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鉄焼うどん 鍛冶屋寅次郎

ファイル 3827-1.jpg小山市天神町の県道沿いにある焼うどん店。

ホントは別のラーメン店(帆立スープの佐野ラーメン中村屋)に行くつもりで進んでた小山市街だったけど、この店を見かけて焼うどんの店って珍しいなと気になって変更、妹も乗り気でよかった。
見るからにチェーン店の構えだけど、他では見た事の無い「鉄焼うどん」なんかの系列の特別店みたいな感じかね。

ファイル 3827-2.jpg店は空いてて好きなトコ座れたのでもちろん停めた車の前のテーブル席。
メニュー見て普通に「鉄焼うどん」をたのんだ。
あぁあと店内の大きなポスターで気になった「自家製秘伝もつ煮込」をつけみた。
そして妹は遠慮なくレモンサワー。水で乾杯。なんなんだ。

ってわけで「鉄焼うどん」
メニューに食べ方が載ってて、1,卓上の醤油ダレをかける。2,湯気を眺める。3,香ばしく焼けたらうどんを食う。

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なんか、麺がきしめん以上ひもかわ未満くらいの幅広饂飩で、食べづらいと言えば食べづらいけど、まぁどうせ熱いから一本ずつゆっくり食べれて面白かった。味は醤油ダレにバターがきいて、そりゃ旨いわな。っていうかなんかやっぱ面白かった。

そして自分がたのんだ無料のライスともつ煮込が後から出てきた。
食べ方には続きがあって、4,残った具材にライス投入。5,卓上調味料で好みのまぜ飯にする。 だそうだ。

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なにかと自分で味を調えるトコだなぁと思いつつ、七味もラー油も胡椒も使わず醤油ダレかけるだけだった。まぁ充分おいしい。
でも、もつ煮は白飯の方が合うよなぁ、、と思った。

妹はレモンサワーで半分腹満ちたようでライス不要でもつ煮を少しつまむだけで丁度よかったようだ。

すげーうめーってほどではないけど、面白い店が出来たもんだと思った。

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タグ:餐:麺 食:焼 餐:煮 餐:飯

道の駅 たじま

ファイル 3826-1.jpg南会津町糸沢男鹿沼原の121号沿いにある道の駅。

前から何度も寄ってる道の駅。点景は三回目。
もう夕方だし、閉まってるかなーと思ったら店もやってたし、車両販売の会津地鶏の焼き鳥もやってた。(蕎麦のスタンドは閉まってた)
ので、迷わず焼き鳥。

でもさすがに夕方では品切れメニューも多く、残念ながら「会津地鶏の焼き鳥」は終わってた。。普通の国産鶏の焼き鳥は何種もあったけどそれじゃつまらないので「会津地鶏の皮串」にした。妹もそれでいいというので二本。

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注文書に記入して注文した後は意外と待った。前の前の注文を焼いてるくらいだった。八分待って焼きあがった。

うん、さすがの会津地鶏。皮串も充分うまくペロリと秒で串から消えた。あー、比較で普通の皮も買っとけばよかったかな。

ファイル 3826-3.jpgもう周りは日が暮れてすっかり青暗くなり始めていたけど、山の上の方だけはまだ日が当たってて、紅葉の赤さを照らしていた。おお綺麗じゃんと少し見とれていたけど、そんな山を見てるのはうちら兄妹くらいで他に周りを見まわす人はいなかった。そんなもんかねぇ。

ちなみに前回の点景 前前回の点景 この日の日誌

タグ:食:串 餐:肉 景:季 道の駅

下郷町物産館

ファイル 3825-1.jpg下郷町弥五島道上の121号沿いにある産直店。

観光地の「塔のへつり」の入口付近の観光向けな大きな店が並んだ区間にあるドライブインというか道の駅風な店。

すごく腹減ってるって程ではないけど、手前でラーメン食べそこねた口が何かちょこっと面白いもの食べたい口になってて、とくに妹が「なーんか食べたい」と寄ろう寄ろうと積極的だった。

で、まず気になったのが店先の幟の「ますバーガー」、ますバーガールズという女の子キャラのゆるい幟だけど、鱒ということで失敗はなさそうなバーガー。まずそれを探して店内をまわった。
けど見あたらず、もうとっくに売切れかな?と思ったけど、もうとっくに閉まった食堂のメニューを見たらそっちに上ってた。。
食道は3時まで。30分遅かった。あーまたか、残念。くやしー。

