太田市押切町にある中島知久平の邸宅。
中島知久平は中島飛行機や富士重工の創設者。政治家としても幾つかの大臣を務めた人。
尾島町の銅像は去年見てて、生家に作ったというこの邸宅も一度見てみたいと思ってたのを、近くまで来て思いだした。しかも雨で寄り道するには丁度いいようなスポット。時間もバッチリ。
来てみたら長い塀に大きな寺のような門で、さすがに大きな邸宅。
昭和初期の建築で国重要文化財だそうだ。
入場は無料で、入口でどうぞと声をかけてくれた管理の人が軽くガイドしてくれた。
この建物はロの字型に作られ、回廊で回れるけど、公開されているのは来賓用の一部だけだそうだ。
入口の車止めに蛙又、柱や廊下の組木が立派でさすがの大邸宅。そういえば屋敷はドライブ中に何ヶ所か入ってるけど近代の邸宅とかは初めてかも?
中庭は少し荒れていた。池は埋められ石灯籠は倒れていた。
国重文になるとすぐに修繕とはいかないそうで、いずれ、、だそうだ。
そして玄関広間に続くふたつの応接間。
外観は和風なので内側からしか判らないステンドグラスというのも凝ってるし、暖炉は良く見るとストーブで、電気式というのが驚き。この屋敷はオール電化なんだそうだ。さすが飛行機王。(停電多そうな昭和の初期に、、)進んでるねぇ。
公開されているのはここまで。
広間で少し話を聞いて靴を履いて外に出た。
雨は降っているけど傘あるので庭の方へも歩いてみた。
したら、庭は広ーーい芝生でサッカーできそうなくらいだった。
そんな広い庭の端の方を建物に添って歩くと、非公開だった奥の建物も外から覗けた。
座敷には入口広間や応接室に使われていたという大きく立派な絨毯が置かれ、襖も立派そうな彩色だったけど、障子紙はやぶれて荒れた様子。。きっと絨毯の下の畳はボロボロなんじゃないかという気がした。
修繕できないままだから非公開ってことなのかな。
そして、一番奥の藏まで歩いてUターン。
この藏の前の建物が居住部だそうで、ここだけが二階建てになっていた。
戻るときは庭の奥のヒマラヤ杉の大木の間を歩いてみた。
木の下は物凄い杉の香りが匂った。雨の日だからこそかもね。
ずっと雨だったけど、一通り見れていい寄り道が出来た。