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小泉稲荷神社

ファイル 2579-1.jpg伊勢崎市小泉町にある神社。

ネットで見かけてその赤い鳥居の密集度に興味持って来てみたかった所。
小泉っていうからてっきり大泉町の小泉あたりだとばかり思ってたけど伊勢崎市の郊外だった。そんな勘違いでウロウロ探したりしてて見つからなかったりしてて、帰ってからちゃんと地図で確認してた。
ので、今回はバッチリ。っていうかナビにナビさせてたので迷わず来れた。

来てみたら神社前に広い駐車場があって、ガラガラだったから写真撮りやすそうな位置に駐車した。で、車を入れてその特異な濃度の赤い鳥居の写真を撮った。雲が多く、日が陰ったりして晴れを待ったりしながらで少し時間かかった。

そしてそのトンネルの様な鳥居をくぐって進んだ。
鳥居の列は三列。どっちを進めばいいのか分からなかったけど自然に進んで左側の列をくぐって進んだ。

鳥居は鉄柱のもので真っすぐでカッチリしていた。だから崩れることもなく増えて並んで密度濃くできたのかな。

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通り抜けてる時は赤一色で不思議な気分。
伏見以上の濃い感じながらちゃんと青空も覗けているので、圧迫感は無いけど赤に包まれててまさに参道というか産道を抜けてる気分。

通り抜けて境内に出た時は子宮に辿り着けたような気分だった。(それは言いすぎかなw)

さて境内も燈籠が並んで狛狐が並んでトンネルの続きのようにまっすく拝殿に進んでお参りした。

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拝殿もしっかりしてて、彫刻も狐だった。
そして賽銭箱の上には油揚げがあった。これは持ってきて納めたものだよね。はじめてみたかも。

横から裏にまわったら本殿は拝殿としっかりつながってて隠れたタイプだった。
その裏にはまた少し鳥居が並んでて小さな狐の陶器製置物が並べられた「白狐納所」というのがあった。

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ぐるっとまわって反対側には市の重要文化財の「元小泉稲荷社奉納手洗盤」というのがあった。江戸時代末期の手洗盤だそうだけど、柵を作って守るほどのものという感じはしなかった。

そして今年出来たばかりらしい由緒の案内板があった。
御祭神は宇迦之御魂神と大己貴命、つまり稲荷様と大国主。
由緒はこれより後ろの石碑の方が細かく書いてあった。

そして来たのと反対側の列の鳥居をくぐって境内を出た。

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こっちの鳥居のトンネルはその出口の先に自分の車が見えてて嬉しくなった。いい位置に停めたなぁ自分!と自画自賛。
止まらず一気に車に向って歩き進んで真っ赤な鳥居の空間を抜けた。

駐車場に戻って振り返ると鳥居の横に小屋があったのでちょっと行ってみたら、ここには小型の冷蔵庫が置かれてて「油揚げ1組100円」と貼紙のある無人販売所。あけてみたら中に油揚げが入っていた。
ああ、納めるやつね。
これ、油揚げはともかく、冷蔵庫を持ってかれちゃったりしないのかな。。

タグ:観:宮 観:道 観:像 観:飾

生ゆば処 町田屋 白沢店

ファイル 2565-1.jpg沼田市白沢町上古語父道祖神の120号沿いにある湯葉工場直売店。

ここは「生ゆば食べ放題」(要予約)というのがある注目スポットだそうで、友達のしばおが見つけて予約してくれてた。

本来はどうやら団体さん用のようで、店前の駐車場は観光バス用になっていた。
それとは真逆の車五台で五人の客といううちらだけど、店の人はイヤな顔せずに誘導されて店の横にびっしり寄せて駐車。
「狭いトコでごめんなさい」とまで言われた。

ファイル 2565-2.jpg車を降りて、店先の町田大明神とか見つつ店内に入ると、そこは工場の一角の土産売り場。
飲食店だとばかり思ってたので少々困惑。

で、そんな土産売り場の商品の横から通されて隣の湯葉工場に入った。

目の前には湯葉を作る枡分けされた槽があって、発泡お椀と針金が渡され説明を聞いた。
これでできたてのゆばをすくって食べるそうだ。
へーへーこれはおもしろい。

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立ち食いだけど、作られ続けるゆばを掬うのを楽しむアトラクションって感じでむしろその方が楽しめた。

