記事一覧

坂の上の雲ミュージアム

ファイル 2707-1.jpg松山市一番町にある「坂の上の雲」をテーマにした記念館。

「坂の上の雲」は司馬遼太郎の書いた歴史小説で、明治時代のこの松山出身の三人を主人公として戦争と文化を描いたもの。
2009年と10年11年の暮れに大河ドラマ特別版の形でドラマ化されたのでそのドラマに向けた大河記念館かと思ってたけどそうでもない様だった。

司馬遼の小説は僕は二十代の頃に読んでハマってた(竜馬がゆく、坂の上の雲、峠、の三作は特にハマった)けど、その後に他のものも読んだりして「小説は小説、描かれた一つの物語で歴史や人物を知った気になるのは恥ずかしい」と感じて落ち着いた。
けど、そのずーっと後でのドラマ放映だったのでもう一回読み返したり(バルチック艦隊の航海は飛ばしたけどw)して楽しめたし、ドラマは丁寧な作りで満足できるものだった。

さてそんなわけで松山のここはとても興味ある場所で、一度来た事もあったんだけど、駐車場が無く警備員に追い払われて以来ドライブで立ち寄ろうとは思ってなくて完全に忘れてた。
でも今日は松山に来て看板見かけて思い出し、近くにコインPでもあったら寄ってみようかとすぐ前の交差点を曲がってみたらあったので停めた。

なーんて来てみたら駐車場あったりしてーとか思いながら来てみたら、やっぱりなくて袋小路。道の入口に「この先行き止まり」とか「駐車場ありません」とか書いとけばいいのにね。

ミュージアムのある場所は城内かと思ったら武家屋敷跡だそうだ。池泉鑑賞式庭園のある立派な屋敷だったそうだ。

そして入口は袋小路の先の国重文の西洋館「萬翠荘」の門を入るのでまぎらわしかった。
入口の脇には「旧管理人舎」という小屋が立っててこれも国重文だそうだ。

ファイル 2707-2.jpg

案内図を見るとその「萬翠荘」のまわりには駐車場があるらしく、そっちに停めてこっちに来てもよかったのかな?とも思ったけど、そっちも見てる時間も興味もないし普通に考えてダメでしょw
建物も見ずにその庭の植木で戯れる愛らしいメジロだけ眺めてミュージアムに歩いた。

入口はスロープの先の二階の裏。入館料は400円(JAF割-80円)写真は禁止とあるもの以外OKだそうで俯瞰もOKだそうだ。

館内はその三角の辺に沿ってスロープを廻る螺旋式の面白い建物で、、ドラマ出演者などのコメントパネルの展示などを読みながら回って登って展示を見た。

ファイル 2707-3.jpg

で、ロシアの軍艦の模型もあった。おお!バルチック艦隊!と思いきや黒海艦隊の戦艦ポチョムキンだった。。
なーんだぁと思いきや、ちゃんとバルチック艦隊の戦艦ボロジノの模型もあった。こっちの方が黒くてカッコよかった。100分の1の細かい作りで見入ってしまった。
こんな欧州世界の精鋭たるバルチック艦隊をアジアの端の島国の軍艦が奇跡のような完勝で叩きのめしたんだもんなー凄いよなー(そりゃいい気になって軍事国家突っ走っちゃうよなー、、)

以前、甥を連れて横須賀の三笠を見に行った時に「サッカーでいえばアジア予選を勝ち上がって始めてワールドカップに出たような国がいきなりブラジルに4-0で勝っちゃったくらいの快挙」と表現して驚かせたけど、我ながらいい表現をしたといまだに思い返すw

