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道の駅 あさひまち

ファイル 1615-1.jpg朝日町和合北又の287号沿いにある道の駅。

ナビの地図にもなかったけど其れもその筈、去年の10月にオープンしたばかりの新しい道の駅だそうだ。
リンゴ風の幟も洒落てるし、建物もこれ、赤と緑でリンゴのイメージでしょ。

なんかいろいろありそうだけど、あんましお腹減ってないんだよな、、
なーんて思いつつ、もう店に入る前からスタンドショップの御当地ソフトと御当地バーガーが気になったりした。

ファイル 1615-2.jpg引き合う力は宇宙規模「引力バーガー」というのは、なんか宇宙関係の施設でもあるのかな?とか思ったけど、そうじゃなくて朝日町産リンゴ(ふじ)が朝日町産ブタ(あっぷるニュー豚)と引き合ったという万有引力的な品。(「豚林檎バーガー」でいいじゃん)
そしてソフトはこれまた朝日町産完熟リンゴの果肉入り。
気になって両方買った。

あ、しっぱい。
ソフトはバーガー食べてからにすれば良かった、、先に渡されてもなぁ。。

ってわけで先にソフト。ちょっと寒かった。冷えた冷えた。

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そしてバーガー。
これはおいしかった。リンゴ合うねぇ。
ソースはデミグラで素直にハンバーグらしくて、そこに入り込んだリンゴが意外と自然で和んでた。
男バンドの女性ボーカルみたいなそれでいてしっかり軽くないロックみたいな。

店の中を覗くと食堂メニューもいろいろ面白いのがあったので、是非また来たいと思った。
やっぱ新しくできたトコは掴み分かってるね。

タグ:餐:ば 餐:冷 道の駅

椹平の棚田

ファイル 1614-1.jpg朝日町能中にある棚田、を、見下ろす展望地。
最近この朝日町は観光スポット案内がしっかりしたのかな?以前は全然知らず気にもとまらず通過してばかりの地区だったけど、案内があるとよりたくなるね。

で、車で案内通りに進んだらグングンと坂を上り続けてたので、こんな上の方に棚田があるのか?と不安に思ってたらそうではなくて、高いところから広く見下ろす展望地だったのは意外だった。
おーそうきたか。
こういう見せ方は初めて。なるほどこれなら田圃に立ち入られる事もなく地元の人も安心の観光地だわ。

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いい眺め。
14haの広さに190枚の田が広がり「日本の棚田100選」だそうだ。
でも、高いところから見下ろしてると、棚になってるのか何なのかあまりピンとはこないね。。
山の斜面に沿ったような棚田ならまだ水入れ前のこの季節でも造形の眺めがいいもんだけど、こういう規則正しい形のものだとあまり面白くはなく、穂が育って青々した時季に来る方がイイかな、、と思った。

ファイル 1614-3.jpg展望地の駐車場に展望台があるわけではなくガードレール越しに道から眺めてたんだけど、駐車場の前には「一本松公園」の入り口があって、見るからに「あそこが頂上の展望台だな」と思えるトコに一本松が見えた。
登ってみようかなーーとも思ったけど、ここでも充分いい眺めで、そんなに眺めが変わる気もしなかったのでヤメといた。

タグ:楽:眺 観:農 観:選

道の駅 白鷹ヤナ公園

ファイル 1613-1.jpg白鷹町下山の287号沿いにある道の駅。
287号を通る頻度に比べてあまり寄ってはいない道の駅でこれで三度目くらいかな。(前回→)

287号って北からの帰り道で通る事が多く、いつも米沢までノンストップって感じなんだよね。
今日は「置賜さくら回廊」を細かく巡って達成感の後の休憩。ここで折り返すかって気分でゆっくり立ち寄った。

時間を見ればまだ朝早い時間で駐車場はガラガラ。悠々停めて歩いた。
まーだ梁の季節じゃないよね、、と、覗いた最上川には鯉のぼりが泳いでいた。

ファイル 1613-2.jpg

おーいい眺め。
最近、「鯉のぼりは形のない風の元気が姿を表したもの」みたいな文章を(仕事で?)読んだトコだったので、なるほどなぁーと思いながら眺めた。
川は少し濁って水量多く、梁はまだ無かった。初夏くらいからかね?とか思いきや4月29日から「やな開き祭り」と張り出されてた。半月早かったね。

