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青森田代十和田線やすらぎの駐車帯

ファイル 3913-1.jpg十和田市深持深持山の県道にある休憩用駐車場。

八甲田山の見える大中台の高原の駐車場だけど、駐車場からは南の黒森はよく見えるけど八甲田の高田大岳の方はちょうど背面の森で見えない。
けど残雪の残る高原の感じが気持ちいいので、トイレの後も少し休憩。

広々した景色と青空を眺めた。

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そして少し歩いて一面の雪の斜面に進んでみた。
そういえば今年は関東はしっかりとした雪の日はなかったので、雪を踏みしめたのは今年初かも。動物の足跡(肉球跡)を見つつ、自分の足跡も付けてきた。

少しグズグズの箇所もあり靴が濡れてきたので少し進んだだけで引き返した。
振り返ると東側の方の山は暑い雲かぶってて、ちょっと違う位置で随分天気違ってるよなと思ったけど、来た道がそんな感じだったので、抜けられてよかったと思えた。

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そして森の手前に鮮やかな黄緑が見えたのでカメラのズームで見てみたらフキノトウだった。もうここらも春なのね。
なーんて思って車まで戻って来てみたら、目の前のトイレの脇にもフキノトウがあって細かい花が開いてた。

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史跡根城の広場

八戸市根城根城にある城跡公園。

八戸には何度も来てるけど正直この城は知らなかった。前に洲崎西のトークイベントで八戸市公民館に行った時にその横の八戸城跡を歩いてそれだけが城だと思ってたけど、近年職場の顧問が日本100名城巡りにハマってて宴会で話を聞いておススメされたのがこの城跡。へええ、自分は100名城とか気にしてなかったし、いつもドライブがてらで寄るだけなので意外と有名な城を知らないことが多いので、オススメされてて嬉しかったけど、しょうじき八戸に来るまで忘れてた。

ファイル 3912-1.jpgさて、八戸市博物館の横に入口があって進んだら「旧八戸城東門」というのがあった。
ボランティアガイドさんの詰め所もあって3人くらい塀にパネルを吊るす作業をしてたけど、パネルを覗き込んで読んでても声をかけられることもなかった。

この門は八戸城の東門で安政6年(1857)に台風で倒れて家臣の門になってたものだそうだ。なんかきれいなので現存物という感じはしなかった。元々は根城のものを移したという伝承が、、ともあったけど、それはあやしい。
ほか、案内板やパネルを一通り見てから門をくぐった。

中は公園な雰囲気だったけどすぐに土堀の「堀跡」があって中世の城らしかった。
っていうかこっちに城の駐車場もあったんだ。博物館に停めちゃまずかったかな。。まぁガラガラだったからいいか。(こっちはバス用だそうで博物館前で正解だった)

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公園を真っすぐ進むと、最初ツツジが咲いてたけど、もっと派手なハナモモも咲いてて、それより沢山の枝垂れ桜がいくらか咲き残ってて、葉も多いけど日も差してきていい感じだった。これは一週間早ければ可也きれいだっただろうなと思えた。

東禅寺跡というのを横目に進むとその先の広い堀っぽい所は「通路跡」、堀を埋めてつうろにしてたそうだ。ゴルフ場みたいな感じに見えた。

そしてまた堀。両脇にしだれ桜が並んでていい感じ。でもその先のモコモコの雲が気になった。

その先が一番広い広場。「中館」という曲輪でつまり二の丸かと思ったけど、そういう分類ではないようだ。
ここはその広場の真ん中に根城全体模型が立ってて本丸全体模型が寝ていた。城としては前の国道の向かいにこの中館よりも広い曲輪が二つあって堀が囲ってたそうだ。

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中館を出たあたりの桜が一番綺麗だった。少し眺めまわってから堀を進んで「本丸」に歩いた。
堀は更に深く「木橋」で渡って、木の柱の塀の坂を上って「東門」をくぐった。あれ、また東門か。ああ、博物館の方は八戸城のだっけ。元々はあそこには門も橋も入り口も無かったのかも。

門の中に料金所。この本丸だけは有料で250円払った。安。
なんか縦長の竪穴式住居みたいなのがあって、あれ?城でもあり縄文遺跡でもある感じ?とか思ったけどそうでは無く、これが当時の納屋だったものの復元物だそうだ。

