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道の駅 水辺の郷おおやま

日田市大山町西大山の212号沿いにある道の駅。

ファイル 3671-1.jpgここも初の立寄り。っていうかこの212号は何度も通ってる筈だけど、ここに道の駅があるという認識もなかった。。いつも阿蘇へと気が急いでたからかなぁ、、
駐車場はもちろん混んでたけど、出る車もあって割とすんなり停められた。

そして「進撃の巨人日田」の幟が立ってた。
作者の諫山創がこの日田市大山町出身という事でこことダム以外にも何カ所かスポットがあるそうだ。

裏は大山川がサラサラ流れて降りられて川遊び的にもゆっくりできそうな道の駅だった。まぁそりゃ混むわな。

さてそんな「進撃の巨人」、ここにはミュージアムになってた。
看板だけでなく入口の門柱も鉄骨で雰囲気だしてて凝っていた。

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進んでみたら、売店の中を通らずに川沿いを進んでその奥のミュージアムに直接行けるようになってた。
入館料は500円、好きなら迷わない額だけど、僕はそんなでもないので入らなかった。進撃はハマらずアニメも一期しか見てないのよね。
でも好きな人ならこれは嬉しいだろうなと、ぜひ来てゆっくり楽しみたいだろうなと、羨ましく微笑ましく素敵に思え、入口だけ眺めて雰囲気楽しんで売店に移った。

さて、店にも色々あったし、外には屋台テントがならんでチョイ食いも色々あったけど、気になったのはそば食堂の店の一画のスナックコーナーの「梅みつソフト」。大山町は梅が名物だそうだ。(諫山先生も実家は梅農園だそうな)
買って食べたら甘いけどさっぱりしてこれはおいしかった。

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それと「とり天」も気になったのでついつい購入。っていうか、昼ちゃんと食べてなかったから、日田焼きそばでも食べればよかったのにねぇ。
でもこのとり天、味が付いててそのままでしっかりおいしかった。ナイス。
そして時間的に自分が最後の客だったようで、食べてる横で店を仕舞い始めて、食べ終わる頃にはシャッター下りて閉まってた。
そっか、全然明るいからピンと来てなかったけどもう5時か。

「多分日がある内に行けると思うけど」と少し心配そうなくにさんに続いて阿蘇に向かって出発した。


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大山ダム

ファイル 3670-1.jpg日田市大山町西大山地先にあるダム。

ここは手前から「進撃の巨人」と案内が出てて、聖地的なスポットになってるそうだ。
ダムの下にそのキャラクターの像が立ってるそうだけど、まず来たのはダムの上の管理事務所。

くにさんいわく「進撃の巨人のダムカードがもらえる」という話だったけど、三月で終了してたようだ。普通のダムカードなら貰えるみたいだったけど、インターホンならしてもしばらく応答なかったから別にいいやと遠慮した。

そしてダムから見下ろした。切り立った城壁に見立てるのになかなか良さげなダムで、その下のエレンとミカサとアルミンの三人の像も見えた。

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なるほど、このダムの上を見上げてる体勢なので、下から見るとダムから巨人が顔をだしそうな感じに見えるのね。
「下もいく?」
と言われたけど、いやOKどんな感じか分かったから充分。
っていうか正直いうとそんなに進撃はハマらずアニメも一期しか見てないのよね。

僕はそれより湖が見たい。
湖名は「烏宿湖」というらしい。
鏡面のように静かに対岸の山を映していた。

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けど、湖面を見ると枯葉とか枝木が浮かび水も濁ってた。まぁコンディションもあるでしょうよ。
水がキレイなイメージの大分だけになんか意外で面白かった。


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道の駅 うきは

ファイル 3669-1.jpgうきは市浮羽町山北の210号沿いにある道の駅。

ここは初めての立ち寄り(だと思う)。210号は大分の方はよく通るけど福岡の区間はあんまし通らないもんね。
くにさんいわく「絶対混んでるだろうから通過するね」という事だったけど、意外とそうでもなさそうなので寄ってみたようだ。
駐車場は広く、手前に続いた第二駐車場の方なんかはガラガラで悠々停めた。