他にも釣島灯台の模型もあって官舎の寝室まで作られててこれもじっくり見れた。

「自由に遊んでください」コーナーでは明治のスゴロクがあったり、古写真の立体ステレオスコープがあったりして、空いてたから手にして楽しめた。

ファイル 2707-4.jpg

それと「日本馬の高さを体験しよう!」というのもあって、日露戦争時の陸軍騎兵隊の乗ってた日本在来種の馬の高さのものがあったので、鞍にまたがってみた。(空いてなきゃ恥ずかしくてできないよねw)
日本の馬は低くてポニーで戦闘に不向きなんて聞いてたけど、ぜんぜん高い視線で意外だった。そして丁度窓の正面には萬翠荘の館が見えてたので、まるで伊集院少尉にでもなった気分で楽しめた。

あとは三角内側の本編背景の資料展示などは少々時間を気にしてさーっと流して見てまわっちゃった。勿体ない事をしたと思うけどじっくり見てたら幾らでもじっくり入れそうな気がしたので。(最後の正岡子規のコーナーは完全に素通りだった。。)

そんな中で「おお!」と思ったのは新聞連載されていた「坂の上の雲」の挿絵入り全書面を並べた壁。あーこんな感じで短い一話一話を掲載されていたのか―と足が止まった。連載で見てたらバルチック艦隊の下りはさぞかし長ーく感じただろうなぁ。。

ファイル 2707-5.jpg

そして四階でアンケート用紙を書いて出したら、定規になる栞の記念品をいただけた。館の人も丁寧で印象良かった。
最後に入口受付で見かけてたマンホールカードをいただいて外に出た。
そのマンホールは一回の自転車置き場の前だそうでそっちにおりた。

明治時代に近代文明国家の坂を駆け上がってその上の雲をつかむ勢いで発展した日本は、暗くてキツイ軍国の山を登って滑落してしまった。。
そして戦後また崖をよじ登るくらいの勢いで這い上がって雲をつかむ気分になれた日本だけど、今度はゆっくり底なしの坂を下っているような気がする。
でも、空も景色も下り坂の途中くらいが一番眺めいいもんだよね。今の眺めを楽しんで、下りきらないところで程よい尾根を見つけるように進んでいきたい。(と、この年で言ってもしょうがないけどww)この点景は前置きが長い分、締めの文も長くなってしまったか。。

館を出ると少し急ぎ気味に駐車場に戻った。
あ、そういえば建物の写真を撮ってなかったかも、、とか思って通りの入口で振り返って看板だけでもと写真撮っといたけど、入る前にちゃんと撮ってたわ。
そして路面電車の通る前の道を渡って駐車場に戻った。松山市の路面電車はこのオレンジが基本カラーなのかな。よく見かけた。

ファイル 2707-6.jpg

そういえば順番逆になっちゃったけど、ミュージアムに着く前にこの道でSL型の路面電車「坊っちゃん列車」が通るのを見て写真撮ってたので最後に掲載。
夏目漱石は10代終盤の頃にハマってて「坊ちゃん」も勿論読んだ筈だけど全然覚えておらず(三四郎の方が憶えてるかも)、この坊っちゃん列車のモデルの汽車の描写もとうぜん記憶になくあまりピンとは来ないんだけど、こういうのが街を走るというゆとりと所縁のものを大事にする感じがいい街だなぁと思えた。

タグ:観:館 観:建 観:重 観:模 観:具 観:鉄 楽:読 楽:験 楽:証 動:鳥

レストパーク桜三里

ファイル 2706-1.jpg東温市河之内の11号「桜三里」沿いにある休憩用駐車場。

昨日の伊賀上野のような掘り出し物的なパーキングを期待してたけど、ここはトイレと東屋しかない純粋な休憩用のパーキング。
以前は売店くらいああったんだろうな、、って感じだけど、建物の跡もなかった。。
まぁ、トイレ行きたかったとこでもあるし、松山でほんの少しできそうな時間の余裕をどうしようかという作戦たてる休憩もしたかったので丁度いい。(松山城でも登ろうかと思ってて時間足りるか考えたのと、それが無理なら他に何か無いか探ってた。結局なにも決まらなかったけどw)

トイレ出て周りを見たら「源太桜」という解説板があった。
貞享4年(1687)に地元の代官の源太という人がこの峠道に8240本の桜を植えたそうで、過酷だった工事に使役させられた労働者の怨嗟の謡からこの区間の街道が「桜三里」と呼ばれるようになったそうだ。
その当時植えられた桜の内の残った二本がこの「源太桜」樹齢300年の市指定天然記念物だそうだ。

って、、どの桜?