そしてそうそう空腹だった。
食堂はさすがに開いてなかったけど、脇の鮎焼き小屋はもう開いて鮎を焼いてたので、塩焼きと豆腐田楽を買って鯉のぼりを見ながら軽く食事した。

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田楽は山形県産くるみ味噌使用、鮎は国産特別養殖鮎(なにそれ?)だそうだ。
どちらもおいしかったけど、御飯と味噌汁も欲しくなったw

土産売り場も開いていて軽く見て回った。
観光案内の一角では結構大々的に「置賜さくら回廊」をアピールするコーナーがあったので、ここからスタートした方がいいかもね。
でも自転車レンタルで廻るのはキツそうだし、、観光タクシーは料金怖いね。(まだ咲き始めくらいの時季に車でまわるのが一番いいね)

タグ:景:川 観:飾 餐:魚 餐:豆 道の駅

置賜さくら回廊-白鷹町-

白鷹町の「置賜さくら回廊」
リストアップや番号があるわけではないようなので、全部で幾つの桜の古木があるのか分からないけど、とりあえずサイトで見ると長井市に倍するくらいの桜があるようで、とりあえず片っ端から順に寄ってってみた。
で、
あまり項目増やすのもナンだし、どこも一分咲き未満だし、ってことで白鷹町内のものはひとまとめにしました。

まず最初は南から白鷹町に入ってすぐの「釜ノ越桜」
ここは「釜ノ越農村公園」になってて駐車場も幾つかあって売店とかもあって一番ちゃんとしてた。
咲いてないから勿論まだ有料になってない駐車場に停めて歩くと、白い冠雪が残る山をバックに赤いつぼみを纏った桜の樹が見えた。
、、、けど、近づいてみると背後に並んだ若い桜の樹で、「釜ノ越桜」の古木はちょっとくたびれた雰囲気だった。

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樹齢約800年のエドヒガン。
ここに居陣した源義家(八幡太郎)が樹下の石で釜戸を築いて兵糧を炊いたそうだ。
んー咲くのかな?
とりあえずつぼみを付けた枝は出てたのでちゃんと咲くようではあった。まぁ他にも桜の樹は沢山あるので花見する公園としては賑わいそうだ。


二つ目は県道のすぐ先の「薬師桜」
ここは駐輪場くらいの入りずらい駐車場があるけど面倒なので路駐で歩いた。満開に咲いたらこうはいかないだろう。
で、桜は背は低めだけどとても風流な姿で薬師堂前に格好良く鎮座。ぐるっと周りを歩きながらじっくり見ると花を咲かしている蕾もチラホラあって喜ばしい。吹き抜けの洞があったりして『回廊』内の樹としてはこれが一番素敵だった。

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樹齢1200年のエドヒガン。
この桜には征夷大将軍坂上田村麻呂の恋の伝説があるとか、、ほらね。
薬師堂には子供の前掛けが重ねて修められていた。一番上のは「妖怪○オッチ」だった。。妖怪を修めちゃっていいのだろうかw


すぐ先で「御衣黄桜」「オオタ桜」というのも案内を見かけて脇道に入ってみたけど、コレはどれか判らずにぐるっと回って「薬師桜」に戻ってしまった。。


少し進んで三つ目は「十二の桜」
ここは花見用の設営が行われていて、何台もの軽トラと大勢の人が集まっていた。
取り敢えず駐車場で降りて歩くと、幾つもの桜が並んでいて、十二あるから十二の桜なのかな?とか思ったけどそういうわけでもなさそうで、貫禄ある一本が多分それだと思えた。
ここの案内板は細かく丁寧に書かれていたけど、細かい分かえって分かりずらかった。。
ベンチの枕木を填めてる横をすり抜けて歩いて回った。