この根城は建武元年(1334)の築城で南北朝時代の奥州の南朝方の中心として南部師行が治めた城。北朝に敗れても城と根城南部は300年続きつつ、桃山時代には三戸南部の配下になり、江戸時代に遠野に移封されて廃城、その後に盛岡藩から分かれてできた八戸藩が入ったのが八戸城ということのようだ。

本丸を中に進むと再現された主殿の館があった。これが中世の城の姿なんだね。ちょっと立派な古民家くらいにしか見えないし、さっきの竪穴は遺跡に思えて一瞬ここは何なんだっけ?と分からなくなったりした。

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建物に進むと、裏には上馬屋があって馬の像が立ってた。
そしてこの主殿は中にも入れた。
質素でしっかりした造りの館で、ここは来客との会見や儀式のときにだけ使われてたそうだ。
まず詰の間と茶の間には囲炉裏があって、控え室には武具があった。
角を曲がった二之間では「鎧で記念撮影」というのをやってて、どうぞどうぞ是非是非と声かけられて勧められたので「じゃあ兜だけ」と兜だけかぶって写真撮った。弱そうw鎧も全部ぜひぜひと勧められたけど他は太ってるからと遠慮した。「これはいつの時代の鎧なんですか?」と聞いたけど「くわしくはちょっと、、」と誤魔化された。

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そして体験証明書というのをいただけた。やっぱはずかしかった。

奧に進むと広間は会議か宴会か料理を前にした武家が並んでた。
そしてやけに明るいトイレもあり、祈祷の間には祭壇のような飾りあり、廊下にあったこの主殿の模型はやけに屋根が高く見えた。本当は高かったのかな。

外に出て裏にまわると、本丸は建物以外も広く、そして主殿以外にも色々あった。
まず裏には長く並んだ中馬屋、四角い下馬屋は柱跡に木の杭だけで、隣りの建物はトイレだった。スッキリしたトコで裏の端から眺めてみたら、意外と川は離れてて見えず、間に宅地もあった。

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西にまわると物見の跡があり、祭壇跡?とハテナのついたのがあってその横に西門があった。
西門の前には番所があった。柵から裏も覗けたけど西の沢という窪地は何もなかった。

そして裏から見る主殿もなんか堂々としててカッコよかった。枝垂桜がもう少し残ってればもっとよかったんだけどね。

その先には工房というのがあって、入口が(デブには)小さくて低いけど中にも入れた。外に案内板あったけど、入ったら音声ガイドが流れた。武具など色々製作修繕するところだったそうだ。

その前には常御殿というのが柱跡の杭と煉瓦で仕切られてた。当主が普段暮らす館だったそうだ。
野鍜治場というのだけは妙にしょぼくて適当に造ったような柱だった。井戸は覗いたらスズメが飛び出して驚いた。穴は無かった。

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鍛冶工房というのが竪穴式では一番大きく少し深く、炉があった方は土壁になってて奥は木で風通しよくなってた。
屈んで入る所が多かったので板蔵という物置は入口広くて楽だった。

最後に奥御殿も柱跡の杭と煉瓦の仕切だけだった。ここは当主の家族が住んだ館。先祖の霊も祀られてたとか。

これで東門の前に出た。最初に見た納屋も中に入れたので屈んで入ってみた。二棟あったけどひとつでもういいやと門を出た。

なーんか見どころだらけで楽しすぎる城跡公園だった。けど、南部氏の抗争の歴史には疎くてピンと来てない部分も多く勿体なかったかも。そして広くてくたびれた。足も疲れてゆっくり歩いて戻りたかったけど、雨がパラついてきちゃったので急いで戻った。
最後に博物館も見て行くつもりだったけど、ちょっと疲れたからもういいやと一息ついたら出発した。

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館鼻岸壁朝市

八戸市新湊にある八戸館鼻漁港の港湾岸で毎日曜日に開かれる朝市。

ファイル 3911-1.jpgこれは全然まったく知らなかった。陸奥湊の有料駐車場で聞いて初めて知って来てみた。
広めの岸壁に広く駐車場スペースがあって、人も多くすんごく賑わってた。あーこれは駅前の小売市場も空いててサモアリナンだわ。なるほどね。