解説板の横の桜は全然若くて小さいし、駐車場内にも他にそれらしい樹はなかった。

ファイル 2706-2.jpg

周りを見てたらトイレの脇の奥に観音像があるのに気付いた。
大きな鉄の賽銭箱もあったけど、何の像とも書かれてないし何故野ざらしなのかもわからない。交通事故の慰霊かな?

さてもう一度「源太桜」の解説板を見てみると。「対岸の」と文頭にあったので、道路を渡った先かと思い、対抗側にちょっと歩いてみた。

なかなか途切れない車に注意して渡ってみると、そういえば対向側にも駐車帯くらいのスペースがあった。
けど、
その横にある川の手前は藪になってて覗ける部分はちょこっとだけ。覗いて見てみても解説板の絵ような風景は無く、桜の木の気配もなかった。。 

ファイル 2706-3.jpg

あきらめて駐車場に戻った。
ちょっと説明不足すぎな気もするけど、気分転換の休憩にはなったし、一応「桜三里」の由来は分ったので良しとしよう。

っていうか
そもそも看板自体すでに古そうな手書きの物で「東温市」というのが貼り替えてるから、少なくとも平成の合併以前の物だわな。
んー、もう枯れて失くなった樹だっkたのかなぁ。。

帰ってからネットで調べてみたら、
「源太桜」はグーグルマップではここから250mくらい手前のトンネル脇の道の対向あたりにマーカーがあり、通りたくない崖の細道で展望できるとこもなさそうだった。。
現地で半端に調べて行ってみようなんて気にならなくてよかったw(こんな季節にそこまで思うことはないだろうけど)
で、
実はこのマーカーは間違っててw実際の位置はそこから北に峠を登ったダム湖対岸の山中のようだ。徒歩でも細く険しい未舗装路でレストパーク側から歩いて40分、ダムからなら15分の冒険だそうだ。。
この解説板は、、、昔はそっちのダム湖岸に休憩所でもあって移動させたのか、只々いい加減なだけなのかわからないけど、少なくともこの絵のようなのんびりした場所にわかっりやすく二本並んで立ってはいない筈で、パーキングで見る人も「へー」ってくらいにしか関心を持たないだろうとタカくくられて小馬鹿にされてるような印象を持った。。
 
それはそうと、この渡った対岸を少し歩けば川に屋根付き橋が架かってたそうで、そういう案内でもあればそれくらいは歩いてみたかったな、、と思った。
千羽ケ岳もカッコいいせっかくの景勝地なんだから、もう少し案内がちゃんとしててくれたらと残念に思った。

タグ:観:然 観:P

しまん豚

ファイル 2697-1.jpg土佐市高岡町にある高知のスーパー「サニーマート 高岡店」に寄ってトイレ煙草休憩。

休憩中にスーパーでは、高知の物を買って帰る友達は買い物してて(リープルとか買い込んでた)、僕も一応店内を回ってみた。

今朝ホテルの朝食バイキングで出たおでんに入ってた(外側あぶらげで中は赤いはんぺんのような)ものがおいしくて気に入ってて、高知の物なのか何て云うものなのか気になってて、売ってないかなーと見てまわってみたけど、おでんコーナーにもそれらしい具材は見あたらなかった。。(ホテルで名前聞いとけばよかった、、)

で、あきらめてスーパーを出た時に、その入り口で豚ハラミ焼串を販売してた屋台店がこの「しまん豚」
ブタの串でハラミ専門というのも珍しいなぁ、と、最初から気になってたので1っ本購入。