結局樹齢は何年なんだ。二度老衰して根生えの新芽に世代交代しながら870年成長を繰り返してきた古木って事でいいのかな?
昔は十二神堂というのがあった場所だそうだ。
咲いてる花は一輪も見つけられなかったけど、幹には茸が生え、足元にはフキノトウが顔を出してて春の到来秒読み体制だった。

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次は「山口奨学桜」
明治後期に山口村小学校に植えられた樹齢100年のエドヒガン。
ここも花見用の設営が行われていたので、寄らずにちょっと車から遠目に眺めるだけにした。
100年と若い分だけ形よく、咲いたら見映えいいだろうなぁと容易に想像ついた。


四つ目に寄ったのは「子守堂の桜」
手前の広い駐車場で停めてみたら、そこは学校だったのでヤメて路駐。降りた目の前に小さな桜が勢いよく咲いていた。もうこれでいいじゃん、、とか思いつつまだ咲いてない古木に歩いた。
ら、ここは丘の掛け上がりの途中にあってとても眺めのいい場所にある桜で、花もチラホラ咲き始めてていい感じだった。
タヌキみたいな猫ものんびりしてて、ポカポカで気持ちよかった。

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樹齢1000年のエドヒガン。
この地をおさめた鮎貝家の子守がこの桜の下に草履をぬいだまま消息を絶ったそうで子守堂を建てて祀ったとか。
広くないけど眺めは一番いい桜で、人がいない時に来れて良かった。
1000年もの間ずっと見下ろして眺めてきたんだね。
満開に咲いたらさぞかし素敵だろう。散って花びら舞う姿も良さそう。と想像しながらのんびり眺めた。


そこから細い道を進んで五つ目は「後庵桜」
ここは駐車場が無く「この先車両進入禁止」で路駐して歩いた。咲いてたらこうはいかないね。
その徒歩区間入口の家の庭先にも濃い色の桜が勢いよく咲いていた。(桃?)またまた「もうこれでいいじゃん、、」とか思いつつもやっぱり古木に歩いてみた。

続く幟を辿ると少し距離あって、途中の畑に「鮎貝城本丸跡」とあった。
応永3年(1396)築城で鮎貝氏が治め天正15年(1587)に伊達政宗に謀反を起こして攻略され落城だそうだ。
で、「後庵桜」は、、
その先の民家の前、、じゃなくて奥の物干し台の先にあった。。
なんか入りづらいなぁ、、って気分で軽く拝見した。

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樹齢680年のエドヒガン。
計算すると築城の前からあった樹だね。城が滅ぼされても残った桜っていうのはいいね。
その鮎貝城の北にあった医者の庵の桜で「後庵桜」と呼ばれたそうだ。この家も医者の一家なのかな?
樹は裏の谷間に迫り出す形ではえてて、その谷(堀割??)に簡単な足場の橋が架かってたけど、入り込んでいいものかどうか解らなかったからヤメといた。
桜は咲いてる蕾も見つけられたけどパッとしなかった。


更に細い怪しい道を進んで「赤坂の薬師桜」
ここは細い坂道の上にあって、駐車場もなく、車停められそうな道脇には作業の軽トラが停まってたのでやむなく通過。
一番辺鄙な場所で裏の裏って感じで冒険心はくすぐられる。
車から降りてないから本編の日誌の方に載せたいトコだけどね。

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一時停止して案内板は読めた。樹齢970年のエドヒガン。
ここは旧街道の入口で、最上川の洪水の時に船を繋いだという伝説があるそうだ。(珍しく色気のない伝説だ)
二つ目に行った「薬師桜」と同種で同じ薬師堂の桜だから同年代に植えられたものと考えられる、、、とか書かれてるけど、ちょっとまて、あっちは樹齢1200年じゃなかったか?サバ読み過ぎ。。(恋の伝説もほしいところ)

最上川を渡って白鷹町の町に入る。

ここまで(赤坂の狭路でさえ)分かりやすく続いてた「さくら回廊」の案内が、なぜか町内では途切れててその次の「八乙女種まき桜」というのがドコだか分からなかった。。
町を出そうになって一旦停車して、スマホで見てみて戻った。
けど、この「八乙女種まき桜」はやっぱり案内薄かった。
八乙女八幡神社というのがあるので、まぁ多分そこらへんだろうとは思ったけど、道も狭く駐車場も分からず、表通りから歩く気もなく、結局ヤメて通過。案内がないってことは枯れたか?

