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やぎや

ファイル 1318-1.jpg館林市大手町にあるたい焼きのお店。

そういえば随分前に来たことあった店。(調べてみたら丁度十年前だった)
その後何度も館林の町は来てたけど、この道は一度も通らなかったようですっかり忘れてた。。
今日は店の寸前で思い出して、店の向かいに路駐して買ってた車の後ろに思わず停めてみたけど、そこは無料の市営駐車場の前だったんだね。

ファイル 1318-2.jpgたい焼きは一匹100円。
とりあえず二匹購入。
たった二匹でもちゃんと経木でくるんで紙で包んで頂けて申し訳ない。
和菓子の素敵さというか魚を大事にしてる感じで、ちゃんと味わって食べようって気になるね。

あつあつですぐには食べられないのでそのまま出発。

ファイル 1318-3.jpg少しして踏切でつかまって止まったトコで包みを開いてみた。
んーまだ熱いな。

でもゆっくり食べればいけるかな?
と一匹食べてみた。

けどやっぱあちい(>_<)
あんこは冷めないね。たっぷり入ってるだけにちょっと一苦労。でもおいしかった。

二匹目はしばらく放置。
ちょうど道も信号の少ない区間でしばらく止まらず。
おあずけくってるネコのように澄ましながらたまにチラ見してつばを飲み込みつつ我慢。

40分程おいた先の信号待ちで、それではいただきましょうと二匹目を賞味。

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うん、やっぱゆっくり食べられるくらい冷めてから食べた方がイイね。二匹買っておいてよかった。
餡子がたっぷり入ったたい焼きで、とにかくこの餡子が小豆の味よくしっかり甘くておいしい。
この餡で牡丹餅とか食べてみたいな。

タグ:楽:買 餐:菓

下野茶屋

ファイル 1317-1.jpg栃木市藤岡町藤岡の県道沿いにある蕎麦屋。

前に出てる「大根そば」の幟で気になっていた店だけど、昼近くに前の道を通るとたいてい駐車場一杯な感じで通過しがちだし、蕎麦を食べたいときは手前の道の駅の蕎麦もおいしいのでそっちで食事したりしてなかなか寄れなかった。

ファイル 1317-2.jpg店に入ると石臼の製粉機があってその奥に蕎麦打ち台もあった。おお、手打ちムード満点。
期待いっぱいで席について迷わずに「大根そば」を大盛りでたのんでみた。

「大根そば」というのは佐野の御当地そば。
っていうか佐野ってそれ以外にも「佐野ラーメン」や「いもフライ」の他に「耳うどん」なんてのもあって名物ありすぎ。
なので佐野ではラーメンを、蕎麦は近隣の別のトコで食べたいと思うので、佐野に向かう手前にあるこの店が丁度イイ感じ。
前に一度食べたのは板倉町だったかな。。ここから近いけど群馬県。(「大根そば」は館林あたりでも名物らしい。。館林はうどんじゃないのか?)

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で、「大根そば」大盛り。
細切りの大根が蕎麦に絡んだもので、この大根は辛くなくしゃきっとしつつ柔らかく瑞々しい食感。
蕎麦は期待通りの風味ある手打ちの二八。
うん、これはうまい。

やや立体的に盛られてたけどあっという間にツルツルぺろり。大盛りにしといてよかったー。
漬汁も蕎麦湯も多めに入っててゆったり余韻にひたれた。
やっぱ蕎麦はイイやねー。

タグ:餐:麺 餐:菜

レストラン オサダ

ファイル 1316-1.jpg常陸大宮市工業団地の「くりえーとセンター大宮」にある食堂。
前に来たことある店で、「光圀ラーメン」が美味しかったし、他のメニューも気になってて是非また来よう!、、と思ってたんだけどかなり久々(四年半振り)になってしまった。

店の前の道は広域農道「ビーフライン」でよく通る道だけど、ここしばらくは暗くなってからの帰り道が多かった気がする。

ファイル 1316-2.jpgパッと見は施設内の大人しいレストランだけど、店の前には定食やラーメンの幟が並び、看板には「元祖アイディアラーメン」なる文字が目につく。
店の入口にも日替わり定食や光圀ラーメンなどの張り紙があってメニューが多くて迷いそう。

だけど食べるのはほぼ決まっててやっぱり「光圀ラーメン」
これは二種あって、「光圀納豆ラーメン」は前回食べたので今回は「光圀梅月見ラーメン」

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これは割と普通な感じのあっさりしたラーメンの味わいながら、梅と卵と葱のアクセントが妙にマッチしてて面白く美味しかった。
梅の入ったラーメンというと同じ茨城の「がんご屋かるがん」のしぐれらーめんを思いだすけど、梅と大根おろしでコッテリラーメンを逆転させて押さえ込んだ其れとは違い、梅と葱の風味を卵に絡めてあっさりラーメンを面白くした形。
そして光圀レシピの蓮根入り麺もつるつるとおいしかった。

