土浦市中央にある商店街。
125号に沿って土浦城に向かう手前に横目に見えて、古風な店が並んで気になっていた通り。
その入口にある天ぷら屋「保立食堂」は小学生くらいの昔に家族で筑波山へ行く途中の筑波鉄道乗り換えの間の散策で入った覚えがあるんだけど、駅からはわりと離れてるから記憶違いかなぁ。。
店先には古写真と説明で「創業は明治2年~戦時中は予科練の指定食堂~」だったそうだ。
次はこっちでも食事したいな。。
そしてこの前の駅前通りの125号は江戸時代の昔は城の堀と霞ヶ浦を繋ぐ川だったそうで、隅に「櫻橋」と橋の欄干っぽい石柱が残されていた。
って感じで、ちょっと商店街の入口だけ「れんこんラーメン」の記事のオマケに載せる形で商店街に入ってすぐの駐車場に戻ろう、、と思ってたんだけど、その先の通りにも古めかしい店や蔵が見えて「土浦まちかど蔵」とかあって観光向きっぽくなってたりしてたので、ちょっとそのまま少し歩いてみることにした。(ので別記事になりました)
まず一番手前の土浦まちかど蔵「大徳」は天明5年(1785)の創業の呉服の老舗。表の建物「見世蔵」は江戸末期の建物だそうだけど、裏には天保13年(1842)築の蔵もあるそうだ。
「御自由に~」とあったので入ってみたら、中は土産売場になっていた。
でも二階にも上がれるようになっていて、他に客もなかったので、レジのおばちゃんに少しゆっくりこの建物の話や二階の見所なんかを聞けた。
早速二階に上がってみると、何もなくきれいにガラーンとしたギャラリー的なスペースになってて、格子窓と枡形の天井の感じはいいけどそれだけだった。
ぐるっとまわったら階段の裏に奥屋敷への連絡口があった。
これは下で話聞いてなかったら気付かずに「何だこれだけか」と下りちゃうトコだったかもしれない。。
その先に進むと見世蔵に隣接した屋敷の二階に入れた。
スリッパを脱いで座敷にあがると、なるほどいろいろと装飾が施された立派で素敵なお座敷だった。
右の座敷は天井が畳に合わせた仕切になってて床の間に「ざくろの柱」があった。ざくろは珍しいねぇ。
そして左の座敷は「エンジュの柱」だった。
座敷の先の中庭側の廊下はなんと継ぎ目のない一本の長い木材を並べた廊下になっている。これはすごい。
そして覗く中庭の瓦風景もイイ感じ。続く向かいの蔵が天保建築の「元蔵」のようだ。(そこは公開されていなかった)
そして廊下の奥には小さな螺旋階段。細い手すりがまた洒落てるね。
実はこの階段の一部に「鯉の瀧上り」の彫刻が施されていると聞いていたんだけど、なかなか見つからずに少々立ち往生。上ってきたときの視点でと考えてみたら脇にあったのを見つけられた。
いやぁ天井も柱も廊下も階段も、間違いなく話を聞かなきゃ気付かなかっただろうね。楽しめて満足。
一階に下りて、今度は店の隣にある「袖蔵」に進む。
こちらは「袖蔵展示館」となっていて、一階には土浦の文化資料展示で花火や帆曵船、二階には大徳の資料で古道具や古写真などが飾られてて面白かった。
表に出て通りのその先にも歩いてみた。
ら、なんとすぐ先に広めで無料の「土浦まちかど蔵専用駐車場」があった。。こっちに停めればよかった。 まぁいいか。
気を取り直して町散歩。
大徳の隣は県指定文化財「矢口家住宅」だけど解体修復中。完成までは三年かかるそうだ。けど、ギザギザの柱がよく見えてこれはこれで面白い。
その先には明治6年創業の蕎麦店「吾妻庵」。ガラスを填めた店名の、、(なんていうのこういうの)が洒落ていた。
その辺りで折り返して戻り、大徳の向かいの「土浦まちかど蔵・野村」を覗いてみた。
ここは裏の煉瓦蔵が喫茶店になってるそうだけど、表は観光案内休憩所って感じで、案内のおじさんに沢山話を聞けた。(前記の矢口家住宅の改修の話とか)
この前の商店街の道は江戸時代には水戸街道だったそうで古くから商家の集まる通りだったらしい。
そして、随分最近まで古い家がもっと残っていたけど、東日本の震災で随分被害があって建て替えちゃった所が多いそうだ。えーそうなのか。そういえば土浦城に来たのって震災前だよな、、その時にこっちも歩いとけばよかった。。
話の途中で某テレ東の某番組のスタッフの人が来て飛行船の写真を借りて行った。近々土浦特集で放送があるのかな。
そのツェッペリン飛行船は昭和4年(1929)に霞ヶ浦航空隊基地に寄港。霞ヶ浦に来たのは大型の格納庫があったからだそうだ。
この案内所も一角が飛行船のコーナーになっててツェッペリン船の模型が吊られていた。
いやぁ土浦でこんなに楽しめると思ってなかったわ。しかも無料で(駐車場だけ有料に停めちゃったけど)。
へたすりゃ小江戸の佐倉なんかよりも面白いかも、、っていうか色々名物も歴史も城跡もあるけど地味な街だよね土浦。意外な穴場でオススメの街だと思った。