で、次で最後の六つ目は「称名寺阿弥陀堂の桜」
ここは案内が一箇所ぬけてた交差点のせいで町を二周しちゃった。。
辿り着いた先はお寺のお墓にある桜で、路駐はしずらくて通過したら称名寺の第二駐車場が近くにあったので、そこから歩いた。

お墓の真ん中の阿弥陀堂はしっかりした造りの坊で、いままで見てきた薬師堂が市井の馴染める雰囲気とは違っていた。
で、その裏にある桜の樹も立派で高く広く立っていた。

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ここだけは現地の案内板が無かった。(阿弥陀堂の案内はあったけど)
ネット調べでは樹齢350年のエドヒガン。
1000年級の古木の中ではなんか若く感じちゃうけど、350年でこれだけ活気あって堂々としてるのは立派。咲いてる部分もあって一番見映えがした。
でもなんだろうね、やっぱり墓地の中ってあまり落ち着かないよね。人んちに入り込んで見てるような感じ。檀家でも縁者でもない不審者とは思われないように写真撮り捲った。


こんなとこかな。
長井市で三箇所(+町内と土手と未確認1)
白鷹町で六箇所(+車で横目通過2未確認1)
いやーまわったね。っていうかこんなに桜の古木がある地域って珍しいんじゃない?
今回は咲いてなかったからこそ、そして朝の内だったからこそひとつひとつ飽きずに幾つも廻れたんだと思う。
多分、咲いてたら一つ二つで満足してるよね。
たまにはこういうルート巡りもいいね。

タグ:植:花 植:樹 植:草 植:茸 観:伝 観:寺 観:城 観:道 景:季 動:獣 楽:歩

葉山神社

ファイル 1611-1.jpg長井市白兎にある神社。
裏の山(葉山)の頂上に奥の院があるそうだ。

この神社の境内手前に『置賜さくら回廊』にリストアップされた「白兎のしだれ桜」があるので寄ってみた。
ホントは駐車場からチラッと見て樹の写真だけ撮ればいいかな?とかおもってたんだけど、神社には大きな杉の樹もあって雰囲気よかったから車停めて歩いた。

で、その枝垂れ桜、パッと見は枝が切られて太い幹の下の方で枝垂れてて変な形って印象。
だけど、そういえばこの『置賜さくら回廊』で枝垂れ桜って珍しいし、よく見たら少し咲いてそうだぞと近寄って見てみた。

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おお、ぽちぽち咲き始めてるね。
幹には大きなサルノコシカケとか小さな茸とかも付いてて潤った感じ。枝垂れ桜って背が高く長く枝垂れてこそナンボって思ってたけど、こういう脇下で線香花火みたいな枝垂れもいいね。
推定樹齢140年で「日本三十三枝垂桜」に選ばれてるそうだ。

そして神社に歩いた。
市指定天然記念物のスギは鳥居のように二本並んで格好良かった。
そしてそのスギの先に鳥居と狛犬(じゃなくて狛兎)が続いてて、神社は正面が入口ではなくこっちが参道だった。

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社殿にあった「趣意書」を見ると、明徳4年(1393)に修験者が沼で見つけた薬師如来を葉山山頂に祭祀して築かれた神社だそうだ。
薬師如来ってことは神社というより寺院って感じだけど、いろいろだよね。
それよか「兎」との関わりが知りたかったけど、そういうことは書いてなかった。

お参りしてからいつものように裏にもまわって本殿を拝見。
したら、足元にカタクリの花が咲いてるのに気付いた。
おーカタクリ咲いてんじゃん!とか思ったけど、フト見ると周りに沢山群生してた。凄い凄い。山中の斜面とかじゃなくてもこんなに普通に咲くもんなんだ。