「光圀納豆ラーメン」の方はどうだったっけ?随分前で忘れちゃった、、(→) またこよ

タグ:餐:ら 餐:菜 餐:卵

観濤所

ファイル 1315-1.jpgひたちなか市平磯にある市指定名勝地。
名前からして眺めいい場所っぽかったので来てみた。

急坂途中の駐車場から木々のトンネルのような登り口があった。
どのくらい登るんだろう?とか思いながら進むと、そんなではなくすぐに林を抜けて石碑と案内板と東屋のある展望広場に出た。

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ここが「観濤所」
水戸藩藩主徳川斉昭が訪れて藩内随一の波浪の見所と賞賛して命名し、自筆の石碑をたてたそうだ。
おお、またはからずも斉昭スポット。

石碑を見ると篆文書体で観濤所?薄くて達筆でよくわからないけどかっこよかった。

そして正面にはその藩内随一の波浪の眺望。。
周りの木々でそんなに開けてはおらず、んー海しか見えない。
確かに波を見るのにはいいかもだけど、折り重なった波の流線を眺めてあな美しやと感ずるほどの優雅な感性は持ってなくて残念。

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広場の芝生はあちこちボコボコでモグラだらけみたい。それはそれでのんびりした感じもする。
その芝生を先の柵まで進んで眺めてみてやっと少し足元の海岸の岩が覗けた。
やっぱ波は飛沫が上がる方が好きだな。

んー昔はもっと樹のない丘だったのかな?これくらいなら他にも眺められそうな場所ありそうな気がするけど、、
っていうか、だったら下の海岸沿いで眺めてた方が気分よさそうだよな。。なんて思って車に戻ってちょっと移動。

ファイル 1315-4.jpgすぐ下の海岸の道路脇駐車帯に来てみた。

ここは以前から何度か立ち寄ってる場所。
デルよりCR-Xの頃の方がよく寄ってて海をバックに写真撮ってたかな。

ここには「清浄石」という石柱が立っていた。
清浄石は徳川義公(光圀)の命名だそうで、正面の海岸のギザギザの列に並んだ白亜紀の地層の岩のどれかが「清浄石」らしいけど、どれか判らない。。

ひょっとしたら斉昭は黄門様(光圀)より遠くを見渡したいとか思ってすぐ上の丘を「観濤所」なんて命名したのかな?なんて想像してみた。

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そして以前はなかったと思う「平磯海岸ジオサイト」の案内板が立っていた。ここ最近ジオサイトの案内増えたねぇ。
地質とか鉱物とかってよくわからないけど、波が風にあたって白い飛沫を上げて押し寄せてる姿が面白かったし、海岸のギザギザの岩を波が通るときに順番にブッブッブッブと弾かれてて面白かった。

タグ:楽:眺 景:海 景:磯 観:地 観:石 観:P

那珂湊反射炉跡

ファイル 1314-1.jpgひたちなか市栄町にある幕末の史跡。

以前、友達と那珂湊に魚料理食べに来たときに、その友達が調べてくれてて寄ってみた事ある場所。
最近、天狗党とか幕末の水戸藩とか興味もって調べたりしてて、そういう関連の史跡とかないかな、、と思ってフラフラしてたんだけど、よく分からずに結局来たことあって場所を覚えていたココに寄ってみた。

まず、駐車場の前にあるのがこの「山上門」
これは江戸の水戸藩小石川邸にあった江戸時代後期の門を移築した物。
藩邸屋敷の門が反射炉の前にあるのもちぐはぐな気がする。(むしろこの丘の東側の水戸藩別荘邸「い賓閣跡」の方に移築した方が良かったのでは?と思う)
とくに感慨もなくくぐって軽く段を上ると反射炉が見えた。

ファイル 1314-2.jpgこれはやっぱり何度見ても立派な煙突。
幕末の黒船到来後に海防の砲台を築く為に、藩主徳川斉昭が建てた大砲鋳造用金属溶鉱炉だそうだ。

安政二年に1号炉が出来、四年に2号炉も出来て完成。
けど二年には安政大地震で藤田東湖が死に、六年には安政の大獄で斉昭が蟄居し翌年急逝と嵐のような激変の時世。
五年後の元治元年には水戸藩内紛の「元治甲子の乱」で戦場となり破壊されてしまう。

