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寒風山

男鹿市脇本富永寒風山にある眺めのよい草原の山。
来たのは二度目。前も早朝だったっけ。

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一番上まで一応行ってみたら濃い霧で何も見えず、一段下の駐車場で休憩。
こっちの方が少しキリが薄かった。
うっすら麓が見えるか見えないかってくらい。

霧って言うか雲なのかな。
風で流れてたのでしばらくしたら晴れるかな、、とか思ってのんびり休憩。

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したら、逆にどんどん濃くなってきちゃって、一気に真っ白。
あちゃー。
これは逆に出発したくない状況。
景色が見える見えないどころじゃなく、安全に走行できるくらいに霧が晴れてくれないと困るなぁ、、としばらく休憩。

しばらくしたら、願い叶ってか霧が薄くなってきた。
これで出発できるな、、と控えめに喜んでたけど、欲を張ってもう少しのんびりしたら正面東側の景色も見えてきた。

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おお!少し見えてきた!と写真ぱちぱち。

で、また少ししたら、おおお!更に見えるようになってきた!と写真ぱちぱち。

これ以上は晴れないんじゃないかという思いから、ついついぱちぱち。

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こうして何度も何度も写しまくりながら、神々しく朝日まで見えて、少し前より良いのか悪いのか分からないけどまたぱちぱち。
自分の車もなんかバックの八郎潟と降り注ぐような朝日の雰囲気良くてついついぱちぱち。

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昨日の十和田湖のリベンジって感じで霧がながれて嬉しかった。

裏の西側の眺めも見えてきた。
ゆっくり待ってて良かった。

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↑西方向。男鹿半島北側の日本海から。

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↑西南方向。半島南側の海岸に石油備蓄基地が見える。

タグ:楽:眺 景:山 景:海 景:湖 観:光

大湯環状列石

ファイル 480-1.jpg鹿角市十和田大湯の丘の上にある縄文時代の大型配石遺跡。
いやぁ来るまで気が付かなかったけど、来たいと思ってたトコだった。
謎のストーンサークル。

広い駐車場がガラガラだからもう終わっちゃったかな?と思ったけど、美術館みたいな建物「大湯ストーンサークル館」に入ってみたらちゃんと開いてて、案内係の人が丁寧に熱っぽく概要を説明してくれた。

ファイル 480-2.jpgこの遺跡、昔の人が作ったとは思えないほど緻密な配列で、ふたつの縁を結ぶ方向が丁度ぴったり夏至の時の太陽の沈む方角なんだそうだ。
世界文化遺産に申請してるとこらしい。

遺跡側は無料。展示室だけ有料だそうで、展示室とこの資料館は六時までやってるからまずはゆっくり歩いて来てみてください、と、言うわけでビニ傘さして遺跡の広場に歩いた。(サンダル短パンで歩く雰囲気じゃなかったね。。)

ファイル 480-3.jpg広場は芝刈り中だった。
まずは檻のような「五本柱建物跡」。
そして西側のサークル「万座環状列石」。足場のような展望台が組まれててちょこっと見下ろせた。

小屋跡があって再現されているけど生活の跡はないらしく、散って暮らしてた山の縄文人があつまって大規模な祭礼を行った場所らしく、小屋は祭礼時の運動会のテントのようなものだそうだ。

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そして県道を跨いで東のサークル「野中堂環状列石」
こっちは日時計のような菊のような石組みがあり、石的には凝った配置の円になってる。

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それにしても天気のせいか実際に歩いてみたら何か不気味な感じがした。
こんな丘の上で夏至の時に集まって儀式を行ったお墓のような謎の場所。。

勝手な想像だけど、ここって生贄を太陽に差し出す場所だったんじゃないの?
まず祭壇の円で太陽に向けて贄を晒して祭礼を行って、次は墓標の円で屍を晒して、風化して骨だけになったら太陽に捧げられたとして残った骨は村に持ち帰って墓に埋めたとか。。
という感じがした。天気と明るさのせいかな。。