ファイル 2565-4.jpg調味料も色々用意されてて試せて飽きなかったし、麺つゆとか鍋汁とかコンニャクもありお茶もジュースもあった。
この鍋汁が野菜も茸も蒟蒻も筋肉まで入ってて特に美味しく何度も味わったし、湯葉を揚げたチップスもあってこれがまたおいしかった。

ゆばはちゃんとした膜になるより、大丈夫かなーってくらいの若いくらいが柔らかくておいしく、五人でまわって飽きるまで食べた。

もうしばらくゆばは食べなくていいやw

あきるほどたっぷり食べて終わる頃に入れ替えで次の団体さんが入って来た。
あーこれ、うちら五人くらいだったから、後から何人か来てもすぐにゆばできて楽しめてたけど、団体さんとかだとゆばがなかなかできなくて競争率高そうでかわいそうだなぁ、、とか思いつつ土産売り場に出た。
土産は別にいいか、、(九州でも買わなかったくらいだしw)自分用にゆばチップス「湯葉のパリパリ揚げ」を買った。

店の人は「僕も車が好きで昔インプに乗ってたんですよ」と気さくに話してくれて、「豆乳甘酒アイス」というのをサービスでいただいた。匙は無く箸で食べたけどおいしかった。

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店出たけど、車は次の団体さんのバスに塞がれてしばらく出れなかった(裏の道へは出られたけど、少し段差有るので車によっては擦りそうなので無理ということで待つことにした)

ファイル 2565-6.jpgで、店の裏でのんびり雑談してたら「ごめんなさい、これ飲んで待っててください」と店の人が100%リンゴジュースをあけてくれた。遠慮する前にもう蓋を開けちゃってたので有り難くいただいた。
お碗でだったけど美味しいリンゴジュース。そういえばこの辺りってリンゴ多いんだよねーと思ったらこの店の裏もリンゴ林だった。
なんか至れり尽くせりで、団体でもない客なのに申し訳ないくらいだった。

そしてバスが出た後に誘導して貰ってバックで前の道に出た。
気前いいし美味しいし面白いし感じも良くて、とてもいいトコだった。

タグ:餐:豆 餐:汁 餐:冷 餐:飲 観:工 楽:験

御正作公園

大泉町朝日にある公園。
県道から見えたタワーみたいなのが気になって寄ってみた。

広い駐車場のある公園で、車を降りると駐車場の前の八重桜が丁度キレイに咲き並んでてトンネルのようになってて思わず花見て歩いた。
八重桜は少し時期が遅めなだけであまり注目されないし花見もされないオマケみたいな感じだけど、江戸時代以前は桜と言えば八重だったわけで本家本元、日本の春だよね。

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さて目的のタワーは公園の前に隣接する「いずみの杜」という建物にある。大泉町の勤労複合福祉施設だそうだ。
公園からの横のガラス戸は全部閉まっててぐるっとまわって正面から入ってみた。

館内は市民の憩いの建物って感じで、よそ者がフラフラと入っていいものか戸惑ったけど、まず広いロビーの端に船の模型を見かけた。
近付くと戦艦大和だった。

で、そばで見たらびっくり。
100分の1の大きさで細かい作りなのもあるけど、水兵が多数乗艦してて作業したりという姿まで作られていた。
軍艦の模型でよくできたものはそれだけでもすごいと思うけど、乗員まで作られてる模型は珍しく感激。まるで「この世界の片隅に」の映画のシーンを見てるかのような生きた大和のジオラマ模型!じっくり見入っちゃった。

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説明によると大泉町在住の方が十五年かけて製作して寄贈なさったものだそうで、素材:木製(一部は紙製)というのが驚き。プラモじゃない手製なのね。これはすごいわ。
ぶっちゃけ呉の10分の1の模型より興奮したかも!
他のも制作してくれないかな。群馬だから地名的に赤城とか利根とか。

