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大生郷天満宮

ファイル 1336-1.jpg常総市大生郷町にある神社。
ちょっと辺鄙な場所のわりに大きそうな神社で前から気になってたので寄ってみた。

こんもりした丸い島みたいな森の上にある神社で、裏側に大きな駐車場があり、停めて正面にぐるっと歩いた。

説明を読むと延長7年(929)に菅原道真(天神様)の三男景行が道真の遺骨を祭祀として創建。日本三天神の一つだそうだ。
(帰って調べたら、東日本では一番古い天満宮ではあるけど、三天神の福岡の大宰府、京都の北野、に続く三つ目はいろんなところで名乗り上げてて定まってないそうだ。。  よくあるよね)

そしてその創建の頃のこの場所は「飯沼」という広く長い沼が広がってて、この高台はホントに思った通りの島だったそうだ。

ファイル 1336-2.jpgとはいえ、参道の石段は思ったほど高くなく、これで島だとするとえらく浅い沼だったんだな、、とか思った。
そんな石段を一気に登って参拝。

境内にはまず牛の石像が参道に尻向けて座ってた。新しいもののようでツルツルだったけど、ちょっと珍しい配置だと思った。(拝殿前に横向いて置かれてるのはよく見かける)

境内はそんなに広くなく三天神を名乗るにはいまひとつな感じの普通の神社くらいの規模。ちょっと期待した眺望も木々が邪魔して開けてなかった。
牛の他には「親鸞上人礼拝の杉」という古木の焼け跡(明治に折れて大正に焼けたそうだ)、さざれ石、とかもあった。

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裏の本殿はとくに隠れることなく質素に続いて見えた。
ごてごてしてなくて感じのよい神社だった。

ファイル 1336-4.jpgその裏のコンクリの下り道から境内を出たんだけど、この坂みちの始まりのトコに「奉納 街商組合」とあったのがちょっと面白かった。
こういう部分で奉納って珍しい。文字を踏んで坂を下った。(御神忌千百年大祭記念事業の一環で作られた新しいものらしい)
でもこの坂道は雨上がりの濡れた状態だと、歩くには滑って怖かった。。

そして神社の高台から降りるとその裏には御神忌千百年大祭記念事業で作られたという池のある公園と、その背の高台に「道真公御廟所」というのがあった。

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お墓みたいだなとか思ったけど、お墓なんだよね。骨もあるそうだし。
散り残った桜が舞ってて春な感じだった。

さて、同じように日本三天神に名乗り上げている山口県の「防府天満宮」は以前に行った事あるけど(→)、全然大きくて立派で有力候補(というより、、)
この防府も大宰府も北野もみんな市街地で開けてる要所で観光的にも栄える場所にあるんだよね。そりゃ大きくなるわ。
逆に辺鄙で何もないところにある天満宮ではこの「大生郷天満宮」が日本一じゃないだろうか。

タグ:観:宮 観:像 観:石

香文

ファイル 1335-1.jpg八千代町佐野の広域農道「グリーンライン」沿いにあるお気に入りのラーメン店。
この冬にも来てるから今年二度目かな。
茨城県内には他にも好きな店が何軒かあるけど、定期的に何度も食べに来てるのはここと結城の「カーター」くらい。ドライブでよく通る方向で車が停めやすく時間も合いやすい場所においしい店があるというのは嬉しい事だね。

もちろんこの点景記事にもしてたんだけど、振り返ると5年前(点景開始時期)以来なので、またたまには載せようかなと。

で、今回はリッチにチャーシュー麺。
(、、、と思ったら割と毎回チャーシュー麺を食べてた)

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野菜がじっくり煮込まれたような優しいまろやかな汁に、太めのぷりぷり麺。チャーシューはローストポーク風の柔らかく食べ応えある肉で満足。
いつもと変らぬおいしい味、、、と思いきや、
あれ?ラー油が垂らしてある?
前からそうだったっけ?
チャーシュー麺だから?(いや、それは毎回食べてる)
辛いもの苦手なのでちょっと敏感になりすぎたかな? 勿論全体が辛くなるような量ではなく部分的にアクセントって感じではあるけど、ちょっと邪魔な感じがしたので先にそこを漉くって飲んでからじっくり食べた。(メンマの味付けのラー油がかかりすぎてたのかも)