ファイル 2697-2.jpg

ハラミは横隔膜。なるほどと思える食感で嚙み応えがありしっかり肉食べてる!って気になるような串焼き。
で、タレの味も良くおいしかった。これはいい。

高知はいろいろあっておいしいなぁ。

タグ:食:串 餐:肉

小島水産

ファイル 2696-1.jpg須崎市浦ノ内灰方にある水産会社。

また細かいことは書かないけど、4人みんなの知り合いが働いてる所なので合いに来たというのと、ふだんここで魚介類の小売りはしてないだろうけど話を通してて買いに来た次第。
久しぶりに会えて嬉しかったし元気そうで更に魅力的だった。
みんなは貝を僕は魚を郵送で購入。あ、あとTシャツも買っちゃった。

点景としては書く事やあげてよさそうな写真も少ないんだけど、岸から見た浦ノ内湾の内海がいい景色なのでその写真だけのつもりであげたみた。

ファイル 2696-2.jpg

浦ノ内湾は岸のすぐ横を県道が通っているものの、堤で見えなかったり休憩する適当な所がなくてゆっくり眺められない印象だったので嬉しかった。
青い海もキラキラ輝いてたし。いい景色だよね。

タグ:楽:眺 景:海 楽:集 楽:買

豚太郎 南国バイパス店

ファイル 2695-1.jpg南国市明見の55号沿いにあるラーメン店。

「豚太郎」は高知のラーメンチェーンだそうで、高知のソウルフードといわれてる「みそカツラーメン」を人気メニューに馴染まれている店だそうだ。(つい最近まで全然知らなかった、、)
本店は同じ道(この55号の32号と合流した先)沿いにあって通って見かけてきたトコだけど、こちらのお店はある人がよく来る店だそうなので開店時間に合わせて来てみた。

ら、
11時数分前では駐車場の口にロープがかかっててまだ閉まってて一旦通過。。
先でターンして戻った数分でしっかり開店してて、店に入るともう結構お客が入ってた。ちょっと狐につままれた気分。月曜の11時なのになんかすごいな。

ファイル 2695-2.jpgさて、実は4人とも別々ながらホテルでしっかり朝食を食べてたのでまだそんなに空腹でもなく、どうしようかーとメニューを見ると、なんと全メニュー小サイズとかあってありがたかった!

なので「みそカツラーメン」を(小)でたのんだ。
でもここによく来る子のおススメは「塩バター」だそうで(そういえば言ってたね)一人は「塩バター」の(小)にしてた。

店内のポスターやサインをみまわしながらラーメンを待った。

そして「みそカツラーメン」(小)がきた。
セット用のオマケのようなサイズではなく、ちゃんと小振りなだけの量のラーメンでカツも具もちゃんと乗ってて好感大。

ファイル 2695-3.jpg

うん、思った以上に味は普通で馴染みやすい甘めの味噌ラーメン。
こういう味噌ラーだったら僕もちょくちょく食べたい優しい味。(味噌ラーっていうと辛味か濃い味かでアクセント付けるイメージで敬遠しがちだった)
カツとの相性も良く、カツは汁にひたっても崩れないようにカリッとしっかりしつつ、それが柔らかくなる感じも程よかった。いいねいいね。

ファイル 2695-4.jpgで、さかささんの「塩バター」も少しシェアさせてもらった。
っていうか(小)でもバターが大きくてたっぷりバター。給食バター3個分くらいあるかな。
これはおいしかった。塩でこのバターは最高だね。さすがのおすすめ。わかってるね。
名物の「みそカツ」もいいけど、また次回来ることがあるなら迷わずこっちを食べると思う。

そして(小)の量もほどよく、腹キツくはならずにいい食事になった。ナイスナイス。

タグ:餐:ら 餐:揚 楽:推

知寄公園

ファイル 2694-1.jpg高知市日の出町の宅地内にある公園。
ふつうの小さな公園だけど、街中の公園にしてはやや広めかな。ブランコや滑り台の遊具も余裕をもって配置されていた。

細かい事は書かないけど、ここはとある撮影が行われた場所で一度来てみたかった所縁の地。いわゆる聖地巡り。
今日一緒に行動するさかささんが場所を知ってて連れて来てもらった。ありがたい!