さてさて目的のタワー。受付で訪ねてから奥のタワーの方に行こうかと思ったけど、なんか長話してる人を受け付けてて忙しそうだったからスルーして進んだ。

遊ぶ子供、くつろぐ大人、なんか場違いな感じのフロアを抜けて進んだけど、廊下にもどこにもタワーの案内などはとくになく、なーんか普段は登れないものっぽいよなぁ、、と思いつつ、ダメ元で進んだ。

ファイル 2501-3.jpgら、
普通にエレベータがあった。
案内はエレベーター前に「冬には富士山がよく見えます」とあったくらいで、注意事項は「双眼鏡・望遠鏡・望遠カメラの使用はご遠慮ください」とあった。(女湯でも覗けちゃうのかな?)普通に乗れて登れた。
んー、こんなにシンボリックに立ってて目立ってるのに、展望をウリにはしてない様子なのが不思議に思えた。登る人少ないのかな?高いトコ登りたがるアホは自分くらいなのかな?

で上の展望室。
展望のガラス窓は北東と南西の二面だけだけど、両側とも出窓のように少し突き出てるので、広く見え眺められた。
まず北東側は日光方面。少々もやっとしてスッキリと山までは見えない眺めで北西の端の方の赤城山も見えてなかった。冬に来ればよかったかなw

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南西は秩父から富士山の方向。多分利根川くらいまでの宅地と畑しか見えてない眺め。
手前の公園の池がよく見えた。停めた自分の車も木々に隠れながら見えた。

まぁ正直いえば地域住民以外は興味持たなそうな眺めではあるけど、それでも天気イイ日に高い所から見下ろすのは気分いい。無料なので休憩がてらに登って損はない展望室だった。
この展望室は夜9時まであがれるらしい。え?夜景というよりそれこそ人の家を覗くだけになりそうだけど、、

降りて(また大和をちょっと眺めて)外に出て、軽く公園を歩いた。
ゴマのような花を咲かせてる新緑の楓をくぐって池の方に歩いてみた。

そして池の端を歩きつつ八重桜の並んだ公園の北西口からいったん外に出てみた。
ああこの公園は「御正作公園」っていうんだと確認。実はここで見るまで公園の名前を知らなかったりしてw

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公園に戻って池ごしにタワーを見つつひとまわり。
「御正作公園のいわれ」という案内板も立ってて読むと、実はこの公園は古墳時代の竪穴式住居跡が発掘された「御正作遺跡」という所なんだそうだ。
え、そうなの?遺跡関係のは何もなかったけど、、完全に公園化しちゃったんだ。。

最後に最初に見た八重桜に囲まれたトンネルのような道で駐車場に戻った。
この八重桜の道の横には芝のグラウンドがあって子供たちが遊んでたんだけど、話す言葉がみんな日本語じゃなかった。あぁ、大泉町は人口の二割が外国人なんだっけ。

いろいろ見所ありつつあっさりした公園と施設でほどよい散策休憩になった。

タグ:観:園 観:館 観:模 観:楼 観:遺 植:花 景:町 楽:眺

江田館跡

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太田市新田上江田町の県道沿いにある国指定史跡。
新田荘遺跡としての国指定という文字に惹かれつつ、その南北朝時代あたりの疎い歴史を知る切っ掛けになればと来てみた。

入口に案内板があって解説を読むと、江田館は新田氏一族の江田行義の館だそうで、新田義貞に従い大将として西国を転戦し武功を上げた人物だそうだ。
そして戦国時代には金山城の出城として改修され、北条に攻められ落城。そして北条が亡びると廃城になった城跡でもあるそうだ。

土橋を進むと広い本丸の周りには土塁が囲い、堀も一周続いて残っているようだ。これは国指定だからではなく、地域住民が昔から保全に協力してきたので原形のままに残った史跡だそうだ。
その土塁に上ってひとまわり歩いてみた。

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ポカポカで気分よく、鳥も飛びまわってて賑やかだった。
写真にとれたのはヒヨドリかな?沢山いたのにみんな素早くて難しい。

西側の土塁と堀は少し折れていていい形。
これは出城として使われた時にも形を変えてなかったのかな?
案内板の復元図はまっすぐの絵になってたけど、それは参考図だそうでまぎらわしいw