ファイル 480-6.jpg「大湯ストーンサークル館」に戻って、折角だから有料(¥300)の展示も見てみた。
出土品や地質やらが展示解説されて、模型もあって日照日没のちょっとしたガイダンスが聞けた。
なかなか面白く、列石広場を歩くだけじゃなくてこっちも覗いといてよかった。

タグ:楽:歩 楽:話 観:遺 観:石 観:館 観:模

鹿の浦展望台

ファイル 473-1.jpg八峰町八森の101号沿いの展望台。
日本海に落ちる夕陽がキレイな場所らしい。
全然的外れな気もするけど、海岸の感じが見れればよし。
それと何やら色々と説明板みたいなのがあって、先を急いでない時の休憩には丁度いい感じ。

ファイル 473-2.jpgまずは南側の眺め。
薬師山の裾となだらかながらゴツゴツの海岸に浜田の漁港も見えた。

こっち側には「菅江真澄の道」という案内板があった。
カタツムリもいた。

ファイル 473-3.jpgつぎは北側の眺め。
此れから向う方向は更に雲が濃く黒く地形も海も荒々しい感じ?

こっちには「ハタハタの里」なんて案内板があった。
ハタハタって食べた事あったかな?
ハマナスが咲いていた。

ファイル 473-4.jpgそして正面の西側は岬になってた。
TSしつつよく見たら岬に小さな鳥居が乗った岩があった。
何ていう岬なんだろ?そういう説明はなかった。

そういえば鹿の浦ってどっち?北側?南側?
まあいいけど。
また天気いい時にも来てみたい。

タグ:楽:眺 景:海 動:虫 植:花

川原毛地獄

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川原毛の駐車場から大湯滝と逆の山側に広がる灰白色の溶岩地帯。

ちらっと見てすぐ出発のつもりだったけど、、
ちょっとだけ歩いてみよう、
ちょっと先まで登ってみよう、、
と、結局気が付けばガッツリ山歩き。
って言うか地獄歩き。

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恐山のような白い礫の遊歩道は結構いい勾配でいい汗かいた。
(一応風呂上がりなのに)
で、結局上の県道まで歩いて登った。

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ファイル 410-4.jpgすごく残念なんだけど、一番眺めよさそうな頂上の地獄地帯は、遊歩道が続いてたけど立ち入り禁止になってた。。
えーここまで来たのに。
入って行っちゃえそうだけど自然は舐めちゃイケナイね。
まぁそれだけ自然の驚異深い場所と言うことで納得し諦めた。

上の県道沿いには川原毛地獄の絵地図があって、噴出部の一つ一つに○○地獄と名前が付けられているようだ。
全部で百三十六の地獄だそうだ。増えたり減ったりしないもんなんだね。

その上の県道を少し登ると、先の裏側にお釜のような美味しそうな池が見えた。うんうん。登って来て良かった。

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県道回れば車で楽に来れるんだけど、見てるとそういう風に車で来てチラッと見て立ち去るだけの人ばかりで、やっぱり歩いてこそだよね、登ってこそ景色を堪能できるよね。と思った。
普段はそうやってチラ見で済ますドライブが売りの人間のクセにね。

あ、いやいや、なに観光メイン頭になってるんだ。。
今回は思い切り走ってドライブメインのつもりだったんじゃないんか。。反省/

タグ:楽:登 景:噴 景:山 観:地 観:池

川原毛大湯滝

ファイル 409-1.jpg湯沢市の高松岳北側中腹の谷にある滝。
で、滝壺が温泉になってる野湯。

駐車場から谷間を降りたらすぐかと思いきや結構歩く。
すぐ下の谷は木橋で渡って、ちゃんと整備されて歩き安いんだけど細く先の見えない崖の道。

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やがて深そうな林に入って葛折りにぐんぐん下る。
途中で木樹の間からやっと滝が見えた。
十分で到着。
正直言って小雨降るなかタオル片手にサンダルで歩くような道じゃないよねw

