佐倉市宮小路町にある旧佐倉藩の武家屋敷が残る区域。
以前一度、佐倉城跡を歩いた後に来たことがあって、いづれまたゆっくり来ようと思っててすっかり忘れていた。
その時は「児玉源太郎旧宅跡」の立て札だけ見て満足して帰っただけだった。
まぁ、今日もたまたま入り込んだとはいえ、駐車場次第で通過が濃厚な気分で来てみた。 ら、しっかり無料の駐車場があり、すんなり止められたのでナイスだった。
さて、
まず駐車場からは少し歩いて戻り三軒目の屋敷で受付だそうだ。
その受付は「旧河原家住宅」にあり、門をくぐると工事中だった。
入館料の210円を払って貰った券は何回でも使用可能な招待券になっていて、いつ来てもこの名刺大の券があれば次回からは無料でみれるそうだ。へー。いいね。気軽にまた散歩に来れるね。
さて、その修繕工事中の「旧河原家住宅」は、縁側と周りだけは見れるので少し見てみると、その縁側に兜が置かれてて「Try it」と書かれてた。ので、かぶってみた。思ったより軽かった。
前の道に戻ると、となりの屋敷との間にある横道は「くらやみ坂」という日陰の急坂。ああ、この道は前回来たときに斜面の樹の根を見ながら歩いたわ!城の後に歩いてここまで来たんだっけ。。なんて思ったけど記憶違いだった。(日誌で振り返ると武家屋敷には車で来て、車から下りずにこの坂に折れて徐行して下ったようだった。屋根あけて徐行してたから歩いたように思ってたのか、、、)
くらやみ坂を横目に進んだ。通りの高めの盛土の上の生垣は馬上から覗かないようにという配慮だそうだ。そんな風景を見つつ、隣の屋敷「旧但馬家住宅」の門をくぐった。
大きな屋敷でL字型(ではなくT字だったらしい)に折れた形で、手前が土間の勝手口なのかな?折れた内側正面に玄関があった。
靴を脱いで上がってみると二十畳の広間には鎧兜が飾られていた。そういえば今日は桃の節句のひな祭りなのに勇ましい端午の節句を先取りしちゃったなw
奥の居間には座敷童のようなマスコットキャラ「カムロちゃん」のパネルが置かれてた。やっぱり雛って感じではなかったw
そして隣の三軒目「旧武居家住宅」
こちらは四角くまとまった形で手前から玄関だった。横の土間には釜戸があり、その奥は風呂かなぁ?広間をまわって奥には厠も覗けて一番生活感があった。
そして駐車場への横道をすぎると隣は「侍の杜」という無料の屋敷。でも建物は普通の古い家って感じで解放されてなかった(一応以前の武家屋敷と同じ造りの明治築の家だそうだ)
ここは庭の様子を見て回るとこらしく、案内板も多く当時の屋敷の庭の植物などが解説されていた。
興味を持ったのは順路の最後の方の「貝塚武男家 借家庭跡」という区画。
借家の庭跡と言われてもなぁ、、とか思ったけど解説を読むと、この貝塚武男氏はレイテ海戦時の空母瑞鶴の艦長で、沈む艦と共に戦死した人だった。
あとは見学できる武家屋敷はないのだけれど、実は今日寄った目的はその他で、通りを奥まで歩いた。
さっき車で来たときに「この先階段につき車両の通行は出来ません」という案内のある袋小路の奥の細い階段の歩道、これが「ひよどり坂」という坂道で、ここの竹林の雰囲気が良いというのをつい最近知って興味あった。
その「ひよどり坂」は下った先に何があるわけでもなく、前の通りから少し細道の間があって坂を覗けるわけでもなく、知らなければ進んで下ってみようとは思わない坂。
でも古地図ではちゃんと江戸時代の往時からあった坂道のようで、なんだろ?ひょっとしたら二の丸とばして裏から本丸城内に行ける近道だったのかも、、とか勝手な想像しながら進んでみた。
そしてら、うんこれはなかなかの竹林!竹は太く青く密度も濃くて濃い雰囲気。
高く伸びた上を見上げつつ林の奥に連なる竹を見つつゆっくり下った。
坂の途中にベンチがあって「侍」とか文字が作られてたのはちょっと余計かなって気もしたけど、少しは飾った部分を見ることで大事にされてるっ道って感じが伝わるので、まぁいいかな。
下まで下りきって林を抜けると宅地に出た。
ぐるっと回れば「くらやみ坂」の方に戻れるかも、とか思ったけど、宅地で迷ってもつまらないので折り返し。また「ひよどり坂」を登った。
あー登りはまた少し雰囲気代わって竹も高く見えていい感じ。戻ってよかった。(「くらやみ坂」に戻る道は真直ぐではなかったようで道的にも戻ってよかった)
竹の青さが浅葱のような淡い青で綺麗に見え、太い竹はかぐや姫でも仕込んでありそうなくらい立派なのもあった。
古い竹で何年くらいなんだろう?そういえば竹って何年くらい生えてるんだろね。
雰囲気いい竹林を歩けて楽しめた。
坂を登りきると、これから下ろうかヤメようか迷う人を見かけた。
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