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小林屋

ファイル 1347-1.jpg板倉町板倉の雷電神社参道にある食事処。
神社にお参りの前からもう気になっちゃってた名物「なまず天ぷら」の看板の店。
一応「なまずさん」を見る前に食べてちゃよくないかな、、と参った後で戻ってきて食事にした。

店はレトロな昭和まんまの雰囲気。
入ったときは空いていたけど、丁度昼なのでしばらくするとすぐにテーブルはいっぱいになった。

ファイル 1347-2.jpgさて、やっぱり食べるのは「なまず定食」(なまず天丼も気になったけど)
天ぷら1とたたき揚2のセット(720)
天ぷら2のセット(930)
天ぷら2で汁が鯉こくのセット(1130)の三種と、
更に御飯が鰻重になるセット(2630)があり、とりあえずナマズがメインなので中間の天ぷら2のセットにしてみた。

まわりのお客の話では、来週の5/1からがこの神社の祭礼だそうで、ホントはそっちに来たかったけど連休で出掛けちゃうから今日来たそうだ。
お祭りだったらこの店もいっぱいで入れなかっただろうね。あぶないあぶない。

そして「なまず定食」

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これは!んまい!
とろけるようにふわふわで柔らかくあっさりした白身の魚天ぷら。
鯰料理はこれまでも五霞(天丼)とか玉造(バーガー)とか吉川(コロッケ)とかで食べてるけど、一番おいしく食べ応えあって満足。しかもちゃんとアメリカナマズじゃない地元の天然の鯰でこのお値段はリーズナブル。
さすがの老舗。こういう庶民に愛される気軽な感じの川魚料理を食べたかった。(ちゃんとした店だと懐石とかコースとかになっちゃいそうだからね)
ここはいいな。また来よう。天丼も気になるし、鰻重だってリーズナブルだ。


さて、食後にもう少し散歩。裏の神社脇の板倉中央公園を歩いてみた。
神社でもらったパンフに龍が棲むとも伝えられる「雷電沼」というのがあると出てたので来てみたんだけど、公園内には小さい沼が3つと大きい沼1つがあって「雷電沼」かとも書かれて無くてどれがそれか分からなかった、、

パンフには「ほとりには弁天社~」とあったので弁天のある小さい沼に来てみたけど、蓮だらけで水面が見えず(カッパの怖い看板で印象的)、パンフの写真的には大きい沼で間違いなさそうだけど、その奥の蘆原のこれまた水面の見えない沼の畔には万葉歌碑が立っていて「この沼は昔、伊奈良沼と呼ばれてて、詩が万葉集にも詠まれた~」というような案内板が立ってたり、、

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雷電神社の由緒にもあったけど、神社のまわりは昔、伊奈良沼という広い沼に囲まれていたそうで(明治期には板倉湖と言ったらしい)昭和になって干拓し、残った名残がこの公園の沼だそうだ。
多分この四つの沼どれもが「雷電沼」なんだろうね。
沼には牛蛙が鳴き、鴨や水鳥が泳ぎ、水面を燕が泳ぐように飛んでいた。
自然な感じでいいけど、公園ならもう少し整備して水をキレイにした方が、、とも思った。

タグ:食:定 餐:魚 餐:揚 楽:懐 観:池 動:鳥

雷電神社

ファイル 1346-1.jpg板倉町板倉にある神社。関東一円に分布する「雷電神社」の総本社。
1400年前に聖徳太子が天の神の声を聞いて伊奈良沼の小島に祠を設けたのが始まりだそうな。

この板倉町内を通る354号を通る度になんとなく気になっていた神社。
「雷電」て名前がカッコイイじゃん。でも関東一円に沢山あるとは知らなかった。。(松戸市内にもあるらしい。。)
でもいつも通過してた。
で、やっと今日はこのいつも通過しちゃう板倉町メインってことでやっと来れた。

現在の社殿は天保6年(1835)の建立。
その彫刻が見事で、拝殿だけでなく本殿にも沢山施されていて、お参りの後はじっくり見て回れた。(彩色は平成元年に補修したそうだ)