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滝はダイナミック。
半分以上流された橋らしき丸太で対岸に渡ると脱衣室があった。更衣室じゃなく脱衣室ね。
さっそく服脱いで、脱いだ服が濡れないように傘を固定して。貴重品はコンビニ袋に入れて風呂まで持ってった。完璧。

ファイル 409-4.jpg滝壺ジャポーーン!
いやぁこりゃいいね。

滝と渓流の流れをダイナミックに感じるられる温泉♪
んーちょっとぬるかったのは増水してたからかな?
その分勢いがあるし、冷たくないからいつまでも入ってられる低温温泉。

ただの川遊びよりもゆっくり出来るし何より裸で遠慮なく開放感たっぷりの大自然。

滝壺から少し下の広い所や流れのある渓流部分とかぷらぷら歩き回って、泳いで、浴びて、流れのパワーをしばらく独占で悠々と楽しんだ。

しばらく誰も来なかったけど、一人若いあんちゃんが来て滝だけ見て写真撮ってった。「クマとか出ませんか?」って、ここで聞かれてもなぁ。。


ここの温泉、
帰って来てから調べたら水着着用が義務だとか出てた。。え?そんな事現地には全然書いて無かったぞ
誰もいなくて良かった。。(途中で来たのもあんちゃんで良かった)
結構歩いた先で水着着用の温泉だったらガッカリだもんな。。(水着なんか持ってるわけないし)
っていうか、、調べてから行けって話だよね。。

タグ:楽:歩 楽:湯 景:川 景:滝

金沢城址

ファイル 408-1.jpg平安時代の東北の乱「後三年の役」の舞台となった柵城跡。
、、に造った戦国時代の城跡。ってことになるのかな。

さっき行った払田柵跡でこの金沢柵跡の事に触れてて、大きな戦乱のあった城柵とあって興味持って来たんだけど、、
この金沢柵であった戦乱は後三年の役と言って十一世紀の清原氏の戦い。払田柵とは三百年くらい時代が違ってる。。歴史知らないの丸出しだわw

それと金沢柵の位置も実は特定されてなくて、ここの戦国時代の金沢城址がそうじゃないかとされてるだけらしい。。
払田柵が金沢柵なんじゃねー?

ちょっと一気に興味薄れたけど、城址入口の「納豆発祥の地」の石碑も面白かったのでちょっと歩いてみた。

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ファイル 408-3.jpg金沢城址は表札のような石柱で案内されてた。

本丸は草むらの広場になってて、また濡れた草むらで足元濡れちゃった。
(でもこんな草むらをサンダル短パンで歩き回るのは無防備で危険な行為なので真似しない方がイイです。。)

ファイル 408-4.jpg北の丸には土俵があって二の丸は金澤八幡神社になってた。
その平安時代の戦乱で死んだ人々の鎮護で建てたらしい。

ここは国内史上初の兵糧攻めで落ちた城柵だそうだ。
あーそれで腐った豆を食べたのね。
今、美味しく納豆を食べられる幸せに感謝して神社をお参りした。

境内には兜杉や兜石などもあり、なかなか見所ある所だった。

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タグ:観:城 観:史 観:宮 観:発 観:石 植:樹

ニテコ清水

ファイル 407-1.jpg美郷町六郷の町中から涌き出してる「六郷湧水群」の中でも一の名水とある湧水。
ニテコというのはアイヌ語の「ニコタイツ」森の水たまりの低地からきてるんだそうだ。
明治天皇も飲まれたとか。

何となく寄ってみたけどなかなか的を得たトコに寄れて嬉しい。

ファイル 407-2.jpg湧水部は柵で守られてるけど、もちろん水を汲めるトコもあった。
汲めるっていうかちょっと味わうくらいの分だけどね。
空きPET一本だけ頂いた。
この水は!うまかった!
他の水とはちょっと違ってて
硬くなく、かと言って軟らか過ぎず、凛としていて爽やかな水。
ちょっとミントっぽいっていうか不思議な清涼感がある水。
なんか理想の中の秋田美人!って感じの水だった。