そして北西の隅と北の中央に小さな祠があった。新田氏を祀ったものかな。何も書かれていなかったけど、土台がコンクリブロックだったので比較的新しいものかと思った。

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ひとまわり歩いて南側の正面に戻った。入口の案内板以外には何の案内も無かったので、ただののんびり散歩になってしまった。

最後に西側の外郭(二の丸?)を少し進んでみて、横にあった白梅の木に歩いてみた。
花の香りいっぱいの満開の梅の花の中にはスズメが沢山集まっていた。おどかすのもかわいそうなので裏には回らずにそっと戻った。

タグ:観:史 観:城 動:鳥 植:花

桐生市南公園

ファイル 2460-1.jpg桐生市広沢町の県道沿いにある公園。

たまたま通りかかったら「梅まつり」の幟が並んで立ってたので寄ってみた。
大小二つの野球場がメインのような公園で、割と混んでた駐車場もタイミングよく手前で停められた。
公園の正面にまわらずとも園内地図があって、梅林は野球場の裏の奥らしく横から道へ進んだ。

その二つの野球場の間の梅林への道は、すでに道脇に並んだ梅が花を咲かせてて気分よく歩けた。

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そして芝生の広場に抜けるとその先の奥に梅林が見えた。
「梅まつり」とはあったけど、梅が咲いてるシンプルなもので、店とか催し物とかは無く、のんびり散歩しながら梅を見るだけ。それでいいんだよね花見は。

そして梅林の中もとくに進入禁止にはなっておらず、中に入って写真撮ってる人も沢山いた。

梅のいいトコは背の高さで丁度いいくらいの樹高と香りと変則的な枝振りだよね。
梅林の中でそんな樹木と合間から見える青空や山も眺めながら、春の感じに包まれてふらふら歩いた。

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まだつぼみも多く来週くらいが満開なのかなってくらいだったけど、此れだけ咲いてればもんくはなく充分保養。(先々週の横芝の梅林がほとんど咲いてなかったのでその分満足)
梅林の中を北の端から歩いて南側で前の道に下りた。

案内板があってその説明によると梅は645本、土石採集で荒れた山肌を昭和後期に公園化して植栽したそうだ。
平成ももう終わりで問題多く未来が暗く感じちゃってるけど、少なくとも現在は昭和後期ごろに比べれば穏やかで和める環境になってるって事を感じた。
次の世もそうあって欲しいし、何十年後かにも気ままにドライブして梅見て散歩して春を感じて和むような人がいてくれたらいいなぁ、、と思うけどねぇ。

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広場の周りの道を進むと、細くなりつつも梅林は続いていた。
日陰になった部分はつぼみの方が多かったけど、そんななかの日向で咲く梅は雰囲気よく、気分良くまわって歩いて駐車場に戻れた。

軽い花見散歩。いい休憩になった。

タグ:植:花 観:園

千代田饂飩 あぜみち

ファイル 2459-1.jpg千代田町赤岩の県道沿いにあるうどんの店。
お馴染みのお気に入りの店で点景はなんと8回目。

休業してたり売切れだったり遅かったりで去年の6月から食べれてなかった千代田饂飩。
その6月に一緒に来た友達ももっと前に連れてきた妹も「うまい」と気に入ってくれてて会う度に話題になったり、このサイトを見てくれてる人もこの千代田饂飩が気になるとの話を聞いたりして、逆に自分もすぐに行きたくなるという相乗効果w

来たのが1時過ぎなのでひょっとしたらもうダメかも、、とは思いつつ、駐車場側の裏口から入って入口にOPENと出ててまず希望が持てて、店に入って饂飩はまだあると聞いてやっと一安心。食べれる!