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そんな社殿は県の重文で、実はその奥にある八幡稲荷神社の社殿が国重文だったりする。
こっちは群馬県内で現存する最古の建築物だそうで天文16年(1547)の建立で改修が享保19年(1734)だそうだ。(+昭和35年にも修理)

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真ん中に柱があって右が八幡、左が稲荷の「二間社」という珍しい物だそうで、彫刻も八幡には梅、稲荷に鳳凰がある室町末期の物。
パッと見、そういうオーラはなく、案内文読んで初めてへーと思った感じのさりげない社だった。

ファイル 1346-4.jpgさて、神社の境内を一旦出て、裏の駐車場を横断。その先の道路を挟んだ向かいにある屋敷のような「別院」に歩いた。
個人的にはこっちの方が興味の対象だったりする。

ここには「なまずさん」という幟が立ち、雷様のマスコットが立ち並んでいて、その先の玄関には座布団に寝そべるナマズの銅像「なまずさん」が鎮座されていた。
「なでると地震をよけて自信がつく」そうで、その前に「なまずの力」というハンカチ(ハンディタオル)が1枚300円で置かれていた。

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ファイル 1346-6.jpgいやー「なまずさん」カッコカワイイね。
ナマズって妙に安定したいい形だよね。
そして沢山の人に撫でられたように頭がぴかぴかになっていた。

もちろん僕もタオルを購入。たっぷり撫でさせてもらいました。
心なしか「なまずさん」もエエ気分でニッコリしているような御顔もち。
そういえば最近(二週間前くらいかな)地震の夢見たんだよね。
これでだいじょうぶかな。安心安心。

タグ:観:宮 観:本 観:重 観:飾 観:像 楽:験 楽:触

板倉町中央公民館

ファイル 1345-1.jpg板倉町板倉にある公民館。
先週、同じ群馬県の観音様に興味持って行ってみたら秘仏で見れなかったので、何か普段からも見れる変わった観音像とかないかな?なんて思ってWebで調べてて見かけたのがココ。
テレビとかでもやって有名らしいけど、来てみたら普通の公民館。
入口にも何の説明もなく取り敢えず二階に上がってみた。

ファイル 1345-2.jpgで、その二階の一角が市民が造った像や絵画の作品などが並んだコーナーになっていた。
そうそうココ、ココ。
なぜか照明が手前だけで窓のある奥との中間が暗くなっていた。

その暗くなってたトコにガラスケースに入った観音様。
パッと見よく見えない。っていうかよく見えないような気配りと思える。

ファイル 1345-3.jpgこれが「昆虫千手観音」
直に覗いてみてみた感じは「これはスゴイ!」と悪くない印象だったけど、写真であらためて見てみるとかなりグロ。。。
当コーナー始まって以来のグロネタなので、この先はボタンにしておきます。
虫が苦手な方はスルーしてください。

全部昆虫で造られた観音像。
採集した昆虫2万匹を使って6年掛かりで製作したそうだ。
マッチ棒や割り箸や空き缶で作った模型なんてよくみるけど、採集した昆虫で作った物なんて初めて見た。

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クワガタもカブトムシもスゴイ数で大きさも揃ってて色艶も良く採集するのも大変だったんじゃないかな。(生きてるうちに売ったら幾らになったんだろう)
観音様の手は昆虫に合わせてか六本の様に見えたけど、これ、昆虫の足で言ったら2万×6で12万本。千手どころじゃないよね。
これは写真じゃなくてやっぱ直に見た方がいいね。妙なゾワゾワ感も相まって狂気に近い神秘性を感じる。

スゲースゲーいいながら沢山写真撮ったけど、殆どが後ろの灯りや自分の姿が映り込んじゃって使えないのが残念だった。

っていうか、よくこれをテレビで放映したよね。。見てないけど。

タグ:観:像 観:飾

うどん工房まる玉

ファイル 1344-1.jpg邑楽町狸塚の県道沿いにあるうどん店。
通過しちゃったけど、なんとなく気になりながら邑楽町をふらふら一回りして、他に気になる店も見当たらなかったので戻ってきて入ってみた。

