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多賀城跡

ファイル 632-1.jpg多賀城市にある陸奥国国府跡。
律令政権時代の政庁兼、蝦夷に対する大和王朝の制圧拠点の城(柵)
多賀城と言う名で呼ばれてはいるけれど前線には出城を多数構えていたので、実質的には城ではなく政庁跡な訳だけど、ナビの検索でも城で出るね。

駐車場は表にあったみたいだけど、知らずに政庁裏の駐車場に停めた。マイナーな丘の裏の北西門跡から入る。

ファイル 632-2.jpg

広い野原の政庁跡は整備発掘中だったけど、ちゃんと本殿、側殿、立派だったらしい南門の礎石跡が標されてた。
おお、ちゃんと国衙。

門跡の先は眺めいい丘の段でいい風が吹いていた。
政庁南門から外郭南門までもメイン道路。
その広い通りの斜面をおりてみた。

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下までおりると、車道の先に小屋に入った石碑があった。
日本三大古碑で国重文の「多賀城碑」だそうだ。

ファイル 632-4.jpg眺めてたらボランティアガイドのおじいちゃんが話しかけてくれて色々と話を聞けた。
台湾の李総督が来た時の話とか面白かった。

この石碑の林が外郭南門跡だそうで此処から長く外郭の柵の仕切りが続いていたらしい。
正面口前なので全体の模型もあった。

ファイル 632-5.jpg林の東側は菖蒲園になってたけど何故か一部しか咲いてなかった。
この咲いてたのはアヤメだそうだ。
他の全体のショウブが咲く頃には毎年菖蒲祭があって30万人とか集まるそうだけど、昨年の震災以来広い駐車場が瓦礫置き場になってて今年も祭典は中止なんだそうだ。。


ファイル 632-6.jpgさて、駐車場が丘の上のなので、また引き返して丘を登った。
政庁跡の草原に登ると、またボランティアガイドの女の人に声をかけられた。空いてたのもあるけど随分とサービスいい所だよね。
この人が話うまく面白く、ついつい長話。
まだ未発表の発掘研究事項から推測から歴史全般、地質や風土や地震と津波の話まで、(多賀城市にはコンビニが無いなんて話も)たっぷり楽しく話を聞いた。
あーこういう人が学校の先生だったら、もっと興味持って点数も取れて人生変わったかもしれないなぁーとか思った。(自分の学校の歴史・社会の教師は揃いも揃ってつまらない人物だった)
すっかり話込んで気が付けば昼過ぎ、、
アレー?ここ来たの10時半くらいだったよなぁ。。
サラリと眺めるくらいの積もりがたっぷり二時間も楽しんでしまった(^^;
ボランティアガイドの皆さんありがとうございました。

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