妹は「ベーコンポテトドッグ」というのを見つけて買ってそれ食べてた。

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どう?ときくと「うん、そのまんま」だそうで、まぁおいしいけど驚きはない普通のスナック。

えーじゃあ、こっちは、、ソフトかな。
と、山ぶどうソフト。

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昨日よりは暖かいけどもう日も傾いてちょっとソフトを食べるには肌寒いくらいだったし、シャーベットな感じのソフトだったのでより涼し気だったけど、程よい酸味と甘味でおいしかった。

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タグ:餐:冷 餐:揚 楽<残

会津さざえ堂

ファイル 3824-1.jpg会津若松市一箕町八幡弁天下にある観音堂。

さざえ堂は通称で「円通三匝堂」という形状の旧正宗寺のお堂だそうだ。旧滝沢本陣から歩くと飯盛山の階段の七割くらいを脇から登る形になる。
自分はネットやら駅のポスターやらで見て、妹はテレビなどで見て、お互いに興味あって来たいと思ってたスポット。
なんだけど、若松市内で働いてた地元ともいえる従姉の話では、飯盛山の観光ついでに寄るくらいのスポットで、わざわざそこだけに行くっていうほどのものでは無いらしく「そんな期待するほどでもないよ」と言われてしまった。いやいやいやいや地元の人は得てしてそう言うもんなんだよねーとか思って妹共々まんまと期待して坂を上って来てみた次第。

石の鳥居からの坂を上り、赤い鳥居をくぐって嚴島神社。ん?神社?お寺じゃないの?と思ったけど、さざえ堂はもう一段上だった。
順路的にまずは神社を見てまわった。勢いのいい水路が流れる水の神社だった。

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水路の元には「戸ノ口堰洞穴」という洞穴のある溜池があった。なんかすごくいい雰囲気。
この穴は猪苗代湖の水を若松に引くために掘られた地下水路で、その戸ノ口原の戦いに敗れた白虎隊がこの長い洞穴をくぐってここに撤退してきたんだそうな。。ヤだなぁ。敗退の途で長い暗闇を進んだら気を病むよなぁ。そしてやっと抜けた先で城が燃えてたらそりゃ絶望も深いよなぁ。あーいや今日は白虎隊じゃないんだ、、とさざえ堂に進んだ。

ってわけでもう一段上のさざえ堂。
来てみたら、思ってた以上に小さかったし、サザエの様に丸く上の方が小さくなってるのかと思いきや、太さは変わらない塔のような重なって背が伸びた不安定な六角堂という感じだった。

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拝観料は400円、ここはすぐ脇に券売所があり黙って入っちゃう人はいなさそうだった。

入るとまず「郁堂禅師」の坐像、この僧が寛政8年(1796)に建立したんだそうだ。写真ブレちゃった。

そして中は螺旋のスロープ坂で文字通りサザエの貝殻の渦の様にゆっくり回って登る特異な建物。床も段にはなっておらず、歩きやすいように凹凸をつけて傘の様な感じになっていた。
正直、形状は面白く螺旋を登るのは楽しかったけれど、思ったよりも全然小さく、そして上り切るのもすぐに感じた。なにより形状や景色を楽しんでしまって中心の柱側にあった物などは全然見てなかった。っていうか、観音像とかは無いんだね。。(江戸時代には三十三体の観音像が並んで、登って下りるだけで観音巡礼が完了するというものだったらしい)

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一番上はポッコリと橋のような円弧で越えてすぐに下り。下りの方がゆっくり外の景色を見れた。
見下ろす社は「宇賀神堂」自決した白虎隊士を祀る神社。サザエ以外はみんな神社だね。まぁ昔は神仏混淆が普通かぁ。

ファイル 3824-5.jpgそしてぐるぐる回ってあっという間におりてしまった。

感想は妹共に「なんかあっけないね」もっと大きくてじっくり見れるかと思った。。
っていうかポスターの写真盛り過ぎだよね。彩度上げて広角で低い目線なので凄く雰囲気濃く広いと思えてた。妹のテレビもやっぱり撮り方で魅力増してたそうで期待しすぎてたと同意見。
まぁ面白いは面白いから悪くはないのだけれど、従姉の言う通りオマケで来るのがいいくらいの所だった。

正直、群馬の太田のさざえ堂の方が大きくゆっくり回れて、螺旋ではないけど観音様だらけで現役のお堂として立派に思えた。
けど、調べると、嚴島神社は元々は正宗寺にあった神社で、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、神社とさざえ堂だけ残ったという事らしい。そっか廃寺かぁ、、明治初期に何があったんだろう、、って戊辰戦争じゃん。そういうことね。