駐車場からは露店が二列の筋になってて陸側の方に幟が立ってて入口っぽくなってたのでそちらから進んでみた。
店は飲食のが多かったけど、食材や小物、座布団や楽器など色々あって面白かった。

そして飲食店は長い列を作ってる店が多く、お、ここは全然並んでないんだと思えばもう売り切れで終わってたりした。8時過ぎに来てたんじゃ遅いのね。まぁ僕は腹減ってなくて冷やかしだからいいけどね。

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「日本一朝早く会えるアイドル pacchi」というのもあって、なんと7時半からライブをしてたそうだ。へええ、と思って見てみたら、もう物販の最中でチェキ撮影してた。がんばってね。

さて、やっぱりおいしそうな所は列になってて、そんな中たまたま列になってない店の「せんべいの天ぷら」を見つけて、これもドライブの共にと1パック(3つ)購入。これ好きなんだよね。ナイス。

市は港の角までかなと思いきや直角に折れてまだ続いてた。結構長いねぇ。折れた先は一列の向かいだけだったけどまだまだずっと賑わってた。

こっちではちょうど歌ってた子もいて、かわいいからアイドルなのかと思ったけどKAGETUさんというシンガーソングライターだそうだ。カメコが多かった。

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やっと露店が途切れて朝市の端を出ると、その先には「湾港ストア」という濃い感じの店があって、そこも人気で混み合ってた。
ちょっと覗いてみたらそばうどんと支那そばの食堂がメインな感じだった。でもここは朝市じゃなくてもやってるんでしょ?

折り返すと、一番気になったのは「海鮮食堂」という屋台。うにみそおにぎりとか、極上ひらめ生ハムとか気になるメニューは勿論売切れ。これはあるなら少しなら並んでも食べたいね。

さて、折り返して、見てない方の列を見つつ、たまに元の列も覗いてみたら、タイミングなのかさっきは列長かったのに数人の列になってた店もあったので、それじゃあ一つくらいチョイ食いしようかと「八戸いがめんち」の店で1個だけ買ってみた。

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「いがめんち」はタコ焼きより大きめでゆで卵より小さめのボール型で、メンチというから肉とイカかと思いきやそうでは無く、イカのお好み焼き風団子といった感じで、イカの風味良く素直に食べれておいしかった。腹減ってなかったとはいえケチらずに3個入とか買えばよかった。

そして戻って来てみたら、もう店閉めて帰ってスペース空いてるところが多かった。今まで行ったほかの朝市はわりと昼近くまでやってるトコが多かったけど、ここはホントに朝だけなんだね。何時からやってるんだろ。。(3時4時から出してる店もあって6時には出揃って7時前がピークらしい、そして一応9時終了)
まぁ個人的には駅前でちゃんと食べてから来て、終わりの方を見て歩いた今日の順番で正解だったと思う。せんべいの天ぷらも買えたし。

で、そのせんべいの天ぷらは出発して割とすぐの蕪島に向かう間に一つ食べてみた。さっきいがめんちで貰った串があったのではんぺんのように刺してたして食べたら食べやすかった。ナイス。

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んーシンプルだけどいい塩気で揚げた油感も程よくおいしい逸品。そしてダンボールみたいな変な食感も面白く、嚙んでるとすぐ柔らかくなってホッとする面白さもいい。
そしてパクパク続けては食べずに残りの二つはゆっくり八甲田の雪山や青森に下る坂道などで食べた。でもやっぱこれ2パック買えばよかったー、、と思った。

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八戸市魚菜小売市場

ファイル 3910-1.jpg八戸市湊町久保にある市営の市場。

十一年前にも来てて二度目の来訪、点景も二度目。
なんかリニューアルしててスッキリしてた。前の方が雰囲気があってよかったような気がするけど、入りやすくはなったので旅行客にはいいのかな。
前回来た時は駅前の通りの店が全部開いてて賑やかな朝市になってたけど、今日は閉まってた。日曜は休みだった。実は目的としてた人気の食堂も休みで閉まってたのでやむなくこっちに来た。