カウンター席についてメニューを見ると、麺は「固め」と「普通」があるそうで「固め」は栄養価の高い全粒粉を使った歯ごたえのある麺で、好評だそうだ。

ファイル 1344-2.jpgメニューをみてたら店の人が「固めはまだありますか?」と厨房に確認。「あと二名分できるよ」だそうで、それ聞いて「普通」はたのみづらいよね(元々かためのつもりだったけど)
「固め」の「肉汁」にしてみた。

待ってたら先に来てた他の客より先に出てきて焦った。。
けど、セットの天ぷらを揚げるのに時間かかってるようだったので仕方ないよね。単品でよかった。

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食べたら、これはおいしい武蔵野うどん。
へーそうなんだ。いいねいいね。
この邑楽町は館林市の隣なのでてっきり館林うどんみたいな感じのしっとりしたうどんなのかと思ってたので、それで堅いってどうかなと不安に思ってたけど違ってよかった。
武蔵野うどんで固めというとすごく堅そうだけど左程でもなく、どっしり食べやすいくらいの程良い食感で小麦の風味もよく味わえた。もっと堅い店もあるしね。

会計の時に店の人に「ひょっとしたら「普通」のほうは館林うどん風ですか?」と聞いてみたら、そうではなく「どちらかといえば讃岐風なコシのあるうどんです」だそうだ。ふーん、じゃあ次来たらそっちも食べてみようかな。

そしてこの店でも会計の後に飴玉を二個くれた。
なんだろ、さっきの寺の売店でも貰ったな。この地域はどこでも飴玉をくれるのがあたりまえなのかな?なんか親近感あっていいな。

タグ:餐:麺

石打こぶ観音

ファイル 1343-1.jpg邑楽町石打にある「月音山 明言寺」という寺院。
あ、石打って地名だったのか、、「石で打たれて瘤ができた観音様かな?」なんて想像して面白そうだから来てみたんだけど、、

何となく神社はパブリックな御自由にな印象だけど、寺院はプライベートな檀家の為の場所って印象なので、ちょっと気になって立ち寄ってみたりしていいのかと思って敬遠しがちなんだよね。
でもまぁいいか、たまには寺も覗いてみようか。
と、お寺まいり。

結構人気の寺のようで、縁日でもないのに露店も数店でてたりして人も多かった。
小さな門には「こぶ観世音」とあり、手水舎は茅葺屋根でいい雰囲気。
本堂の前には煙の立った線香の壺(大香炉)があって、ああ久々に寺に来たなって実感。頭に煙をかぶっといたw

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本堂は「大悲殿」とあり、拝んだ後には中に上がれた。
廊下を進んで「佛殿」に行くと祭壇があって釈迦像が祀られていた。 ん?あれ?観音像じゃないのか。

ファイル 1343-3.jpg佛殿の前の立て札に瘤観音は「奥の院」にあると書かれてた。
その奥の院というのは本堂の続きの奥にあって入れなさそう。悔しいからスマホでググってみたら、、
御本尊の千手観世音菩薩は秘仏として12年に一度の御開帳の時にしかお目にかかれないそうだ。
ああー、そういうもんか、そういうもんだよね。

そして「こぶ」は「子生」とかけて子宝・安産・子育ての御利益がある寺だそうな、、うわぁ僕には関係ないな。。

なんか空振り気分で車に戻ったけど、駐車場手前の売店(栗田商店)に「いもフライ」の幟が出てたので覗いてみた。

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その「いもフライ」はここで揚げてる物ではなくパックで売られていたけど、店の優しそうなおじさん曰く「ベテランの人が揚げた出来たてのいもフライだよ」だそうなので買ってみた。
お金を払うと飴玉二個ついてきた。お茶まで頂けるようだったけど、他の客も多かったので遠慮してでてきた。幼少の頃を思い出させるような商店だった。

そしてドライブ中に一本ずつ飽きないようにゆっくり食べるか、、とか思って出発。

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けど、
まず一本たべてみたら、これがうまかった!しっとりとソース沁みてて柔らかくていい感じ。さめててもうまいんだ。
思わず止まらずに三本一気に食べちゃった。うめー。