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へー、なんかいいトコだな此処。
と、少し歩いて周ったら、その脇にある池には水芭蕉が咲いていた。
この池は裏の林から流れてきた小さな沢の水が溜まっただけの、浅い水溜りって感じで極々小さな湿原の姿してて素敵な池になってた。

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なんかすごく雰囲気いいトコだった。

ホントは此処と「伊佐沢の久保桜」「草岡の大明神桜」それに「最上川堤防千本桜」や判らなかった「かすみ桜」なども纏めて「置賜さくら回廊-長井市-」としてひとつの項目の点景にしようと思ってたんだけどね。
此処が桜だけじゃなく神社としてイイ感じの場所だったので、単独て取上げたく纏めずにそれぞれの項目にしちゃった。

タグ:植:花 植:樹 植:茸 観:宮 観:像

草岡の大明神桜

ファイル 1610-1.jpg長井市草岡にある江戸彼岸桜の古木。
これも国指定の天然記念物。
樹齢推定約1200年だそうで、坂上田村麻呂が戦勝記念として植えた五本の桜の内の一つだとか。(戦勝記念で五本あったら、恋の墓標ももっと沢山あったのかもね、、)
それと伊達政宗が十四,五歳の頃、初陣で負けて、この桜の洞に隠れて難を逃れて詠んだ歌が残っているそうな。
坂上田村麻呂と伊達政宗はこの先も色々と見かけそうだ。。

ファイル 1610-2.jpgそして「巨樹日本の桜ベスト10」というのもあって、ここの桜は全国二位だった。(っていうか10の内、山形と福島で6つも埋まってる、、)

えーなんかあやしいなぁ、、
なんて思いながら樹の方に歩いてみると、意外としっかりした背の高い勢いのある立派な樹だった!(さっきの久保桜より全然イイ)

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花は全然咲いてなかったけど、咲いたらさぞかし立派そうに思えた。(この日見た桜の中でもこの樹が一番貫禄あって立派だった)

樹のまわりでは、掃除したり整えてる地元の人達が何人か作業してたので、「咲くのは来週くらいですかね」とか話しかけてみて、色々と話が聞けた。感じのいい人達だった。

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伊佐沢の久保桜

ファイル 1609-1.jpg長井市上伊佐沢にある江戸彼岸桜の古木。

地元の関東は桜の散り時だし昨夜会津でも満開の夜桜を見て桜はもう満足って気分だったけど、山形に来たらまーだ全然咲いて無くて、これから咲くちょっと手前の春待つ桜って言うのも乙なものだとか思って来てみた。

ら、
やっぱり全然咲いてなかった。
っていうか随分と年召した老木でホントに咲くの?って雰囲気。

この樹は国指定の天然記念物。
樹齢推定約1200年だそうで、かの征夷大将軍、坂上田村麻呂が当地を訪れた際に地元の娘と恋仲になり、田村麻呂が去った後に娘が死んだとの知らせを受けて桜を贈って植させたものだとか、、

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咲いた姿を想像するのが難しいなぁ、、と思いつつ周りを一回り歩いてたら、つぼみが出てる部分もちゃんとあった。おお咲くんだね。

そして、周りには小さな桜とかも植えてあって、先にもう咲いてる樹とかもあった。その桜を見つつ、こんな花でいっぱいになった姿とか、、、んーやっぱ些むづかしい。
なんて思ってたけど、よくみたら部分的に開いてる花もちょこっとあった。 花は濃いめの紅色で咲いてる白めの桜とは全然別だった。これがエドヒガンか。

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ファイル 1609-4.jpg誰もいないのでゆーっくりぐるぐると周りを見て回った。
朝日を浴びていい感じ。
満開で人だらけより、ちょこっとでも咲いてて誰もいない方がいいね。


さて、
車に戻って出発前に、この「伊佐沢の久保桜」を含んだ『置賜さくら回廊』というのをスマホで調べてみた。
ら、
いくつもの名のある桜の古木を訪ね歩くルートのようだった。
面白そうだから辿ってみることにした。どうせ他も咲いてないだろうけどね。いやいや、咲いてないからこそ悠々と訪ねまわれそうだよね。

