高崎市吉井町池字御門にある国特別史跡の石碑。
日本三古碑にも選ばれる奈良時代の古碑だそうだ。
石碑には全然興味がないんだけれど、以前宮城の多賀城に行ったとき(→)に同じ日本三大古碑の「多賀城碑」があって、ボランティアガイドの人に「同じ特別史跡の貴重な石碑なのに群馬の古碑は昔から立派な屋根付きの堂内に保存されてて優遇されててずるい、、」という話を聞いていたのが印象深く、この吉井はよく通るからこの「多胡碑」の場所はなんとなくわかってるので、一度くらいは行って見てみようかなとは思っていた。
んだけどねぇ、、
城跡とか国府跡とか神社とかにあるなら寄っただろうけど、石碑だけを見に行くのはなかなか足が向かなかった。
で、今日は牛伏山がなかなかよかったので、この吉井町(現:高崎市吉井町)で折り返そうと思ったので、だったらやっぱりこっちも寄っておくかーと思って来てみた。
県道からの案内は鏑川の手前で曲がって吉井運動公園の広い駐車場に誘導。
ここから「吉井いぶしみの里公園」と「多胡碑記念館」を経た先に石碑があるらしい。
まず公園には古墳のような塚が並んでいた。取り敢えずスルー。
記念館は立派な大きい建物でもちろん閉まってた。スルー。
そして公園の奥にその石碑の御堂が見えると、その手間にも駐車場があった。。。
なんだよこっちのほうが近いじゃん。。
多分、途中の道が宅地内で細めだから、現地の案内で来るくらいの輩は広く安全な方から歩けって事なんでしょうよ。
と、
元々興味薄い上に宮城の愚痴も重ねた上でこの駐車場で、好感度低いまま石碑に進んだ。
で、
なるほど確かに「多賀城碑」がうらやむのもわかる立派な建物の中に石碑があった。
けど、暗いしガラス窓は周りが映り込んでよく見えない。敬礼するように手をかざして覗き、手をかざして写真撮った。
ら、
後から来た人が電灯のボタンを押してくれた。あー照明があったのね。失礼失礼。
うがった目で見てると文句付けることしか考えないからダメだよね。。w
とかなんとか思いつつ石碑を眺めた。
地震から守るためという台座も気になったけど、それより石碑の文字が気になった。
なんか下手くそじゃね?
どうもバランス悪いというか、、小学生が書いたような拙い感じ、、
逆に言えば小学生でも読めそうな解りやすい字でもあった。
旧字もパッと見「國」くらいの今でもたまに使いそうな字くらいだし。
これ、ホントに奈良時代に彫られた字?
ホントに国特別史跡?
と、結局文句で終わってしまったw
内容は行政区分として多胡郡が設置された事を記してあるそうだ。
さて、まぁこんなもんかと公園を戻る。
帰りは少し古墳(の説明)を見ながら園内を廻った。
古墳は「片山1号古墳」と「南高原1号古墳(石室)」
子供が喜んで遊びそうな片山1号は、4世紀末から5世紀初頭に築造された32.6mの円墳で、埋葬された主体部の粘土槨だけを移築したものだそうだ。
南高原1号は7世紀に築造された17mの円墳で、入口付きの横穴式石室を有する二段築成。石材は地元の牛伏砂岩だそうで、こちらも移築したもの。
古墳はともかく、鳥の多い公園で鳴いて飛んで賑やかだった。
現地では種類が分からないシロートなので写真を撮って帰った。
調てみたらシメという鳥だそうだ。
へー初めて知った名前。色んな鳥がいるんだねぇ。
結局、石碑も古墳もやっぱりあまり興味深まりはしなかったけど、その割には纏めるのに手間取ってしまった。。
点景は写真並べて「こんな感じ」で余計なこと書かなくてもいいのになぁ。反省。