旭市飯岡にある神社。
下総国の二宮という事で知って、前から行こうかと思いつつ毎度忘れてたし場所もはっきり知らなかった。そういえば飯岡の町をウロウロしたのは今回が初めてかもしれない。
ちなみに下総国の総社は市川の六所神社、一宮が佐原の香取神宮、で、二宮がこの玉崎神社だけど、船橋にも二宮神社というのがあってどちらが正とも非ともいえないようだ。まぁ船橋は市川から近いしドライブで行きたいようなトコじゃないから個人的にはこっちでいいんじゃないかと思ってる。(他の国には一宮が二つあるトコもあったりする)
場所は町のちょこっと裏で一休みするのに丁度いいような静かなトコ。駐車場らしい脇の広いスペースに悠々車を停めて歩いた。
まず参道には「玉崎の姫龍」という金の龍の像があった。けど、威勢のいいマサキの葉に隠れちゃってた。
そして水の止められた手水舎や境内の図などを見ながら進み、拝殿で参拝。(ピンボケ、、)拝殿は県指定有形文化財で嘉永5年(1852)の再建。龍と波の彫刻が立派だった。
その拝殿の手前には御神木があり、「推定樹齢五百年」とあったけど何の樹かは書かれてなかった。。(イヌマキ?)一旦枯れたような洞のある幹から横に延びた枝幹に青々した葉が茂って生き生きしてて、一見変な形だけれど、廃れても復活して再度栄えるような力を感じさせる樹だった。
そして拝殿の横に解説板があった。
祭神は玉依姫命と日本武尊。日本武尊が東征の折に玉の浦(今で言う九十九里浜)の東端の玉ケ崎に景行天皇40年(110)に創祀した海の安全を祈る神社だそうで、後に兵火や海蝕を避けてこの場所に移ったそうだ。
昔は玉ケ崎っていう岬があったのかな?まぁ「昔年の海蝕を避け」とあるくらいだから海に沈んだんだろうな。
そして裏の本殿も拝見。こちらも県指定有形文化財で元禄10年(1697)の建築物。
本殿はしっかりしたシンプルな造りだけど、周りの塀に彫刻が施されてて立派に見えた。
ぐるっと周りをまわってみたけど、本殿よりもその裏の石垣が面白かった。
この石垣(石塁)は17世紀中期の築造だそうで、海中より産出された飯岡石という石を積んだものだそうだ。
そういえば町内をウロウロしてた時にこういう石垣の家を見かけたけど、あれはこれを模してたんだね。始めて見た飯岡の歴史的景観、砂だらけに思える飯岡の海にこんな石が転がってるのも意外だし、それを揚げて石垣にしたっていうのも珍しいし面白い。
そしてそして中央に裏の森に出る出口があった。本殿の真後ろに出口がある神社って珍しいよね。石垣の通路を抜けて裏に出てみた。
その裏は木陰の涼しいい森。まず「飯岡助五郎が信仰していた稲荷神社」という標柱があり、その裏の塚に祠が並んでた。飯岡助五郎ってあれか「天保水滸伝」に出てくる飯岡の大親分。座頭市の雇い主だね。
森は涼やかながら草は鬱蒼としてて、埋もれそうな末社もあり、茂みの中にガクアジサイが咲いていた。
並ぶ末社や石碑を見つつ森をまわって境内脇に戻った。
昭和天皇の歌碑や竹久夢二文学碑などがあったけど、興味持ったのは「天の石笛」という岩。
これは享保3年(1718)に漁師の網にかかり奉納された飯岡石で、頭部の溝穴や側面の穴に風が吹き込んで妙音がする霊石だそうだ。
そして漁に出るかをその音で占っていたとか。(割と有名な伝説らしく「まんが日本昔ばなし」にもなってたらしい)へー。どんな音がするんだろ。
っていうか、見た目はメイドインアビスのナレハテのミーティーみたいだな。。
さてこんなところかな、、と車に戻ったけど、神社の横の先に幟の立った店が見えたので何屋だろ?とちょっと歩いてみた。
店は餃子と麺の直売場で閉まってたけど、その前に池があって神社から続きの憩いの広場って感じになってた。これは気付かなかった!(境内の図にも書かれてなかったし案内も何もなかった。。)
ってわけで不意に発見した池に妙に気をひかれ周りを歩いた。
水は別にキレイではなかったけど、脇にはアジサイがちらほら咲いてたし、水面に浮いた枝には真っ赤なアカトンボ(ショウジョウトンボ)が停まってた。そしてミドリガメもやたら多く、50㎝くらいあるデカい奴も泳いでた。
奥の方までまわるとその奥の桟の下にいたらしいカルガモの親子が出て来て泳いで逃げてった。
カルガモの子供たちは可愛いね。
意外と見どころの多い神社で雰囲気もよく思いのほかゆっくりできて面白かった。
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