で、店まで歩きつつ、その手前でちょこっと展望。すぐ裏が展望台になってた。丘の上からの麦畑の農村地帯が見晴らし良かった。「円形劇場」と案内があったけど、内容読まずにこの見晴らしが劇場のようだとか言うのだろうと思ってた。(展望台のすぐ下に野外劇場がっあたらしい)

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手前の木の感じもよく「西見台の老松」とういうプレートがあったけど、それらしい松は見当たらなかった。。

さて、古民家風な形の店の方に進んだ。
くにさんの話では「手持ちで食べるトンカツが名物でおいしい」とのことだったけど、連休中だからか売切れか「羽カツ」は販売休止。まぁ仕方ない。
とりあえず目についた「いちご飴」を買ってみた。これって関東では見ないよね(リンゴはあるけど)。四国の子が話してたから西日本ではメジャーなのかも。
それと専用の自販機になってたご当地茶「うきはん茶」を購入。

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車に戻って来たら、周りの車がいなくなってて更にガラガラになってた。くにさんいわく「普段の日曜より空いてる」そうだ。
運がいいのかタイミングいいのか、そういえば秋月もすいてたし太刀洗だって混雑というほどでもなく普通だった。
なんかその分めちゃくちゃ混むところに集中してそうだなぁ、と思え、そういう所に当たらないようにと祈った。


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太刀洗平和記念館

ファイル 3668-1.jpg筑前町高田にある町立の歴史資料館。

ここは旧日本陸軍の太刀洗飛行場があった地で、この記念館は航空技術兵学校があった場所だそうだ。入口の門がその「第五航空教育隊正門」の遺構のようで、車を降りて先に見てみた。

そして新しい感じの格納庫のような記念館に入った。(平成21年(2009)に開館した新館だそうだ)

入館料は600円。払って入ると館の人が概要をガイド案内してくれた。
館内は基本撮影禁止で、展示してある航空機三機のみ写真可とのこと。もちろん目的はそれらなのでそれだけでOK。

まずは劇場映画「ゴジラ-1.0」の撮影用に作られた実寸復元模型の日本海軍局地戦闘機「震電」。
本土空襲爆撃機に対抗するための高高度への急上昇に特化した特異な機種でプロペラが後方にある斬新で独特なスタイル。試作飛行を経て実戦配備寸前で終戦となった。
これはレプリカとはいえ、実際に自分の目で見てみたい戦闘機だった。

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正直な感想は、思ったよりズングリした印象で、紫電よりも雷電っぽいくらいに胴が太く見えて、尖がった機首も思ったほど鋭角に感じなかった。。けど、写真であらためて見るとスラっとシャープにトンガって見えるのが不思議。あれ?やっぱかっこいいじゃん。
これが何でここにあるのかちょこっと疑問だったけど、どうやら製造したのが九州飛行機だかららしい。最初はこの太刀洗で造ってたけど空襲で基地が壊滅して工場は筑紫野に疎開、福岡で試験飛行したそうだ。生まれる前の縁だけど帰ってきたわけだね。

さてその隣には海軍艦上戦闘機「零戦」の三二型。これは世界で唯一の現存機だそうだ。二一型の改良版で性能は上がったものの航続距離が下がったので生産数は少なかったそうだ。
んー実際見るとスパッと切り詰めた主翼端は何とも無粋で不格好に見えた。けど、それが新鮮で面白かった。

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こちらはタラップで登って上から操縦席を覗けた。そういえば震電の操縦席は見れなかったけどそっちは茨城で見たばかりなので問題なし。後で二階からも見下ろせたけど、全体のフォルムはやっぱり零戦だね。萌袖バージョンだね。

そして三機目は陸軍の「九七式戦闘機」、零戦や隼の前の世代の主力戦闘機で太平洋戦争開戦時は陸軍の主力はまだこの九七戦だったそうだ。っていうか、やっと陸軍機。知覧も所沢もそうだけど、陸軍航空基地跡の記念館なのにどうしても零戦とか海軍機で人を集めてるような感じはもどかしい。という自分もその海軍機が目当てで来たわけではあるけど、陸軍機も存分に活躍しただろうし、機種のバリエーションもあるし、昔聞いた父親の話では一般には加藤隼戦闘隊の方が有名でゼロ戦ゼロ戦言い出したのは戦後の映画からと聞いた。(陸軍を悪者にしようとする米軍の情報操作だとか)