ファイル 407-3.jpg清水の周りには色々あった。
まず目の前の不思議な建物。洋風なのか和風なのか、宿なのか飲食店なのか、、
水がその建物に流れ込んでた。
これはここの名物「ニテコサイダー(仁手古サイダー)」の旧工場なんだそうだ。
ニテコサイダーは百年以上の歴史のある地サイダーだそうだ。(飲んでみたいけど甘味飲料は食事制限でアウト。。)

ファイル 407-4.jpgそして奥には「仁手古神社」
小さな祠だった。

更に奥には「湧子ちゃん」と言う名の物産店。
もちろんまだ七時半だからやってなかった。けど、おからドーナッツ?かなにか調理場で揚げてるのが覗けてイイ匂い。。つらい。
どうせ何も食べられないからやってなくて良かった。

ファイル 407-5.jpgそして戻って旧工場の向いは「名水庵」という流しソーメン屋。
売店もあって「ニテコサイダー」の幟に惹かれるなぁ。。
ここもやってなくて良かった。

とにかく、水がおいしい。それだけで最高。
おもしろいトコだった。
中にはココに来てサイダーだけ飲んで水を飲まない人もいるだろうね。

タグ:楽:汲 観:水 観:宮 観:工

払田柵跡

ファイル 406-1.jpg大仙市と美郷町に跨がった丘で発掘された平安時代の城柵遺跡。
東北地方最大級の広大な城柵遺跡なのに文献に記録がなく謎とも幻とも言われてるらしい。
まーつまり勝手に想像して歩いていいってことだよね。

その史跡内は新しい公園のように芝生が整った丘で、子供だったら駆け回りたいくらいだ。
立派な南門跡から階段を登ると丘の上は如何にも政庁と思える建物跡が低い円柱で標されてた。

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何だ此処。ヨダレ物の史跡じゃん。
以降、勝手な想像で話しますのであしからず。
ここは詰まり出羽国の国衙だね。当時、蝦夷と呼ばれてたアイヌ民族の土地を横柄な武力で支配しょうとし、城としての守りを考えた橋頭堡的な国庁。
ココが結局無理で庄内に移してみたり秋田に移ったりしたんじゃないかな。
で、
史書に記載が一切無いって事は詰まり、無かった事にしたかった経緯があるんだろうね。無惨過ぎる敗北とか、逆にアイヌ側に寝返って朝廷に反抗する前線基地にされちゃったとか。
別の国をつくっちゃってたとか。
なんかね、大和方向の南門や正門は立派だけど北の蝦夷側は無防備なんだよね。
蝦夷の話はアルテイの戦いとか小説で読んだ事あるけどまた何か読み返してみようかな。

でもその後1300年も荒らされず城にもされず(隣の丘は大名の別荘になってたらしいけど)残されたって事は、触れてはいけない禁断の地としてひっそり葬られてたんだね。

ひょっとしたら朝廷を欺きながら大和とアイヌが巧く共存出来てたのかもしれない、とか。
根拠のない想像しながら歩き回った。

ファイル 406-3.jpg裏には「ホイドスズ」というアイヌ名の湧水井戸もあった。

なんかサンダルで歩いてたら朝露(小雨)に濡れた芝生で足元びしょびしょになった。
けど、草の池を歩き回っているようで楽しくなってたら、蝶々もまとわり付いて来て、追いかけたりして濡れ芝生を楽しんだ(^^;

ファイル 406-4.jpg国衙の東側の丘は建物や低い柵が再現されてた。
へー面白い。
この丘は武器庫や食料庫だなきっと。

丘の奥は少し芝生も雑草深かった。
小さな東屋があって「律令国家勢力の北限最前線」が地図で説明されてて、東西南北各方向にも説明書きがあり、なぜか南は金沢柵が紹介されていた。