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十王堂

ファイル 1608-1.jpg長井市本町の町中にある御堂。
ここはコンビニで「今長井の町で一番桜が咲いてる所」との話を聞いて来てみた場所。
「小さな神社」と聞いて来て、入口には「古峰神社」とあるけど、
中は「子育て地蔵」が祀られた菩薩堂というちょっと「?」なトコ。

ファイル 1608-2.jpg案内によるとこの地蔵は江戸初期にお屋敷内にあったものが事情あって現在はここに鎮座してると書かれていた。
嘉永5年の大火事でお堂は全焼したけど、地蔵様ひとりだけで西の畑に避難してて人々を驚かせたそうだ。
んーどいうことだろうね。

その地蔵は何重もの腹掛けを着せられて丸まるとしていた。

それはそうと、
目的の桜はなかなか濃い色のきれいな花で、五分咲きくらいだけど十分キレイでいい感じだった。
これは何て種類の桜だろう?桜の説明はなかった。
ソメイヨシノばっか見てたからたまにはこういう艶やかな桜もいいね。

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タグ:観:寺 観:像 観:伝 景:季 植:花

道の駅 あつみ

ファイル 1401-1.jpg鶴岡市早田戸ノ浦の7号沿いにある道の駅。
よく寄る道の駅で、寝るだけのことの方が多いけど馴染みの場所。

点景にするのはもう三度目。
たしか朝早めから食事できるんだよな、と思って寄ってみた。
まず駐車場脇の店ではイカ焼きとかでイイ匂いしてたけど、メインの食堂に行ってみたらこっちも8時からの営業で普通に開いていた。ありがたい。

ファイル 1401-2.jpgメニューも朝食用とかではなくて(11時から20食限定の海鮮丼以外)普通メニューなので、黒板にある「本日のおすすめ」も含めて目移り、、何を食べようか少し迷った。
そしてやっぱり「本日の~」から「ハタハタ焼魚定食」とチョイ足しで「バイ貝刺」にしてみた。

実はハタハタって初めて食べたんだけど(多分、、)さっぱっりしてるけど甘みが爽やかでイイ味の魚だった。おいしいねぇ。
頭からまるまるパクリで、御飯もすすんだ。

ファイル 1401-3.jpg

そしてバイ貝も爽やかな甘み。バイ貝って巻き貝だよね。串焼きとかになる。若干の粘り気が巻き貝っぽく感じるけど、こうして刺身で食べると立派な貝料理だね。おいしかった。


食後は売店も覗いてみた。
「庄内柿ジュース」というのが気になって買ってみた。柿のジュースって珍しいよね。鶴岡でも柿農園を抜けてきたしね。
(レジでサ-ビスとか言ってエスカップをくれた、、栄養ドリンク扱いなのかな)
そして外で座って飲んでみた。 ん?あれ?これって柿か?桃じゃないの?柿ってどういう味だったっけ?とよく分からないけど飲みやすくおいしいジュースだった。

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飲みながら見てたら、売店の入口に「道の駅フェスティバル」と出てて、イカ焼き無料!となってた!おおー。先着何人くらいだろう?でもまだ炭をおこしてるトコだし、並んでる人もいないからまだまだ先だよね。(今やっててもお腹一杯でムリ、、)

ファイル 1401-5.jpg脇の売店の有料のイカ焼きも今日の売上げは心配だね。なーんて思ってちょっと覗くと、イカ以外にも色々あって、焼いてて問題なさそう。
そして水槽とかあったりして、見るとクロダイオコゼや毛ガニが泳いでたりした。
実は館内の売店と食堂の間にある大きな水槽が、汚れててよく見えなくて残念だったのでその代わりって感じで楽しめた。
この外に並んだ店もなかなか本格的だなぁ。

そしてその並びのアイス店を覗くと道の駅あつみオリジナルという「紅えびソフトクリーム」なんっていうのがあった。あー柿のジュースよりこっちだったかな、、なんて思ったけど、いやいやソフトくらいいけるだろうとか思って買ってみた。