さて、そんな九七戦は真っ黒だったからかものすごく貫禄があり強そうだった。
この機は特攻に使われた機体でエンジン故障で引き返してきて博多湾に不時着水して沈んでたものだそうだ。

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館内をひと回りしたトコで友達からのLINEに気づいた、、「秋月に着いた」 あ、そっち行っちゃったかー、、いけねいけねこっちに来てるの連絡してなかった。「そっちだったら甘木ICからすぐだったのに、、」ごめんなさいー。

図渦しく「こっちに来て」といって引き続き観覧。ちょうど始まるシアター映像を見ようかなと思ったけどその間に来ちゃったら申し訳ないからヤメ。パネルなどの資料展示ももう一周じっくり見ようかなと思ったけど、どうも集中できず内容が頭に入ってこなかったからヤメ。
展示室を出てロビーのグッズ売り場を見てゆっくりとTシャツを選んで買って、あとは外に出て友達の到着を待った。

まだ少し時間があったので屋外展示されてたヘリコプター「HM2000」はじっくり見れた。
三菱製の遊覧飛行用の旅客ヘリで、純国産としては初のヘリだそうだ。ふーん。

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そして2時半過ぎに友達のくにさん到着。
車はFitのe:HEV CROSSTAR。乗り換えて初めてのお目見え。現行の四代目Fitは妙に大きく見える印象なのでこのSUV風で地上高の高いCROSSTARはどっしりといい感じ、最近流行のグレーで締まって見えた。ホンダ仲間に帰ってきたーってわけじゃないけど、前の車よりもくにさんに似合ってると思えた。(本当はトヨタにするつもりだったそうだ)
どっちに進もうかと相談しつつ暫く立ち話。3時前に出発した。


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秋月城跡

朝倉市秋月野鳥にある城跡。

八丁トンネルが開通する以前に通った322号で城下町を抜けて気になってた所で、そういえば秋月と言えば幕末の「秋月の乱」の秋月だよなと思い、一度は城跡も寄ってみたいものだと思ってて今回寄ってみた。

悠々停めた一番安そうな駐車場からは全体マップみたいなのがなくてよく分からなかかったけど、ナビ地図にあった城跡はこっちだと折れた道でまず渓谷を覗きながら石橋を渡った。

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川の先が「杉の馬場」という桜の並木道。もう花の時季ではないけど青々と葉の緑濃くいい雰囲気。昔は並木ではなくて杉の大木があったそうで、桜並木は日露戦争戦勝記念で植えたそうだ。

少し進むと「稽古場館跡」というのがあってそこが「秋月博物館」になっていた。これは有料だけどトイレに行きたかったので入ってみた。秋月の歴史を閲覧できたけど、秋月の乱や幕末の話はちょこっとで思ったほど取り上げられたいなかった。

そしてその敷地に並んで武家屋敷があった。秋月藩士戸波半九郎屋敷だそうで、戸波は馬廻頭から家老まで務めた要職の家柄、戸波氏は秋月の乱で自刀し、旧藩主の別邸となったそうだ。

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屋内は入れなかったけど縁側から庭の池にまわれた。キレイな池でカエルいないかなと眺めたけどトンボしか見なかった。トンボはキイロサナエかな?アップで撮れてよかった。

屋敷の門は閉まってたので博物館まで戻って道に出た。
表から見ると立派な門。でもド真ん前に「秋月藩成立400年」とか幟が立ってて開けることはなさそうだった。

その白塀と石垣の下の側溝に流れる水がキレイで瑞々しくコケも葉もいい感じで、ここにはイトトンボがひらひらと飛んでいた。

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洒落た店や寺への横道を過ぎて少し先にやっと城跡っぽい石垣と水生花壇のような水堀が見えた。その堀の中央にある石橋が「瓦坂」という正門に到る登城口。だけど、城跡は完全に学校になってて進入禁止。この少し先にある学校の校門が正門跡のようだ。もちろん進入禁止、というかとくに城跡としての遺構というか見所は無いようだった。
あぁ、ここは城ではなくて城下町のスポットだったのか。。(秋田でいうところの角館みたいな)