で、さっそく公園の中に歩くと
あった!
ありましたキリンの乗物。おおお~これかぁ~と感激至極。

ファイル 2694-2.jpg

自然公園みたいなもっと大きな公園の片隅かと思ってたので意外だった。(一緒に来たざっきいとまぁさんも同じように思ってたようだ)
そしてもっといろいろある場所かと思いきや、意外とポツーンと立っていた。

もちろん座ってもみたけど、意外とバランス難しく、そして僕のサイズでは足が掛けられなかった。(まぁさんはうまく乗ってた)

そこから上を見ると、前の樹が少し紅葉してて青空に光って見えた。

ファイル 2694-3.jpg

そういえばキリンだけではなくてSL型のもあって、そっちは更にバランス難しかった。重いのが乗っちゃダメだな。

まぁ、正直、他の人には何のことやらだよね。
はたからみたらあやしい4人組だよね。

っていうか、こんなトコで撮影してたんだ。すごいなぁ。

タグ:観:園 観:ロ 観:具 楽:験 楽:推 景:季

九四オレンジフェリー

ファイル 2518-1.jpg四国愛媛の八幡浜港かた九州大分の臼杵港を渡るカーフェリー。
港ではこのオレンジフェリーと宇和島運輸フェリーが交互に出航しているのかな。前回前々回ともに九州から渡ってきたときは宇和島運輸フェリーだった。
その宇和島運輸の時は煙突のトコに鯉のぼりがあったと思ったけど、こっちはなかった。。

さて、船に乗って客室が混んでそうな時は甲板のイス席で海見ながら、、というのがいつものパターンなのでついつい外に出てみたわけだけど、この船には甲板の席は無かった。。

出港前の船尾から岬に囲まれた宇和海を眺めた。

ファイル 2518-2.jpg

すぐ下の段の船尾までびっしりと車が停められてて驚いた。この車は自分らより後に並んだ車かな?降りる時時間かかりそうで可哀想だな。。とか思いつつ、素直に景色を楽しむ雰囲気じゃ無く客室に戻った。

ファイル 2518-3.jpgで、客室はもうどこも空きがなく、一人ででも入り込む余地もないくらい混んでいた。
今までで乗った船で一番の混みようだったかも。
エントランスでゴザを配ってたので、それを階段下に敷いて座った。
向かいの壁に映った姿は、浮浪者とまではいわないいけど侘しいものがあったw

陣取った場所の脇には「フェリーちゃんぽん」の幟と軽食メニュー看板が立ってて気になったので、落ち着いたとこで売店にいって「フェリーちゃんぽん」購入。
ゴザで食べようと思ってたけど、トレイには「軽食コーナーでお召し上がりください」とあったので軽食コーナーを見ると席が空いていたのでそこで食べた。(食べ終わってもずっと座ってる人達もいてあかないもんだと思ってたので意外だった)

ファイル 2518-4.jpg

ちゃんぽんは八幡浜ちゃんぽんではなく白湯スープの普通のタイプ。この船が「おれんじ九州」だから九州のちゃんぽんなのかな?「おれんじ四国」だったら八幡浜ちゃんぽんだったのかな?(同じらしい)
せっかくの八幡浜からの船なのに、、と、ちょっと残念に思ったけど、それよりも味の方がもっと残念だった。。
「一度食べたら一生忘れられない、麺と具材の頂上対決!」とか書かれてたけど、船を下りる前に忘れたかった。。