ファイル 406-5.jpgそして東門へ下って柵(城)を出た。
ちょっと離れちゃったけど、駐車場に戻る間も、蝶々や巨大なミミズを見たり田舎道を楽しんで歩けた。
天気悪かったけどそれでも充分楽しく歩けて、なかなか面白いところだった。

タグ:観:城 観:史 観:府

三崎公園

ファイル 405-1.jpg日本海は山形県と秋田県の県境にある三つの崎を持つ岬の公園。
国道7号沿いには山形県側に道沿いの駐車場があったけど、公園としては秋田県側の方が駐車場も広くゆっくり停められた。

その秋田県側駐車場の目の前の観音崎の見晴台に登った。
ちょうど夕陽時刻だから人多いのかな?と思いきや、誰も居らず夕陽も景色も独りでゆったり。風強かったけど岬の崖の上でTS。
よく見ると夕陽のたもとに飛島も見えていた。

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そして急峻な岬周りには色んな花が咲いていた。
こういう勝手に咲いて纏まりがないのに綺麗な自生の花っていいなぁ。

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ゆっくり見てたら次の人達が来た、と思ったら後から続いて家族連れや外人さんまで来た。
独りで静かに見てられたのはとてもラッキーだったようだ。
展望台を降りた。

そうそう、そういえば案内図にあった灯台は南隣の大師崎の先なのか隠れて見えなかった。
そっちの方には遊歩道の石段が、、
んーこの時間から石段とか登ってもなぁ、、暗くなっちゃったらヤだしなぁ、、

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とかいいつつ、登った。。
こっちから見る観音崎の先端越しの夕陽もなかなかだった。

ファイル 405-5.jpg石段を登り切ると大師崎の上は鬱蒼としてた。。
道はマイナーな感じで進まない方がいいよってムード。
崩れた道標でここが県境らしいのが判った。そして更にマイナーな獣道みたいな旧街道って言うのが紹介されてた。。
いやいや、こんな大まが時にそんな不気味な道は進まないよね。
遊歩道で大師崎をぬけた。

森を抜けて見晴らしよくなった。
あれ?灯台は?
と、振り返ると白い灯台が見えた。
(案内図だと道より海側に灯台が描かれてたんだけどなぁ。。)
ああ、さっきの旧街道みたいなの進めば行けたのかな?
まあいいや。南の不動崎もチラッと見えたし、ってことでここで折り返して戻った。

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タグ:楽:歩 楽:眺 景:海 景:岬 景:崖 景:陽 観:園 観:灯 植:花

犬っこ清水

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湯沢市街にある水汲み場。
街角の憩の広場というか市内観光の中間点的な感じになってた。

ファイル 84-2.jpg一見わりと新しい感じの整備のされ方で、歴史あるわけじゃない町興しとかの観光用なのかな?って感じ。

説明も「犬っこまつり由来」というのはあって、この湯沢の町の雪祭りとして190年続いてる祭というのは書いてある。

けど、
この「犬っこ清水」自体の説明は無かった。

ファイル 84-3.jpgん〜。この水って飲めるんだよな?
少々疑問だったけど水を汲んだ。

いやいや美味しい水だった。
ドライブの共にさせてもらいましたよ

そして脇にあった町の観光案内をちょっと見たら、、
この犬っこ清水はオス♂で、近くにメス♀があるらしい。
んんん。。。ますます謎だ。

ってわけでそのちょっと先に行ってみた。

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ファイル 84-4.jpg犬っこ清水♀はアーケードの中の歩道の真ん中、銀行の真ん前にちょこんとあった。
。。。
すげえ。歩道の真ん中の清水だよ。珍しいよね?
やっぱりちゃんと湧き出てる場所を尊重しての事だろうと思える。
♀の方には説明があるかと期待してたけど、何も無かった。


でも清水の湧き出てる街かぁ、なんかいい街だなぁ。
だけど、説明が欲しい。。

タグ:楽:汲 観:水 観:街 観:像

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