なーんだ、知らなかった。。と少々落胆しつつもまだ堀跡は続いてたのでトボトボ進むと、少し先に石段の登り口があって、石段の上には長屋門があった。
長屋門じゃあもう城じゃないのかなと思いつつ、案内によると、これは秋月城の裏手門として使用されたもので唯一の現存物だそうだ。門の先に藩主の御殿があったそうで、梅屋敷と呼ばれる表御殿と一段高くなった先に梅園という奥御殿があったそうだ。
足元のトカゲを見つつゆっくり登って門をくぐった。

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案内読まなきゃここが本丸か二ノ丸かって感じの広場になってたけど、それは隣の中学校。校庭校舎が丸見えだった。
秋月城は城というより陣屋というくらいの構えだったようだ。元々はこの裏の山の山頂に古処山城という城があり鎌倉時代からの秋月氏の城だったのが、後に秋月氏は高鍋に移封され、黒田長興がこの地を治めて秋月藩となり麓のこの館を城としたそうだ。

梅屋敷の広場の端の山道に「秋月城之跡」と石碑があり、一段上の奥御殿跡には日清日露戦争戦没者慰霊塔があった。城跡にはよくあるね。

端の山道の脇はこんもりと丘になっててその上に神社の社が見えた。ちょっと登る気力はなく折り返した。
っていうか、楓の葉の緑が眩しくいい感じだった。きっと紅葉の時期は凄いんだろうね。

石の鳥居がある神社の登り口は廃れてて、皆登ってた石段の登り口には黒い門があった。この門は「秋月城本門」だそうだけど、なんでこんなトコに??っていうか大手門とは別なの?よくわからなかった。

そしてこんなトコに往時の城下町の地図があった。道の入り口の方にあればいいのに。。

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桜並木の杉の馬場を折り返し。店のような寺とか見つつゆっくり歩いて戻った。
横の道を折れた先にも武家屋敷の案内があったけど、あまり歩く気にもならず武家屋敷もさっき見たからいいかとスルー。

中間にある茶屋「黒門茶屋」に寄ってみた。ちょうど昼だし何か食べようかな、、と思ってたけど、思ったほど腹も減ってなくて、軽く「飲む葛餅」の「さくら」という可愛らしいものをたのんでしまった。。
雰囲気ある店の奥の席につくと、裏の中庭に犬が二匹寝転がってて、その子らが店長と副店長だとあった。犬好きな店かと思いきや、店内の飾りの小物は招き猫だらけだったりしてわけわかんなかったw

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「飲む葛餅」は思ったほど葛餅っぽくなく飲みやすいスイーツ。ちゃんと葛餅食べればよかったかな?とおもったけど、まぁおいしいし軽かったのでOK。

ここでゆっくりして、友達と待合せようかなとか思ったけど、時間見たらまだ1時前強。。友達は2時くらいの到着予定だそうだからちょっと時間ありすぎ。博物館で見たチラシの行ってみたかったトコ(太刀洗平和祈念館)を検索したら、意外と近くですぐ行けそうなので店を出た。

1時に車に戻って出発。
城が城だったら2時くらいまでゆっくり歩き回れたのかな?ちょっとアテが外れた感じだけど、雰囲気いいスポットで気分いい散歩になった。

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田川市石炭歴史博物館

ファイル 3666-1.jpg田川市伊田の炭鉱跡地にある博物館。

そういえば九州は炭鉱や鉱山や煙突なども印象的で昭和の映画などでも触れることがあったけど、そういえば関連スポットなどは全然行ってないなと気づき、この博物館の案内を見かけた時は(どこへも寄るつもりもなかった割には)乗り気で行ってみようと思った。

着いたら入口の柱に「炭坑節発祥の地」とあってへーっと思った。
あれだよね「月がぁー出た出たぁー月がぁあー出たぁーあよいよい」ってやつだよね。盆踊りだよね。ここなのか。
ってわけで、過酷で危険な重労働の炭鉱のイメージが、盆踊りのイメージで少し明るく思えた。