で、一応残さずちゃんと食べて、ゴザの陣地に戻ったのが9時過ぎ。
まだ2時間の航路。
ゴザも慣れてくると周りが気にならなくなって足のばしたりしてて、しまいには幟の重石を枕にして寝ちゃったw
足踏まれたり蹴られたりすることもなく、うるさいガキもおらず、客室のザコ寝よりも快適だったかもww

タグ:観:船 景:海 楽:乗 楽<残 餐:麺

道の駅 八幡浜みなっと

ファイル 2517-1.jpg八幡浜市沖新田の八幡浜港フェリーターミナルの向かいにある道の駅。
乗れるか乗れないかわからないフェリーの待ち時間に食事でもできないかと思って傘さして歩いて来てみた。

っていうか、フェリーターミナルで食べれるかと思ってたんだけどね。食堂は8時半からで、喫茶コーナーはやってたけどピラフやスパゲテーっていう気分でもないのでヤメて出てきた。

まぁ道の駅だってこんな朝からやってるわけもないだろうけど、ここは構内に「どーも市場」という海産物市場があるようなので、ひょっとしたらと思って歩いてみた。

ファイル 2517-2.jpgら、ひょっとした。
市場の前に朝からやってる食堂があった。(7時かららしい)
ナイス!
、、、と思ったけど、朝から人気なようで並んでた。。
メニューは良さそうなのばっかでそそられた。海鮮丼じゃなくて八幡浜ちゃんぽんでいいんだよなぁ、、別の店にして客が分散してくれればなぁ。。
一人で並ぶのもつまらないし、時間に余裕がありすぎるわけではないのでやめておいた。

で、市場の方も覗いてみた。
何かちょい食いでもいいからないかなぁ、、と期待してたら、思った通りの揚物の店があり、揚げたての「じゃこ天」が買えた!
こんどこそナイス!

ファイル 2517-3.jpg

んーやっぱ揚げたてはウマいなぁ~。ペロリと食べちゃった。

他にはなく、一応「どーも市場」から出て近隣の店も覗いてみたけど、魚は売ってても飲食もご当地バーガーもまだで諦めて戻った。
やっぱり軽く簡単に食べれるのは揚げ物だけなので、じゃこ天の店に戻り、じゃこ天と他にちょこっと買った。

外に出た。雨はまだパラパラ降ってて傘は手放せないけど、まだ少し早いので港前の入り江と向かいの全面ミカン畑っぽい山(権現山)を見つつ軽く歩いた。
「いやしの楽園 大島」という幟が立ってて大島行きのボートが停まる桟橋があった。フェリーに乗れなかったらこれ行ってみようかな、、とか思った。(まぁ乗れるだろうとは高くくってたけど)

ファイル 2517-4.jpg

で、船ででも食べようかと思ってた揚げ物だけど、まだ少し時間あるし屋根のあるテーブルの休憩所があったので、そこで座って食べちゃった。(おなかすいてたのよ)
じゃこ天はもちろん、じゃこカツも工夫されてておいしいし、チーズ棒も普通においしかった。

ファイル 2517-5.jpgゆっくりして戻ってもまだ7時40分。
道の駅の売店は8時からでまだ閉まってた。
それでもけっこう早い方ではあるんだけどね。なーんか色々とそそられるものとかありそうだけどね。8時まではいられないので諦め。

船乗れなかったらまた来てみよう、、とか思いながら(乗れないとは思ってないけど)まだ少し早いけど車に戻った。

タグ:餐:揚 観:市 景:海 景:山 道の駅

道の駅 清流の里ひじかわ

ファイル 2516-1.jpg大洲市肱川町宇和川の197号沿いにある道の駅。

初めて寄った。
まぁこんな早朝だからトイレだけのつもりの休憩。
点景にあげるような内容ではないんだけど、、

ファイル 2516-2.jpgで、構内にコンビニがあったから何か食べるもの買えるかなと(あわよくば地域の食べ物とか置いてないかなと)思ったけど、近寄ってみると開いてるのはコンビニじゃなくて隣のコインランドリーだった。。