うんやっぱおいしい。汁飲み干して満足の昼食。
また五年後にこうして書けたらいいな。

タグ:餐:ら

とん平食堂

ファイル 1334-1.jpg牛久市東大和田町の6号沿いにあるもつ煮の食堂。
今日行った近所の馴染みの理髪店でモツ料理のおいしいラーメン屋と聞いて散歩がてら来てみた。

この店のある場所は国道沿いに膨らんだ駐車帯のような区間に飲食店が並んだところで、確か自分が運転初心者くらいの昔はラーメン屋も三店舗くらいあって吉野家もあり、毎晩ドライブしてた若い頃にはよくラーメンを食べに来てた

自分の記憶では、今でも唯一残ってる「ラーメン山岡屋」が山岡屋になる前の「ラーメンショップ」だった頃に好きで何度も来てたんだけど、ラーショが山岡屋になったらちょっとイマイチな味になってパッタリ来なくなってた。。。
と、思ってたけど、調べてみたらこの山岡屋は1988年に開店してたそうだから、ラーショから変わったというのは完全な記憶違いで、よく考えてみたら山岡屋の隣に並んでラーショがあったんだった!(理髪店でウソ話しちゃった、、、ごめんなさい)
で、たしかそのラーショも一回改装したあと味が落ちてガッカリしてこなくなって(その後は柏の6号沿い東京豚骨ラーメンの店にハマったりして)、気がついたらいつの間にか潰れてて山岡屋だけが残ったんだっけ。

最近では龍ヶ崎の県道ばかり通っててこの区間の6号は殆んど通らなくなったから場所の記憶もあやふやで、ナビ地図見ながら裏から来たけど、場所間違えてたりしちゃって行ったり来たり廻ってやっと辿りつけた。。
昔みたいに素直に6号真っ直ぐ来ればよかったんだけどね。

さてさて、話には松戸市内のラーメン屋「貴生」(実は行った事無い)の系列店だか暖簾分けだかと聞いていたけど、来てみたらしっかり「もつ煮」をメインに掲げたお店。
おススメはラーメンよりモツ炒めとかいう話だったのでラーメンはたのまずに「タン・ハツ炒め」を定食で、追加でもつ煮の(小)でたのんだ。

長いカウンターの席で待つと、まずはタン・ハツ炒めから出てきた。

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おお、ハツもタンもいい歯ごたえ。
たっぷり絡めた味噌とネギの味もバッチり、、、、、、

あ、

辛い、、、orz

辛くないって話だったけど、ちょっと僕には強い辛さ。
それでも食べられない事はないので、多分一般的には全然辛くない類なんでしょうね、、ごめんなさい、僕にはこんなでもう危険領域です。

なんとか御飯と合わせて食べてたらもつ煮(小)も出てきた。

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あー赤いですね。

あー辛いですね、、、、!あ、でも、モツはトロトロぷにゅぷにゅの絶品の柔らかさ!
これは、、悔しい (。♋ฺ‸♋ฺ。 )

多分一般的には全然辛くないくらいなんだろう、自分的にもこれはうまいというのが解るレベル。
それだけに辛さに弱いのが情けなくて残念すぎる。

それでも最後まで何とか味わえて食べられた。
多分この店はおいしいと思う。
もっと自分がマトモなら、何度でも来たくなるに違いない。
あーくやしいなぁ。

以前はモツ煮大好きの酒飲みだった僕だけど、ドライブ中に食べた群馬県の某定食屋の「日本一のモツ煮」が辛くて地獄でショックを受けて、それ以来は及び腰。。
すっかり世間一般のうまいとされるモツ煮は辛いのがデフォみたいな風潮が広まってると危機感がつのり、居酒屋でも必ず「モツ煮は辛いですか?」と聞いてからたのむようになってしまい、自分の中での居酒屋の魅力も半減。飲みに行く機会も減って、すっかり酒を飲まなくなってしまった。
今日もモツのうまい店という話が出たときに「そこは辛くないですか?」と聞いて安心して来てみたんだけど、、自分のレベルが低すぎた。。

仕方ないよな。。
ちょこっとピリ辛の要素ってつもりなんだろうからね。

自分がちょこっとドライブとか言って栃木県北部くらいまで廻ってきて「それはぜんぜんちょこっとじゃないですよ!」って言われるのと同じようなもんなんだろうね。
半日ドライブがピリ辛なら
 三連休ドライブが辛口。
あー五連休から七連休くらいの激辛を味わいたいなぁーーって感じかな。わかるわ。
なるほどピリ辛要素を除いたら、近所を廻るだけになっちゃうな。(さしずめ手賀沼くらいか)
辛いのは辛いので結構。
得意な人はたっぷり味わって楽しんでください。