正直、寺だけだと点景記事にするか微妙だったけど、このいもフライがおいしかったので採用。
近くを通って時間あったら売店だけまた来てみようかな、とか思った。

タグ:観:寺 食:串 餐:揚

橘ふれあい公園

ファイル 1337-1.jpg香取市田部にある橘堰の溜池(橘池)の前にある公園。
ナビの地図には「双子公園」って出てたけど、、同じ名前の公園が印旛沼にもあるから「橘ふれあい」の方がいいや。

さて、目的は鯉のぼり。
何年か前に(6年前)「鯉のぼりまつり」ということで来てみたときに、その池の上に掲げられた鯉のぼりがいい雰囲気で印象的で、また鯉のぼりシーズンに来たいなーとは思ってたものの、毎年気が付けば時季過ぎちゃってたりしてなかなか来れなかった。

で、今日は来る途中で鯉のぼりを何ヶ所かで見かけてたので、そろそろ掲げ始める頃合いかな?とか思ってきてみた。

けど

やっぱまだ早かったようで、鯉のぼりはまだ無かった。(下旬かららしい)
っていうか、ウチの方では殆ど散ってた桜がココはまだ辛うじて程良いくらいに咲き残ってて、いかにもまだ時季早々という感じだった。
まあいいか。
桜でも見ながら「橘堰」を歩いた。今年はこういう桜をじっくりっていうのがなかったから丁度イイ。

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この「橘堰」は江戸時代(慶長10年(1605))に造られたもので、昭和初期(昭和13年(1938))に水門などがコンクリで改築されたものの規模や姿は昔のママの溜池だそうだ。
池にはルアー釣りの青年がチラホラいたし、広場で遊ぶ家族もいて辺鄙な場所の割に開けた公園。

「鯉のぼり」みたかったなー、、と思って帰ってから前来たときの写真見たりしたので、ココにも載せとこうかな。

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川とかに掛かってる鯉幟とかはドライブ中いろんな所でよく見かけるけど、池に掛かってるのは見たことなく、池の静かな水面や脇の水田に映り込んだ姿も良くて、すぐ脇の小道を通ると上下に囲まれた感じが楽しい。屋根あけて通ってみたかった。

そんなに歩きまわる気もなかったけど、池の脇の水を張ったばかりっぽい田圃からのカエルの大合唱に誘われて、ちょっと池の先まで歩いてみた。

でも田圃で鳴いてるカエルってなんで姿が見えないんだろう?
音的にあそこら辺と解ってて目を懲らすけど見つからない。。

ファイル 1337-3.jpg悔しいので奥の手。ドスンドスンと飛び跳ねてみた。
ら、案の定、驚いて泳ぎ出すお馬鹿さん発見。
いたいた。
しかも泳ぎ着く先が見当たらずに、こっちの足元の岸に泳いできた。マヌケだけど可愛い奴だ。捕まえずに写真だけにしといた。
雨蛙かと思ってたら青蛙だった。

ファイル 1337-4.jpgそんな感じの軽い散歩で駐車場に戻った。

桜は駐車場前が一番濃く咲いてたので、ちょっと桜ナメのちるそる。
千葉は北東の方が少し気温低いのかな。
桜の咲くのも遅めなのかな。
例年ならもう地元で見飽きて、あまり有難味を感じなくなってきてる頃だけど、今年は天気悪かったから嬉しいね。

タグ:観:池 観:堰 観:園 観:飾 観:蛙 植:花 動:虫

大生郷天満宮

ファイル 1336-1.jpg常総市大生郷町にある神社。
ちょっと辺鄙な場所のわりに大きそうな神社で前から気になってたので寄ってみた。

こんもりした丸い島みたいな森の上にある神社で、裏側に大きな駐車場があり、停めて正面にぐるっと歩いた。

説明を読むと延長7年(929)に菅原道真(天神様)の三男景行が道真の遺骨を祭祀として創建。日本三天神の一つだそうだ。
(帰って調べたら、東日本では一番古い天満宮ではあるけど、三天神の福岡の大宰府、京都の北野、に続く三つ目はいろんなところで名乗り上げてて定まってないそうだ。。  よくあるよね)