さて、旧三井田川鉱業所伊田坑跡地にあるというこの歴史博物館は、公的なしっかりした建物で入館料400円。
払ってロビーの山笠を見つつ中に入った。

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パネル資料の中央に大きなジオラマで三井田川鉱業所伊田坑の1/150ジオラマがあった。Nゲージの縮尺だね、細かくてよくできてた。
資料展示は、じっくり読んでる人がチラホラいたけど僕は概要だけ見て流してサーっと進んだ。続く裏側の展示室は真ん中でいったん外に出る順路になってた。

で、外に出ると炭坑用車両が静態保存されてて見てまわれた。

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蒸気機関車もあって9600型の59684号、カッコイイ。

そしてそしてそんな車両の奥には炭鉱住宅長屋が再現されてて、玄関を開けると中も見れた。

最初に覗いたのは昭和期の家で、茶の間では親父が卓袱台で酒を飲んでた。そして台所には割烹着の奥さんが米を研いでたんだけど、この奥さんが妙に色っぽくて後ろから抱きしめたくなったw

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隣りの部屋は資料館になってて神輿があったり炭坑節の解説があった。娯楽も少なかったぶん祭りは凄かったんだろうな。節が後世に残るくらいだもんな。

そして奥には共同トイレがあり、折り返すと同じ外見のもう一棟の中は大正期の部屋と明治期の部屋になってた。ちゃんと畳敷きであまり変わらない感じだったけど、炊事場は屋外になってた。

そして館内に戻った。

後半は実物大の人形を配置した炭鉱内の作業風景ジオラマ。
なんか、女性の工婦も胸をさらけ出して働いてて驚いた。そろって作業に従事した夫婦もいたそうだ。ジェンダー平等だ。っていうか、昭和の昔は女性の胸もそんなに隠さなかったんだよね。TVでもじゃんじゃん出てたし電車で授乳なんて普通だったし。今は隠し過ぎだから、こんな人形見てもついつい悶々としてしまう。。困ったもんだ。(っていうか、男はちゃんと服着てるんだけど、、??)

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そして「炭坑体験VRシアター」というのも短いけどわかりやすく見れた。なかなかいい案内の館だった。

そして展示室から出てロビーの山笠を見つつ階段を登った。
二階の廊下には炭坑記録画の風呂場の風景がジオラマ模型になってた。男女混浴だったそうで、、なんか昭和ってもう全然違う世界だよな。

そして撮影禁止の第2展示室にはその炭坑記録画が並べられてて、見ごたえあった。

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ベランダが展望台。とは言ってもほとんどこの公園を見渡すくらいでそんなに眺めは良くなかった。
近くを列車が走る音がよく聞こえたけど、列車は頭をちょこっと出すだけで通り過ぎた。

下に降りて外に出た。
館の前にプレハブの土産店があったので覗いてTシャツ買っちゃった。店員さんは慣れて無くてあたふたしてた。

そして少し外の公園内を歩いてみた。
「炭坑節発祥の地」の碑や歌碑や案内をまた読んで、炭鉱夫の像を見上げた。夫婦の距離はこのくらいがいいのかも、、と勝手に微笑ましく思った。

山と町は公園の先からの方がよく見えた。二階の展望台いらねー。

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そして炭鉱住宅長屋からもよく見えてた「竪坑櫓」。これは深さ300m以上の最深部まで一気に下れるエレベーター。VRシアターでも見たけどおっかないよね。

最後に二本の大煙突。炭鉱内の動力源となる蒸気ボイラーの排煙の為のもので現存する明治期の煙突では国内最大級だそうだ。
真下まで行って見上げて見回した。

なんか色々と面白く見どころだらけのスポットだった。寄ってよかった。


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国道九四フェリー

ファイル 3286-1.jpg愛媛県伊方町の三崎港から大分県大分市の佐賀関港へ渡る197号のフェリー航路。

九州からの帰りは四国にまわってということも多く何度も乗ってる航路だけど、最近は臼杵の航路の方が多く久々な気がする。
(数えてみたら佐賀関3、臼杵3、別府1で、佐賀関は2010年以来12年ぶり)
だけど、初めて九州に来た時から乗ってるので、何となく自分としてはこのルートが正しい九州からの復路ってイメージが強い。

