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ラーメン横綱 吉祥院本店

ファイル 3838-1.jpg京都市南区吉祥院這登西町の171号沿いにあるラーメン店。

この「ラーメン横綱」は千葉のうちの地元にもある京都ラーメンのチエーン店で、此処が本店。うちの近所にあるくらいだからあちこちにあるのかなーと思って調べたら、関東地方では千葉県だけに三軒あるだけで他にはなかった。。何故。
ウチの近くの店は気軽に何度も行っててわりと気に入ってるので、一度京都の本店に行ってみたいなと思ってた。

で、来てみた。本店は「第一旭」みたいに小さい駐車場のない店とかかなぁ、、と思いきや、普通にチェーン店の形態で駐車場ちゃんとあって楽々だった。そうあってほしかった。むしろありがたかった。

ファイル 3838-2.jpgカウンター席に着いて、メニューも勝手も分かってるのでとくに迷わずいつものようにラーメンと鉄板チャーハンを頼んだ。

明るく広い店内には、以前の店の写真が貼られてた。あーこっちの方が雰囲気あっていいなぁ。。と思った。(けど創業は写真の店ではなくもっと昔の屋台からだそうだ)

で、先に鉄板チャーハンが出てきた。鉄板の部分に玉子をといて焼いて搔きまわすイベント系。写真ブレてたので画像ないけど、うちの方の店と一緒なのでまぁいいでしょう。

っそして熱くて少しずつ食べてたところにラーメン登場。

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うん、チャーハンもラーメンも味は一緒。だけどなんか少し丁寧な気がしておいしく感じた。いや、気のせいかな?
いややっぱ少しおいしいよ。と食べきった。

会計の時に「うちの方の支店よりおいしく感じました」と言ったら「同じ筈ですけどね、ありがとうございます」と返された。「おおきに」じゃなかった。。

この日の日誌

タグ:餐:ら 餐:飯 観:本

うかいやレストラン 東相生店

ファイル 3837-1.jpgたつの市揖保川町片島の2号沿いにある食堂。

丁度こんな感じの店ないかなーと思ってたトコだったけど、しばらく店のない区間の先だったのでうっかり通過とかしなくて寄れてよかった。
店には大きく「めし&焼肉処」とあり「ひとり焼肉喜んで!」とあって、そんなガッツリじゃなくてもいいんだけどな、、と思ったけど、「道中名物 ホルモンうどん焼き」ともあり、おお丁度いい名物もの!もうメニュー見るまでもなく店に入る前からたのむのは決まった。

半端な時間だけに店内はすいてたので、一番奥の窓の前のテーブルに座った。停めた車のまん前である。

で、少し待って出てきた「ホルモンうどん」は意外と量が多かった。

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ファイル 3837-3.jpgそして、焼きたてで熱くてしばらく食べられなかった。湯気見て待ってて「そういえば」と思い出して本日のチェキと生写真でチェキ飯にした。なんか最近、こうして食事を飾ってやっと戦利品として実感して落ち着くようになってきちゃった。。

さて、少しさめて少しづつたべた。
うん、うまい、、、   ん?  あ。 辛いや。。
まぁたぶん一般的にはこれは全然辛くないよって言うレベルなんだろうけど、苦手な者的には辛く、苦い顔しながら食べた。
いままで兵庫県側(主に佐用)で食べたホルモンうどんはどこも辛くなかったから、「兵庫(佐用)=辛くない」「岡山(津山)=辛い」っていう認識だったけど、兵庫も店によってだったのか、、安心できないメニューだ。

食べ終わってもしばらく口の中と気持ち落ち着くまでゆっくりした。
っていうか店空いてるから少しくらい長くいても問題なさそうだ、、と思って、ここで本日の宿を検索した。

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ゆーっくりしてたので、来た時には横から眩しく照らしてた夕陽も山陰に落ちはじめた。(窓の汚れはアシカラズ)

この日の日誌

タグ:食:焼 餐x辛x 楽:推 景:陽

吉備津神社

ファイル 3836-1.jpg岡山市北区吉備津にある神社。

備前、備中、備後の三備の吉備国の総鎮守。桃太郎のモデルの大吉備津彦命を祀る神社。

ここは昔、まだCR-X乗ってた若いころ(25年前)に来たことがあって、城巡り以外で寄り道とか滅多にしてなかった頃だったので印象深い。

とかいいながら駐車場あたりは全然憶えてなかったけどね。

さて、参道の石段の前に御手水と案内板があった。そういえば鳥居はなかったけど脇に「矢置岩」という苔生したイイ感じの岩のがあった。なんでも吉備津彦(桃太郎)と温羅(鬼)が共に射ち合って空で衝突して落ちた矢を置いた岩だそうだ。んー凄いような凄くないような。