タグ:食:定 餐:肉 餐:煮 餐x辛x 楽:懐 観:P

道の駅 日立おさかなセンター

ファイル 1330-1.jpg日立市みなと町の254号沿いにある道の駅。
ごく最近テレビで何度か見かけて、「あれ?日立に道の駅なんてあったか?」と調べたら、去年の9月に道の駅になった施設だそうな。(去年買った道の駅のロードマップにも載ってなかった)
テレビでやるくらいだから混んでるかなーと思いつつ寄ってみたら、2時半前という半端な時間のおかげか車はスンナリ手前に停められた。ナイス。

さて、駅内は表に列んだ幾つかの店とメインの建物の市場があった。
表の店の行列になってるラーメン屋とか地元漁師の地魚定食の店とか気になったけど、とりあえずメインの海鮮市場へ歩いた。
「みなと町横丁商店街」とあるその市場は入ってすぐのトコにテレビで見た「味勝手丼」と「浜焼きコーナー」の食事コーナーになっていた。

ファイル 1330-2.jpg「味勝手丼」は小分けした食材を好みで選ぶ海鮮丼。陸奥湊とかにあるような感じの簡易版ね。
「浜焼きコーナー」は市場で買った魚を焼いて食べれる炉端焼きコーナー。これは釧路にあったやつな感じね。
テレビで見たのは市場で魚を買って捌いてもらって食べてたので、とりあえず一回り見てから、、、
と、思ったけどもう腹減ってたからすぐの「味勝手丼」コーナーで食べちゃうことにした。

半端な時間だからか食材はそんなに多くはなかったけど、おかげであまり迷わずに数品選んでみた。
赤エビ、サーモン、キンメ、、久慈産の地物がツブ貝かシラスしかなかったのでこれはちょっと考えつつツブにした。
これ、食材一つ\150~200なので高い気もしたけど、まとめると千円以内だったのでまあそんなもんかな。

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ファイル 1330-4.jpgうん。海老も魚も甘くとろけておいしーい。
ツブ貝はまあまあだった。(シラスの方がよかったかも)
それと席にあった醤油が薄味でおいしかった。
茨城県内の「黒澤醤油」という会社の醤油らしい。へー。

青森や釧路のような旅先の深い雰囲気の場所に比べれば、レトロ風に洒落て作ったばかりな軽い感じもするけど、近県でこういうのを楽しめるというのはありがたい。(建て替えてる銚子漁港もこういうふうになってくれないかな、、)

食後に市場の方も見てまわった。
テレビで出てたサヨリはもう並んでなかったけど、イワシが大きく青々してておいしそうだった。
あーこのイワシを刺身にしてもらってイワシ丼にすればよかったなぁ、、、とか思った。
ま、また次来たらそうしよう。今日は今日で満足の昼食。

タグ:観:市 食:丼 餐:魚 道の駅

道の駅 ごか

ファイル 1329-1.jpg五霞町幸主の4号バイパス沿いにある道の駅。
まあまあよくくる道の駅だけど、最近は通過ばかりだったかな。
昨日妹と話しててこの「五霞」の話が出てたのでちょっと半分冗談で寄って写メを送ってみた。

さてさて、ここは食堂のメニューが「ナマズ天丼」とか「ローズポーク」とかそそる物が多いのでここで食事してっちゃいたいトコだけど、昼が遅めだったのでそんなに腹減っておらず、軽食でイイかって感じだった。

で、軽食スナックコーナーにもいろいろ面白そうなものがあり、五霞町イメージキャラクターの「ごかりんまんじゅう」なんて可愛らしいものも目を引いたけど、ちょっと恥ずかしくて食べる気にはならず、それよかチャレンジメニューっぽい「なっとう味噌まんじゅう」の方にしてみた。

ファイル 1329-2.jpgけど、この「なっとう味噌まんじゅう」は残念ながら売り切れだそうで、仕方なく無難に「ローズポークの串カツ」にした。

んー。これもふつー。
今日はなんかふつー続きだなぁ。おいしい豚肉なら串カツより串焼きで食べたいね。

そして、どうせ腹の調子を考えて食べはしないだろうけど、一応ソフトやアイスのコーナーもどんな物があるのか見ておこう、、なんて覗いてみた。
ら、
さっき逃した「なっとう味噌」がジェラードであった。んーこれは悩む。腹もう大丈夫かなぁ。。
で、結局購入。「なっとう味噌ジェラ」はコーンではなくカップのみの販売だった。
「お好みで振りかけて下さい」ときな粉の包みも添えられた。