そしてその創建の頃のこの場所は「飯沼」という広く長い沼が広がってて、この高台はホントに思った通りの島だったそうだ。

ファイル 1336-2.jpgとはいえ、参道の石段は思ったほど高くなく、これで島だとするとえらく浅い沼だったんだな、、とか思った。
そんな石段を一気に登って参拝。

境内にはまず牛の石像が参道に尻向けて座ってた。新しいもののようでツルツルだったけど、ちょっと珍しい配置だと思った。(拝殿前に横向いて置かれてるのはよく見かける)

境内はそんなに広くなく三天神を名乗るにはいまひとつな感じの普通の神社くらいの規模。ちょっと期待した眺望も木々が邪魔して開けてなかった。
牛の他には「親鸞上人礼拝の杉」という古木の焼け跡(明治に折れて大正に焼けたそうだ)、さざれ石、とかもあった。

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裏の本殿はとくに隠れることなく質素に続いて見えた。
ごてごてしてなくて感じのよい神社だった。

ファイル 1336-4.jpgその裏のコンクリの下り道から境内を出たんだけど、この坂みちの始まりのトコに「奉納 街商組合」とあったのがちょっと面白かった。
こういう部分で奉納って珍しい。文字を踏んで坂を下った。(御神忌千百年大祭記念事業の一環で作られた新しいものらしい)
でもこの坂道は雨上がりの濡れた状態だと、歩くには滑って怖かった。。

そして神社の高台から降りるとその裏には御神忌千百年大祭記念事業で作られたという池のある公園と、その背の高台に「道真公御廟所」というのがあった。

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お墓みたいだなとか思ったけど、お墓なんだよね。骨もあるそうだし。
散り残った桜が舞ってて春な感じだった。

さて、同じように日本三天神に名乗り上げている山口県の「防府天満宮」は以前に行った事あるけど(→)、全然大きくて立派で有力候補(というより、、)
この防府も大宰府も北野もみんな市街地で開けてる要所で観光的にも栄える場所にあるんだよね。そりゃ大きくなるわ。
逆に辺鄙で何もないところにある天満宮ではこの「大生郷天満宮」が日本一じゃないだろうか。

タグ:観:宮 観:像 観:石

香文

ファイル 1335-1.jpg八千代町佐野の広域農道「グリーンライン」沿いにあるお気に入りのラーメン店。
この冬にも来てるから今年二度目かな。
茨城県内には他にも好きな店が何軒かあるけど、定期的に何度も食べに来てるのはここと結城の「カーター」くらい。ドライブでよく通る方向で車が停めやすく時間も合いやすい場所においしい店があるというのは嬉しい事だね。

もちろんこの点景記事にもしてたんだけど、振り返ると5年前(点景開始時期)以来なので、またたまには載せようかなと。

で、今回はリッチにチャーシュー麺。
(、、、と思ったら割と毎回チャーシュー麺を食べてた)

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野菜がじっくり煮込まれたような優しいまろやかな汁に、太めのぷりぷり麺。チャーシューはローストポーク風の柔らかく食べ応えある肉で満足。
いつもと変らぬおいしい味、、、と思いきや、
あれ?ラー油が垂らしてある?
前からそうだったっけ?
チャーシュー麺だから?(いや、それは毎回食べてる)
辛いもの苦手なのでちょっと敏感になりすぎたかな? 勿論全体が辛くなるような量ではなく部分的にアクセントって感じではあるけど、ちょっと邪魔な感じがしたので先にそこを漉くって飲んでからじっくり食べた。(メンマの味付けのラー油がかかりすぎてたのかも)

うんやっぱおいしい。汁飲み干して満足の昼食。
また五年後にこうして書けたらいいな。

タグ:餐:ら

とん平食堂

ファイル 1334-1.jpg牛久市東大和田町の6号沿いにあるもつ煮の食堂。
今日行った近所の馴染みの理髪店でモツ料理のおいしいラーメン屋と聞いて散歩がてら来てみた。

この店のある場所は国道沿いに膨らんだ駐車帯のような区間に飲食店が並んだところで、確か自分が運転初心者くらいの昔はラーメン屋も三店舗くらいあって吉野家もあり、毎晩ドライブしてた若い頃にはよくラーメンを食べに来てた