裏にまわると折れ曲がる肱川がよくみえた。

ファイル 2516-3.jpg

あれ?ホントにこれだけか?書き残しておこうと思ったなにかがあったから項目としてたような気もしてたけど、、

まぁこのくらいの簡単な内容のものが記事としては理想かなw

タグ:景:川 楽<残 道の駅

三嶋神社

ファイル 2515-1.jpg梼原町川西路の440号向かいの梼原川沿いにある神社。

ここ数年GWのドライブで毎回来てる高知だけど今回のドライブではいかない予定だったし周りにも行かないと言ってたのに、道を間違えたついでにちょこっと進入w
それもちょっと素通りってつもりだったけどついつい川にかかる橋がカッコよくて思わず停車。まるでドライブの神様に「そんなこと言わずに高知も寄ってけ」と導かれた気がしたw

で、その橋が三嶋神社へ架かる「御幸橋」
案内板によると平成14年(2002)に築設された地元の木材を多用した屋根付橋だそうだ。それ以前にかかってた橋には屋根はなかったのかな。それとも前は橋自体なかったのかなぁ。

橋の前には「維新の道 坂本龍馬脱藩の道」とあったり、猿田彦の神楽像が立ってたりした。(この神楽像は梼原の街から何体も並んで置かれてるそうだ)夜も明ける前の早朝から観光客気分だw

橋は新しいだけあってしっかりしてて、木の感じも良く川も見ながら渡った。

ファイル 2515-2.jpg

渡った先が三嶋神社。
平安時代中期の延喜19年(919)に津野氏がここに築城した時にできた神社だそうで、千年以上の歴史ある神社。

境内に上がるとまず横に、樹齢400余年、樹高37mの「ハリモミ」が立っていた。
案内板にはこれは秀吉の朝鮮出兵の際に長曾我部軍として出兵した津野氏等が朝鮮から持ち帰り植栽した「朝鮮松」だとも伝えられていたとあった。(でも朝鮮松と針樅は別種でこの針樅は日本固有の樹だそうだ。あくまで伝わってた説ってだけってことね)

そしてお参り。
主祭神は大山祇命。
拝殿は明治23年(1890)の改築だけど龍などの彫刻が見事だった。奥の本殿は享和3年(1803)の改築。これは閉じて仕舞われた形だった。

ファイル 2515-3.jpg

土俵や「一千百年碑」を見つつ境内を出て、「維新の道 坂本龍馬脱藩の道」の指す森の道へ歩いてみた。

注連縄を巻いた太い杉が気になりつつ森を進むと、すぐに登り坂。
んーこの坂の先に何があるのだろうか?気になりつつも散策コースという気もしてて案内図はないので進まずに引き返した。

龍馬は脱藩翌日に梼原に到着して地元の志士宅に一泊。その案内で翌日未明にここを通って韮ヶ峠から伊予に抜けたそうだ。 ってことはここを通ったのは深夜だね。
まだ暗さの残るような時間に来てしまったけど、逆に脱藩の道としてはそのくらいの方が雰囲気あっていいね。明るくなる前に番所をぬけちゃわないと、、って気になるよね。
まだ27歳の勝海舟と出会う前の若い龍馬である。ギラギラしてたんだろうなぁ。まさか新婚旅行したり武器商人になったりするなんて思ってもいなかったろうな。

ファイル 2515-4.jpg

そして最後にじっくり「御幸橋」を眺めてから渡って戻った。
どうやら一応昔から橋はあって龍馬が通っていたらしい。
橋の形としては観光的な歴史のないものではあるけど、そのおかげで気になって寄れたので有り難い。

そして天気悪い早朝から寄道できて遠出を実感。気分乗ってきた。

タグ:観:橋 観:宮 観:像 観:飾 観:道 植:樹 景:川