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タグ:観:寺 観:建 観:重 観:像 観:宮 観:池 景:洞

旧滝沢本陣

ファイル 3823-1.jpg会津若松市一箕町八幡滝沢にある古民家。

延宝6年(1678)に郷頭の住居として建築された物で国重文。江戸時代前期かぁ、江戸幕府は四代家綱。ってことは、幕末の戊辰戦争の頃(慶応4年1868)にはもうかなりの古民家だったわけだ。
その戊辰戦争の時に本陣とした建物、城の近くでも本陣は別なんだね。

いつもなのかわからいけど中は無人で、入館料の400円は自主的に投函する形。妹は「わかりゃしないって」なんて言ってたけど勿論投函。ほかにも見学してるお客さんがチラホラいたけど、きっと皆さん払ってらっしゃることでしょう。(後から来た二人は払ってなかったようにみえたけど)

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中は堅苦しさもなく、資料館的に古道具も並べられた古民家スポット。土間に竈を見てから下足して囲炉裏の広い板の間(御前)に上がった。

奥の畳敷きの座敷に進むと筆書で「弾痕」とかあちこちにあり柱には「刀傷」もあった。完全に乗り込まれて制圧されたのか。

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戊辰戦争以前は歴代藩主の参勤交代の時の休憩所に使われたそうで、北の縁側の庭園は落ち着く感じだった。
っていうか、藩主の休憩所にしては小ぢんまりとしてたんだなぁ。
いや、それよか戦で本陣としてた時はどういう風に使われてたんだろうか、、白虎隊もここで命を受けて出陣していったそうだし、土方歳三だって斎藤一だってここから出陣したわけだろう。
もっと隊員揃って並んで訓示受けるような場所がありそうなもんだけど、そういうもんじゃないのかな。

ファイル 3823-4.jpg妹は全然興味なさそうなので、ほどほどに見てまわって外に出た。

来た時は屋敷の土間側の駐車場からだったのでイマイチピンと来てなかったけど、このままサザエ堂に歩いて来ようと出た側が正門の入り口だった。前の道の先から振り返ったら、おお、お屋敷だとかっこよく見えた。

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手打ちそば処 箸ば味

ファイル 3822-1.jpg郡山市逢瀬町多田野上山田原の県道沿いにある蕎麦店。

従姉のおススメで従兄家族等と共に車三台八人で来店。
店は県道のすぐ前の民家そのもので、駐車場は県道の対向車側に未舗装ながら二軒分ほどの広さであった。

玄関から入ると満席で待ってる人がいた。けど一組だけで、左程待たずに入れた。
もうほんとに普通のやや古い民家そのままで、中の間と奥の間にテーブルを配置してを客室にした感じ。

さすがに八人のテーブルは無いし、混んだ昼なのでは2つにわかれたテーブルは少し離れちゃったけど、しかたないよね。
メニューはもりそばと天ぷらそばくらいなもんで、朝食食べてまだそんな時間もたってなかったのでもりそばにしておいた。
そしたら意外と大きな皿でのもりそばで見た目より量あってたっぷり。白い汁は大根のとぎ汁だそうでここにタレのようなそばつゆを混ぜて食べた。おもしろい。

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そばはうまかった。
そういえば昨日も昼は蕎麦食べてたんだっけ、、とか思い出したトコだったけど、この蕎麦はまたこれでおいしかった。店の雰囲気も良くてイイ感じの食事。

そしておばちゃんがたのんだ天ぷらそばは、伯母曰く汁のそばに天ぷらがちょっと乗ったイメージだったらしいけど、蕎麦は普通のもりで同じ量で、天ぷらに煮物におにぎりなどがついたデラックス版。

ファイル 3822-3.jpg食べきれないから食べてということで大葉のおにぎりは僕が、天ぷらのほとんどは妹がいただいた。ごちごうさま。

そしてコーヒーメーカーのコーヒーが一杯セルフで無料とのことでいただいた。ちゃんとしたコーヒーだった。

そして飾りのように垂らした穂が付いたまま締めた稲のことを店の人に聞いたら、やっぱり収穫後にこうして飾るのがこの地域の風習だそうで同じ郡山でもうちの方ではやらないようなので面白いもんだと話を聞いた。
店の人も話し好きでこの家のことなど色々話してくれて楽しめた。

ってわけで、食事終えて少しゆっくりして店を出て、ここで従兄家族と伯母、そして従姉と別れた。ごちそうさまでした。

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