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そして参道の石段は工事中で足場が組まれてシートで幕が作られてた。ひょっとして通れないのか?と焦ったけど、作業止めて通していただけた。提灯枠の改修工事だそうだ。

途中の北随神門(国重文)もよく見えないままくぐって登りきると、門のような授与所の間から屋根が続いだすぐ前が拝殿だった。
大きな神社なのに珍しいくらい参道からすぐの順路で参拝できる神社だなぁと思った。(他が些と煩わしいくらい廻らされることが多いんだよね)しかもこの社殿は本殿と結合した唯一無二の「吉備津造」という建築様式で応永32年(1425)の室町時代に再建された国宝。

拝んで境内を見ると御神木のイチョウの木の落ちた葉を掃除する巫女さん方が見えた。

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巫女さん方を遠目に見て何故かそれで満足して広場へは進まずに、周りを見まわしながら、登ってきた石段を振り返って北随神門のキレイな檜皮葺きの屋根を見下ろしつつ、此処で一番印象的で気に入ってた回廊へ進んだ。(って、違うだろー そっち行く前に広場に出て本殿を眺めなきゃダメでしょー 国宝だぞー なに巫女さん遠目に見て満足してんだよー と帰ってから思った。25年前はちゃんと見てたからいいか。。)

入口にタッチパネルの案内番が立ってて最新な感じがチグハグなのも面白い天正7年(1579)再建の全長360mの長い回廊。なぜかこれは県の重文。この山の稜線に沿って真っすぐ下る回廊は凄くイイ歩きたい景色。肩書なんかどうでもいいね。
まずは少し膨らむように下って中間の南随神門に進む。

この南随神門は延文2年(1357)の再建でこの神社で最古の建築物で国重文。でも申し訳ないけど門は景色的に中間のアクセントでしかなく、じっくり見ずにくぐりぬけてその先に続く回廊に進んだ。

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南随神門からは凹むような下り坂。外の眺めもよく池が見下せた。
そして横にしっかりした社の幾つかの末社も見えた。とくに左方の吉備津えびす宮は明治期に祭祀された新しいものらしいけど堂々としてた。

他にもいくつかの末社への道やアジサイの坂への道などあって、右方に御竈殿というのへの回廊の分岐もあったけど、折れる気はなく真っすぐ進んだ。
その右方は些こっと楓が紅葉してたり、水車があったり、弓道場があったりした。

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回廊の一番奥の先は何もなく、左に折れて少し坂を上がると本宮社というのがあった。
奥に戻って右に外に出た。えっとたしか25年前はまた折り返して回廊を登って戻ったと思ったけど、登る回廊は思ったほどいい景色でもなかったと記憶してるし、やっぱりまた登る気はなく、外の道で戻ろうと思った。

出た先には少し草臥れた長屋門と半分枯れた松の木があって、神領会所とあった。江戸時代から御朱印領となったこの地を治める役場であり社務所であったそうだ。
少し離れちゃった回廊を見つつ道を進んだ。外から見る回廊は特に魅力もなくパッとしなかった。

だんだん日も差してきて明るくなって、脇に咲いた花とか見ながら歩いてたので気分良かった。備中高松からこっち思いきり冬な感じだったけど、花を見るとまだ秋だと思えた。これはヒルガオかな。(葉っぱが丸いからノアサガオっぽい)

そして上から見えてた池に出た。対岸の寺は別だけど、池の中の島にある宇賀神社は吉備津の末社だそうだ。

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とてもいい雰囲気で、赤い橋に赤い社殿がキレイで池の錦鯉もキレイで、ちょっとあざとい楓も少しだけで控えめでよかったし、池に張り出してた松の感じが素敵だった。

そしてここらからは本殿も南随神門も見えたし回廊もいい感じだった。この回廊の土台の石垣積みはいつの時代の物だろうね。時代時代で新しくきれいに補修して歩きやすくなってるんだろうな。(だから国指定じゃないんだろうな)


ファイル 3836-7.jpg犬養毅の像の駐車場でラジオ体操する人たちを横目に(ずいぶん時間ゆっくりだよね)車を停めた駐車場に戻った。

車に乗り込む前に自販機で飲み物買いつつ、些こっと松並木の参道を覗いてさわりだけ歩いてみた。
思いのほかちゃんと舗装されて幅もある参道で、これは車で通りたい道だねぇ。。とか思った。(けど25年前の日誌見たら、その時はここを車で通ってた。 っていうか「180号を走っていたら綺麗な松並木が目についたので曲ってみた」と書いてた。。並木に誘われてたまたま来てみたんだったっけ。そうだったっけ。)