自分の記憶では、今でも唯一残ってる「ラーメン山岡屋」が山岡屋になる前の「ラーメンショップ」だった頃に好きで何度も来てたんだけど、ラーショが山岡屋になったらちょっとイマイチな味になってパッタリ来なくなってた。。。
と、思ってたけど、調べてみたらこの山岡屋は1988年に開店してたそうだから、ラーショから変わったというのは完全な記憶違いで、よく考えてみたら山岡屋の隣に並んでラーショがあったんだった!(理髪店でウソ話しちゃった、、、ごめんなさい)
で、たしかそのラーショも一回改装したあと味が落ちてガッカリしてこなくなって(その後は柏の6号沿い東京豚骨ラーメンの店にハマったりして)、気がついたらいつの間にか潰れてて山岡屋だけが残ったんだっけ。

最近では龍ヶ崎の県道ばかり通っててこの区間の6号は殆んど通らなくなったから場所の記憶もあやふやで、ナビ地図見ながら裏から来たけど、場所間違えてたりしちゃって行ったり来たり廻ってやっと辿りつけた。。
昔みたいに素直に6号真っ直ぐ来ればよかったんだけどね。

さてさて、話には松戸市内のラーメン屋「貴生」(実は行った事無い)の系列店だか暖簾分けだかと聞いていたけど、来てみたらしっかり「もつ煮」をメインに掲げたお店。
おススメはラーメンよりモツ炒めとかいう話だったのでラーメンはたのまずに「タン・ハツ炒め」を定食で、追加でもつ煮の(小)でたのんだ。

長いカウンターの席で待つと、まずはタン・ハツ炒めから出てきた。

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おお、ハツもタンもいい歯ごたえ。
たっぷり絡めた味噌とネギの味もバッチり、、、、、、

あ、

辛い、、、orz

辛くないって話だったけど、ちょっと僕には強い辛さ。
それでも食べられない事はないので、多分一般的には全然辛くない類なんでしょうね、、ごめんなさい、僕にはこんなでもう危険領域です。

なんとか御飯と合わせて食べてたらもつ煮(小)も出てきた。

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あー赤いですね。

あー辛いですね、、、、!あ、でも、モツはトロトロぷにゅぷにゅの絶品の柔らかさ!
これは、、悔しい (。♋ฺ‸♋ฺ。 )

多分一般的には全然辛くないくらいなんだろう、自分的にもこれはうまいというのが解るレベル。
それだけに辛さに弱いのが情けなくて残念すぎる。

それでも最後まで何とか味わえて食べられた。
多分この店はおいしいと思う。
もっと自分がマトモなら、何度でも来たくなるに違いない。
あーくやしいなぁ。

以前はモツ煮大好きの酒飲みだった僕だけど、ドライブ中に食べた群馬県の某定食屋の「日本一のモツ煮」が辛くて地獄でショックを受けて、それ以来は及び腰。。
すっかり世間一般のうまいとされるモツ煮は辛いのがデフォみたいな風潮が広まってると危機感がつのり、居酒屋でも必ず「モツ煮は辛いですか?」と聞いてからたのむようになってしまい、自分の中での居酒屋の魅力も半減。飲みに行く機会も減って、すっかり酒を飲まなくなってしまった。
今日もモツのうまい店という話が出たときに「そこは辛くないですか?」と聞いて安心して来てみたんだけど、、自分のレベルが低すぎた。。

仕方ないよな。。
ちょこっとピリ辛の要素ってつもりなんだろうからね。

自分がちょこっとドライブとか言って栃木県北部くらいまで廻ってきて「それはぜんぜんちょこっとじゃないですよ!」って言われるのと同じようなもんなんだろうね。
半日ドライブがピリ辛なら
 三連休ドライブが辛口。
あー五連休から七連休くらいの激辛を味わいたいなぁーーって感じかな。わかるわ。
なるほどピリ辛要素を除いたら、近所を廻るだけになっちゃうな。(さしずめ手賀沼くらいか)
辛いのは辛いので結構。
得意な人はたっぷり味わって楽しんでください。