今日はホンの少し前まで昼の客で満席だったそうで、みんな帰って落ち着いた丁度いいタイミングだったそうだ。ナイス。(でもむずかしいもんだね。。)

ファイル 2459-2.jpgさて、寒い季節なので今日は迷わず「豚肉つけ汁饂飩」を注文。 が、「ごめんなさい肉つけ汁だけ売切れ、、」だそうで、少々迷った。
貼紙メニューにはまだ食べてないメニューもあり、「乾咖喱饂飩」も気になったけどカレーはやっぱ辛いんだろうな、、「辛さ調整できますよ」とは云われたけど、全然辛くなくというわけにはいかないだろうし、せっかくの千代田饂飩でツライのは悲しいので敬遠。

あと温かいメニューは「釜バター」と「釜たま」。玉子かバターか。。あれーそういえば前に寒い時季に来た時はどっちを食べたんだっけ。。たしか玉子だったような。(バターはライスだったよね)ってことで「釜バター饂飩」にした。

この店はいろいろとこだわってて、バターも醤油もおいしいのは知っている。けど、味わいあるだけに饂飩のみずみずしさが薄れちゃったらもったいないよなぁ、、ましてや温かい釜揚げだし、、なーんて思いつつ待った。

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で、「釜バター」の大盛り。
いやいやいやいやいやいやいや 余計な心配取越苦労。
じつに豊潤に良く絡んでおいしいし、温かい釜揚げはモチモチながらみずみずしさもなめらかさもあってイイつや加減。冷たくなくても新鮮な感じがする饂飩はやっぱり最高。
そしてバターと醤油の香ばしさでとろけるわぁ。

大盛だけど食べ終わるのが惜しいくらいでゆっくり食べた。
いい食事になった。
そして「釜バター」は初めてなので点景にしました。
 
 
前回の点景
あ、前回がバターライスだったんだっけ。

タグ:餐:麺

多胡碑

高崎市吉井町池字御門にある国特別史跡の石碑。

日本三古碑にも選ばれる奈良時代の古碑だそうだ。
石碑には全然興味がないんだけれど、以前宮城の多賀城に行ったとき(→)に同じ日本三大古碑の「多賀城碑」があって、ボランティアガイドの人に「同じ特別史跡の貴重な石碑なのに群馬の古碑は昔から立派な屋根付きの堂内に保存されてて優遇されててずるい、、」という話を聞いていたのが印象深く、この吉井はよく通るからこの「多胡碑」の場所はなんとなくわかってるので、一度くらいは行って見てみようかなとは思っていた。
んだけどねぇ、、
城跡とか国府跡とか神社とかにあるなら寄っただろうけど、石碑だけを見に行くのはなかなか足が向かなかった。

ファイル 2435-1.jpgで、今日は牛伏山がなかなかよかったので、この吉井町(現:高崎市吉井町)で折り返そうと思ったので、だったらやっぱりこっちも寄っておくかーと思って来てみた。

県道からの案内は鏑川の手前で曲がって吉井運動公園の広い駐車場に誘導。
ここから「吉井いぶしみの里公園」と「多胡碑記念館」を経た先に石碑があるらしい。

まず公園には古墳のような塚が並んでいた。取り敢えずスルー。
記念館は立派な大きい建物でもちろん閉まってた。スルー。

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そして公園の奥にその石碑の御堂が見えると、その手間にも駐車場があった。。。
なんだよこっちのほうが近いじゃん。。
多分、途中の道が宅地内で細めだから、現地の案内で来るくらいの輩は広く安全な方から歩けって事なんでしょうよ。

と、
元々興味薄い上に宮城の愚痴も重ねた上でこの駐車場で、好感度低いまま石碑に進んだ。

で、
なるほど確かに「多賀城碑」がうらやむのもわかる立派な建物の中に石碑があった。
けど、暗いしガラス窓は周りが映り込んでよく見えない。敬礼するように手をかざして覗き、手をかざして写真撮った。

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ら、
後から来た人が電灯のボタンを押してくれた。あー照明があったのね。失礼失礼。
うがった目で見てると文句付けることしか考えないからダメだよね。。w
とかなんとか思いつつ石碑を眺めた。

ファイル 2435-4.jpg地震から守るためという台座も気になったけど、それより石碑の文字が気になった。
なんか下手くそじゃね?
どうもバランス悪いというか、、小学生が書いたような拙い感じ、、
逆に言えば小学生でも読めそうな解りやすい字でもあった。
旧字もパッと見「國」くらいの今でもたまに使いそうな字くらいだし。
これ、ホントに奈良時代に彫られた字?
ホントに国特別史跡?

