッと見て、いくつも並んだランチメニューの下の方、カキとエビフライ定食の下の一番下に白身魚の胡麻ダレ~とあったのが目に留まってそれにしてみた。

でさぁ、なんとなく「白身魚」とあると「フライ」と思っちゃうじゃん。てっきり胡麻ダレで食べる白身魚フライだと思ってたんよ。
でも出てきたのがヅケ丼だったんで少々驚き、アレ?間違えられたかな?とか思ったけど胡麻ダレもちゃんとあるので、メニューボードをもう一度良く見てみたら「白身魚の胡麻ダレづけ丼卵黄かけ」とちゃんと書かれてた。。ちゃんと読めよw
いやいや寧ろこれならこれのほうが大喜び、っていうか白身魚といいつつ鯛にしか見えないんですけど。。いや鯛なら鯛って書くよなぁ。。似た感じの近海魚かなぁ。。(タチウオ天丼というのもあったからタチウオ?いや絶対違う)と嬉しいやら怪しいやらで期待しながら食べてみた。

ファイル 3215-3.jpg

んーうまい。卵黄と胡麻ダレでいい味たっぷり。
これは鯛っぽい刺身のづけもしっかり高級魚のようなまろやかさで、しっかり美味しく食べられた。これで770円はやっぱり得杉。

そして飲物まで選べて食後にコーヒーもらってゆっくりした。
(テレビで栃木県北部大雪警報とか出ててちょっと焦った)

会計の時に白身魚は何ていう魚かと聞いたら「鯛です」とな。
え、鯛なら鯛と書けばいいのに「その時によって変わる事もあるから白身魚と書いてるんですよ」だそうだ。っていうか鯛のづけ丼770円てだいじょうぶですか。港の近くでも倍しますよw
んー嬉しかったけど、鯛も判らない客かと思われたかと恥ずかしかったw
 
 
ちなみに前回の点景

タグ:食:丼 餐:魚

波崎シーサイドパーク

ファイル 3213-1.jpg神栖市波崎豊ヶ浜の太平洋に面した海岸前にある小公園。
公園ていうか、展望台のある休憩用の駐車場といったトコかな。

何度か来てると思ってたけど点景にはしてなかったんだっけ。。(日誌を調べてもCR-Xの頃以来来てなかった、、あれ?そうだっけ?)手前に「進入禁止 迂回せよ この先私有地あり通り抜け不可」というの出てるからこの道通っても寄らなかったのかな?(この道自体CR-Xの頃以来来てなかったらしい、、あれ?そうだっけ?)

この公園は私有地ではないので問題無く堂々と駐車。
トイレも何もなく渦巻のようなオブジェと細い鉄柵の展望台があるだけなので純粋に海を眺めるだけの休憩。自分の車を見ながら展望台を上った。

ファイル 3213-2.jpg

ながーくつづく砂浜の海岸線。
過疎な印象でパッとはしないけど、海を眺める分にはイイ。九十九里より砂浜が狭いから海が近いのだ。

南は銚子港の方向。ズームで見たら銚子ポートタワーが見えた。犬吠埼灯台は、、丘の裏かな?見当たらなかった。
海の上を飛ぶカモメも多く、ズームで追えた。

ファイル 3213-3.jpg

北は鹿島港の方向。いくつもの風力発電用風車が重なるように立ち並び、臨海工業地帯の煙突もよく見えた。

そんなに高く登る展望台ではないけど、眺めいい分風も強く体冷えてしまってあまり長くは眺めてられなかった。

ファイル 3213-4.jpg2009/12/06に来た時の写真を見ると、この駐車場内にも南北に二基ほど風車が立ってて、それと目前の一基の計三基の風車が十二年の間に無くなってたようだ。
目前で見上げられた方が公園としては面白かっただろうけどなぁ。
  
っていうか、友達のくにさんと来てたこの時以降来てなかったのかなぁ、、

もっと前の写真を探ると2008/03/30にも来てた。

タグ:楽:眺 景:海 景:浜 観:装 観:楼 観:工 観:P