で、入口に「朝ごはんの食べ方」とおばちゃんの顔ハメ、これは前からあったかも。

中に入ると、妙にスッキリしててお客もすいててやけに静かで、え?終わってないよねと一瞬思った。前のゴチャっとした雰囲気のイメージが強いからかな。まぁ気楽にまわれるからいいかとまず一通り見てまわった。

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青森と言ったらなんかスジコのイメージ、今回はスジコ丼にしちゃおうと筋子500円分くださいと専門店のおばちゃんに言うと量り売りで600円分(あれ?)分けてくれた。っていうかそれでもちょっと多すぎたかな。
これとご飯だけでよかったけど、見てまわってて安くて気になってた八戸産アブラガレイ刺身(250)を購入。それでご飯(150)味噌汁(200)の贅沢な朝ごはんにした。席は全然空いてて余裕だった。

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んーやっぱいいね。筋子プチプチでまろやかでにやけるしょっぱさ。いやほんと600円分は多かった。血圧痛風患者の自覚ゼロ。いやもう旅の恥は掻き捨てですよ(意味違う)。普通飲食店だとイクラのメニューはあっても筋子のメニューってないよね。思い切り食べれて幸せ。ホント好き。
そしておまけのアブラガレイは軟らかくふわっとしててこれはこれで面白くおいしかった。買って正解。

いい朝食になったと満足で市場を出た。

店の前にあった車両販売の唐揚げだけど、「りんごを使った鶏のから揚げ」ってことで気になった。更に「冷めてもおいしい」ともあったのですぐ食べなくてもドライブの共にして後で食べてもいいかと思って買ってみた。青森のタレントの王林も好きだそうだ。(ロケでうちの会社に来たことあるタレントさん)

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食べたのは八戸を出る10時半くらいで、開けてみたら意外と一つ一つ大きかったけど、入ってた串が太めで刺しやすく食べやすかった。
味はリンゴかどうかはよく分かんなかったけど味の深みあって確かに冷めてもおいしい唐揚だった。うん、これはうまい。ゆっくり食べるつもりだったけどパクパク続けて食べきっちゃった。

これ、港の方の朝市で出店してたら長蛇の列になってすぐ売り切れちゃうだろうなぁと思えて、こっちで売っててくれてありがとうって思った。

ちなみに前回の点景 この日の日誌

タグ:餐:卵 餐:魚 餐:肉 食:串 観:市 観:具

鉄兵衛 古川店

ファイル 3909-1.jpg大崎市古川小野中蝦沢にある和食店。

「牛タン定食」が目を引いて寄ってみたものの、ちょっと一人で気軽に入る感じではなくて怯んだ。
けどこの時間やってる店はもうなさそうだし駐車場空いてるから思い切って入店。
っていうかもうほかに客は無く片付けモードな感じだったけど、まだ時間あって食事できるというので安心した。

ファイル 3909-2.jpg他に客いなかったから悠々だったけど、席は個室で洒落ていた。こんな時間でよかった。

メニューを見ると「鬼そば」とかトンカツとかがメインの店だったようだけど、牛タンで来たのでもう決まってて「牛タン定食」、枚数で値段違ってて2枚4切だとリーズナブルだったけど、ここはケチらずに思いっきり食べたいと4枚8切をたのんだ。

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うん、さすが宮城。仙台は少し離れちゃったけどやっぱ牛タンは仙台だね。うまかったし歯応えもいいし思い切り食べられて至福。存分にほおばって味わえた。一切れ大きいよね。
麦飯もとろろもおいしいし、テールスープ風な吸い物にも牛タン入っててニッコリ。思い切って寄ってよかった。

ここまで宮城はフラフラとまわってきたのに利府とか多賀城あたりでいい店見かけず通過だけして来ちゃって、日帰り湯でも食事できずに残念に思ってたけど、最後の最後に牛タン食べれて良かった。

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タグ:食:定 餐:肉

亘理要害跡

ファイル 3908-1.jpg亘理町旧舘にある城跡公園。

前の県道で看板見かけて気になって、一旦通過しつつ戻って道間違えてまた廻ったりしつつ城下町っぽさを味わってから城跡の坂を上って神社の駐車場(駐車場とも駐車禁止とも標記無かったけど)に停めて歩いてみた。