タグ:食:定 餐:肉 餐:煮 餐x辛x 楽:懐 観:P

手賀城址

ファイル 1333-1.jpg柏市手賀の手賀沼南岸の丘にある城跡。
5年前(10.02.11)に一度来てみたことがあった。
けど、公園や広場などにはなっておらず集落の中にある興福院という寺の入口の門(江戸時代の山門)の脇の標柱に寺の説明に添えて「この寺域を含めた一帯は手賀城跡の土塁や空堀が残り、当時をしのばせています」という標記があっただけ。
「土塁や空堀」というのは気になったけど、小雨降ってたので歩きまわらずに退散したままだった。

最近は割とあちこちで城跡とか整備されてるから、久々に来たら案内板とかちゃんとしてたりしないかな?とか思って来てみた。
けど、その以前からあった標柱だけでやっぱり他には何もなかった。。

ファイル 1333-2.jpgで、今回は気になってたその「土塁や空堀」とやらを求めて寺の周りを歩いてみた。
寺を出たトコの斜面の脇にあったこの盛り上がりは土塁かな、、?
んん、、それっぽいけど、よくわかんないよね。

昼間の集落は庭先の老人や犬に引かれた散歩の老人など割と人がいて、変にウロウロするのも怪しいかな、、なんて思いつつも、いやいやいや、うろつかれたくなければ満足するような城の解説と余計なトコに入り込まなくて済むくらいの案内図を立てるべきだ!と開き直ってウロウロした。

丘の崖側を気にして歩いてたら「手賀城趾」という石柱発見!
おお!ちゃんとあるんじゃん!
その先が城跡の広場か、、と一瞬思ったけど、広場ではなくて畑だった。。
畑で農作業してた老婆に「こんにちわー。入口に手賀城趾ってあったけどなにか城跡らしいものはあるんですか」と声かけた。
「なにもない」だそうだ。
素っ気なかったけど怪訝な応答でもなかったので、とりあえずこれで堂々とウロウロできるな。
周りを見ながら畑の奥の崖沿いの小さな神社へ歩いて、その裏の眺望を眺めた。

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ファイル 1333-4.jpg天気はあいにくだけど、まあまあいい眺め。
現在の手賀沼は少し遠いいけど、ここが城だった戦国時代には田圃は干拓されておらず全面が手賀沼で、すぐ足元まで沼だった筈だからそれも想像してみていい眺め。

ネットで調べると戦国時代にこの手賀城も戦乱があったそうで、原氏の兄弟同士の闘いだったそうだ。
南の丘側から攻め来る敵を前にこの手賀沼対岸からは船で援軍が届いて上陸したそうな。
ちなみにその時、この手賀城の弟側に加勢して南西から挟み撃ちにして勝利を導いたのが、ウチの地元の小金城の高城氏だそうで、何となく誇らしい。いつも走るドライブコースは小金の援軍コースだったのかもしれないなんて勝手に想像。

そういえば門の脇の標柱の説明には「興福院は~ 戦国末期には原氏の帰依をうけました」とあったけど、、
ひょっとしたら兄との確執で佐倉の本家から追い出されて仏門に帰依して寺でおとなしくしてる筈の弟が、いつの間にか寺を城にして軍備拡張してたって形だったりして。それで城の中心が寺なんじゃないかな。。と勝手に想像してみた。

そして寺の東側の裏へ一回り。
竹藪に下る傾斜とか、ちょっと盛られたような土とか、城っぽいような後から作った形のような、、シロートにはよくわかんないね。
裏から寺に戻った。

最後にちょっとお寺も見てみた。
興福院は実は平安時代初期建立で鎌倉時代中期に再興された古刹だそうだ。
ご本尊は運慶の作といわれる十一面観音菩薩。
本堂の前の寶篋印塔や地蔵を見てたら、その奥に「十一面観世音菩薩」と書かれた銅像があった。

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いやいやまさかこれが御本尊ということはないだろうけど、頭の上に沢山の顔が乗った姿を見て、あーこれが十一面ということかと納得。

タグ:観:城 観:寺 楽:眺 観:像