ので、此処にあるのは昭和十二年に原型通りに復元された模型だそうだ。
昭和十二年といえば日中戦争に突入した暗い時期、戦時下でよくこんな(役に立たない)立派なものを再現して造ったもんだと関心する。

前には大砲が置かれ、四方にある小穴からは中の煉瓦も覗けた。

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「元治甲子の乱」の時、改革派の天狗党は那珂川を挟んで大洗側に陣を張り、この丘(水戸藩別荘邸「い賓閣」までの一帯)には保守派の諸生党と援軍の幕府軍が陣を張っていたそうだ。
で、ここでの戦闘は天狗党の勝利に終わるわけだけど、この反射炉を破壊したのは天狗党の砲撃なのか、諸生党が逃げるときに破壊して去ったのかということはどこにも書かれで無くてわからなかった。
けど、攘夷を掲げる天狗党は破壊したりしないと思うんだよね。(諸生党は「い賓閣」から那珂湊の町まで火を放って逃げたそうだ)

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反射炉の少し下には「レンガ焼成窯」というのがあった。
これは反射炉の高熱に耐える特別なレンガを焼くための窯で、これも模型復元。
場所はここにあったのかな?そういうことはかかれてなかった。

そして最後は反射炉前の広場で振り返った眺め。
那珂川がもっと近くに見えるかと思ってたけどそんなでもなかった。
見えるのは南西の筑波山方面で、大洗の丘の方は見えないからやっぱ砲撃じゃなくて逃げるときにわざわざ破壊したんだと思う。

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国の防備と行く末を考えながらも、血みどろの内紛と処刑と報復に終わった水戸藩の歴史。
そうではなくて本来なら諸藩に先んじて叡智を生かすべきだったという無念な思いを込めて、この反射炉を忠実に再現して残したのかな。

タグ:観:史 観:装 観:門 景:山 景:町

伊能忠敬記念公園

ファイル 1313-1.jpg九十九里町小関にある公園。
ちょうど昨日、佐原の「伊能忠敬記念館」に行ってきたばかりで、たまたま見かけた「伊能忠敬出生の地」の文字に反応して咄嗟に寄り道。
案内に沿って来てはみたものの、狭い宅地の細道に入り込んじゃって「出生の地」ってどうせ表示かなんかがあるだけだろうし失敗したかな、、なんて思ってたら、ちゃんと駐車場があった。
駐車場の前は塀になってたので、お寺か何かになってるのかな?と思ったら公園になってて停めて休憩できた。へー。

で、公園の片隅に「伊能忠敬先生出生之地」の見やすい石柱が立っていた。

伊能忠敬はここで生まれて11歳の頃まで暮らしていたそうだ。
11歳っていうと今なら小学四,五年生くらいかな。
7歳の頃に母が亡くなって婿養子だった父は兄と姉を連れて実家に帰ったそうだけど、ひとりで残って此処での暮らしはどうだったんだろうね。
おばあちゃんが優しくていい人で教育熱心で勉学の礎になったとかだったらいいけど。。世界名作劇場的な可哀相な幼少時代しか想像できないよなぁ。

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公園は普通の一軒家分の広さで脇に銅像や植木があるだけの簡素な広場になっていた。
銅像は「記念館」にあったものより立派でかっこよかった。
測量風景の絵なんかもあった。

ファイル 1313-3.jpgでも、
後年測量の折りに勿論九十九里に来た時にこの家(小関家)や墓に立ち寄ったという記録はないそうだ。
(横芝の父親の実家と墓には立ち寄ったらしい)

なんにしても房総を抜け出せてよかったね。

公園の片隅には紅梅が咲き始めていた。

タグ:観:史 観:園 観:像 植:花

道の駅 鴨川オーシャンパーク

ファイル 1312-1.jpg鴨川市江見太夫崎の128号沿いにある道の駅。
ここは古くからある道の駅で何度か寄ってるけど、毎回トイレだけの休憩で土産屋も覗いたこと無かった。

風変わりな塚型の建物は夏場は水が流れ落ちるのかな?その周りは「千年磯」という海水の親水公園になってるようだけど冬場は枯れてて、そういう雰囲気も伴ってか少々寂れた感じの道の駅。

でも、そのおかげで塚型の建物二階の食堂は空いてて悠々。日当りのいい窓際の席につけて海と港を眺められた。

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メニューは色々あったけど、「ひかり丼」というのを選んでみた。これがこの店の「鴨川おらが丼」になるそうだ。
酢で締めた秋刀魚の丼だそうだ。サザエだ刺身だというより地元の物っぽくて惹かれた丼。
出てきてみてみたら、花のようなキレイな丼。
中心の鰤の刺身はいいけど、桜でんぶが掛かりすぎて甘そうな見た目。桜でんぶは子供の頃は好きだったけどね、、