まず案内板には「亘理要害跡(臥牛城)」とありこの城の丘が牛が臥せた形なのでそう呼ばれたそうだ。亘理氏は涌谷に移って片倉氏が白石に移った後の慶長7年(1602)に伊達成実(政宗のいとこ?)が改修して城にして城下町も整備したそうだ。「要害」というのは一国一城令に対して「城じゃないよ」とすっとぼける伊達氏の方便らしい。実際は伊達だけじゃなくてよそも「館」と呼んだり「陣屋」とごまかしたりしてたようだけど、史跡としてそのままの呼び方で表記してるのは珍しい気がする。よそはみんな城跡っていってるよね。

さて、案内図を見るとこの丘丸々が本丸で曲輪は切られてなかったようだ。

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目の前の道は廃城後に割ったようで、往時は道の先の牛の頭の部分が分かれてなく繋がってて、角の脇の部分に裏門と詰問があったそうだ。変な形。

亘理神社の参道の横を奥に進むと「御本丸」という標柱があり、案内板もあった。
明治元年(1868)九月、戊辰戦争に敗れた仙台藩と新政府軍との降伏式がこの地で行われたそうだ。
立ってた銅像は山形勝治先生という人。

「亘理神社の碑(伊達成実伝)」という案内もあった。その伊達成実は、伊達政宗の祖父の弟の長男だけど年は正宗の一つ下で母親は正宗の叔母だそうだ。複雑。政宗を兄と慕い伊達家に尽くし、武勇の誉れ高く戦で大活躍した人だそうで、(大河では三浦友和が演じたそうな)明治になって建てられた亘理神社に祀られその生涯を刻んだ碑が立てられたそうだ。

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ってわけで亘理神社。お参りして奥に進んだ。本殿は飾りなどは無くシンプルだった。

奥には忠霊塔があり、日陰の足元には小さな紫の花がキレイだった。

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その先に進むと、林の先は学校だった。。案内図では馬場とある部分。ちょっと堀ぽく割られてた。
そして「戊辰の碑」というのがあって、案内板も立ってた。「戊辰戦争と亘理」として仙台藩の戦いが書かれてた。敗戦後に領地を失った亘理伊達家が北海道に渡って開拓したのが伊達市だそうだ。あー道の駅の伊達氏の屋敷に行ったなぁ(→)あそこね。

っていうか、鳥がケンケン鳴いてて、キジでもいるのかと思ったけど声が上だったので見上げたらシラサギで、木の上がコロニーだらけだった。

城の南側の丘の下には公園が見えた。内堀跡が「旧舘公園」という公園になってるようだ。一応池があって内堀っぽくしてた。
土塁っぽくも思える段の髙めの南側から神社に戻った。

っていうか、頭上のサギ密度が濃くてフンでも落ちてこないかと不安だった。巣の手前では静止したように飛ぶサギにも驚いた。

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巣のコロニーの木は一つ二つではなく森全体が巣でサギの城だった。
眺めつつ北側の神社脇にも歩いてみた。

県道側のこっちに大所門というのがあったようだけど、急な崖になってるのでこっちが正面ということはなさそうだった。
県道から6号までは大きな沼があったらしいし。

サギを見上げつつ参道を進んで駐車場に戻った。
その駐車場の前からも県道側を見下ろしてみた。
県道から見えて気になった「亘理要害跡(臥牛城)」の標柱が見下ろせた。

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ちょこっと八重桜が咲き残ってた。時季があってたらきれいだったかもね。

思ったよりゆっくり歩けてゆっくり楽しめた。戊辰戦争の話もあって興味深い城跡に寄れてよかった。


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タグ:観:城 観:園 観:宮 観:石 動:鳥

道の駅 ならは

ファイル 3907-1.jpg楢葉町山田岡大堤入の6号沿いにある道の駅。

以前か何度か寄ってたけど、震災後の臨時警察署からリニューアルオープンしてからは三度目の立寄りで点景は二度目。
此処は意外といい日帰り温泉なので夜に寄りたいトコだけど、今日は昼間でトイレが主目的。なんか面白いメニューあったら食事してもいいかなってくらいの軽い寄り道。

直売店の惣菜とか見てまわった後にフードコートのある風呂の方の建物に入った。
まず入口に「ストロマトライト」というのが展示してあった。層状に発達した藍藻に堆積物の粒子が積もったものだそうで、大昔には大繁栄して光合成で地球の酸素濃度を増大させたものだそうだ。へええ。

さてさて、フードコートのメニューを見ると「マミーすいとん定食」が楢葉の名物のオススメとあったので迷わずにそれにした。元々すいとん好きだしね。っていうかマミーって何?