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これはこれは。味噌味?のアイスに粒の納豆が入ってて奇妙な味わい。あ、もちろん糸は引かなかった。
んー納豆は納豆で面白いし味噌も味噌でいい味だけど、なんか変。これはジェラードとしてはどうだろうか。マッチしてるようなしてないような。

ファイル 1329-4.jpg少し食べたトコで、きな粉をかけてみた。
今度は甘いきな粉が混ざったことでまた一段と訳の分からない奇妙な味わい。
そういえば、納豆も味噌もきな粉もみんな大豆だよね。同じ大豆から出来たものが三者三様の個性をぶつけて奇妙な味わいの面白いジェラード。

途中まではなんかよく分からなかったけど、最後まで食べたらおいしかった。
うんこれは悪くないぞ。

なんとなく気に入ったので、本体の「なめてみそ 納豆みそ」という瓶詰めの味噌を買ってみようかなーと思った。けど、少々高めの値段に怯んでヤメた。

タグ:食:串 餐:揚 餐:冷 道の駅

中華そば 華丸

ファイル 1327-1.jpg小美玉市羽鳥の宅地内にあるラーメン店。
華丸は「かわん」と読むそうです。

確か以前に筑波軍鶏(しゃも)で作ったラーメンというのをネットで見かけて興味持ってきて来てみたけど、駐車場満車に行列を見て退散。
今日も混んでたらやめようと思ってたけど、無事停められてすんなり席に着けた。

パッと見ラーメン屋には見えない小さな店舗で、中に入ってもアメリカンオールデイズ風な洒落た雰囲気のカウンターメインの店。

ラーメンのメニューは中華そばとワンタン中華のみ。
僕はワンタン好きなので「ワンタン中華」にしてみた。

料理を待っている内に続々とお客が来て席待ちの列になっていた。来るタイミングが良かったみたいだ。ナイスナイス。

そして「ワンタン中華」登場。
あ、ちょっと苦手な鶏ガラこってりにストレ-ト麺。これはどうだろう、、

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、、なんて見た目で身構えてたけどアニハカランヤ。
苦手なエグさはまるでない実においしい汁と、プリュっとした意外な食感の面白い麺でこれは!んまかった!
そして添えた二種の肉、白い鶏(しゃも?)は柔らかくスッキリ絶品で、赤い豚もロースト半生でこれまた絶品。
緑の青梗菜までシャキっと清々しくてケチの付けようがない。
そして「熱いから気を付けてください」といわれてたワンタンを最後に食べてみると、これまた独得なプリュっとした意外な食感の面白い皮で可愛らしく雲を呑む感覚で、中の具にも味がしっかりついててこれまた!んまかった!

これはすごいね。
僕は鶏ガラのラーメンて従来のさっぱり中華や白湯汁は大好きで、広島風こってりも博多鳥炊き風も大好きなんだけど、京都風なドロリこってりだけは苦手。最近は特に人気店にその京都風なこってりの店が多くてハズす事も多くて難しい。。
ここの鶏はやや京都風な感じだけど別格で格別で実においしく、やっぱり来てみて良かったと大満足の昼食になった。
合う合わないは食べてみないと解らないね。

そして、しばらく調子悪かった腹が落ち着いてやっと美味しい物食べたくなったトコでの最初の御馳走。
ホント、腹が良くないとラーメンなんか食べる気力も出ないからね。ラーメン食べれる体調ってありがたいよ。

タグ:餐:ら

下野茶屋

ファイル 1317-1.jpg栃木市藤岡町藤岡の県道沿いにある蕎麦屋。

前に出てる「大根そば」の幟で気になっていた店だけど、昼近くに前の道を通るとたいてい駐車場一杯な感じで通過しがちだし、蕎麦を食べたいときは手前の道の駅の蕎麦もおいしいのでそっちで食事したりしてなかなか寄れなかった。

ファイル 1317-2.jpg店に入ると石臼の製粉機があってその奥に蕎麦打ち台もあった。おお、手打ちムード満点。
期待いっぱいで席について迷わずに「大根そば」を大盛りでたのんでみた。

「大根そば」というのは佐野の御当地そば。
っていうか佐野ってそれ以外にも「佐野ラーメン」や「いもフライ」の他に「耳うどん」なんてのもあって名物ありすぎ。
なので佐野ではラーメンを、蕎麦は近隣の別のトコで食べたいと思うので、佐野に向かう手前にあるこの店が丁度イイ感じ。
前に一度食べたのは板倉町だったかな。。ここから近いけど群馬県。(「大根そば」は館林あたりでも名物らしい。。館林はうどんじゃないのか?)