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なんて思いつつ、食べてみたらその桜田麩の甘みと酢締めの秋刀魚が良く合ってて美味しかった!
そうか寿司ってこういうもんだよな。太巻きとか散らしとか桜でんぶ入ってるもんな。
これはナイス。〆秋刀魚もタップリ味わえて満足の食事。

満足なんだけど、窓の外のすぐ下に見えてたテントの「アジのツミレ汁」もやっぱり気になっちゃってて、すぐに下りて一杯いただいた。

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ツミレって言うとイワシのイメージだけど房総ではアジなのかね。
さっぱりして柔らかいツミレに汁もいいダシ利いてて美味しかった。

あとは天然のトコロテンなんていうのも惹かれたけどそれはヤメといた。(トコロテンは夏だよね)
満腹満腹。

タグ:食:丼 餐:魚 餐:汁 景:海 道の駅

道の駅 和田浦WA・O!

ファイル 1311-1.jpg南房総市和田町仁我浦の128号沿いにある道の駅。
いつ出来たんだろう?新しい道の駅で初めて寄った。
JR和田浦駅の真ん前なのでてっきり駅舎と一緒になってるものかと思ってたけど、駅はこの国道側に出口はなくて別だった。(一緒になってたら長時間駐車車両だらけになっちゃいそうだね)
駐車場は未舗装の第二まであったけど、運良く手前の第一に停められた。

さて、ここで食事しようと思って早速食堂を覗いてみたら、満席で待ってる人までいた。。
献立は鯨料理がメインかな。とくに拘らずパス。他で食べよう。

土産コーナーも鯨が多かった。
そうだよね和田は関東唯一の捕鯨港、以前に鯨料理食べたのもこのすぐ近くだったっけ。(07.09.02→)

ファイル 1311-2.jpgそして表に出ると「くじらコロッケ」のコーナーがあり、「くじら串カツ」もあったので、取り敢えずの腹ごしらえに串カツを買って食べてみた。

僕はそんなに鯨肉が好きな方でもないんだけど、これはくせある鯨肉の風味が、間に挟まった玉葱と意外とマッチしてていい組み合わせの串カツ。おいしかった!
話を聞くと、この鯨はこの冬に獲れたばかりの「ツチクジラ」だそうだ。

さて、そこから少し歩いて隣接する市民会館みたいな建物の先に行って、シロナガスクジラの骨格標本を眺めた。
これは国道から道の駅に入ってすぐの所にあってまず最初に目に付いて通過しつつ気になってた。

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26mの骨格。これは大きい。
脇には登って間近に見れる台もあって、横に並んで泳いだらこんな感じかなっていうのも想像できて面白い。
ちょっと欲を言えば、この和田浦で獲れる槌鯨の骨格も並べてみて欲しかった。(半分弱くらいの大きさだそうだ)

ファイル 1311-4.jpgそして市民会館の骨格標本の隣の部分は「クジラ展示室」になっていた。
中は手作り風な簡単な展示だったけど、捕鯨の槍や鯨用品や模型などが並べられてて、クジラのちんちんも飾ってあった。
鯨のものは普段は内側に格納されているようだから、これはおっきした状態のモノかな?

クジラ尽くしの面白い道の駅だった。

タグ:食:串 餐:肉 観:模 観:館 道の駅

伊能忠敬記念館

最初は軽く散歩がてら「山車会館」でも見ていこうかと思ってたんだけど、入口まで来てみたら有料だった。。 ここで400円払うなら伊能忠敬記念館に行った方がイイな、、と思ってそっちに歩いた。

あーだったら市街中心にもっと近い無料駐車場に停めれば良かったかな?と思ったけど、散歩散歩。少し歩かないとね。
佐原市街中心の県道の町並みは地震被害の痕も消えてしっとり落ち着いて、人も車も少なくゆっくり歩けた。

ファイル 1310-1.jpg

忠敬橋から小野川沿いに曲がった小江戸の町並みも、歩行者は疎らで静かだった。
来るならこの季節だね。観光モードの混んだ街は落ち着かないよ。

ファイル 1310-2.jpg「伊能忠敬旧宅」の前に架かる桶橋を渡った先の茶屋は、昨年TVドラマ「東京バンドワゴン」で主人公宅の古本屋としてロケ地に使われた建物。
んーどう見ても古本屋の入口には見えないよなぁw
そのドラマは多部ちゃんが出てたからずっと見てたので少し愛着有る風景。
そしてそのロケ地のすぐ前が「伊能忠敬記念館」