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空いてたので、席は窓側に座り外を眺めた。
目の前の6号が見えるだけだけど、隣りの人は丘の上の煙突を気にしてた。いやいやそれは火力発電所のでしょ。

「マミーすいとん定食」はコロッケも付いてきた。

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すいとんは思ったよりしっかりした団子だった。形が整いすぎてて安っぽく思えるけど、もちろん硬くはなく食べやすく小麦っぽくいい感じ。まぁ悪くなかった。
オマケかと思ってたコロッケが、柚子が入ってて面白かった。楢葉は柚子が名物だそうだ。

直売所の方は混んでたけど、こっちの建物は空いてたので落ち着いて食事できた。


ちなみに前回の点景 この日の日誌

タグ:食:定 餐:汁 餐:揚 観:飾 観:地 道の駅

道の駅 たじま

ファイル 3826-1.jpg南会津町糸沢男鹿沼原の121号沿いにある道の駅。

前から何度も寄ってる道の駅。点景は三回目。
もう夕方だし、閉まってるかなーと思ったら店もやってたし、車両販売の会津地鶏の焼き鳥もやってた。(蕎麦のスタンドは閉まってた)
ので、迷わず焼き鳥。

でもさすがに夕方では品切れメニューも多く、残念ながら「会津地鶏の焼き鳥」は終わってた。。普通の国産鶏の焼き鳥は何種もあったけどそれじゃつまらないので「会津地鶏の皮串」にした。妹もそれでいいというので二本。

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注文書に記入して注文した後は意外と待った。前の前の注文を焼いてるくらいだった。八分待って焼きあがった。

うん、さすがの会津地鶏。皮串も充分うまくペロリと秒で串から消えた。あー、比較で普通の皮も買っとけばよかったかな。

ファイル 3826-3.jpgもう周りは日が暮れてすっかり青暗くなり始めていたけど、山の上の方だけはまだ日が当たってて、紅葉の赤さを照らしていた。おお綺麗じゃんと少し見とれていたけど、そんな山を見てるのはうちら兄妹くらいで他に周りを見まわす人はいなかった。そんなもんかねぇ。

ちなみに前回の点景 前前回の点景 この日の日誌

タグ:食:串 餐:肉 景:季 道の駅

下郷町物産館

ファイル 3825-1.jpg下郷町弥五島道上の121号沿いにある産直店。

観光地の「塔のへつり」の入口付近の観光向けな大きな店が並んだ区間にあるドライブインというか道の駅風な店。

すごく腹減ってるって程ではないけど、手前でラーメン食べそこねた口が何かちょこっと面白いもの食べたい口になってて、とくに妹が「なーんか食べたい」と寄ろう寄ろうと積極的だった。

で、まず気になったのが店先の幟の「ますバーガー」、ますバーガールズという女の子キャラのゆるい幟だけど、鱒ということで失敗はなさそうなバーガー。まずそれを探して店内をまわった。
けど見あたらず、もうとっくに売切れかな?と思ったけど、もうとっくに閉まった食堂のメニューを見たらそっちに上ってた。。
食道は3時まで。30分遅かった。あーまたか、残念。くやしー。

妹は「ベーコンポテトドッグ」というのを見つけて買ってそれ食べてた。

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どう?ときくと「うん、そのまんま」だそうで、まぁおいしいけど驚きはない普通のスナック。

えーじゃあ、こっちは、、ソフトかな。
と、山ぶどうソフト。

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昨日よりは暖かいけどもう日も傾いてちょっとソフトを食べるには肌寒いくらいだったし、シャーベットな感じのソフトだったのでより涼し気だったけど、程よい酸味と甘味でおいしかった。