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で、「大根そば」大盛り。
細切りの大根が蕎麦に絡んだもので、この大根は辛くなくしゃきっとしつつ柔らかく瑞々しい食感。
蕎麦は期待通りの風味ある手打ちの二八。
うん、これはうまい。

やや立体的に盛られてたけどあっという間にツルツルぺろり。大盛りにしといてよかったー。
漬汁も蕎麦湯も多めに入っててゆったり余韻にひたれた。
やっぱ蕎麦はイイやねー。

タグ:餐:麺 餐:菜

レストラン オサダ

ファイル 1316-1.jpg常陸大宮市工業団地の「くりえーとセンター大宮」にある食堂。
前に来たことある店で、「光圀ラーメン」が美味しかったし、他のメニューも気になってて是非また来よう!、、と思ってたんだけどかなり久々(四年半振り)になってしまった。

店の前の道は広域農道「ビーフライン」でよく通る道だけど、ここしばらくは暗くなってからの帰り道が多かった気がする。

ファイル 1316-2.jpgパッと見は施設内の大人しいレストランだけど、店の前には定食やラーメンの幟が並び、看板には「元祖アイディアラーメン」なる文字が目につく。
店の入口にも日替わり定食や光圀ラーメンなどの張り紙があってメニューが多くて迷いそう。

だけど食べるのはほぼ決まっててやっぱり「光圀ラーメン」
これは二種あって、「光圀納豆ラーメン」は前回食べたので今回は「光圀梅月見ラーメン」

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これは割と普通な感じのあっさりしたラーメンの味わいながら、梅と卵と葱のアクセントが妙にマッチしてて面白く美味しかった。
梅の入ったラーメンというと同じ茨城の「がんご屋かるがん」のしぐれらーめんを思いだすけど、梅と大根おろしでコッテリラーメンを逆転させて押さえ込んだ其れとは違い、梅と葱の風味を卵に絡めてあっさりラーメンを面白くした形。
そして光圀レシピの蓮根入り麺もつるつるとおいしかった。

「光圀納豆ラーメン」の方はどうだったっけ?随分前で忘れちゃった、、(→) またこよ

タグ:餐:ら 餐:菜 餐:卵

観濤所

ファイル 1315-1.jpgひたちなか市平磯にある市指定名勝地。
名前からして眺めいい場所っぽかったので来てみた。

急坂途中の駐車場から木々のトンネルのような登り口があった。
どのくらい登るんだろう?とか思いながら進むと、そんなではなくすぐに林を抜けて石碑と案内板と東屋のある展望広場に出た。

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ここが「観濤所」
水戸藩藩主徳川斉昭が訪れて藩内随一の波浪の見所と賞賛して命名し、自筆の石碑をたてたそうだ。
おお、またはからずも斉昭スポット。

石碑を見ると篆文書体で観濤所?薄くて達筆でよくわからないけどかっこよかった。

そして正面にはその藩内随一の波浪の眺望。。
周りの木々でそんなに開けてはおらず、んー海しか見えない。
確かに波を見るのにはいいかもだけど、折り重なった波の流線を眺めてあな美しやと感ずるほどの優雅な感性は持ってなくて残念。

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広場の芝生はあちこちボコボコでモグラだらけみたい。それはそれでのんびりした感じもする。
その芝生を先の柵まで進んで眺めてみてやっと少し足元の海岸の岩が覗けた。
やっぱ波は飛沫が上がる方が好きだな。

んー昔はもっと樹のない丘だったのかな?これくらいなら他にも眺められそうな場所ありそうな気がするけど、、
っていうか、だったら下の海岸沿いで眺めてた方が気分よさそうだよな。。なんて思って車に戻ってちょっと移動。