伊能忠敬は江戸時代に全国を歩いて測量して正確な地図を作り上げた偉人。
もうドライブ中でも普段でも(トイレでも)地図を眺めるのが好きな僕としては神様のような大英雄。この記念館は前から一度行きたいと思っていながら、楽しみをとって置くように勿体ぶってまだ入った事なかった。
で、やっと踏ん切りついて来れて良かった。

中は撮影禁止なのでアシカラズ。

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入ってすぐに展示ガイドツアーが始まって、丁寧な案内を聞きながら見て回れたのでかなり楽しめた。
ガイドツアーの後にまた一人で一回り。展示された(国宝を含む)幾つもの地図をゆっくり眺めて大満足。
ところで、どの地図にも佐原も霞ヶ浦も無く北総地域がないのは意外だった。(琵琶湖や猪苗代湖や浜名湖はあるのに)

忠敬は18歳の時に婿養子としてこの佐原の伊能家に来て、才能発揮して伊能家と佐原の町を盛り上げて、49歳で家業を息子に譲って引退。
そこから江戸に出て天文学を勉強し、測量を学び、全国を回って緯度経度を測定して地図を作成した。
いやぁ50歳から始めた第二の人生で世界に誇れる偉業を成し遂げるなんて凄いよなぁ。(自分もまだまだこれからなのかなぁ)

記念館を出て、来た道を戻った。
「伊能忠敬旧宅」も見ていこうかな、、とか思ったけど、以前も見てるし(→)地図は関係ないのでいいやとスルー。ゆっくり歩いて車に戻った。

タグ:観:街 観:ロ 観:館 観:像

木原城址城山公園

ファイル 1309-1.jpg美浦村木原にある城山の公園。
小学校脇の細道が、もうそのまま城内に続く公園の道で(っていうか小学校からすでに城内、三の曲輪だったらしい)その先(二の曲輪)に駐車場があった。
けど、まだ舗装路が続いてて進めそうだったので進んでみたらその先にももっと広い駐車場とトイレがあったので、悠々停めて歩けた。

この駐車場のある広場が「詰曲輪」という本丸らしい。広い城だなぁ。
本丸跡に駐車場がある城跡って言うのも珍しいかも。

ファイル 1309-2.jpgで、
その本丸広場に展望台が立ってたので早速直行。
遠目には滑り台と一緒になってるように見えて、遊具的な展望台だったらやだなぁ、、とか思ったけど、近づくと遊具とは別だった。

展望台前には案内板が立ってて「矢倉風展望台」とあって、『歴史的事実に基づいて造られたものではありません』とちゃんと書かれていた。

登ってみたらいい眺め。
ちょっと思ったより霞ヶ浦と距離があったけど、土浦の市街から筑波山も並んで、霞ヶ浦の西の奥の長い部分が横たわって見れた。

ファイル 1309-3.jpg

足元の畑っぽいのは春にチューリップ畑になるそうだ。
そのくらいの時期ならいいかもしてないけどちょっと風が冷たすぎて冬はキツいや。ちょっと眺めてすぐ下りた。

そのまま本丸を回る遊歩道を歩いてみたら、ちょうど真ん中の奥辺りに案内板があって「中世 堀の道」とあった。
この縦横に横断する遊歩道は深さ1mほどの堀があった筋だそうで、目的は不明だけど往時は仕切られてたんだそうだ。

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ファイル 1309-5.jpgそして少し車で入って来た道を戻ってみた。
本丸の周りは高めの土塁と深い堀で二の丸と区切られてた。
そして二の丸を横切って小学校裏まで戻って城の案内板を見た。
この案内板は本丸にも欲しいよな、、
城の歴史は箇条書きの年表だけで解りづらかったけど、何度か合戦になって落とされた城のようだ。

ファイル 1309-6.jpg本丸の駐車場に戻って、最後にちょっとその裏の土塁から繋がった丘の上の小さな神社に登ってみた。案内図には稲荷郭とあった場所。
なんの神社かとか何も表記はなかったけど、稲荷郭っていうんだから稲荷神社なんだろう。赤いしね。
そういえばさっきの展望台のトコの案内板に『矢倉が在ったとすれば神社のある場所、、』みたいに書かれてたっけ。
うん、確かに城の正面が見下ろしやすい場所だった。

ちょっと散歩や休憩するのにはちょうどよく、駐車場にはサボりの営業車も停まっててのどかだった。

タグ:楽:眺 観:城 観:園 観:楼 景:湖 景:山 景:町