さて、予約の日付間違えちゃってて諦めかけたけど乗れそうなので一安心。(車並んじゃってるし仕方ないって感じなのかなぁ)

ファイル 3286-2.jpgそして、食堂なんてもちろんまだ開いてなかったけど、売店は開いてたので何か食べれるものないかな、、と見てみたら、なんと「関サバ」の鯖寿司とかあった!ナイス。迷わず買った。

冷凍物でレジ横にレンジと目立つ案内があり「加熱して30分~1時間が食べごろになります」「加熱後は2時間内にお召し上がりください」「自然解凍はごはんがパサつきますのでおやめください」と意外と細かかった。
建物の二階が休憩室はまだ開いてなくて上がれかったので車に戻った。

30分~1時間が食べごろとあって、まだ出航まで1時間あったので全然余裕だったけど、空腹で待ちきれずに10分くらいで開けちゃった。

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んーうまい。まぁ鯖寿司はまちがいないよね。でもせっかくの関サバだったらもっとおいしい食べ方で食べたかったなぁ、、って気もしたけど、まさか朝から名物を食べられるとは思ってなかったので感激。箸を止めずに一気に食べちゃった。

食べ終えてもまだ時間余裕なのでウトウトしてたら、20分前から乗船開始。早っ。キャンセル待ち組なのに普通に列の中ほどで乗船はズルした気分だったけど、遠慮はせずに乗船。

車を降りて客室に上がった。
で、まず先に甲板に出てみた。

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フェリーターミナルを振り返ったり、意外と工場の多い佐賀関の港を眺めたり、港の先の海を眺めたりしたけど、出航まで眺めていたいというようなワクワクはなく、ひとまわり見て写真撮ったら客室に引っ込んだ。

客室は意外とすいてて、とくに雑魚寝コーナーは空いてて悠々寝転がれた。(知床観光船沈没のニュースを見つつ)7時定刻で静かに出航。そのまま仮眠。

起きたら8時。外に出るともう佐田岬半島の三崎の口まで来ていて、左舷後方に岬の山が連なって見え、右舷前方も半島の口が朝日の陰になっていた。

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道の駅 さがのせき

ファイル 3285-1.jpg大分市大平の179号沿いにある道の駅。

海沿いの小さな道の駅。前からあったっけ?初めて寄ったと思う。
いつも港に直行してたからね。
で、さすがに連休だけあって夜来た時はほぼ満車。空いてるトコは見つけたけどキャンピングカーの間で窮屈だった。

で、寝るだけで起きたらすぐ港に移動ってだけだったけど、ちょうど夜明けで日が昇った海を眺められた。
ので、写真だけでものつもりで点景にしてみた。

建物の横から眺めて気持ちよかった。

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振り返ると建物の上が展望台になってて外から上がれた。
そんなに角度は変わらないけど、道の駅とか前の道とか見えた。
吊られた鯉のぼりとか、自分の車とか見えて、道も朝日が照らしてるトコとまだ照らしてないトコとか見えた。

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横綱ラーメン

ファイル 3284-1.jpg宇城市不知火町長崎の266号沿いにあるラーメン店。

まっ暗くなった海沿いの道で灯りが目についたので咄嗟に減速して寄ってみた。

ホントは熊本に来たんだったら人気の熊本ラーメンの店を探して向かいたいトコだけど、今日は出来ればもうごちゃごちゃ寄ったりせずに一気に行けるところまで進みたいと思ってたので、見かけた店で選ばずに食事しようと思ってた。
それにもう8時前なので、見かけたトコは入っちゃわないと食いっぱぐれそうだった。(そしてこの先はマイナーな―コースを進むつもりだった)

店内はわりと広めで、ささっとカウンター席について普通にラーメンをたのんだ。
醤油ラーメンだったりして、、とかも思いながら待つと、ちゃんと豚骨白湯の出てきて安心した。(昔、熊本で入ったら醤油ラーメンだったことがあった)