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また乾燥エビとかが刺さってるとか、砕いて振りかかかってるとかなんてのを想像してたけどアニハカランヤ。見た目白い普通のソフトで、クリームに混ぜてあるタイプだった。これは意外。
で、食べるとバッチリえび味!えびせんクリームみたいなしっかりエビなソフトでうまかった。
これは食べてよかった。

すぐ脇の線路には二両編成の羽越線が通ったり、トイレの奥の休憩室には畳部屋があったり、「渚の黒鯛釣り発祥の地」とかいって黒鯛の剥製があったり、いろいろありすぎたけど割愛。
食べてウロウロするだけで海辺も歩いてないのに一時間ものんびりしちゃった。

タグ:食:定 餐:魚 餐:貝 餐:飲 餐:冷 道の駅

松ヶ岡開墾場

ファイル 1400-1.jpg鶴岡市羽黒町松ケ岡にある国指定史跡。
明治維新後に庄内藩士が開墾開拓した拠点の地で、瓦葺上州島村式三階建の蚕室というものが五棟も現存している。
この蚕室が外から見るだけでも大きく立派でいい雰囲気。

そんな貴重な史跡でありながらその建物は、記念館だけでなく映画資料館、食事処、陶芸教室などに利用されていて、ちゃんとした時間にくれば色々楽しめる体験村っぽい感じになってるようだ。
もちろんまだ早朝でどこも開いてはおらず、人もいなかったのでかえって静かにその建物を見て回れた。一人で史跡として思いめぐらせながら歩くにはいい時間だと思う。

駐車場から一番手前は四号養蚕室で「庄内農具館」になっている。
その向かいが五号養蚕室で「庄内映画村資料館」。
入口の掲示板の建物案内とかもこってて面白そう。

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五号の隣の三号養蚕室は「庄内映画村」の事務所のようで、そういえば最近よく聞く(俳優女優のブログとかで見かける)「山形での時代劇ロケセット」というのが近くにあるらしい。寂れた廃村や山中の宿町のシーンなどは殆どそこでの撮影のようだ。

その間に工芸教室や蚕蔵や陶芸教室があり、二号養蚕室が食事処、一号養蚕室が「松ヶ岡開墾記念館」になっていた。

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蚕室の桜通りを抜けると一番奥は「松ヶ岡本陣」。
これも国指定史跡。
だけど「本日貸切」だそうだ。(貸切は一日8000円と出てた)
どうせここも中を見れる時間じゃないから何の問題も無し。佇まいだけ見てまわった。

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元和8年(1622)に鶴岡城整備のための仮殿として建築、その後郊外に移築して藩主の休憩室として使われていたものを明治に此処に移築して本陣(集会所兼事務所)としたそうだ。
前の神社のこんもりした丘があってその途中から少し下ろせた。

さてまっすぐ駐車場に戻って、最後に駐車場の先にあった「新徴屋敷」を見てみた。
これは庄内藩配下の江戸市中警備「新徴組」の隊士が戊辰戦争後に庄内藩士として鶴岡に住むときに造られた屋敷で、すぐにこの松ヶ岡に移築して開墾士各戸の住宅として使われた物だそうだ。
京の「新撰組」に比べると「新徴組」というのはまるで知名度が無く、ここにきて初めてそれに関わる遺構を見た。へー。

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戊辰戦争で最後まで負けることなく奮戦して恭順した庄内藩は、他藩より寛容な処分で(薩摩の西郷隆盛の指示とされている)流刑になることもなく、廃藩置県後の藩士はこんな領内の土地を開墾して暮らせたのかと思うとちょっと不思議。
もちろん地元だけでなく北海道へ開墾に向かった元藩士も多数いたけど、そっちも薩摩の黒田、西郷が先導ということでやる気出てただろうし、ここで培った養蚕と桑園開墾技術も活かせたそうだ。
(っていうか江戸の薩摩藩邸焼き討ちって庄内藩だった筈だけど怨んでないんだ、、あれはやらせか?)

気まぐれで来てみた割には面白い所で、庄内藩に関する興味も持ててなかなかイイ散歩になった。天気も良くなってきた。

タグ:観:史 観:建 観:屋