ファイル 1315-4.jpgすぐ下の海岸の道路脇駐車帯に来てみた。

ここは以前から何度か立ち寄ってる場所。
デルよりCR-Xの頃の方がよく寄ってて海をバックに写真撮ってたかな。

ここには「清浄石」という石柱が立っていた。
清浄石は徳川義公(光圀)の命名だそうで、正面の海岸のギザギザの列に並んだ白亜紀の地層の岩のどれかが「清浄石」らしいけど、どれか判らない。。

ひょっとしたら斉昭は黄門様(光圀)より遠くを見渡したいとか思ってすぐ上の丘を「観濤所」なんて命名したのかな?なんて想像してみた。

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そして以前はなかったと思う「平磯海岸ジオサイト」の案内板が立っていた。ここ最近ジオサイトの案内増えたねぇ。
地質とか鉱物とかってよくわからないけど、波が風にあたって白い飛沫を上げて押し寄せてる姿が面白かったし、海岸のギザギザの岩を波が通るときに順番にブッブッブッブと弾かれてて面白かった。

タグ:楽:眺 景:海 景:磯 観:地 観:石 観:P

那珂湊反射炉跡

ファイル 1314-1.jpgひたちなか市栄町にある幕末の史跡。

以前、友達と那珂湊に魚料理食べに来たときに、その友達が調べてくれてて寄ってみた事ある場所。
最近、天狗党とか幕末の水戸藩とか興味もって調べたりしてて、そういう関連の史跡とかないかな、、と思ってフラフラしてたんだけど、よく分からずに結局来たことあって場所を覚えていたココに寄ってみた。

まず、駐車場の前にあるのがこの「山上門」
これは江戸の水戸藩小石川邸にあった江戸時代後期の門を移築した物。
藩邸屋敷の門が反射炉の前にあるのもちぐはぐな気がする。(むしろこの丘の東側の水戸藩別荘邸「い賓閣跡」の方に移築した方が良かったのでは?と思う)
とくに感慨もなくくぐって軽く段を上ると反射炉が見えた。

ファイル 1314-2.jpgこれはやっぱり何度見ても立派な煙突。
幕末の黒船到来後に海防の砲台を築く為に、藩主徳川斉昭が建てた大砲鋳造用金属溶鉱炉だそうだ。

安政二年に1号炉が出来、四年に2号炉も出来て完成。
けど二年には安政大地震で藤田東湖が死に、六年には安政の大獄で斉昭が蟄居し翌年急逝と嵐のような激変の時世。
五年後の元治元年には水戸藩内紛の「元治甲子の乱」で戦場となり破壊されてしまう。

ので、此処にあるのは昭和十二年に原型通りに復元された模型だそうだ。
昭和十二年といえば日中戦争に突入した暗い時期、戦時下でよくこんな(役に立たない)立派なものを再現して造ったもんだと関心する。

前には大砲が置かれ、四方にある小穴からは中の煉瓦も覗けた。

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「元治甲子の乱」の時、改革派の天狗党は那珂川を挟んで大洗側に陣を張り、この丘(水戸藩別荘邸「い賓閣」までの一帯)には保守派の諸生党と援軍の幕府軍が陣を張っていたそうだ。
で、ここでの戦闘は天狗党の勝利に終わるわけだけど、この反射炉を破壊したのは天狗党の砲撃なのか、諸生党が逃げるときに破壊して去ったのかということはどこにも書かれで無くてわからなかった。
けど、攘夷を掲げる天狗党は破壊したりしないと思うんだよね。(諸生党は「い賓閣」から那珂湊の町まで火を放って逃げたそうだ)

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反射炉の少し下には「レンガ焼成窯」というのがあった。
これは反射炉の高熱に耐える特別なレンガを焼くための窯で、これも模型復元。
場所はここにあったのかな?そういうことはかかれてなかった。

そして最後は反射炉前の広場で振り返った眺め。
那珂川がもっと近くに見えるかと思ってたけどそんなでもなかった。
見えるのは南西の筑波山方面で、大洗の丘の方は見えないからやっぱ砲撃じゃなくて逃げるときにわざわざ破壊したんだと思う。

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国の防備と行く末を考えながらも、血みどろの内紛と処刑と報復に終わった水戸藩の歴史。
そうではなくて本来なら諸藩に先んじて叡智を生かすべきだったという無念な思いを込めて、この反射炉を忠実に再現して残したのかな。

タグ:観:史 観:装 観:門 景:山 景:町