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意外とあっさりさらさらの優しい豚骨で麺は細麺、熊本というと濃厚中太のイメージだったのでそれとはちょっと違ったけど、おいしいラーメン。
普段から食べるならこのくらいがいいんだろうね。普通に地域の市民が食べる熊本のラーメンって思えた。

個人的には、生まれて初めて食べた豚骨ラーメンが濃厚な透明度ゼロの熊本ラーメンだったので、熊本というとういついいつもそれを期待してしまうんだけど、熊本市街でもなかなかそのイメージ通りのものを味わえるものでもなく当たり外れあるくらいで、熊本から少し離れたここら辺はどんな感じかなと興味あった。

罪悪感なく汁も飲み干してぺロリと完食。ごちそうさまでした。

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おっぱい岩

ファイル 3283-1.jpg苓北町坂瀬川の海岸にある岩。

これはかなり前に何かで知って長いことネタ帳に載せていた項目。前に通った時には国道の方に案内もないので気付かずに通過してたんだと思う。
今回は富岡城跡のビジターセンターに丁寧な案内が出てて、それ見て思い出したし、目印と駐車場(酒屋の先の西川内漁港の駐車場)の位置も具体的に把握できてたのですんなりくることができた。

そして港の駐車場の先にはちゃんと「おっぱい岩」の案内が立っていた。
案内を読むと、この岩は下山の噴火で飛んできたと思われる岩で周りの岩より重く堅い為に崩れずに残っているそうだ。
満潮の時は潮が満ちていかれないらしい。。タイミングよくて良かった。

港ではイソヒヨドリが近くに飛んできた。そんな珍しい鳥でもないはずだけどなんか見かけたの久しぶり。青くて海っぽい。

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そして最初の鳥居をくぐってそこから石ゴツゴツの浜(というか磯)を岩に歩いた。
先の方にあるもう一つの赤い鳥居が目印になってて分かりやすかったけど、意外と離れてた。

砂の部分は黒い砂利で埋もれやすく歩きづらく、岩の部分は険しい造形で歩きづらく、足が疲れてるときには骨だった。
やっと到着すると鳥居の正面から覗いた先にその岩が見えた。

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おーおっぱい。
写真では見て知ってたけど(案内のトコにミニチュアもあったし)実物をみてもたしかにおっぱい。
遠くからみてもだけど、直径1.5mの間近で見るのにちょうどいいサイズ。
なんか皺皺のわりに柔らかそうな湿気ふくんでそうな見た目だけど、触れてみるとガンと堅い岩で意外な感じ。
あ、触れると乳の出が良くなるとか胸が大きくなるとかだったっけ、、いけねいけね。

っていうか、決して巨乳の形では無いよね。Cくらい?丁度いい形。(僕はこのくらいが好きだ。(もっと小さくてもイイくらいだ)
乳首の先に海藻がついてたのが何とも淫猥でそそられたw

更に少し先には直径80㎝の小さめのおっぱい岩もあるそうだけど、もう足疲れててこれ以上歩きたくないのでこれで満足と引き返した。

戻りは磯を覗きながらゆっくり歩いた。ここもまた沢山のヤドカリがチョコチョコ動き回っていた。

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そして水中で海藻を捕食中のカニもいたし、小魚も沢山流れてた。ハゼっぽいのも見れた。
少し歩いては足を止めて少し歩いては覗き込んでして、おっぱいよりも時間かかってたかもw

それと潮が引いた岩に着いた海藻が干からびてテカテカになって金属のようなメタリック感あるつやに見えて妙にかっこよかった。ペロッときれいに剥がれそうなイメージだったけど、意外と堅くてバリバリで端しか取れなかったった。

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しょうじき岩をちょこっと眺めて終わりかと思ってたけど、離れてたおかげで意外とゆっくり楽しめた。
 
 
ところで、
ここまで来といてフト頭に浮かんだことがあった。
あれ?たしか苓北町って、、去年やってた釣りのアニメ「放課後ていぼう日誌」の舞台じゃなかったっけ、、
とか思って出発する前にスマホで調べてみた。
ら、
全然違っててそれは苓北町ではなく北町だった。
九州本土の方かー。

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