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会津さざえ堂

ファイル 3824-1.jpg会津若松市一箕町八幡弁天下にある観音堂。

さざえ堂は通称で「円通三匝堂」という形状の旧正宗寺のお堂だそうだ。旧滝沢本陣から歩くと飯盛山の階段の七割くらいを脇から登る形になる。
自分はネットやら駅のポスターやらで見て、妹はテレビなどで見て、お互いに興味あって来たいと思ってたスポット。
なんだけど、若松市内で働いてた地元ともいえる従姉の話では、飯盛山の観光ついでに寄るくらいのスポットで、わざわざそこだけに行くっていうほどのものでは無いらしく「そんな期待するほどでもないよ」と言われてしまった。いやいやいやいや地元の人は得てしてそう言うもんなんだよねーとか思って妹共々まんまと期待して坂を上って来てみた次第。

石の鳥居からの坂を上り、赤い鳥居をくぐって嚴島神社。ん?神社?お寺じゃないの?と思ったけど、さざえ堂はもう一段上だった。
順路的にまずは神社を見てまわった。勢いのいい水路が流れる水の神社だった。

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水路の元には「戸ノ口堰洞穴」という洞穴のある溜池があった。なんかすごくいい雰囲気。
この穴は猪苗代湖の水を若松に引くために掘られた地下水路で、その戸ノ口原の戦いに敗れた白虎隊がこの長い洞穴をくぐってここに撤退してきたんだそうな。。ヤだなぁ。敗退の途で長い暗闇を進んだら気を病むよなぁ。そしてやっと抜けた先で城が燃えてたらそりゃ絶望も深いよなぁ。あーいや今日は白虎隊じゃないんだ、、とさざえ堂に進んだ。

ってわけでもう一段上のさざえ堂。
来てみたら、思ってた以上に小さかったし、サザエの様に丸く上の方が小さくなってるのかと思いきや、太さは変わらない塔のような重なって背が伸びた不安定な六角堂という感じだった。

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拝観料は400円、ここはすぐ脇に券売所があり黙って入っちゃう人はいなさそうだった。

入るとまず「郁堂禅師」の坐像、この僧が寛政8年(1796)に建立したんだそうだ。写真ブレちゃった。

そして中は螺旋のスロープ坂で文字通りサザエの貝殻の渦の様にゆっくり回って登る特異な建物。床も段にはなっておらず、歩きやすいように凹凸をつけて傘の様な感じになっていた。
正直、形状は面白く螺旋を登るのは楽しかったけれど、思ったよりも全然小さく、そして上り切るのもすぐに感じた。なにより形状や景色を楽しんでしまって中心の柱側にあった物などは全然見てなかった。っていうか、観音像とかは無いんだね。。(江戸時代には三十三体の観音像が並んで、登って下りるだけで観音巡礼が完了するというものだったらしい)

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一番上はポッコリと橋のような円弧で越えてすぐに下り。下りの方がゆっくり外の景色を見れた。
見下ろす社は「宇賀神堂」自決した白虎隊士を祀る神社。サザエ以外はみんな神社だね。まぁ昔は神仏混淆が普通かぁ。

ファイル 3824-5.jpgそしてぐるぐる回ってあっという間におりてしまった。

感想は妹共に「なんかあっけないね」もっと大きくてじっくり見れるかと思った。。
っていうかポスターの写真盛り過ぎだよね。彩度上げて広角で低い目線なので凄く雰囲気濃く広いと思えてた。妹のテレビもやっぱり撮り方で魅力増してたそうで期待しすぎてたと同意見。
まぁ面白いは面白いから悪くはないのだけれど、従姉の言う通りオマケで来るのがいいくらいの所だった。

正直、群馬の太田のさざえ堂の方が大きくゆっくり回れて、螺旋ではないけど観音様だらけで現役のお堂として立派に思えた。
けど、調べると、嚴島神社は元々は正宗寺にあった神社で、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、神社とさざえ堂だけ残ったという事らしい。そっか廃寺かぁ、、明治初期に何があったんだろう、、って戊辰戦争じゃん。そういうことね。

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