と、結局文句で終わってしまったw

内容は行政区分として多胡郡が設置された事を記してあるそうだ。

さて、まぁこんなもんかと公園を戻る。
帰りは少し古墳(の説明)を見ながら園内を廻った。

古墳は「片山1号古墳」と「南高原1号古墳(石室)」
子供が喜んで遊びそうな片山1号は、4世紀末から5世紀初頭に築造された32.6mの円墳で、埋葬された主体部の粘土槨だけを移築したものだそうだ。
南高原1号は7世紀に築造された17mの円墳で、入口付きの横穴式石室を有する二段築成。石材は地元の牛伏砂岩だそうで、こちらも移築したもの。

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古墳はともかく、鳥の多い公園で鳴いて飛んで賑やかだった。
現地では種類が分からないシロートなので写真を撮って帰った。
調てみたらシメという鳥だそうだ。
へー初めて知った名前。色んな鳥がいるんだねぇ。

結局、石碑も古墳もやっぱりあまり興味深まりはしなかったけど、その割には纏めるのに手間取ってしまった。。
点景は写真並べて「こんな感じ」で余計なこと書かなくてもいいのになぁ。反省。

タグ:観:石 観:史 観:遺 動:鳥

牛伏山

ファイル 2434-1.jpg高崎市吉井町多比良にある山。

山の上に城っぽいのが見えてたのが前から気になってて来てみた。
そんなのがあるくらいだから山の上まで車で行けるだろうとは思ってたものの、途中の道は細めでマイナーっぽくて不安だった。
けど、山の上は駐車スペースも広く窮屈さはなく開けてた。

すぐ手前に見えた城っぽい建物よりも先の方が頂上らしく、その中間の未舗装の駐車スペースに車を停めて、まずは少し坂を下って上ってして、その城っぽい建物に歩いてみた。
ら、こっちはこっちでちゃんと舗装された駐車場になってた。。なんだ、こっち折り返して登ってみればよかったのか。

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「牛伏山展望台」とある案内によると「牛伏山は東西二峰から成り、西峰は金毘羅山とよばれ、東峰は一郷山という~」とあり、室町時代の永享の乱で鎌倉から退いた上杉憲実がこの一郷山に築城。
後の戦国時代に武田信玄に攻められた際、「防戦のため、山頂から落とした大石は、真下の見銘寺を押しつぶし、火災となり城は全焼、婦女子は急崖に身を投げ、落城した。」そうだ、、、

ってわけで、一応は城跡らしく、一郷山城跡に造られた模擬天守風展望台ってことらしい。ふーん。
(分類としては、天守なんかなかった城跡に造られたものが「模擬天守」、城でもなんでもなかったトコに造ったのが「なんちゃって天守」。この差は大きい)

さて展望台。ちょっと殺風景で見る気しなかった内部の資料館はスルーで階段を上った。三階最上階のジオラマ模型だけは付近の山の感じが分かりやすくてよかった。

そして眺望。かなりいい眺め。
広く群馬の中心部から関東平野が見渡せて、その周りの山も一番東の筑波山からよく見えた。
(けど、その肝心の北正面の写真は帰ってから見たら明るくとんじゃっててイマイチ、、残念)

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東に廻って南側はゴルフ場なので割愛。西側にもう一つの山頂「金毘羅山」が見え、その脇に妙義山と浅間山が見えた。
北の群馬の市街部は群馬県庁のビルだけが高く目立っていた。あそこの展望台も眺めよさそうだね。県庁の後ろの赤城山は上の方は薄っすら白かったけど、今年は雪少なめかなって見えた。

風もなく左程寒くなく、ゆっくり二周して眺めて満足して下りた。

さて、この城っぽい展望台が目的だったからこれで山を下ってもよかったんだけど、せっかくだからと一旦車に乗って少し先まで登って停車。西側の金毘羅山も登ってみた。

こっちはこっちでいろいろあって、まず「鐘つき堂」というのがあった。取り敢えず通過。
その裏にはちいさな神社があった。こちらも取り敢えず通過。

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その先の電波塔(FMの放送大学を発信してる所だそうだ)の裏まで進むと、そこが頂上だった。
金毘羅山ではなくて「牛伏山」とあった。
まあね、さっきの一郷山より標高高いからね。こっちこそ山頂!で異存はない。標高490.5m。