ちなみに昔のコワク この日の日誌

タグ:観:宮 観:石 観:伝 観:重 観:道 観:池 植:花

備中高松城跡

ファイル 3835-1.jpg岡山市北区高松にある城跡。

秀吉の攻めた城としては三大城攻めの兵糧攻めの三木城と鳥取城は行ったことあったけど、一番有名なこの水攻めの備中高松城だけ行ってなかったのでいつか行こうと思ってたトコ。昨日近くを通って思い出して、あまり時間のない今朝はここだけをメインに廻ってきた。

城跡はしっかり整った公園になっており、駐車場からの入口には清水宗治(切腹した城主)の幟が立ち、「水攻め築堤跡高さ表示板」というのもあって8.4mの築堤の高さを実感できた。

さて城跡公園に入るとまずは三の丸跡。いや、前の道の先の舟橋跡くらいまでが三の丸だったようだ。

そして脇には円形の水攻図というのがあった。
真ん中に地図があってどっち方向に誰の陣があったかとあったけど、イマイチぴんとこなかった。。

あーあと「水攻音頭」とかあった。

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そして湿地のような平らな園内には水生植物園のような池のようなのがあって木道や木のテラスが張り出してたんだけど、その足元は凍って白くなってた。いやぁ寒い朝だけど、凍ってるの見るとさらに寒く感じるわ。なんか咲き残った白いコスモスとかもあるのにすっかり真冬の様相だった。

二の丸跡には「備中高松城跡址資料館」という新しいっぽいのがあったんだけど、当然早朝から開いてるわけもなく前を通り過ぎた。

本丸との間の池は萎れた蓮でいっぱいで「宗治蓮」という案内が立ってた。
なんでも昭和57年の歴史公園造成計画で沼を復元したら地下に眠ってた蓮が自然に生えて復活して花を咲かせてるんだそうだ。へええ。花の時季に来るべきだったかね。

そして橋で本丸に渡った。
入口の「水攻め築堤跡高さ表示板」には本丸の高さ7.0mとあったけど、全然そんな感じしない平らな池の公園の中の島。なんていうか、ぜんぜん城らしくない静かな公園。往時はもっと盛られてたのかね。これじゃ8.4mの築堤されたら完全に沈むんじゃないかと思えた。

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そんな本丸には清水宗治の首塚があった。いや、これが塚なんだから、やっぱり昔からこの高さだったのかなぁ。(明治に移されたらしい)
江戸時代には徳川の旗本の陣屋があったそうだ。

そしてここの水攻めの案内板は、秀吉の陣からの俯瞰の絵があり分かりやすかった。え?っていうかこの本丸に天守のような御三階があったの? 

本丸の北も架かった橋で渡った。この橋も半分凍ってた。。

北の端からは東側の沼の先の方の公園の道を進んでまわってみた。
湿地なのか草原なのか萎れた草が所々白くなって、松林からこぼれた朝日がまばらに解かしてた。

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そして池側から見た本丸はファインダーに収まるくらいの小さな島で、やっぱり高さはなく、完全に公園だった。
小さいし低いし城らしくなさ過ぎる城跡。なんていうか、まるで水攻めをする為に造られたような城に思えた。

これ、本当は簡単に落ちてたんじゃないの?でも手古摺ってるって言って援軍要請して光秀の謀反を誘導し、毛利とも膠着状態を保つために水攻めにして、実は大軍の殆どはハリボテでこっそり撤退始めてて、というのが中国大返しのカラクリなんじゃないか??とか思えてきた。

なーんてぼんやり考えつつ、二の丸から三の丸の前の池をまわった。
東の先にJR吉備線の車両が走り抜けるのが見えた。シンプルな赤い色の気動車四両編成。あの車両って高さ4mくらいだっけ?って事は水攻めの築堤ってその二倍の高さ?後ろの二階建ての建物くらい?うわーかなり高かったんだなぁ。。
位置も線路の少し先くらいな筈だし。少し位置違ってもいいから線路の手前くらいで部分的に復元してほしいなぁ。なんて思った。

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ぐるっと回って三の丸の駐車場に戻った。いやー寒い寒い。歩いてた近隣の人も「さむいなー」と言いあってた。
ただの沼の公園を歩いた感覚で車に戻った。なんか、、秀吉の中国大返しの起点となる歴史的な城跡って感じしなかった。そんなもんかな。まぁ三木城もピンとこなかったしね。

むしろ丘でも山でもない平らな小さい城が本丸くらいとはいえほぼ昔の形で残っているのはある意味すごいことなのかも。江戸時代に旗本の陣屋があったのに町に埋もれることもなく、街道の要所だった筈なのに現代では国道も線路も避けるように城外に通ってて、大事にされてたからなのかその逆なのか、ぱっとしない所だった。
でも来れてよかった。

この日の日誌

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