山頂ではあるけど電波発信所の裏だけにマイナーな雰囲気でいっぱいだった。
山頂の裏手には寂びれた檻があった。あーかつては案内図に書かれてた兎とか孔雀と鹿とか猿とかかが飼われててミニ動物園になってたのかな。

電波発信所の脇の崖ギリの細道を戻った。
そして一応神社をお参り。ここにあるのは「琴平神社」、金毘羅山って名前なくらいだからね。
そういえば去年も山の上の神社(神奈川の衣笠山)が初詣だったっけ。眺めよさそうで登ってみた山の上の神社で初詣ってドライブらしくていいよね。(自画自賛かよw)

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そして神社の前の鐘つき堂。ん?なんで神社で鐘なんだ?
まあ細かいことはいい。鐘には「平和の鐘」とあったから、別に寺からの寄贈とか(戦国時代に全焼した寺の鐘だったりとか)そういう事ではなく観光用だろうね。
せっかくだから一突き鳴らした。ごーん
大きくいい音したけど、しばらく鳴り響くからヤマビコは聴こえないね。

後は周りを見ながらゆっくり下って車に戻った。
周りが樹でも隙間から展望が覗けて、高い山の上にいるって実感があって気分いい。天気よくて良かった。

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最後に「天狗松」や、大岩で彫られた「牛伏山の牛」を眺めつつ山を下った。
ここの案内板によると、この山には昔、天狗が住んでたそうで、その天狗が惚れた村の娘の所に牛に乗ってコクりに行ったそうだ。で、むげもなく見事フラれてしまい、もっと奥の山に隠れて朝日岳という山になったそうだ。で、残された牛がこの山を牛の形に変えたという伝説があるそうだ。。
きっと、、
フッた村の娘はこの山を見るたびに天狗を思い出して「あいつなーw牛に乗って来て「つきあってください」ってありえねーつーのww天狗なら飛んで来いよなwwwマジウケル」とか言って平和に暮らしたんだろうね。

タグ:楽:眺 楽:登 楽:音 景:山 景:町 観:楼 観:城 観:閣 観:模 観:宮 観:庁 観:具 観:伝 植:樹

さざえ堂

ファイル 2426-1.jpg太田市東今泉町の祥寿山曹源寺にある三階観音堂。

さざえ堂というのは貝のサザエのような螺旋状の回廊で廻れる御堂のことで、会津の飯盛山にあるさざえ堂を知ったのが友達同士で会津旅行ドライブした後の事。すぐ近くの白虎隊の墓には行ったのに、こっちを知らなかったのは非常に残念。もうそういう機会は無さそうだしモロ観光地なので一人で行く事もなさそうで惜しい事をした。
と、
悔やみつつ、会津以外にさざえ堂というのは無いのかな?と調べたところ、幾つかはあるようだけれど、日時とか申し込みとかなく常に内部を拝観できるのはここ上州太田の曹源寺のさざえ堂くらいのようだった。
ので、
いつかは行ってみようと思ってた。んだけど、太田というと焼きそばばかり気になってなかなか来れなかったw
だけど実は去年の夏に近くを通った時に思い出して寄ってみた。けど、保存修理工事中で拝観できなかった。。
そして今日、もうさすがに工事も終わってるだろうと来てみた次第。

まず色々と飾りの多い入口で、赤い山門の脇にはガラスケースに入った石塔に綺麗な彩色で十二支が彫られてた。新しいものだろうけどちょっと素敵。もちろん来年の干支の猪もあった。年賀状を作ってた以前なら「丁度いい!」と喜んでキレイに写真撮ってたかもね。。

そして門からの参道は「百観音 御砂踏参道」という石の下に秩父百観音霊場からの砂が敷かれているそうで、踏んで歩けば霊場巡礼した功徳が得られるそうだ。

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他にも色々あったけど割愛。目的はさざえ堂、まずは外見を眺めつつ進んだ。
特異な感じはしないバランスのいい建物だよね。江戸中期の寛政5年(1793)に建てられたものそうで、今は県重文だけど近々国重文になるそうだ。

銅鑼を鳴らしてお参り、そして靴脱いで御堂の中に入り拝観料を払った。

堂内の撮影は一階中央の本堂部分だけが禁止でほかはOKだそうだ。ゆっくりと並ぶ観音像を見てガイド音声を聞きながら進んでたけど、一体一体見てたらキリないので、写真撮って拝観気分を補完できるのはありがたい。

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堂内の順路は螺旋ではなく四方を曲がって階段を上る形。
写真で見た会津のそれと比べると普通な構造の建物で味気ないけれど面白くはあり、ずらっと並ぶ観音像の雰囲気にどっぷり包まれて二階も廻り三階に上がった。

三階も二階と同じ構造だけど天井が見え、心なしか仏像も立派に見え、窓からは金山が見えて西日が差しこんでいた。

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そして三階をひと回りすると下り口は別の階段で、ちゃんと行き帰り別で一方に進むだけで帰れるのはなるほどと思った。

その下り口の前にカエルの像。来た時にも見えてたけど、帰りに正面になるとは思ってなかったなぁ。
「ぶじかえる」というありがちなパターンだけど、このカエルが堂々としてカッコよかったので気分よく階段を下れた。

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そして行きには気がつかなかったけど、行きの順路の外側に見えていた隙間の部分が帰りの順路になってて、通ってみると思ったほど狭くはなく、さりげなく小さな口の階段も難もなく下れた。

往路と復路は同じような場所を通っても感覚は違い、通ってきた場所を今一度眺めながら戻るのも楽しいものだと気づいた。
ひょっとしたらこれ、ドライブも一緒で、行きと同じ道を戻る時には、往路の気分を踏まえて広い目で見て復路を進めばそれはそれで楽しめるのではないかと思え、今までなるべく来た道は戻らずに廻るように別の道で帰るようにこだわってたドライブだけど、気の持ちようでトンボ返りも悪くは無いんじゃないかとか思えた。

お寺に来て、事に気づき思い至るなんてことは初めてで、ありがたい気分になりながら御堂を出た。

タグ:観:寺 観:建 観:塔 観:重 観:像 観:蛙 景:山

金山モータープール展望台

ファイル 2425-1.jpg太田市金山町の県道の先端の駐車場にある展望台。

この山は国史跡の金山城跡。ずっと前にその金山城を歩きに一度、いやその後にもう一度くらいは来たことあったかな。
町を見下ろせる山がある市街というのが北関東にも幾つかあって、栃木とか佐野とか此処とか、たまに通らないとどこがどの道だったか記憶混ざっちゃいそうだけど、ここは久々なのでしっかり他と混ざってたw

駐車場は広めで悠々停められて、山歩きシーズン以外なら一番来やすいトコだと思うけど、山というか金山城跡のてっぺんはここから少し距離と高低差があったと思ったので、寒い今日は歩く気ゼロ。
駐車場では止まらずに下るつもりだったけど、登りで遅い教習車に閉口してたので、少し間隔開けるつもりで車を停めて休憩した。
ちょうど展望台もあったしね。


で、その展望台に上ると、さすがにいい眺め。
ああ、これは別に城跡歩かなくてもココだけの目的で来るのでもアリだなぁと思える眺め。広く関東平野が見渡せた。

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東京方面の高層ビルとかも見えたけど、やっぱりスカイツリーはポツーンと立ってて分り易いね。

風もなく落ち着いて眺められたけど、やっぱり寒いは寒いのでほどほどで下りた。
展望台の下のトイレに寄って、その後はちょっと金山城の案内板でも見ようかな、、なんて駐車場を歩こうとしたら、さっきの教習車も止まって休憩してたのに気が付いた。
え、休憩付きの講習コースかよ、、優雅だなぁ、、じゃなくて、だったら先に下られる前に出発しなきゃと慌てて車に戻った。

車に戻ると、駐車場前で眺望してる人が多かった。登った方が眺めいいのに、、とも思ったけど、お陰で静かに展望できたのでOK.。
先に来た人や、そろそろ出発しようとしてる教習車に先んじて出発した。
 
 
ちなみに金山城跡を歩いた八年前の点景

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